個人的にはどうしても「しかたない」感、「ちっ、うっせーな」感が出てるように読めるんだけど、本当に「快く受け入れる」という意味でいいの? 辞書に「本来は」って書いてあるのは、今ではそういう用法が稀だからでしょう? なんで現在ほぼ通用していない用法で謝罪文を書くのか意味がわからないんだけど。ちなみに明鏡国語辞典では「与えられたものが不十分であってもそのまま受け入れる。特に、しかたのないものとして受け入れる。」とあるけど、これは間違ってるってこと?
あと、辞書の定義が絶対だと思い込んでるのはやばい。言葉の意味というのは辞書の定義とは違う。こんなのは言語学の基本中の基本なんだけど。
それに本来的な意味を論じるのになんで現代の国語辞典を例示してるんだろう。謎すぎる。
というか今度は「しかたない」「やむをえない」の意味がわからなくなってきた。「本当はそうしたくないのだけど、そうせざるを得ない」感を感じてしまう。自分が間違ってるのか? はてなブロガーがなんか言ってたけど。よくわからんなー。
イヤイヤ、仕方無く、とは思わないが、妥協してる、譲っている、という意味はあるだろう 日大も言いたいことはあるが、これ以上反論はせずに、批判を受け入れる と
辞書が絶対と思ってる奴と 自分の感覚が絶対と思ってる奴 どっちがやばいんでしょうねえ
辞書VS感覚という話にはなっていない
「そのまま受け入れる」ってのが一番根っこなんじゃないだろうか。動詞の主語の態度については規定されていないから、文脈によってネガティブにもポジティブにも取れるんだと思う ...
もともとは単に「1 条件に満足する=同意する・和解する」という意味だったのだろう。日本書紀にもそう書いてある。 そこからの変化は、 「2 本来は満足すべきではないかもしれない...