はてなキーワード: ムーとは
0と1。人はよくどちらか1つを選ぶ。
どっちか選ばないといけないのかなって思う。2つ(両方)でいーじゃんって思う。
でも、今の世の中だとそれじゃ「個性がない」とか「変わってるね」とか、わけのワカラン事を言われる。(気がする)
個性が無いのに変わってるって、どうゆう意味なんだ?と考えるけど単純にその人と合わないだけで相手が優しく「ムーリー(SEGA)」って
言ってくれているのだろうね。
ま、とりあえず2つでいーじゃんって事は、考えてないんじゃなくってどっちも正しいと思うし、1つにしちゃうともったいないじゃんって事。
最近2★偉い人
自分が偉いって思ってる人は、何考えてるのかなーって思う。
どうしたのかなって思う。私はよく分からないけど、偉いのかな?
テロのニュースが多いです、最近。とても心が痛く悲しくなってくる。
未来に希望を持ってアタックするテロリストからしてみれば、私達異教徒は邪悪であり不幸の象徴なんだろうけどね。
たとえ、地球が2つになって別ればなれになっても、同じことは繰り返されるんだろうな。
テロ行為は認めないけど、テロ行為する人たちについても理解をしなければいけないのかなと思う。
あと、下らないニュースが多い気がするのは私だけでしょうかねえ、日本のニュースサイトは。
最近4★ネジが足りない。
私の机にモノがたくさん散らばって、片付けようとすると明らかにゴミ(ガムの包み紙)が残ってたりする。
ゴミを認識できないんだなって思うと、まあ困るけど二度目の処理で気づくからまだ可愛いなって思う。
まあ普通なら一回で気づくんだろうけどね。
ドラゴンボールもビックリのインフレと、アニメに即した極端なクラン差、パック内の8割以上が使いようのないゴミor自分が集めてないクランと言うシングル安定状況。
これを5年も続けている。さすがに信者も減った。残っているのはヒトなのかも怪しい類人猿のような生き物。他人を敬う事も知らず、子供相手でも牙を剥いて威嚇し、マウントを取ったら相手がギブアップしても殴り続ける。そんなのしか残っていない環境。
そして、偶にTCGっぽいコンボや運用が見つかったら「健全なファイト環境」に反するので規制。でもアニメの主人公クランの理不尽な強さは規制せず。怪我しないようにグローブもヘッドギアも付けるが、階級制の無いボクシングだ。
そして、約5年ほっといたクランがライバル使用となった途端如実なプッシュをして環境上位に。もちろん、遊戯王やデュエマなんて目じゃないくらいの金額じゃないとデッキは組めない。なんせブシロードが強くしたいクランなのだ、安く出来ちゃ困るのだ。ブシロードが同じく運営しているプロレスで言うなら、メキシコ遠征も無しにドーピングで1~2試合目くらいの選手を猛プッシュする感じだ。スポポピッチとヤムーか。
もうユーザーは惰性でやってる感じだ。だが、「俺は酷いの分かっている」って顔しながら毎弾数万金ドブでデッキを組んでいる時点で盲目な信者と同様かそれ以上だ。
既に引退し、カードを処分した人は大概3年目に違和感を感じ、改善すべきタイミングだと言う。その意見も無視して、残ったファンから金を吸い続けるヴァンガードの未来はどうなるのか。トランプ並に怪しい木谷社長の髪の毛くらいのうさん臭さだ。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/10/unicharm-cm_n_16524060.html
ムーニーのCMを見て泣いたと専業主婦の妻から言われて、ふと思った。
自分の場合は比較的恵まれている職場で、平日でも12時間程度は家に居られたし、その分家事も育児もしているつもりだったけれど、それでも二人ともつらかったというのは何だったんだろうなと。
本当にきついときは夜泣きをガン無視して寝続けたこともあったけれど、比較的夜泣き対応もしていたと思う。
3時間ごとの授乳の頃、妻は赤ちゃんの鳴き声で起きられない体質だったので、ちょっとの物音で起きられる自分がミルクをやってた。仕事をしながらのこれは本当に修行だった。
離乳食を食べるようになってからは、1週間分の冷凍離乳食作りを毎週末にやってたし、週末の食事は当日に自分が作って食べさせていた。妻は自分が作った離乳食をレンジでチンするだけで与えられるようにしていた。
平日は朝晩の食事と洗濯、子供の沐浴、おむつ換え、寝かしつけくらいをしていて、睡眠時間が4から5時間だった。「昔の受験生かよ」と自分で自分に突っ込みを入れながら眠い日々を過ごしていた。
即応できるように待機しているという状況は労働時間にカウントするようで、そうすると育児は1日中になる。
保育園を使えると、即応できる状態である必要は無くなるので、育児労働の時間からその分減らせそうな気がする。
夫が出かけて帰ってくるまでの昼間は完全にワンオペで、この時間がきつかったのでは無いだろうか。
その時間に事故があれば自分のせいになるという心理的プレッシャーはかなり大きいと思う。
初めての育児で、他に教えてくれる人が居ない状態というのは、泣いている理由を探るのも一苦労だったのではないだろうか。
ワンオペ育児がきついというのに大抵出てくるのは夫の協力を得られるようにするという話なのだが、夫の協力が得られても所詮ワンオペが1.5オペになる程度で、大きく改善はしないと思う。
リフレッシュ目的での保育サービスがもっと使えるようになって、使うのがある程度社会的に認められるようになってくるとかなり楽なのではないかと思う。
「何でこんなに部屋散らかってるの、昼間何してるの?」とか
「お前は楽でいいよな」とか
「土日は趣味の集まりに行くから。お前と違って俺は働いているんだからそれくらいの息抜きは必要なんだよ」とかやって
あのCMの夫がそういう事をしていないかどうかはあれだけでは分からないけど、
ただ描いてある通り、画面の端に映る程度の存在感しかない、いてもいなくても変わらない、つまり後ろから撃つような事もしない、ってなら
むしろ世間一般では「かなり出来た夫」とみなされるのではなかろうか。
あれだけ部屋散らかしても一切文句を言わない夫は、少なくとも私の価値観では「よく出来た夫」だと思うけどな。
当該CMのブコメ欄やツイッターでも散見された、「ワンオペ育児を美化している」という意見。
ムーニーのCMに感じたモヤモヤしたものの正体と、あれがリアルだと感じるお母さんに伝えたいこと。 - スズコ、考える。
良くも悪くも今もそれが自分も直面している現実であって、美化したり感動ポルノに仕立てていたりするCMよりよっぽど好感が持てた、と教えてくださった。
なるほど、と思った。
2つ目の引用は別人の発言らしいから、このエントリ主は今もあのCMを「ワンオペ育児の美化」と捉えているんだろうか。最後のコピー<その時間が、いつか宝物になる。>が現状のワンオペを「否定まではしていない」程度ならいくらか同意できる。
けど「美化」とまで言えるとは私は思えない。このCMの意図は、辛い現実にただ「寄り添う」ことじゃないのか。舌鋒鋭く批判したり、頑張ろう改善しようとハッパをかけるだけが「寄り添う」ことではない。むしろ、今つらい人に対する態度としては批判や声高な応援はご法度で、「私はあなたのつらさを知っている、理解している、ここで聞いている」とただ伝えることが最善であったりする。
確かにCMには「もっと部屋は散らかっていて、もっと髪も振り乱していて、もっとボロボロ」な姿は出てこないかもしれない。でもそれなら、現実のママの大半はあんな広い部屋には住んでないかもしれないし、役者さんのように美人ではないかもしれない。夫のいないシンママかもしれない。フィクションとしてのリアリティは、リアルそのものではありえない。必ず作為が存在し、意図が仕込まれる。
この手の炎上案件で問題にされるのは大抵が「意図しなかった意図」である。「リアルな日常を描き、応援したいという思いだった」(http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/10/unicharm-cm_n_16524060.html)つもりが、「本当はワンオペ育児を美化する意図があるんだろう」と受け取られる。moms don’t cryという楽曲名が「母親は泣くなというつもりか」と受け取られる(実際のところは知らないが、一般的に考えればこれはヒラリー・スワンク主演の映画『Boys Don’t Cry』のもじりじゃないかと思うのだが。ちなみに同作の主人公は性同一性障害であり、タイトルは当然ながら「男の子は泣くものじゃない」というようなよくある抑圧への反抗でもある)。
私は長々と、表現の話をしている。なぜならこれはCM映像という表現への反応から湧き起こった議論だからだ。現実の育児環境についての議論とは、どちらがより重要ということではなく、違うのだ。しかし、冒頭のエントリでは「CMによって抉られた古傷」に関する語りが多く、映像表現への批評は途中から影を潜めてしまう。あのCMのどこがワンオペ賛美であり美化なのか、「肯定してはいけない現実」を肯定していると見えるのか、どの表現がどのように問題であるかは語られない。楽曲か、カット割りか、役者の選定か、舞台設定か、照明か、コピーか、フィクションに込められたどの意図が読み違えられたのか。
CM批評をしたいんじゃないんだ、現状のつらさをなんとかしてほしいんだ、という意見もあると思う。でもそれならCMへの批判を通して伝えるべきではないんじゃないのか。現実の育児環境のここが問題なのだ、と直接に論じればいいだけではないのか。CMへの批判はCMへの批判でしかなく、現実の諸問題を改善する糸口としては遠回りすぎるし、なによりずれている。表現への批判が現実の諸問題を改善するきっかけになることがしばしばあったとしても、最初からそれを期待して表現を的に据えるのは手段が間違っている。CMを端緒とした議論であればまず問題視すべきはその表現であり、現実への対応は別の話だ。
エントリ主や、他のモヤモヤを感じた論者が話したいのはどっちなのだろう。CMの表現問題なのか、現実の育児環境に関する議論なのか。別の問題である二者を混線させてはいないか。その対応はむしろ無力感を増幅させる方向へ働きはしないか。表現は現実へ、現実は表現へそれぞれ影響を与えうるが、別物を同一とみなすのはリテラシーの問題になる。
私はこれを表現に関する議論として読んでいるから、ユニチャームが意図を説明しなければならなかった結果を残念に感じる。それは表現の多様な読み方を否定するものだから。表現への批判は自由に行われるべきだが、批判をしていると思い込んでいる受け手が実際に気にしているのが表現そのものではないのだとしたら、議論はずいぶんな徒労だ。
美化している、賛美しているという批評の言葉を、私はもっと詳しく知りたい。批評は表現の可能性を拡大するものだ。様々な読み方が可能だと知ることは、表現もまた様々な形を取りうる証拠になる。しかしもしあれらが批評の言葉ではなく現実問題に対する心情の吐露なら、使う言葉が違うのではないかと思う。まあその言葉もまた表現の一種ではあるわけで、私のような者にこうして「意図しない意図」を探られることもある。ただし使う言葉を選ぶことで読み取りエラーは減らせるのだ。だからこそ表現に問題があるなら適切な批評がなされてほしい。
この文章もまた、「育児の大変さを矮小化しようとしている」等と読まれるかもしれないが、そういった意図はないと事前に宣言しておく。
最近の曲よりもきいてて落ち着くし、きいたことあるのもあるから楽しい
年取ってあっさり和食が好きになるのと似てる気がする
しかしいい曲多いなー
ついこないだのは60sのやつで、ビートルズもどきが多すぎてワロタw
stop in the name of loveってカバーしかしらなかったけど、オリジナルはこんなにまったりしてムーディーな感じの曲だったんだねえ
サウンドオブサイレンスはyoutubeで年取ったあとに演奏してるのはみたことあったけど若いころのは見たことなかったから新鮮だったけど、年取ってからのほうがいい感じに演奏も歌唱も力ぬけてて歌本来のよさが出てたような気がしたなあ
○昼食:モスバーガー
○夕食:ご飯、納豆(二つ)、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)、シャケを焼いたの(が簡単に食べられる電子レンジでチンするお惣菜)
○調子
はややー。
今日は名古屋のとある駅でおりて、適当に歩いてればおそらくどこかの駅に辿りつくだろう、というかなり適当なノリで歩きまくった。
結果、ちゃんと地下鉄の駅までたどり着けたので、問題なかった。
相当歩いた気がするけど、今グーグルマップで調べたところ、6.5kmだった。
いや、これは歩いた方なのか? 別に距離感を誰かと競ったことがないからよくわからないな。
まあでも、自分にしては歩いて運動になってスッキリしたからよしとしておこう。
その後、名古屋で普段仕事帰りに寄れないオタクショップを巡ったりしてた。
最近、本もCDも電子書籍や配信を買うから、実店舗に行くのは久々だった。
それから、最近ちょっと映画を見るのにハマりかけてるので、今日もNetflixで映画を見た。
今日見たのは「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」という作品。
落ちが若干違うかな感があったけど、いろんな意味で遺恨を残さない方が良いという判断もわかるから、これはこれで面白かった。
料理を題材にしたロードムービってジャンルだと思うけど、個人的に良いなあと思ったのは、
主人公の人生がマイナスの方向に向かうのも、プラスの方向に向かうのも、インターネットが大きな役割を果たしていることは、明確なんだけど、
その上で別に主人公は「インターネットとは」を一度たりとも嘯いたりしないんだよね。
そこがすごく良い距離感を保っていて素敵だった。
僕もこうしてインターネットを通じた幾つかのSNSやコミュニティに足繁く通ってるわけだけど、
どうしても「インターネットってこうだからダメなんだよ」とか「こうだから良いんだよ」とかを、ついつい考え込んでしまう。
そういう方向性の傑作が去年に面白い面白いと大ハマりしたネットハイだったと思うんだけど、
すごく逆説的に、「インターネットとは」を一切語らないことで、この映画は、インターネットのある側面をすごく浮き彫りにしていると感じた。
いや、もちろん、それは僕が感じたことで、見た人や作った人全員の意見と合致するとは思わないんだけど、
主人公を最初はボロクソに叩いた評論家も、どこか現実感が足りない浮ついた感じの息子も、やたらと存在感があった警官も、
ある側面を見れば不快だし、ある側面を見れば良いやつだった。(いや別に警官はちょい役なんだけどさ)
確かにインターネットは、本来出会わず喧嘩にならないはずの二人を結びつけることもあるんだけど、
それは同時に、本来出会わないけれど出会っていれば何かデカイことをする二人を結びつけることもあって、
要するに、そこは、現実世界となんら変わらない、人と人との良くある、何度も繰り返されている普遍的な、コミュニケーションの妙でしかないんだと思った。
みたいなことを、つらつら考えてしまうと同時に、
はああ、お腹すいた。
●DS
未プレイ。
●3DS
すれ違ったはすれ違ったけど、モチベーション低下中なので未プレイ。
台確認のみ。
○ポケとる
特にめぼしい捕獲したポケモンもいないから、日記が書きづらいな。
ログボのみ。
確かに何はともあれ日本が悪いことは自明だし、そうならないように無学な者たちを啓蒙できなかったブクマカ含めた私達日本人すべての責任ですね。かなしいことです。
とにかく日本が悪いと言う事実を指摘するだけでなく、自分たちもその日本というのに組み込まれているのを忘れずにしっかり自省もしなければいけませんね……。
因みに、Newton自体は公式Twitterから(少なくとも今は)継続して事業を行うということですので、最初の反応は一見まとめサイトのコメ欄やTwitter民やヤフコメのような、ろくに調べもせずに早とちりをしている基本的な下調べもできてないコメントに見えますが、ブクマカさんがそのような輩とは違うということをフォローしておきたく思います。
このように惜しむ声があったのですが、こういう人はきっとしっかり買い支えて、他の人にも勧めるなどして実際に行動して守ろうとしたんでしょうね。
素晴らしいことだと思います。しかし周囲にはまだまだその重要さが伝わってなかったと思うので頑張って伝道するべきだと思います。
確かに整合性がおかしいところは多い。私は3年のずれに気づかないことよりも、この広い宇宙で隕石が1200年周期で同じ場所を直撃することのほうが超天文学的確率というか、分母が10の何乗になるのか、そのほうがずっとありえないと思いながら見ていた。
http://anond.hatelabo.jp/20170122101332
ティアマト彗星の名は、シュメールの龍神ティアマトからとって新海監督が命名した。
ティアマトは神話では天地に引き裂かれて世界創造の元となった、また20世紀のヴェリコフスキー宇宙論ではティアマトも彗星として解釈されるのだという。
神話や宇宙論における役割は公開後まで新海監督は知らなかったそうだが、ふつうは人名の彗星の名前をティアマトとしたのは
監督がアカシックレコードに接続してこれら関連情報から無意識的に適切な命名をしたのだと、ムー1月号での新海監督インタビュー記事にて明かされた。
そしてムーではもう一点、作中で描かれているが気が付きにくい事が新海監督から発表されている。
テッシーがムー読者であり三葉の入れ替わりに並行世界やエヴェレット解釈、アカシックレコードを持ち出したのはセリフにもあるから皆さん覚えておいでだろう。
終盤、避難のために奔走する時にもテッシーはムーを持っていて、その表紙には「ティアマト彗星は人工天体」との見出しが書いてあるんだそうだ。
全然気づかなかった。
糸守には過去の隕石落下でできたと思しき場所がある。糸守湖と宮水神社の御神体のあるクレーターだ。
そして劇中では3度目の落下が描かれている。
1200年周期で巡ってくるティアマト彗星が毎度来るたびに地球付近で分裂して落ちてくる。偶然にしては出来過ぎ。
それも地球上にどこかへ落下、ではない。精確に糸守を狙っての着弾。大気圏で燃え尽きることなく地上に爪痕を残す龍。
最近は実際にあった歴史の話、神社仏閣の紹介、交通事故の映像を見せて「信じるか信じないかは…」とかいう。もう、都市伝説でもなんでもない。事実をただ述べるだけ。
看板の関暁夫は、オカルトの御大あすかあきお先生のモノマネをしてるだけだし、フリーメイソンフリーメイソン言ってるけど
オカルト業界では30年前に「ただの慈善団体」と認定されて陰謀は無いということになり、とっくにトレンドが終わっており、
むしろ近年のフリーメイソンは会員数が激減して存続が危ないので率先して情報公開して会員を募っている。
親子連れや男の客は全く無視して接客がなってないと専らの評判。
関の著書に「この先は危険すぎて本に書けないので俺のカフェに聞きにくるように」とあったので聞きにいった男性客が
「続き教えてください」ときくと
「自分で考えろ」と一言だけ言われて、若い女の子の客に付きっきりになったそうだ。
そのせいで、自分に関するいらぬ都市伝説()のほうが広まっているようだ。
ヴーヴ・クリコ(Veuve Clicquot Ponsardin)はフランスのシャンパンのブランド。LVMHグループの企業が製造・販売している。
1772年にフィリップ・クリコ=ムーリオンがランスに、多角事業を行う企業を「クリコ」の社名で設立した。
その後フィリップ・クリコ=ムーリオンが死去した後に、義理の娘のヴァーヴ=ニコル・クリコ(「"ヴーヴ"・クリコ」)が経営を
引き継ぎ、シャンパン事業と他の事業を切り離し、1810年に「ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン」と改名する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B3
10月ももう10日となって、秋始まりの新作アニメの第1話があらかた放送されましたね。
今期は例年と比べても各制作会社入魂のバラエティ豊かな作品が揃っていると思います。
シャフトが制作と発表されたときにはいくらか悲嘆の声も聞こえましたが、蓋を開けるとなかなか評判が良いようです。
特に絵本や水彩画の様な淡い背景が羽海野チカさんによる原作の空気感を再現しており魅力的ですね。
この作品の美術設計を担当したのは、「とんがり帽子のメモル」や「楽しいムーミン一家」のキャラクターデザイナーである名倉靖博さん
ん?名倉靖博?
そんな名倉靖博さんが演出、絵コンテを手掛けたのがスペース☆ダンディ第21話「悲しみのない世界じゃんよ」。
ある時ふと気づくと辺境の惑星リンボにいたダンディが、不思議な住人に案内されその星の真実に近づくというお話です。
バイクの様な宇宙人、哲学する大きな巻き貝、喋りだす飴、モーニング・ベールを被りリュートをかき鳴らす鳥人。
幻想的な夢の中のような世界観が独特の美術と共に描かれた、スペダンの中でも指折りに個性的な一本です!
今期は特に変身美少女ものが多いですが、その中でも最も個性的なのが新進気鋭の制作会社3Hzが送るこの作品。
1話では若手からベテランまで実力派のアニメーターが集まり、今期随一のアニメーションを見せてくれました。
監督は今回が初監督の押山清高さん。元は若手ながらヱヴァやジブリに参加するアニメーターでした。
ん?押山清高?
そんな押山清高さんがなんと一人で脚本・美術設定・作画監督まで手掛けたのがスペース☆ダンディ第18話「ビッグフィッシュはでっかいじゃんよ」。
賞金5000万ウーロンの幻の魚ムーナギを捕まえるため、訪れた星で出会った小さな女の子と共に奮闘する話です。
おとぎ話のような物語とビジュアルで、フリップフラッパーズに通じる押山さんの世界観が前面に出ています。
東映大長編から続く日本アニメーションの魅力を再確認できる一本です!
オリジナルアニメの多い今期でも一番のダークホースだったのがこの作品。
男子フィギュアスケートを題材とし、漫画家久保ミツロウと、峰不二子という女などの監督を務めた山本沙代がタッグを組み、
実写を参考にした滑らかなアニメーションでフィギュアスケートの演技を見事アニメーションに落とし込み、性別に関係なく楽しめる良作です。
ん?山本沙代?
そんな山本沙代さんが絵コンテ演出を手掛けたのがスペース☆ダンディ第20話「ロックンロール★ダンディじゃんよ」。
ふとした事で宇宙の覇権を争うジャイクロ帝国の総統、ジョニーと、その正体を知らずロックバンドを組むことになったダンディの熱いバンドムービーです。
この回ではゲストキャラクターデザイン原案に上條淳士を迎え、全体の作画や演出でも彼の作品を意識。
劇中歌の作詞作曲には向井秀徳を起用。分かる人には分かる音楽ネタを交えつつバカと真面目をどちらも全力でやり切ったパワフルな一本。
(1)そいつが絶望的に女の口説き方を知らないただの阿呆である可能性
そいつなりに「彼女作ろうとした」のかもしれねんだよ。あんたというキャラを読んで(読んだ「つもり」で)下ネタにまぎれさせて。男にみんなムーディーな誘い方で巧みに彼女作る手腕やトークスキルがあるなんて期待をすんじゃねーよ。「やらせろ」くらいしか言えない最低な男なんて世の中にいくらでもいるんだよ。
(2)そいつが単なる下品なクズでデリカシーの欠片も持ち合わせない性欲魔人で正直増田のこともターゲット候補としてしか見ていなかった可能性
まずてめえの「人を見る目の無さ」を歎け! そして今後そいつが何を言ってこようが「お前サイテーだな」しか言う必要ないし、その場合周囲の反応も「知ってた。つーか、なぜ今さら?」だろ。増田もすでに相当変な人間だと思われてるよ。
書いてて、アレだな。その男に過去(現在)彼女がいたかいなかったかで、(1)か(2)かに分岐する気がしてきたがそこはどうなんだろうな。(1)はまあ「不器用」だよ。(2)はちょっと軽い異常だな。最近話題になった某芸能人みたいな、と言えば分かり易いか。
ただどっちにせよ「長年つきあってて相手がどういう人間かきちんと想像できてない」という点では、増田も十分「デリカシー無い」行動してる人間の範疇に入るんだよ。(1)であろうが(2)であろうが、この手の人間とはそもそももう少し適切な「距離」をとって付き合うもんだ。そのことはせめて頭に入れとけよ。