はてなキーワード: 救急車とは
後日追記
もう終わったことだし、ほかのコメント者も指摘してたけど、私は府中市の職員でした。
場所の名前書いてたから、知ってるからするとモロわかりだけど、退職して数年経ってるのでもういいやと思いました。
こんなことがあって悔しかったけど、今ではもう普通に工場勤めの人として、まあまあ幸せにやっています。
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タイトルどおりだ。あの事件から5年以上が経った。心の傷も癒えてきた。そろそろ増田で語ってもいいだろう。予防線で悪いが、あまり長文を投稿することはない。読みにくい箇所はテキトーに読み流してほしい。
悪いけど、思い出したくないことだから、わりと書き殴らせてもらう。推敲はほぼしない。
花見シーズンの日曜日だった。当時は地元の市役所に勤めてて、労働組合主催の新人歓迎会だったんだが、皆でレジャーを楽しんでいた。組合のお金で遊びに行けることもあって、幹事連中は食料品やお酒をガッツリ買い込んでた。
標高でいえば1kmはあるだろうか、そんな高い山にテニスコートとかサッカー場がある公共施設があって、そこのテニスコート(クレイコートだった)でみんなでテニスをしたり、森林公園を散歩して遊んでたよ。羽高湖だったかな。懐かしい。
メンバーは、比較的若手の職員が20人ほどだった。そこまで詳しく覚えてない。昔のことだしな。で、昼が近づいてきて、さあ湖に行ってバーベキューだ、という時になった。当方はテニスを満喫して気分が高まっていた。といってもスポーツやるようなタイプじゃないし、なんなら今風の言葉でいうとチー牛とか言われるタイプの人間になる。
すでに誰かが管理棟からバーベキューセットを借りてきてるのが遠目に見えて、テニスコートの前面道路を横断しつつあった。それで、さぁメシの準備だというところで、テニスのボールが自分のすぐ目の前に飛んできて、右を向くと同期の女がラケットを振ったと思ったら、その子がしゃがみ込んで、胸を押さえて、そのままクレイコートに倒れ込んだ。
自分は捉え切れてなかったんだが、テニスのボールが胸のあたりに命中したのだ。当たり所が悪くて、こんなことになってしまった。
当時二十代だった自分は、大慌てで声を出して、その同期の子に駆け寄った。ほかの集まりの参加者は遠目から見てる感じで、何人かがこっちに小走りできていた。
自分はすぐに、見様見真似で心臓マッサージを始めた。焦っていたので呼吸の確認はしてない。マッサージは、その子のTシャツと厚手のトレーナーの上からだったが、何とかなるだろうと思っていた。近づいてきた人の中にひとりだけ40代ほどの女性がいたから、「代わってくれ」と言ったけど、首を横に振ってるような、なんとも言えない様子だった。
その後も心臓マッサージを続けたけどダメだった。意識を失ってる人って、間近で見るとマジで人形みたいだった。呼吸がなくても生きてるのはわかるけど、でも異常に脱力していて、本当に人形みたいだった。
厚手のトレーナーが邪魔なのか?? と思ったから、脱がしてシャツだけにして、消防の講習で習ったのを思い出しながらマッサージを続けた。でも、ぜんぜん意識が戻らない。テニスコートの入り口を見ると人がまばらだった。まずいと思った(※焦っていたからわからなかったが、みんな対応に走っていたのだと信じたい)。
人工呼吸をやるしかないと思って、さっきの40代ほどの女性を見た。傍に人だかりが増えていた。その女性は、めっちゃビビった様子だった。諦めて視線を同期の子に戻して、人工呼吸を始めた。気道は確保したが、医療関係者じゃないからできていたかは不明だ。
何回か人工呼吸をした後に、また心臓マッサージに戻って、「戻れ、戻れ」と口ずさんで、三回目の人工呼吸をしようとしたところで、「おい」という別の男の声が聞こえて、AEDを持って来ていた。
「やってくれん?」
と自分が言うと、「やり方がわからんけえ。お前がやるんど」と言い返された。自分もやり方はわからなかったが、AEDの箱を開けると、何やら説明の音声が始まって、同期の子のシャツを脱がせて、下着の横に電極パッドを嵌めて……。AEDの指示どおりにはやれたと思う。いや、わからんけど。やれたとは思う。で、真横や真後ろを見たら、もう参加者全員がこっちを見ていて、どうしようかと思っていたら、救急車じゃなくって、管理棟の人が乗った軽バンがテニスコート内に入ってきた。
施設の職員に同期の子を渡すと、軽バンの後部座席を倒して、横に眠らせるみたいにしてバンの後ろ扉が閉まって、そのまま全力ダッシュで車は走って行った……。(追記 救急車じゃないのか?と自分も感じたが、固定式の車止めの幅の関係で、救急車が施設内に入れなかったのが理由になる。書いてなくて申し訳ない)
この時、周りからはどう思われていたんだろうか。それはわからない。わからないということにしたい。みんな、今日はもうこれで終わりだな、みたいなどんよりとしたムードだった。自分に声をかける人はいなかった。いや、元々親しい人が参加してなかったのもあるが。
次の週からは、針のむしろみたいな感じになった。視線でわかるんだ、同じ階の男性職員は自分を見てクスっと笑ってるし、女性はあからさまに自分のことを避けてる。それが仕事上のコミュニケーションにまで影響していた。
イベント用品を取りに行く小間使いすら任せてもらえないし、何人かで集まって会議のセッティングをする際もハブられるようになった。連絡や報告も、口頭でのやつはあまり回してもらえない。
苦しかったのは、ある時だったか、エレベーターで書庫にあるファイルを運んでいて、職場近くまで下りた時だった。エレベーターの扉が開いた時に聞こえてきた。
「あいつキスしてたよ」「変態みたいだった!!」「ハアハア言ってたって……まじキモイ」「ブラまで取ろうとしてたって」みたいな自分に関する噂が直接、聞こえた。30代ほどのやや上の世代の職員が噂をしていた。あの時ほど救命活動を後悔したことはない。
あの時、無理をしてでもあの女性に代わってもらえばよかった、と当時は思っていた。そうすれば、こんな思いをせずに済んだのに。
結局、同期の子は命は助かったけど、しばらく入院が必要になったと聞いた。その子が復帰するまでの間に、自分は会社に行けない状態になっていた。事故から三週間くらいだったか?
当時、憂鬱を通り越してうつ病寸前になっていた。メンタルクリニックにこそかからずに済んだが、有給を半分ほど使ったところで、市役所を辞めると職場長に伝えて、それから二度だけ人事課に出勤すると、離職の手続きが終わった。AEDのことは上の人には言わなかった。なんかもう、どうでもよくなっていた。人間が信じられないという気持ちだ。わかるだろうか。
今は、市役所があったのと同じ広島県の東の、さらに端っこにある中規模工場で働いている。相当地味な仕事だけど、自分には合ってる。自分は優れた人間じゃないけど、父親や祖父が優れていたためか家にお金はある。つまんない人生になったけど、老人になった後はそれを頼りにしたい。
今日、自分が伝えたいことがひとつだけある。確かに、法律とか倫理とかいう観点からすると、自分の行いは正しいし、あの市役所の連中は間違ってる。今でも惨めな気分だ。でも、それは理念のうえでの話であって、現実は違う。
現実世界だと、自分みたいに見た目がいまいちなヤツは、イジメを受けたり(あいつキッショとか職場で言われたり)するわけだろう。それが現実だ。だから、状況を見て判断する必要がある。
自分は、あの同期の子を助けたいと思った。だったらあの時、自分じゃない誰かに託さないといけなかった。助けようとしてはいけなかった。それだけだ。
嫌な話を聞かせてしまって申し訳ない。でも、死ぬまでにはどこかで話したいと思っていた。当方、はてなは好きだけどブログは開設していない。ここしかないと思った。
ワイの脚色より真面目な増田がちゃんと書いてくれたのでこれ見てクレア~~これ読めばホンマに手のひらクルックルやで
https://twitter.com/vismoglie/status/1656037151946014720
かいつまんでまとめると、
ウィシュマ&元彼、痴話げんかで双方負傷。
ウ「せや!元彼との喧嘩でできた傷でDV被害でっち上げて難民申請したろ!」
入管「だめです」
ウ「DV被害なんかで難民申請通らなくて在留期限切れてワロタ……入管入れられたわ……」
ウ「サンガツ!でも帰るまでの宿泊費とかは自費だから母国に金貰えるよう連絡オナシャス!」
スリランカ「おめえに出す金はねえ!」
家族「おめえに出す金はねえ!」
ウ「国にも家族に見限られたしもう帰りとうない……」
入管「帰らないつもりならなんもできんのやが??」
突然来た支援者「この状況でもハンストすれば仮放免いけるで(適当)」
ウ「マ?飯くわないようにしたろ!」
入管「食わんのか?食わんのか??」
支「ワイは知らんで(雲隠れ)」
ウ「(死亡)」
支「ウィシュマはいいやつやったんや……」
ワイ「ウィシュマが悪い」
ワイ「ウィシュマが悪い」
ツイ「やばい実情あるで」←いまここ
いやーみんな騙されすぎてキツイっす
追記:
ワイの主張は
・死なせた入管は悪いのだが、外国人滞在者を管理し不法滞在者を取り締まるという業務を考えると仕方ない面もある
・医者にもかかってるし本当に最低限だが入管は対応しようとしていた
・ただ救急車呼ぶ話になってくると、搬送先から逃げそうなのでその選択肢はとらないだろう
・食事記録とかを見る限り、ある日を境に全くといっていいほど食事をとっていなかったのでハンストはあったとみるのが妥当
・なんとか食事しようと入管も介助していたが食わなかった件が虐待ととられるのは納得がいかない
・さっさと強制送還できるように法整備してほしい。ただウィシュマのように帰りたくないとか言い出したら知らん
・ウィシュマを無視し続けた家族が今さら日本まで出しゃばってくるのに何らかの力を感じる(スリランカのお国柄?支援者が手引きした?もしくは陰謀論?)
40代既婚子無し
遠方一人暮らしの母が病気になり、コロナで会社がリモートワークになったのもあって介助も兼ねて同居になったけど、母の性格極悪すぎて死にたくなったのでここに書かせてください
大学から一人暮らし、20代後半で実家に戻り、30代でまた一人暮らし、結婚
母が免疫下がる疾患にかかってることがわかり、色々と健康が危ぶまれてしかも足悪く更には父が仕事都合で別居状態、哀れに思い同居することに
空気が読めなくて自分が一番偉いタイプ、基本的にはモラハラ(気に入らないことがあれば無視、大きな音を立てるなど)でも自分のカーチャンだから嫌いになれなくて、つい同居してしまった
自分の甘さに嫌気がさす
フルタイムで働きつつ、母の分も生活費もしっかり出して、食事制限があるので栄養バランスみて食事も作り、洗濯してやり服も畳んで、ゴミ屋敷にならないようにモノ整理したり家を修繕したり、母の日にはたけーバッグもプレゼントしてやった
母の友達も交えて食事に招待したり送り迎えしたりと良く尽くしたと思う
同居後、一度母の体調が滅茶苦茶悪化して、救急車乗せるのあと1時間遅れたら死んでたかな?ってこともあった
汚物まみれになった母は意識無くなって即入院して、意識戻った時に一番最初に連絡したのは助けた私でなくお友達だった
まあでも命が助かって良かったし、私が怒っても家に帰りづらいだろうからぐっと飲み込んで、まあまあ日常をやり過ごしてたいた
が、ある日、私の友人が「この子のお母さん、この子の悪口私に言ってくるんだよね、夫君にも言ってるでしょ?」と夫に言った
夫も認めた(夫は同意せずにただ聞いてただけだと言う)
私の友人も悪意があっていったわけではなく、凄くライトな、あるあるネタみたいな感じでいってた(常態化しているのであろう)
友人にも夫にも私が席を外した隙に色々言うらしい
何でここまで尽くして悪口言われるんだろう、と体から力が抜けてしまった
夜夫が寝た後に泣いた
それからというもの、買い物してても歩いてても、夫がゲームしてる横でも、涙が出てくるようになった 夫の視線がなくなったら、虚しくなって泣く
仕事してても、テレカンなんかがなく、1人作業に入ったら涙が出てくる
もうここ1週間毎日そんな感じ
食欲無くなったが、食べないと状態悪化しそうで無理やり食べて、秘蔵の眠剤くらって無理やり寝てる
起きてると泣くので
私が隣の部屋にいるのに気づいてなくて言う、とかそういう感じ
バレたらシラきる 謝ったことなんかない
あと「あなたの干支って最悪だよね、一番なりたくないw」みたいな意味わからん嫌がらせとか言う
大学も親が希望する大学でないところを希望進路で出したら無視、高校3年の1年間ずっと無視
30代で家出たのは、私が仕事で遅くなると「私といたくないからわざと遅く帰ってる」とかヘラってきたり、友人と遊びに行くと滅茶苦茶機嫌が悪くなるから、なんかもう無理だなってなった
家出る時に、私の家財道具は全て処分しろ!と発狂してた 娘の部屋残しておくとか、ないんだって思った
歪んだ愛情があって、ある職場で私がパワハラ上司にあたった時に、その上司の実家調べて怒鳴り込んでた 人事から電話もらって失神しそうになった
すごく見えてる地雷なのに、性懲りも無く同居してしまった 悔やんでも悔やみきれない
ということで、最近はふと、死のうかなって考えが頭をよぎる
インスリンをいっぱい持ってるので、これで眠るようにいけるかな?というのは考えてる
こんなの書いてるうちは死なないか
あと迂闊にも属人化させた業務があって、引き継いでないし迷惑かかるよなーとか
できるだけ毎日を死なないように踏ん張ってる
夫はおバカでハッピーなやつなので、こういうダルいことを相談するのが可哀想でできない
私が死んだ時にすべきことを、何回かさりげにレクチャーしてるんだけどあんま覚えてなさそう
まとまりのない長文ごめんなさい
接待絶命:私の最悪の日
こんにちは、皆さん。今日は私の最悪の日についてお話ししたいと思います。それは、私が接待に行った日でした。私は新入社員で、上司に接待に連れて行かれました。その日は、とても大切な取引先の社長が来ていたのです。私は緊張しながらも、笑顔で挨拶をしました。しかし、そのときに起こったことは、私にとって忘れられない恥ずかしい出来事でした。
私は、社長に名刺を渡そうとしたときに、手が滑って名刺を床に落としてしまいました。それだけならまだしも、名刺を拾おうとしたときに、頭を机にぶつけてしまいました。机の上に置いてあったグラスが倒れて、社長のスーツに水をかけてしまいました。社長は驚いて立ち上がりましたが、そのときに椅子が転がって足にぶつかりました。社長はバランスを崩して、後ろに倒れました。そして、壁にかけられていた絵画が落ちてきて、社長の頭に直撃しました。
私は、信じられない光景を目の当たりにして、凍りつきました。上司は慌てて謝罪しましたが、社長は気絶してしまっていました。救急車が来るまでの間、私は泣きそうになりながらも、何度も謝りました。しかし、社長は目を覚まさず、私の言葉にも反応しませんでした。
その日以来、私は接待に行くことができません。上司も私を見るたびに怒っています。取引先の会社からも訴えられそうです。私はどうすればいいのでしょうか?これが私の接待絶命です。
鬱と発達障害ニートの兄が入院して一年経ったので、入院で大変だったこと、めんどくさかったことを書きなぐる。
親祖父母は対応が甘くなるため兄弟である私が社会復帰支援(病院を含む公的機関の援助探しなど)をしていたが、強めに叱り飛ばしたら自殺を試みたため入院
入院のきっかけは自殺未遂→救急車で、本人が「次はちゃんとやります」としか言わないために緊急の保護入院が必要との判断。「精神疾患救急医療情報窓口に電話して入院先決めてくれ」と言われ電話した。
受け入れ可能な病院を探してくれるが、県内全域が対象のため現在地関係なく病院を紹介される。
もしかしたら車で3時間以上かかる場所になるけど、自力で行ってくれ、と言われ、「車で暴れられたら終わる…」と絶望した記憶がある。
結局、車で1時間かからないところになり、病院の人たちが特別に救急車で運んでくれた。
本当にありがたかった。
ちなみに自殺未遂したわりには怪我の一つもないので安心して欲しい。
緊急入院だし、GWだしで、荷物の準備なんてなんもなく。とりあえずコンビニで最低限のものを買って渡した。
その後、服を買って渡したが、紐状のものはダメ(ズボンの紐とか)とか半ズボンはダメとかいろいろ条件があり割と面倒だった。
何より入院してる本人が「〇〇ならあるはず」とか「こういうのが良い」とか色々オーダーを言ってくるのがむかついた。
あと、インターネットに繋げられる機器がほしいらしく言いくるめようとしてきたので喧嘩した。そもそもインターネットに繋げられる機器は規則で持ち込み禁止。
「インターネットに繋げない状態にするから!」と言っていたが、インターネット繋がないとしても中身が8割エロ関係のため精神科の入院に相応しくないと言って断った。
ニート(無収入)だから自己負担は5-6万円になるはずと病院に言われていたが、実際は1000万円近く収入がある人のランク(自己負担20万円以上)にされた。
これは収入の申告をしてなかったのが原因で、収入額不明者は1番控除の低いランクにされるらしい。
収入がないことがわかれば払い過ぎた分は払い戻し&正しいランクに変更されるから、収入申請してきてと言われ、真っ白な収入申告用紙を3年分書いた。
3ヶ月後くらいに払い戻しで15万円以上返ってきたが、税金で10万円以上持ってかれた。働いてた時期も含んでいたため遡って税金を計算したら足りてなかったらしい。
兄の部屋が汚部屋だったため業者呼んで98%の荷物を捨てた。本人はほぼ許可を取ってないが、自殺するきだったんだから捨てるつもりだったんでしょ?と言って写真とかの思い出関係と貴重品以外は全部捨てた。
40万円もかかったが、これは安く済んだ方。
業者の人が同情してくれたのと、汚物を家族が処理した上での依頼になったため。汚物が残っていたら100万円超えたと思う。
人のものを強制的に捨てるのには賛否両論あると思うが、生ゴミ汚物を蓄積してる上、ゴミから出た謎の液体で汚れてるものが多かったので、夏になる前に捨てないと不味かった。
あと「もうこの家にお前の居場所はない」と伝えるためにも捨てた。
中途半端な状態で退院されても困るので、退院の居場所作りまでは援助。そのあとは絶縁、で兄やその周りに話をしている。
でも家族全員「我々の寄り添いが足りなかった。更生の機会を与えるべき」と言う。
本当に鬱なら面倒見るけど、兄は「死にそうな僕を助けてくれるよね?」というのが見え隠れしてて、今回の自殺未遂も「怒られたら死んじゃう」アピールなだけでしかない。
実際、救急車で運ばれて10分くらいは「死なせてください」だけど、そのあとは自殺防止で監視に来た看護師に趣味の話を聞いてもらってニッコリ。
すぐ退院してワガママできると思ったんだろうけど、先生に速攻見抜かれ、家族のもとに戻すと繰り返すからと今も入院してる状態。
「死ぬまで面倒見る。自分が死んだ後もどうにかなるよう手配できる。もし支援したのに兄が自殺しても割り切れる」なら好きにしろと言うと、それはやりたくないのかその場では納得するのにしばらくすると「助けられないか」と言う。そろそろ良い加減にして欲しい。
とはいえ、一生入院させるわけにも行かないので、退院後の面倒を見てくれる施設探しと収入関係の手配をすすめている。これもまあまあ面倒くさい。
診断書の手配や書類の記入、受け取りに役所。病院は精神科なのもあるのか受診歴すら教えられないと言われることも多々あり、入院してる病院にお願いして話を通してもらったりと遠回りも多い。
兄は「(申請すらしていない)障害年金や生活保護等が〇〇万円もらえそうだから入院とかのお金を返したほうがいいか」と聞いてくるようになった。
「返さなくて良い。退院後は面倒見るつもりないから、今後の生活を見据えて計画的に決めろ」と伝えるとしょんぼりするが、しばらくすると同じ話をしてくるのでことの深刻さを理解してないんだと思う。
納得したふりをしてしばらくすると同じ話を繰り返すところに血を感じている今日この頃。今年中には終わらせたい。
父が死んでちょうど一年になる。
この一年は家族と宗教について、父について考えざるを得なかった。
考え出すと、寝れなかったり不安定になることがあるので、節目に吐き出したい。
というのも、元首相の殺害や、菊池真理子氏の「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~ を読み、
私自身、宗教2世として記録と想いを書き残しておこうと思った次第である。
【創価学会と私】
私は幼少期に早い段階で、「あれ、家の家族は周りと違う」と気づき、
思春期には、親への反抗と同時に学会への不信感を募らせていった。
小学生の頃から月に何度か、知らない大人が集まる場所で連れていかれ勤行をしたり、
意味の分からないビデオを見せられたり。胸糞悪い記憶が残っている。
「新聞取ってもらえませんか」
と言いに来る。
”お母さん恥ずかしいからやめて”
田舎の小学生にとって、周りの友達との関係が崩れていく事がどれだけしんどかったことか。
普通の家ではないということを、表に出さず、隠しつつ、とはいえ田舎だったので周知の事実だったと思うが。
幸い友人に恵まれ、勉強も少しはできたので、いじめも無く、表向きは周りの子供と変わらない様に過ごせたと思う。
同じ中学から進学した同級生で親友になった子も、私の家族について良く知っていたが、一度も嫌な顔をせず私に付き合ってくれた。
なるべく親の世話にならず一人で生きていきたいという気持ちが学会のせいで強くなり、
部活をせずバイトをフルでいれて(貧乏というのもあったが)、奨学金とバイト代で授業料を支払っていた。
そしてここから成人して、就職、都会へ引っ越し、出来るだけ家族と離れることで、学会と距離を取ることができた。
【父と家族】
私の父は、生まれつき心臓の病を持っていた。学会とは関係無し。
忘れもしない小学低学年、夜中に居間が少し騒がしく、トイレに起きた私は母に慰められながら号泣する父を見た。
バブル崩壊後の不況の中、持病持ちの父は会社から要らない人間扱いされたらしい。
そこからの我が家は、どん底だったとのこと。父は病気のせいで再就職もままならない。
子供が4人(兄、姉、私、弟)。今思えば、生きて大人になっているだけで儲けもんではあるが、
母は強かった。
朝から晩まで、仕事を掛け持ちして皆を食べさせて、学会の活動も、勤行も欠かさずやっていた。
朝は清掃のアルバイトで、私が朝起きて登校するまで家にいることは稀で、
母が夜にアルバイトしていた工場の冷凍肉まんをチンして弟と食べて学校に行っていた。
昼間は保険の営業をしていたらしいが、学校に行っている間なので詳しくは知らない。
たまに学校から帰って家にいるときは、内職や家事の合間に勤行をしていた覚えがある。
父は弱かった。
私が幼い頃は絶対的な存在として、一家の主として君臨していた。
家族を養えなくなり、酒に溺れ徐々に精神的にも肉体的にも弱っていった。
私が思春期の時には、何度もぶつかり合った
「なぜ仕事をしない」
「酒をやめろ」
私は父が病気だと知っていてもなお、問い詰められずにいられなかった。
そのある夜に、父が紫色の顔で鼻血を垂れ流し、シャツを真っ赤にして救急車に運ばれた。
兄は優秀だったが。
私とは別の私立高校を特待生で通っていたが、すぐに不登校になり、ここから10年近く表に出なかった。
これは原因も私には分からない。ただ精神的に不安定な人間だった。やはり家庭が関係するのだろうか。
そしてその間、私と弟は良く兄と仲違いした。
姉は男を追って遠くへ消えていた。家族の中で私と弟はこの兄が大嫌いだった。
そして私が都会に出た数年後、弟から兄が創価学会に入信したと聞いた。
私は信条の自由だとその場は笑い飛ばしたが、笑い事ではなくなった。
「いつかお前にもわかる」
「幸せとは何か」
私は本当に何度も実家に帰りたくなくなったが、それでも会いたいという父や母の為に顔だけ出していた。
それだけで息子として顔を見せるくらいは何も苦痛ではなかったが。
【父の死】
そしてちょうど一年前、父が亡くなった。
数年前に心臓病とは別にガンを発症、末期になり3月から緩和ケアに入る。
コロナで面会が難しく、5月中旬になら会えるとのことで、連休をずらして規制予定だった矢先に。
墓も遠方の学会の墓に建てるそうだ。もう兄を止める者はいない、
【最後に】
私が見てきた限り、一度も勤行をしたこともない。
けれど父は、もっと言えば母も学会にのめりこんでいたが宗教というフィルターを通さず、
兄はそんな父をなぜそのような扱いにしたのだろう。
本当に父が思っていることを聞けなかったことを後悔しているのかもしれない。
私は宗教で苦しみました。
兄は宗教で救われました。
おそらく私は一生この問題と付き合わなければいけないとも思います。
あなたがそうしたように。
【】
吐き出したいことをだっーと書いていったら、ある程度言いたいこと言えたっぽいのですっきりしました。
仮に「相手が錯乱していたら思いっきり頭をぶん殴るべきだ」という対処法があったとして
あっ、相手が錯乱してる!全力でぶん殴ってやろう!って即行ける奴がどんだけいるんだよ。
普通の人間だったら「え?本気で?マジ?大丈夫かな?無理じゃない?」ってなると思うよ。
なぜなら「人を思いっきりぶん殴ってはいけない」と幼少のころから教え込まれているから。
「人を殴ってはいけない」という倫理と「人を殴らなければならない」という倫理が
心の中で二律背反を起こしている、それを処理する時間がどうしたって必要になるんだよ。
これはフェミとか関係なく、男は幼少のころから「女性の身体を無許可で触れることはよくないことです」と教え込まれてるわけ。それが他の人もいるような野外であればなおさらダメ。これは普通に生きてきたらそれなりの頻度で繰り返し教育される。
つまり普通の男性であれば「女性の身体に無許可で触れてはならない」という倫理観を持ち合わせているわけ。
じゃないと女性も困るでしょ。
それに対して「救命活動であれば女性の身体に触れてもよい」という教育は驚くほどなされていない。
俺は住んでるマンションの子供会でそういった救命教室みたいなのに毎年通わされてるから多少は理解してるつもりだけど、正直、それに通うまではそういった教育を受けた記憶が一切ない。
「女性の体に触れてはならない」という倫理に対して、「救命活動であれば女性の身体に触れてもよい」という倫理の強度は非常に低いといってもいい。
もちろん「俺は女が倒れててもAEDしないぜ!」みたいな露悪趣味のバカはどうしようもないけど、現実に「女性が倒れていたが周囲の男性が躊躇してしまい、救急車が到着するまで適切な対処が行われなかった」みたいなとき、そこで起こっているのは「女性憎悪」ではなく「倫理と倫理のバトル」なんだよ。
これを解決していくのに必要なのは男性対女性の構図に持ち込むことではなくて、救命に関する知識をもっと積極的に植え付けていって「救命であれば女性に触れてもよい」という倫理観の強度を高めることしかない。
「女性の身体に無許可で触れてはならない」という倫理観を薄めることに何の正当性もない以上、もう片方のより重要な倫理観を高めていく。そのためにはおそらく時間もかかるし、男性側の協力も必要になる。
せめて救急車呼んでやれよ
マジレスすると、知識ないなら他にできる人を呼ぶことだ。周りに人がいないなら救急車や警察に直接言うのが正しい。
その場で救命処置をするよう言われてもできないと断っていい。できんもんは仕方ない。
女性に触れる事自体が犯罪だと認知してる社会的な立ち位置にいると自覚されている人々にもできる役割を考えてあげるべきなんじゃない?
別に社会はそういう人達がいても機能するのよう作られている。そういう変な人が直接手を下さなくとも人を呼ぶだけや安全を確保するだけでもいい。
君達がどう感じようと何をしようと何もしなかろうと、社会的にはどうでもいいんだよね。君達が人の命を救うなんてこと期待していないから
救急救命の基礎を知ってる人なら
4. 心マや人工呼吸
5. AED
という順番はうろ覚えでもわかっているはず
救急救命は時間が勝負なのでとりあえずできることをして医者や救急車に引き継ぐのがベスト。
AEDはこの中での1番遅いんだけど、その前段階を全部すっ飛ばしてAEDだけで議論したがる人は釣りか馬鹿のどちらかだよ。
救急救命という話を根本から蔑ろにしているのがわかるから苛つくし話がおっぱい止まりなんだよ
別に女性に人工呼吸するのに助平心があるかどうかなんてのは、まあ普通あるだろう。だけど救急救命ってのはそういうのがあろうがなかろうがとりあえず命を助けることを優先している。
もちろん人の矜持や本能や恐怖心はそういう善意を砕きやすいけど、社会的にそんなことで狼狽えられるのは子供くらいだからね。
いい大人がおっぱい1つ(2つか)で怖じ気づくなよ。めんどーくせいな。周りもその程度で茶化してるんじゃね〜
約得くらいにおもってさっさと心マしとけっての。
はてぶとか見てると、心マやAEDの風景に勃起してヒューヒューほざいてるガキなおっさんしか見えない。地震や多重衝突事故とかで胸の露出した女性救出するときもお前らフルボッキして囃し立ててんだろ?
いつまで「あいつ女の胸触ってんぞ〜」とか「訴えられるぞ〜」いってんの?
うちの家族は全員日本生まれ日本育ちの日本人。祖父母も曽祖父母も日本人。ただ、どういうわけか父も母も妹も日本語が苦手っぽい。
父は耳から入った情報を脳で処理する過程で異物が混入する。「これはペンです」という文章は「これはペンです」以上の意味はないのに、「これはペンのようですが実はペンではなく箸なんですそれに気づかない貴方はバカですね」ぐらい会話が改変されちゃう。そして「バカにされた」「騙された」とキレている。
母も会話を謎解釈する。それに加えて主語を省いて話すくせがある。昔交通事故にあった母から電話がかかってきた時のことが忘れられない。「人を轢いちゃったから動揺してるの。どうしよ〜」と言うもんだからてっきり母が誰か轢いてしまったと思ったら轢かれたのは母だった。そして車の運転手が事故直後謝罪したのを「(こんなに動揺してしまい)申し訳ありません」と解釈したみたい。運転手は冷静に警察や救急車の手配をしてくれていた。
妹は単語で喋る。小さい子どもが喋るような2語文を中学生が使っている。妹の口から複雑な文章を聞いた覚えがない。というか「○○買って」ばかり言っている印象。
私の日本語もだいぶあやしい。特に助詞や接続詞が苦手で違和感のある文章をよく作り出している。この文おかしいと気づけるならマシで、誰かに指摘されないと気づけないミスが今までたくさんあった。多分この文章もあちこちやらかしていると思う。
それでも家族の中ではマシな方なのと、家族が言いたいことを察する能力はあったので家族の言いたいことを翻訳している。母が言いたいことに適宜主語を足して父に伝え、父がキレたらどんな脳内変換されたか察して「そんなこと誰も言ってないよ。父さんは馬鹿にされてないよ」と落ち着かせる。ここに妹が加わることもある。物心ついた時からこんな調子でやってきた。なので家族は会話が噛み合わなくなると「ちょっと通訳さーん」と私を呼びつける。私のことを皆便利に使うけれど、私の話を聞いてもらった覚えはない。通訳要請を無視すればよかったのだろうけれど、朝だろうと夜中だろうと大声で喚いているのに耐えられなかった。ご近所にも嫌味を言われるし。
家族間で会話が噛み合わないならまだいい方。市役所などで手続きする時なんかは地獄だ。職員さんの話を翻訳して家族に伝えていたら、「よかったらどうぞ」と市の通訳サービスの案内をもらってしまった。ヤングケアラー支援の一環で外国人の親の通訳をする子どもの代わりをしてくれるサービスだそうだ。「日本人の家庭でも使えますか」と聞いたらびっくりされ、遠回しに無理だと言われた。
通訳さんにほとほと疲れてしまったので家から出ることにした。本当は就職するタイミングで実家から出る予定だったけれどトラブルが相次いで1ヶ月近くずれてしまった。それでも明日、ついに通訳さんを引退する。
家族に引っ越し先どころか引っ越すことも教えていない。ちょっとずつ荷物は運び出していたけど気づいていなさそうなので、私には通訳以外期待されていなかったのだと改めて思い知らされてちょっと悲しかった。