はてなキーワード: 反動とは
電車に乗っていてふと気がついた。
みんなスマホの画面を見ている。
見たくなくても他人の画面が目に入ってくる。
驚いたのが多くの人がゲームをやっていることだ。
LINEもいるがかなり少数。
今なら、男性ならモンスト、パズドラ、女性ならディズニーツムツムのあたり。
しかし、自分はここ10年以上前からゲームというものに興味がなくなっていた。
そこで、何故大人がこんなにゲームをするのかを考えてみた。
自分の過去を振り返ると、小学生の時はファミコンブームでスーパーマリオやドラクエが流行っていた時代。
当時はそれはもう面白くてファミコン、スーファミ、プレステまでのゲームを遊んだ。
しかし、ある日突然ゲームが面白くなくなり、ぱったりと遊ばなくなった。
最初、製作者サイドが原因でゲーム自体が面白くなくなったのでは?と考えていたが、
周りは相変わらずゲームを楽しそうに遊んでいることを見ると、
別の原因があるのではと考え始めた。
そして、ある日、この記事を目にすることになる。
http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20131111062/
ということは、今、電車でスマホゲームしている大人は小さい頃に
某新聞で約束を守らなかった息子のゲーム機をバキバキに壊したお母さんの記事が掲載されたと聞いてふと思ったことを、備忘録兼ゲームを欲しがる子供達の親御さんが呼んでくれるといいなあという軽い気持ちで少し書いていきたいと思います。導入の記事の話はあくまで導入なので口述ではあまり触れません。まだ20年も生きていない小娘の戯言ではありますが、ついこの前まで子供だった(いや未だかもしれない)小娘の一意見として読んでもらえると幸いです。
最初に、私はゲームを持っていない子供でした。理由は両親が買ってくれなかったから、さらに言えば両親共ゲーム世代でなかった為ゲームに馴染みがなく、それが曲がってゲームに対して「有害」という絶対的観念を持っていたからです。有害というのも色んな意味を含んでます。「目が悪くなる」「ゲームばっかりする」「勉強がおろそかになる」こう言う理由で、私はゲームを買い与えてもらえませんでした。
結果私はどうなったか?
まず、ゲームを持っている友達と遊べない事が何度もありました。私が小学生の頃はニンテンドーDSの全盛期で、DSを持ってる子は集まると大概通信対戦で遊ぶのが通例だったのです。当然、ゲームを持っていない私はその輪の中に入れません。二台持ちをしている子などから貸してもらって参加する事もありましたが、ポケモンやどうぶつの森といった人数分のソフトがいるゲームの通信には参加できませんでした。みんなが楽しく遊んでいるのをただただ覗き込む退屈さと疎外感は今思い出しても落ち込みます。
次に、話題がゲームの話になるとあまり参加できなくなりました。ポケモンのレベルがここまで上がった、どうぶつの森でこんな住人が引っ越してきたという話になると、私は会話に全く乗れませんでした。そしてこれは現在も続いています。というより現在の方が多いです。小学校の頃にあのゲームに熱中したというような話に全く乗れないのです。その世代の大概の人なら盛り上がれる話題に参加できないのは辛いというより居心地がない感じがします。
そして最後に、反動で大きくなってからすごくゲームに浪費するようになしました。時々ゲーマーというゲームオタクの部類の人が「小さい時ゲームを買ってもらえなかった反動が今めっちゃ来てる」と言っているのを見かけますがこれは本当です。ゲーマーと名乗るほどではありませんがゲームをやらせてもらえなかった鬱憤とゲームへの憧れもあってか、1年でゲーム機を2台、ソフトを10本購入し、一時はクリア時間の目安が50時間程のゲームを学校がある平日5日間でクリアする生活を送ってました。定期試験前も密かにゲームに費やし、とんでもない成績を取った事もありました。反動がやや落ち着いた今振り返ると馬鹿だなあとも思います。ただ、もっと早くに「ゲームをやり過ぎたらまずい」という事を学んでおきたかったなあとも思います。
私は別にゲームを子供に買い与える事を推奨しているわけではありません。ただ「適度にやらせておかないと思った以上に困る事がある」という事だけ書き留めておきたい、願わくば誰かに読んでほしいと思い、この文章を書きました。困る事、は前述の私の話でわかってもらえたかと思います。残念ながら子供は理屈で覚えません。いい事も悪い事も、身をもって学習します。私は英語の点数を89点から28点に落とすまで試験前のゲーム三昧をやめられませんでした。ゲームを禁止したって勉強しない子はしないし、本を読まない子は読みません。禁止すれば後々社交面でも学業面でも支障が出ます。締めどころがわからなくなったのでとりあえずここまで。閲覧ありがとうございました。
根本的な問題として、「世界(主に欧米)のLGBT」と「日本のLGBT」では事情が全く違う
前者はバレたら速攻で刑務所にぶち込まれるなんて珍しくもなかったが、日本ではおおっぴらに公言する人は居なかったけど存在自体は社会から黙認されていたし法的にもペナルティはなかった
LGBTが最近話題になってるのは前者の反動の余波が日本に来ているだけなので、あたかも日本でもかつて同性愛者は犯罪者だったかのような前提で話をするといずれ破綻するし、何より今現在日本社会と折り合いつけて平穏に生活してきたLGBT達から見放される事になるだろうな
去る明治6年10月24日、私江藤新平は明治政府を辞職し下野することになりました。
皆さんご存知の通り、私は征韓派でありまして、志を同じくする西郷氏、板垣氏、副島氏、後藤氏とともに陛下にその重要性を述べてまいりました。
しかし、こうした動きに対して、あえて隠す必要もないかと思いますが、大久保利通氏が強硬に反対しておりました。
無論大久保氏の言い分は充分に解っているつもりです。朝鮮を征伐することが国際的に不安をもたらす、と。
その通りかもしれません。しかし我々は西郷氏を挑戦へ派遣することを閣議で決定していたのです。
どうして岩倉氏は両論を陛下に奏上したのでしょうか。三条さんはぶっ倒れてるし。
ええ。負け惜しみです。大久保さんの方が一枚も二枚も上手でした。
今年明治7年、私たちは民撰議院設立建白書という文書を政府左院に提出しました。
ええ、負け惜しみの反動です。これからは政府の官僚だけでなく、人民が広く政治に参加して、同じ意見の人々が政党を作り、その意見が政権に反映されるべきなのです。
負け惜しみです。だからこそ、この立場で政治を考えたいのです。この動きは絶対に広まっていくでしょう。何百年もかけてね。その礎にしたい。板垣君が頑張っています。
最近故郷の佐賀がなんだか騒がしい。士族に鬱憤が溜まっていると伝え聞いています。
なんだかそういうの聞いていると、故郷に帰りたくなってきます。
みんな何故かめちゃくちゃ私が故郷に帰ることを止めようとしてきました。
故郷が同じ大木君なんかめっちゃやめろ! って言ってきます、笑。 退職したんだから別に良いじゃんw
板垣君も副島君も慰留します。みんなそんなに東京が好きなの? まだ東京で消耗しているの?
私は佐賀で育ちました。幕末には桂君と会ったり(今は木戸君ですね)、姉小路さんに会ったり。大隈君や大木君、副島君、島君あたりとサークル作って活動したり。
維新後は学校を整備したり、四民平等なんて訴えたり、あと民法について仕事したり。警察制度作ったり。いろんなこと中央でをやらせていただきました。
自信あるのは警察の制度の中に、新しい技術である「写真」を使った捜査を盛り込んだこと。写真ってすごいですよね。これを人相の手がかりにすると効果てきめんだと思います。我ながら先進的な施策だと思います。多分100年以上これ使える手段になるんじゃないかな? とにかく、いろんなことをやらせていただきました。
負け惜しみの反動で書いてます。今佐賀でこれを書いています。板垣君、副島君。留めてくれてありがとう。大久保氏が私の帰郷するよう権謀術数をめぐらせているということ、聞きました。
でもいいんです! 東京で消耗するより、今は佐賀です。生まれ育った佐賀ではいろんなことが今起こっています。あの島君も佐賀に帰ってきているようです。昔は島君といろいろケンカもしましたが、今また会ったら。この佐賀で会えたら。また違ったケミストリーを生むことができるんじゃないかと思ってます。
板垣君や大木君、副島君等とは遠く離れてしまいましたが、また皆で議論したり、政治をしたりしたいなーと思ってます! まだまだ日本はこれからなんだから!! 今は・・・故郷でゆっくり考えることにしようと思います。そんじゃーね。また連絡するからね。
去年、社内で一番の働き者のIさんが辞めたのだけれど、そのIさんは転職活動がうまくいかずにずっとひきこもっているらしい。
少し前にIさんの母親から離職票を郵送してほしい旨、社長に連絡があったそうで、状況を伺ったらそんな状態だったという。
事務手続きは必ず自分でしていたIさん。彼本人でなく母親から――おそらく、失業保険のために必要なのだろう――そんな相談があったなんて、そうとう精神的に参っているのかもしれない。
Iさんと一番仲のよかったDさんは新年会に来ないかLINEで誘ったみたいだけど、いまだに未読のままで、Dさんは気をもんでいる。
ワーカーホリックなくらい仕事に打ち込んでいたIさん。仕事を辞めた反動で深く落ち込んでしまったのか。
回復するといいのだけれど……。
何時間か後には死んでいるという事を淡々と説明した男は、その続きでその後に死体が司法解剖されるという事を話し始めた。もちろん医者には解剖は必須の授業なので自殺が司法解剖の対象になる、という事は当然の知識だったのだろう。でも自分がどんな風に解剖されてゆくのかという事を聴かされる側にはなかなか酷いものだった。
そしてその話の中で、突然「ここで死ぬと、僕を教えてくれている教授が僕の解剖をする事になるな。」という言葉が出てきた。「お嫌だろうな。少し離れた所で死ぬことにしよう。その県の先生にはもうしわけないけど僕を直接教えたわけじゃないから。」と言葉が続いた。
その男は、ひとりで話し続けていた。「少し標高の高い所に行って、マフラーが雪に埋まる様に車を止めるね。そうすると一酸化炭素中毒で死ねるから。長く苦しまなくていいし。」
そんな風に、私は自分の身体が切り刻まれるおぞましい話をずっと聞かされた。そして話はその時妊娠していた私のおなかの子供にも及んだ。
「そうか、おなかの子どもも同じ状態で死んでいるんだな。いっしょに。」
無感覚だった私は、その言葉に激怒したのだと思う。身じろぎせずにただ座っていた私は、膝の上に置いていたバッグを掴み、運転していた男を全力で殴りつけた。ハンドル操作がぶれて、ガードレールに衝突しそうなほど猛烈に。
怒りは私に叫ばせた。「そんな事を考える力があるなら、警察にいってちょうだい。」
私はその男が何をしているのか、既にその数年前に知っていたので、目の前で女に刃物を振り回して脅されたり、部屋をめちゃくちゃに荒らされたりというショックから抜け出すと、当然なのだけれど反動で猛烈に怒りがこみあげていた。
P “C” FじゃなくてP “F” C。
厚生労働省が策定している『日本人の食事摂取基準』の2015年度版からは「エネルギー産生栄養素バランス」という名称になった。
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000083872.pdf
私は子供の頃太っていて、今でも太りやすく、デブになりやすい体質と遺伝子の持ち主だという自負がある。
気を抜いたらすぐにデブになるという自覚がある。人生常にダイエットしているようなものだ。
それで、メシだけでは太らんて?いや太りますがな。
逆に言うと総摂取カロリーさえコントロールできていれば何を食べようが飲もうが絶対に太りません。
こういった食べ物ばかり食べていれば、栄養が偏ったり必要な栄養素が摂れなかったりして、身体に不調が出てくる可能性が高い。
体重の増減という意味ではなく、健康という観点からこのような食事は勧められない。
だけどダイエットだろうが健康目的だろうが、食べる量と頻度の問題なんであって、「絶対食べてはいけない」とか「食べるの禁止」ってもんじゃないんですよ。何事もバランス。
たまに揚げ物食べるくらいならいい。
ドレッシングはノンオイルの美味しいものがあるからそれを使えばいいじゃない。
ジュースもいまどきはノンカロリーで美味しいのがたくさんあるよ。
無脂肪牛乳飲んだことある?カッテージチーズ食べたことある?あれクソ不味いよ。
ていうか量さえ摂り過ぎなければ普通牛乳だって普通のチーズだって飲んでも食べても全然OK。
自分の経験上ですが、極端な食事制限や食べたいものを我慢するという方法は、ほとんど必ずと言っていいほど反動が来ます。
ダイエットって一時的に体重を落とせればそれでいいってもんじゃないんです。
落とした体重を維持し続けることこそがダイエットの本質だし、一生続けられるような方法でないと意味がない。
たとえ食べ過ぎても1日の中でだったり数日単位で調節する方法を覚える。
おはよ!
そう呼ばれてるけどあんまり褒められてる気がしないのはなんでなんだい?
ところで今年の目標は決まった?
ダイエットにしたっていう人に少し役に立つかもしれないことを書くよ!
まとめようとおもったけど無理だったから、ダイエットに興味がない人は読む必要がないよ!
これから痩せたいと思っている人!まずはこの事実を受け入れることからはじめよう!
「ダイエットに近道はない」
とにかく、まずはこの真実を受け入れること。
これができない人は絶対に痩せない。断言しても良い。
飲むだけで痩せるサプリなんてないし、あっても身体を壊すだけ。
いくら食べてもなかったことにしてくれる魔法のドリンクも当然ない。
僕の増田に近道を期待した人はこれから先を読んでも意味が無いよ。
でも、この事実さえしっかり受け止めることができれば、自分の体型をコントロールすることなんて難しいことではないんだ。
だからまずこのことをしっかりと受け入れよう。
だけどね、最短ルートはあるよ。それをこれから一緒に見つけていこう!
世の中に痩せていると思えるスポーツ選手を思い出してみて。
そしたら今度は、身体が大きいと思えるスポーツ選手を思い出してみて。
その共通点に気づいたら、もう痩せ始めていると同じだよ!
多少乱暴だけど、瞬間最大出力を必要とするスポーツ選手は身体が大きいのに対し、持久力を必要とする選手の身体が細いよね。
どちらの運動も大きなカロリーを必要とするはずなのにどこに違いがあるんだろう。
それはね、運動単位におけるカロリーの消費方法が全然違うということなんだ。
それならなぜ身体を大きくしなくてはいけないラグビー選手も同じメニューをこなしているんだい?
もしランニングも40分程度しかしていないなら、残念ながらこれらの運動では全くと言っていいほど痩せないし、むしろ太る危険性の方が高いんだ。
運動強度の高いスポーツは、燃焼性の高いカロリーを必要とする。
だからこうした運動をした後は、どうしても脂肪分や糖質とか、吸収の早いエネルギーを身体が欲してしまうんだ。
それを我慢することは正直死ぬほど辛いよね。
筋肉が落ちることが恐いかもしれない。でも、それを怖がることが今の体型につながっているとしたらどう?
大丈夫。筋肉は思ったほど落ちないし、落ちたらまたつければいい。全然心配ないよ!
とにかく痩せたい人は、中途半端なランニングと筋トレはすぐにやめるべきなんだ。
同じく40分運動するなら、ランニングよりも俄然ウォーキングの方が効果が高いよ。
運動強度の高い運動はアウターマッスルを鍛える。アウターマッスルは燃焼の早いエネルギーを必要とする。
でも、インナーマッスルを使うにはゆっくりと消費できるエネルギーが必要なんだ。だから自然と欲しがるエネルギーが変わってくる。
それに、ウォーキングはストレッチの効果も期待できるから、日常生活での運動範囲が広がる利点がある。
ランニングで疲れて日常生活で動けなくなるより、基礎代謝の向上が期待できるってことだよね!
ここでも一つみんなの誤解を解いておくけど、ダイエットに必要な基礎代謝は、筋肉量ではなくて、日常生活における基礎的な運動量のことだからね。
筋肉があってもゴロゴロしてれば痩せないし、それよりも今ある筋肉をどれだけ使うかが大事なんだ。
ランニングで疲れて動けなくなるより、ウォーキングの気持よさでその後もテキパキ動く。そのほうが痩せるのは当たり前だね!
ところで、食べたものを消化するのに必要なカロリーってどれくらいか知ってる?
実は結構使ってるらしいんだけど僕も知らないよ!
だけど、痩せる過程でわかったことは高カロリーな食事ほどお腹が空きやすくなるってことだよ!
食べれば食べるほどお腹が空くなんて変だよね。でもそういうものだってわかったんだ。
ラーメンを食べるとその後の空腹感ったらいてもたってもいられないのに、胃に優しそうなものを食べた後の空腹感には迫るものがないんだ。
でもこれってさっきの運動の話に似ているよね。
そこで登場するのが「GI値」
ご飯、粉物(主に小麦粉)、根菜(特に人参)、いも、かぼちゃ、砂糖類
こいつらは即効性の高いエネルギーだけど、その分なくなると急激に欲しくなるようになるんだ。
逆を返せば、こいつらを必要以上に摂取しなければ、血糖値が安定することで急激な空腹感はなかなか生まれなくなるんだ。
でもジュースを飲むことで血糖値が上下して空腹感が生まれて、必要以上に糖質を摂取したくなってしまうとしたらどうだろう。
もし、空腹感をごまかすためにジュースを飲む人がいたら危険信号だよ!
血糖値の低下によって起こった空腹感を糖質で補う。こんな恐い悪循環はないんだ!
例えば500円を握りしめてコンビニエンスストアに行ってみよう。
おにぎりのコーナーを見てもパンのコーナーを見ても、さっきの食材を避けるような食べ物がないことに気づいて愕然とするんだ。
価格競争がたどり着いた先は安価で満足感のあるもの、すなわち糖質の高い食べ物ばかりが並ぶようになってしまう社会だったんだ。
そう思ってお惣菜コーナーにいくと、サラダの高いこと高いこと。
どうしよう。
液体だからそれなりの満腹感にもなるし、胃を温めてくれるからほんのり安心感があるんだ。
いまだに朝とお昼は、スープ一杯とパンかおにぎりで過ごしてるけど、お金もかからないし全然快適だよ!
そのうち1食は必ず自炊しよう。
外で安価に食べようとするとどうしても栄養素が偏ってしまうからね。
何よりイチバン大切なことだよ!
我慢が1番身体にも心にも良くない!
人間生きていく上で、一日にある程度得たいと思っている幸福感の総量があると思っているんだ。
それを下回ればなんとなくついてない日だと感じるし、それを上回るといい一日だったって思える。
ダイエットは、つまり食べることの幸福感とおさらばしなくてはいけない。
大きく分けて、満腹感と満足感だ。
満足感は、主に食べたいと思ったものを食べられた時の幸福感だよ。
ダイエットをする上で、満腹感は最大の敵だ。
だけど、満足感まで我慢してしまうとそれではストレスが大きくなりすぎてしまう。
そんなストレスの中でダイエットを成功させることは難しいよね。
そこで提案したのは、胃袋のスケール感マネジメントという考え方だ。
これからダイエットを始めるにあたって、その両方をいきなり我慢する必要はないんだ。
まずはとにかく胃袋を小さくすることを考えよう。(医学的に正しいかは別として、感覚的にという意味で。)
だけど、食べる量は減らそう。全部食べちゃダメ。
そうしたら残した自分をしっかりと褒めよう。
とにかく、満腹感を育てないことに徹するんだ。
そうすれば、例えば食欲が爆発したとしても、大したことのない量ですむ。
1番危険なのは、カロリーが低いからといくらでも食べ続けてしまうことだ。
そんな胃袋のスケール感で食欲が爆発したらどうなると思う?!
悪夢以外の何物でもないよ!
胃袋のスケール感をとにかく小さいまま維持するように心がけよう。
例えば外食で同じ金額を払うなら、質が悪くて量が多いほうではなく質が良くて量が少ない方を頼もう。
きっと今まで知らなかった満足感をもたらしてくれるはずだよ!
満腹感を我慢することのストレスに対する代替の幸福感があると、ダイエットはうまくいくんだ。
まず挙げたいのは、満腹なまま寝なかった時の翌朝の目覚め。
とにかく軽くて驚くよ!胃もたれ感0!眠りの質の良さMAX!
ちゃんと食材を選んで食べていれば、目覚めの空腹感の心地よさったらないよ!
それ以外にも、運動を適度に取り入れていればそうして得られる開放感や、毎日の体重チェックで減っていく瞬間の嬉しさとか。
とにかくなんでもいいから満腹にならなかったことによって得られる幸福を身体に染み込ませていこう!
そうすれば満腹で得られる幸福感なんてすぐに忘れてしまうんだ。
それどころか、満腹になることへの罪悪感すら芽生えるようになってしまう。
なぜなら、満腹になることによってそれだけの幸福感が失われてしまうからね。
そうしたらしめたものだよ!
だけど一つだけ言える鉄則があるんだ。
それは、「今の体型は全ての生活習慣の結果である」ということ。
もし一時的に習慣を変えることができても、もとの習慣に戻れば遅かれ早かれもとの体型に戻ってしまう。
それよりも、欲を我慢した反動でさらに酷い状態になったりする人を何度も見てきたよ。
なりたい自分になるためには、なりたい自分になるための環境を整えること。
だから、短期間だけダイエット教室とかにお金を払っても無駄。その場しのぎなコミットに過ぎないわけだからね!
僕は意識が高いわけじゃないんだ。
そうしたらいつの間にか色々なことができるようになっていた。それだけなんだ。
だから今でもしっかりと環境をコントロールしていないとすぐに自堕落な生活に落ちてしまうし、そうしたらまた少しずつ環境を整えて修正するようにしているんだ。
だからこそみんなにいいたいんだ。
やればできるんだよってね!応援しているよ!
仕事が忙しく疲れているのはわかるがそれを家庭に持ち込んでいかにも慰めてほしいという風に振る舞っている。家族も最初の内は嫌々ながらも気持ちを察して同情の言葉をかけるがいつまで経っても変わらないのでそのうちなにも言わなくなる、あるいは言葉が無機質になってくる。そうすると家族を養ってる自分に対してその態度はなんだと怒りだす。怒らなくても家庭内に無言の圧力がかかってきてそれぞれが不仲になり気分も悪くなる、外部の生活にも悪影響が出てくる。子供たちはそれが嫌で家から出ていき大学なに入るなり就職するがこのような家庭に育った子供は親の性質を素直に受け継いでいるか反動でろくでもないはめをはずしすぎる現代型の人間に育つ。子供のいなくなった家庭で共同生活に耐えられなくなった妻が離婚して出ていく。残された父は早くにボケるか何事に対してもケチをつける老害になる。妻が老いてきても子供はもどってもこない。家庭はもはや集まることもなくなって崩壊している。
ぶっちゃけ、ほんの最近まで同性愛者を犯罪者扱いしていた国々でどでかい反動が起きてるだけなんじゃね、と。
イギリスとか90年代まで男性同士のセックスが犯罪だった地域が残ってたし、アメリカなんて21世紀になっても違法の地域がゴロゴロあった。
フランスも同性愛は売春と同等の社会悪と見なされていて、公共の場での異性装(男が女装したり、女が男装したり)は80年代まで違法だった。ドイツも90年代まで「男同士」は犯罪だった。
そういう過去の過ちを正すために揺り戻しが来ているだけだよな。
そもそも日本はかれこれ明治時代からずーっと同性愛は合法のままだったわけでさ。
しかも当時の白人様ときたら「同性愛者を野放しにする土人ジャップランドwww」みたいな価値観で日本をバカにしまくってたわけ。
大阪は言わずと知れた関西最大の都市であり、奈良や京都と並んで歴史のある土地だが、
「大阪出身の偉人といえば?」と言われると意外に思い浮かばない。
しかし「大阪を代表する偉人は福沢諭吉です」というのもなぁ、という感じがする。
江戸時代、元禄文化からは井原西鶴や竹本義太夫などが思い浮かぶが、どうもパンチが足りない。
有名人の宝庫である戦国時代でも、有名なエピソードといえば大阪冬の陣・夏の陣くらいのもので、
もちろん豊臣秀吉も真田幸村も大阪の生まれではないし、秀頼では駄目だ。
戦国時代では他に、顕如、荒木村重、高山右近など…いずれも知名度が致命的に欠けている。
千利休!
これは良い線なのではないだろうか。
茶道の大成者であり、豊臣秀吉を通して戦国史にも多大な影響を与えた。
楠木正成!
ビッグネームだ。
戦前の大楠公ageの反動で最近は影が薄い気もするが、それでも知名度は高かろう。
日本史的には超有名人だが一般的な知名度はどうか。それとやはり出生地不明。
というか河内源氏は河内を捨てて鎌倉なんぞに行きやがったからな。
ということになるのではないか。
あ
老害かどうかという意味で言うと彼は大学生の時からとっくに老害だった。立身出世のきっかけになったと豪語するルパンの記事を見てもらえばわかるはず。有名になる前だから彼にこの記事で触れた人が多いはずなのだが、何人もの初見のブックマーカーが書き手のことをおっさんだと思っている。そのくらいおっさんぽいし説教臭いし上から目線だし自分の知ってる部分だけが全てだと思う頭の固さがあるしつまり老害だ。これについては徐々にただの想像力の乏しいバカであるという評価に置き換えられていったが一般的評価で見て少なくとも22歳の時にすでにおっさんくさかったことは間違いない。26歳になったから22歳の人間が気に入らなくなるというのは普遍的な話であるが彼の場合は違う。彼は22歳の時からすでに自分が気に入らないものは年上であろうが年下であろうが自分を棚に上げて文句をいう嫌なおっさんであった。
老害であるかどうかは大した問題ではないがそんなことより問題なのは老害であることよりもすぐにヘイトを撒き散らしてしまうこと。彼はおっさんくさい語り口調と対照をなすように感情が未発達。そのため小学生のガキが思い通りにならなかったときにすぐ癇癪を起こすのと同じ要領で幼稚な感情制御のもとに無駄に凝った語彙で人に嫌がらせをする。数年間ほどチャンネル桜やアホなネトウヨ活動に傾倒していた時期のせいか、極めて下品な語彙を多数獲得している上また大学生の時にまともなリアルの友人関係を構築することができなかったようでノリがいつまで経っても中学生のガキのまま。
さらにいくつかの要素についてコンプレックスがあまりに強すぎてそれに反発できずむしろ積極的にトレースしてしまう。克服できないままいつまでも反復強迫を繰り返している。たとえばリア充を嫌うくせに、自分の語りの時はリア充と同じ「俺の行間つまりノリまで理解しろ」「俺のノリを理解しない奴はださい」という態度をトレースしてしまう。いくらオタクぶっていてもリア充に強いコンプレックスを抱いていることがそこにくっきりと出てしまう。リア充の縛りから抜け出せないからいつまで経ってもリア充にこだわり続ける。あるいは母親を猛烈に嫌っているくせに、人との接し方は彼が嫌う母親そのものである。人の話を聞かず、自分の思い込みで相手を傷つけ一方的に評価するだけ。そういう扱いを受け続けた上他のロールモデルを得ることができずに現在まで来てしまっているため、そういう行いを憎みつつも自分自身がその憎むべき行為をするようになってしまっている。
自分が嫌うものに立ち向かわずその憂さ晴らしを他でやっている限りいつまだたっても自分が嫌うリア充や母親を恨みながらそれに自分が支配され続けるという屈辱を味わいその屈辱を他人にぶつけては反動で傷つき永遠に自家中毒で苦しみ続ける。だがなまじそれで他人がかまってくれるものだから今の自分を捨てられずごまかしごまかし生きるしかない。
自分が憎むべきものに自分がなってしまうことはよくあることであるがそういう時人はどうするかというと分裂症になるか自分を正しく認識しなくなるかどちらかである。彼の場合は非常に分裂気質が強い。そこからほとんど必然的なつながりで双極性障害になっている。専門家による治療が必要であるがそれを拒んでいる以上彼が自分を守るための思い込みではなく正しく自分のコンプレックスと向き合ってそれを克服することは困難であるし、発達障害や分裂症的気質を無視して躁うつ病の対策の記事をいくら書いて気をつけようとも少しでも厳しい環境になればすぐに躁うつ病は悪化する。根本的な部分で何も解決していない。 このままネットでできるだけ躁状態のアウトプットを心がけ、鬱状態の時のアウトプットを引き受けてくれる友人や家族を見つけるしかないだろう。
最近のはてブのコメント欄を見ると徐々にだが右側に寄っていく傾向がみられる。
個人的にはただの傾向であると思うし別段感慨がわくわけでもなんでもない。
ただ、その結果として幾つかの影響がみられる。
まぁ、雰囲気が悪くなるってだけの話なんですけどね。
ダイアリー時代からブログを書いている人には有名な左側の人が多い。
徐々にではあるがその人たちの論調が激しくなりつつあるようにみえる。
安部政権の支持率がなかなか下がらない状況等をみて(彼らなりの)失望からの反動か、日本全体に対して腐したり悪口をいう人が増えている。
その状況に右翼が増えた結果強烈な皮肉や罵倒で押収するブコメといったパターンだ。
その結果さらに左側のブログ主達は孤立感を深めていくように見える。
もちろん持論を記載するのは全然かまわないと思うし、「右になれ」とか、「これだからはてサは」とか言うつもりもない。
でないとそのうち化け物になるよ。
思春期から今に至るまで全く女性とお付き合いできず、風俗のみで性欲を発散していた俺は
いつのまにか、レイプ物やなんやら女性が泣き叫んでるようなAVやマンガでしか興奮しなくなってしまった
多分まともに女性に相手されない反動なんだと思うし、身近に可愛い女の子を見かけると好意より殺意が湧く
男受けする(俺も男だが・・)顔しやがって。ラクチンな人生歩みやがって。そのブリっ子な服も自分の金で買ってねーだろが。
・・・自分でも危ないな、と思う。レイプしたいなーとも思うが、それは俺の性欲を満たすためではなく、ただ単に絶望を味あわせたいだけだ