はてなキーワード: 1月5日とは
↑なんですけど、現時点(2019年1月5日19時55分)ではてなブックマークの数が実に361 usersなんですよ。でもこれって5ch嫌儲板の丸パクリ増田なんですよ。
しかもこっちは40レスしか伸びておらず、人形遊びだなんだと馬鹿にされまくってるんですよ
2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイWW 518d-hogq)2019/01/04(金) 09:13:10.80ID:A/2GnUHm0
3番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW c1c7-gZ6m)2019/01/04(金) 09:14:03.52ID:GwwAl3dk0
4番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (スフッ Sd33-+e5L)2019/01/04(金) 09:14:58.35ID:V/DCxzEOd
5番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイWW 1387-cJ4o)2019/01/04(金) 09:15:09.76ID:g2PdGegm0
9番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (JPWW 0H8b-ahzL)2019/01/04(金) 09:22:11.49ID:zMidCmeTH
2017年 12月14日 エストニア含めたバルト三国など歴訪予定。『1月中旬に1週間の日程で調整』 ※1 12月19日 エストニアなど欧州6カ国を歴訪予定。『1月12~18日の日程を軸で調整』 ※2 12月22日 ICANから安倍首相へ面会要請(1回目) ※3 2018年 1月5日 安倍首相、東欧6カ国を歴訪正式決定。『1月12~17日の日程』 ※4 ※5 1月8日 ICANから安倍首相へ面会要請(2回目) ※3 1月12日 11時5分 羽田空港より政府専用機にて安倍首相 外遊出発 ※6 1月12日 ICAN フィン氏来日 ※7 (中略) 1月14日 ピースボートによると外務省よりICANへ面会不可連絡受けたことが判明(連絡日時は不明) 1月16日 ICAN フィン氏 東京滞在 ※8 1月17日 ICAN フィン氏 東京滞在 ※8 1月17日 午後4時 安倍首相帰国予定 ※3 (詳細) + 午後4時9分 安倍首相 羽田空港に帰国 + 午後4時43分 安倍首相 皇居着。帰国の記帳。同51分、皇居発 + 午後5時2分 東京・二番町の表千家東京稽古場にて初釜式出席、会食。 + 午後7時13分 東京・富ケ谷 私邸着 1月18日 昼過ぎ ICAN フィン氏 日本出国 ※3 1月18日 安倍首相、オーストラリア首相と会談、夕食会 ※9 (詳細) + 午前9時38分 私邸発 + 午前9時55分 東京・市谷本村町 防衛省着。 + 午前10時8分 オーストラリア ターンブル首相と陸上自衛隊ヘリコプターで市谷本村町 防衛省発 * 午前11時18分 羽田空港にてICAN事務局長フィン氏 ※URL貼り付け制限のためか貼れない…詳細は首相動静やTwitterなどより ※1 - 安倍首相:エストニア訪問、来年1月中旬で調整(毎日) https://mainichi.jp/articles/20171214/k00/00m/010/190000c ※2 - 安倍晋三首相、1月12日からバルト三国など初訪問 対北朝鮮で協力要請(産経) http://www.sankei.com/politics/news/171220/plt1712200010-n1.html ※3 - 「日程合わず」と面会拒絶 安倍首相ICAN“門前払い”の狙い(日刊ゲンダイ) https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/221303 ※4 - 安倍首相、東欧歴訪を正式表明=12日から(時事) https://www.jiji.com/jc/article?k=2018010500639&g=prk ※5 - 平成30年1月10日(水)午後 | 官房長官記者会見(首相官邸) https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201801/10_p.html ※6 - 首相動静―1月12日(朝日) https://www.asahi.com/articles/ASL1D5VJLL1DUTFK00Y.html ※7 - ICAN事務局長が初来日 「日本は核禁条約参加を」(共同) https://this.kiji.is/324485393523901537?c=110564226228225532 ※8 - ベアトリス・フィンICAN事務局長が来日します(ピースボート) http://peaceboat.org/22104.html ※9 - ターンブル・オーストラリア連邦首相の訪日(外務省) http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_005508.html
1月17日 夕方以降
⇒7/11、11/15の外遊帰国後は皇居に訪れ、帰国の記帳をおこなう(9/15北朝鮮ミサイル発射後の帰国時はなかった)
⇒裏千家「初釜式」は4日間で政財界や文化関係者、各国の大使ら2300人が出席される毎年恒例行事
⇒外遊した後の夜に空きはあるにはある
1月18日 午前中
⇒オーストラリア首相との会談のため、ほぼ無し
・ICANの面会要請は日程がほぼ確定後に要請しており、後出しで要請している様に思われる。
・東京滞在時に会える時間帯は殆どない。
・外遊帰国後の17日夜に時間はあるが、帰国した後に休みを取らず翌日の首脳会談に備えるべきなのか?
・現実的にはかなりタイトなスケジュールとなっており、厳しい
・フィン氏には日本国外務省代表として佐藤外務副大臣が会っている
・Project NOW!
高潔なる天皇家を認めることは、当然その対極に、穢れたる存在を生み出す。
天皇や皇族を、家柄や血統が良いとして崇める事は、構造的に部落民を差別する事と一緒である。
天皇が聖性を家柄・血統として、代々伝えることを認めるならば、部落民の賤性もまた、家柄・血統として代々伝えられることを認めることになるのである。
また、賤であり穢れた存在を置くことは、天皇自らの聖性・浄性を相対的に高めるという効果がある。
天皇家にゆかりがある関西や、大和朝廷と関係がある地域と思われる福岡・熊本・大分に被差別部落が多いのは、おそらく古代・中世期に天皇制権力が賤民や部落民の原形を作り上げたからではないかと考える。
天皇が聖性を家柄・血統として代々伝えることを認めるならば、部落民も当然その賤性を代々伝えていくことまで認めることになるのである。
天皇家は天照大神から万世一系に繋がっていると信じさせている。何が万世一系と見なされているのか。
一つ目は、三種の神器の継承、である。これは天照大神の時代から代々伝わっているとされている。
二つ目は、霊が繋がっている、とされている。大嘗祭は、収穫を祝う祭であるが、それだけでなく、現在の天皇が旧天皇の死体と共に寝るという儀式もある。これによって、先帝の天皇霊が新天皇の身体に憑くのである。したがって、天皇は天照大神と霊的につながっている現人神とされたのである。
三つ目は、血が連続している、とされている。皇位の根拠が古代以来連続してきた血統にあるとされた。
そしてこの連続性は当然今後も継続することが当たり前であるということを正当化させる。こうした天皇の万世一系性は、あらゆる家系に優越し超越する天皇家の家系を強調し、皇位の不動性をわれわれに当然のものとして受け取らせるのである。
万世一系を唱えることのメリットとしては、天皇の宗教的権威や統治権の絶対性、さらには身分と地位の永続性が担保されるということが考えられる。
奈良・平安時代などは、天皇や皇族の後ろ盾にいる各豪族の抗争次第で、皇位は血統原理と関係なく移動したのである。
例えば、聖徳太子は、血統原理から言えば正統な皇位継承者だったのだが、結局天皇にはなれなかった。また672年に起きた壬申の乱では、天皇と名乗る大友皇子(天智天皇の子)を大海人皇子が武力で倒し自らが天皇になった。
又、天皇家は、万世多系であった。桓武天皇の母親は朝鮮からきた人というのは有名な話である。また皇室には代々側室なるものが存在し、その側室は平民から選ばれたのである。明治天皇や大正天皇は側室の子供である。(明治天皇の側室で大正天皇の生母であった柳原愛子さんは大正天皇が知的障害者であったことの責任をなすりつけられたそうである)そのことは皇室の家系図には書かれておらず、あたかも天皇が一人で子供を産んだように書かれており、見る人に天皇家は万世一系につながっていると思い込ませているのである。
更に、現在の天皇家は足利尊氏が無理矢理作り出した北朝の子孫であることである。血統原理でいくならば、正統な皇位継承権は南朝にあるのである。(南朝の子孫とされる熊沢という人が大東亜戦争後に、皇位継承権は自分にある。と訴えた話は有名である)
天皇陛下はいつも国民のことを考えておられる。福祉にも御興味をもたれ、障害者にも優しいお方である。などと思っている人の何と多いことであろう。しかし天皇家は実は思いっきり穢れた家柄・血統の人間を差別しているのである。
天皇・皇族の部落民に対する差別事例をここでいくつか挙げてみる。
1868年に制定された『法令全書』の第1巻686号には、天皇が巡幸する際に穢れ多い部落が見えないように部落を筵で隠すべきということが書いてある。
そのことの事例として、1922年に起きた大分県の的が浜地区焼き討ち事件、がある。事件のあらましは、皇族が列車で巡幸する際、沿道沿いにある、的が浜スラム地区、が皇族の目に触れないように、その地区を警官が焼き討ちした、という事件である。的が浜地区は正確には被差別部落ではないが、非人系の部落民や、ハンセン病者や、浮浪者が多数居住していたスラム地区であった。
これは大正年代の出来事だが、奈良県の畝傍山のふもとにあった洞(ほうら)部落が、その下にある神武天皇陵を見下ろす位置にあるとして、行政側は1917年にその部落の強制移転を求め、20年にそれを強制執行した。その際、洞部落の部落民の遺骨も穢れているとして、徹底的に取り除かせた。
例えば、宮中の賢所に使える女官を選ぶ基準は血統・血筋である。穢れも未だに重視しており、彼女らが月経のとき、お下り、といって強制的に休ませている。月経が終わっても穢れを祓う儀式をしないと元の仕事に戻れないそうだ。
そして最も重大なのが、結婚相手の調査を正々堂々としているということである。
1993年1月5日付け読売新聞朝刊の一面によると、宮内庁は、皇太子妃候補の身元調査を大手興信所に頼んだとのことである。そこには皇室専門の興信所員がいるとのことである。そして直系は4代先まで溯り、大祖父、祖父のきょうだいまで徹底的に調べたそうである。そして雅子さんが優秀な家系で驚いたなどと興信所は言ったそうである。皇室は差別主義に凝り固まっていると言える。
天皇制擁護者の大多数は、天皇・皇室は日本の伝統だ。という理由で賛成していることだろう。しかし天皇制は日本オリジナルではない。天皇という概念は、中国における道教の最高の信仰対象であった天皇大帝から来ているのだ。
天皇家は、伊勢神宮か京都御所で儀式とか神主でもやるべきだ。もちろん、その際でも、天皇・皇族も国民という立場で勤労・納税の義務を負い、また参政権を含めた基本的人権を有する立場に置かれるべきだ。
たまさん死去
たまさん(たま=和歌山電鉄社長代理、常務執行役員)22日夜、急性心不全のため和歌山県岩出市内の病院で死去、16歳。紀の川市出身。自宅は和歌山県紀の川市貴志川町神戸803番地の貴志駅構内。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。社葬は28日午後0時半から、貴志駅で営まれる。喪主は、たまの飼い主の住友利子さん。葬儀委員長は同電鉄社長の小嶋光信氏。
2007年1月5日に和歌山電鉄から貴志駅長に正式に任命され、日本初のネコ駅長となった。就任後、たまさん目当ての観光客が増加し、08年には課長職に相当するスーパー駅長へ昇格し、県から和歌山県勲功爵を叙勲された。さらに10年には執行役員へ昇格し、貴志駅もたま駅長をモチーフとしたものへ改築された。翌11年には常務執行役員へ昇格し、県知事より和歌山県観光招き大明神の称号が与えられた。13年には社長代理に就任したが、近年は高齢のため部下であるネコに実務を任せ名誉職として時折、利用者への挨拶をするにとどめていた。先月、動物病院で定期検診を受けたところ鼻炎であることが判明したため19日から療養し、入退院を繰り返していたという。
元旦に高齢者虐待を知りその大阪府M市の休日深夜用の電話番号に通報した。
→メールした。
■私のメール
1月2日 (4 日前)
To kousien
通報内容:
M市のマンションにおいて高齢男性が配偶者から虐待を受けており生死に関
わる状況を通報した。
現在大阪府外在住の私はこのマンションに親族がおり1日昼にこのマンションを訪れた
。
エレベーターを待っていたがエレベーターのドアが開くと中からまず高齢女性が出てき
た。
中に高齢男性が這いつくばっており高齢女性が「他人が待っているから早くでてきなさ
い」と叱る。
すると高齢男性は這いながらエレベーターから出てくる。立てない模様。
手伝うことにして「肩につかまってください」と呼びかけるがうめきながら私の頭にし
がみつく。
高齢女性が「それは頭。肩よ肩。」と叱りつけるのみで手伝おうとはしない。
高齢男性は薄いカバンを脇に抱え錆びて折れたビニール傘を2,3本持っているので私
が高齢女性に持つように言ってようやく持っただけ。
脇に頭を入れて体ごと抱えてマンションの廊下を歩いて玄関まで運んだ。
その時ようやく気付いたがホームレス特有の尿のきつい臭いが男性の体から漂いまた服
もかなり汚ない。
玄関まで行くと玄関ポーチはボロボロの服や毛布や空き缶やゴミ袋があふれている。
室内まで運び入れるつもりだったが高齢女性から玄関ポーチで座らせてくれということ
だったのでそこで降ろして去った。
その後に私の親族に聞くとあの夫婦についてはマンションでは以前から有名とのこと。
高齢男性はマンションの室内に入れてもらえず玄関ポーチで外飼の犬のように寝泊りし
ている。
朝になればマンションの外へ出かけ夜に帰ってくる。帰ってくるのは玄関ポーチであり
室内ではない。
食事は外でパンを食べているとのことで栄養もへったくれもない。
トイレはマンションの管理棟にトイレがあるのでそこを利用しているらしいが今日のよ
一時期このマンションの廊下で立小便の跡が見つかり禁止の張り紙が廊下にしてあった
同じ階の住人数人があんまりだということで抗議に言ったが「我が家のことだから放っ
といてくれ」と高齢女性に言われ、住人ももう関わり合いにならないことにした。
この夫婦には子供が二人居たが成人してこのマンションには住んでいない。
私は親族への挨拶を済ませて大阪府外へ帰宅したが、あの高齢男性が気にかかり以下の
理由で地域包括支援センターに高齢者虐待として匿名で通報することにした。
・夫婦でありながら女性が室内で暮らし男性は玄関ポーチで寝泊りさせられているので
・私は素人だが肩を貸した時の状況や親族の話から考えると認知症などの精神障害では
ないのか。少なくとも会話が成り立たない。
・公的機関への通報や相談はあったのかもしれないが、もはや同じマンションの住人が
関わりにならないと決めていることから公的機関は現在何も対応していないのでないか
。
・厳しい寒波がきており1日の夕方から雪が降り始めていた。薄い服装からみて玄関ポ
ーチで過ごしていては今晩でも凍死の恐れがある。保護が必要ではないか。
・匿名の理由であるが、通報した私の情報は守られるとのことだが残念ながら機密漏洩
の不祥事が新聞を賑わす時代であり、親族がマンションに住んでいるので万が一でもば
れることは避けたい。
電話対応していただいたTさんにこの内容を伝え名前は申し上げられないが携帯電
話番号だけお伝えした。
高齢男性は健康状態も良くないように思えたためこの寒さで今晩でも凍死の可能性があ
る。
理由は匿名では地域包括支援センターから警察への通報はできないと言う。
しかし大阪府のサイトの高齢者虐待防止への取組のページにはこうある。
>「もしかして?!」と思ったら勇気をもって市町村・地域包括支援センター等の相談
>(高齢者虐待防止法では、市町村が高齢者虐待防止の責任主体と位置づけています)
にもかかわらず虐待防止の責任主体の大阪府M市の窓口が一緒に考えた答えが
「通報者が再びこの複雑で長い同じ内容を警察に電話する。なぜなら匿名だから」。
こういう典型的な「たらい回し」に付き合っている状況ではない。
警察では事件性が無ければ動いてくれないのでないかと思うから高齢者虐待防止専門の
玄関先であの高齢女性が適当なことを言えば民事不介入の警察を追い返すこともありえ
る。
だから地域包括支援センターから警察への通報というパイプを利用したい。
このことをTさんに伝えたが「お名前を聞かせていただかないと」の一点張り。
「この会話内容の録音を橋下大阪市長のツイッターにメッセージ送信する」
と伝えるとTさんの答えが変わった。
「お客様に誤解を招いてしまいましたが警察へはこちらから通報いたします。ご報告は
どういたしましょう」
良い悪いに関わらず結果は同じマンションの親族に教えてもらうと答えて報告はお断り
した。
しかし、M市のサイトを見ているとこのメールアドレスで福祉保健部高齢支援課から
回答をいただける旨を書いてあるのでメールにて行政としてどう対応したか報告をいた
だきたい。
追伸
M市だから大阪市長は直接関係ないはずだが解決しないのなら一つの手だと考える。
以上
M市役所 高齢支援課 kousien@city.略.osaka.jp
To ○○
このたびは、高齢者男性につきましてご通報いただきまして、ありがとうございました。
高齢支援課に送信いただきましたメールは、本日1月5日(月)に確かに拝読いたしました。
返信が大変遅くなり、申し訳ありません。
ご連絡いただきました高齢のご夫婦につきましては、所管であるW地域保健福祉センター内のY地域包括支援センターに確認したところ、以前より把握しており、地域からの情報も得ながら、定期的に状況や意向の確認を行っていることを確認いたしました。支援の方策につきましては様々な方向から検討し、ご本人にもご家族にもご提案と説明を繰り返し行っている状況です。
お問い合わせにありました「通報による警察対応」の内容及び「高齢男性への支援の経過」につきましては、個人情報保護の観点からその内容をお伝えすることはできませんが、今後もご本人の体調や判断能力について確認、見守りを行うとともに、対応を継続してまいりますので、ご理解いただきますようよろしくお願いいたします。
なお、W地域保健福祉センター内にあります、Y地域包括支援センターの所在地等は以下のとおりです。
よろしくお願いいたします。
担当:A
我が家では年末年始は1年おきに双方の実家で過ごすというルールがあり、
今年は私(夫)側の実家で過ごすことになっていました。
12月29日から1月3日まで実家で過ごすと私の母に伝えたのですが、
今週になって妻が急に私の実家には行きたくないと言い出しました。
なんでも長期滞在になると実家で自分の服や下着を洗濯されることになる、それは耐えられない。
最悪でも1泊で帰って妻側の実家に行きたい、
できれば年末年始は妻側の実家ですごして、次の成人の日に私の実家に1泊で行きたいと言い出しました。
今年は妹夫婦の子供も生まれていて、親戚一同集まれるとみんな楽しみにしていますし、
私の祖父母も高齢で、あと何回ひ孫の顔を見せてやれるかかわかりません。
ただの妻のわがままなので、無理矢理にでもつれて行きたいのですが、
せっかくのお正月なので、なんとか妻を説得して家族で楽しく過ごす方法はないでしょうか?
早速の回答ありがとうございます。
服を多めにもっていけばいいというのは提案したのですが、
そんなに下着を持っていない。わざわざ実家に帰るために買い足すのはもったいない。
と言っていました。妻は節約家を通り越して、かなりのケチなのでいくら言っても聞きませんでした。
ちなみに私は長男なので、ゆくゆくは実家に帰ってみんなで一緒に住まなければいけないのに、
これでは先が思いやられます。
たくさんのコメントいただきありがとうございます。
洗濯の件、妻の本音は別の所にあるというコメントには、はっとさせられました。
これまでは帰省のたび2人で、私や父の愚痴をいいあったり、家計の節約方法を話し合ったりしていたので
うちは嫁と姑で気が合い仲がよく、いわゆる嫁姑問題はおきないものだと思っていました。
私の考えが甘かったようですね。
妻だけが悩んでいることがあったのかもしれません。
ただ、いきなり帰省を断るとかどがたつと思うので、
これまで、実家が自営業・社会人になってもサービス業だったために全く年末年始に休んだこともない。
紅白歌合戦とかダウンタウンの番組とか年明けた後に録画してたのを見てた感じ。
なのに急に8連休を今年もらえることになった。29日~1月5日まで。
いちお一緒に過ごしてくれる人もいるけど、お互い何していいかわかんなくてこのままだとせっかくの休みを無駄にしちゃいそう。
旅行会社とかも行ってみたんだけど、ちょっと高いし、行きたいとこは飛行機が取れないみたいだし。
予算は10万円~20万円くらいの間で国内でも国外でもいい。5日くらい海外いけたら残りは実家でのんびりしてもいいような気もするけど、
なんかいきなりふってわいた長期休暇にどうすればいいか困ってます。
8日間とか家でのんびりしてたら、逆に疲れたりしないのかなぁ?
(鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 2010年1月5日 庵野秀明ゲスト回その1 続き)
庵野:ええ。
鈴木:すごいよね。
庵野:100パー出資なんで。リスクも大きいけど、リターンも大きい。やるんだったらそっちの方がいいかなって。
鈴木:40代は……なんていうの。30代からかもしれないけど、10年間ぐらい遊んでたでしょ?
鈴木:でも遊んでたよ。
庵野:まあ遊んでるようには見えるかもしれないですけど、遊んではいないですね。
鈴木:だから『ヱヴァ』作るときに、ちょっとね、頑張るみたいな感じ出したじゃない。
庵野:まあ、そうですね。10年はやってないですけど。遊んではいないですけど。
庵野:ええ、まあ、実写をしばらくやってましたね。
鈴木:なんかあの間、すこし休憩って感じがして。『エヴァ』のあと。
庵野:『エヴァ』のあと、アニメには本当に、どっちかっていうとアニメ業界に失望してたんです。いまアニメを作ってもしょうがないんじゃないかって。まあ実写の方に興味が行ってましたね。
鈴木:50代なにやるの?
庵野:50代は……。
鈴木:50代、ねえ。40代に大概いろんな映画監督ってたいてい代表作を作ってんですよ。大概そうだよね、黒澤(明)はじめ。
鈴木:そうしたら、なんていうの。50代になったら大概違うものやるんですよ。だから『ヱヴァ』をやった――『ヱヴァ』代表作でしょ、そのあとどうするんだろうって。
庵野:うーん、なにやるんですかね。うーん。
庵野:まあ、衰退するんじゃないですか。
庵野:ええ。
終わり
鈴木:いやあ、きょうはね、教えてもらいたかったんです。というのはね、『バッタ君(町に行く)』の……魅力。
鈴木:僕は正直言います、告白します。お話のほうがね、なんでこういうものが作られたのかなって、見てるうちに終わっちゃったから(笑)、そこに気を取られて。アニメーション的にどうのこうのの前に、なんでこんなもの作ったんだろうって。だからきょう教えて欲しかったんです。
庵野:そうですね……やっぱりアニメーションの技術としてすごいと思いますね。やっぱ当時のアメリカは、ディズニーも、MGMも、ワーナーも、やっぱりすごいなって。
鈴木:どういう技術が優れてたの。だって『バッタ君』好きだと思ったんでしょ?
鈴木:だって『EVA』を作った人が『バッタ君』を好きなんでしょ。これみんな聞いてみたいよね
庵野:画で描いて、動かす……なんていうんですかね、エネルギーみたいなものですかね。日本とはもう桁が違うぐらい当時は差があったと思いますね。1940年代ですもんね。
鈴木:41年。
庵野:戦前、戦中、戦後はもう、やっぱり桁が違うと思いますね。
庵野:ええ。
庵野:日本も東映動画ができてからはどんどん追いついていったと思いますけど。技術的な部分とかそういうのも含めて。でもあの時代はやっぱりアメリカが世界一ですよね、アニメーション技術は。その技術の集大成のひとつだと思いますね。まったく。まあ話は子供向けなんだか、大人向けなんだか、ちょっと、どっちなんだろうってとこはありますけども。
鈴木:あのー、ロトスコープっていうの、アレ? 人間の部分は。
鈴木:あれは正直言うとびっくりしたね、改めて見て。なんかすんげえなと思って。今のみんなが、いわゆるコンピューターでやることを、ああ昔の技術ではこうやってやったんだなって。で、それがあまりにもリアリティがあって。その対照としての虫たちがああやって描かれるでしょ。だから少しそこに世界が違いすぎるから違和感があって。
庵野:ああ、それはよかったです。
鈴木:人間のほうがすごく見えちゃったんですよ、僕は。だから、いきなり虫になると漫画になるじゃない。それが、もっと人間を見たかったなって(笑)。で、それを人間がやってるんだと思うとドキドキしちゃって。脚だけしか出てこないのに。でもそれが凄かったから。やっぱり機械じゃなくて人間がやったと思うとすごく見える。それと『(崖の上の)ポニョ』じゃないけれど、やっぱりすんごい描きまくってるね。動きまくってるというか。あのー、『カールじいさん(の空飛ぶ家)』。
鈴木:見た?
庵野:まだです。
鈴木:見てない? ちょっと――ちょっとびっくりしたんですよ。これもね、お話じゃないんですよ。隅々までエネルギーが満ちてて。だから絵筆じゃないけれど、コンピューターでやってるんだけど、ひとりひとりのスタッフの持ってる、描きたい、動かしたいというエネルギー。すごいですね。驚きました。そして、やっぱり比較しました。いろんなところと。いま勝てないと思った。で、そういうスタッフがどんどん育ってる。ちょっとすごいです、あれは。
庵野:ピクサー、最近食わず嫌いやめて見るようにしたんですね。
鈴木:(笑)。どうかなあって思ってたんだけれど。ピート・ドクターっていうの、監督のね、よく知ってたんで。ちょっと見ようかなって思ったら。ちょっと全然別のそういう感想持っちゃった。お話とかそれは、まあ、ねえ、置いといて。とにかくスタッフがのびのびと、しかもやりたいだけやってる、やりまくってる。それってやっぱり作品を色々膨らませてるよね。
鈴木:うん、だから、もしかしたら『バッタ君』も、それに満ち溢れてたのかなあって思って。
庵野:アニメーターが多分好きにやってるとは思いますよ。枚数制限なく。
鈴木:一切ないよね、あれ。
庵野:ええ。
鈴木:うーん、やっぱり凄いのか。
内藤:映像に音声をつけるとか、カラー化でディズニーに先を越されてしまって――。
鈴木:彼女が担当なんだよ。あのー『バッタ君』の担当の、あのー……なんていう名前だっけ。
鈴木:ああ、内藤っていうの。フライシャー兄弟が超えようとしたんでしょ?
内藤:はい。けど最終的には越されてしまったんだけど、さっき鈴木さんが仰ってたロトスコープだったり、あとは背景に奥行きを与える、模型を使ってやることで――っていう、そういうセットバックっていう方法を考えて、ひたすら、こう、追い越せーみたいな。
鈴木:チャレンジ精神が厚い人だよね。俺はね、『ポパイ』はね、見てたんですよ。フライシャー兄弟でしょ、あれ。子供のときにね、幻灯機っていうのを買ってもらって(笑)。そしたら付いてきたフィルムがね、『ポパイ』だったんですよ。それでね、初めて35ミリフィルムっていうのを見て。これで回すとさ、動くわけじゃない。それで気になるわけよ、一枚一枚の画はどうなってるのかって(笑)。それが子供のときの体験。それで初めてね、幻灯機をね、色々いじるわけ。どうして動くっていうのを思って(笑)。
内藤:たしかに不思議ですよね。画が繋がってるだけで。それを映しても、なんでそれが動いてるように見えるのかって、すごく不思議で。
鈴木:そうなんだよ。それで子供ながらにね、色々分解したりしてるとね、わかってきたんです(笑)。
内藤:えっ、幻灯機をですか。
鈴木:そうそうそうそうそうそう(笑)。って言ってもたいしたあれじゃないけどね。『ポパイ』って、僕は昭和23年で、戦争が終わって3年後に生まれた身としてはですね、漫画って言うと日本の漫画もあったけど、一方で『ポパイ』だったんですよ。そのぐらい強烈な印象で。だから、まさかその人の、あれが最後の作品? 『バッタ君町へ行く』。だから、興行的に上手くいかなかったわけでしょ。だから、ディズニーってのは商業的に上手くいったからね。
内藤:庵野さんは、あの作品の中でどのシーンが一番お好きなんですか?
庵野:牛の住んでる楽園が、人間の手でこう次々に壊されていくスペクタクルですね。あれがすごい一番。ええ、工事のシーンですね。工事の車とかシャベルとか無機質さと、この右往左往する虫の動きの、このコントラストっていうんですか。そういうのも含めて、大スペクタクルですね。手で描くのを知ってると「よくまあこんなのを……(苦笑)」とは思いますね。それだけでも、もうすごいと思いますね。
鈴木:俺? 俺はねえ、あの屋上へ行ってね、こうやってアメリカは滅びて行くんだなあっていう(笑)。
庵野:結局、楽園ですらも人の手で人工的に作られないと虫は生きていけないっていうことですね。
内藤:当時はもう、ああいう高いビルはいっぱいあったんですか。
鈴木:アメリカはそうなのよ。エンパイアステートビルをはじめ、いわゆる高層ビルがアメリカの象徴だったから。相当昔から造られてんだよね。いわゆる地震の少ない国だったから。
庵野:なぜ「町」だったんですかね、あれね。
庵野:まあタイトルもそうだし、なぜ町を舞台に虫の話をしたんだろう。
鈴木:うーん……。だからまあ多分アメリカっていう国が大きな変化を遂げていった、1950年代、大繁栄を迎えるわけだから。その大繁栄のなかでアメリカ人が見失っていくもの? そこらへんのを予感したんじゃないかな。
内藤:すごい不思議だったんです。そんなに歴史詳しくないんですけど、真珠湾攻撃の直後に公開してるのに、なんでこんな平和というか、一見呑気な話が作れるのかなって。
鈴木:世界大恐慌ってあったじゃない、1929年。結局アメリカの、ねえ、そういうのから始まるわけでしょ。それで結局色々やったけれど、ニューディール政策その他。アメリカは復興できなかったんですよ。ところがヨーロッパが戦場になることによって、その恩恵に預かって、それでアメリカは復興していく。結局その戦争を待つことによって景気回復したんだよね。だから、やっぱりこの映画が作られたころ、アメリカは非常に豊かだったんですね。方や日本は、っていう。貧しい国でしょ。小さな国で。やっぱり宮さん(宮崎駿)なんかもね、およそアニメーションを目指す者はこれを見なきゃ始まらないみたいなそういうコメントを寄せて。
庵野:まあ僕はそう思いますね。少なくともアニメーターは見て損はないと思いますね。
鈴木:なんか、ここのシーンだっていうところはあるの? ここがすごいって。
庵野:全編すごいですけど、やっぱり最後のクライマックスの壊れていくところ。あの虫のモブを一枚一枚描いている。
庵野:あれは凄いですね。
鈴木:俺、どっちが先か判らないけれど、僕は……誤解も与えますが、宮さんの一番すごい仕事って、やっぱり『ホルス(太陽の王子 ホルスの大冒険)』だと思うんですよ。最後のモブシーン。あれ宮さんだよね。いろんな人が縦横無尽に動く。それで空間がどんどん広がっていく。あれはちょっと舌を巻くんですよ。
鈴木:いやー、あれはすごいよね。
庵野:すごいです。
鈴木:こんな風に人がね、動いて、しかも人間の手で描いて、こんなシーンが作れるのかって。最初に見たときにラストシーンどういう人がこの画を描いたんだろう、設計をしたんだろうって。それで後で聞いてね、やっぱり宮さんだってことがわかって。うーん、「すごかったんだなあ」なんていうと怒られちゃうけれど(笑)。
庵野:いやあ、アニメ-ターとしては超一流ですよ。『(空飛ぶ)ゆうれい船』とかも好きですけどね、宮さんの仕事だと。
庵野:東映で、ここはすごいっていうところは大体宮崎駿原画のだったりしますからね。
庵野:大学……いや、高校のときですね。意識したのは『(未来少年)コナン』ですね。その前も好きでは見てたんですけど、なんだろう、ちゃんと見るようになったのはやっぱり『コナン』からですね。
庵野:リアルタイムですね。妹とチャンネル権の争いで、なんとか。
鈴木:えっ、裏になんかあったの?
庵野:裏は『(女王陛下の)プティアンジェ』っていうアニメが。
庵野:1話を見たら、親が続きを見たくなってくれてですね。そのあとは毎週ちゃんと見れるようになった。それまでは『プティアンジェ』でしたからね。
庵野:『プティアンジェ』、オープニングだけ見ればいいんだって。
鈴木:そうなんだ。……それ以来ずっと注目してるの?
庵野:そうですね、あとは『カリ城(ルパン三世 カリオストロの城)』ですね。
庵野:2回見ましたね。僕のほうは田舎だったので同時上映があって、そのあいだはロビーに出て。
鈴木:『カリオストロ』はねえ、たしかにねえ。僕が初めて(宮崎駿に)出会ったころです。
庵野:いいですよね。
鈴木:よく働いてた……。
庵野:あれが(制作期間)半年ってのはやっぱりすごいと思います。
鈴木:作画4ヵ月だもんね。
鈴木:会社から言われたのは3ヵ月で、それで1ヵ月余分にもらって。
庵野:あとでなんかあって「もう1ヵ月あれば」って言ってました。
庵野:あそこは僕にもなんか悔しいって言ってましたね。
庵野:まあ現実的でいいですよね。できる範囲のものに落とし込むっていう。
鈴木:だから……見てて、よく宮さんがね、「理想を失わない現実主義者」って。これ宮さんも言うし、実は元は高畑(勲)さんかなっていう気もするんだけど。ふたりともそうなんだけど、その理想と現実の――なんて言ったらいいかな。微妙にふたり違うんだよね(笑)。微妙に違うんだよ。
鈴木:でもよく覚えてるんだけど――『ホルス』だとね、村があるんだけど、一人狡猾なおじさんがいるじゃない。その人がいることによって村が成立している。(『風の谷のナウシカ』の)風の谷の方はね、300人くらいいて、ああいう悪い人がひとりもいない。
庵野:ええ、みんないい人なんですよね。
鈴木:一種、理想主義に貫かれてるでしょ? それで映画見るとね、高畑さんは一方で現実を映画のなかに入れようとするし、宮さんはその現実は置いといて。ところが映画作り始めると、宮さんは間に合わないと思ったらコンテを変えてでもその映画を完成させようとするっていう現実主義があるのよ。高畑さんは違うんだよね。
庵野:変えないですよね。
鈴木:変えない。それで遅れたときもね、「それは僕には責任ない」と。「それはプロデュースサイドがコンテができたときに把握してるべきだ」って貫くんだよね。映画のなかは非常に現実主義なのに、映画のなかは。やり方は理想主義というか(笑)。
庵野:まったくです。
庵野:なんですかねえ。
鈴木:で、宮さんなんかは非常に面白いって思ったのは、結局、『ホルス』作ったあと、それこそ『コナン』もそうだけど、『ナウシカ』もそうだけど、『ホルス』をひきずるでしょ?
鈴木:高畑さんは違うんだよね。全然違うものを作り始めるんです。
庵野:まあ宮さんのほうが根っこがいい人なんじゃないですか。
鈴木:高畑さんに聞いてみたことがあるんですよ。なんでファンタジーやらないのか、って。そうしたらやっぱり『ホルス』で創造できるものは創造し尽くした、と。でも、唯一その世界に持ち込めなかったのが『思想』である、と言ったんだよね。そうするとファンタジーっていうのはそれが出来る人がやらなきゃ意味がない、それが自分の総括だ、って。僕が聞いて、高畑さんいまになると違うって言うかもしれないけど、すごい印象に残って。だから宮さんが『ホルス』をひきずって。なんかっていうと『ホルス』みたいなのに戻るでしょ、宮さん。
庵野:ええ、基本はそこですよね。ずっと『ホルス』のリメイクをしてるようなね、感じがしますよね。
鈴木:宮崎……オタクとしてはどう思いますか? なんつって。オタクじゃないか(笑)。
鈴木:(笑)。でも面白いよね、そういう宮さんも『バッタ君』のアニメーションの部分って非常に着目してるし。
庵野:やっぱり宮さんは基本アニメーターだからだと思いますね。僕もアニメーター上がりなので。
鈴木:やっぱそこなんだね。
鈴木:宮さんがいま、原画やってるんですよ、自分で。やり始めたんです。本編やってるでしょ、それでその横で美術館用の短編やってるんだけど、「スタッフがいない」って。最初1分でやるって言ってたのが10分になるからいけないんだけど。老骨に鞭打って。でも結構楽しそうに。でももう69なんだよ。アニメーターっていつまで描けるんですか?
鈴木:手が動けば大丈夫? 本人もう動かないって言ってんだけど(笑)。
庵野:やっぱり、目と手ですよね。
庵野:まだです。いよいよ。50代なんて来るとは思いませんでした。
鈴木:宮さん喜んでるよ。「庵野っていくつになったの」って言うから「もう50だと思いますよ」っつったらすごい嬉しそうに。
鈴木:「そうか!」つって。「歳取れっ」って。「俺の苦しみがわかる」とかなんか言っちゃって(笑)。
庵野:僕が50になったら宮さん70じゃないですか。
鈴木:でもみんな……歳を取ってきたんですね……。
内藤:その宮崎さんが「アニメーターをやる奴は見ておくべき」っていうインタビューをしたときに仰ってた言葉を(『バッタ君』の)宣伝の柱にしてたんですけど、やっぱりアニメーターを目指す方って一部じゃないですか。
内藤:もちろん、その人達にはできれば来て欲しいとは思ってるんですけど、やっぱりそれ以外の人に、どう魅力というか、アニメーターは目指していないけどちょっと気になるとか、そういう人に来てもらえるのかなっていうのを考えていて。どうしたら人の心に響くようにできるんですかね。
鈴木:あの作品を?
庵野:僕が『バッタ君』を宣伝するんだったら、ビデオで宮さん撮って、それをテレビで流しますね。ワイドショー枠的なものとかで。それぐらいだと思います。だから『バッタ君』を流すよりは宮さん流しますね。それでこっちにちっちゃく枠でそれを流して、なんか宮崎駿がお墨付き、これ、っていう。そういう風に。
内藤:そこだけ切り取って。
庵野:調子のいいとこだけ切り取って、もう編集して。もう、ほぼ捏造でもいいから、そういう風にして流しますね。それで、あとで宮さんには謝ります。ごめんなさいって。
(以下に続く)
で、それが、朴念仁という単語が使われるより前であることを同時に証明しろよ。
じゃなければ、 僕が思うから正しい 以上っていってるのとかわんないよ。
仮定としては 面白いけど 仮定なら 誤用の可能性がある と 同じレベルでしか無い。
それに当時は 南蛮渡来 は 舶来品で 今みたいな 民族的なわだかまりがあったかどうかも わからんだろ。
まず、当時 そういう民族的わだかまりがあった。という事を証明する必要があるが・・・・・・
夏目漱石 にはすでに 朴念仁 という単語が出てくるが、 1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916で 戦前にはすでに使われていた
1931年 満州事変 より前だし 坊ちゃんは 1981年6月(のってるらしい) らしいから 1894年日清戦争より前
逆に儒教など あるいみ 高度な学問とされる物は 中国由来だし 当時 中国がいまとおなじような扱いか?というのは 考証がひつよう。
この日記は読むと不安とかが伝播する可能性があるから、そういうのが苦手な人は読まないでほしい。
社会人2年目。で、今日が仕事始めなんだけど、仕事の相方は有給を貰って今日は休んでる。
ウチの工場は俺とその相方で回してるんで、今日は仕事始めなのに工場には自分ひとりってわけだ。
で、弱気になってて、1年間やっていけるのかって漠然とした不安を抱えてた矢先に、工場の年間の出勤日表を見たら、1月5日は左上にあって、12月28日の仕事納めが右下にある。
これは当たり前なんだけど、なんか1年間の長さを具体的に表してる感じがして不安が爆発して、午前中も、午後のついさっきまでも仕事があんまり手につかなかった。
1年間って概念って恐ろしいよな。時ってのは連続してるはずなのに、そう区切られると長さが具体的になるから余計に怖くなる。
・・・ともかく、ここでこうやって吐いたら気持ちが楽になった。ちょっと早めの午後の休憩も終わりだ。定時までだけどがんばるぜ。
減るよね。
ツンデレ の検索結果 約 5,170,000 件中 1 - 10 件目 (0.05 秒)
ツンデレ -ルイズ の検索結果 約 6,130,000 件中 1 - 10 件目 (0.03 秒)
なんで増えるの?
うちのgoogle(ウエブ)で検索してみた(2008年1月5日 15:45頃)。
ウェブ全体から検索
ツンデレ の検索結果 約 5,140,000 件中 1 - 100 件目 (0.22 秒)
ツンデレ -ルイズ の検索結果 約 1,900,000 件中 1 - 100 件目 (0.17 秒)
日本語のページを検索
結論:
なんかちゃんと減ってる。よって、なんでかよくわからん。