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はてなキーワード: 日本書紀とは

2019-05-07

現行制度のまま皇室を維持する方法思い付いた

右翼女性天皇容認しても女系天皇を認めない

左翼天皇が生まれながら人生選択権を縛られていることを問題にしている

これらを両立して解決する方法を思い付いた

天皇家の男系精子冷凍保存して志願者が妊娠すればいいんじゃね?

 

右翼が重視してるのはDNA一貫性なんだから精子さえ保存されてりゃいいんだし

左翼自由意思女帝になりたいという人を止めたりはしないだろ、それこそ職業選択の自由だし

 

誰も志願者がいなければ皇室敬愛してる人たちがクラウドファウンディングして女帝生活保障すればいいじゃん。その値段が釣り合う数字皇室維持に必要な本当の価格だ。リバタリアンもこれで納得

 

あとは大事な皇統の精子が盗まれ悪用された場合にそなえてWTO提訴できる体制を整えときOK

[追記]

id:baikoku_sensei

それはちょっとかわいそうなんで代わりにid:baikoku_sensei冷凍保存しといた方がいいか・・・

見た目変わらないし・・・

 

id:el-condor

まれ子供皇位継承するかは成人してから本人に決めさせればいいんじゃない

まあ男児が生まれたら精通後即精子採取するけど

 

id:scopedog

国事行為冷凍カプセルにやらすんか。アラブあたりの国賓は憤慨してジハードしそうだな

(でもよく考えたら国内向け限定なら2年もしたらみんな慣れてお祭り騒ぎに利用しそう)

 

id:agricola

おー、俺の主張を先鋭化させたやつだ。

ただ、この考えはそこまで生命倫理を逸脱させてない

現行だって精子バンクドナーはどの女性に利用されるか選ぶ権利がない(いわば男性にはリプロダクティブライツが欠けている)ので

皇族侵犯される人権一般男性とほぼ変わりがないからだ

 

id:ko2inte8cu

右翼懸念は素質のない人が女帝になること?

とりあえず女帝立候補は通常の就職と変わらないんで

宮内庁あたりが採用試験すればいいんでは

女性側の血筋まで云々言い出すなら、もうY遺伝子のことは口にするな

で、

左翼懸念君主という制度自体民主主義に反してるみたいなことを言うの?

もう世の中の君主国すべて滅ぼしてから言ってくれ

 

id:mazmot

ブログ読んだ。ネックは皇位継承自由意志で選べないからってところっぽい

(なんかこの議論、究極のところ反出生主義に到達しそうだね。誰しも生まれることを選択してないのに生まれてきてしまった)

んで、この案では皇室に嫁ぐ女性けが唯一自由意志を発揮できるポイントなんで

そこに着目することで限界突破を試みてみた

[もう少し追記]

arajin

右翼DNAへのこだわりさえなければそうするんだけどなあ

death6coin

まあ国内向けなら。death6coinも被災したとき精子が励ましてくれたら心踊るようになると思うよ。日本人、慣れるから

doycuesalgoza

明仁徳仁文仁受精能力実証済みなんで行ける。これが卵子保存だと冷凍保存で能力が保たないので、男系保持の強みだと思う

ROYGB

科学がそこまで強い設定だったらクローン降霊術組み合わせて神武復活させるわ

REV

ゲノムだけ大事なくらい思い切れるなら別に精子採取しなくていいから、目と鼻洗った時に採取したDNA人間作れば手っ取り早いし日本書紀にも則してる

mouseion

安倍ちゃんってそれほど守旧派イメージなくて、バックを日本会議が支えてるからポーズとってるだけなんじゃないかとおもうんだけど。あの人が大事なのは信介じいちゃん名誉回復で。

aflat_1000dai4

まあでも正直ネタで言ってる。ごめんな。

hanyan0401

俺としては、成人が当人同士で望むのなら近親婚も多夫多妻もしていいと思うよ。

当人同士合意あるならね

同性婚認める立場人間ならここは同意見のはず

quick_past

ヒトは普通に冷凍保存して利用してるっぽいけど

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E5%AD%90%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF

2019-05-06

天皇男系に限る。なぜなら天皇は古来から男系相続している」派の根拠としている日本書紀

日本書紀には継体天皇女系って書いてあるけど無視なの?

2019-05-04

anond:20190504022548

武烈天皇には特殊能力こそないが、名前の通りの荒々しいエピソードが色々残っていて趣深い

Wikipediaからだが

なお、日本書紀は、武烈天皇の異常な行為を記している。その部分を以下に列挙する。

二年の秋九月に、孕婦の腹を割きて其の胎を観す。

三年の冬十月に、人の爪を解きて、芋を掘らしめたまう。

四年の夏四月に、人の頭髪を抜きて、梢に登らしめ、樹の本を切り倒し、昇れる者を落死すことを快としたまふ。

五年の夏六月に、人を塘の樋に伏せ入らしめ、外に流出づるを、三刃の矛を持ちて、刺殺すことを快としたまふ。

七年の春二月に、人を樹に昇らしめ、弓を以ちて射墜として咲いたまふ。

八年の春三月に、女をひたはだかにして、平板の上に坐ゑ、馬を牽きて前に就して遊牝せしむ。女の不浄を観るときに、湿へる者は殺し、湿はざる者は没めて官やつことし、此を以ちて楽としたまふ。

なお、これら天皇による悪逆非道記述は、『古事記』には一切見られない。

2019-04-08

anond:20190408134357

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90_(%E4%BA%BA%E5%90%8D)

日本書紀』の時代には、小野妹子蘇我馬子中臣鎌子鎌足)、阿部鳥子など、主に男性に子型の名が付いた。

平安時代初期、嵯峨天皇が、皇女への命名法を改めた。従来は乳母にちなんで名づけていたのを改め、佳字1字に「子」を付けた「○子」という子型の名を内親王に与えた。

2019-01-31

漢字正誤表

×古事紀 ○古事記

×日本書記 ○日本書紀

×三国史 ○三国

×史実鑑 ○資治通鑑

×出羽森 ×出羽神 ○出羽

×伊達正宗 ○伊達政宗

×石田光成 ○石田三成

×勃海 ○渤海

×遣随使 ○遣隋使

×臨床工学技師 ○臨床工学技士

×臨床検査技士 ○臨床検査技師

×脊椎反射 ○脊髄反射

2019-01-10

anond:20190110134005

みんな色々予想してるけど、新元号中国古典だけじゃなくて日本古典を出典とすることも検討するとかいニュースあったの忘れたのか

安倍のことだから古事記とか日本書紀を出典にしてそっちの層にアピールしかねないし、「安」が含まれててもおかしくない

2019-01-06

百田尚樹バカにするのはたやすい、しかし、

百田尚樹というブランド」を作り上げるのにかかった年月と、そのための努力、これは悔しいが素人では太刀打ちできないのだ、悔しいが

じつは俺は、歴史系の底辺ライターである

よく書店ではなくコンビニで売ってる、古代史や戦国時代に関する紙質の悪い雑学本の仕事をしている

その程度の本でも、Wikipedia最後の裏取り程度にしか使わず吉川弘文館だの中公公論社だの岩波書店だのから刊行されてる、それなりの実績がある大学教授が書いた専門書を参考に書いてる

だが、これは自己満足プライド問題しかない

実際、現代ではまともな歴史学者の資料に当たると「日本書紀のこの記述ウソ、当時の政治的作為がうんぬん」「平家物語のこの記述は~」「太平記のこの記述は~」という調子で、いわゆる面白そうな話はほとんど全否定になる

逆に、マニア的に「じつはそうだったのか!」的な面白さもあるのだが、これはある程度の前提を理解したマニアでないと通じにくい

通俗歴史本の執筆という点では、誇張抜きに、俺の方が百田尚樹より真面目に仕事してると本気で思ってる

しかし、それでは売れないのだ

あのくだらん日本国紀は、「百田尚樹というブランド」の勝利なのである

そして実際、無名歴史系の底辺ライターである俺は、『海賊と呼ばれた男』だの『永遠の0』ほどの小説は書けないし書いたこともない、負けなのは仕方ないと認める

が、たか書店ではなくよくコンビニで売ってる雑学本でも、俺はWikipediaに頼らず、一定の実績ある歴史学者が書いた文献を参考に書くことを辞める気はない

読者に正確な事実を伝えたいなんてご大層なことではない

単に職業人としてのプライド問題

2018-10-30

歴史をめぐって、この国は右傾化している。

学校教育における愛国教育などはその典型例であろう。

歴史教育というのは、愛国教育など関係なくともある意味思想押し付けという性格を持つ。

そこに愛国という思想を加えたのである

そんな中で、学問としての歴史学、特に日本史学邪魔であろう。

よく、右翼歴史家を左翼だと言う。学術的に考えられていることを、左翼歴史家が捏造したことだと言う。

マルクス主義史観時代でもないのになぜそんな事が言えるのか。

歴史家が左翼なのではなく(左派右派もいる)、

歴史学こそが右翼にとって左翼なのだ

左翼的でない歴史右翼が納得する歴史、極論を言えばそれは古事記日本書紀のように国が定めた正史だ。

愛国教育というのは、これに近い性格の物であると私は考えている。

最後になるが、私は元々歴史家を志していたが近年の歴史を巡る情勢の変化に嫌気がさし、未来がないと踏んで飛び出して来たものである

また、歴史家が左翼でなのではないと言っておきながら私は左翼自称している。

歴史をめぐる右傾化への反発のつもりである

2018-10-03

ウヨ歴史に興味がない

ここ10数年、右傾化ガーとか歴史修正主義ガーと言われて久しい。

ところがウヨが興味あるのは慰安婦とか南京とか戦前戦中の話だけで、それ以前はどうでも良いらしい。

過去10数年ぐらいに刊行されてる、吉川弘文館人物叢書だの、朝日選書だの講談社中央公論社だの各社の新書とかで、古代中世日本史の本を読むと、なぜウヨ激怒発狂しないのか謎でならない。

しろ古代史では『日本書紀』は大ウソだらけ、万世一系ではなく継体天皇の代からは新王朝可能性が濃厚、任那日本府は通説よりずっと規模が小さく「日本府」って名前も後世につくられた、「大化の改新」の中身はほとんど無し、厩戸王実在したけど聖徳太子の手柄の大部分は蘇我氏の業績、藤原氏中臣氏)を美化するための誇張が濃厚、壬申の乱記述天武天皇正当化する作為が濃厚――といった調子皇国史観絶対で「記紀の内容はすべて史実!」て言ってた戦前基準じゃ許されん話ではないか

神武天皇実在した」とかドヤ顔で語ってた自民党議員は怒らないのか?

中世史も、『平家物語』の名場面の大部分は創作源氏卑劣後醍醐天皇政治的無能だったか建武の新政は失敗、戦国時代には住民虐殺奴隷人身売買が通例……とかなんとか、そんな話がフツーに記されてる。

竹田恒泰とかの「日本伝統に詳しい人」と称する連中に言わせると、近代以前の日本には中国韓国のような野蛮で卑劣な話は一切なく、この世の悪はすべて戦後民主主義せいらしいが、全然そんなことはなかったと公然と書かれてる。

やれ「歴史戦」とか言う連中は、なんでこういうここ10数年の歴史学者の成果を「ブサヨ歴史捏造だ!」と言って怒らないのかw

ウヨ連中は本当に、明治期以降か下手すりゃ昭和戦前しか興味ねえんだろうな

専業主婦とか夫婦同姓が本気で日本伝統と思ってたり、小島毅が書いてたように「明治維新が起きたのは江戸時代儒教が広まったから」とか知らんで、本気で「中国韓国儒教国家だからシカラン」とかドヤ顔してる奴多いし

でもさ、ウヨって基本的に「昔は良かった史観」だろ? それがこんな近代以前にはまったく無知でいいのか

ま、あいつら「伝統興味ない」「天皇嫌い」が本音なんだろうけど

2018-05-29

anond:20180529134817

もともとは単に「1 条件に満足する=同意する・和解する」という意味だったのだろう。

日本書紀にもそう書いてある。

そこからの変化は、

「2 本来は満足すべきではないかもしれないが、自分は本当に満足している」(例・清貧に甘んじる)

「3 本来は満足すべきでないのに、満足してしまっている」(例・下位に甘んじる)

「4 本来は満足すべきではないが、やむをえず同意する」(例・薄給に甘んじる)

といったところだろうか。

「1」の用法消滅したが、「2」「3」「4」はそれぞれ今でも使われていると思う。

ちなみにいつごろから使われているのか。

以下の用例は14世紀成立の太平記が出典だが、

却て悲しむらくは、公のただ古人の糟粕を甘なつて、空しく一生を区々の中に誤る事を

(むしろ悲しむべきは、昔の人が残した言葉を知るだけで満足し、細かいことにこだわって人生を誤ることだ)

この「甘なつて=甘んじて」は「3」の用法であろう。

歴史の早い段階でネガティブ意味合いを含んでいたことが窺える。

さて、日大の回答については「2」の用法と思われる。

から「やむをえず受け入れるという意味ではない」という擁護は正しい。

ただし「厳しい批判本来は受け入れられないもの」と受け取られかねないとは思う。

違和感はむしろこちらにあるのだろう。

2018-05-19

教養ある日本人は何を引用すべきか

教養ある欧米人さらっと聖書ギリシアローマ古典、あるいは近代ならシェイクスピアだ、トルストイだ、ビクトルユゴーだと引用したりするけど、日本だとどうなんだろう?

古事記にもそう書いてある」という割には古事記から実際引用することなど見たことがない。

歴史書としても日本書紀、扶桑略記、大鏡やらかの引用も聞かない。文学としては、源氏物語や、平家物語とかもあるけどどうなんだろう?

故事成語がそれに近いかもだが、五十歩百歩は孟子、百聞は一見に如かずとか漢書の趙充国だなんて意識しないだろうし、李下に冠を正さずも君子行など聞いたこともないような人も使うだろう。

2018-01-16

anond:20180116001853

古事記日本書紀時代対象も内容も違うけど一緒くたにされがち、みたいなこと?

2017-07-11

https://anond.hatelabo.jp/20170711175620

まあ、何々と同じなんでしょ?って言ってる方はぶっちゃけジャンルの話をしてるんであって

その定義主語が大きいなら主語いくらデカかろうが

日本文学は全部日本書紀パクリでしょ?みたいなことを言われようがそこは否定しようがない事実から無言で頷く他よりない

(海は全ての生命の母でしょ?と言われてカチンとくる必要反論する必要もないように一言そうだねというだけで良いのと同じ)

(創作物は作られる前段階で他の創作物と全く被ってないのかチェックされる以上は何らかの過去作品の影響を必然的に受けるものである認識するべき)

作品にとって最も重要なのはビジネス的側面から言えば売上(利益率)であり何がルーツかはどうでもいい(勿論特許侵害に値しない範囲での活動に限る)

そして消費者サイドからしたら「どれが一番買いたいのか」でありこれまた何がルーツかどうかは極めてどうでもいい

仮にもしうる星と同じなんでしょ?(いつまでそんなもんみてんだバーカ)と言う意味で言ってきたとしても

それと深夜美少女アニメを見たいと思っているユーザー気持ちとは何ら関連性がない

ジャンルとしてルーツがそうであったところで購買者の購買欲の有無とそれとは何ら関係性がない

同じジャンルならどの歌手・曲も大好きなんてやつがまずいないのと同じようにジャンルが同じだからといって購買欲が上がるかどうかは人それぞれ

同じものから飽きる・同じものから続けられる、そこは個人レベル問題でありうる星ルーツかどうかは関係ない

なのでこの発言同意したところで購買欲を否定できるものではないし、購入動機消失するわけでもない

単にジャンルのことに対して問うているに過ぎない質問に正しい返答をすればよろしい

 

あー、ようするにタラちゃんのお母さんってサザエさんでしょ?って聞かれてるようなもんだと思えばヨロシ

2017-07-04

齢三十にしてDQNネームを思ふ

まだこの世にDQNネームやらキラキラネームやらの呼称ができる前、

古の昭和時代から、彼らは居た。

三十を超えた自分が生まれ育った地方都市でも

学年に数名レベルで彼らは存在していた。

小学校の時、毎日のように家に行って一緒に遊んだの子名前フルネームで思い出せない・・・

お母さんがバレエ先生で、それにちなんだ華美な名前を持っていた一軍女子のあの子名前は今でも漢字で書ける。

中学生の頃、お世話になった部活の先輩、後輩の名前は誰一人フルネームで思い出せない・・・

一度も話したことのない外国風名前を持つ生徒会長名前は憶えている、弟の名前まで漢字で書ける。

社会人になり、一緒に入社した同期の名前を今何人思い出せるだろう・・・

日本書紀に出てくる言葉から名前をもらったと快活に自己アピールをしていた同期の名前は、別の部署に配属され、その後会うことも無かったのに、はっきりと覚えている。

不思議なことに、仲の良かった友達の顔は忘れても

なぜかこれらの人々は名前と共に顔やパーソナリティもしっかりと記憶に刻まれている。

珍しい名前を持つとは、かようになんと業の深いことなのか。

おそらく二十年後の将来も自分は珍しい名前の彼らのことを記憶しているだろう。

より曖昧になって、たいして親しくもなかったのに同窓会で「よっ、久しぶり! 〇〇じゃん、元気だったぁ~?」みたいなに声をかけてしまうのかもしれない。

そして、彼らの周りにはそのような人間人生のいたるタイミングでうようよしているのだろう。

人の記憶から消えることができない、他社の人生の中でモブになり切れないというのは果たして幸せことなのだろうか?

2017-06-29

和をもって尊しとなす

はっきり言えば十七条憲法フィクションだ。聖徳太子が居たかどうかはイマイチ不明だ。聖徳太子というのは厩戸皇子が後に信仰対象となり聖徳太子と呼ばれるようになったわけだが、その厩戸皇子の業績があまりに凄すぎておかしいので、こんな奴はいないのではないか、全部潤色ではないかという疑惑が発生している。

その疑惑自体は白黒つけるのは難しいのだが、聖徳太子が制定したとされる十七条憲法は、明らかに当時の文章と違うので勝手文章を変えたかそもそも憲法自体でっち上げたかのどちらかになる。おそらくは憲法自体でっち上げであり、聖徳太子の業績も大半はでっち上げのはずだと考えられる。

そのフィクション憲法の中で一番日本人に影響を与えてきたのは「和をもって尊しとなす」の一文だろう。和は尊い。和を乱す者は醜い。日本水田維持管理するために村が共同で土地と水を管理する必要がある社会であり、村から排除されたら水田が維持できず生きられなかった。だからそもそも周りの意見に対して異を唱える事自体生殺与奪につながるほどリスキーだった。

それを一言で言い表したのが「和をもって尊しとなす」である。さすが聖徳太子フィクションとは言え本質をついている。日本書紀の作者には歴史を改変するに足る文才があった。その思想日本人の根幹に今も生き続け、あらゆる問題提起言論封殺し続けている。

2017-06-11

白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない」

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの筆者です。

id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。

  

なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。

山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。

618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジア大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。

東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本から遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度国際的文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。

朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。

これはひどい遣唐使派遣再開が何年だったかという記述がありません。

そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。

一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。

  

ちなみに、他の教科書では、遣唐使派遣再開についての説明が次のようになっています

7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」

東京書籍日本史B』(日B 004)

「また政府は、8世紀のはじめに遣唐使派遣して、669年以後とだえていた唐との国交を回復した。」

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

「日本は唐の文化積極的にとり入れようと意欲をもやし、ほぼ20年に1度くらいの割合で遣唐使派遣した。」

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)

白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島から渡来人新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」

桐原書店新日本史B』(日B 011)

律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物制度摂取につとめた。[中略]

こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

引用者注教科書のページを戻って「白村江の戦い国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]

この中では、桐原書店ダントツに優れていると思います

遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます

  

三省堂記述おもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています

大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代様相として語っているのがすごい。

  

東京書籍実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。

  

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代出来事と把握すると誤りになります)

  

  

  

東大入試でよくわかる遣唐使

東大入試2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています

次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまり大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。

  

設問:この時代の日本にとって、唐との関係新羅との関係もつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。

これの答えがピンポイントで載っている教科書があります

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですからいくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂のぞく。後述)

8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]

一方、日本の律令国家内では天皇皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。

白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人仲介したものが多いと考えられる。[後略]

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)

以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。

  

(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。

(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。

(3)は、日本と新羅関係悪化について述べています新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。

(4)は、日本と新羅政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。

  

教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試対応するためだけではありません。

例えば『詳説日本史』には、最初引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。

  

ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまます

もしくは、これは2003年入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史シリーズ2000年2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズから引用しておきましょう。

国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正天皇諸蕃』)

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。

実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである

[中略]

このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しか東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。

  

網野善彦日本の歴史00巻 日本とは何か』

日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。

いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。

こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。

  

私がこのエントリ題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者国内国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います

それに、このことは現代外交問題についても、重要示唆を与えてくれます。例えば政府国内に向けて愛国心ナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調アピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。

あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。

  

  

  

教科書の読み比べ

遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

遣唐使船はふつう「よつのふね」とよばれ、1隻に100人まりが乗りくみ、多い時で約500人の大使節団であった。

悪くはないですが、遣唐使について普通説明があるだけです。

おもしろい特色がありません。

無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。

華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚イベントになったと推測できますもっとも、沈没行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

  

……って、今回はここで文字数制限なのか。

引用をしていると、あっというまに文字数が膨らみますね!

つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459

2017-04-15

神武天皇は水増しされた日本書紀の中の架空人物だと言えば分かるかな

2017-02-22

めっちゃかい床屋

髪を切ってもらっている時、ふいに建国記念の日って何でこの日なんだか知ってます?」と聞かれた。

そう言われてみれば知らないなあと思いつつ、日本政府ができた時かなと思い「明治維新の頃ですかね」と適当に答えた。

「え?じゃあ江戸時代までは日本って呼ばれていなかったんですか?」と更に聞き返されて、「そうかもしれませんね。」と適当な相槌をうってしまった。

それで帰ってきてから謎のままじゃすっきりしないと調べてみたら、全然違いました。

というか、日本書紀とか江戸より以前でも普通に日本が使われていることを思い出してめちゃくちゃ恥ずかしくなった。

床屋無知のせいで周りの客にバカだ思われだねーか。

さらに畳み掛けるように、「みどりの日って何の日ですか?」とか聞かれてそれなら知ってると思い「昭和天皇誕生日を、長いこと祝日だったか平成になっても祝日のまま残した日ですよね」と答えたら、今度は「え?じゃあ昭和の日って何ですか?」とか聞いてこられて「そんな日ありましたっけ?え?あれ?」しどろもどろになってしまった。

「え?」じゃねぇよ。自分で調べろよ。というか髪切ってもらってる間じゃスマホも取り出せねーよ。

おかげで今年のGWはこの事ばかり思い出して憂鬱休みになること間違い無しじゃねえか。

バカからの貰い事故とかツラみ感ぱない。

2016-12-05

保育園落ちた日本書紀

古、天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、保育園落。

2016-05-30

韓国への蔑視について

日本人: 日本書紀に「391年に神宮皇后百済新羅征服したと書いてある。」

韓国人: 捏造だ。

 

日本人: 三国史記新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。新羅は何回も王子人質差し出している。百済武寧王人質の子として日本で生まれた。

韓国人: 捏造だ。

 

中国人: 満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済新羅臣下にしたと書いてある。

韓国人: 捏造だ。

 

中国人: 中国の歴史書の宋書にも倭国朝鮮半島南部支配した記録がある。

韓国人: 捏造だ。

 

中国人: 中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。

韓国人: 捏造だ。

 

中国人: 中国の歴史書の随書にも倭国産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済新羅倭国大国として敬ったと書いてある。

韓国人: 捏造だ。

 

日本人: 日本中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?

韓国人: そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。

 

中国人: 中国の歴史書まで捏造か?

韓国人: そうだ。歴史書が本物だとしても,日本という名前は7世紀まで無かった。倭と日本は違う。

日本人: 三国史記に「670年の十二月に、倭国国号日本改名した。日の出る所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?

韓国人: 捏造だ!

 

中国人: 中国政府外交部ホームページwww.fmprc.gov.cn)で「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本支配朝鮮半島南部にまで拡大した。」と公式に認めている。

韓国人: 中国人捏造だ!!

 

日本人: イギリスオックスフォード大学出版社www.oup.com/ca)の教科書が、「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」 書いている。それを世界50か国の学校に発行している。

韓国人: オックスフォード大学捏造だ!!

 

日本人: アメリカコロンビア大学アメリカ議会図書館が「5世紀の朝鮮半島南部日本大和政権支配下にあった。」と記載している。

韓国人: 世界中朝鮮半島捏造している!!

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