はてなキーワード: 不登校とは
https://anond.hatelabo.jp/20240820200255
これです
いろいろコメントありがとうございます。
一応バイトしてはいるのですが、早朝に2時間とかなのでシフト増やして離れられるようにします。
叔父叔母祖父母に関しては連絡先を知らないのでどうにもなりません。直接会うのも他県なので厳しいかなって感じです。
親がヤバい、みたいなことを言っている方もいましたが、父はともかく母は良い母親だと思います。ちゃんと注意してくれますが、弟が聞く耳を持たない感じです。
私が通信制に行った経緯は弟にいじめられる→自分はバカでブスでゴミなんだ〜😭と思って自己肯定感がなくなり、クラスメイトのような関わりのないが互いに認知している存在が怖くなって転校しました。(中学までは時々休んでましたがちゃんと卒業して受験もちゃんとできてました)
弟が不登校になった理由は私が学校行ってなくてずるいから、らしいです。
もしまた何かあったら、皆様が教えてくれた相談先に連絡してみようと思います。
とにかく死なない、相手を殺すの気持ちで生きているので自殺はしません、武力を身につけようと思います。
ありがとうございました。
私は弟にいじめられています。今日も嫌がらせを受け、そのストレスの勢いで書いています。
私は通信制高校に通っている16歳、弟は不登校の13歳(オンライン授業)です。両親は共働きで、平日日中の大部分は弟と家に二人きりになります。
一応自室があるのですが、iPadとファイヤスティックに関わるやりとり(後述)を毎日するため、その接触の際に嫌がらせを受けます。
兄弟間で決めているiPadとファイヤスティックに関するルールは
・13時でiPadは交代
・昼食の時間はずらし、相手がリビングにいる間は自室に戻る(この時にリビングのテレビでファイヤスティックを使用可)
の2つです。昼食の時間帯はあまり決めていませんが、iPadを使った方が13時〜14時に食べ、使っていない方はその前後1時間で食べることが多いです。
前提の説明が済んだので、今までに受けた嫌がらせの内容を書いていきます。こんなことで?と思われるかもしれませんが、このレベルのことでも5年続くと厳しいです。
・電源を切って渡す
・音量と光量を最大にする
・こちらが受け取るために出した手のひらにiPadを振り下ろしてぶつける
こちらが後からファイヤスティックを使う時(数ヶ月〜数週間に1度)
・音量0&消音状態にする
あとは殴られたり蹴られたり、ただ悪口を言われたり、ゲームで友達と話しながら一挙手一投足を貶されたりします。言われたことを書きます。
ブス
頭おかしい
頭の病院行ってこい
さっさと死ね
なんで生きてる
生きてる価値ないでしょ
お前なんてどうせ夜職以外出来ねぇだろ
等です。
もう推敲もする気力ないです。
「兄弟 いじめ」とかネットで検索してみても、ヒットするのは「兄が弟をいじめます」とか「兄弟が学校で虐められてます」みたいなものばかりで何も参考になりません。
どこかに通報することは出来ないのでしょうか。このままでは殺します。
母親も憔悴しており、「何回死のうと思ったか、」など子供に漏らすところまで来ています。父親は無関心かつ弟が弱いので父親の前では何もしません。
母は精神科の思春期外来の受信を勧めていますが、本人がアレなので望みは薄いです。
もしこちらからどこかに通報できるとするならばどこなのか、それによって望めることなどがあるのならば教えてください。どうか、お願いします。
多数いる中でターゲットになる人ならない人がいるので、表現はともかく、原因、理由、要素はあるのだと思う
ひとつだけという単純な話でもない
悪口だったとしたら、全ての属性が平均をかなり超えてないと、平均未満の個所を誹謗される。
酷いケースだと、平均を超えてても、いじめる側グループにもっとその属性が劣るメンバーが居ても。
ということは、悪口言われる要素というのは、誰にでもあるということになる。誰にでもあるのならないのと一緒だ。
完全に悪い人であるいじめっこは、常にターゲットを探している。
誹謗しやすい特徴を持つ人間(平均から大きく劣る要素や、その集団ではレアなマイナス要素だといじめやすいか)
かつ、かばう仲間がいない、対応(反撃や、受け流し、)能力が低い、リアクションが好み
いじめるリスクが少なくいじめがいがある、かつ、虫が好かないというような個人の好き嫌い
いじめっこAのターゲット、aが、いじめっこBのターゲットにならないこともあるので、
いじめられる要素としては、誰からもいじめられうるというよりは、特定個人や、いじめ対象を探している悪人(いじめっこ)に対して存在するということになるか
未熟で不安定な焼酎学生、高校生、成人すべて、ストレスの発散だかなんだかいじめ対象を常に求めてるという人間は今のところ居なくはならないので、
先ほどの、aが努力や魔法でターゲット要素を無くしても、次にターゲットになりやすいbがいじめられる ことになりそう
そうなると、aとb二人とかだと、どっちも大きな短所(あえて欠点として書いてしまうが、人間みな凸凹してる中で目立ったりレア目の凹というだけ)あるかもしれないが
人数が増えたり、集団のレベルが上がってくと、そのうち、目立った短所がないが虫が好かんというところまでターゲットが変化していくだろう
なんだかんだ、実際にいじめられたケースを個々に探っていくと、られ側にも世原因はあるっぽいが、
初手なんとなく嫌いから始まって、粗を探されたりでエスカレートしていくので、あるにはあるが無いにも等しいという気持ちになりそう
なぜなんとなく嫌われるか? に関して、自分が中学生の時に、何故か空手やってるウザいやつに絡まれだしたかに関して、原因考えると
調子に乗ってたとかそういうのになって、まあ原因ではあるし、今思えば自分でも当時の自分をうざいとは思うし、けどまあ、若気の至りで仕方ないとも思う
流石にそこまで荒れた学校ではなかったので、たまに腕パンされたりするぐらいで深刻化しなかった
あと、友達おったので、そいつに近づかん(近づかれん)ようにもできたし、他の要因色々ひっくるめて不登校にはなりかけたが、学校それなりに楽しかったので、恵まれてた
話がとっちかってきた
とりあえずターゲットになる理由については、あるが、そんなもの誰にでもあるし、理不尽だ
いじめる側にとって、ローリスク、いじめがいがある、その他もろもろ
これもいじめられる原因だ
で、戦闘力50のやつは、戦闘力30のやつからはいじめられない 30のやつは10とか5をいじめる
とはいえ、5が1をいじめたり、1200万が1000万をいじめたりも可能だ
そうして考えると、リスクやいじめがいも相手が頭おかしかったら(いじめをするやつは全員頭はおかしいのだが)(あと変な表現だが相性がよければ?)、あるといえば全員にある
結局、全員原因を持ってるが、100人の人ならざる哀れで愚かで存在価値のないいじめっこ(以下いじめっこ。哀れさについては後述かまたの機会に)に刺さる原因もあれば、1人2人にしか刺さらない原因もある
世の中100か0ではないので、原因がないと言い切るのも難しいが、あったとして全員があるのだから、無いに等しい、取り立てて原因があるみたいな言い方するな、と言いたい気持ちもわかる
とはいえ、いじめっこ90%がいじめたくなるのであれば、られ側に原因というか、タゲられ属性があるというのも多分事実。
だから治せるなら治したほうがよいというのは、親切心だろう
本来であれば、個々の属性とかではなく、社会がいじめを排除すべく、
いじめた瞬間に相当のリスクが発生する仕組みとか構築すべきだけど、今はまだというか、そこまでまだ何十年かはかかる(なにもかもがうまくいっても)
現時点では、いじめられ(やすくな)る原因がありそうなので、いじめっこが完全に悪いが、社会が排除にまだ対応できてないので、
改善(対応がすべて善だとはいいきれないが)できるところは、対処しましょう
となるのではないのか
原因が無いというのはきれいごと
例えば、会社で仕事出来ないどころか仕事増やすぐらいの人が、無視まではされなくても、他の人より明らかに阻害されたりするのって、仕方が無いと思う
しょうもないたとえだが、5人メンバーで、4個しかない美味しいおやつがあった時に、その人居ないときにこっそり食べるとかも、たびたびおこなわれてて発覚したらいじめかもしれない
本来であれば、誰か食べられない人をローテしてくべきであり
人間が愚かすぎるので、自分や自集団にとってメリットのない(酷い時にはデメリットが生じる)人間を優遇できない、冷遇する、時には積極的に
ストレスとか溜まってると(あと愚かすぎるの愚かさが酷いと)、自分へのデメリットというのが、単にあいつの存在が気に食わない、視界に入ると腹が立つ になる
仕事できないのに(と勝手に思ってる場合も多いが)同じような給料もらってるとか
こういうの、自分基準で的外れだったり、主観でしかないケースも多々あるが、客観的にもそうって場合もあり得るのが恐ろしい
歪すぎる
終身雇用が腐ってるので、窓際左遷みたいなのがあったり、そこで鋼メンタル窓際が居座ったり、
もちろん左遷させられ側が酷い時もあるが、窓際が労基にかけこんだり、
こんな歪な世の中なんだから、潔く生活保護を貰いやすいような世の中方向とか、全バーチャルとか、
極端なSF(少し、Fから始まるなにか)に変えんと……と思いがち
唐突に終わり
いじめは悪いこと
(すべてでよいかもしれない。られ側に発端、例えば悪口や暴力があったとして、やり返した場合は喧嘩で両成敗。それ以降で継続していじめみたいなのは単に悪。しつこい)
実際は臭い人が近くにいたとして悪くても体調不良とかに留まるので対策は行われない、自助の範囲に留まってしまう
同僚が臭すぎて出社が鬱とか、クラスメイトが臭すぎて教室で吐いて不登校とか、そういう事例が山程出てきたら対策されたりするのかね
夢でも救われた
救われた夢というか、自分が一番見たかった夢というか、これが現実であればと空想していた夢
子供時代、転校を繰り返してていたのだが、どこいってもいじめられていた
ただ、転校後にもらった手紙に
「いじめらていた君がいなくなったから、代わりにいじめられるようになった」とか書いてあって
振り返ると、普通の遊びと、いじめとかからかいとかの区別を感じれないくらい、
小学校はまあそんな感じだったのだが、中学は完全にいじめられていた
教室の中で自分だけがからかいの対象になり、はたかれ殴られ、泣きながら家に帰ったシーンを今でも思い出す。
まあそれでも何故か不登校になるようなことはなく、中高大となんだかんだいじめとからかいを繰り返しながら卒業したのだが、
自尊心がぼろぼろなのに気づかず社会にでてしまったので、会社入ってから全くコミュニケーションがとれず完全に病んでしまった
あ、なんか自分はおかしいんだと思って、色んな本読んだり、いろんな精神科や心療内科に通った
自信なさげに周りの目を気にしてキョドってるから、会社の人にバカにされるし、
時に「生きてて楽しい?」とか言われても、侮辱されたとか怒りとか感じることができず、
当時は話のネタができたくらいにしか感じれないくらい心が病んでたと思う
それからいろいろあって、今は心は落ち着いている。
ただ、友達がいない
ドラマや漫画で学生時代の友達と会い、昔話に花を咲かせるみたいなことは、全然できない
とはいっても中高大のときの級友は友達だったか?と言われるとたぶん友達じゃない気がする
対等な関係じゃなく、たた自分を卑下して無理にくっついてた感じがあるし特に会いたいとも思わない
中高大では感じなかった、楽しいとか一緒にいて安心するとかの感情は当時確かにあった
ただ転校後のいじめやコミュ不足から自分から連絡を断ってしまった
会いたいなとか空想しても、もう一生会うことはないんだろうなと思っていたら
今日、夢に出てきた
結構な年月がたって同窓会?的なところに自分が参加してる感があった
夢の中でも、自分の事覚えてるかな?みたいな不安を覚えながら皆のところへ足を運んでいた
声を交わしたは覚えてないが、
「転校してから辛かったよな」
「いじめられて辛かったんだよ」
みたいな心のやりとりがあったと思う
一応現実は安定しているから、自分では過去のいじめとか病とかは振り切ってたつもりだったのに、
夢から覚めて
ああ、これが一番待ち望んでいたことだったんだと思ったことに、
驚いたとのもあるし安心したのもあるし、なんか救われた感じがした
使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名の場所に吐き出したかったので失礼します。
そんな私は障害を言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分に自己嫌悪を抱いて生きてきました。
そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。
ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由を自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。
いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生の最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のものの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴でしかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。
現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーとADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています。中学の途中からいじめで不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります。本来は大学生か社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在は高校生活4年目を過ごしています。
また、普通のことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイトは面接でずっと落とされているのですが……
母は50代。私が生まれてからの範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています。
他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語で想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春を謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在は単身赴任中ですが。
現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。
正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから。
ですが、私視点の言い訳にしかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパンが放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手に食器を洗ってくれます。そうしては
と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳にしかなりませんが。
洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると
「腐るでしょう」
先述しましたが、こんな状態でリビングにいては私も疲れてしまいます。我慢できれば良いのでしょうが、毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまいますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、
「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」
と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。
あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨に誘導してくることがあります。
たとえばラーメン屋に一緒に行った時。
「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」
「でもママは嫌だよ?」
これはほとんど本来の会話そのままで、最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見に誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称「ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も
「テイクアウトどれがいい?」
「餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」
「あれは冷凍食品だよ」
「あっこれも美味しそうだよ」
「餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!」
「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」 と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子を却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。
こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチンも冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日、日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います。
「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」
内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまったかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると
「できない子なのに頑張っててえらいね!」
といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。
なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。
「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」
「ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」
「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」
「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」
「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」
「頑張って大人びないの」
「料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」
「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」
など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます。
極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。
「結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」
母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。
思えば昔からずっと苦手でした。
比較的最近の出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日のとある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。
「声が出なくなった」
と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気の可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断をしました。
結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親からの説教の内容に私は耳を疑いました。
多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教の覚悟はしていました。
「なんで救急車を呼んだ、社会に迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」
なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。
リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。 そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。
この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神科病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。
この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から『毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後
といったら、
と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスにシルバニアの家が欲しいと言えば最初から
「さすがに子供っぽいよ」
と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、
私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティの写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら
「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」
と大泣きしたり、いろいろなことがありました。
こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーのパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。
少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。
自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分で料理をするようにした際も、
「私の料理が食べられないのか」
と露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。
おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄に喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。
いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。
そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物をケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います。事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。
こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています。
私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います。「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います。
私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます。
結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います。
別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。
本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。
ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手の戯言を最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから。綺麗事にしか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。
これ読んだ正直な感想、男側が過剰にチー牛って単語に反応しすぎて感情的になってないか?だった。
多分妻は所謂チー牛という言葉を、ひきこもりや不登校と同じレベルの言葉として認識していて、そこに悪意などは無く、そうなってしまった際に苦しむことが増えるであろう子供の将来を案じての相談だったんだと思う。
そんな言葉は使うべきでは無い、というのをいただき女子やパパ活、こどおじ、独身様みたいなものにも同じように思うのであれば理解できるけど、チー牛という単語にだけ過剰に反応しているように見受けられた。
もしかして相談者の思うチー牛と、妻が認識してるチー牛に相違があるのでは?
相談者の思うチー牛は、見た目も性格もあまり良くない、奥手でオタク気質な人だと認識していそうだけど、恐らく妻は見た目がどうとかより、自分が上手くいかなかった際に社会に対して悪意を向けたり、他人のせいにしたりして社会不適合な性格になりやすい状態を表しているんじゃないか?
チー牛という単語を使ったのは、まさしく妻の言う「例えとして使いやすい単語」だったからというだけで、夫側のチー牛という例えに対してのよく分からない個人的な感情(あるいは同情、共感)が入っているように思う。
そこに拘って子供の将来より、子供をチー牛と例えることへの不満ばかり主張してるあたり、やっぱり夫側がチー牛に対してなんらかのコンプレックス刺激されて感情的に反応してるようにしか思えないんだよね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2412003
TG誤認や多様性批判に結びつけるのは論外。ただ多くの人が思っているより男女間のグラデーションが存在する。肉体的な形質のどこかで線を引く必要がでる場面と、性別で判断すべきでない社会的な場面と分ける必要ある
https://b.hatena.ne.jp/entry/4757133334964214880/comment/todomadrid
未だに性分化疾患を理解してますよアピールしながら性分化疾患を中性扱いしたり性のグラデーション論の根拠にしたりしてる奴が多くてビックリしてる
性分化疾患とは、この性分化のステップの何らかにトラブルが生じ、性染色体、性腺、内性器、外性器が非典型的である生まれつきの状態に使われる用語で、多くの疾患(体質)を含む総称です。
実はなによりも私たちは、自分の体の状態が、世間の人々から「男でも女でもない」「男女以外」であるかのように見られてしまうということこそを恐れて生きているのです。(中略)
現実に、学校での LGBTQ 等性的マイノリティの皆さんについての授業で、DSDs を持つ人々がまるでグラデーションの中間の存在であるかのような説明をされて、不登校になった当事者の女の子のケースや、男女以外に「その他」が設けられているの性別欄を見て、自殺未遂に至った当事者の女の子の相談も受けている状況です。
学校で体の性にもグラデーションモデルが使われた授業で,不登校になったDSDs当事者のお子さんについての相談も受けている状況です。
「体の性のグラデーション(スペクトラム)モデル」は,DSDsに対する古い偏見を助長するだけでなく,DSDs当事者の子どもたち・人々の大多数に,二次的なトラウマを与えかねないものです。
仮に当事者団体の声明を知らなかったとしても、出生児に判断された性別でずっと生きてきて物心ついた後に「あなたの身体の内部を確認しましたが、あなたの性別では通常あるはずの器官がありませんでした(あるいは、ないはずの器官がありました)」と診断された性分化疾患の方に対して、
「中性」「性別にはグラデーションがある」と宣うのって思考力もなければ人の心もないとしか言いようがないんだが
まず性分化疾患の人も染色体はXYかXXの二種類しかないから中性だのグラデーションだの言うのは全くの誤解だし、
「染色体は二種類だけど身体にはグラデーションあるじゃん!」って言うなら
髪の毛が全く生えない女性は?
こういう人たちのことも全部中性とか性のグラデーションって呼ぶの?
「後天的ならただの病気だけど、先天的なら中性なんだ!」って言うなら
性分化疾患を「中間的な性」「性のグラデーション」扱いするのはそれくらい失礼なんだよ
いい加減気づけ
以前職場の人に、「いつか無差別殺人を起こしそうだと思っていた」と言われて衝撃的だった。何を考えてるのか分からないと陰で言われるのは慣れているけど、通行人を刺し殺しそうとまで思われていたとは。その時期ストレスに耐えきれられなくて職場で号泣したりトイレで頭を打ち付けたりしていたのでそれはそうか。そう思われるのも不思議じゃないか。
幼稚園の頃までは明るく活発だったらしいのに、小学校に入ってからは黙りが多く、根暗で会話ができず、学生時代は不登校の引きこもり、どうしても人間になりたくて社会人になってからは少しずつ社会性を身につけようと努力した。
おかげで挨拶は出来るし、店員さんにお礼も言えるし、天気の話と夕飯の話くらいは出来るようになった。1対1だったらそれ以上の会話も楽しくできてると思う。でもそれ以上のことになると、人数が増えれば増えるほど会話ができない。言葉が出てこない。冗談を上手くあしらえない上に失言を重ねる。自分でも自分が何を考えているのか分からない。結果無視のような形になってしまい、不機嫌になったと捉えられてしまう。自分が会話に加わると気まずくなる。最近は滑舌もうまく回らなくなった。
今日も、会話の中で不機嫌になった、と捉えられたのか後ろでコッソリ何かを言われてしまった。刺されたらどうしようと笑われていたのかも。
普通の人になりきれずちょっと距離をおかれるのがつらい。後輩にも優しく教えたつもりだったのに、聞かれたらすぐ手を止めようと意識しているのに、質問しにくいと思われてるのがつらい。人が人の噂をしているのも自分が言われているのもつらい。家族にも友人にも他人にも悩みを言えない。
こういう人は自分だけじゃない。社会で浮いてしまっている人なんてこの世にごまんといる。わかっているが、今までの職場には自分1人なので、どうして普通になれないのか悩ましい。
周りから徹底的に排除されていじめられて叩かれて完全に孤立しているならいっそ楽なのに、周りの人は常にやさしい性格で変に気を使われるのがまた生きにくい。構わないで欲しい。気使われるとこちらも気を使う必要があるが気の使い方が変なのでまた不思議な空気にしてしまう。
これは学生時代、不登校引きこもりで病んでいた頃の話です。振り返ってみると、当時の私はどう見てもメンタルが異常でした。
毎日が不安で、何をしていても落ち着かず、生きた心地がしませんでした。
単純に言えば、「満たされていなかった」。
そんな中、私を救ってくれたのはいつも「好きなもの」でした。漫画、音楽、そして食べること。これらが私のメンタルを辛うじて支えてくれていました。
私は食べることが好きです。好き嫌いもほとんどないし、小さい頃からよく食べる方でした。つまり私にとって、食べるとは即効かつ確実に「自分を満たしてくれる」行為に他ならなかったのです。
食い尽くしてしまう人々の名誉のために言っておくと、計算はできていたと思います。例えば、2人に対して餃子が10個あれば1人5個。うちは5人家族だったので、この場合は1人2個です。
もちろん最初は自分の皿に餃子を2個移します。そして食べる。美味い。しかし大皿にはまだ数個の餃子。食卓と目が合って、まだ皿の上に在る食べ物を見てしまうと私はいつも、衝動を抑えることが出来なかった。私の中を這う感情は常に「お腹空いた」ではなく「足りない。満たされたい」でした。
そうなると、恐ろしいことに、私の脳内では「1個くらい食べてもバレないんじゃない?」や「まだ取ってない人がいるなら、お腹空いてないのかも」といった自己正当化が始まります。そして、何かに急かされるように大皿に手を伸ばしてしまうのです。
今思うと、これは完全に自己正当化と認知の歪みです。当時の私はメンタルがおかしかった、と思います。
話を戻しますが、私は餃子を3個以上食べたわけなので、当然バレて親に怒られました。「なんで食べちゃうの」と。そりゃそう。至極真っ当な意見。
でも、当時の私はその言葉では食い尽くし癖を止められなかった。
だってその時、私が本当に欲しかったのは親からの承認だったから---☆
学校に行かなくなって、周りの評価も変わって、当時の私はそれが結構怖かった。相対評価の中でしか価値を認められてなかったことに気付いて、結構ショックを受けていたのです。だから私は親に、どこで何をしているか以前にあるはずの「私の存在そのもの」を肯定し、承認してほしかった。
でも親は学校は行くべきもの、やるべきことだと思っていたし、私に「学校に行って欲しい」って言っていた。そしてその言葉が娘に対する愛情から由来するものだとは私も分かっていた。それでも学校には行けなかったので、悲しいすれ違いが発生してました。
何をしていても不安だった。「でもお前はやるべきことをやっていない」という視線は、あの日の私のメンタルを満たす箱の、底を抜いていた。
だから、満たされない心を他の何かで埋めるために、即物的で確実に欲を満たせるものへと手を伸ばす。それが私にとって「食べること」でした。
念のために言っておきますが、「だからお前の旦那はメンタルがおかしいんだ」と言いたいわけではないです。
そういうことを断じれる立場にはありません。
ゆえに、私はただ私の話をしているだけです。その点はご留意ください。
ただ、もしかしたら貴方のおうちも、食い尽くしのその原因は食卓以外にあるかもしれません。
餃子の数とか、食欲とかではなく、それ以外のところに。
以上、読んでくれてありがとうございます。何かの参考になれば嬉しいです。
ちなみに親とはぼちぼち仲良くやれてます。虐待とかじゃないし、被害者面したい訳でもないです!そこだけはまじで頼む(?
※10個は例えの数です。異常に足りてないご飯ではなく、普通にいつも5人分出てきてましたよ
追記?
1.分かりにくい文章でごめんなさい。書き直してみたのでよければ読んでみてください。精進します……。
2.私もそう思います。私の場合は、許されたいのは餃子をたくさん食べることではなくて、自分の存在そのものだったので、食べる数だけ許容されてもより満たし方が歪になってただけだと思います。まあ食い尽くししてる側が悪いんだけどさ……。
ふと思い出したので書いてみる。
彼女はいつもオドオドしていて、なのに変なところでスイッチが入って突然怒り狂うような人だった。
◯◯菌が感染るなんて扱いもされていた。
私は彼女と関わらないようにしていた。
ある日、彼女が筆記用具を忘れて困っていた。
みんな気が付いていたが、ヒソヒソと囁き合うだけで誰も助けようとはしなかった。
彼女の隣の席であった私は、筆箱に入っていた使い古しのシャーペンを彼女に渡した。
返さなくていい、とだけ伝えた。
彼女はお礼を言い、その後度々私に話しかけてきたが、それらは全て無視した。
彼女がいない場所で◯◯菌のついたシャーペンなんか返してもらいたくないでしょ、と笑った。
彼女の母親は、彼女が友達から何かをもらうのは初めてなのだといたく感激した様子だった。
正直に言って、気味が悪かった。
古いシャーペンを渡しただけでわざわざ母親からお礼の電話なんて。
なので、私はそれ以降も彼女に関わることはしなかった。
二年になり彼女とはクラスが変わり、その後彼女は不登校になったと聞いたが、私は別に何も思わなかったし、今の今まで思い出すこともなかった。