はてなキーワード: 博士号とは
君は取ったの?
俺はDC1取ってたから文句言わせてもらうけど、あんなもん指導教員が論文たくさん出すタイプかどうかの運ゲーそれ以上それ以下でもないだろ
むしろDC1から取ってたタイプは成果が見えるステレオタイプの研究しかしない人が多いし
そもそも20%ってのも取れそうって思って応募してるなかでの20%だからな 博士全体の20%とかちゃうぞ
ゆるく採択される分野もあれば競争の激しい分野もあるし
お前みたいなのがいるから話がおかしくなるんだよ 学振に通った奴だけしか博士に上がらないとかしたら、今でさえ少なくて問題になってる日本の博士号取得者割合がさらに何倍も下がるだろ
俺は最初2か月くらいまではアドレナリンが出てたのか大丈夫だったけど、3か月目に入ったあたりで本格的にもう駄目になっちゃった
スーパーで食材買ってきて日本風のものを作る・・とかもできなくはないけどやっぱ手間がかかるし、昼に大学構内でまずいサンドイッチとかしか売ってないのが本当にきつかった
特にコンビニが恋しくなって、週末に日本製品売ってるスーパーでお菓子を大量買いとかしたね
最近だと博士号とって5年目まではイギリスで働き始められる新しいビザオプションみたいなのが出てて、日本だと東大と京大は該当してるっぽくてちょっと心揺さぶられたんだよね アメリカより飯がまずそうだからやめたけどさ
博士課程頑張ってください
増田がそれによって救われるかはわからないけど、実家太くて働く必要ない人ほど公益的なことやって欲しい。世界全部は無理でも、確実に誰かを救えるから。
公益とか社会福祉とか、本当に稼げないから人が少ないんだよ。熱意があっても生きていけない。
超高学歴で英語もめっちゃできるんだったら、役に立てる分野はたくさんあると思う。
例えば難民支援とかだと、難民申請をするために、いかにその人がいる国で迫害を受けているか/迫害を受ける蓋然性が高いかを証明するために、国連や海外のNGOの文書とかをめっちゃ読み込んで証拠集めて提出するんだけど、アカデミア出身で英語もできて、アスペで集中力が高くて情報収集能力高いんだったらめちゃくちゃ重要な人材。
それ以外の分野でも、英語の文献読めてアカデミックな能力あるうえに金がそんなにもらえなくても平気っていうんだと、ものすごく活躍できると思う。
金があるならどこかの団体に寄付だけでもするだけで、数百人くらいの支援につながるよ。
博士号取れた根気と学術的・論理的思考能力と留学行けた英語力合わさってるって、めっちゃくっちゃ優秀な人材じゃん。
営利企業だと年齢面で気にされることがあるかもしれないけど、資本主義的な競争から降りて、儲かりにくい公益的活動やれば本当に世界を変えられそうに思う。
専門学校でもいいじゃんと言うけど、でも専門学校で博士号持ちを中心に教員デッキ組んだら、Fラン大になるで?という話
たとえば自分が運営に関わってる看護専門学校の図書館は、公立の中学校みたいな図書館しかない。置いてる本は最低限だし、何より自習スペースすらない。
パソコンだって統計ソフトとか何も入れてないし、海外の雑誌だって何も購読してない。
何より、専門の学費じゃ博士号持ちの人に給料が出せない。高卒の現場あがりの人を教員にして、それで回そうってなっちゃう。看護にも博士号持ちの人はそこそこいるんだけどね、専門には施設も金もないから、高卒教員では教えられない、研究系の授業だけスポットで来てもらうので精一杯。博士号持ちに個室のオフィスも用意できないし。職員室スタイルで回してるし。
マジでやめたほうがいい、というかやめてくれ、意味がないどころか書くこと自体が有害だから。
あたりまえだが国が学校を閉鎖する権限なんてないし、補助金をださないとしても学生一人あたりの私学助成は15万円そこそこ、ふるさと納税とか教育訓練給付金とかと大差ない金額
仮にゼロになって学費がその分値上がりするとして、もちろん経営には大きな打撃だろうがそれでつぶれるかといったら、存続する大学がほとんどだろう
保育士さんや介護士さん、警察官のような現業公務員、小売業や運輸業でいつでも必要なものを届けてくれる人たちに必要な素養を身につけさせてくれているのは偏差値的にはそれ程高くない地方の私立大学
大学である必要はない、というという人もいるが、大学や職業訓練校というのはあくまでハコの話で、博士号をもつ大学教員に教わる価値があるか?と言い換えたとすると、俺は意味はあると思う
仮に大学教員の授業に価値がない、のであれば、むしろその大学教員が学位を取得したであろう東大、京大といったSラン不要って話では?
偏差値が高い大学(たとえば東大、京大)よりも偏差値が低い大学(それ以外)を卒業した人のほうが人数は多い、なぜなら偏差値ってそういうものだから
不要といわれ、バカにされた人たちが、偏差値が高い大学に国費を投入することを賛成してくれるはずはない
旧帝以上だけ無料とか、国立は無料、とかもっともらしいが、選択と集中をした瞬間、そこから外れた人たちから高等教育や研究への投資に賛同を得るのは難しい
そして(選択と集中なので)集中から外れる人のほうが多いし、日本は民主主義国家である以上、国民の多数が反対する政策が実現されることはない
もう年齢的に弱者とか平凡とか以前に人権がなくなりそうなので書いておきます。アドバイスはいりません
39歳男
170cm 73kg
地方都市在住
博士号もち
年収300万
預金1500万
精神疾患あり
ED気味
婚活実績はほぼない
学生のころ友人から女性を紹介してもらったことはある(3回)。いずれも凍りついた雰囲気で若干トラウマになる
女性と1対1で食事やお出かけをしたことはある。友人だったので苦ではなかった
正規職だったころ女子学生と話すのは楽しかったので、根っから女性嫌いではないと思う
女性側からアプローチされたことが1回あるが、全く恋愛対象ではなかった
連絡をとり合う友人は3人程度
正規職をドロップアウトした時点で人並みの幸せは諦めたフシがある
見た目には気を使っているつもりだが、いかんせん体型的にシュッとはしていない
女性のタイプは昔は天真爛漫な感じがよかったが、今はとにかくおっとりしてチャキチャキしてない人がいい
「女性=性の対象」という価値観をアップデートする機会がなく、恋愛ごとに罪悪感が拭えず忌避している
自然食品(手作り調味料無添加)、○○心理学(心理学ではない)、EM菌みたいなの、宇宙の偉大なる母的な方への信仰、ブラックホールなんちゃら理論(母の延長?)とかなんとかやって生還した
幸い医学で横道(横道でない認識でもまだ不安要素残ってて疑いもつのも仕方ないのも混じってるんだろうが、それを言い出すと入口なので…)逸れたのは、普通に市販薬には頼らない(自然免疫を高める、ただし高め方に癖がある)とか、ぐらいで、主に精神的な寄り道だった
10年以上はどっか行っちゃってたけど、そこの界隈が無茶な金集めしたかなんかでぶっ壊れたので、正気に戻った
壊れてた時は、先生の言うことが正義で疑うやつは敵って感じだったので、反論がすべて無効だった
まだマシな時は、話聞きながら、それはわかる、実はこういう学説(そこまで学説的なものではなく単に聞きかじった実験結果から得た推測とかの雑学)あるし、とか言ってたら、
先生と考え方が似てる判定貰ったりして、多分未だに、先生の役に立つところ(気の持ちようとか、ある程度効果ありそうで、否定もされてないやつ)は取り入れながら暮らしてなさる
ダメだこりゃって思ったのは、何か芯になるところ(嫁でいう先生)が揺らぐと自分が全否定されたって思ってしまってヒスるのと、そもそもギリギリ義務教育習って覚えきってないから、嘘言われでも気づけないし、データ読んだり、論理的に話を進めていけないのよね。それこそ地頭は悪くはないとは思ってたから、初手ヒスが原因の大部分だったのかもだけど。そうなった状態とかそれに近い状態で懇切丁寧に説明するの難しいし。(途中ででも先生は! って言われて何度もはじめっからになったりするので)
意識高いはてな民は小さい頃から子供に金融リテラシーを身につけさせたり、労働の対価にお小遣いを与えたりすることを絶賛する空気がある
もちろんその大切さを否定する気はない
お金は勝手に湧いてこないから、創意工夫でお金を稼ぐ意識も大事だ
でもそれと同様に、子供にお金の心配をさせないこともめちゃくちゃ大事だ
経済性関係なく好きなことに打ち込む経験も子供にとってはとても重要な財産となる
お金がないからあれができないとか、お金がないから諦めるとか、家計を心配して身を引くとか、そういうことを子供に思わせてしまうのは彼らの将来に大きな損失だ
好きなことを、何も気にせず目いっぱいやれるって体験も子供の頃しかない
スポーツ選手も芸術家もかなり幼少期にお金かけてもらっているものだし、博士号とって研究者やるのも経済合理性だけ考えりゃ無理だもんね
でも好きだからそれ頑張りたい、って気持ちを親は消さないようにしたいなって思うのよ
話題になってた野菜を作ってお小遣いにする家庭内ビジネス、これも面白いのは間違いない
お小遣いはおまけみたいなもので、野菜を作ってみる、親が育てた野菜を買ってくれる、そういう体験を丸ごと楽しむのなら素晴らしい教材と思う
でも、ゲーム買うためにとにかく好きでもないけど野菜育てなきゃ、みたいなのが本当に幼少期にやるべきことなのかはわからん
子の価値観が、「好き」よりも「お金」が優先されるようになるならば、それはとても夢がなくてさみしいことだと思う
教材がいい悪いではなくて、それを扱う親の姿勢の話だよ
ガリレオとかニュートンのような科学史に確固たる名を刻んでいる人や、平和賞と文学賞を除くノーベル賞受賞者以外のその他有象無象の学者の研究内容というは、価値的には、
一般社会でいえば会社内でのほとんどだれでもできるありふれた日常業務をこなす程度のものなのかね?
(だからこそ、ガリレオやニュートンがいた時代にも他にも研究者はいたはずなのに、その人たちがなにをやったかなど価値がないとみなされてろくに本として語りづかれるほどの動機も形成されなかったのだろう?)
査読を通っている以上最低限の学術的な体裁と価値はあるわけだが、ニュートンレベルの研究者なら当然できることを、そんな研究に頭を使うのはもったいないからとそういう人がその研究をしない結果として、そのおこぼれを替えが利く存在としての凡庸な研究者がたまたまやっているという感じがして、その感じが日常業務をする人たちのありようと似ている気がした。
別に自分でなくてもできる研究を自分がしているということだよな。
もっとも会社で誰でもできるような雑用をしている人は、そもそも博士号取れないので、そういう意味では会社の雑用と論文執筆とは全然レベルが違うわけだが。あくまで研究者同士で比較した場合の話。
学歴ロンダリングとは端的に言えば学部の学校歴を院進によって上書きすることだ。
そもそも学部の学校歴など社会で気にする人は少数派だし学士も修士も博士も全て別物で修士以上なら学士より学歴は上ではないのか。
そう、その通りだがそうではないのだ。
日本の中のごく狭い範囲において学歴とは「学部の学校歴=大学入試の難易度」のことを指すのだ。
つまりこうだ。
学歴とは大学入学時点での学力及び能力を指し示すものであり、就職またはそれ以後も一定の判断材料となる統一の指標だという考え方である。
言葉にすればするほど異常だが、この前提を踏まえれば「ロンダリング」の意味が分かってくる。
「お前は学部入学時点で学歴が決定しているにも関わらず、院進によってその学歴を修正しようとしている」
実際には学士が大半を占めており、修士博士にはいわゆる入試難易度という指標がなく学校歴で何かを判断することはできないという背景もある。
よく指摘されるような、「学士はそもそも修士博士よりも低学歴であり学校歴で覆るものではない。」といった考え方も日本では浸透しきっていない。
学歴ロンダリングという概念は「学歴オタク=学部学校歴オタク」に広く理解されている一方で、ピンとこない方には全く意味の分からない概念だと思う。
確かにその人の能力を測る統一指標は日本には乏しい。新卒一括採用でチャンスが多いために学部学校歴がそのまま社会人キャリアに直結しがちであり、社会人はキャリアそのものより年収や既婚未婚等で測られる場面が増えるかもしれない。
もっと言えば「そもそも修士って何?博士って何?それ早慶学部卒より頭いいの??」レベルの人が大多数である現状が生んだモンスターであるのかもしれない。