はてなキーワード: 科研費とは
国内の学会連合の有志が科研費の倍増を求める署名活動を開始してから50日が経過したが、署名件数は3.5万件にとどまっている。
日本の大学教員数が19万人余りであることを考慮すれば、この結果は国民全体はもちろん、研究者間でも支持が広がっていないことを示している。この署名活動は、失敗と言わざるを得ない。
呼びかけ人はこの現状をどう評価しているのだろうか。
署名を呼びかけるという行為は「賛同者が多い施策は実現すべきだ」という、いわば「数の論理」を内包しているが、逆に「賛同者が少ない施策は実現しなくてもよい」と納得するのだろうか。
「政治力がない」という表現は、誠実さや純真さを指すポジティブな意味ではなく、異なる利害関係を持つ他者と粘り強く対話し、仲間を増やす努力を怠っている不誠実さや怠惰さを批判するものだ。
例えば、研究力低下の指標として「トップ10%被引用論文数」が挙げられているが、発信者自身もこの指標で研究力を語ることの問題点を認識しているはず。
それに一言も触れないのは不誠実だし不誠実であるならせめてキャッチーであってほしいと思うが、「トップ10%被引用論文数」というキーワードが本当に研究者以外に響くと思っているのだろうか。
また、本当に「研究力の低下が経済力の低下をもたらしている」のだとしたら、なぜ経済界は科研費の増額に強く賛同しないのだろう?
例えば、経団連の提言やSociety 5.0(笑)には、「研究資金:公的資金への依存度が大きく、財源の多様化が不充分」と書かれる始末。
自分たちの内輪のゲームをさも他者よりも高尚な活動であるかのように喧伝し、その時々の都合に応じて「日本のため」」「人類のため」「自分のため」を使い分ける不誠実さ。
それに国民が気づかないだろうという思い上がりと傲慢さには呆れるばかり。
こんなお粗末な活動しかできないんなら、そりゃお金の問題じゃないなって財務省の人は思うと思うよ。
ふつーに考えて研究力が下がったとしたらそりゃ研究者のせいやろ。お金が取れないことも含めてね。
研究力が低下している、それは予算がないせい、財務省のせいっていうのなら、研究力が上がったとしたら財務省のおかげってこと?
注目の科学論文数、日本は過去最低の13位 1位中国、2位米国
増田は某国立大学の工学部で教鞭をとる40代の准教授である。その視点からの話であることはご承知おきたい。
こういう記事のブクマには政策が悪いとか選択と集中が悪いとか色々つくが、社会が構造的に「向いていない」という話を書きたくてここに書く。
みんな気になるだろうから、これを先に書く。
最近になってにわかに科学研究が大事ということになって色々な研究予算が付くようになった。工学部だと企業との共同研究のお話なんかももらえるので、えり好みしなければ研究費を取りやすい環境にある。
どういうことかというと、この手のお金は期限がついていたり使途が決まっていたり、いろいろと紐がついている。そして、必要なところには回せないことが大半なのだ。
例えば人件費。民間企業ではありえないことだが、国立大が人ひとりを無期雇用で雇うためには、退職までの予算を確保することが必須なのだ。国からの運営費交付金や寄付金のような、必ず退職まで支払われることが確実な予算で裏付けないと無期雇用の人を雇えない。民間企業なら、人を雇うときに予め退職までの給料を積み立てておくというようなことはせず、営業を頑張って給料を払うだけの売り上げを確保するものだと思うが、国立大ではそういうわけにはいかない。色々な企業との共同研究を締結し、外部資金を獲得して、その人の給料を確保する、仮にできなかったら身銭を切ると教授が宣言しても、そういう期限付きの契約では無期雇用の人を雇えないのだ。
秘書や事務職員ならまだしも実験機材を維持管理する技術職員とか、研究員とかもこの縛りを受けるので、必要な人を必要なだけ確保することができない。運営費交付金は人件費だけでなく建物や設備の営繕にも使われるのだから、やれ70年代80年代に建てられた校舎の改築だとか、光熱水費だとか、とにかく運営費交付金の増額が望めず物価が上昇し続ける昨今、大学にはお金が無いのだ。
ちなみに、外部資金をたくさん取ってきたからと言って自由に使えるわけでもない。大概の研究費は他の外部資金と混ぜて使ってはいけない縛りがあるので、例えば研究費A で岡山の学会へ行き、次の日から研究費Bで広島の共同研究先で実験をする、みたいな場合でも、いったん大阪の自宅へ帰って一晩滞在することで研究費を分けないといけない。実験機材も合わせて購入するということはできない。100万円の研究費をふたつつかって150万円の機材を買うことはできないのだ。これが研究費は増えてもお金が無い、という事情の内幕である。
昔からアルバイトに熱心な学生やサークル活動に精を出しすぎな学生は確かにいた。最近は就職活動に時間をかけすぎな学生が多い。夏休みはおろか授業期間中もインターンにかかりきりだし、ウェブテストの後で何度も面接をさせられ、いきおい、学生は疲弊している。日中の貴重な時間を研究室ではなく就活に費やし、奨学金や親からの仕送りでは足りない学生はアルバイトまでしているのだから、卒論や修論の質は落ちる。企業はガクチカとか聞く前に、理系の学生を研究室で研究させてあげてほしい。学部生の卒論は半年から1年しか期間が無いのに最後の数か月を除いて就活とまるかぶりだし、2年間しかない修士課程の1年は就職活動で消えている現状で、大学から研究成果が出ないと言われても、どうしようもない。
研究というのは、専門書を読み、先行研究を調べ、仮説を立て、手を動かして仮説を検証し、その結果を文書にまとめるサイクルである。これがきちんとできる学生であれば、どんな仕事に就いても立派に働ける。たぶん。
というか、企業の採用も、もっと必要な資格や能力を具体的に書いてほしい。今どきの学生は真面目なので、特定の資格を持っていると就職に有利だとわかればそれを取るようになる。大学だって国の資格などであれば学科免除などを取りに行って「就職に有利」みたいな売り文句で学生を集めやすい。どんな企業だって欲しい資格や能力は採用時点で分かっているはずなのだから、それくらい明かしてくれてもよかろう。
博士課程の大学院生、というのは研究を進めるうえで大変貴重な戦力である。なにしろある程度は自力で研究を進めてくれるし、そのレベルも論文として世に問えるものである。
ところが、である。ちょっと考えてほしいのが博士課程の魅力だ。日本の博士課程は、基本的には学費を納入して「学ばせてもらう」スタイルである。その分研究テーマの自由度は高いし専門性を高めやすい。一方で、ある程度経済的に恵まれていないと、3年間の生活をどう工面するかという問題が常に付きまとってしまう。最近は、学振の特別研究員のような昔からある登竜門的に限らず、各大学の工夫や国の政策で博士課程進学者を経済的に援助する仕組みが整い始めている。とはいえ、それらに通らなければ学費や生活費を調達せねばならないし、採否の通知は年度末か入学後なので、まったく安心できない。どれほど優秀であろうと研究に向いていようと、金がない学生は就活するしかないのだ。
さらに、就活に際しても博士課程は買ってもらえない。就活サイトを見ればわかるが、技術職採用でも研究職採用でも、博士号持ちの人の初任給は明示されない。修士課程の初任給しか書かれていない。これを見た学生は、修士号持ちと博士号持ちの初任給は同額だと理解する。聞くところによると、博士号持ちの初任給は修士号の入社三年目くらいかそれ以上らしいのだが、書かれていない情報などあてにできないので、就活する側からみると前述の理解となる。これでは、博士号を取っても何も良いことはなさそうである。
欧米ではではの出羽守だが、海の向こうでは、博士課程というのはプロジェクトから人件費を支給される研究員である。仕事の扱いだから労基法にも守られる。しかも、博士号を取れば仕事の口も増えるし給料も上がる。
ドイツなんかに行くと、博士号持ちは英語さえ話せれば仕事に就けるが、修士号まではドイツ語を話せないと仕事がない。Dr. と表札に書けるオマケはさておくにしても、それくらい社会的な扱いに差があるのだ。もちろん、給与の出どころである研究プロジェクトが終わると別のプロジェクトで雇われるまで博士課程を続けられないとか、プロジェクトの元締めである指導教員と相性が悪いと人生大惨事になるとか、いろいろなデメリットもあるが「博士課程の研究員」という仕事に就いている扱いなので、無理だと思うとみんな中途採用で企業に転職したりする。それくらい、普通の仕事の扱いであれば進学者も増えるだろうし、博士号を取っておけば食うに困らないくらいの扱いになってくれれば、みんな喜んで進学してくれるんじゃないかと思うがいかがだろうか。
大学に安定的な予算が十分ないために人を雇えないという話を最初に書いたが、そのツケをどう払っているかというと、パーマネントの教職員が頑張って回している。いや、有期雇用の教職員にやらせることもあるけど。来年度には任期切れで退職するような教員に入試問題を作らせたりされてよいものか?高校への出前講座とかアウトリーチ活動が必要だと言われたときに来年退職する先生を送り込んで誰が進学してくれるのか?定年退職した技術職員の後任は予算不足で雇えませんでした、となったときに機材の修繕を誰がやるのか?それでなくても、学生の就職や研究指導の面倒は必須である。
というわけで、大学の先生は講義以外にもやることがだくさんあるのだ。とても研究をしている場合ではない。雑務と呼ぶ人もいるが、講義や研究以外にも誰かがやらねばいけない仕事なのだから「雑」はないだろう。とはいえ、昔は若手の教員がやっていたような事柄も、若手ほど任期付きになってしまったのでシニアの教員がやらねばならなかったり、幸運にも無期雇用を勝ち取った若手に集中してきたりするので、DXで仕事の効率が2倍になっても仕事は3倍に増えるのだ。偉い先生方は偉い先生方で、改革と称して新しい企画を立てないと予算をくれなくなったので、朝令暮改もいいところのマイナーチェンジでお茶を濁したような企画書をいかに気宇壮大に書き直して追加予算をゲットするかに時間を使っている。夏休みも暇かといえばさにあらず、老いも若きも科研費などの外部資金の申請書と格闘している。倍率が10倍近くても、何とかして手に入れないと満足に研究ができないのだから仕方がない。
ちなみに、大学によって、また学部学科によって異なるが、国立大の教員が競争的資金なしに受け取れる、平たく言うと自由裁量経費みたいなものは、年10万~30万円くらいである。国際学会の参加費が10万円を超え、海外の論文誌の投稿料も10万円くらい取られるこのご時世に、である。どれほど世紀の大発見をしようとも、世に問うためには論文化して論文誌に掲載されねばならず、掲載されるためには投稿料を払わねばならないのだ。そして、その投稿料ともらえる経費がほぼ同額ということは、外部資金が無ければ研究 XOR 投稿という選択肢になってしまう。日本の論文誌であればもう少し安く、数万円で済む。ただ、そういうところに掲載されても「注目の科学論文数」にカウントされることはない。これが現状である。
それにしても、研究をして論文を書いて世に問うためには先立つものが必要で、それが外部資金が無ければ全く足りていない、という状況であるにもかかわらず、外部資金を取るためには論文を世に出さねばならないというのは何とも困ったものである。このあたりの必要経費と割り当て予算のアンバランスはどうにかならないものだろうか。
というわけで、大学の先生というのは、外部資金が無ければ研究ができないために年中予算の確保に腐心しており講義や学生指導は当然やるのだから、研究をしている暇はない。その先生を雇うお金はもちろんそれを支えるスタッフを雇う予算すら、外部資金のようなひも付き予算からは支出できないために全学的に人手不足の状況で、この傾向は悪化こそすれ当面改善する気配はない。代わって研究の主力となりえるのは博士課程の大学院生くらいだが、日本人の学生ほどこっち方面のキャリアに魅力を感じずに就職してしまう。それどころか就職活動は過去にもまして無暗と時間を食うような仕組みになってきており、研究活動でスキルアップさせようもない。これが日本社会の現状である。
金田先生との直接の質疑だったら専門的な説明にもなったと思うんだけどさ、理研の研究畑の人は泉さん(法学部卒)のこの質問に答えなくちゃいけなかったの。
○泉内閣府大臣政務官 これは、インターネットも含めて、多くの国民の皆さんも見ておられるということもあって、(略)高度な技術に対して国民の理解をというのは、大変難しいことかもしれませんが、やはり実際どう生きてくるのかが見えてこないと。
国民に伝わっているのは、例えば気象の予測が局地的にできるようになるということに、果たしてこれだけのお金を投じる必要があるのだろうかということも、実際にはなかなかつながってこないというのがあると思うんです。
なんつーかさ、ネットを介して見てる国民に何の役に立つか伝えろと言われたの。メッセージを届けろと言われたの。
専門分野の教授陣が審査する科研費申請とは、全然違う説明が必要でしょ?
どっちかというと科学コミュニケーターみたいなことを言わなくちゃいけないのかなって思っちゃうよね。
だから、(一般人の国民には)夢を与えるみたいなことしか言えなかったの。
まあ、事業として見直しが必要だったというのは間違いないんだよ。
蓮舫議員の質問が意味するものって、1位とか2位とかじゃなくて、コストがかかってもHPCの新規性のある研究を国家戦略的に続けるか、それとも先端研究としては断念して今あるもので便利な大規模コンピュータとしてわかりやすく役立てるビジネス方向に舵を切るプランBかって、そういう二択として受け止められるよね。で、コストカットイベントの場なんだから「満額は出せないけどプランBじゃダメ?プランBが嫌なら全カットになるけど」って意味になっちゃうよね。
蓮舫議員も法学部卒で、共同開発とかの言い方からして、新規性とか国際競争力とかそういう科学や研究の言葉で説明してもまったく響かなそうだし。
平易な言葉で説明しようとすると、中村進行役にさえぎられるし。
そんなわけで、もう研究者としては説明の言葉がなかったという感じ。負けは負け。せめてここの部分は金田先生と専門的な討論ができていればと思う。
https://shueisha.online/articles/-/250836
この記事で、「実は蓮舫氏はスパコン事業に助け舟を出していた」と書かれているが真っ赤な嘘(憶測)である。
まず第1前提として、予算を決めるような大事な話ほど文書のやり取りにすべきである。あの事業仕分けはただのマイクパフォーマンス芸であり、言った言わないを避ける方法がないことを思い出してほしい。例示としては、科研費である。科研費の予算決めをマイクパフォーマンスにしたら成立しないのは想像に難くないだろう。
以下、蓮舫氏のあの発言=助け舟というのはかなり怪しいという証拠を記していく。
https://www.amazon.co.jp/dp/4569779646
上手くいかなかった助け舟をタイトルにした本を普通出すか?本当にそう考えてたなら、それをタイトルに本出す奴はサイコパスやろ、という話である。
あのスパコンの事業仕分けでは、”予算要求通り”と評価した人は誰もいなかった。つまり蓮舫氏もそのように評価したのである。
だが、スパコンの重要性を理解していて研究が大事と評価していたなら、マイクパフォーマンスが悪くとも、”予算要求通り”にするのでは?という話である。そのマイクパフォーマンスの悪さ=スパコン研究事業の無意味さと帰結主義に評価するのであれば、蓮舫氏の取った行動も帰結主義に評価すべきである。つまり、”予算要求通り”と評価してない蓮舫氏は、助け舟であの発言をしていないのである。
蓮舫氏は事業仕分け後の2009年12月にTwitterで息子の使ってたマジコンのことを聞き、ネットで物議を醸した。
https://getnews.jp/archives/42755
まずここで確認したいのは、蓮舫氏はTwitterを投稿できるようなインターネットを使える環境にあり、その息子もおそらくそのマジコンをネット購入してるようなネット環境があることである。そういった環境があるにも関わらず、一切調査もせず、Twitterに無邪気に質問を投稿しているのである。
この調査能力がない人物がはたしてスパコンの重要性やどんなシミュレーションに使われてるのか、当時理解してたのか?
この事業仕分けの一件により、近い界隈の研究・開発・教育現場で愚痴のように口酸っぱく言われるようになった。
「目標を1位にしても必ず1位にならず下の順位(e.g. 2位, 3位)になってしまう。つまり、2位,3位を目標にしてしまうとさらに下の順位(e.g. 4位,5位)になってしまい競争・開発力がどんどん落ちてしまう。だから目標は高いところにしなければならない。」
もしかして蓮舫氏はこの当たり前の話も知らなかったのではないですか?
この事業仕分けにより、あの時期のHPC分野は間違いなく衰退した。
仮に助け舟を出したとされる蓮舫氏は、その後HPC分野を改善させる何かをしたかというと何もしてない。
そして、今回の都知事の公約にも、これに近い話は一切ない。つまり、蓮舫氏はあの助け舟で上手くいかなかった事業仕分けを特に問題ないと考えてるだけである。
以上の点を考えていくと、蓮舫氏はあの発言を助け舟とは全く考えておらず、あの事業仕分け、予算削減を特に問題とは思ってないのである。
都知事選に出馬する上でのネガキャンを減らすためだけの理由で、後出しの歴史修正擁護にはウンザリである。
はてな民は騙されないように!
んで,結局民間に行ったという話.
これはいろいろな要因があるけど,シンプルにお金がないことが一番の原因.
お金がないのは経済成長が停滞しているからであり,失われたn十年のせいであり,これは要因が根深く,すぐに改善できるものではない.
すなわち,日本のアカデミアは既に何が/誰が悪かったのかを探す段階にあるということ.
昨今のアファーマティブアクションは物議を醸しているが,これも無数に空いている穴を塞ぐ一つの手段でしかなく,日本のアカデミア自体がどうしようもないところまできている.
有り体に言えば,未来がない.
じゃあなんでそんなところに飛び込んだのかといえば,若年層特有の万能感としか言いようがない.
「俺がなんとかしてやる」と豪語し,どうにもならなかったというだけの話.悲しいね.
まあ研究者の仕事って書類書いて科研費などのお金を取ってくることが必須なわけでして.
全博士学生のうち半分くらいが出し,そのうち約2割が採択される(留学生含む全博士学生の約1割が学振持ち).
んでまあ俺は取れなかった.
でも今の時代,少子化で大学のポストが減る中,男性が多い上の世代はテニュアで残り,一方女性比率を挙げるために女性がどんどん採用される時代よ?
純粋に若手男性が取れるポストが減ってる中で学振なしで戦うのは相当に不利よ?
しかもその先の待遇も良いものではない上に,昇進についても女性が有利な時代よ?
流石に勝算が薄すぎる.
幸いにして他の経済的支援プログラムには採択されたので,生活費は工面できた.
これまた大きな流れを受けて状況がとても悪い.
これを強引に解決する手法として,若手男性のポストを犠牲にするアファーマティブアクションが取られることとなった.
諸外国と比べて日本は理系の女性比率が低く,マイノリティである女性が過ごしにくい環境になっていると.
必要性は分かる,分かるんだけどね.
俺の世代は男女平等を叩き込まれてるから,相手がどのような属性の人間であれ通用するような話や言葉遣いを心がけてきたよ(勉強や研究の話がメイン).
だというのに男性という性別の原罪を問うてくるのは,まあやるせなさを感じるよ.
だからといって同年代の女性を恨むかというと,そういうこともなく.
というより,先輩後輩や同期の女性達は,偶然女性が優遇される時代に生まれ落ちただけで,特に俺に何かしたわけでもないし,俺は研究の話ができて良かったよ.
チャンスがあったら掴むのが当然では.
ロールモデルがいないことによる困難さなど,また別のものを抱えてるだろうし.
恨みの連鎖は俺の代で止めるよ.
ま,これも現代日本に生まれて高等教育を受けることが受けた時点で,間違いなく運が良い方には入っているだろうが.
上の世代の不始末の影響を受けているといえばまあそうなんだけど,じゃあ上の世代を全員恨むかと言うとそれもちょっと違うかな.
博士向けの経済的支援プログラムを作ったのもまた上の世代の誰かなわけだし.
上の世代の犠牲のもとに,我々世代の博士の民間就活は改善されているように感じた(上の世代が伝え聞いていた話ほどひどくはなかった).
修士より要求されるものは多いかもしれないが,しっかり就活すれば野垂れ死ぬことはなさそう(文系の状況は分からないが).
あるいは海外に行きましょう.海外はアファーマティブアクション済みのところが多く,また欧米諸国以外でも日本より良い待遇で雇ってくれる所がある.
無論,要求される資質が日本のポストと異なることもあるだろうが,国内のポストよりは生きやすいと思われる.
「女性枠だ」みたいな声に左右されずに,ガンガン研究して成果を出してください.お願いします.
私は田舎育ちの標準的体格男性である。去年のことになるが東京に出てきて噂のぶつかりおじさんに遭遇した。場所は二子玉の駅での階段上がってすぐのスペースで、コートの裾がかするかどうかという距離感だったのが、通り過ぎそうなときにいきなりタックルをくらった。
https://twitter.com/hiziki3/status/1735961987715309686
のポストのまさにそのとおり。朝の丸ノ内線のラッシュとか体験していると、多少体が触れ合うのにはなれたけど、意図的なタックルには不意をつかれてびっくりした。東京のサラリーマンってイライラすることが多くてストレス解消でやっているのかな?と思って相手の顔をみたんだけど意外なことに、その表情は怒りではなくドヤ顔、満足感に満ちていて、あっけにとられてしまった。
ああいうのってストレスマックスの働き盛りサラリーマンなのかと思っていたけど、実際は定年間近か定年してちょっと経ったくらいの普通以上の身なりのおっさん(というかじいさん)だった。こちらも導線を少しはみ出していたので落ち度はあるのかな、と思って特に何も言わなかったんだけど今考えると、あれっていわゆる正義マンなんだよな。相手にちょっとでも落ち度がありそうだと、それを攻撃して満足する。そう仮定するとぶつかりおじさんの被害者に女性が多いのも納得できる。東京の混雑だと非力な女性の方が導線(足元のテープの範囲)から押し出されやすいし、はみ出たときに戻るのも大変だから、そういう群れから外れた個体をぶつかりおじさんは狙いに来るのだろう。彼らの自覚では社会正義を実行したつもりで世のため人のため働いたと思っているのだ。
なぜ今そんなことを日記に書こうかと思ったかというと、Xでウォッチしている池内恵とそのアンチのやり取りをみていて、これぶつかりおじさんじゃないかと思ったからだ。年齢層といい、池内に言葉尻などで絡んでいく様子といいまさにぶつかりおじさん的正義マン感がある。タイムラインをみてると池内先生はまさに集団でぶつかりおじさんにぶつかられるいるんだなあ、と心中察するにあまりあるがちょっと笑ってしまった。(ちなみに科研費は全額組織に振り込まれるから研究者が自由にアクセスでる金ではないという池内の主張は完全に正しい)
一つ明るい兆しがあるのは、もしぶつかりおじさん=正義マン=限界ネトウヨ老人 だとするとあと十数年たって団塊の世代が完全引退し、氷河期世代が爺になればこの手の問題は無くなるということだ。氷河期世代は良くも悪くも自分本位なので、そのような自分の得にならない正義マン行為には冷淡だからである。(2000年代のネットの悪ノリを引きずっているから、恒心教みたいなネット犯罪は増えるかもしれんけど)
鏡見るたびに、なんでこんなにでけぇんだよ、って腹がたつ。いみわかんない。胸がでかいことに腹が立ってる自分も意味不明だし、なんで自分の胸がでかいのかも意味不明。
老いも若きも男が見る、もうそれはしょうがない。生物的なサガだと理解してる。見ようとしなくてももう勝手に気付いたら目が胸を追っている、それくらいの勢いで見ているんだろうと思う。
だが私は見せたくてでかくしている訳ではない。勝手にでかくなりやがったんだ。視線に腹が立つ。やり場のない怒り。
胸がでかいのは遺伝だ。時代とともに栄養状態が良くなったのか、同じくらいの体型でも母親より私の方が胸がでかい。そのことに母親が良く思っていない気がする。
知らん。私のせいではない。あなたが美味しくて栄養たっぷりのごはんを私がおいしくいただいて大きくなったのだ。責めるな。
胸がでかい同世代の女には全く腹が立たない。あーでかいね、って思うだけだ。
さらし的な、ぺったんこにする方法もある。しかし、こんな爆裂にでかい状態からある日突然ぺったんこになったら、周りの男が全員「おや?」って思うんだろ?口には出さないが、思うよな!!!
え、今まで、何だったの???とか思うんだろ、まさか詰めてたん?とか思われるのも、まじで腹が立つ。どちらにせよじろじろ見る。なんなんだ、いったい。なんでこんなに腹が立ってるんだろ。
っていうかそういう問題じゃない。私は、自分の胸がでかいという事実に腹が立っている。これを何かでごまかしたところで、でかい事実は変わらない。
少し落ち着いてきた。いや、私のことは好きだ。
私は私の好きな服を着たいんだ。素敵な色の、セーターが着たかったんだ。
ただもう少し胸が小さければ、普通のサイズだったら。そんな変な感じにならない、胸!でかい!にならない。美しいフォルムで普通の体型に見えるんだ。
何か、何かを象徴してるんだよこのでかい胸ってやつは。わかんないんだけど。
縦にも横にもでかい、ボールみたい。ボール。いやボールじゃない、腹が立つ何か。
先生に聞いてみようかな。私は胸がでかいです。先生も良く見てるから知ってますよね。私は胸がでかいことも、先生が見てるという事実に腹が立っています。これはどうしてですか。これで科研費取れますかね?