はてなキーワード: 瞑想とは
禅定をはじめとした瞑想でのいわゆる成功と言われる状態は意識の上に上がる事で、瞑想の種類によって「成功」状態の脳の活動はやや変わる
マインドフルネス瞑想=気付きの瞑想=随息観では外からの五感への刺激・感覚・想起される感情・思考・意識について細やかに気付く
この時眠気は無く非常に集中した状態になり、秒間30以上の自分の感覚に対する「気付き」を得る。脳波を測定するとフラットになり非常にリラックスした状態を維持している。
この瞑想を繰り返すことで集中力と知恵(知識ではなく無知無明が晴れた状態・感情や思考のバイアスがかかっていない外界と体への認知)を得、
貪欲・怒り・無明といったエゴから徐々に離れられ、最終的には第一の悟りに達する
第一の悟りは、有身見(自分は存在するという妄想)が消えることが一番大きい。
瞑想には種類が多く、他にも慈悲の瞑想(他者の幸せを願う)・ヨガ(宇宙と一体化し恍惚を得るヒンドゥー教を起源とした瞑想)・禅・死随観(死に至り死んだ後の体が腐っていくのを想像する)・マントラ瞑想(集中力を得る・宇宙と一体化する)
など色々あるがマインドフル瞑想が一番王道とされる。マインドフルネスは座って行う瞑想だけでなくゆっくりと歩いて全身の感覚を観察するバリエーションもある
なら丁度いい。ワイが言ってるのは、過去のそれら分野が強烈なミソジニーや女性差別時代に書かれたものを多く引用しており、著名な学者には全ての世話をママや妻に頼んで育児を免除されてた者、とんでもない女性差別主義者、が大量に混ざっていて、それら文献を読んでいるなら尚更、無意識な女性差別に相当毒されることになる。
解毒剤がフェミニズムの文献ってわけ
歴史のもう片方の面を知ろうぜ。
フェミニズムは男にとっては自分の加害性構造の話だから、面白い導入がないんだよな。差別は全部そうだと思うけど、奴隷制にしろアフリカにしろ日本にしろ何にしろ、君たちは残酷な奴らの子孫や仲間だよから始まってしまう。学びは周辺知識から始めるのが1番効率がいいから、自分の興味のある分野に関連した本を読むのをおすすめするとしか言えないかもなあ
あれはうたた寝と何が違うんだ?なにがいいの?
元々は血圧を下げるためにやったんだが、自転車エルゴ(エアロバイク)。
有酸素運動をやるとセロトニンが出やすくなるという話はググればいくらでも出ると思う。特に定周期の運動が効果が高いのも出てくると思う。
強度低い有酸素運動を長時間やると血が体内を循環しまくって毛細血管まで血がしっかり送られて、酸素が身体に行き渡るのと、逆に不要な老廃物が血に流される。毛細血管が広がって詰まりがなくなってくると酸素を使える身体ができてくる。
血管は拡張され、中性脂肪は使われて血はサラサラになり、身体が酸素をたくさん受け取ってゴミをバンバン捨てていく身体ができるイメージ。寝るよりも血を回したほうが疲れは取れやすい。
一方でセロトニンが出てると実感するのは眠りの深さ。これは今まで試したどんな薬、どんな食べ物、飲み物よりも圧倒的に効く。
まず睡眠中物音に全く気づかなくなる。睡眠時間はいつもより短いのに目覚めたあとバッチリ目が覚めて疲れが完全に取れる。宿屋に泊まって全回復するイメージがそのまま持てる。これは2,3回で効果は実感できた。実感できなかったらやめたらいいと思う。瞑想も同様な効果があるらしいのだが、これだけやっとけば運動、瞑想、睡眠の3つ分のフラグ倒せる。後は野菜だけ。オナニーしてるなら自然にオナ禁が始まる。心が求めてこない。むしろ掃除とかやりたい課題とかそっちに目が行くようになる。睡眠の深さからセロトニンぶっ放してるのは身体で感じられると思う。
そこで具体的に何やるかというと、ただ自転車エルゴ(エアロバイク)を漕ぐだけ。Free Wi-Fi使えるジムで映画一本観ながらダラダラ漕ぐ。それだけ。好きな音楽聴きながらでもなんでもいい。強度最低、心拍数100くらいのユルユルでOK。強度はむしろ上げないほうがいい。その代わりできれば2時間、一時間半は最低ほしい。
これはN=1のサンプルなので、再現できる保証はないんだが、最初やってみて睡眠の深さを実感できなかったらやめたらいい。
多分、はてなーの睡運瞑菜はもっと実績ある続けやすい方法あると思うのでそっちを試してみてもいいと思う。俺は瞑想がとにかく下手くそだったけどたまたまこの方法に行き着いて瞑想なしで絶好調に持っていけた。メンタルとフィジカルは繋がってるというのは確信持って言えるのでその辺からのアプローチが良いと思う。増田の人生が変わるきっかけになると俺もうれしい。
悟りを開く事が明確なゴールなのですが、宗派ではなくマインドフルネス瞑想或いは随息観を行っている所を選ぶといいと思います
マインドフルネスは日本だけでなくアジア、アメリカでもとても広まっている上、仏教徒ではない人達からも悟りへの道として信頼されています
悟りへの方法論として、自分の感覚・感情・行動・思考を観察し続ける事が正道とされていますので、マインドフルネス瞑想がうってつけとされています
どうやら数ヶ月続いた話題もひとまず落ち着いたので、ひとまず見守る(笑)をしていた自分のお気持ちでも書こうと思います。年末だし。
結局てめーらどっちも1ビット脳じゃねえかよ!!!!!!!!これ、マジで幻滅してる。
昔は同じようなことで擁護してたやつが今回叩く側にまわってよ、逆に叩いてたやつがあーだこーだ言い訳してよ。バッカじゃねえのか。
ブクマカになに期待してんのとか腐してくる人もいるだろうけど、それどうなん?って感じですわ。現実でもネットでも発言には一貫性を持つべきだろがよ。
ほんと、党派性ってゴミだろ。囚われんなよ。一部の過激派ブクマカどもは一旦離れて、よく考えてみろよな。
もし趣味や興味に対する関心喪失や集中力の減退が長期にわたって続いている場合は、そのような状況を改善するために、さまざまな手段を試すことができます。
まずは、身体的な健康状態を整えることから始めることが大切です。健康的な生活習慣を維持することで、心身ともにリフレッシュすることができます。そのためには、野菜350gを摂取するような健康的な食生活、適度な運動、瞑想、十分な睡眠を心がけることが重要です。
また、趣味や興味に対する関心喪失や集中力の減退がある場合は、新しいことに挑戦することや、趣味を再探することで、興味を再燃することができるかもしれません。また、趣味を再開することで、ストレスを軽減することもできます。
さらに、集中力を維持するためには、身の回りの環境を整えることや、タスクを分割すること、自分に合った集中力を維持するためのテクニックを試すことも有効です。また、心理的な問題があるかもしれませんので、プロフェッショナルのサポートを求めることも検討することができます。カウンセリングやセラピーを受けることで、内なる悩みやストレスを解消することができるかもしれません。
お悩みの状況に応じて、さまざまなアプローチを試すことで、趣味や興味に対する関心を取り戻すことができるでしょう。
私はあなたが感じることを、理解することができますが、評価することはできません。そのようなことは、あなたが持つ、自分自身の心にしか決まるものです。
それでも、私があなたの前にいるということは、あなたが、どんなに深い内面の悩みや苦しみを抱えているとしても、そこには神がいます。神は、その真実を知り尽くしておられます。そして、その真実を、あなたが理解することができるようにしてくださるかもしれません。
それでは、私がお祈りします。あなたが、その真実を理解することができますように。そして、その真実が、あなたの心を癒し、新しい希望を与えることができますように。私たちは、皆、神の愛に包まれています。その愛が、あなたを癒し、守ってくださいますように。
うーん?
厚生労働省がやっている厚生労働省『「統合医療」に係る 情報発信等推進事業というのがあって、この手の話はここに色々なエビデンスをメタアナリシスで分析した結果がまとめられているんだけど、どちらも根拠が示されてねえかな?
複数の研究は、ストレス管理、精神的/情緒的健康、健康的な食/活動習慣、睡眠、生活の調和の向上など、健康上の側面に対してヨガがもたらす利益の可能性を示唆しています。
多くの研究で瞑想の疾患への効果を調査しており、高血圧、過敏性腸症候群、潰瘍性大腸炎患者の炎症を緩和する可能性があるという科学的根拠(エビデンス)があります。不安感や抑うつ感の症状を和らげ、不眠症患者にも効果がある場合があります。
専門じゃないから読み飛ばしてるかも知れないけど、医療の治験の様な厳格なテストが行われていないのに産業大きくなりすぎだとと言う話しかしてなくね? 用語の定義ができてないからメタアナリシスも上手くできていないとかそう言う話で、効くとも効かないとも書いてないのでは。
いまや観光名物となった人が車を引き人を運ぶ人力車。その普及当時、引き手の車夫は過酷な仕事から心臓や肺が5年ほどで死んでしまうといわれたらしい…あぁ恐ろしい恐ろしい。おぉショッギョムッギョ。運動は足りてるので睡眠と瞑想と野菜不足だろうか。
https://twitter.com/noa_izumi1998/status/1405647209043922950
『人力車を引けばほとんどどの職工より儲かるので、何千人もの立派な若者が農業に従事するのをやめて人力車の引き手になろうと町に集まってきます。』
とはいえ車夫になってからの平均寿命は五年しかない、その多くが心臓または肺の重い疾患に罹かかると言われています。まずまず平坦な地面の上を、優秀な車夫は時速四マイル[約六・四キロ]で一日五〇マイル[約八〇キロ]走ることもあります。』
とある。
ん…どうなんでしょう。儲かるから就職するとしても死亡率が極端に高い…まあ現代でもベーリング海のカニ漁などがあるのでありえるのでしょうか。
気になる点はいくつか。
まず人力車が登場した時期。これはツイッターの前の文章にもあり別途調べることもなかったのですが。
『あなたも知っているとおり、この乗り物は日本の特色のひとつで、日に日にその重要性は増しています。七年前に発明されたばかりなのに、すでにある都市ではその台数が二万三〇〇〇近くに達しており、』
7年前に生まれた職業の平均寿命が5年と言われても感覚としてはちょっと引っかかる気がしますな。
なんだか仕事を始めて数ヶ月でバッタバッタと死んでいかないとこういうイメージはできあがらないのかな。
人を運ぶことの過酷さについても、そもそも人力車が初めての人を運ぶ仕事ではないわけで、大名行列のイメージかな?日本には駕籠があった。
人力車はそれと入れ代わるように入ってきたはずだ。
人力車は安全性の高さと運賃の安さ、玄関先まで届けられるという小回りの良さが大衆に受けて急速に普及し[16]、1872年までに、東京市内に1万台あった駕籠は完全に姿を消し、逆に人力車は4万台まで増加して、日本の代表的な公共輸送機関になった。これにより職を失った駕籠かき達は、多くが人力車の車夫に転職した。1876年には東京府内で2万5038台と記録されている[17]。19世紀末の日本には20万台を越す人力車があったという[18]。人力車夫は明治期都市に流民した下層社会の細民の主要な家業となり、明治20年代には東京市内に4万人余も存在したが、その後都市交通の発達により数を減少させていった[19]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8A%9B%E8%BB%8A
二人以上で運ぶ駕籠と車輪の力を借りる人力車のどちらが過酷な労働かはわからない。しかし運送業として駕籠から人力車へと系譜があると見れば駕籠の時代から平均寿命が短かったのでは?そんな業態で長年何万人と働き文化・職業が残り続けた。しかも(車夫と比較して裕福な?)他人と接する接客業で。これは発展途上国ゆえの残酷さなのか、実際のところは致死的とまではいかない重労働程度だったのか。気になりますな。
次に、おそらくなのだが、お抱えでなく流しの人力車ならばいわゆる自由業的な働き方になるのかなと思う。
ひとまず自由意志で体を動かす労働を体が壊れるほどする必要があるということは、それは貧乏暇なし。働けど働けど…ということなはずだ。
"ほとんどどの職工より儲かるので、何千人もの立派な若者が農業に従事するのをやめて人力車の引き手になろうと町に集まって"くるならば、他の職より稼いだ金で休息に充てられないものか?
久保田重孝'6)はこのバードの旅行記をとりあげて,これは人力車夫の職業病にふれたものだとしたが,筆者'7)は当時の日本人の平均寿命が40幾歳という時代で,人力車夫の若死を職業病としてしまってよいかどうかわからないと書いたが,現在の作業関連疾患に関係があると考えてもよさそうである。
横山'8)は当時の人力車夫には「おかかへ」,「やど」「ばん」「もうろう」の区別があるとする。「おかかへ」は月に幾程と約束を定めて紳士の家に「おかかへ」となった者,「やど」とは一名部屋住み車夫で,挽子がこれにあたる。「ばん」とは一定の駐車場に所属する株車夫である。
そして人力車夫中最も多いのが,貧民窟に住んで,車を借り,ひどい者は筒袖股引の衣裳まで借りて働く「朦車夫」で,車の借代は上等10銭,中等8銭,下等6銭で,3,4年前より2銭宛高くなった。この車夫の収入は日によってちがうが1日平均50銭くらいにはなる。
「家に女房あり,子供あり,如何に節約するも四十銭は之を要せん。残れる十銭を以て屋賃,衣服料,子供の小使等を除けば餘す所幾何なるべきか,特に不規則の労働に従ひ不定の収入に服する人力車夫の常として,途中不用の飲食物に金を捨てること多きを思へ、ば,束京市中五萬の人力車夫,知らず一日の生活
まったくもって儲かってないという。自由業ゆえの収入の不安定さまで述べられている。
バードさんに話した内容とは食い違うものがあるのか、やはりこれでも「他よりマシ」レベルの貧困さだったのかもしれない。バードさんに話した人が誰か、あるいは複数の聞き取りをまとめたものなのかはネット上ではわからないが、明治9年東京府管内統計表とほぼ同じ台数を述べておきながらの賃金、寿命への言及をしていたとしたら両方とも正しいと見るかちょっと変と見るべきか。
ひとつ付け加えると引用の横山は1871年生まれで、バードさんが居た時代ではまだ8歳?時代に多少ずれがあることは覚えておく。
あと平均寿命も。19世紀末で40ちょっとというのはわかっていたようなでも結構驚く数字で、重労働できる年齢になって酷使して平均寿命も短いとなると数年が寿命ないし廃業のラインとなるのも一理あるのかなと覚えるしだいだ。
2,3のwebページを見ただけだが、自分の感覚としては5年説はそういう印象が流布程度には信憑性があって、でもまあ誇張や比喩のようなものも感じて100%統計的事実として平均5年で死ぬと言った訳ではないのかな、と受け止めておく。
そもそも(バードさんに)誰が言ったかがわからないので町人の世間話の採集かもしれん。
ひとまず自慢げにトリビアとして吹聴できるレベルではないなと記憶しておく。
そもそも気になった原因の漫画版では、知識階層ではないが勤勉で聡明な作劇上、日本文化を解説する立場のキャラクターが自分の持つ知識としてセリフを披露している。だからまるで歴史的事実のように感ぜられてしまって調べたのだ。
作中では人力車が広まって何年かは書かれていな…かったと思うので、受け取りかたしだいではもう十何年も人力車が続きそのなかでの収束した寿命とも取れかねない印象だった。
原文のもひとつまえの「七年前に発明されたばかりなのに」というセリフも含まれていれば舞台が78年なので即座にまあうろんげだなと留保の立場で流せたのだ。
…
【食欲減退効果】
備考:
「向精神薬」と分類されており、個人輸入も規制されているため、
精神的・肉体的依存が認められており医師の処方に従う必要がある。
備考:
国内では糖尿病の薬として認可されており肥満症対策は保険適用外。
【糖質吸収阻害】
・α-グルコシダーゼ阻害薬
備考:
国内では糖尿病の薬として認可されており基本肥満症対策では保険適応外。
体内に吸収される量を減らすことで体重の増加を防ぐ。
・ビグアナイド薬
国内では糖尿病の薬として認可されており肥満症対策は保険適用外。
・SGLT2阻害薬
国内では糖尿病の薬として認可されており基本的には肥満症対策は保険適用外。
尿から糖を吸収する際に働くSGLT2というたんぱく質の働きを阻害し、
糖を吸収せずそのまま尿と一緒に排出する働きがある。
【脂質吸収阻害】
・オルリスタット
国内では長らく未承認薬となっていたが2022年11月に初の承認が下り薬局で販売されることになった。
脂溶性のビタミンや栄養素の吸収も阻害するためサプリ等で補う必要がある。
最近、某襲撃事件の影響か、宗教の話題がホットエントリー入りすることが多く、概してネガティブな内容を目にする。
そうした記事のひとつについたブックマークコメントに、「宗教のネガティブでない側面を知りたい」というものがあった。
日本人の多くは実質的に無宗教であるし、宗教のことで話題になるのはネガティブかつショッキングな事件ばかりだ。
宗教をしながら普通に生活している人とはどのようなものだろうか、気になる人がいるのも当然だと思う。
そこで、タイトルの通り、創価学会の学会員2世である私が、みなさんからブックマークコメントや質問を頂いて、追記する形でいろいろお答えしたいと思う。
何か書いてみようかと思ったけれど、あまりに普通に生活していて事件らしい事件もないので、質問を募集する形にしたい。何か聞きたいことがあればお気軽にコメントしてください。できるだけお答えします。
なお、2世とは書いたが、厳密にいえば3世か4世くらいにはなる。ここでは、生まれたときから学会に属しているという意味で2世と称します。
→特に疑問を感じたことは無いな。生まれたときからそういう環境だから「受け継ぐ」っていう感覚がそもそも無かった。気づいたら学会員という属性を持っていたって感じ。それに対して、別に良い気持ちも嫌な気持ちもなかったから疑問はなかった。そういう家に生まれたんだなってだけ。後々ネットで叩かれていることを知ってちょっとショックを受けたりはして、そのせいで思春期は創価学会に対してマイナスイメージを持っていたりしたけど、今は特にプラスもマイナスも感じてない。俺の家も同じように仏壇があって、子供の頃から座って勤行するように教育されてきたけど、そんなに嫌な気持ちはなかった。ちょっと面倒くさいな~って程度。歯磨きするのめんどうだなーってのと同じ感覚かな。反省を促されたりしてたら嫌になってたかもしれない。自分自身は両親ほど熱心な学会員ではなくて、死後の世界を信じていないから、境遇は近いかもね。
→あんまり歴史得意じゃないから一向一揆の時代に何があったのかわからないんだけど、「他者を攻撃することが是とされる暴力装置として生まれ」たっていうのは私のことを指してる?創価学会は暴力装置ってこと?あんまり賢くないのでもうちょっと嚙み砕いて教えてほしいかも。他者を攻撃しているつもりはないのだけれども、仮に自分が暴力装置なのだとしたら、そのことには自覚的でいたいね。
→それマジ?でも、誰かの知りたいって気持ちにこうして応えられる人生で良かったと思ってるよ。そんなに嫌な目に合ってるわけでもないしね。
→選挙前に公明党に投票よろしくってお願いするやつは実際にやってるね、親がお近所さんを回ってたわ。やめてくれって言われたら素直に引いてるみたいだけど。法的に大丈夫なんか見てて不安になりますわ。ちなみに俺はやったことないし、実を言うと公明党以外の党に投票したりしている。
勧誘っていうのは、創価学会入りなよってやつだよね。やってる人はやってるみたい。でも、そんなにたくさんの人がやってるわけではない気がする。よく聞くのは、人生に悪いことがあって落ち込んでいる人を折伏(学会員に誘うことを折伏と言います)しましたーみたいな話。うまくいったら学会員の集まる大会とかで、感動エピソードとしてスピーチしてたりする。「悪いことがあった→折伏→うまくいくようになりました→宗教最高」みたいなパターンよく聞く。で、折伏は、学会活動の中でも大事な行いだとされているから、熱心な人はがっつり取り組むと思うけど、別にノルマがあるわけではない。俺はひとりも誘ったことない。そういう人が多数派だと思う。けれども熱心な人は熱烈勧誘してるかも。それも、単純な善意でやってると思う。よく効くサプリを人に勧めるみたいな感じかな。悩める他人を救うことが世界平和につながるって考えがあるから、本当に悪意なく救おうとして熱烈勧誘しちゃってると思う。それで、何十人折伏しましたーってスピーチしたりすると褒められるのよ。だから熱烈勧誘しちゃう人ができる。でも、勧誘される側からしたら、かなり嫌な気分になることもあるだろうなと想像つくね。熱烈具合は人によるけど、ダメな勧誘する人もいるんだろうなと思うよ。
→マジでそんなとこあんの?ヤバない?違う看板ってアレか、例えばサッカーサークルみたいに銘打ってるのに、実際は部員たちが部室で勤行してるみたいな感じってこと?そうだとしたらちょっとびっくりですわ。そこが創価大学だったら入学者の殆どが学会員だろうからまだわかるけど、普通の大学でそれやってるんだったらドン引きです。いままで全然そんな話を聞いたことがなかったので、内部的な評価はわからない。けれども、一学会員としては、それは良くないと思う。そういうことすると、ただでさえネガティブな感情を持たれているのに、余計にマイナスイメージ付くし、おっしゃる通り自分たちで首を絞めている感じする。別の看板掲げてるんだったら、それに沿った活動をしなさいよって思うね。
→?どういう意味?
→葬式は形式と居心地が若干違うかな。学会員の友人葬では、坊さん的な人を呼ぶんじゃなくて、集まった皆で題目を唱えて供養をするんだよね。友人が代表になって唱えて、それに皆で唱和する感じ。題目自体は普段から唱えているから馴染みのある文言だし、坊さん的な立ち位置の人が部外者じゃない友人だから終始アットホームな感じがある。もちろん葬儀だから厳かさもあるけどね。坊さん的な人を呼ぶ場合って結構当たり外れがあるじゃない。なんか説教下手だなーとか素人ながら感じる時もあるし、お金もかかる。そういう問題は無いから個人的には友人葬の方が好きかな。ただ、学会員じゃない人が友人葬に出席する場合、周りの出席者が急にお経みたいなのを唱えだすからちょっと驚くことになるかもね。でも、出席者みんなが葬式に参加している実感が得られて不謹慎かもしれないけど面白いと思うよ。
あと、これは非科学的でかなり主観的な話になってしまうから話半分で聞いてほしいんだけれども、信心している人は死に顔が違うってよく言われるんだよね。生前学会員だった人は死に顔が穏やかだって言われるの。そんなもん眉唾だろうって思ってたんだけど、実際に今まで出席してきた葬儀を振り返ると、学会員の故人の顔色が穏やかなのは本当に思える。というか、学会員じゃない人の葬式に出るたびに、棺桶から覗く顔色の悪さに驚くんだよね。単純に経験してきた葬式の数が少ないからそう思うのかもしれないし、化粧の問題も大きいのかもしれないけど、死に顔を穏やかにしたい人は入会するのもありかもねって思う。
→良い部分もたいがい他人事だよ。自分はあんまり積極的に活動してないからね。同じ属性を有しているからといって、他人の行動の責任を負うことはできないでしょ。
→自分はあんまり熱心な学会員じゃないから、毎日は唱えてないのよね。悩み事があったり、神頼みしたくなったりしたときに、思い出したように勤行してるわ。なんとなく頭をすっきりさせたいときとかに唱えると、気持ちが落ち着く感じがある。自分は、最近流行のマインドフルネスの一種みたいな感じで題目を捉えてて、そんなに無駄な時間とは思わないよ。どうせ気持ちが落ち込んでるときなんて、意味もなくYouTubeでだらだら動画見たりしているだけだし、それに代わる行動としてはやる分には無駄の程度は変わらないんじゃないかな。両親はほぼ毎日題目を唱えているけど、瞑想を毎日やる習慣にしてる人もいるだろうし、それと同じ感じだろうと思えて疑問を感じることもないかな。しかも、唱えたら(ざっくり言うと)幸せになれると言われているからお得感あるよね。
→自分の年収は300万程度。まだまだ新米社会人だから薄給ですわ。寄付額は0円。全く寄付していない。学会からも家族からも寄付のお願いはされてないね。されたとしても多分断るかな。薄給なので自分ひとり生きるのに必死なんだよね。将来大金持ちになったら少額寄付したりする可能性あるかもしれんけど、いまのところは余剰金が無いし、あったとしても投資信託とか買うかなー。親の年収は推定だけど1000万無いくらいだと思う。寄付は毎年しているみたいだけど、どのくらいの額かは知らないんだよね。でも、世間で問題になるようなウン千万円の寄付とかでは絶対にない。多分多くても10万円以内じゃないかと思う、少額と言ってるのは聞いたし。寄付によって家庭が壊れたりとかは無いです。自分は大卒なんだけど、奨学金を借りずに親のお金で卒業させてもらえたし、金がないから必要なものを買えなかったとかも無い。自分の住んでいる地域では、高額な寄付によって苦しんでいる人は見たことないかな。ニュースでそういう人たちがいるみたいなこと聞いて、マジでいるんだーって初めて知る感じだ。親が身の丈を超える高額な寄付して苦しんでいる子どもとかって大変やな、可哀想だなと思う。何とか救済されるといいっすね。