はてなキーワード: ロジカル・シンキングとは
NPCかなって思うくらい「僕はロジカル・シンキングなんで」としか言わなくて会話が成立しないからだよ
二言目には「増田さんロジカル・シンキング知らないでしょ? 僕の言う通りに作ればいいんだよ」と言うアタオカがいて、でも奴の作る資料や申請書って上司や他部署にもオブラートに包まれて苦言を呈されるくらいなので説得力が皆無なんだけど、
奴のロジカル・シンキング研修とやらを見て、どういうこと言ってんのかやっと理解した。
自分はマニュアルや申請書作る際は「思考の過程の記載禁止」「やることのみを簡潔に書く」ルールなんだけど、ロジシン資料はそこと明確に矛盾するのな。
ロジシンは「ロジカルな思考をした結果こうなりました!」「だからこれがベストです!」っていう提案資料にしか使えなくて、マニュアルやFAQや関係者の意見聞くための事前資料作り(問題点の記載はできるけど、変更権限持ってる部署や影響受けそうな部署は別部署なので意見聞きながら検討したい)、ライセンスの追加購入申請やクライアントの証憑付きの承認申請(すでに取り決めされてるので申請者個人がどう思おうが関係ない)、あと日報みたいなのには向いてないのな。
しかも「相手の知識レベルに合わせる」とかあるんだけど、奴は自他の区別が付かないタイプで、自分の知ってることは省けって言うくせに自分の知らないことは丁寧に記載しろってキレるんだよな。
お前が知らないってことをこっちがどうやって知ればいいんですかぁ?????
あとお前の知ったかぶりのせいで隠されてるお前の独自解釈の言葉とかどうしたらいいんですかぁ?????
っていうかそもそも「日報がロジカル・シンキングで記載されてないから」と2時間残業で説明(説教)されるとか、本当マジ頭おかしいと思うんだよな。
新人の「今日やったこと」にシンキングが介在するかよ。「やれって言われた」から「説明通りにやった」だけだよ。むしろ「俺はロジカルにこうシンキングしたのでそうやりました」って方が問題あるだろ。
今日も仕事で自分の提案資料に対して上司に指摘をうけたが、よくわからなくて途中から思考停止してた。
話が理解できないというか、意図がわからない、何が求められてるのかわからないって感じ。
これは相手の説明が足りていないわけではどうやらなく、結局周りに「何が求められてるんですかね?」「何がダメだったんですかね?」って聞いて回ってどうにかやりくりしてる。
少しこうなってる理由を考えると、自分はずっと自分本意で仕事や人生を送ってきたことで、人の考えを理解することが極端に苦手なんじゃないかと思う。
今までずっと同じ分野に勤めてきて自分の考えが正しいと思っていたところもあり、自分が考えたものを押し通すにはどうするか、説得材料を集めるとか理解を得るまで説明して回るとかで仕事を進めてきて、それで何となくうまく行っていた。
プライベートも落ち着いて振り替えると。どうやったら相手は自分のことを理解してくれるのか?自分は正しいことをどうやって説得するのか?というようなことばかり追ってきた気がする。
もちろんそんな自己中で破天荒な態度をずっととっているわけではないし、プライベートの人間関係がうまく行っていないわけではない。だが、本当に相手の心を理解する、考えるという経験が極端に不足しているのだ。
相手の意図を理解することが大事だ、本質を理解することが大事だと言われているが、それを考える能力や経験が極端に不足したまま、まあまあな年を重ねてしまったと最近感じる。
40近くになってこんな相談してる自分に悲しくなるのだが、皆はどのように人の話や意図を理解しているのだろうか。最近本当に仕事に行き詰まりを感じてしまっていて、どんなことでもいいからアドバイスがもらえると嬉しい。
元増田です。
行き詰まって勢いで書いた自分の増田がホッテントリに入ってて本当に驚いた。
時間かかったけどもらったブコメ、トラバ全部読んだ。抽象的でわかりにくい、バカにされてもおかしくない内容だったのに、皆がこんなに真摯に考えたりアドバイスくれるなんて思ってもいなかった。みんな優しすぎるよ。
>上司本人に聞くべき
これはもちろんそう。
ただ「こういうことですよね?」ってその場で瞬時に要約して質問できるほど理解してないのと、質問しても「いやそういうことじゃなくて」になってしまうことが多い。
短い会議の時間で自分がトンチンカンなことを言って訂正されてっていうのに時間を使いにくい雰囲気はある。(増田がそれを避けてるかも)
・ロジカル・シンキング 照屋 華子, 岡田 恵子
この辺読んでみるよ。ありがとう。
そういう障害があることを初めて知った。
文字起こしツールで会議の内容文字で見るっていうのはやってみる。
>上司も悪いのでは?
もちろん増田の年次的にも、そんなわかりやすく答えを上司が言ってくるわけではない。 他の人の理解をあとから聞くと、人によって理解は多少ばらついてるけど、少なくとも増田よりは理解できてる。
耳が痛い・・・言われた言葉通りに対応して振り回されてってこともよくある。
相手の目的を予測するとか、対話ですり合わせるとか、そういう筋トレを続けていくしかないんだなあ
これ以外のアドバイス・コメントも本当にありがとう。40前であきれられてるかもしれないけど、どうにか前に進む道を考えてみる。
元増田です。
読んだ。
まさに人が言ったことメモとったり要約するときに自分の解釈を入れちゃうタイプだ・・・
今回はやってないけど、ブコメで言われていた「相手が話し終わる前に話しはじめる→話してる最中に、そのことに対する言い訳考えてたり」もやりがち。
そういうことを普段からやってたから、自分が予測してないレスに思考しようとして、結果聞き取りもできなかったのかな。
アドバイス増田の言う通り、相手の話を「言われたことだけ」聞き取るのを意識するのと、
一言一句会議中に記録するのは厳しいから、書き起こしツールとか画面録画も使って要約する訓練をまずはやってみようと思う。
話を前回のレスに戻す。上の話と矛盾してると思われそうだけど、実際この問題もある。
上司の指摘を(増田が解釈した)字面で受け取って言葉通り対応して、考慮が足りないとか納得できるストーリーになってないとか言われるパターン。
これも、(1)まず読解をして相手が言ってることを捉える(2)その後に思考して相手の期待値を考える
っていうステップを丁寧に対処することが大事なんだろうなと思った。
(ステップ1はアドバイス増田の言う通り、ステップ2はブコメが言う通りロジカルシンキングとか)
仕事って難しいなああ
アドバイス増田がこんなに伸びているということは、同じ悩みを持ってる人や、同じくこういう事ができてない同僚が周りにいる人が結構いたのかな。
思考を言語化するのと、考えたことを人に伝えるのとがごっちゃになっている気がする。
おすすめ本は、古典になるけどロジカル・シンキングが良いと思われる。俺は読んだことないけど、人に考えを伝える、という部分に関して基本的なことが書かれている。
中学受験のメリット・デメリットは色々な所で論じられているが、記名ではなかなか書けない部分をちょっと書きたいと思う。
よく言われるメリットは、中高一貫校で高校受験がないために自分の興味に集中出来るであるとか、自由な校風が主体性を伸ばすであるとか、そういったものだと思う。自分も間違いなく大きなメリットだと思う。
また、小学校の時に行う中学受験の訓練は、それがすなわちロジカル・シンキングに結びついており、大人が必要としている思考ツールの練習になるという指摘もその通りだろう。卒業後の縦横の繋がりも深い学校が多い。
中学受験を経験し、難関校の入学を達成した時点で、その後の人生において大きなアドバンテージを得ているのだ。ここまででも十分に立派なメリットである。
しかしそれ以上がある。それは、家庭の選抜である。中学受験に十分な投資するような家庭で育った子どもたちは、家庭全体としてある程度優秀であることが保証されており、教育に対する理解も深い。そういう家庭で育った子供が集まる、ということが非常に大きなメリットだ。
公立で地毛であっても黒髪に染めさせた、みたいなニュースが話題になっているが、先生の立場にたてば理解出来る。ろくでもない大量の生徒をしっかり教育するには、管理教育にせざるを得ない。枠をつくり、そこから外れた人だけを注意するやり方でないと、限られたリソースで対応していられない。ペアレントにモンスターもいて気をつかう。生徒の個性なんてものに気を配る余裕なんてない。型にはめるしかない。
これが中学受験により入学者がフィルタリングされた学校であれば、家庭がしつけをしっかりしていることをある程度前提に出来るので、自由な校風が実現出来たり、生徒の個性を伸ばしたり、いじめを取り締まったり、そういうことに先生(それも高給で優秀な話の通じる先生たちだ)のリソースを割くことが出来るようになる。
一泊 10 万円のホテルであったり、家賃 100 万円の家であったり、ファーストクラスであったり、そういうところを選ぶ人は「そこに来る人がフィルタリングされている」というのが大きなモチベーションになっていることが多い。ホテルでは朝食で部屋番号のチェックすらされないし、バイキングでパックに詰めるような人はまずこない。マンションでも最低家賃が 50 万円あたりを超えるとご近所トラブルなどまず聞かない。ファーストクラスでマスクを着ける着けないなどということを言う人はまずいない(ファーストクラスだけはアップグレード等で変人がくる可能性がすこし高いが)。
中学受験もそういう側面があるが、この場合のフィルタリングは「教育に価値を置いている家庭の優秀な子供が集まる」という点が素晴らしく、「金持ちの子供」よりよほど良いフィルタリングである(結果的にやはりお金持ちが集まる側面はあるが、生活に困窮しながらも子供を中高一貫校に送るご家庭も多い)。結果として自由な校風で個性が伸び、進路に関しても最新の情報が手に入り(数年前から学部からの留学が流行っているなど)、縦横のつながりにより卒業後もアドバンテージを持った人生が歩めるシステムがあるのだ。
入ってくる子供がフィルタリングされている。それが中学受験の、あまり表で書けない大きなメリットであり、その前提があるから他の校風やら個性やらの話が生まれてくるのだと思っている。受験のない環境において同じ教育を与えることは、残念ながら原理的に不可能だ。
私の知る範囲での事なので、全てには当てはまらないことを前もって言っておきたい。
というか愚痴だ。
理系、特に理学においては、「研究者になる」ということに、憧れを持つ人は少なくないと思う。
そして、一度はノーベル賞を取ってみたいと願い、
(行動はともかく)燃える時期があるのではないだろうか。
しかし、そんな気持ちはゆっくり熱せられ、急激に冷める。
おそらくピークは学士3・4年。研究と勉強の大きな違いにショックを受けるからだ。
そして、卒業研究が、彼らの望む研究とは遠くかけ離れたものになることも毎年のようにある。
彼らに全くやる気が無いわけではない。
1年で(正確には半年強だが)やれることなど、たかが知れている。
時間が不足しているのだ。
だから、担当教員は悩みながら、1年でできる程度の課題を彼らに与える。
不幸なのは、それに気づかず、
「大学ではたいしたことなど出来ない」と見切りをつけていく学生たちだ。
あるいは、エントリーシートの数百文字程度の内容には、なっただろうか?
(ここでの定義は、「最終学歴を大学院として、卒業大学より上位の大学に大学院生として所属すること。
その行為によって学歴はよくなるはずなのだが、己の学歴に対するコンプレックスを逆説的に強めてしまうこと。)
ただ、ネット上や、彼らの中でもコンプレックスの強い人物の心のなかには、はびこっていることだろう。
しかしながら、有名大学の大学院に進学することは悪いことではない。
現実的に、いわゆる上の大学になるほど、科研費その他もろもろにおいて、
資金は潤沢な研究室が多い。
良い研究をするには、良い環境の中でという考えもあるのだから。
問題はその一歩先にある。
大学院に進学したということは、「閉鎖性」に身を置くと同義である。
例えば、
・研究自体が一人=独りで行う
・取り組んでいること自体に特許や機密性を持ちうる
もちろん、例外は沢山ある。持ちつ持たれつで、他の研究室と交流する研究室もある。
これは私の強い主観だが、大学院生が学部生より無気力に感じる時がある。
彼らがモラトリアムを満喫しているのではなく、「閉鎖性」に慣らされてしまったのではないかと、
心配してしまう。
(本来は学部3年で考えておくべき事だが)
博士になるべきか否か?
ここで就職を選んだ人は幸せ者…と言われる(私はこの考えに賛同できない)
理由は明白である。
・学費をさらに3年以上も払いながら研究する金銭的問題。
・視野が狭くなる
あなたは他にも理由を挙げることができる。
いろいろな問題点があるが、ひとまず「閉鎖性」に焦点を絞りたい。
多く言われるのは、「論理的に物事を話せる(ロジカル・シンキング)」だ。
企業にとっては、その研究内容よりも、学部で学んだ専攻が重要だろう。
すると、「どのような閉鎖性を含んだ環境に身をおいたか」が重要になってくる。
・一つの物事に没頭できる環境がある
・日常生活の自由度という点においては、修士が最も高い。学部生には単位の問題、博士には博士号の問題がある。
・時間は研究に削られるかもしれないが、タイムマネージメントをすることにより、効率的に行動を起こせるようになってくる。
・学会発表等の機会が増え、「自分の考えを分かりやすく説明する(コミュ二ケーション能力)」
(社会人には負けるだろうが)
人間関係は学会・バイト・趣味・留学・お隣りの研究室で補うこともできるんだよ。
私はやる気のない受動的な人間ほど、閉鎖性のデメリットをもろに受けてしまうと考えている。
私の立場は、有機化学系の研究に携わり、仕事上ある研究室をちょくちょく訪問する研究員としておこう。
彼らの多くは就職先が決まっているあるいは、博士へ進むことが決まっている。
けれども、以下の状況からは、その能力を疑わざるを得ない。
・彼らは集団で、気に入らない博士後期の学生をいじめ、うつ病に追い込んだ。いじめられた学生は、病気を患ったまま研究室を去った。
彼の将来の生活は本当に闇。
ボディタッチはさすがにないが、下ネタを一日10回以上、同じ研究室の女性へ敢えて聞こえる言う。
担当教員は、セクハラに関して「男が多い世界だから仕方がない」とのこと。
・彼らは集団故に、上記の罪悪感は無い。
・研究に積極的に取り組んでいるのは少数。あとは担当教員の言いなり。
まぁ、言われたことはやれるんです。
だから、発表できる程度の結果は残し、大学院生としての最低限はクリアしている。
・気に入らない人間を探し、悪口とその人の不幸をいうのが日常の楽しみ
人間関係が研究室で完結すると、周りが気にならなくなるからね。
残念ながら、彼らはロジカル・シンキングのできる幼児に「成長」してしまったのではないかなぁ。
彼らは大学院生にならない方が良かったのでは?
学部生の時の方が実はピュアだったりして。
研究室が悪いのか?その担当教員の管理能力が悪いのか?彼らが悪いのか?
私はそういう原因を探る問いが有効な手段ではないと考えている。
出来れば、研究室の自然消滅かなぁ…。そうすると、私の食いぶちがなくなるので困るが。
彼らの人生はこれからも長い。他人を平気で潰していくのかな?
そして大事なモノを閉鎖性のブラックホールに吸い込まれてしまったのだろう。