はてなキーワード: 100円玉とは
400円のガチャは確かに良い。クオリティーも高いし、ガチャ特有のチープさもあまりない。
確かに出来は素晴らしいのだが、その価格設定は一体なんなんだ!?
そんなに人の財布に400円という小銭が都合よくあると思うのか!?
ねーよ!!100円玉が4枚だぞ!そんなに溜まってたらどっかで先に使ってしまうのが普通だろ。
それに「400円でもやってみようかな」と思ったとしても、両替機が置いていないところもたまにある。バカか!?どっかのお店で物を買ってお金を崩せってか!?なんでガチャを一回するだけでそんな面倒な行程を踏まなきゃいけないんだ。
まぁでも、両替機が置いてあったとしても千円でたったの2回しかできないわけだし、たくさんの種類を回したい人や何回も同じのを回したい人にとっては、両替機で何回もお金を崩さないといけないから、どっちにしろ面倒な行程を踏まないといけないのだがな。
それにまだ不満はある。それは100円玉を4枚も投入するのが結構面倒くさい。人目につく所だとチマチマと100円玉を投入する作業はなかなか恥ずかしいし、ガチャはお金を入れても回らない不具合もたまにあるので、「もし400円も投入して回らなかったらどうしよう…」という変な緊張感も増してしまう。それが面倒くさい100円玉を4回投入する作業と相まって非常にストレス。
正直、400円のガチャを出すぐらいなら食玩みたちな形で売ってくれた方が多少お金が掛かったとしても助かるし、400円なんて価格設定はもう始めから「今日は400円のガチャをやろう」と思っているガチャオタクしかやらないと感じる。
ガチャの良さは、ふと見かけた時に100円玉1、2枚でプレイできる気軽さであったり、財布に今ある小銭で何回も回せる手軽さであったり、面倒くさい行程なしに簡単に回すことができる楽しさだと個人的に思う。
クオリティーを上げるのはもちろん良いことだし、ガチャ好きとしては嬉しいことなのだが、ガチャならではの独特の良さっていうのは忘れずに大切にして欲しいと不満を言いながら、今日も400円のガチャを回しにまずは千円を崩すところから始めようと思う。
こんにちは。私は自分の住んでる地域とかでワークショップをやったりしてるおばさんです。
私は学校に行きたくない人に向けて伝えたいことがあります。なので、この記事を書きました。
いじめやからかいで、心を深く傷つけられる。死にたくなる。自殺する。いじめの果てに殺される。
私は行かなくてもいいと思います。
「一生このままでいいの? ずっと家に引き込まったままでいいの?」
「学校に行かないと親が心配するから」「いじめられてるなんて言ったら親が心配するから」
「一生このままでいいの? ずっと家に引き込まったままでいいの?」
私が大切だと思うのは、選択肢は「学校に行く/学校に行かない」の二択ではないということです。
学校に行かなくてもできる職業について調べてみるのも良いと思います。
学歴が必要な職業なら、通信制高校や放送大学などについて調べてみるのも良いと思います。
「学校に行かないと親が心配するから」「いじめられてるなんて言ったら親が心配するから」
こう思う人は優しい人ですね。親のことを心配しているのですから。
あなたは親を心配しています。では、親はあなたを心配することはないでしょうか?
親もあなたを心配している場合と、親はあなたを心配していない場合、二つにわけて書きますね。
親は、あなたのある部分については心配しているけど、ある部分についてはまったく理解せず心配もしていない。そういうことがあると思います。
そういう場合は二つの場合を折衷しながら、考えてみてください)
想像してみましょう。
「親の態度がなんとなくおかしく、何があったのか聞いても、何も教えてくれない」
とても気になりませんか? 不安になりませんか?
「親がある日、突然自殺した」
ショックを受けませんか?
あなたが「親に心配をかけたくない」と何も言わなかったら、親は不安になったり、ショックを受けたりするかもしれません。
親を心配させるかもしれませんが、あなたも親を心配しているのだから、お互い様です。
思い切って、話をしてみましょう。
(余談ですが、「困ったときに人に相談できる」という「テクニック」は生涯において役に立ちます。就職してからも、ずっと役に立ちます。むしろ、相談しないと怒られることがあるくらいです)
残念ながら、勇気を出して話しても、親があなたの主張や立場を理解してくれないことがあるかもしれません。
その場合は、次に書く「親があなたを心配していない場合」を参考に、折衷案を考えてください。
親があなたを心配していない場合、あなただけが親に気を使う必要はありません。
むしろ、親から距離をとって、他の人に助けを求めることを考える方がいいと思います。
でも、自分をあまり好きでない親といっしょにいて、傷つくくらいなら、親と少し距離をとった方がいいと「私は」思います。
親が信頼できないなら、誰を頼ればいいのでしょうか?
以下のサイトにはこどもの人権を相談できる場所がまとめてあります。
http://ymlaw.txt-nifty.com/blog/1_/index.html
★東京弁護士会「子どもの人権110番」 03-3503-0110
土:13:00~16:00
(面接相談も無料。まず電話で相談して,面接相談したいと伝えてください)
http://www.toben.or.jp/bengoshi/madoguchi/children.html
★第二東京弁護士会「子どもの悩みごと相談」 03-3581-1885
火・木・金:15:00~17:00
(面接相談も無料。前日17時までに03-3581-2257で予約してください)
★東京三会多摩支部「弁護士子どもの悩みごと相談」 042-548-0120
水:14:00~19:00
(面接相談も無料。まず電話で相談して,面接相談したいと伝えてください)
★神奈川県弁護士会「子どもの人権相談」 045-211-7700
木:13:15~16:15
★埼玉弁護士会「子ども弁護士ホットライン」 048-837-8668
木:15:00~18:00
★新潟県弁護士会「子どもの悩みごと相談」 0120-66-6310
月・木:16:00~19:00
★大阪弁護士会「子どもの人権110番」 06-6364-6251
毎週水15:00~17:00,毎月第2木曜日18:00~20:00
★京都弁護士会「子どもの権利110番」 075-231-2378
金:15:00~17:00 (受付は16:30まで)
★愛知県弁護士会「子どもの人権相談」 052-586-7831
土:9:15~17:15
★岐阜県弁護士会「子どもの悩みごと相談」 058-265-2850
平日9:00~16:30
★金沢弁護士会「子どもの悩み事相談」 076-221-0831
木:12:30~16:30
★広島弁護士会「子どもの悩みごと電話相談」 090-5262-0874
平日16:00~19:00
★福岡県弁護士会「子どもの人権110番」 092-752-1331
土:12:30~15:30
★宮崎県弁護士会「子どもの権利ホットライン」 0985-23-6112
月~金:9:30~16:30
★札幌弁護士会「子どもの権利110番」 011-281-5110
木:16:00~18:00
小児科のお医者さんや児童館に相談窓口のパンフレットが置いてあることもあります。
児童相談所という名前ではないかもしれませんが、こどもための窓口があるはずです。
相談窓口の人が酷いことを言う可能性、あなたの話を理解してくれない可能性、問題の深刻さを理解してくれない可能性もあります。
とても残念なことですが、そういうことになる可能性はゼロではありません。
でも、あきらめないでください。
あなたは世界中の人に話をしたわけではありません。一人の人と話をしただけなのです。
同じ電話番号で別の人が出るまでかけ直してもいいです。(同じ人が出たら、即切ってもかまいません)別の地方の相談窓口にかけてもいいです。
嫌な人に相談しても、不信感が募ります。相性のいい人、信じられそうな人に話をしましょう。
かけるには10円玉か100円玉が必要です。10円も100円もないときは、自動販売機の釣銭入れを探しましょう。
誰かが忘れたおつりがあることがあります。
忘れられたおつりは本当は遺失物です。
そして、正直に言いますが、数百円より、あなたの心と体の方が大切だと、「私は」思います。
信頼できる人を見つけるのはとても大変です。
でも、「私は」あなたに死んでほしくないと思いますし、いじめを我慢してボロボロになってほしくないと思います。
とにかく、なんとかして時間を過ごせる場所を見つけてください。
学校に行かない人生を過ごした人、その後で幸福な人生を送っている人もいます。
ボロボロになってまで、学校に行く必要はないと、「私は」思います。
「学校に行きたくない人へ」から「イジメで学校に行きたくない人へ」に変更しました。
自分の力量では思い通りにいかないことに直面したり、本当に欲しいものの代替品ばかりを掴まされて「自分が心から求めているものはどれだけ願っても手に入らないんだ」と思い知らされたりしたときに、ああこれはまるで人生みたいだなと、そう思う機会が多くなった。物事に折り合いをつけていくことの繰り返しは、豊かに生きていくための知恵だと思いながらも、いつか自分の首を絞めることになるのではないかと不安に感じてしまい、それでも淡々と過ごしていくしかないことを、日常と呼ぶのだとして。
全国のほとんどのスターバックスコーヒーがそうであるように、そこのお店にも可愛い女性店員さんがレジに立っていて、乃木坂46みたいだーなんて思いながらキャラメルマキアートとシフォンケーキを注文した。
正確な金額は覚えていないけど、確か税込854円くらいだったので、僕は千円札と一緒にいくつかの小銭を取り出し、端数分の54円を銀色のトレーに乗せた。
乃木坂さん(仮名)は白く細い指で丁寧に小銭を数えてゆき「はいえっと、千……、五十四円、ちょうどですね、頂戴いたします」と、とても明瞭で可愛げのある声で僕に告げた。
千、五十四円、ちょうど。
いや、待て。ちょうどじゃない。ちょうどじゃないぞ。
854円に対して1054円を手渡せば、200円のお釣りが返ってこなければおかしい。しかし、ちょうどじゃないぞ、という自分の心の声はもちろん乃木坂さんには聞こえていなくて、彼女はスタバ店員特有の得意気な笑みを浮かべながら、銀のトレーに乗ったお札と小銭を上手にすくい上げる。
もし200円が返ってこなかったとして、金銭的な損失は別にいいんだけど、いや良くはないんだけど、それよりも「分かっていたのに指摘しなかった」という地味な後悔が残ってしまう気がした。そんなもやもやした気持ちを抱えてしまったら、きっとキャラメルマキアートの味だって変わってしまうだろう。誰だって、後味が悪くなるような余計なトッピングはしたくない。
別のトレーに移し替えられたお札と小銭たち、さっきまで僕の財布で眠っていたお札と小銭たちが、レジの中に放り込まれてしまうその前に、「ちょうど、じゃないですよね……」と指摘してみた。
僕はそう言った瞬間、彼女の指はすでに100円玉を2枚掴んでいた。
乃木坂さんはテヘッと笑い「あっ、はい、そうですよねすみません」と言って僕に200円を手渡した。
「ちょうど」と言ってしまったと自分でも気づいていたけど、細かいことなのであえて言い直すことはしなかった。という一連の彼女の思考が、彼女の反応を見てすぐに理解できた。
「いえいえ……w」と笑いながら200円を自分の財布をしまい、「端数がちょうどだったので、つい言ってしまいました……笑」という乃木坂さんの言い訳を聞きながらシフォンケーキを受け取った。
「ナイスつっこみ、ありがとうございます笑」という、接客マニュアルには絶対に載っていない絶妙なフォローの一言を添えられて、僕は笑いながら赤いランプの下に向かい、別の店員からキャラメルマキアートを受け取った。
座席に着き、キャラメルマキアートをすする。12月も半ばを過ぎて、はあーと白い吐息が冬っぽくて。人生みたいだとは別に思わないけど、こういうやりとりの積み重ねが愛おしくて仕方ない。
「ナイスつっこみ、ありがとうございます」という彼女の言葉が、なにか性的な意味合いの暗喩だったらいいのにと、自分でも呆れるくらいくだらないことを考えながら飲むキャラメルマキアートはとても甘かった。
最近、人気ジャンルの同人誌即売会に参加して思ったことを書いてみました。
一般参加者及び買い物をする人に向けたことと、サークル参加者に向けたこと、両方あります。
厳しい暑さの夏のイベントに向けて、少しでも買い物がしやすくなるといいなあ。
当人は「気をつけているから大丈夫」と思っているのかもしれませんが、
周りの人は怖い思いをしているかもしれませんし、
「あの人も日傘だから大丈夫」と他の人が日傘を開いてしまう原因にもなります。
帽子や、市販されているフード付きのタオルなどで対応しましょう。
http://item.rakuten.co.jp/tetelab/10011280/
例えば700円の買い物に対して1200円出す場合などは
「1200円出します」と声を出して売り子さんに伝えると、
売り子さんも「お釣りは500円出せばいいんだな」と瞬時に判断し準備することができます。
またいつものお財布とは別の財布に100円・500円・1000円だけ入れておくと買い物もしやすいです。
私は上記のポーチか、100均のビニール平ポーチを利用しています。
また10円玉や50円玉を利用することは避けましょう。
同人誌即売会で使えるコインは基本的に100円玉と500円玉だけです。
★欲しい本の値段はサンプルなどでチェックしておく。
当日は混雑でピクシブも繋がりにくいです。
複数冊購入する場合は、待機列でお金や身分証明証を用意しておくと良いでしょう。
ひとりあたりの会計にかかる時間が少しずつ短縮されれば、次のサークルさんに早く行けます。
午前中は忙しいサークルさんが多いです。
特に壁の列ができているサークルさんには、後からお邪魔しましょう。
「先に本は買わせていただいたのですが」と一言添えれば何の問題もありません。
本で膨らんだトートバッグやリュックは自分が思っているよりも嵩があります。
人やサークル頒布物にぶつけないように自分の身に引き寄せて移動しましょう。
また一般参加者が一番混む時間帯にカートを引いて移動することは危険です。
★移動は走らない、狭いところを通るときは声がけがあるとベター
当たり前ですが、走ると転倒の恐れがあり、危険です。
また並んでいる列の間を無言で無理やり突っ込んでいく方もいます。
「すみません、通してください」「通ります」などの声かけがあるだけで、気持ちがいいし、
通してあげよう、とスペースを空けてあげることもできます。
□サークル参加者に□
二冊ずつで2600円、三冊ずつで3900円、机上の本を全て一冊ずつでいくら、という風に
想定される会計を確認し、例えば紙に書いて見やすいポスター裏に貼っておくと便利です。
列が伸びている場合は、会計の合間などに列に向かって「身分証明証の御準備をお願いします!」
などと呼びかけると、みなさん手元に準備しておいてくれますし、
こちらから「提示お願いします」とお願いするより先に見せてくれます。
予想を越える大混雑が起きた場合、赤ブーやYOUのスタッフさんは列誘導をし、手伝ってくれますが、
できるだけスムーズな頒布を心がけ、そのために準備をすることがサークルの義務であると私は考えます。
人それぞれ考え方はあるかと思いますが、自分の本を買うために炎天下や寒空の下に並んでいる人がいる、
その中には、本を買うためにお休みをとったり、お金をかけて会場にやってきた人もいます。
もちろんみなさん、並んででも欲しいと思って並ぶわけですが、
サークル側はその気持ちに報いる努力をするべきではないのかな、と思います。
このスムーズな頒布のための準備というのは、例えば売り子を二人用意することや、
列に向かって「二列になって」など列形成の案内をしたり
小銭が少ない場合「お釣りが少ないのでできるだけぴったりお願いします」とお願いしたり、
ノベルティのポスカを新刊に挟んでおくなど、セット組みすること、
搬入物の段ボールを開けておいて、すぐ取り出せるところに置いておくことなどです。
もし自分の手に余ると感じるなら、何かを諦めることも大事かと思います。
この場合の「何か」は「自分の買い物」や「ノベルティ」や「アンソロの企画」自体であったりします。
以上、最近感じたことについて書いてみました。
何かの参考になれば幸いです。
ゲーム好きが多そうなインターネット関連の仕事をしているが、社会人になってからは自分ではほとんどテレビゲームには触れていない。今となっては、子供たちがたまに遊んでいるのを眺める程度のものだ。
そんな俺だけど、最近、ひどいソシャゲ課金問題がニュースになったり、実況動画のユーチューバーに扇動されるキッズたちがそんなゲームにハマっていたり、息子の3DSを発狂して叩き割るヴァイオリニストがいたり、そういうニュースを見て大人が眉を顰めていたりするのを見て、そういうのはものづくりとしてなんか残念だなぁって思い、ふと思い立ってこれを書いている。
俺は本当は元々ゲームが大好きだった。どうしようもなく好きだった。たぶんここでマニアを名乗れるほどでは無いけれど、ファミコン世代ど真ん中で、小学生時代は任天堂に憧れ、ファミコンとディスクシステムに埋もれて育った。反抗期はメガドライブで道を踏み外し、幾多の良ゲークソゲーにまみれてサターンで遊んだ(結局スーファミもプレステも持ってたけど)。この世代によくいるエンジニアの例に漏れず、ゲーム好きをこじらせた結果、IT関連の仕事に進んだ。
社会人になってからは大好きなゲームで遊ぶ機会は徐々に減り、いつしかまったく触れることも無くなった。
興味が無かったわけじゃないけれど、ネットとWebとコミュニティ関連の仕事をしていたら、やたら忙しくて使える時間は限られたものになり、そのうち自分の家庭を持つようになり、結果として一見何も生産されない(ように感じる)ゲームにひとりで貴重な時間を費やすのは勿体無いと割りきって考えるようになったのだ。
仕事でもプライベートでも、どうせディスプレイに向かうのなら何か成果物を残せるか、実際に人との繋がりを作れる仕組みに力を入れようと考えるようになった。それはクラシックなホームページだったりECサイトだったり、ブログだったりSNSだったりしたのだけれど、いずれにしても「俺たちのインターネット」は今までと違う新しい世界を作るんだ、という気概のようなものを勝手に持っていたような気がする。つまり、ゲームを作る側でも無い普通の人間にとって、「ゲームで遊ぶ」という行為はクリエイティブな行動とは考えなかったのだと思う。
そのうち自分の子も大きくなり、人並みにDSやWiiで遊ぶようになった。
でも、うちの子たちがそこまでゲームに熱中しているほうでもなく、妻がゲーム嫌いなこともあって、それほど家庭の中でゲームが話題になることはなかった。俺自身もWiiを見たときに、すごいユーザフレンドリーで簡単に遊べて任天堂はすごいなーって思ったり、子供たちとちょっと遊んだスマブラが面白いなーと感じたりしたことはあったけれど、基本的には世代を超えてマリオに親しむ子供たちの姿を見て微笑ましく思ったり、良い物は良いねって言ってみたり、つまりは親として、第三者的な感想を述べるという以上に自分自身がのめり込むような体験が再来するようなことはなく、ああ、やっぱり自分が少年の頃感じたあの感動や興奮は、あの時期特有のものだったんだろうなあ、子供たちが今のゲームに同じように感じることはあったとしても、自分自身がもう一度あの感覚を体験することは無いんだろうなあ、などと悟ったようなことをちょっと寂しく勝手に考えていた。
我が家はそんな、ゲームにそれほど熱くなっていない一家なので、最新のゲーム機やゲームがすぐ家にやってくるというようなこともなく、WiiUも発売から3年経ってようやく我が家にやってきた。息子のクリスマスプレゼントということで、義母が買って送ってくれたのだ。正直随分とリッチなクリスマスプレゼントだと思う。
その半年ほど前、なんかイカがインクを塗るゲームが発売されて話題になっているということは知っていた。俺はホッテントリにそのゲームがしばしば上がるのを面白そうだなーと思いながら眺めていたし、息子もそれが欲しかったのだろうということはなんとなくわかった。
かくして、流行から半年ちょっと遅れて我が家にもWiiUとイカのゲームがやってきたのである。
すっかりゲームに興味が薄れてしまったおやじである俺は、息子が喜び勇んでイカのゲームで遊ぶのを温かい目で後で眺めていた。とても面白そうだった。
一台のWiiUでは基本的にはひとりずつしか遊べないので、パパにやらせろよと言うでもなく、オシャレでいいなこれ、っていう程度のことを思っていた。
その穏やかな認識が一変するのは、その一週間後の大晦日のことだった。
12月31日、仕事やら親戚の都合やらなんやらで予定が合わず、年越しは妻と子供たちだけが実家に帰り、俺はひとり寂しく自宅に帰って新年を迎えることになった。やり残した掃除を済ませて一息つき、ひとりで年末番組を見る気にもならずビールを飲んでだらだらしていたが、すぐ退屈になってしまった。そこで、なんとなく一週間前にやってきたWiiUの電源を入れ、自分のIDを登録して息子が遊んでいるイカのゲームをやってみたのだ。
ほうほうどれどれ、操作は複雑そうだが簡単に覚えられそうだ、とりあえずバトルに参加してみるか、しかしこれ音楽カッケーな、と……
かくしてイカを操作し始めた俺は、すぐにとんでもない衝撃を受けることになる。なんせ、俺はゲーム体験の歴史が軽く15年は飛んでいる老帰還兵なのだ。
操作に慣れるまでのタイムは僅か0.05秒にすぎない、とまではイカないが、少なくとも開始30秒後には俺はなんかすごいものに触っているぞという気になりはじめ、思った方向に画面が動き、自分が向いた方に画面が回り、目の前の画面に映るイカが自分と一体化した気分になり、それを気持ちいいと感じるまでに実に1分もかからなかった。大げさでなく、これはすごいことだ。ものすごいUIだ。
正直、まるでダイナモローラーで全力でぶん殴られたかのような衝撃を受けた。
なんだこれは。
気持ち良すぎる。楽しすぎる。
気が付くと、がむしゃらにわけもわからずインクを塗っているだけであっという間に1ゲーム終わっていた。
一体、なんなんだこれは……!!
3戦、4戦と繰り返しあっという間に30分くらい過ぎてしまった。
なんだか涙が出てきた。ていうか、恥ずかしいことにおっさんの俺はひとりでゲームをやりながらボロボロと涙が止まらなくなってしまった。
別に、大晦日にひとりでゲームをやっていたのが虚しくて涙が出てきたわけじゃなかった。自由に軽快に動くイカのキャラを見て、夢中で空間を走り回っていたら、子供の頃、家にやってきたファミコンで初めてスーパーマリオを動かしてまるで自分の思いのままにマリオが走ったときの感動や、自分のお年玉を貯めて買った発売されたてのメガドラで似非3Dのスペハリ2がぬるぬる動くところを見たときのことや、ゲーセンで「自分の思うままに3D対戦できるゲームが現実になるなんて!」とバーチャロンに100円玉を積んだ思い出なんかが次々蘇ってきた。
とんでもないものを作る人がいる。
そうだ、楽しいゲームをプレイしたときの体験と感動っていうのはこういうものだ。ありがとう、それを思い出したし、世界は過去より進化している。
かつて夢に見た未来がここにある、そんなことを思った。
だって、フィールドを思い通りに走り回り、リアルな人間同士がスポーツのように対戦でき、公平で、平等で、みんなが活躍できる。
去年の5月から遊んでいる人達にとっては超今さらな話なんだと思うけど、これってとんでもないデザインじゃなイカ。
良かった、どうやら俺が枯れてしまったわけではなかったようだ。だって、ゲームで遊んで猛烈に感動したもの。良い物は良い、ていうのはこういうことを言うんだろう。
気が付くと、外は元旦の日が昇っていた。
信じられないことに、どハマりしすぎて正月になってしまったのだ。その時にはその日フク屋にあったギアは全部買い、その時持っていたギアの中で一番イカす組み合わせをコーディネートする程度にはインクの沼に溺れきっていた。ちょっと妻と子供たちには言えないが、ひどい年明けだけどどうしてなかなか気持ち良かった。
すさまじいゲームバランスと運営で成り立っている世界だ。幾多の戦場をくぐり抜けてきた歴戦のスナイパーみたいなマニアと、たかしくん5歳(推定)やさくらちゃん4歳(推定)が同じ世界の上で楽しくワイワイとインクを塗って遊んでいるのだ。よくできたレベルごとのマッチングもあるにせよ、殺イカ鬼みたいなプレーヤーが前線で戦っている後方で、たかしくん5歳(推定)がコロコロとローラーでインクを塗って喜んでいるフィールド。みんなそれぞれ楽しい世界だ。任天堂だからできるっていうことはあるにせよ、ゲームで楽しませるんだ、新しい世界を見せるんだという思いがビシバシと伝わってくる。ガチャですり減るばかりのソシャゲのようなものとは本質的に違う。すごいゲームを作るものだと感心しながら家族の待つ実家に向かった。1月1日、俺の頭の中はカラフルなインクでいっぱいで、なぜだか不思議とクリエイティブな気分だった。
ところで、上の方にインターネットに関わる仕事をしていると書いたけど、もはや「俺たちのインターネット」的なコミュニケーションに特別な思いを抱く時代では無いんだなあ、っていうことを改めてしみじみと思った。
普段、仕事でわりと年配の方も使うWebサービスに関わっているんだけど、残念ながら2016年現在の今なお、インターネットを特別なもの、得体の知れない不穏なものと敬遠する層があり、そういう世界がある。世代間ギャップだけの問題だけではなく、サービスの内容にもよって向き不向きもある。流通業なんかだと、いまだに「リアル対ネットの戦い」だとか、「紙媒体とWebメディアの二項対立」なんていうものがあり、「オムニチャネル」なんていう言葉が持て囃されたりする。
仕方ないんだけど相変わらず、クラシックな層に対して「インターネットの普及」を懸命にやらなければならなかったりする(だいたいインフラの話とアプリケーションの話がごっちゃになっている)。正直ウンザリすることもあるけれど、それが現実だと受け止めている。
しかし一方で、イカのゲームで遊ぶ子供たちを見てつくづく考えさせられるのは、もはやこの世界で成長して大人になっていく今の子供たちにとってはインターネットがそこにあるかどうかなんてことは考えることすら無いし、我々が90年代後半から00年台にかけて見てきたような「俺たちのインターネット」としてネットの場を特別視するようなことも無いのだ。彼らにとって、ネットは電気や水道と同じようにあたりまえにそこにあって、ゲームをやろうとスイッチを入れれば、仲間や対戦相手が生身の人間であることがあたりまえなのだ。
既に、テレビゲームで遊んでいてそれがリアルかバーチャルかなんていう議論ももうあまり意味が無いんだろうなあ。それはバーチャルな場を使用したリアルであって、線引き自体がよくわからない。近い将来親になる世代に対してはネットは「普及」するものですらなく、このコミュニケーションがスタート地点ですらある世界がいよいよ本当にやってくるのだ。
思うがままに書いたけど、たぶん、ずっとゲームをやり続けてきた人から見たら何年も前から当然のようなことなのかもしれないね。
対人で対戦できるFPSやTPSだって、オンラインのRPGだって20年くらい前にはあったし、上に書いたようなネットゲーム体験はそれからずっと培われてきた技術によって成り立っているんだろうなって思った。
でも、そうやって新しい物好きやマニアの層が開拓してきた技術や経験がいよいよ一般層にまで展開されて、子供たちが何も考えずにその世界の上で育っていくという現実に、なんだかもううかうかしてられない危機感と楽しみみたいなものを感じずにはいられない今日この頃。
企業アナリストの同僚と話しててよく聞くのが「いくら政府が賃金上げろっつってもね、
ハシゴ外されたら責任取るのはこっちだから」っていう経営者の話。
よく引き合いに出されるのがシャープよ。
だいたい2006~2007年頃、第一次安倍政権や福田政権の頃だな。
「大企業は内部留保貯めこんでないで設備投資しろ」と政府からもせっつかれ新聞も煽り立てた。
しかしそこで「よーし、いっちょやったろか!」と立ち上がったのが、家電業界なら液晶や太陽電池パネルでイケイケだったシャープと、
景気に先行してまず瞬時に異常な信用収縮と円高が襲いかかった。
円高がひたすら進む3年間の始まり(円高自体はその前年からスタート)、その間シャープとパナソニックは
民間は信用収縮で誰も助けられない状態、政府は知らんぷり、円高なので海外資本も入ってこないし
株式市場も冷えきっている。優良企業でもPBR1倍割れが当たり前という恐ろしい市況。
よく分からない人は「100円玉が60円で売ってるのに誰も買わない意味不明な世界」を想像してくれ。
要するに政府を信用してないんだな。市況も見通せない。それはリスクそのものという認識。
そして消費者たる我々国民も空気が変われば石を投げてくる事を目にしてしまったんだな。
パナソニックは一時重体になりながらも耐え切りその体力で自力回復した。
ハイエンドのシェアは確保していてもいかんせん利益にはつながらない。
(ちなみに現在も4Kテレビ用パネルのシェアはシャープがトップだったりする)
誰も彼もが「コモディティ化」としたり顔で言い、性能は上でもわずか5千円高いだけで買わない。
といってもそういう認識ができるのは投資家くらいかも知れんが。
まぁこの辺りは株価のチャートに素直に現れているのでヤフーファイナンスとかで見てみるといい。
つまりね、政府が「賃金増やせ」と散々ケツを叩いたところで「よーし、やったるわ!」と
乗ったら負けなのをつい数年前に見てきてるわけよ。
逆にスルーした方が後で得するというインセンティブがあるわけよ。
給料上げても褒められないけどリストラしたら石投げられる(会社ではなく経営者はそう感じている)
何事にもそうあるべきと思う今日この頃なのです
僕のいたバスケ部は競合でもないくせに、やたらと練習時間が長かった。
他の部活が休みの時も、土日にも関わらず午前午後と練習があった。
勿論午前午後の間には昼食があるんだけど、その昼食ってのが酷かった。
顧問がディスカウントストアで買ってきたカレーを食べるからだ。
昼時になると、電気ポットにお湯を沸かして、レトルトカレーを温めて食べる。
100円のレトルトカレーなんて、運動の合間に食べるもんじゃない。
胃がムカムカして、吐き気がする。サラダの一つでも付いていれば変わったかもしれないけど。
結局僕らは、昼食から1時間ほどは自分の体調との戦いになる。胃腸薬を持ってきていた人も居たけど、夏場は吐く人が続出した。
今になって思い返すと、僕はこの部活動を期に、体育会系の非合理さが大嫌いになったんだ。
馬鹿な話だ。体格がモノを言うバスケというスポーツで、成長期の中学生にレトルトカレーを食べさせておいて、米ぬかの栄養がどれほどのものだと言うのだ。
近所の定食屋にでもいけば、そこそこの値段で栄養のある食事が取れるのに。
さっき自販機でジュース買って思い出したんだけど子供のころ不思議(というほどでもないけど)なことがあった。
自販機のつり銭口に500円が残っていた。100円玉が5枚。たしかつり銭レバーを引かなくてもおつりが出るタイプだった気がする。
そのころ自販機の飲み物は100円が普通だった。でも変だな、500円ってどういう風に買ったらそういう残り方するんだろう?
おつりをとり忘れるケースはいくつか考えられる。
2)かんちがい
100円玉で100円のジュースを買ったつもりが、500円玉だった
3)数が多かったため取り残した
1000円で100円のジュース買って、おつりが900円で、100円9枚をつかんだつもりが、1枚残った
上記のパターンを元に想像したが、1)と2)のケースならおつりは400円、900円になるはず。3)にしては枚数が多すぎる。