はてなキーワード: バイアスとは
たぬかなが主催した合コンの反応を見ると、「自分より容姿(もしくはコミュ力)が劣っている人間の博覧会が見られる」と期待していた人が多いように感じた。
貴族席の存在と名称もそのバイアスに拍車をかけた感じもある。実質同じものだとしても名称がスポンサー席とか応援席とかであればまだ良かったのかもしれない。
参加者は弱者男性を抜け出したいと思って参加しているわけで、主催者であるホビット村村長から身だしなみ整えるようにと具体的な手順を伴った御達しがあれば配信時にはちゃんとした見た目の連中の集まりとなるのは当たり前だろう。
頑張って動いた弱者男性を笑いものにしようとしたら当てが外れてイベントや関係者参加者を叩く辺り、日本の匿名ネット文化の負の側面ともいえるさもしさが良く顕れた出来事ともいえるのではないか。
世にいる弱者男性のうち、弱者男性合コンの様子を見て頑張ろうってなる人たちはまだ救われると思う。
どうせ自分は弱者男性だからといじけたり、たくさんいる(ように見える)弱者男性に安心したりしていると抜け出せないでそのまま取り返しのつかない齢になり人生の取り返しがつかなくなる。
男女に関するステレオタイプと思い込みで好き勝手に作られた男女神話が凄い。悪い意味で。
その神話とは体系だててすべて語られるわけではなく、部分的に語られることが殆どであるが纏めると次に示すような一本の物語となる。
国によって違いはあるだろうが日本においてはこのような神話である。
1 動物とはオスが狩りをしてメスが育児をする本能で動いている世界である。
2 人類も例外ではなく古代の人間は男性が狩りに出かけ、女性が家に残り育児などを行っていた。
3 その歴史の中で男性と女性はそれぞれ違う進化を遂げた。男性脳と女性脳でありまた解決脳や共感脳、趣味などの好みの違いなどの類である。
5 その為に女性は子ども好きな傾向や育児に対して能力が高い傾向がある。
7 特に乳幼児期においては母子関係が重要である。これは父子関係では代替できないものである。
8 これらの本能は成人期においても働く。例えば結婚相手として男性は年収を求められ、女性は若さを求められる、女性の専業主婦希望が多いなどが例である。
9 日本において歴史的に夫が外で稼ぎ、妻が家を守っていたのはこのような生物学的なものである。
10このように男女で役割が異なるため同性愛は生物として異常である。
しかしそもそも一行一行が全て科学的根拠がない思い込みである。
1 オスが狩りをしてメスが育児をするは絶対ではない。ライオン、ヨザルなどの例がある。
2 科学的根拠がない。男性が狩りに出かけていたというのは実は推測である。最近では、大型動物ハンターには女性も多かったのではないか?という研究も出てきている。
4 科学的根拠がない。母性本能は俗に言われているだけの話である。母性は生物学的話でも医学的話でもない。
5 科学的根拠がない。女性にそれらの役割を押し付けられたという話ならばそういう傾向は出るだろうが男女とは関係がない。
6 科学的根拠がない。単に母親が中心になって育児をしていた結果を疑う方が自然。
8 科学的根拠がない。
9 科学的根拠がない。それに夫が外で稼ぎ、妻が家を守る固定的性別役割自体歴史が長いわけではない。
10科学的根拠がない。
止めよう性差別
止めよう疑似科学
今時これを信じている人がどれだけいるかについて。
全部を信じていなくても部分部分ではネットで未だに見かけますね。
これらを神話に含めたつもりはありません。
X(旧Twitter)で趣味を通じて交流が始まり、色々あって交際して結婚、今年で四年目だ。
嫁は高校の頃か絵を描いていて同人誌も出してるクリエイター型のオタクで、俺は特に絵を描いたりしないから消費者側のオタクかな。
で、本題。嫁が去年の末頃からおかしくなって、そろそろ限界になってきたって愚痴。
絵描きのはしくれの嫁にとって画像生成AIは憎悪を抱く対象なのは理解できる。できるんだけど、パートナーの認知が歪んでいくのを目の当たりにするのは精神的に辛い。
絵描きアカウントにAI学習禁止とか生成AI反対とか書き始めた頃は絵描き界隈がそういう雰囲気になってるな~くらいの認識をしてたんだけど、
ネット上・リアルを問わずに言動が過激化していく経過を一年間かけて見せつけられるとなると、本当に辛いんだ。
認知の歪みというか、エコーチェンバーというか、なんというか…。とにかく、嫁がおかしくなった。
結婚した頃のネット上の発言内容が「オタクネタ:日常ネタ:仕事の愚痴」=「5:3:2」くらいだとすると、
最近は「AIへの愚痴:その他」=「5:1」って感じだ。しかもそのツイートの時刻からすると、仕事中にスマホポチポチして熱心に活動してるっぽいんだ。仕事しろよ。
嫁のオタク垢を見るとAI利用者の不祥事情報拡散botみたいになってた時はちょっと引いたんだよ。
怖くて深入りはしてないけど、裏垢愚痴垢も複数使って、表では書けないような事も書き込んでるっぽい。ラブひな作者やら、先日不倫でニュースになった人やら、ああいう議員への憎悪も酷かった。
頼むから誹謗中傷や殺害予告だけはしないでくれよと戦々恐々だ。ある日開示請求通った通知が我が家に届いたりしたらどうしようって思ってる。
今年になってから発言の過激化が酷いなと思って話をしたのだけど、被害者バイアスが酷くてまともに話が出来なくてつらかった。
嫁が「AIは人権侵害なんだよ!」と主張した時に「……基本的人権の何権なんだ?」とスマホで日本国憲法を検索しながら聞いた時は「憲法じゃなくて人権!」と叫んだり、
「AI絵師はすぐ犯罪者になる。今投稿してるAI絵師は全員逮捕される」と主張した時に「法律には不遡及原則があって…」と説明をしても聞き入れなかったり、
「AI絵には著作権が無い」「AI絵を鉛筆でトレースしてアナログ偽造する裏切者がいる」の主張をされたときに俺が「著作権が無いイラストをトレースしても著作権違反じゃなくね? 誰が著作権違反で訴えるんだ?」と聞いたらヒステリを起こしたり、
スレイヤーズの人の絵にAI使用疑惑が出た時に「推定無罪の原則」やら「疑わしきは被告人の利益に」を説明しても聞き入れず決めつけたり、
と、まあ、そんな具合だ。
嫁よ、嫁よ。お前が反AIインフルエンサーのアカウントを熱心にリポストするのは自由だと思う。
でも、お前が熱心に信仰している反AIインフルエンサーの主張を見る時は、もう少し眉にツバをつけてから見た方が良いと思うぞ。
人には立場ってものがあって、人は自分の立場を有利にするためなら脚色やごまかしや嘘を平気で混ぜるんだぞ。
俺はAI推進派も反AI派も外野から見てると、両方とも先鋭化したヤツは口汚く相手を罵る&結論ありきで主張する&間違いを指摘されても訂正謝罪しないバカタレにしか見えないんだ
というか、どちらかというと推進派の方が中央省庁の作った資料や根拠の法律を出してくるだけ理屈が通ってる風に見えてるんだ。
俺が仕事でそういうスライドを良く見るから、とりあえず理屈優先で考えちゃうんだ。
蚊帳の外から双方の主張を見てると俺からすると、どうも反AIインフルエンサー達の主張は「気持ちは理解できるけど理屈が通ってないし法的な裏付けもない」んだ。
もちろん、AI利用者に酷いヤツがいるのもわかるんだ。分かるけど、絵描きだって酷いヤツはいるし、俺からすれば割とどっちもどっちなんだ。
そもそも暇アンチだからバイアスって言うなら強烈な仁藤(フェミ全般)アンチの暇空や暇アノンの言うことは鵜呑みにするのにこっちは話半分って言い出すのがおかしいんだよな。
>トラバのnoteも見たけど、専門家では無い&かなり強烈な暇アンチポストを連投してる人だからこちらもバイアスあるだろうし話半分)
>「赤字事業で超過分は全て持ち出しだから問題無い」というのがColabo(及び擁護派の)ざっくりした主張という訳。
雑に括りすぎ
https://anond.hatelabo.jp/20231021204144
支持者側が「表3」」「実際」の事を割と意図的に無視しているってのは話半分なんだけど
(トラバのnoteも見たけど、専門家では無い&かなり強烈な暇アンチポストを連投してる人だからこちらもバイアスあるだろうし話半分)
「赤字事業で超過分は全て持ち出しだから問題無い」というのがColabo(及び擁護派の)ざっくりした主張という訳。
一見一理はあるけどでもよくよく追ってくと、そもそもの支出の中身自体にも
「会計がいい加減過ぎて報告内容もあまり信用性が無いんだけど大丈夫?」
という異議が出ている以上、超過してるから無問題にはならないと思うんだよね。
例えば家の家計で年間240万の予算でやり繰りしてとお願いした。
でも不審な支出があり問い正したら「実は家計は赤字で400万使ってた!残りは自分の貯金から出したから問題無いよね!」
と言われて、「はいそうですか分かりました」にはならないと思うんだよね。お前その辺野古旅行誰と行ったんだよ、とかさ。
Colaboの話に戻すと、パソコン代がエアコン代として計上されてたり(普通間違えないと思うしパソコン代にしては高すぎない…?とか)
タイヤやドラレコ購入費も実際には購入してないのに予算として計上されてたりして
https://note.com/clean_daphne896/n/n26f911ef8b7f
こういったガバガバ会計があると、実際には4300万使ってました!って言われても本当に使ってるのか内訳出してよとか
予算超過してるから何も問題無いだろってのは余りにも無理筋だと思うんだよね。
普通の会社だとこんな経理してたら、普通担当は外されるし最悪クビになるでしょ。(実際Colaboは今年度から外された訳だけど)
例えば辺野古基地反対運動等の「政治活動」の為の旅行(合宿)費用とか、お高いオーガニック購入費が計上されてるとか、高額の交際費(飲食店)があるとか
色々ある訳だけど、個人的な感覚で言ったら政治活動の為の費用なんて完全にアウトでしょ。
これは政治活動自体の是非じゃなくて、政治活動を主体とする団体はそもそも事業に関われないし主体としてなくても政治活動には使うなってのは法律で明記されてるから。
一般的に考えても、被保護者を基地反対運動みたいな暴力的排除も有り得るし逮捕される可能性もある、かなり危険な活動に連れ出すなんて完全にアウトでしょ。
例え被保護者の少女が本当に心から参加したいって言っても全力で止めるべきなんだよ。せっかく保護した少女を危険に晒してどーすんの?
(若い女性という人間の盾に使っていた、という見方はさすがに酷すぎるので考えたくない)
これはマジで自費でやれよだし、事業の経費に混ぜてるのならこれも返金しろって話だし。
お高いオーガニックだって普通に考えれば自分で買えよって話だし(保護事業にもさすがに不用だと思う、オーガニック必要な時点で「支援が必要な困難女性」では無い)
飲食費だってまあ保護女性+事業に関わった大人達の面々で行って飲み食いして本来であれば分けなければいけない所を全額計上したんだなーありがちーとは思うが
突っ込まれた以上はこれもきちんと分けた方が良いんでない?とは思う訳で。
結局色んな所で支援事業だからってガバガバでやってたんだから「実際」とかいう代物だって正直完全に信用には足らないし
Colabo側が用意したものだから好き様に出来るでしょ、ってのもあるから、この辺の是非は裁判できっちり決着つけては欲しい。
どっちが勝てよ負けろって言う話じゃなく、こういった非営利法人特有のガバ経理がどこまで認められるか?というのは純粋に興味がある。
後さ、これは去年の段階からずーーーーーーーーーっと言われてる事だと思うんだけど
社団法人やNPOの会計がガバガバなんてのはColaboに限った話では無いんだよね。
昔その手の団体をちょっと手伝った事があるけど、ひでーモンだったよ。
代表が家族で旅行行った時の費用や自分家のテレビの購入費用を経費として申請してんじゃねーよって思ったね。
ハッキリ言ってそこらの中小ですら多少のガバさはある訳だし(下っ端はともかく部長クラスになると怪しい領収書出してきたりする)
ましてや非営利社団法人とかNPOなんてのは学生サークル上がりみたいな所や出自の怪しい山師みたいなのがやってる様な所も多く
良くも悪くも一般的な社会人とは乖離した人達が集まる所なんだから、そこにまともな会計やれって言う方が野暮というか酷な訳。
小さい所だと代表やその関係者の奥さんが主婦感覚でやってる様な所の方が多い訳だし。(Colaboはプロの会計士ついてたらしいけど…)
まあそこら辺は出す方も分かっててある程度ガバってるの承知でそれでも予算の消化とか行政じゃ出来ない範囲での活動を期待して出してる訳だし
多少のお目溢しは必要悪だと個人的には思うよ。すごく思う。まともにきっちりやったら多分半数以上の団体がアウト食らうんじゃねえかな。知らんけど。
Colaboに落ち度があるとしたら、団体というか代表?顔役?前面タンク担当?の言動がとにかく悪目立ちし過ぎて
特に草津町長冤罪事件や温泉むすめ騒動なんかで関係者や諸団体に結構な迷惑かけてたりもあって、敵を作ってしまった事だよね。
ついでに言えばフェミニスト寄りの人やColabo擁護派ですら「活動は擁護するけどあの人の全部を支持してる訳じゃない」とか苦言呈されるぐらいには
言動が過激かつ先鋭的になっていて敵どころか味方すら削ってる刹那的な活動が結果的に目をつけられる「きっかけ」を作ってしまった事だろうね。
後政治活動臭をちょっと隠せてないというか寧ろ隠す気無かった様な所も迂闊過ぎたよね。
結構な予算が出てる訳だけど、それを当たり前だと思ってる様な発言も反感を買うよね。
100円ショップを使う事で少ない経費をやり繰りしています凄く大変です、なんてアピールされても
いや普通の家庭は当然でそれなりの企業ですら物買う時は100円ショップ普通に使うけどねって思うよ、一般的にはさ。
自分だって団体の活動自体には特に反対も無いし行政じゃ出来ない事をやってるとは思うけど
じゃあその為に色々ガバい会計見逃せって言われたら「じゃあ他の似たような団体に変えたら?」ってなるし
公金が出ている以上、お金の使い途に口出されるのは当たり前を超えた当たり前。
自分らが政府や県・市の金の使い方に口出したりするのと一緒じゃん?
なんかそこら辺「自分達は素晴らしい正義の活動をしているんだから見逃せ」という様な態度(これは支持者が多いかな?)も
結局の所、悪目立ちしたが故に本来は見逃されてたガバくて痛い腹を探られてるのだから、これはもうしょうがないよねって思わなくも無い。
まあ、この問題の大正解は初手で「誤りがありましたある程度返金しますすいませんでした」って謝っちゃえば
税務調査と同じ様に許されてたし暇だって大義名分を無くして失速してたと思うんだけど
初手でやったのが議員会館でのリーガルハラスメント会見だからね……
多分あの時点でColaboも自分らも暇の人がどういう人間かまるでさっぱり分かってなかったからだと思うんだけど
ちょっと調べれば、良くも悪くも一昔前のネットユーザーで喧嘩も売るし売られた喧嘩は絶対に買う様な類の相手で
しかも資金力もありFIREした独身一般人だから(それは一般人というのか?という疑問ああるけど)継戦能力も高いという
喧嘩かましたらやべー相手だってのは分かったと思うんだけど、まあその辺りの迂闊さとか
第三者のサイレントマジョリティからどう見られるかという視点がマジで欠けているという活動化特有の性分が
本来であれば頭下げて済む話をここまでの大事にしたのかなって個人的には考えてるよ。
ってかマジで何で謝れねーのかなー。頭下げれば済んだ事も多かっただろうに。
生存バイアスであることは承知の上で、人生何があるかわかんないよねって話をしてるんだから別にいいじゃん
良いことがあるからお前も馬を逃がせよって言ってる訳じゃないやん
私はかねてからhatelabo(ヘイトラボ)のヘイトを軽減させるべく、様々な試みを行っておりましたが、サイコ共に関わるのは単なる時間の浪費になるだけではなく、有害だと思うに至りました。
例えば、私は自身の障害によって障害者の就労移行施設に通っていたことがありましたが、知能の低い友人が沢山ございます。私は「インテリ」という、社会的に有利な立場の者が弱者を差別することが最も憎い行為であると思っており、このような行為をしてきました。
それだけではなく、「弱者男性」といった言葉を使う連中にも強い嫌悪を持っておりました。
しかし、様々な心理学の記事を読む度に、サイコ共との戦いに参加すると、自分がサイコ化すると書かれており、それにようやく気がついてしまいました。
私は先程夢で、自分の愚かさを夢に見てしまったのです。その夢では「自称インテリ」というサイコ共を撃退しようとして、自らの恥を晒すという、恥の感情を強烈に感じたのです。
従って、私は最後に、これまでに他の発言者からまとめた引用語録を以下に書きとめ、ツリーでBingさんの叱責を聞こうと思います。
「それ、n=1ですよね?」
「定義はなんですか?」
「優秀な人は〜。頭の悪い人は〜。」
「ごめん、視点の高さが違いすぎて話が全く噛み合わない」
「それは論理的に成り立たないわけだが」
「勉強できない奴が〜」
「知性落ちてる?」
「 ジェンダーが劣ってそう 」
「国語力」
「低能」
「低学歴が俺より賢いなんて許せるはずがない!」
「やる気のある無能は害」
「それは○○バイアスですね」
「お前は自分が思ってるほど賢くない」
「僕以外全員Fランで嫌だったです」
「この二つの論文、お互いに否定するものじゃないよね わかる?」
「背理法がなぜ証明として機能するのか理解できないのは限界知能であることの必要条件である」
「で?大学出たの?」
「偏差値40は国語力が特に低いという話は聞いたことがあるが、主張の本懐を理解することができない」
「人生楽しそうな低学歴って自分から見るとマジで地獄以外の何物でもないから産みたくない頭良い人間の気持ちが分か」
「真にクリエイティビティを備えた者は、都会に出ないと、心が死ぬ」
「頭が悪そう 低学歴脳だ」
「多少の知性があれば己を恥じて自死する」
「n=1 で一般論を語っちゃうあんたが数学弱者であることは明白だな」
「残念なくそおぢになっちゃうからね そういう方のサンプルをよく見られます」
「知能がチンパンジーか?」
「読解力と理解力に難ありの偏差値40~45くらいじゃない? 」
「偏差値40程度の読解力だな。」
「間違った理解をしてしまう小学校レベルの読解すら出来ない人が多い」
「(知性の差は)社会階層や所属するコミュニティによっての差だね 」
「 未婚女は学歴も年収も最底辺のクラスタだから辛いよね 頑張れ! 」
「オタクに優しいギャルなんているわけないだろ。科学的に考えて。」
「共働きで1500万って微力すぎて微パワーカップルが正しいと常々思っている」
「ようやく理解できたんだ、すごいね。作業所なら受け入れてくれると思うよ。」
「義務教育をちゃんと履修しなかった人間ってその後多少勉強して学力つけたところでどこか最低限の教養が欠落してるよな」
「知識ない人って色んなこともおざなりだから仕事も出来ない割合多いよ」
「 何がだよ目的語は?おまえがいじ? 」
「 むりにおどけるのがおもしろいだと思ってそう 」
https://somethingorange.jp/entry/wakararanai
これを読んで、頭の中に出てきたこと
人物設定をどうすれば、とかではないと思うんだよ
ヤンとラインハルトは、無能な旧体制に対して対象的に置かれた駒であることは、誰も否定しないでしょ?
旧体制を破壊して自身が新しい体制を作り出していくことが許されているラインハルトと
民主制に対して強制力を発揮することが、すなわち民主制の否定という、わかりやすい舞台装置
どちらも根底には理想があり、その理想に沿って忠実に動く駒なんだ
そして、それが実現される世界
普通ならアスターテ会戦はアレだけの負けの中でヤンの指示なんて通らずに潰走してる
ヤンに心酔してるわけでもないのに、部隊の末端までもが指示に完璧に従う
それが違うように見えてるとしたらば、単に世界のリアリティラインに引っ張られてるだけ
理想に燃える能動的な人物だとしても、自身の思想が足枷になって十全に能力を発揮できないキャラクターとなる
そういうキャラって多いだろ?
あのキャラもなかなかの人気だ
ヤンを「厭世的で皮肉屋で怠惰に見えるが実はすごい才能をもっており、不本意ながら大活躍してしまい周囲にチヤホヤされる」と評価するから間違うんだよ
設定した理想の通りに動くブレのないキャラとして考えると、その辺のキャラと大して変わらないキャラとして認識できるはず
ここまできたら仕組みとしては単純で
「設定のとおりにコマを動かす」ことに納得感がどれくらいあるのかって話になる
銀英伝の世界は、なんだかんだ揶揄されながらも、人々の琴線に触れる物語なわけ
もう片方は、正当に評価されないやつが実はすごかったという話
わかりやすい
半沢直樹とかと一緒だ
ノーベル経済学賞受賞者の主張が日本のX界におけるいわゆる”アンチフェミ”の主張と整合的であるということでアンチフェミ界隈が沸き立っているが、そもそもゴールディン氏の主張自体を額面通り受け取っていいのかという問題がある。
(そもそもゴールディン氏の主張は”アンチフェミ”的なのか?という点については、彼女の著書を普通に読めば、解釈に多少の幅はあれ概ねそのような内容であることは明らかだと思う。すなわち、同じ仕事や同じポジションに付く男女について差別に基づく賃金の差は既に存在せず、実現している男女の賃金格差は家計における合理的なキャリア選択の結果として現れているものであるという趣旨であり、労働条件における系統的な女性差別の存在を主張する人々の考え方とは対立する)
自分は経済学の学位を持っており、大半の人よりは経済学に詳しいという自負があるが、それ故に経済学的なものの見方の限界について思うところがある。経済学とはそもそも「定量的に観察された社会事象」を「人々の合理的な意思決定を前提」として解釈する学問である。こうしたアプローチは、以下の様な点で、男女差別の様な問題を考える際に色々な問題があると思われる。
まず「人々の合理的な意思決定を前提」とする考え方の問題点とは、そもそも差別とは経済的な観点からは基本的に非合理的なので、経済学の理論で世の中を解釈するとそもそも差別など存在しないという結論に偏るバイアスがある。例えば以下は経済学的な考え方の例である。「もし男性と同じ能力を持つ女性に対して差別的に賃金を低く設定している企業が存在しているなら、他の企業はその女性に対して今より少し高い賃金をオファーして彼女を雇うことで男性と同等なのに少し安い労働力を確保できて得をする。これが女性が男性と同じ賃金になるまで繰り返されて、男性と女性の賃金は同水準に収束する。もしそうなってないならば、何か別の経済的なインセンティブが働いているはずである」この様に、経済学の理論は首尾一貫して経済的な合理性のみで物事を説明することを試みるため、文化的要因や社会心理学的な要因が入り込む余地はない。差別という経済非合理的な事象は、そもそも経済学の理論のスコープから排されているのである。
また、「定量的に観察された社会事象」のみを分析対象とする点も問題である。こうした経済学のスタンスは、証言なども含めたテクストに対して丹念な分析を行う歴史学・社会学・ジェンダー学といった人文科学的アプローチとは対照的である。数量データに現れない出来事が世の中に存在しない訳ではないのである。例えばナチス政権下でのユダヤの人々の苦しみは、数字のみによって語られるべきではないのと同じである。彼らには統計的事実に現れない日常的苦しみも確実にあったわけで、それは例えばアンネ・フランクの日記などの記録から定性的に読み取ることで明らかとなる。これはフェミニズムの文脈でも同様である。現代の日本において多くの女性が進路選択やキャリア形成に際して有形・無形の差別の存在を感じ、声を上げているということが事実として存在しているわけで(例えば進学に際して親から「あまり高学歴だと結婚できない」と言われるなど)、それが例え統計データとして現れないとしても、その苦しみが存在しないということにはならない。
ノーベル経済学賞というのはあくまでも経済学という学問世界の中での権威が認められたというだけの話である。上記の様に、経済学そのものが、社会事象の一側面を切り取って分析を行う学問である以上、経済学的なものの見方が男女格差という複合的な社会事象の全ての側面を明らかにした訳では全く無い。ゴールディン氏の分析結果は、もちろんそれはそれとして有益な考察の材料としつつ、あくまでこの問題を扱う本流である歴史学・社会学・ジェンダー学の考え方と合わせて、この問題に関する理解を深めていくというのが正しい知的態度だろう。