はてなキーワード: 日本人らしさとは
「ミス日本」は「日本人らしい美しさ」を競うコンテストだから、白人の見た目をしたあのウクライナ人が優勝するのは良いのかどうか
その答えは「良いに決まっている」である
白人のような白い肌に憧れて化粧をしたり、
アニメや漫画に出てくるキャラクターも白人のような見た目ばかりだ
白人とのハーフは美人だと羨ましがられることが多く、ハーフの子供を作るために外国人と付き合おうとする「外人ハンター」なる女性も多い(ただしアジア人やブラジル人とのハーフは見向きもされない)
皮肉なことに、「日本人にとっての美しさ」とは、「日本人らしさを捨てる」ことなのである
だから、ミス日本コンテストにおいて全く日本人らしくない白人女性が優勝したことは、極めて「日本人らしい」事象なのだ
さらに言えば、彼女は医者と不倫をしていたわけで、日本に蔓延する不倫文化にまで馴染んでいる
まさにこれ以上ないくらい彼女は「日本人らしさ」を体現している存在だと言えよう
ミス日本でカロリーナさんが優勝したことは、何も間違っていない
それどころか、これ以上ないくらいに相応しい人選だったと言える
攻殻機動隊の少佐をスカーレット・ヨハンソンが演じたときの事。
海外では「日本人の役は日本人にやらせるべきだ」って批判が出た。
非白人のキャラを白人化する——…ホワイトウォッシュという差別の一形態とのこと。
全身サイボーグの草薙素子少佐の見た目が日本人的かどうかなんて考えたことない。
今でも、そんな事はどうでもいいとしか思えない。
アニメや漫画をばかり見てきたせいか、日本人らしい見た目と白人の差が、そもそも分からんのよ。
皆さんは例えばポケモントレーナーの中からアジア系をピックアップしろ、と言われて出来ますか。
俺には無理です。
線引き出来ない曖昧な「らしさ」を頑なに守る必要がありますか?
マジョリティの画一的な美的基準の侵食からマイノリティを守るのが反差別とかいうけどさ。
別に混じっちゃってもいいじゃない。消えてしまって、何か問題があるのか。
俺には、不必要に空中に境界線を引いて、その架空のラインを実在の人の心の傷つきよりも優先して守る事の方が、よほど差別的に思えるよ。
外資を渡り歩いて10年以上になるが、日本人男性がマジョリティではない環境では日本人男性ってわりと差別されがちな属性だと感じる
「日本人男性=性差別主義者のおじさん」みたいな偏見があり、(まあ誤解されがちな言動もある)、日本人女性に比べて、ハブられやすいというか。
悪気はないんだろうけどウッカリ外国人女性にどうでもいい雑用を頼んでしまい、あいつは差別してる!て訴えられたり、逆にすぐに無駄なことでペコペコ謝って混乱を巻き起こしたり、悪気はないんだろうけどすぐクビになったり訴訟沙汰になったりする日本人男性をよく見る。
日本企業でチマチマ生きていくんじゃなければ、日本人男性じゃなくてほんとよかったなと思う。
もちろん日本人男性でも普通に馴染んで活躍している人もいるが、フェミニンか、逆に日本人らしさが全然ない人。交渉力の鬼みたいなカリスマタイプとか。
あとまあ自分がいるのは研究職でも技術職でもなく、外交やパーティーや交渉というか政治力で仕事を回していく業界なので純粋に技術者とかだと人間関係がうまくなくても成功するかもしれない。
きっかけは母親が「空気を読む脳」を買ってきたことだった。以前からこの人の主張はおかしいと思っていて耐えられなくなりこの人の他の本も読み、言動についても調べた
酷い。矛盾だらけ、エビデンスにならない動物実験ソース、人を見た目で判断することは科学的に正しいという主張、本人の言っていることとも矛盾した倫理観。
彼女がいつも言う「日本人はセロトニントランスポーターが少ないから不安に駆られやすい」という理論、まずこれが怪しい。SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)について知っている人なら奇妙に感じるだろう。この薬は、セロトニントランスポーターの機能をあえて弱めることでシナプス中のセロトニン濃度を増やし不安を和らげる薬だとされている。つまり、彼女の理論とSSRIの作用機序についての理論は正反対なのだ。モノアミン仮説にもやや怪しい部分はあるが、正反対の解釈というのは流石におかしい。神経科学の専門家はどう思っているのだろうか。
「空気を読む脳」で日本人はサイコパシーの傾向が強い人が「どちらかといえば」少ないから内側前頭前皮質が発達していて倫理や美醜の観念に厳しくそれが変わりやすいのだと書いていた。当たり前だがサイコパスの人の数を正確に見積もるのは難しいのであってそういった数字は単なる誤差か診断基準の違いによるものである可能性の方がずっと高い。仮にサイコパスの人が少なかったとしても内側前頭前皮質が発達している人が多いことを意味するわけではない。サイコパスとは行動や心理をもってそう判断されるものであって実際に内側前頭前皮質の機能が弱いとは限らない。内側前頭前皮質の機能が強い人も弱い人も共に少ないということもあり得る。
ついでに「不倫」では日本人は保守的で変化を好まない民族だとも言っていた。それなのに倫理観が変わりやすいらしい。数年前には問題でなかったことが問題になるのは日本に限ったことではないし「日本人の脳」に原因を求めるのは無理がある。
「戦国武将の精神分析」では汚い手も使って勝った徳川家康が今でも日本人の理想のモデルとして存在しているとも宣っていた。日本人は美しい敗者を好むのではなかったのだろうか。美醜の観念が変わりやすいのではなかったか。
美醜の観念が変わりやすいのに何百年にも渡って義経のような「美しい敗者」が理想化されているらしい。
「不倫」でもこういった飛躍がある。たかだか寝かしつけの習慣があるからといって日本人はオキシトシン受容体が多いのだということにしていた。もちろん実際に日本人の脳を調べたわけではなし。スキンシップの総量が他の国と比べて多いか少ないかわからないのである。オキシトシンの多い人は不倫傾向が弱いとも書いていたが、日本人は不倫が多いという同著での主張とも矛盾する。(よくよく見ると厳密には比較不能な国際調査と国内調査を比較していたが)
更に、セロトニン神経細胞にはオキシトシン受容体が存在し、オキシトシンが増えるとセロトニンが増えるという事実は「日本人はセロトニンが少なく、オキシトシンが多い」というモデルとも上手くかみ合わない。彼女もこの矛盾に気付いているのか、週刊新潮 2020年12月17日号での佐藤優との対談でまだ発見されていない要因があるのかもしれないと言っていた。
更に中国や韓国の「反日」まで「セロトニンが少なく、オキシトシンに頼りがちな遺伝的特質」のせいにしているのには呆れを通り越して笑ってしまった。歴史上何度も革命を起こしている中国人もまた、保守的でリスクを好まない形質の持ち主らしい。
「サイコパス」でフロイトはトンデモだという声もあるほどだなどと書いていたが、リビドーや無意識という概念の代わりにセロトニンやオキシトシンや脳部位が万能の説明法として君臨するようになっただけで間違い方に大して違いはない。
この記事でも指摘されているように、彼女は不要な場合でもひたすら専門用語を使って話す。https://anond.hatelabo.jp/20150908145246そういう言葉を用いれば多くの人間は科学っぽく感じてしまうことをわかっているのだろう。
人間でもそうだという根拠にならない動物実験をたびたび引用して人間の話に繋げる。キツネ、マウス、プレーリーハタネズミ、サバクトビバッタと…
「脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克」(嫌な部分が剥き出しで、是非お勧めしたい本だ!)で人間に何世代も飼いならされたキツネは容姿が変わってくることを挙げて人を見た目で判断するのは科学的に正しいのだという主張に持っていっていた。少し脱線するが「空気を読む脳」でもたかだか0.126の相関で「容姿と知能に関係がないとは言い切れない」などと書いていた。それだけの数値なら関係ないかあったとしてもごくわずかな関係しかないというべきだろう。
「戦国武将の精神分析」でマウスを取り上げて人間でテレゴニーが起こらないと証明されきったわけではないなどと立証責任を押し付けた。確かに人間にもマイクロキメリズムはあるがそれはテレゴニーとは違うものだ。それにしても不倫バッシングを批判する中野がヒト・テレゴニー説に対して好意的なのは面白い。
「不倫」でプレーリーハタネズミのAVPR1a遺伝子を操作すると生殖行動が変わり、AVPR1a遺伝子が人間とボノボで「ほぼ」同じだからといって人間も本来ボノボのように乱婚的だと示唆した。
そのわずかな違いが重要な違いである可能性はあるしAVPR1a遺伝子も実際は空間記憶能力に関わる遺伝子で空気記憶能力の高いプレーリーハタネズミは行動範囲が狭く単婚的になるというのが実際のようである。https://www.eurekalert.org/pub_releases_ml/2015-12/aaft-_4120715.php中野はかなり単純化・歪曲して解釈している。
「空気を読む脳」で書いていたサバクトビバッタに至ってはなんとセロトニンが多いバッタが集団志向になるのだそうだ。同著での主張とは真逆だ。
文藝春秋4月特別号の「脳科学者が小室圭を「分析」する 世間の常識はなぜあの母子には通じないのか」でゴールドウォーター・ルールに触れておきながら小池百合子やドナルド・トランプがサイコパスだなどと言っている。精神科医ですらない人間が直接の診察もなしであの人はサイコパスだなんだと言っているのである。
「ペルソナ」でセクハラを告発していたが、「脳・戦争・ナショナリズム」では以前なら当たり前だったことも「セクハラ」「パワハラ」にされてしまうなどと言い、今日かわいいねと言ったら今まではかわいくなかったってことだと思って泣いた子供を批判的に取り上げて世の中が過敏だというニュアンスを込めて論じていた。以前とは考えが変わったという見方もできようが最近でも「昔は乱婚だった、現在の倫理を相対化すべきだ」という主張を繰り返している。当たり前だがある倫理が新しいことはそれを否定する根拠にはならない。私は乱婚社会を悪だとは思わないが。
「ペルソナ」の話に戻ると、親と子の関係に他人が口を挟むなとも書いていた。虐待の温床となる態度である。旧式の価値観に従っていい子でいるくらいなら~などと宣っているが、旧式の価値観にしがみついているのは彼女自身である。
そして最後に「不倫」で書いていた、不倫は遺伝子によって決定されているのだからそれを断罪することは差別や優生学に繋がるという主張について批判しておこう。
別に不倫遺伝子とはあれば絶対に不倫するという因果律を支配する魔法のようなものではない。ある人はない人に比べてその確率が高くなるといった程度のものなのだ。もし殺人やレイプのような重犯罪についてもそのような遺伝子があれば殺人やレイプも断罪してはいけないことになってしまうだろう。不倫バッシングも遺伝子のせいだとすれば不倫バッシングを差別だ優生学だと断罪することもまた差別ということになり自己論駁に陥る。「あなたの脳のしつけ方」では後天的に脳を変えることもできるのだと書いていた。この頃はまだまともな内容を書いていた。
思うに、彼女の本がベストセラーになるのはこういった免罪的側面のせいなのだろう。そういった遺伝決定論に従えば不道徳な行動も遺伝のせいになり免罪される。世の理不尽なことも「脳や遺伝子のせい」とわかった気になれる。
橘玲の本のレビューにも「遺伝によって決まっているのだから学生時代あんなに頑張ることはなかった」とか「子育てするお母さんに読ませたい」というものを見た。遺伝率とは集団規模での決定係数のことであって個人のレベルでは親のIQから予想された数値より高かったり低かったりして当たり前でどのくらい予想された数値と違うかも個人によるのだが。
この記事におかしなところがあったら、具体的な反論をしてほしい。私も流石に脳や遺伝子についてそこまで詳しいわけではない。中野の本を読み、関連する内容を調べた程度なのだ。それでもこれだけ矛盾が見つかる。
追記:2021/5/8
https://next49.hatenadiary.jp/entry/20161220/1482228666
“2000年の論文で「この損害回避とセロトニントランスポーターのプロモーター領域の遺伝子多型との関連を支持する研究と支持しない研究が存在し,今後さらなる検討が必要である」とあり、2009年のメタ分析の論文で少なくともフィンランド人のサンプルにて不安遺伝子を持っているかどうかと損害回避性(harm avoidance)と神経症的傾向を持っているかどうか調べたところ関係があるという証拠はないという結果がでているのだから、セロトニントランスポーター遺伝子が少ないから損害回避的にふるまう傾向があり、そのため、「上位の人間に対して勇気を持って行動できる性質」が日本人にないというのは適切でない主張。”
https://www.ncnp.go.jp/nimh/pdf/kenkyu59.pdf
“さらに、この S/L 多型は、PET により測定される脳内 5-HTT 結合に影響しないこと、前述したように、5-HTTLPR の多型は S 型と L 型の 2 つではなく、14 種類のアリルからなり、それぞれの機能の異なる複雑な多型であることからS 型、L型の2分法での研究自体に疑問が生じているのが現状である ”
https://neurophys11.hatenablog.com/entry/2016/03/01/223747
”ざっとこんな趣旨の記事だが、先に書いたようにそんな気質そのものがたった1つの遺伝子で決まるものでは無いんである。このセロトニントランスポーターが気質を決めるというのは実は結構な前から沢山の論文が発表され、ある程度そう言える部分はありそうなのだが、それでもその決まる程度は極僅かで、決して「日本人気質」を作ってなどいない。
こういった「1つの遺伝子が性格を決めている」系の話は、すべて科学漫談として楽しんでおけばいい。特にセロトニントランスポーターが気質を決めるという話は良く出てくるが、そんなにすごい力コレだけにはないですよ。”
https://www.amed.go.jp/news/release_20160128.html
”SNPの品質管理などから、最終的に1088名について解析を行いました。その結果、BMP2遺伝子近傍のSNPとストレスフルライフイベントの相互作用が、統計学的に有意にうつ状態と関連することを見出しました(図2、図3)。そして、抗うつ薬の作用点であるセロトニントランスポーターなど、古くから知られる候補遺伝子には、有意な関連は認められませんでした。”
どうやらセロトニントランスポーターが「日本人らしさ」を決めているというのがトンデモだというのはまともな研究者ならすぐわかる話のようだ。中野信子はあまりにも本を流行らせ過ぎた。研究者はもっと積極的に反論するべきだろう。
そりゃ仕事やなんや、英語が便利なのは確かだろう。が、日本語には日本語にしかないものがある。と、思っている。
例えば、虫の声。
虫の出す音を「声」と感じるのは、日本人とポリネシア人だったかな、だけらしい。
日本人とポリネシア人は、虫の鳴き声を言語を司る左脳で聴き、西欧人は右脳で聴いているのだとか。
このため日本人は、虫の出す音を「声」と感じ、そこに様々な情緒を感じとる。しかし西欧人にとっては虫の出す音は「音」であり、うるさいと感じたりもする、と。
他にも、雨音や、川を流れる水の音。風の音なんかも同じだとか。
で、こういう違いがあらわれる原因はなにかというと、どうやら日本語にあるらしい。
日本語・ポリネシア語を母語とし、幼少の頃から触れているかどうか。それによって、こういう違いがあらわれるのだとか。
日本人じゃなくても、日本語を母語として育てば、同じく「声」と感じるようになるらしいです。
こういう様々なものに情緒を感じる力と、制約が少なく柔軟な日本語の特徴とが相まって、日本語には擬音・オノマトペが多く、多彩です。曖昧なものを曖昧なまま伝え、共有する力に長けています。これは日本人の「和」という言葉に象徴される、共感能力や協調性の高さへも影響しているでしょう。
他にも、日本語は制約が少なく柔軟という特徴をもっています。そういった特徴は、新しい言葉を作り出す能力の高さに繋がっています。
ノーベル賞を受賞した益川教授は、英語が苦手で、ノーベル賞受賞のスピーチにのぞんだ折り、日本語でスピーチをしました。
これに世界は大変驚いたらしいです。何に驚いたかというと、英語が出来ないということではありません。もちろんそれもあるでしょうけれど、もっと驚きだったのは、英語が苦手なのに、ノーベル賞を取れるほどの学を積めたことに対して驚いていたのです。
大学レベルの学問まで、ほぼ単一の単語で学ぶことができるのは、英語と日本語くらいじゃないでしょうか。(他にもあった場合はすみません)
これはなぜかというと、日本人が、全て日本語にしてきたからです。言い換えると、新しい単語を作りまくったからです。
そういうことができた理由は、日本語がとても柔軟な言語だったからに他ありません。
柔軟で、情緒溢れる言語は創作を生み、独特の感性を形作ります。それらが日本人の「日本人らしさ」に与えてる影響はとても大きいでしょう。
母語を英語にする。そりゃそれの方が楽なこともあるでしょう。けれど、古来より紡がれてきた「日本人らしさ」を、徐々に薄めてしまうかもしれない可能性を考えたら、いらないなと思うし、なによりこんなに素敵な言語を捨ててしまおうと思える気がしれないなぁと。
わたしはそう思うなぁ。
正直、大坂選手って完全に日本人というよりアメリカ人ないし黒人のコンテクスト(少なくともそれを売りにしていて)、それに対して日本人らしさ、同集団であるという意識を感じない人が一定数いるのが理解できないんだろうか。
スポーツにおいて同じ集団であるというのはとても大切で、だからこそオリンピックや国際大会は盛り上がる訳。ある種のナショナリズムに非常に近いものによってスポーツは担保されてる。
ここでいうナショナリズム、同集団意識が単なる国籍ではない事は、ラグビーの国際大会の盛り上がりを見ても明らかだし一々言わない。
一方でこの手のナショナリズム的な部分は小さな問題になる事は割とある。
それが顕著なのが日本野球で「敵チームの間は散々叩いてたのに、移籍によって味方チームに移ると態度をコロっと変えるのはどうなの?」みたいな問いかけは毎シーズンされてる。
これはスポーツのナショナリズムが持つ悪い面だと思ってるけど、上記の発言はそれも含まれていて二重にタチが悪いなと思う。
1.「日本向けにローカライズされたキャラクターでは無く、同質意識が持てない」という(言ってしまえば個人の)問題
2.にも関わらず、「同じ日本国籍である」というナショナリズムの押し付けの問題
の2点でクソだよね。特に後者はなんで燃えないのか謎なんだけど、それを問題と思う左派は少ないらしい。(左派のナショナリズム化は度々指摘されてるから仕方ないけど)
髪の毛や肌の色がカラフルでもなろうファンタジー世界でも、明確に人種を意識してキャラクターを作らなければ日本人が作ったキャラクターは日本人的になる。
イタリアの物語ということでキャラクターの顔立ち・体型・体質・ファッションなどを含めた外見、性格・思想・価値観・教養・経験などの人間性をイタリア人らしく作れば、日本人らしさから脱却できるだろう。そうでなければ作者の人種を超えることは難しい。特に日本人は日常生活で人種の違いを意識する機会が少ない。
キャラがあまりに日本人の美的センスとかけ離れると日本で人気を得られないかというと、そんなことはないと思う。だって外国の映画やドラマは人気でしょ?
和ヲタがブヒるなら日本人っぽい美少女がいいのかもしれないけどね。ブヒる用の美少女はこれはこれで現実の日本人の少女とも違う何かのような気がするが。こんなやつはおらへんやろう的な。
ご飯論法とは新語・流行語大賞にもノミネートされた用語で割とみなさんも知ってるものだと思う。
議論における言い逃れや論点のすり替えを表す言葉。たとえば、「朝ご飯は食べたか」という質問の「ご飯」を故意に狭い意味にとらえ、「ご飯(米)は食べていない(が、パンは食べたかもしれない)」と答えるといった具合である。2018年、法政大学教授の上西充子がTwitterに投稿したことから広まり、主に国会質疑で政権側が野党の追及をかわすために論点をずらしたり、ごまかそうとするのを揶揄する表現として使われた。同年、『「現代用語の基礎知識」選 2018ユーキャン新語・流行語大賞』のトップ10に選出された。
ご飯論法とはつまり、ことばを勝手に厳密に定義して、そこに当てはまらないものを切り捨てて、議論の俎上からごっそり引き抜いて終わらせるやり方ということだ。
一方で、最近の(特に先鋭化した)ツイフェミやアベ政権批判派の人たち(だけではなく、反フェミやネトウヨにもしばし見られるが、観測上はこういった人たちに多い)にもう一つのご飯論法(仮にアンチご飯論法)があるように思える。
B:食べました。
A:何を食べましたか
B:僕はパンを食べたけれど、朝食べるのがご飯とみそ汁じゃないといけないなんてのは日本人らしさの押し付けだよね、そもそもご飯よりもパンのほうが準備に時間もかからないし、洗い物の手間もかからない。ご飯だといちいちおかずやみそ汁を用意しないといけないけど、パンならトーストにチーズとハムをのっけて焼けばいいだけ。ジュースもあれば、栄養はほぼOKだ。なんで日本人はいつまでも白米にしばられているんだろう。それが日本の悪いところだと思うんだよ、そう思わない? ね、そう思うでしょ。みんなー。
A:( ゚д゚)ポカーン えっ、私はまあ、ご飯のほうが腹持ちがいいから、好きなんだけどさ…
B:だいたい、朝から腹持ちがいいものを食べたら、眠くなって朝の会議や朝礼に間に合わなくならない?そんなことやってるから、日本人の生産性はいつまでも上がらないで、欧米どころかアジア圏からも取り残されるんだよ、そうやって日本はもうだめになっていく。だいたい、そういう日本が素晴らしいなんてのを声高に言うやつら、僕は信用しないね。ああ、だから今の政権はダメなんだ、良識ある人間はいつもびくびくくらさないといけない。まったく、お前もそんなやつだったのか。残念だよ。
A:( ゚д゚)ポカーン うーん、ご飯派とパン派、どっちでもいいと思うし、私は特に眠くなる体質じゃないからご飯でも大丈夫なんだけどね。つまり、君はパンのほうがいいと思うんだね。
B:誰もパンじゃないといけないとは思っていない、でも、ご飯よりも優れているものがいっぱいあるってことを知ってほしいんだ、それをみんなが知らないのはあまりにも世の中腐ってる。そんな日本はダメなんだ。
A:( ゚д゚)ポカーン おっおおう。わかったよ。じゃあ、私会議に行くね…
元のご飯論法が文脈を厳密に狭めることで議論をストップさせるのに対し、このアンチご飯論法は
・相手が純粋な感想を述べると、それも全部つぶしながら、持論につなげようとする。
・論点を整理しようとすると、その整理すら間違っているといって、勝手に新たな論点を作り出す。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190117/k10011780351000.html
なんか近年は男に生まれてとことん損した気分。女性を消費したり抑圧したりする文化と殆ど直接的に関わりなく生きてきたくそ雑魚陰キャなめくじなのに性別男であるが為にDQN男性文化の連帯責任をとらされてる気分だ。
こんなコメントが星を集めている。
発信した人を攻撃したいわけではないから名前はのせないし、見つめるべきは沢山の星がついている事実だ。
まさかこんなことでこの気持をみんなにわかってもらえるなんて思わなかったよ。
自分は何もしていない、むしろ品行方正に生きているのに、突然大多数の人間から敵意を向けられる恐怖や嫌悪感が少しはわかってもらえたかな。
助けてほしいと叫びたくても、その叫びすら自らの命を脅かすかもしれない怖さを。
「男らしさ」からの解放は、男のためになる。人から強要されるものじゃない。「女らしさ」と同様に。男女みんなクソみたいな呪縛から自由になって、他者とのよりよい関係を模索しようっつーメッセージちゃうの?
そうそう。
おなじく日本人らしさからの解放もそうだと思うのだけど、そのことに気づけた人はいる?
男性は、粗野粗暴に見えるよう振舞うことを社会に強いられている一面がある。粗野粗暴を男らしさとはき違えさせるクリシェは、荒っぽいことを好まない男性の肩身を狭くして生きづらくさせる
そう。大半の在日韓国人もそのことに気づいている。
だけど一部の在日韓国人らしく生き無くてはならないと思い込んでいる人間のせいで、全体がそのイメージだと思われてしまう。
まさに一部の粗野粗暴な男性のせいで被害を被っている状況と一緒だ。
うれしいね。こんなに理解あるコメントがこんなにも星を集めてくれていて。
ここまで例を挙げても、この問題の根本が同じではないと思っている人間は重篤だ。
だけど、それが大半であることが事実で、だから世界から差別なんてものはなくならない。
それがたまたま自分に向かってきたときに、人は「自分は何もしていない」と泣き言を言う。
違う。
何もしていなかったからそうなったんだ。
世の中だって突然そうなったわけではない。
少しずつ傾いていって、今に至ったに過ぎない。
どうするの?それでもまだ何もせずに「自分は何もしていない」と言い続けるつもり?