「進学校」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 進学校とは

2023-10-29

やっと元彼を吹っ切れた

初めて付き合った元彼音信不通になって早14年。

地元定時制高校に通っていた彼と都心進学校に通っていた私、今思えば無理あるお付き合いだったのだけど、本当に死ぬほど大好きだった。

小学生の頃から5年片思いして、やっとの思いで告白して付き合えたけど、付き合った途端になんだか気まずくなってしまって、半年も経たずに別れた。というか、フェードアウトされた。

きちんと振ってももらえず、ただ連絡が取れなくなって生きてるのか死んでるのかさえわからず、実家を訪ねたら彼の友達怪訝な顔をして出てきて追い払われて、家に帰る道すがら泣きながら連絡先を削除した。

それから何人かの男性とお付き合いをして、大学時代にできた大好きな彼氏結婚もしてすごく幸せだけど、ふとした時に元彼を思い出してはあの時どうしたらよかったんだろう……と考えたりしていた。もう1度やり直したいと言って元彼が突然目の前に現れる夢を見てしまたことも何回かある。

もう一生囚われて生きて行くのかな…と思っていたのだけれど、つい最近やっと、完全に吹っ切ることができた。

きっかけは、自分定時制高校で働くようになったこと。

当時は夜の学校くらいのイメージしかなかった定時制リアルを目の当たりにして、こんな環境生活していたらそりゃ、全日制に通ってる私なんかに興味が湧くわけなかったな〜……とストンと腑に落ちてしまった。

誠実さに欠ける別れ方だったのも、全てに対して無気力で面倒くさがりな生徒たちを見てると、あぁ……と納得するところがあって、もう全然、本当に違う世界で生きてる人だったんだな……と思った途端に、未練とか悔しさみたいなものがスッと消えて、彼に対する感情が無になった。

最初から可能性なんかない関係だったんだな。そもそも手の届く人じゃなかった。

人間としてすごく素敵な人だったのは確かだし、ルックスも好きだったけど、今もし目の前に現れても、彼のことは選ばないだろう。

14年もかかったけど、彼と自分の間にきっぱり線を引けてよかった。

2023-10-28

進学校の子が出すオーラ言語化したい

高校生集団を見ると、なぜか偏差値の高い子って独特の雰囲気あるよね。

最近だとはてブで上がってた高校生バンドの子たち

佐久間宣行 高校生バンドAltar Kleeに夢中になっている話

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/miyearnzzlabo.com/archives/104118

明らかに賢そうな子達だから調べたら名古屋偏差値69-71の名門市立高校だった。

この独特のオーラって何を判別してしているのか自分でもわからないので言語化したいんだよな。

AI進学校の子供の顔とそうでない子の顔を分析したら答え出してくれるのかな?

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-24

進学校説明会で紹介される進学実績に「その他:1」があったらそれが私です

泣かないでください

そこに私はいません

中学主権を控える子の塾代が高すぎてこのままでは持たないのでマイホームを売ったて話が腑に落ちない。

自分就職氷河期世代から子供に同じ苦労をかけさせたくないからということだそうだけど、子供は毎朝6時から勉強してるんだって

そんだけのやる気があるなら塾行かなくても受験突破できる可能性は十分あると思うし、たとえそこで落ちても公立中学から公立進学校高校受験ルートなら大丈夫な気がするんだけどどう?

ていうか塾代で既にやばいならたとえ受かっても学費とか学年ごとにもっと上がる塾代とかにいよいよ対応できなくなりそでどっちにしろ将来破綻してね?

(まあ6時からやってるのは自主的勉強とうっよりも塾で課題与えられてるからそれをこなすためってだけの可能性もあるけど。つまり塾通わせてなかくてもそこまで机に向かうタイプとは限らない)

2023-10-20

anond:20231020161758

流石にそれは捏造

ヤンキー文化華やかなりし頃にもハッキリと分断があった

偏差値40台の高校ではトイレが血まみれなんて日常、みたいな傍ら

進学校ではヤンキーのヤの字もねぇみたいな

(それらと大衆ヤンキー文化を消化するのはまた違う話)

そういう、自分の周囲1mみたいな話が、どっちも独り歩きしてる感じ


かに治安は悪くって

ゲーセンには本当に不良が居たし

道を歩いてたらカツアゲされるとかもあったが

でもこれは痴漢と一緒の話で、被害者が多い事と加害者が多い事の関連性は疑わしい

2023-10-19

anond:20231019173218

言葉使い(どんな語呂を使ってるか)・身なり(顔面ファッションの整い具合は)・出身中学(進学校動物園か)・肌の色(白人土人か)

残念ながらこの社会偏見まみれよ

anond:20231018154401

男だから良い学校入らないといけないと小学生の時から受験勉強させられたけど、結局無能から偏差値60そこそこの学校しか入れず

大学も男だから良い学校入らないといけないと小学生の時から受験勉強させられたけど、結局無能から偏差値60そこそこのとこにしか入れなかった

初っ端からなんか嘘くさいんだよなぁ

偏差値60の高校って自称進学校の中でもあんまり上位じゃないとこなんだけど偏差値60の大学って名大とか阪大レベル旧帝大なんだよね

私立場合はも少し難易度下がってマーチくらいになるんだけど

偏差値60の高校卒業生の進学先って平均してニッコマ行くか行かないか

偏差値で言うと私立で50国公立で45くらいでマーチでさえ上位一割切るくらい旧帝大なんて学年で5人いればいい方

高校受験生と大学受験生の母集団が違うから高校偏差値=大学偏差値の進学出来た人は大学受験大逆転勢なんだよね

「結局無能から偏差値60そこそこのとこにしか入れなかった」この発想は大学受験エアプしか出ない発想

2023-10-13

進学校底辺の子になんて励ませば良いのか

頭いいんだけど、うっかりバリバリ進学校編入できてしまった

の子毒親虐待されてる中で兄弟と親の面倒みつつ児相相談しつつ高校に1時間かけて通学してて(学費は俺が出してる)

それだけで相当偉いんだけど

家事もやってるし1学期分勉強遅れてるしで数学20点切るくらいらしい(英語はほぼ満点)

そもそも進学校あるあるで、平均点がクソ低いんだけど

おかげでモチベが上がらないどころか自分の不出来にナーバスになってる

 

たぶんもう少しまともなテストを受けるのと

周りと比較しないようにするべきだと思うんだけど

教師は成績が悪い子にかなり圧をかけるらしく

しか担任以外は家庭環境のこと知らないか・・・

 

ああだめだ書いてて思ったけど可能なら転校するべきだなこれ

ちょっと話してみよう

2023-10-10

埼玉かいう激ヤバ男尊女卑県について

九州進学校男女差別地域差別

https://anond.hatelabo.jp/20230808222237

これを書いた増田なんだけど、はてブとか色々反応あった。

首都圏中等教育における後進地という意見には賛同も意外と多くてほっとしたのだけど、その中でdisった埼玉公立別学進学校にはまあまあ批判があった。主だった意見を書くと

男子校と同レベル女子校があるので差別ではない。よく知らない地方のことを語るべきではない

男子校女子校ニーズがあって成立している。悪いものではない

と言った具合だ。これが九州のことだったらクッソミソにdisるだろうに、首都圏のことになると突然甘くなるよねーぐらい思っていたら、衝撃的なデータを見つけてしまった。

文科省が出している都道府県、男女別大学進学率だ。大学進学率はジェンダーギャップ指数でも使われる男女差を図る重要指標だ。

https://www.mext.go.jp/content/20201126-mxt_daigakuc02-000011142_9.pdf

大学進学率は東京徳島を除き男性の方が高く、男女の進学率の差は山梨県14.3ポイント男68%、女53%)、北海道11.3ポイント(男51%、女40%)、埼玉11.4ポイント(男59%、女48%)、千葉県8.9ポイント(男58%、女49%)の順で高い」

いや、埼玉は同レベル女子校があるから差別じゃないんじゃなかったんかい。現に進学率という差となって出ているじゃん、公立男子校女子校による差が。

山梨は謎だが、北海道とかは大学に1人行かせるなら息子を……とかありそうだし(それはもちろん差別だが)、同情しなくもないが、大学も選び放題、県別所得でも上位の方の埼玉が全国トップクラス男女差別なのは、明らかに公立高校の別学教育の影響があるのでは???

というか埼玉の話とか直接関係ないけど、徳島とか褒め称えられるべきだろ。伊達スタンフォードに送り込んでない。

ちなみに全国平均は男54%、女49%。九州はというと福岡は全国平均より差が少ない男50%、女47%だし、一番離れている鹿児島はも男43%、女36%だ。鹿児島以外の県はほぼ全国平均より少ないかほぼ同等程度の差しかなく、九州地方という括りでみたとき他の地方有意な差はない(それより大学進学率の地域格差の方がやばい……マジで北海道東北中国四国九州向けの奨学金作った方がいい

九州男尊女卑とか大騒ぎする暇があるなら、首都圏の人たちは自分たちの足元をみてくれ。埼玉からとか言って切り捨てずに、激ヤバ埼玉教育改革をみんな主張してほしい

2023-10-09

とある天才」に振り回された人々の話

中学のころ地方都市私立中高一貫校に入学した。特に進学校でもなくたいした勉強をしなくても入れる。地元中学より制服がオシャレとか自転車通学できるとか、その程度の動機で選んでいた。後、スポーツが強かった。

特に野球は強く地方大会で優勝するレベルにあって非常に人気だった。おもてだった野球特待生はいなかったが、有望な野球少年はほぼ顔パス入学できた。しか高等部野球部はさらに強豪校で県内から人材を集めていたので、中等部野球メンバーは進学しても2,3人しか入部を許可されない。

そして、うちの学年には天才がいた。俺は野球部ではなかったので彼の実力のほどは知らなかったが、体育の授業でマット競技とかハードルの授業でおそろしいバネを披露していた。もちろん、うちの高校へのエスカレーター枠とみなされていた。

しかそいつ素行問題大有りだった。授業中の態度は悪く、気の弱い先生など標的にしていじめていた。一人の先生は完全に病んでしまっていた。

また中学生にもかかわらず女癖が本当に悪かった。相手妊娠中絶とかその領域の話もあった。事態大事になったら何故か女子生徒の方が地元公立中学に「転校」させられた。そいつを何としても野球高校に進学させるためだったのだろう。

ただ、最後に手を出された女子生徒の両親は一歩も引かず行政通報した。先生たちも男の方を庇いきれなくなってそいつが退学処分になった。かつて転校した女子たちは復学させるという噂もあったが、結局一人も戻ってこなかった。

ここからは完全に伝聞になるが、そいつは別の高校野球をしたらしいが、事態が急変する。化けの皮が剥がれ始めたのだ。中学までは発育がよかっただけで高校になると成長が止まり始めた。はっきりいって学校が色んなものをゆがめてまで守る選手ではなかったのだ。

遅すぎる話だが、周りの大人は何故彼の才能が瞬間的なものだということが気づかなかったのか、あったところで特別扱いして良いことなんて一つもなかったのだ。

今母校はどんなにスポーツができても、ある程度勉強しないと入学できなくなったそうだ。あの当時の不幸を糧にして変わってれば幸いである。

とある天才」に振り回された人々の話

中学のころ地方都市私立中高一貫校に入学した。特に進学校でもなくたいした勉強をしなくても入れる。地元中学より制服がオシャレとか自転車通学できるとか、その程度の動機で選んでいた。後、スポーツが強かった。

特に野球は強く地方大会で優勝するレベルにあって非常に人気だった。おもてだった野球特待生はいなかったが、有望な野球少年はほぼ顔パス入学できた。しか高等部野球部はさらに強豪校で県内から人材を集めていたので、中等部野球メンバーは進学しても2,3人しか入部を許可されない。

そして、うちの学年には天才がいた。俺は野球部ではなかったので彼の実力のほどは知らなかったが、体育の授業でマット競技とかハードルの授業でおそろしいバネを披露していた。もちろん、うちの高校へのエスカレーター枠とみなされていた。

しかそいつ素行問題大有りだった。授業中の態度は悪く、気の弱い先生など標的にしていじめていた。一人の先生は完全に病んでしまっていた。

また中学生にもかかわらず女癖が本当に悪かった。相手妊娠中絶とかその領域の話もあった。事態大事になったら何故か女子生徒の方が地元公立中学に「転校」させられた。そいつを何としても野球高校に進学させるためだったのだろう。

ただ、最後に手を出された女子生徒の両親は一歩も引かず行政通報した。先生たちも男の方を庇いきれなくなってそいつが退学処分になった。かつて転校した女子たちは復学させるという噂もあったが、結局一人も戻ってこなかった。

ここからは完全に伝聞になるが、そいつは別の高校野球をしたらしいが、事態が急変する。化けの皮が剥がれ始めたのだ。中学までは発育がよかっただけで高校になると成長が止まり始めた。はっきりいって学校が色んなものをゆがめてまで守る選手ではなかったのだ。

遅すぎる話だが、周りの大人は何故彼の才能が瞬間的なものだということが気づかなかったのか、あったところで特別扱いして良いことなんて一つもなかったのだ。

今母校はどんなにスポーツができても、ある程度勉強しないと入学できなくなったそうだ。あの当時の不幸を糧にして変わってれば幸いである。

2023-10-07

進学校ってテストの平均点低いよね

校内テストの話

 

偏差値55高校→平均点70点

偏差値65高校→平均点30点

 

こう言うイメージ

問題が難しすぎる

これ俺のとこだけかなと思ってたらどこもそうらしい

二次試験意識しすぎてマニアックになってる

2023-10-06

自称進学校卒だから数学理科もできないのに早慶とかMARCH文系行って、都道府県政令指定都市入ってホワイトカラー面してまあまあな生活してる同級生わんさかおるんよなぁ…

こういうのをどうやって待遇下げて、工業高校や専門卒の給与を上げるかが肝だと思う

民間は淘汰が効くけど行政は淘汰が効かないから私文卒がまあまあな生活できちゃう

金持ちになることはないって言われてるけど、税金馬鹿普通水準の生活されてもムカつくやろ

2023-10-02

免許更新に行ってきた

田舎なので車がないと生活できない。ブラック職場でも「免許更新に行くんで」と言えば有給OKされる。無免許運転でつかまった人が出たら会社晒し物になるから

自分無事故無違反ゴールド5年だからすぐ済むのだが、最近高齢者向けにオプションがいろいろあるので、受付時間棲み分けされている。

免許持ってない都会のみなさんに紹介すると、めちゃくちゃ流れ作業で終わる。手数料払う→申込書書く→視力検査暗証番号とかの登録まち→写真とる→新免許証ができるまで講習を受ける→出来上がった免許証をもらって帰る、となる(都道府県による)。

自動車学校学科教習のときから思っていたのだが、あらゆる注意事項が万人向けにできている。進学校で慣れた人だけが受験するテストと違い、老若男女あらゆる人が来るからだ。講習の内容よりも、注意事項(個人情報の書かれた書類忘れ物をしないように、トイレ行くってサボってもバレるよ、ゴミ残して行くな、とか)の方が気になった。

よく言われる事故グロ画像マイルドになっていたよ! ソフトインタビューかになってた。

2023-09-27

娘(JK)に彼氏がいると聞いた

相手大学生。有名な私立大学

うちは車必須なド田舎東京新幹線距離

進路の希望が「東京大学大前提」って言ってたのはそういう事か

そのために勉強頑張ってるならなんの文句は無いけど、娘の将来に不安しかない。というかもはや絶望

彼氏大学が有名なのは悪名も含む

娘が上京したらお祝いと称して誘われて彼氏友達も何故か数人付いてきて睡眠薬飲まされてレイプされて種がわからない子供を身ごもって単位落として退学して田舎戻ってシングルマザー

これくらいはかなり楽観的な予想

もっと酷い事件もあったし

とはいえ「そういうところだ」とか「騙されてる」と言ったところで聞かないだろうし、諦めるしかいかなって落胆してる

  

名前だけで女が途切れない学校の男がわざわざド田舎女子高生遠距離恋愛するわけないじゃん

進学校行ったところで論理的思考は育たないんだなと実感した

東京行ったらもういないものとして諦める準備はしておく

堕ちるまで一瞬だろうからここの独身男性たちは1年後くらいに風呂堕ちした元娘を楽しんでおくれ

2023-09-26

まるで自主勉強しなかった人間が後から役に立ったと思うこと

人類の大半は勉強なんかしないという話を見て。

 

一切の勉強しませんでした。授業は半分上の空だったし宿題もやらなかった。

たまたま親が地頭マシに生んでくれたので2回の受験はどっちも偏差値60ぐらいのとこに入れましたが

大学入っても勉強しなかったので語学単位を落として留年しました

そのぐらい何もやらなかった人間が50歳過ぎて役に立ったと思う教育指導

 

これはガチ。書くとき書き順やとめ、はらい、きちんと閉じてるか開いてるかまで一字づつマルバツつけてくれた。

高校にもなってバカみたいだと思いつつやってたけど、宿題もやらないような人間勉強の習慣を躾けるには一番効果的でした。

これなかったら受験のために勉強するという手段すら見つけられなかったと思う。

 

英語単語暗記なんか一切やらなかったのでド底辺だったけど、文法ロジック予備校なので点取りスキルのような説明)があると教えてくれた予備校講師のおかげで最低限のとっつきが出来た。

理屈こねてサボりたい人間には理屈で楽ができると教えるの効果的です。まあ単語暗記サボるんですけど。

 

小6のとき成績悪くなって急遽入れられた学習塾たまたま進学塾だった流れで中学受験したのだが、

結果、そこそこの進学校に入ったので保体とか大学までやったことなかった。

大学に入って初めて筋トレ筋肉痛意味があるって知ったし身体を動かすことに意味があるって知った。

それまで運動とか不良のやることだと思ってたのでマジで目から鱗だった。

そっかー高校とき体育の時間をダラっとソフトボールで流すのではなく1限まるごと筋トレランニングだけで地獄を見させてくれたH先生は良い先生だったのかーと後から知った。

 

卒論書くまでバイトするかゲームするかで勉強しないし他人が何を学んでるか全然知らなかった。レポート適当書くしかやってないマン

卒論を出さなきゃいけないとき、何やっていいか全くわからず、今さら他人に聞くこともできなかったので、好きな本の書き方を丸ごと真似することにした。引用の仕方、導入の仕方、結論への持っていき方、等々。なお引用元は真面目に調べてないのでだいたい孫引き。ひどい。

もちろん教授陣も見放してたのでとっとと卒業させてくれたって話で、結果には繋がらないんだけど、ここで他人パクることを学んだ。パクるのマジ大事

 

何が言いたいかというと、本人まるで勉強する気もないし、親も勉強よくわかってない、そんな底辺に対しても、何がしか勉強やらせとく意味あるかなと。

anond:20230926102215

勉強できる世間知らず」みたいな生き物

 ← だいたい中学受験して進学校に進んで難関大に行ったやつはそうなる。だから全然めずらしくはない。難関大にはごろごろ

地方都市だってめずらしくないぞ。ホリエモンなんかも地方出身進学校を出て東大行ってるもんな。地方都市だって中学受験組はそれなりにいるからな。

2023-09-23

塾では集団が学べないと言うけど

そしたら、塾の先生か教科専用の先生と、ホームルーム生活担当先生で分けたら良くないか

特に高校とか進学校なのに、教師によって授業のクオリティに差がありすぎる。

教科書をただ音読させるだけの意味ない英語の授業とかあったな

2023-09-22

ワイの半生42年間=精神病院入院までの21年間+精神障害者としての21年

はてなダイアリー利用者(42)無職

思えば子どものころからなーんか可愛げのないガキンチョだったと思う。要はひねくれ者だった。

子どもの頃に夢なんて持ったことはなかった。大人になったら、会社に入って、結婚して、子供を作らなきゃいけないのか。メンドクせぇな。働いたりとかせずに、ひとりでのんびり生きたいよ。

実際にはそんなメンドクさいことをせずになんとか40年余りを生きてきたんだけど。それもひねくれ者だったおかげなのかもしれない。これも皮肉だけどね。

中学校までは学校勉強だけはできたので、高校は今でいう自称進学校みたいなところに入る。まだガキンチョのくせに世の中を斜めに構えてみるくせは治らなかった。むしろ『お年頃』になってよけいにひねくれ者になっていった。

そんなひねくれ者の僕も親にケツを叩かれつつ、なんとか大学合格だけはできた。偏差値的には無理そうだったところだけど、昔からクジ運だけはよかったのな。いや、そんなによくはないけど。

田舎育ちの俺。高校卒業した18歳の春、東京に出てきた。アパートでのひとりぐらしが3年間続く。その間、大学にはまったくといっていいほど行かなかった。1単位も取らずにというわけではないが、ろくに単位も取らず3年間が過ぎた。

3年後の春、全然大学に行ってないことが親にバレた。「何してたんだ、馬鹿息子が、と。取り敢えず大学は辞めて地元に戻ってこいや」と。

いわゆる汽車で3年ぶりに実家に戻った俺、親からいろいろいわれた。俺は「俺は頭おかしいかもしれない。キチガイ病院に連れて行って」と親に頼んだ。親は驚きはしたものの、そうだないちどココ(俺の頭を指しながら)見てもらったほうがいいかもなと言われ、キチガイ病院に行くことになった。

キチガイ病院にて。医者の前で、僕はまだ21歳ですけど将来に何の希望も持てないんで精神病院で余生を過ごしたいです、という。医者は取り敢えず入院しましょうか、と答えた。

そこから俺の精神障害者としての人生が始まる。まぁ、前からおかしかったのかもしれないがね。

2023-09-21

anond:20230921083005

進学校校則ゆるゆるでも問題起きないけど、バカ校則で厳しく縛らないといけない、みたいなもんでしょ

免許制にして学力テストやればいいよ

2023-09-19

anond:20230919124409

都会のインテリ陰湿さとは無縁だよ

進学校はそういうのない

少子化は嘘、世界人口は増えている

世界の子供を戦力外扱いにしてなめている

進学校の生徒ではなくアフリカの子供を医学部に行かせればいいんだよ

進学校の生徒は工学とかでノーベル賞を狙わせればいい

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん