はっきり言えば十七条の憲法はフィクションだ。聖徳太子が居たかどうかはイマイチ不明だ。聖徳太子というのは厩戸皇子が後に信仰の対象となり聖徳太子と呼ばれるようになったわけだが、その厩戸皇子の業績があまりに凄すぎておかしいので、こんな奴はいないのではないか、全部潤色ではないかという疑惑が発生している。
その疑惑自体は白黒つけるのは難しいのだが、聖徳太子が制定したとされる十七条の憲法は、明らかに当時の文章と違うので勝手に文章を変えたか、そもそも憲法自体をでっち上げたかのどちらかになる。おそらくは憲法自体でっち上げであり、聖徳太子の業績も大半はでっち上げのはずだと考えられる。
そのフィクションの憲法の中で一番日本人に影響を与えてきたのは「和をもって尊しとなす」の一文だろう。和は尊い。和を乱す者は醜い。日本は水田を維持管理するために村が共同で土地と水を管理する必要がある社会であり、村から排除されたら水田が維持できず生きられなかった。だから、そもそも周りの意見に対して異を唱える事自体が生殺与奪につながるほどリスキーだった。
それを一言で言い表したのが「和をもって尊しとなす」である。さすが聖徳太子。フィクションとは言え本質をついている。日本書紀の作者には歴史を改変するに足る文才があった。その思想は日本人の根幹に今も生き続け、あらゆる問題提起的言論を封殺し続けている。
中学時代毎日もっこりタイツを履いてくるのが印象的だった、 存在がセクハラの社会科担当の日教組先生もそうだったのだが、 何故かそれを語る時凄く嬉しそうなんだよね。その時点で...
こういう輩って、サヨクの先輩に聞かされたことを丸々コピーして書いてるだけだから 何か言われると思考停止するぐらい馬鹿で反論できねんだよな