はてなキーワード: 学歴ロンダリングとは
なんで、タフでもない人が学歴ロンダリングして、キャバ嬢の真似事みたいな本でデビューしたんだ?そこがそもそも理解できない。(星海社との出来試合だったという可能性があるならば、ともかく…) / “北条かや 公式ブログ - 【加筆】う…”
主語が大きくなるかもしれないが、文章やってる女性に「まともさ」なんか期待するほうがバカだと思ってる。だって、文章やらない方が圧倒的にモテるし、黙っててもちやほやされる位置に行きやすいし… / “北条かやとは何なのか:ロマン優光連
北条かやさんのつぶやきを見に行ったら、すごくダウナーな感じになってた。なんというか、彼女の中途半端さってなんだろう…。戦おうとして病んだというよりも、火中の栗を拾いに行ってやけどしたという印象
結局、文章やってて幸せになれるのは港区でOLしながら、エキサイトでオタク系のことも書きつつ、二村ヒトシとも座談会が出せるアオヤギホコみたいな完璧超人だけで、何にもできない僕の女版みたいなのは文章やらないほうがいい。精神的な意味で女の投げ売り、リストカットに陥るから
正直言って、港区でOLしてるアオヤギさんも、恵比寿でOLしてるはせおやさい氏も「なんでもできる人」だから、別に文章書く必要ないし、書くことが趣味だと割りってるからこそ、やらかさないんだよね…。女性で文章書く人で長く続けていける人って結局「なんでもの1つが文章」な人なわけさ
@koumyonakakureg はてブのコメント見てると「正論」が多すぎるから、「いや、女性有名なブロガーやブログ出身の著作者でまともでみんなから尊敬されてる人なんかそもそもいない(そんなに思い浮かばない)よね?」と思って書いたことです…はい
@koumyonakakureg …まぁ、男に対しても大多数の人にはそうだから、彼らが正しいことを言った時には「不毛だなぁ」と「そんな奴男でもほとんどいないし、女性なら尚更いないだろう」と…はい
@tm2501 男からしたら尊敬などしなくていい、馬鹿にして玩具にするのがはてななんだなあと思っただけです、ええ。
はしごたんぐらい悪魔に魂を売ったぐらいネットと心中してる人間でずっと書き続けられてる・人気がある程度ある女性ブロガーって他に誰がいる?男ならそういう人何人かいて、ぼくもどちらかと言うとそう見られてるけど、女性ははしごたんぐらいじゃない? あとは港区でOLができる人の、暇つぶし
つうか、雑な言い方で申し訳ないんだけど、港区でOLできるやつがブログも書いてもう一つの顔を出していくスタイルが「あんた、男でもできるんだから、もっと他に生産的な趣味見つけろよ」感なんだよ…。それでもアオヤギさんに期待してたのは彼女が若くしてオタライターだったから…
限界感じてんだよ。中の人が港区のOLか、IT業界のネットワーク持ってる奴ばっかりが前に出てくる世界の中で、本当に野良犬のように一人で戦い続けることに限界を感じているんだよ。仕事辞めてから夢を目指せなんて言うバカに言いたい。夢に生きるしかない人はそもそも仕事に就けない
もう、港区のOLと、大企業にお勤めの方以外には「自殺する権利」を与えたほうが社会問題が解決するからそうすべきだと思う。そうしてくれるなら、たとえ幸福実現党だろうが、共産党だろうが支持する。いつも勝つのは港区民に住める人じゃないか
朝の6時から、明け方のテンションで「女は女であることを売りすぎた結果、女々してないライトすぎる恋愛論を語る鈍感な女と、ヤリチンの恋愛論がウケるようになった」みたいな話する僕も相当なクズだと思うけど…恋愛に関わるというかそういう話をしちゃう読んじゃう時点でクズなんだよ。人間性が
逆に言うと、女が女であることを売りすぎた結果として供給過剰なんですよ、今の時代って。AV女優だけバカみたいに増えて、男優が増えないから男優ブームみたいなのが恋愛語りの世界でも起きてて、コッテリガッツリな人よりも恋愛なんてなんとも思わないタフ(脳天気)か、男が語るものがウケるという
そういう意味で、北条かやってすごいのは、それまでこじらせてるものの代名詞だった色恋をライトすぎるぐらいライト(学歴ロンダリングしてあの星海社からでるふてぶてしさ考えたら、多分死ぬ直前まで精神が病まないであろうタフな人間がお水を面白半分に見るだけという薄さ)にしたは発明かもね
はしごたんとかゆみこさんのあの「女を消耗させてお水して、こころが病んでぶつかって…」みたいなああいうのって書籍にしにくいからなぁ〜あとおはなちゃん的な「ビッチな私が好きでもあり、おかしいとも思ってるけど…」みたいなのとか。ああいう狂人で強靭な人間の色恋体験じゃなきゃねぇ
元増田は、大学院に来たら学部時代には見かけなかった人が多かったこと、
しかも、それが理科大出身者が多かったので驚愕したのだろう、よくわかる。
本題。
少なくとも「出身大学は知られたくない。」と言う心理を表してるのが、SNSのプロフィール。
フェイスブックにしろ、ツイッターにしろ、プロフィールが大学院修了から始まってるケースは学歴ロンダリングの確率が高い。
そもそもSNSにプロフィールに出すような自己顕示欲ある人が、大学院から書き始めるなんて不自然極まりない。
日本古来の伝統書類の履歴書なんて、高校から書くことが大半なのだ。
新卒入社した会社からの経歴だけならまだしも、出身大学院だけだと香ばしさが増す。
最近多く見かけるのは社歴ロンダリングで、マッキンゼーがその代表だ。
Up or outの会社で、1年持たずに出て行くことすら珍しくないこの会社に1度入ってしまえば、たとえ1年持たずにやめてもマッキンゼーの名前で本を書いたり、講演したりして生計が立てられる。
当然、プロフィールにも、他の経歴は曖昧でも「マッキンゼー アンド カンパニーを経て」としっかり書き足されている。
例えば、マッキンゼー流 入社1年目シリーズを出してる下の著者は、
1年も在籍していないので入社1年目以降のノウハウはなく、入社1年目シリーズしか刊行されていない。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00M939Y0S/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ちなみになんちゃってマッキンゼー出身かどうかを見分けるのは、マッキンゼーでの経歴が詳細に書かれているかどうかは言うまでもない。
概して、マッキンゼー流が全面に出てくる際は注意が必要だ。(当然、例外もある。)
このエントリーでも学歴と使ったが、日本は学歴社会ではなくて学校名社会が本当の姿。
はてなブログにはあんまりおもしろい人がいないだって?ブログがブログらしく面白くて何が悪いの?インターネットらしい面白さをキープしながら作り続けようと決めた時から僕は書籍化やはてなオフィス訪問は諦めました。いつか力(人気)任せに実現できればいいや…
いや、この人の言うとおり、ブロガーは書籍狙いするより電子書籍出し続けたり、アフィリエイトのノウハウ学んだほうが化ける人多いと思うよ?出版不況の癖に未だに高飛車な奴らに頼る必要はない
いや、自動車業界でも出版業界でもテレビでもマスコミでもそうだけど、あの人らって「若者の○○離れ」とか「○○不況」とか言われても一貫して責任押し付けたり、自分達がエリートだと思いあがってるじゃない?なんなんだろうね
だいたい専門的な面白さを重視するんだったら、特殊な体験や職業の人をインタビューすればいいじゃない。ちょっと変わった時間・キー局から離れるとアダルトな仕事の人にインタビューするみたいな安直さでさ。出版業界側が考える「個性」の想像力がその程度なくせに不況だ題材不足と言ってるから謎だよ
言いたくないけど、この編集者の女に言いたいのは「え?北条かやって学歴ロンダリングをしただけで実際の所そんなに頭も良くないし、特異な体験もしてないし、書く力もブログ関係者からみればそんな高くないけど書籍化してる」人じゃない?(はてなブログ関係で書籍化した人の一例)
いや、鶉まどかでも北条かやでもはてなでブログを書籍化した人達って、ありふれた色恋ネタを(コンパニオンやタレントができるレベルではないが)顔立ちがいいから書籍化してるだけ。広義に言えば岡田育もその部類。特殊な体験とか個性が欲しいんじゃなくて、ただわかりやすさが欲しいだけだろ?
編集者が欲しい個性に気づいてから、書籍的・ライター的(とりわけLIG的)な面白さを目指すのを辞めた。寄った勢いでonちゃんを蹴飛ばす大泉洋のような、黒魔術と恐れられてるけど、誰よりもシャイな椎名林檎のような面白さとは逆だもん
この話すると、心が荒むからやめよう。書籍云々の話はもういいです。ブログでストイックに面白いこと人はコンビニ店長やフミコフミオみたいに自分で電子書籍出してなんぼです。出版者の人が面白がるほどキャッチーな奴はネット的なコンテクストに自分を組み込めてないよ…
いわゆる「著者適正」ってやつですね。ただ、出版社はそれを「すでにあるものから流用しすぎ」だと思うのよね…。だからできるものがコアなファンから見て決まりすぎてつまらないというね…
ブログを書籍化することを構想し始めた時に同じこと考えたなぁ…。既存読者が面白くなるように作るためにどうしたらいいかさ…(この辺は本当に電子書籍作れたら詳しく語ってみたいけど、作る前に言うと説得力ないからやめとこう)
いんや、案外そうでもないさ。むしろ、内輪ウケよりも、外受けを狙ってるWordPress系ブロガーのほうが内容では刺さらない。編集とか題材とか世界観は刺さるけど。
僕もそう思うんですよね…。精力的なのは認めるけど、でっち上げたり、仕立てたり、相手に惚れるセンスや心がないなぁ…という編集者としての才能じみたものを感じないんですよ…だから腹が立つのかも知れないです
良くも悪くもサラリーマンですね…我がないから面白いらしきものを淡々と探せるのかと思う反面、こだわりが弱いからその人の話を聞いていてもわかりやすい面白さしか探してないし、自分がそれを盛り立てようという情熱もないんですよね…
むしろ、会社員としての編集者はバカで嗅覚が弱い方が無難にヒットするものだけを嗅ぎ当てられるから、楽かもね。超一流を目指すなら、こだわりとそのこだわりを押し通すずるさを求めたいところだけど
あーこれ、ありとあらゆるはてな民に僕が言いたいこと。「テメーが作れ。テメーがもり立てろ。お前がつまらないのはお前のせいだ。お前が現状に満足して盛り立てることも前に出ることもしないからだ」とは思ってます…はい
編集者って、作家の才能に寄生して生きてて、自分は会社に守られて、なんか変なの。よくブログかけるな。喧嘩になってもいいぐらい嫌いな編集者を見かけたら言ってみたいなぁ…。ダメな編集者にはそう感じてるからなおさら
ごめん、「意地でも紙の本なんか頼まれるまで出してやるもんか」とあの記事を見て思いました。
問屋不要論じゃないんだけど、編集者も芸能プロデューサーもインターネットで他人の褌を見つけてはノーリスクで売り出すだけ売りだして捨てる中間搾取者。だから、敏腕でこっちと中長期付きあおうと言う気がある人じゃないかぎりは相手にしない方がいい。ニコニコの歌い手・ボカロ文化がすぼんだ理由
珍しくズィロの意見に同意。本当にすごい人はちゃんとはてなの中からでも拾いますとも。はい
こんどこそやめよう。腹が立つだけだ
よくまあ一つの記事読んだだけでこんだけ悪口言えるなあと感心する。
manameやコンビニ店長やフミコフミオは自分で電子書籍を出したことになっているらしい 。わかってないことをわかったことにしてしゃべると高確率で滑る。
「大学の新卒者が、主体的に行う求職活動」だと、世論は思うだろ。
実際は違う。
本来は、雇用契約に至るまでのネゴであってさ、雇用主と労働者とが一対一の契約関係になるんだろうけど、
実体的には「企業による、大学の新卒者を対象とした採用活動」なワケだろ。
本当に結構な割合で就職活動を通じて、人間性を否定されたと思って傷つく人間が居る。
気の持ちようで前向きになれると思うから書くんだけどさ、ちょっとまずは俺の仕事を想像してくれよ。
まずは、オマエさんは起業してそこそこ成功した実業家だとしよう。で、人手が足りないから新卒採用をしたい。
なんだかうまいことTVCMの効果もあってか名前だけは売れてたから、どっとエントリーシートや履歴書が来たとしよう。
まあ、ざっくり1000通の応募があった。採用したいのは10人ぐらいだ。
毎月給料払ったり保険料出したりするんだし、20人雇ったら会社が傾きかねない。
で、だ。
いやタダなんだが、オマエさんが雇ってる人事担当者であるオレに月給という形で給料を払ってる。
そうすると、書類審査をするわけだ。いやま、実際酷いのもある。
プリクラが貼ってあったって都市伝説から、写真が剥がれちゃってどれかわかんねえとか(写真の裏に名前を書かない)、
明らかにコピーな上に、別の会社の名前が書いてあって入りたい意気込み述べられちゃってるとか、
コピーなのは良いんだけど斜めってて端っこが欠けてるとか、まあ想像を絶する実話が結構ある。
そういう、「明らかな問題外」をハネる。
すると、まあ、だいたい900通ぐらいは普通の応募していただいた学生さん達が残る。
上司からはグループ面接からでも、できて100人だかんな、と言われてる。
で、こっから先は会社に寄るだろうけど、オマエならどうやって選ぶ?
会社に関係のある研究してる院生が応募してきた?それは残しとこう。Fランで字が汚い、うーんじゃあ申し訳ないけど。
そうやってノリと勢いでざくざく切り落としていく。
会社によるよ。大学名で切ってると(飲み屋では)公言する企業も存在はする。逆に大学名を隠して面接してる所もある。
大手ならネットで試験をしたり、人海戦術で巨大会場でテストやったりね。
集中力を見る「大」を20コ書かせる試験とか、「誰かに常に監視されている気がする YES/NO」みたいなストレス耐性みるテストもある。
この辺はまだギリギリ「人の価値」でフルイワケしていると言える段階だったりはする。
んでだ、なんとかかんとか100人を選んで、5人のグループ面接x20回を通じて、まあ30人くらいに絞るわけだ。
よく考えてくれ。テストでもTOEICでも大学偏差値でも良いんだが、そこまでは定量的な基準で評価が出来る。
開示するわけにゃいかんが、それで「オレは他人に比べて実力が無かったんだ……」と落ち込むのは判る。
そこは、自己分析で自分の商品価値で身の丈を知るのにも意味はあるだろう。
TOEIC頑張るなり、院で学歴ロンダリングでもなんでもしてくれ。
お前の前に座ったオッサンは、通り一遍のレクチャーを受けてるか、下手するとタダの部長だったりする。
そうするとな、そこは定性評価だったり、フィーリングだったりするんだよ。
一緒に働きたいと思うような、価値観が合う相手を選ぶ、とかならまだ納得のしようもあるだろう。
面接の直前に部長の浮気が奥さんにバレて「説明して下さい」というメールを貰った直後だったりすると、
当然ソイツらの評価は悪くなる。人間、自分の状況で評価にぐらつきが出る。
愛人から「早く会いたい」ってメールが来た直後の面接だったから、キミは2次面接に残れたんだよ、とか説明できんだろ。
国勢調査のアンケートとかって、質問の順番もかなり慎重に調整されてるらしい。
なんでかっていうと、人間、前後の状況にかなり左右されるんだよね。
「アイドルとしては無しだなwww」とか2chで書いててもよ、実際に飲み会で出会ったら超可愛く見えるとかな。
だから、書類審査で撥ねたはずのトンデモねえ学生さんがやってきた後に、
可愛らしい女性が面接会場に入ってくると、そりゃオッサン共の点の付け方は甘くなるわな。
我が社を志望した理由を教えて下さいとか、まあ儀礼的に聞くわな。
学生さんだってうちのことはコマとしかみてねえだろうから、本気度を見たいわけだよ。
内定辞退されないと自惚れていない自覚がある人事が居るところほどそうだよ。
で、「本気度」とか別に数値化できるわけじゃないから、「オレ」のフィーリングだよ。
そして、オマエさんの目の前に、1000人から厳選された30人がやってくる。
オマエさんが社長だが、人事からはキツく、どんなに採っても内定辞退予定込みで15人までです、と言われている。
さあ、どう選ぶ?そして、選ばなかったヤツは、なぜ選ばなかった?
(一応書いとくと、不安で不眠になったり暴飲暴食するとか言うときは、心療内科行くと楽になるよ。ヤバイと周りから言われたら病院へ行こう)
良く言われるフレーズに「就活で問われるのは、社会人として最低限必要なマナーである」というのがある。履歴書の文体、形式、字の綺麗さ、面接での挨拶、服装、表情、声の大きさ、抑揚、etcetc....。それらが減点方式に評価されていく。
履歴書に書かれる内容も、「いかに自分が人間らしく、生き生きと過ごしてきたか」についてである。
今の就活で問われているのは「人として最低限のことができてますか?」ということである。つまり、就活に失敗するということは、最低限がクリアできていないことに他ならない。
こんなこと考えて、「落としたヤツは人として最低限が成ってない」とか思って落とした?
そうじゃないだろ。
フィーリングとか、可愛いとかカッコイイとか、襟袖が汚れててなんか不衛生とか、髭が汚えとか、同郷だったとか、
たまたま自分の大学時代の専攻と同じで知識が身についてるヤツを残して、他のヤツの研究が良く判らなかったとか、
その程度のモンだよ。面接の評価者は、別に定性評価者として訓練を受けてるわけじゃない。
就活に失敗したって言うのは、単に「企業側が感覚で選んだ中に残れなかった」ってダケ。
だから、主体的に就職活動をする学生さん側ができることって、ほとんど無い。
単純な話、バブルの頃より大卒が増えて、企業側の採用人数は絞ったり変わらなかったりだよ。どうやっても余りが出る。
コレは単純な算数の話で、誰が悪いわけでもない。
例えば、三菱商事にどんなに入りたくても、あそこ150人ぐらいしか採らないわけだよ。
転職先としても相当な実績がなきゃ無理だろ?
そうやって、「実績無し」状態の自分が、どこに転職する?と考えて動けば、ダメ元で応募してるわけだし、落ちて元々だと思えるだろ。
今なら就活特集で言われる「面接に落ちた時、自分を否定されたように感じた」という言葉が理解できる。売り出す商品も自分、プレゼンするのも自分。就活というコンペに負けた原因は、プレゼンの仕方が悪いだろうと、商品の質がわるいのだろうと、他の商品より魅力がない原因は、どうあがいても自分以外何物でもないのだ。
コンペに負けた原因は、面接担当官が前日に彼女にフられたからだよ。
もしくは、一回精神を病んだ上司に顔が似てたからだよ。うまくいかない同僚と仕草がそっくりだったからかも知れない。
コンビニのポテチだって、手にとって貰うところがスタートだけどよ、
のりしおを選んだオマエが手に取らなかったコンソメが「自分が選ばれなかったのは、自分が悪いからなんだ……」と病んでたら、どう思う?
就活側から見れば、単なる運だよ。対応するには、数こなすしかないよ。自衛隊とかすき屋は嫌なんだろう?
(まあ、一次面接で常に即嫌な顔をされるなら服装と清潔感を見直そう)
ざっくりいって今の日本の「就活」は、企業側の「ピックアップ作業」が主体だよ。正否はそっちで語るべき。
ラボがつぶれるというか、予算がなければ5年で消えるを繰り返している。
http://www.jst.go.jp/crds/pdf/2013/OR/CRDS-FY2013-OR-01.pdf
を見るとわかるように、
成長速度がすごかったので、それがこの数年にぶったことが、
「つぶれた」というような表現を生んでいるのではないか。
実際にはラボごと移動というのがあるので、自分の知る範囲では「つぶれてたいへん」という話は聞かないけれど、
規模縮小で留学生受け入れ困難みたいな話は聞く。でも優秀な人材はいつでも求められている。
アメリカで良いなと思ったのが、高級官僚という存在自体がない?ことだ。なんだか良くわからないのだけれど、
大学の幹部級がそのまま高級官僚になっていることが多いという事が文科省中心にまわる日本に慣れている自分にはうらやましく見えた。
例えば大学の学部長が今度共和党が大統領選勝ったんで、行って来るわー、と4年消えて何やってんのかと思うと、
事務次官みたいな仕事をしていたりする。官僚の専門職はもちろんいるんだけれど、トップクラスは民間の人間がすることがあるみたいだ。
コンドリーザ・ライスさんみたいな感じ。彼女だって大学の職員でありながら、いきなりブッシュ政権に呼ばれてしかも実務能力を発揮したでしょう。
それは偶然ではなくて、大学での職員の中に、社会のリーダーシップを取るべき人々が常に控えているという事であって、
これはすごいやと思った。
そういう能力はどこで鍛えられるのか。例えば日本人の同僚が数億円レベルのグラントをとって、その分野じゃトップクラスになっているとすると、
その2年後のグラントの審査にはワシントンに呼ばれてどの研究にお金を分配するかの委員をしていたりする。
そういう事やってりゃ鍛えられるよね。
まだ30前の若造、しかも自国民じゃない人間にそれをやらせる国の懐の深さを見た。
ラボは雇った研究者を簡単には人を首には出来ない。ある程度業績があればビザは出さないと弁護士が出てくる。
だいたい、アメリカに来たらすぐグリーンカード取る弁護士に話しとおしていろいろ始めるんだよ。
でもやはり無駄な人材と言うのは出てくるもので、それが日本人だと「帰ったほうが幸せだよ」と言えば帰ってくれるという点で、重宝だ。
逆に雇ってくれやすいという事でもあるので、日本人で能力のある人は海外をしっかりと見て、出ていくべきだと思う。
で、もちろん雇われて向うに行ったら最初にやることはグリーンカード申請の専門弁護士のオフィスを探すことだろう。これはちょっと冗談だけど。
興味があったらがんばってみて。
日本でくだらない学歴ロンダリングやってるよりは面白い人生になるだろう。
景気が良いことがとても大切。
コネ、学歴ロンダリングその他諸々の理由があるが、新聞社やテレビ局に入るには
そのステータスを得るには当然ながらそれ相応の資格を必要とする。
その中で勝ち上がってきた人達は皆何がしかの縁繋がりで入社出来た事に感謝する。
しかしながら、そこから焙り出されたいわゆる負け組の新卒はどうにかして滑り止めの会社に入社する。
そんな中起こった労働問題や社会問題に対して、新聞社やテレビ局は何を考えたか上の人間には譲歩をし、
総理大臣経験者などを見ても下の大学出身者は皆無であるし、殆ど全ての人が家族に名士とか大地主、貴族、政治家が存在する所を見ると
敷かれたレールをただ歩んできただけなのだ。
なので、弱者たる労働者階級の人に比べてメンタルがとても弱く、下の人間を社会を混乱させるゴミ程度にしか見ていない。
さて、人生の勝ち組は新聞社やテレビ局に勤めており、負け組ないし弱者はそこでは非正規社員である。
この差で更に格差社会の強者となっている差別構造が形成され、遂には弱者いじめが激化するのは自然の流れであろう。
先日開かれた遠隔操作ウイルスの裁判に立った片山祐輔被告は、そうした社会の構造から生まれた被害者なのである。
彼のように明らかに弱者であるものを何の証拠もないのにメディアなどでは連日彼を犯人扱いして報道を過熱させているのである。
一方、チノパンこと千野志摩が犯した不倫の末に自動車運転過失致死、人によっては殺人罪とみなされる事件では、証拠があるにもかかわらず大手メディアは相次いで口をつぐみ、
また特定秘密保護法に反対としながらも他方でこういった権力を持つ人間への批判は鳴りを潜める事態となっている。
すなわちメディアというものは、弱者を切り捨てに強者を守る事を第一としている、ということである。
これは、前述の人生の勝ち組であるメディア人達が揃って強者であることからも伺えるのである。
新聞社やテレビ局に入った人間は正社員であればすべからくすべての人間が人生の勝ち組であるが、そうした人間が今度は人生の負け組を叩く始末となっている構造である。
メディアは弱者を救済せよと口では煽るものの、今回の遠隔操作事件やチノパンの事件、またオノヨーコや安倍昭恵夫人も知り、海外メディアが報道しているのに日本ではその存在自体を抹消されてしまった吉松育美ストーカー事件でも分かるようにメディアというものは長い物に巻かれる、都合の悪い事は「報道しない自由」による報道しない、非常に偏った思想信条を持ったジャーナリスト集団なのである。
弱者救済が見せかけであることは、新聞社およびテレビ局社員の条件を見ても明らかなのである。
いじめがなくならないのはこうしたいじめっ子が社会構造のトップに立っているためである。
http://anond.hatelabo.jp/20130224175755
が話題になってるので。
学歴ロンダリングさんが女性の場合、見分けるのはとても簡単です。
「私東大で研究してるんです~」「東大生なんですぅ~」「東大では~」と聞かれもしないのに東大アピール→ロンダ女子
できるかぎり大学名を言おうとしない、大学の話題をひたすら避ける→東大プロパー女子
学部から東大にいると、女子学生は嫌な思いをいっぱいするからなんだけど。インカレサークルには入会拒否(東大男子と他大女子の出会いの場だから)、大学名を言った瞬間ものすごい勢いで逃げていく他大男子、おなじく大学名を言った瞬間、「帰れ」コール渦巻く合コン……
「えー君、大学どこなの?俺早稲田だけど!」「(超小さい声で)と、とうきょうだいがくです」「え、帝京大学?まじで??」「(もうそれでいいや)」ってなったときは超モテた。涙が出た。
だから、なんていうか「東大ブランド」を求めて、修士、学士入学ではいってくるキラキラ系女子を見てるとなんていうかもうね、むしろリスペクトですよ。よくやるわっていう。その上昇志向と生命力すごいわー(棒)
念のために言っておくと、本気のロンダ組は他大からの進学者のうち1割くらい。それ以外の人はまじめに研究してると思う。もちろん能力は人それぞれだけど。
「はてなー」には結構高学歴が多い(らしい)ので、増田内に東大OBがいること期待してカキコ。
「東大OBネット、という東大限定SNSがある」と書かれていたので、試しに登録してみた。
意外に簡単に登録できるが、あれ「成りすまし登録」も可能なんじゃないか?
建て付けとしては、
「学士会が定期的にパトロールして、名簿突合して、名簿にない登録を削除する」らしいが、
こういうパトロールって、せいぜい1ヶ月に1回程度でしょ?
「パトロールが来るまで、東大生成りすましが内部をある程度閲覧できる」って、
それは兎も角、この「東大OBネット」って、コミュニティの活動って、活発なのか?
どうも、SNS立ち上がった2005年頃にいくつかのコミュニティー出来たが、
あと、気のせいかもしれないが、年配(60代以上?)と現役生ないし社会人成り立てが多い気がする。
2005年に「現役学生と、学士会メンバーに対して告知」していたかららしい。
なので、働き盛りの30代40代って、あまり「東大OBネット」に来ていないんじゃ」・・・
「東大OBネットに入っている」という増田がいたら、その辺の実情教えてキボンヌ。
「議論を戦わせたい」
さらには邪心として
「シンクタンクや政治系の人と交流して、自分のさまざまな妄想、もとい政策構想案を
多少なりとも世の中にフィードバックさせたい」という思いもあったから。
いろいろと自分のブログで各種政策を書いているが、所詮影響力には限界もある。
なので、東大ネットで、「政策好き」を見つけられないかなあ、と思っている。
※フェイスブックで議論してもいいのかもしれないが、
学力低下に関した議論はもはやふたつの二元論に落ち込んだと言ってよい。
ひとつは「学生が馬鹿になった(学力低下は正しい) vs 学生は馬鹿じゃない(学力低下は正しくない)」という対立。
もうひとつは「大学以前までの教育に問題がある(学力低下は正しい) vs 教育内容も問題ない(学力低下は正しくない)」という対立。
この手の問題は諸説あるが、概ねここまで単純化されていると思う。
関連した議論に就職の問題もあるが、この手の主張はまず、こちらの問題でどういう主張をしているか、ということを把握しておくと良いと思う。
つまり、就活制度にシステム面で主に問題があると主張する人は、こちらの方でもだいたいシステム的不全を主張するはずであるし、学生に問題があるという人は無論学力低下も肯定しているはずだ。
もう一段階前に遡れば、「そもそも大学とは何か」というところになると思う。
研究の場、学問の場、教育の場、いろいろ言いたいことはあるだろうが、それは「選民」によるものか「万民」によるものか、というところがもっとも立場を異にし、旗色を明らかにするものだと思う。
たとえば、選民的機能を求めるものは、スクリーニングによる選別、歴史的なブランドによる選別(一種のサラブレッド)を肯定するだろうし、大学全体にそれを強制するだろう。そこに通うものはもちろん同年度生の優れたものにのみ与えるべきだし、すべてにそれを求めるのは平均的知性の低下として糾弾する。そして偏差値の低い学生が通う大学は不要であると切り捨て、万民に開かれた大学(放大やサイバー大)は学士の安売りだとして非難する。通底するのは、大学と大学生には望まれるべきハードルがある、ということだ。それは過激になると学問それ自体にも矛先を向け、よく文学、哲学系や現代のカルチャーを扱う学問などが犠牲になる。
また、万民に開かれたものを求める場合は、サイバー大などのようなものはもちろん、できる限り多くの学生に、望むならば与えようという姿勢を持つ。
金銭的なハードルさえも、給付金で賄おうという立場をとり、多くの学問を認め、可能なかぎり多くの学生も認めようとする。学歴ロンダリングにも冷めた視線を注ぐのはだいたいこちら側である。彼らに共通するのは、包摂主義であり、ハードルは存在しないか、できる限り低くすることを望む。
これを先に挙げた人とシステムの目線で(自分で言うのもなんだが)分かりやすくまとめれば、
「大学は一部の優れた人間が通うところ vs 大学は誰もが通えるところ」
「大学生は高等な知識を有していなければならない vs大学生は高等な知識を有している必要はない」
という構図となるかと思う。
これをさらに突き詰めれば、「規範と自由」の対立まで遡ることができるのではないだろうか。
経営戦略として自由な大学像を目指すことを認めるか、淡々と上澄みの10%だけに通わせときゃいいんだよ、とするか。
実際は多くの人間がグレーな思想であり、ここまで極端な人間は少ないだろうが、あえて型枠に嵌めるとするとこうなるかと思う。
あるべき姿を創り、それに合わせようとするのか、今そこにあるものこそがあるべき姿だというのか、ということだ。
結局のところ立っている前提が違うのだから話が噛み合うわけがない、というのが私の感想である。
バカを見下して優越感を味わうなりなんなり、好きにすればいいんじゃないでしょうか、というぐらいである。
一貫した主張をしているという前提に則れば、
ということになろうか。
私の知る範囲での事なので、全てには当てはまらないことを前もって言っておきたい。
というか愚痴だ。
理系、特に理学においては、「研究者になる」ということに、憧れを持つ人は少なくないと思う。
そして、一度はノーベル賞を取ってみたいと願い、
(行動はともかく)燃える時期があるのではないだろうか。
しかし、そんな気持ちはゆっくり熱せられ、急激に冷める。
おそらくピークは学士3・4年。研究と勉強の大きな違いにショックを受けるからだ。
そして、卒業研究が、彼らの望む研究とは遠くかけ離れたものになることも毎年のようにある。
彼らに全くやる気が無いわけではない。
1年で(正確には半年強だが)やれることなど、たかが知れている。
時間が不足しているのだ。
だから、担当教員は悩みながら、1年でできる程度の課題を彼らに与える。
不幸なのは、それに気づかず、
「大学ではたいしたことなど出来ない」と見切りをつけていく学生たちだ。
あるいは、エントリーシートの数百文字程度の内容には、なっただろうか?
(ここでの定義は、「最終学歴を大学院として、卒業大学より上位の大学に大学院生として所属すること。
その行為によって学歴はよくなるはずなのだが、己の学歴に対するコンプレックスを逆説的に強めてしまうこと。)
ただ、ネット上や、彼らの中でもコンプレックスの強い人物の心のなかには、はびこっていることだろう。
しかしながら、有名大学の大学院に進学することは悪いことではない。
現実的に、いわゆる上の大学になるほど、科研費その他もろもろにおいて、
資金は潤沢な研究室が多い。
良い研究をするには、良い環境の中でという考えもあるのだから。
問題はその一歩先にある。
大学院に進学したということは、「閉鎖性」に身を置くと同義である。
例えば、
・研究自体が一人=独りで行う
・取り組んでいること自体に特許や機密性を持ちうる
もちろん、例外は沢山ある。持ちつ持たれつで、他の研究室と交流する研究室もある。
これは私の強い主観だが、大学院生が学部生より無気力に感じる時がある。
彼らがモラトリアムを満喫しているのではなく、「閉鎖性」に慣らされてしまったのではないかと、
心配してしまう。
(本来は学部3年で考えておくべき事だが)
博士になるべきか否か?
ここで就職を選んだ人は幸せ者…と言われる(私はこの考えに賛同できない)
理由は明白である。
・学費をさらに3年以上も払いながら研究する金銭的問題。
・視野が狭くなる
あなたは他にも理由を挙げることができる。
いろいろな問題点があるが、ひとまず「閉鎖性」に焦点を絞りたい。
多く言われるのは、「論理的に物事を話せる(ロジカル・シンキング)」だ。
企業にとっては、その研究内容よりも、学部で学んだ専攻が重要だろう。
すると、「どのような閉鎖性を含んだ環境に身をおいたか」が重要になってくる。
・一つの物事に没頭できる環境がある
・日常生活の自由度という点においては、修士が最も高い。学部生には単位の問題、博士には博士号の問題がある。
・時間は研究に削られるかもしれないが、タイムマネージメントをすることにより、効率的に行動を起こせるようになってくる。
・学会発表等の機会が増え、「自分の考えを分かりやすく説明する(コミュ二ケーション能力)」
(社会人には負けるだろうが)
人間関係は学会・バイト・趣味・留学・お隣りの研究室で補うこともできるんだよ。
私はやる気のない受動的な人間ほど、閉鎖性のデメリットをもろに受けてしまうと考えている。
私の立場は、有機化学系の研究に携わり、仕事上ある研究室をちょくちょく訪問する研究員としておこう。
彼らの多くは就職先が決まっているあるいは、博士へ進むことが決まっている。
けれども、以下の状況からは、その能力を疑わざるを得ない。
・彼らは集団で、気に入らない博士後期の学生をいじめ、うつ病に追い込んだ。いじめられた学生は、病気を患ったまま研究室を去った。
彼の将来の生活は本当に闇。
ボディタッチはさすがにないが、下ネタを一日10回以上、同じ研究室の女性へ敢えて聞こえる言う。
担当教員は、セクハラに関して「男が多い世界だから仕方がない」とのこと。
・彼らは集団故に、上記の罪悪感は無い。
・研究に積極的に取り組んでいるのは少数。あとは担当教員の言いなり。
まぁ、言われたことはやれるんです。
だから、発表できる程度の結果は残し、大学院生としての最低限はクリアしている。
・気に入らない人間を探し、悪口とその人の不幸をいうのが日常の楽しみ
人間関係が研究室で完結すると、周りが気にならなくなるからね。
残念ながら、彼らはロジカル・シンキングのできる幼児に「成長」してしまったのではないかなぁ。
彼らは大学院生にならない方が良かったのでは?
学部生の時の方が実はピュアだったりして。
研究室が悪いのか?その担当教員の管理能力が悪いのか?彼らが悪いのか?
私はそういう原因を探る問いが有効な手段ではないと考えている。
出来れば、研究室の自然消滅かなぁ…。そうすると、私の食いぶちがなくなるので困るが。
彼らの人生はこれからも長い。他人を平気で潰していくのかな?
そして大事なモノを閉鎖性のブラックホールに吸い込まれてしまったのだろう。
地元では良い高校卒だが、その後、中途半端な大学を卒業したので、「へー・・・で、どこの大学?」という質問には相当劣等感を持っていた。
まぁ、出身大学をズケズケと聞いて来る方の無神経さもどうかと思うけど、話の最後で学歴聞いて、ドヤ顔の奴もいてウンザリする。
最近「大学院卒」でロンダリングした知人がいて、私も真剣に検討した。関西の中堅私大から「京大大学院卒」を手に入れて、正直羨ましかった。
ただ、この年齢で、文系の大学院卒を手にしたところで、就職に役立つ訳でも無いだろうし、「学歴コンプレックス」解消だけを目的とすれば、コストパフォーマンスは非常に悪い。
で方法としては、聞かれた時に「高卒」にした。
反応は、「高卒のわりに頭がいい」だ。
マジレスしてあげる。
AO入試含む推薦も、一般入試も、大学側から正規に提供されている選抜方法なので、同じ。
そこに「いや、推薦は入試を経てないんだから」とか言っているのは自己正当化のために他者否定するアホと同じ。
しかも一般入試を経ている人のほうがなんだかんだで多数派なので、自己の論理を数で担保できるという賢しい手口。
バカだから、とかそういう問題じゃないことぐらい、大学に入る程度の知能を持ち合わせていれば、気づくもんだと思うけども、どうもそうではないみたいね。
というか、そもそも学歴ロンダリングという定義自体が、「俺達は正しい道を通ってきた自負」からきているようなもの。
ついでにそういう人は学歴厨になりがち。
東大に入って、やりたいことがないなら別なとこに行けばいい。
やりたいことが偏差値的に低学歴なとこにあるなら、そこに行けばいい。
それを認められないのは、決断すべき時にそういう決断をしなかった、してこれなかった、自分を認められないから。
それを認めなくても、世間体としては高い位置にいるように感じるから。
そしてその感覚を、下からの圧力で揺るがされているように感じるから。
彼らは、弱いの。
とってもとっても、弱いの。アブラムシなの。
だから、個人じゃなくて、集団の肩書きで、エリートなアリマキとして、見られたいの。
そして、それが、あなたなの。
http://anond.hatelabo.jp/20100503034646
〜最終章 そして社会人復帰へ〜
2〜3年続いた売り手市場の時期でした。
この好景気が長く続くとはまったく思えず、
「この時期のチャンスを逃したら2度とまともな就職ができない」
と思ったのです。(事実、そうでしたが・・・)
この頃には、仕事が2つの種類しかないという事が解りました。
1つ。死ぬ程考えないで体動かす仕事。
1つ。死ぬ程考えなければならない仕事。
僕は、どうやっても「考えない仕事」は無理だと解っていました。
あのとき最後会社を辞めるきっかけになった
「お前は要らんこと考えるから駄目」と言われたのが
もの凄くインパクトがあったからです。
なので、「死ぬ程考えなければならない」仕事で手に職が身に付くものを
やろうと考えました。なんでも良かったのですが、結果的に
もちろん、お役所みたいな仕事ではなく、
土日は休めるものの終電帰り・早朝出社はしばしばありますし、
でも、ひたすら卵を巻いていたあの頃に比べれば
天国のようなものです。自分が作った企画書やらマーケデータを持ち込んで
お客さんにプレゼンしたり、システムの設計をやったりという作業は
好きなだけ頭をフル回転させられます。
もうだれも「要らん事考える」なんて注意するやつは居ません。
死ぬ程考える事で喜んでもらえるのですから。。。
●永遠に不景気ということは無い。学歴ロンダリングは選択肢としてあり。
●不景気な世の中は北斗の拳で言うなら「鬼の哭く町カサンドラ」みたいな状態。
●ブラック企業を1ミリも擁護しないが、生きてるだけで丸儲けと思えるようになったのは良かった。
最後に。。。
超長文を読んで下さった皆様本当にありがとうございました。
もし、貴方がブラック外食企業で働いていて、疲弊しているようでしたら、
さっさと辞めていいと思います。
おそらくゴミ屑同然に言われながら辞める事になるでしょう。
店の持ち場辞めたら、いろんな人が迷惑するでしょう。
一分一秒をそんな無駄に辛いだけの時間に割かなくても良いんです。
動きさえし続ければ道は開くように思います。
幸せを祈っております。
とりあえず受験勉強はいいかげんに扱ってもかまわない。
進学しよう。
そして、(ここからが裏技だ)
の3年次編入試験を受けよう。
これがコストパフォーマンス最高の学歴ロンダリング術です。
編入試験は試験問題も受験者のレベルも卑怯なくらいに低いです。
ですので、この制度を利用すると
バカでもチョンでも楽して旧帝大生になれます。
ちなみにおじさんも旧帝大卒(一般入試だけど)です ( ^ω^)
----------------
僕は編入生をバカだと思ってるけど、
直接バカにしたりしませんよー。
----------------
どうして僕がこんな事をみんなへ教えるのかというと、
この原因は、
ごく一部の情報通の大学生しか「3年次編入試験」の存在を知らないから。
それ故、試験の競争率が低く合格者のレベルもめちゃくちゃ低い(旧帝大なのに、編入生は近畿大レベルwwww)。
大学生みんなが編入試験の存在を知って、その楽チンさが広まれば、
競争率が上がり、結果として合格者のレベルも上がってくるだろう。
--------------------
あー、高専からの編入生は本当に酷いよね。
http://anond.hatelabo.jp/20090725202927
鬱の原因はもちろん人によっていろいろあるだろうけど、私の場合は「八方ふさがりの状況」だった。
進むことも戻ることもできず、右にも左にも行けない。そうなるともう、沈んでいくしかない。
具体的には、「東大京大慶應のどれかの大学院に受からないと学費も生活費も出さない」と親に言われた。大学4年の4月始め、帰省した時の話だった。
どうしても研究したいことがあり、大学院に進学したいということは以前から親に話していて、総論的には賛成してもらっていた。自分の大学の院に内部進学するつもりで準備していたので、親の発言は寝耳に水だった。
東大京大慶應(以下「東大等」とする)なんて受かるわけがない。それだけの頭があったら、学部の時点で受かっている。
親曰く、「だって東大等って、学部は難しいけど院に入るのは簡単なんでしょ?」「東大等以外の院に入っても、研究者になんてなれないんでしょ」「あなたは頭がいいんだから、そのくらい受かるはずでしょ」
全く話にならない。学歴ロンダリング勝者の謙遜を真に受けてどうする。それに私は研究者になりたいわけじゃない。自分が納得するためにあと2年だけ研究させてもらって、その後は普通に就職するつもりだって言っているじゃないか。しかし、全く言葉が通じない。
もう4年の春。今更就職活動を始めるのも遅すぎる。
それとも、バイトと奨学金で内部進学する? 無理だ。ロングスリーパーで身体も強くない自分が、年間200万円以上稼ぐのと研究が両立できるとは思えない。
もう、東大等の院に受かるか、無職になるか、の2択しか残されていなかった。受かるわけがない。無職だ。人生おしまいだ。
それでも一応、東大等の院試を受ける準備はした。今の担当教授に事情を話して紹介状を書いてもらい、ゼミに潜り込ませてもらったりもした。しかし、そうやって準備をすればするほど、自分には東大等の院試をパスする実力がないことが絶望的にまではっきり分かった。
気がつくと、朝起きられなくなっていた。大学にも行かなくなっていた。昼すぎに起きて、ネットやって、酒飲んで寝る、という生活になっていた。
前期の授業はほとんど落とした。大学から、このままだと卒業できないという通知が実家宛に送られてきて、やっと事態に気づいた親が慌てて上京してきた。ぶくぶく太って一日中部屋で寝ていた私を発見し、病院へかつぎ込まれた。
その後、薬の助けもあってなんとか卒業だけはして、今は故郷の小さい会社に勤めている。納得はしていない。まだ鬱は治ってはいない。
何が言いたいのかというと、少なくとも私の場合、現状維持を望んでいたわけじゃない、ってこと。
私は、大学院に行きたかった。
「じゃあ行けばいいじゃない」と言われて行けるだけのリソースがあれば、鬱になんてなっていない。行きたくても行けないから鬱になったのだ。
「じゃあ行けばいいじゃない」は一番言ってはならない台詞だ。これほど無神経で、持たざる者を見下した発言はない。障害者に対して、「じゃあ健康に生まれれば良かったじゃない」と言うようなものだ。