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はてなキーワード: トロとは

2020-10-01

今日の夕飯

献立

チーズダッカルビではない何か

昨日のキムチ鍋の残り

キュウリ浅漬け

              

肉が少ないのでカサ増し。

フライパンを加熱しながら、冷凍してたゴボウ薄切り、人参千切り、玉ねぎ千切り、大根の皮スライスきのこミックス順次投入。

豚薄切りも入れて時々かき混ぜながら、キャベツを切る。

              

冷凍野菜たちが大体解凍され、肉に多少火が通ったら調味料投入。

使ったのは塩こしょう砂糖醤油中華だし、みりん

チーズタッカルビレシピ見るとコチュジャンと書いてあるが常備してないのでたまたまあった焼き肉のタレを入れた。原材料コチュジャンは入ってないけどなんとなく韓国風になるじゃろ。

味付けしたらキャベツの千切りを投入する。

これでかなりカサが増えた。

              

食材に完全に火が通った時点で少し水分多かったので小麦粉をフリフリ容器で振り入れて強火でとろみをつける。

冷凍してあったピザチーズをガーッと混ぜてフタをして火を止め、余熱でチーズトロかす。

大きな深皿にトロねばの完成品を盛り、スライスチーズ3枚をてきとうに載せておくと、食べるときにはスライスチーズもとけていい感じになっていた。

              

昨日のキムチ鍋市販スープが美味しくて、でも食べきれずにたくさん残っていたので土鍋からステンレス鍋に移して冷蔵してあった。具はそれほど残っていなかったので、そのまま温めて豆腐だけ足して今日汁物とした。

              

キュウリ浅漬けは、珍しく3本128円で安売りしてたので2パック買ったうちの1パックを漬けておいたもの

              

タッカルビダッカルビ表記はどちらもあるようだ。発音日本人にはどちらにも聞こえるやつなのかもしれない。

暴力に囚われていない」という幻想

 僕らの人生はどこから始まったのかと言えば、当然二十年前であり三十年前であり四十年前なんだけど、僕らの祖先はどこからやって来たのか、という話をした時に、辿ることのできる歴史には果てがない。僕らは遺伝子ボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。

 僕らの中にある遺伝子の声を聴く時に、そこには声にならない声がある。僕らはその声に耳を澄ませ、そしてある程度言語化された呻きを聴くことができる。僕らは、その微かな声を頼りに、歴史を辿ることができる。


 人のルーツを辿る時、その歴史上最も古い霊長は(今のところ)七百万年前のサヘラトロプス・チャデンシスである。我々ホモ・サピエンス分化したのは今から二~三十万年前とされており、我々はアフリカから世界の各地へと足を伸ばし、文明を伝えてきた。

 当然ながらその歴史暴力と共にあった。恐らく、そこには絶えざる暴力連鎖があった。

 ここで言うところの「暴力」とは戦争軍事力媒介にした暴力行使を指しているわけではない。

 暴力は我々の身近に存在している。

 ごく身近に、あるいは、我々の中に存在している。


 それは自明のことと言って差し支えなかろう。暴力が無ければ人間は生きて来れなかったかである

 例えば、鋭い牙と爪、そして圧倒的な膂力を持つ獣に襲われた時に、我々に最も必要ものとは暴力である

 例えば、そんな事態においては武器必要になり、そして、獣を殺す為の殺意もまた必要になる。そこには、暴力を振るうための道具と、暴力を振るうための膂力と、暴力を振るうための意志必要になる。

 これは余りにも自明である

 無論、我々に暴力を振るう可能性があったのは獣だけに限らない。例えば、同族である人間暴力を振るってくることも大いにあったであろう。そのような人間に対して、暴力を振るわなければならない場面もあったであろう。

 更には、そのような暴力防衛自衛のみを目的としていたと仮定することは恐らく不可能であろう。そこに積極的暴力行使可能性があったことを、認めなければならない。


 繰り返すように我々がホモサピエンスとして遺伝子を繋いできたのは今から三十万年程前からのこととなるのだけれど、例えば、我々の遺伝子レースが百万年前に始まったと仮定して、そして、我々の世代継承が十五年毎に行われていたと仮定する時、我々にはこれまで六万から七万の世代存在したということになる。仮に、たった百万年から我々にとっての遺伝子レースが始まったと仮定してさえ、そこには膨大な数の関係者存在することとなる。とにかく、我々は遺伝子キャリアとして長い時間を旅してきた。

 その膨大な関係者は、恐らく長い間暴力と共に遺伝子の旅を送ってきた。

 そんな時、我々の振るってきたであろう暴力は――あるいは、我々が振るわれてきたであろう暴力は――どんな種類の暴力であろうか。

 まず挙げられるのは、殺人

 強盗

 強姦

 傷害

 恐喝

 その他に何があるだろう? すぐには思いつけない。

 何らかの種類の搾取があったかもしれない。詐取が存在していたかもしれない。

 我々の祖先はそれを不断に行ってきただろう。恐らくそれを止めることはできなかったであろう。

 それを止めることによって、周囲の遺伝子キャリアに対する対抗手段を失ってはいけなかったかである。我々はそれを止めるわけにはいかなかったのである。それを止めた途端に、我々の遺伝子キャリア頓挫し、今日という日に辿り着くこともできなくなってしまうからである

 恐らく、ありとあらゆる種類の暴力行使は、我々の遺伝子レースにおいて切り離すことのできない要素だったであろう。

 つまり、この文を通じて僕は何を言わんとするのか。


 それはつまり、恐らくだけれど、貴方のかつての父親は、あるいは貴方のかつての母親は、誰かを殺したことがあるということである

 何かを盗んだことがあるということである

 誰かを傷つけたことがあるということである

 誰かを犯したことがあるということである

 誰かを騙したことがあるということである


 誰かにまれたことがあるということである

 誰かに傷つけられたことがあるということである

 誰かに犯されたことがあるということである

 誰かに騙されたことがあるということである


 その他の、無数の暴力を与え、そして、与えられてきたということである

 我々のかつての父は殺し、盗み、傷つけ、犯し、騙してきただろう。

 我々のかつての母は殺し、盗み、傷つけ、犯し、騙してきただろう。


 我々のかつての父は盗まれ、傷つけられ、犯され、騙されてきただろう。

 我々のかつての母は盗まれ、傷つけられ、犯され、騙されてきただろう。


 例えば、百万年前までの歴史を辿れば、我々一人につき六万から七万の世代存在することになる。そして、当然そのような世代は必ずしも一人の人間継承し続けてきたわけではなく、無数の兄弟姉妹存在していたことであろう。そのことも勘案すれば、我々にはおよそ無数の関係者が――無数の肉親が存在していたということになる。

 我々には関係者があまりにも多すぎる。そう考えた時に、我々の関係者の内に、一人たりとも、百万年歴史において暴力を振ったものなどいないと言い切ることのできる可能性は、どれほどあるだろうか。恐らくはその可能性は限りなくゼロに近い。我々は無数の暴力をはたらいてきたし、恐らくは無数の暴力に晒されてきただろう。

 我々は暴力と共にある。我々は(そして私は)、これから暴力を振るい、そして暴力を振るわれるだろう。

 これまでもそうだったし、これからもそうだろう。我々は生きなければならないからだ。

2020-09-30

anond:20200929234704

隠居「やけにぐじゃぐじゃじゃないか。これがトロだって?」

八五郎「へえ。まあ騙されたと思ってどうぞ一口

隠居「ほう、見た目は悪いがこいつは旨いもんだねえ」

八五郎「やっぱしご隠居もそう思いやすか」

隠居しかし魚をここまでぐじゃぐじゃにしちゃいけないよ」

八五郎「どうしてもこうなっちまうんで。すいやせん」

隠居理由がありそうだね。聞かせてもらおうか」

八五郎「身がたっぷり残ってたまぐろの皮から貝殻で根こそぎ取ったんで。へえ」

隠居「これは面白いねえ。捨てる皮から身がねえ。八っつぁん、あん名前をつけなよ」

八五郎「根こそぎトロじゃ長えからねこトロで」

隠居「人さまの口に入るものに猫はいけないよ」

八五郎「じゃあこそトロだ」

隠居こそ泥みたいでいやだねえ。あたしが決めさせてもらっていいかい」

八五郎「へえ」

隠居「根こそぎの頭と尻を取ってねぎねぎトロでどうだい」

八五郎ねぎは入ってませんで」

隠居「いいんだよ洒落なんだから。同じ口に入るもんだろ」

八五郎ねぎトロねえ……」

ねぎとるの語源

最初にあったのが、ネギトロというメニュー名。

その語源は、刻みネギを振りかけた、トロっとしたすり身を「葱・トロ」と称したのが始まり

トロ・中トロが高くて食べれなくても、葱トロなら食べられる!と大人気になった。


トロがただの賄いメニュー裏メニューから、一大人メニューへと昇格した結果、

1店舗で余り食材からすり身を作る工程から工場ですり身を作る形へ変化していった。

ネギトロ(の材料であるすり身を)つくる。」

を短縮した言葉

ねぎとる」

なのではないか?とふと思った。

日本語では名詞+る で動詞化するパターンは古くから知られており、

当時の職人さんも、ネギトロを作ることをねぎとる と言ったのではなかろうか。

2020-09-29

ネギトロ」は「ねぎ取る」に由来するのか?

anond:20200929031443

RRD 皮や骨についた身は物理的に刺身に出来ず、貝殻や匙で剥ぎ取ったものがすきみ。剥ぎ取ることを古語で「ねぎ取る」と言ったところからネギトロという。

これは巷間まことしやかに囁かれる雑学だが本当なのだろうか。

ネギトロ発祥東京浅草の金太楼鮨とされる。

ところが、その肝心の金太楼鮨では「ねぎ取る」説が採用されていない。

ネギトロ - Wikipedia

ネギトロ巻きの誕生は、1964年昭和39年)、浅草本店がある『金太楼鮨』とされる。三ノ輪店で残った寿司種を手巻き寿司にして賄いで食していたが、鉄火巻きに使用する中落ち・すき身にネギを加えると、マグロの脂っぽさが打ち消された。それを客に提供したところ好評で、常連客を通じて本店にも伝わり、本店メニュー採用された。

偶然にできた寿司ネタ「ネギトロ」その由来の秘密(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社

ねぎとろ発祥の店と言われているのが、東京浅草に店を構える大正13年創業の金太楼鮨。昭和39年、当時の会長だった間根山貞雄氏が考案したという。その開発の経緯はこうだ。

同店ではまぐろ毎日大量に仕入れていたが、筋の部分は食感が悪く、刺身寿司に使えず、余っていた。叩いてペースト状にして食べれば、脂がのってトロトロで美味いが、今度は歯応えが皆無。

そこで仕方なく、巻きに使おうとしたところ、昼食用に茹でていたそばうどんに使うネギワサビなどの薬味を筋の部分にぶちまけてしまう。やむを得ず、ご飯にのせて醤油をかけて食したところ、これが美味い。そこで、大当たり間違いなしと、店で出すことに決めたという。

思いがけず生まれた新しい寿司ネタ。その命名について、間根山氏はこう語っている。

浅草には『麦とろ』という名前とろろ飯を売る店が戦前からあり、専門店としては珍しいので土地では一応知られていた。よし、これだと、麦とろ→ねぎとろと語呂を合わせて決定した」

というわけで、この説明によれば「葱」+「(麦)とろ」である

例の「チコちゃんに叱られる!」でもこの説が採用されたらしい。

ただし、この説明が本当に正しいかは分からない。

牽強付会な印象も無いではないし、「銀ブラ銀座ブラジルコーヒー」のように店が積極的デマを流している可能性もある。

この場合は、昭和39年1964年)以前に「ねぎとろ」という用例があれば、金太楼鮨の説明は疑わしいということになるはずだ。

が、そう都合よく見つかるはずもない。誰か探してくれ。

追記

国立国会図書館デジタルコレクション検索した。

1972年12月の『食の科学』。

青ジソは香りのよさが好まれてよく使われ、イカのにぎりの場合など、一葉添えられることが多くなった。この青ジソの葉を細く切っていりゴマを加えた、シソ巻ずしを台東区東浅草の金太楼鮨でやっている。また、生ネギトロとを巻いた「ネギトロ」も、ここの名物である。生ネギをすしに使うなどはなかなか思いつかないことなのだが、このネギトロというのが相性がいい。

1973年4月の『週刊文春』。

浅草の東、鮨·金太楼本店。(中略)ちっと解説させて頂くなら、ねぎトロトロとは、まぐろをさばいたあと、皮や骨についている肉をこそげ取った身を寄せ集めたものです。(中略)ねぎトロは、いまいったトロにきざんだねぎを混ぜ、ゴマを加えたもの

1975年1月の『信用金庫』。

信用金庫 29(1) - 国立国会図書館デジタルコレクション

先日、仕事関係があって、浅草のあるおすし屋さんを訪ねた。そこで、ネギトロというものをたべた。たいへんおいしかったので、ほかであまりきかないけど、おたくだけのものときいてみた。若いご主人は次のように話してくれた。そうです。実はわたしたちも、すしにネギは禁物だと教わってきたのです。ところが、ネギのとても好きなお客さんがいらして、ネギを巻いてみてくれというご注文なのです、ついでにトロも一緒に入れてくれというので、試しに巻いたのです。ところが、これがなかなかいけるのですね。それで、その後いろいろ工夫してみました。トロをよくたたいてアブラをうかし、スジをとって、それからネギと一緒に巻くのです。これをわたしのところのレパートリーに加えました。ですから、これはお客さんに教えていただいたものといえますね。

いずれも「ネギ」が入っていることは明らかである

というより「生ネギをすしに使うなどはなかなか思いつかない」「すしにネギは禁物だと教わってきた」といった記述からすると、ネギを使うことこそがネギトロオリジナリティのようである

週刊文春記述からは、いわゆる腹部の「トロ」ではなく、現在のように中落ちや皮ぎしの肉を使っていたことがわかる。

信用金庫』の記述もかなり有力な証言だ。

浅草おすし屋さん」というのはおそらく金太楼鮨のことだろうが、現在説明されているネギトロ誕生経緯とはだいぶ異なっている。

追記終わり。

別の方向から考えてみよう。

RRD氏は「剥ぎ取ることを古語で『ねぎ取る』と言った」と書いている。

しか古語辞典にはその用法は載っていない。

ねぐの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典

ね・ぐ 【労ぐ】

ねぎらう。いたわる。

ね・ぐ 【祈ぐ】

祈る。祈願する。

「ねぐ」は、神社の「禰宜ねぎ)」や、「労う(ねぎらう)」「願う(ねがう)」といった言葉語源である

ちなみにヤマトタケル伝説で、景行天皇が、息子の大碓命が会食に出てこないことを懸念し、その弟の小碓命(=ヤマトタケル)に「ねぎ教へ覚せ」と命じた、という話がある。

この「ねぎ教へ覚せ」の「ねぎ」は、まさに「ねぎらう・いたわる」で、「(会食に出るよう)優しく教え諭せ」といった意味になる。

ところがヤマトタケルはこの命令を取り違え、兄の手足を引きちぎって殺してしまった。

「手足をねぎ取った」ということだろうか?

このときヤマトタケルがどう取り違えたかというのは「根切る」や「ねじ切る」といった説があるようだが、さすがに「剥ぎ取る」と結びつけることはないようである

というわけで「剥ぎ取ることを古語で『ねぎ取る』と言った」という説はかなり怪しい。

しか古語ではなくとも「ねぎ取る」という言葉があった可能性はある。

別の記事では「ねぎ取るは建築用語だ」とする説が紹介されている。

知ってた? “ネギトロ”は葱とマグロのトロの意味じゃない! “ねぎま”も焼き鳥じゃない | ガジェット通信 GetNews

元の語源建築用語で、地下構造物を作る時、地面より下の土を掘ることを「根切り」と呼んでおり、それが寿司業界にも広まりネギトロ」が誕生

建築用語としての「根切り」は確かにある。

根切り - Wikipedia

そもそも「根切り葉切り」という言葉もあるように、「根切り」には「根こそぎ」という意味があり、骨から肉をこそぎ落とすようなイメージは分からないでもない。

しかし、それが「ねぎ取る」に変化するだろうか?

そもそもねぎ取る」で検索しても「ネギトロ」以外の文脈ではほとんど引っかからない。

中間形態としてありそうな「根切り取る」などもやはり引っかからないのである

寿司屋の隠語なので表には出なかったのだろうか?

こちらは「俺は寿司屋をやって数十年の者だが『ねぎ取る』という言葉は確かにあるぜ」という人が出てきてくれれば確かめられるはずだ。

というわけで、1964年以前の「ねぎとろ」用例や、古くから寿司屋で「ねぎ取る」を使っていたという人が出てこないかぎり、暫定的に「葱」+「トロ」説を採用したい。

チンコン(チンチンコトロラー)まだなの?!もうAD2020だぞ!

エロゲVRでゴイスーとか言われても、単に映像が凄いだけでゲーム内容は一緒じゃん。

21世紀エロゲなんだぞ!?

20世紀から続く紙芝居きれいな映像にしただけじゃ駄目だろ。

もう20年だぞ?

ノストラダムス信仰が終って20年!

20 years after ミレニアム

なんでまだマウスカチカチでエロゲやってんだ。

チンチンマンマンでコントロールさせろよ!

チンコの動きに合わせて画面が動けよ!

チンコを奥に差し込むたびにテキストが進むぐらいはやれよ!

マンコを絞れば男が喘げよ!

それが21世紀型のエロゲだろ!

お前ら、もう20年終わってんだぞ!

いい加減にしろ

チンチンでコントローラーさせろ!

VRなんざ昔からあった3Dメガネの延長じゃねーか!

新時代ゲームを作れ!

オナホバイブにボタン仕込むだけでいいんだからさっさとやれ!

エロゲの敗北はラノベアニメのせいじゃねえ!

チンコ対応してますって書けなかった技術進歩性の無さだ!

チンコンに対応しろ

2020-09-25

秋刀魚流れ星流れた増田酢また禮雅なし惚れがなのマンサ回文

おはようございます

この秋!秋刀魚食べた?

不漁と言いながらも、

なんだかんだ言って店頭には普通に並んでいる秋刀魚

しかも豊漁の時よりはちょっとは高いけど、

いうたかて、

せいぜい1匹200円もせーへんやんか、

不漁と言っても、

私たち秋刀魚にありつけることが出来るのよね。

でも今年の秋刀魚

細くない?

まるまると太ってないというかシュッとして

男性への格好良いの言い方で言う大阪の人が言ういわゆる「シュッとしてる」ってやつの秋刀魚版なんだけど、

あんまり記憶に覚えてる中の秋刀魚画像検索をしても

今年みたいな細い秋刀魚は初めてかもしれないわね。

初物鰹にはあんまり興味ないけど、

秋刀魚は秋に一度はあき竹城

一度は食べたい秋の盛りよ。

食べなきゃ秋じゃなくなくない?

秋の風物詩というか走馬灯というか、

秋刀魚イラストが描いてある、

そう言うぐるぐる回る回転のぞき絵的なゾートロープがあったら、

スリットを覗くと秋刀魚がたくさん泳いでる!って

サンドウィッチマンさんのザイマンの冒頭のように

なんだかテンションが上がってくるんだけど

水族館で見る秋刀魚や鰯の渦の鰯ストリームとはまた違う感じかしらね

それはともかくとして、

秋刀魚焼くか焼かないか問題

なかなかフライパンで上手くカリッと焼けなくて、

やっぱりフィッシュロースター的な私のヒーロー必要なのかしら?

でね、

フィッシュロースターって

魚以外も焼いてもいいらしくて、

手羽元とか焼いちゃってチキンロースト的な私のヒーローも期待しちゃうかも!

なにかと、

そう言った専門調理器具があると、

なんだか専門的な調理方法しかできない料理が出来て、

腕によりをかけた感じが出せるってもんじゃない。

から

結構秋の新商品フィッシュロースター

流れ星が流れているとき

3回お願いできるようにって思うんだけど、

ときどきニュースとかで聞く

今夜はなんとか流星群ですってやつ、

空を見上げても願い事叶え放題と思いきや、

どれがその流星群か分からないのよね。

それはやっぱり星研究専門家の人じゃないと探せないのかしら?ってちょっと悲しくなっちゃうけど、

あの星が輝いているけどそれは何百億年も昔の光が届いてるだけの話しで、

今はその星は寿命で無くなちゃってるかも知れないと思う

なんかそんな歌があったことをあなたは教えてくれた

ラストソングフォーユー的な。

まあそれも本当にあるかどうかもわからないけどね。

引退ライブコンサートの時、

マイクパフォーマンスのあとステージセンターマイクを叩きつけるまちゃまちゃを思い出すわ。

うふふ。


今日朝ご飯

今日も元気だハムタマサンドよ!

昨日銭湯行こうとしたら臨時休業とのこととで、

もうさ私この臨時休業喰らったの2回目よ2回目!

ここからまた他の銭湯に行く気力も体力も時の運も持ち合わせて無かったので、

とぼとぼと帰った次第よ。

今日は開いてるはず!

そんな昨日を取り戻すハムタマサンド

デトックスウォーター

皮まで使えるレモン国産とかたまに売ってるのを

カットして凍らせておくと、

レモン氷として使えるから

ただのウォーラーレモン氷入れてレモンウォーラーでもいいし、

炭酸レモン氷ウォーラー一番だし!って

一番搾りみたいな言い方で言ってみてもいいんだからね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

anond:20200925091532

直親の得意技であるコロナ・シュトロームは常人には不可能な火属性と水属性の融合を達成した属性エンチャテッド体術一種であり、食らったらだいたいみたらし団子のように成り果てて死ぬのでコワイ。

2020-09-18

anond:20200918211444

渦だぞ

英語でいうとコロナ・シュトロームだぞ

強力な必殺技だがその使い手の名は知られていない

2020-09-14

anond:20200914235201

蕎麦ちょっと麦芽パンとかみたいな種子感のある固めのそうめん

トロロは納豆をお湯に溶かしたみたいな、大根のすりおろし感もある、おかゆみたいな……

難しいねあんまうまそうに書けなかった

乗りかかった船 が

 

   ニトロターボON

 

したので ワープ(瞬間移動)で乗船 の 巻

 

        

乗りかかった船 が

 

   ニトロターボON

 

したので ワープ(瞬間移動)で乗船 の 巻

 

        

2020-09-13

anond:20200912150037

日本食の高級ってウニとか大トロとか要するに材料費が高いだけでこちらも高級といっていいのかどうか疑問がある

2020-09-12

金曜日仕事で前の職場の人たちと電話をする羽目になった

つかこの日がくると思ってたけどほんときつかった

こっちがご無沙汰してますって挨拶しかけたとこに被せるように仕事の話

こっちも必死で話したけど全然コミュニケーションとる気がないのが丸わかり

向こうの人たちは本当に仕事ができるから自分みたいなトロくていつも萎縮しながら仕事してる人間

ゴミクズだと思ってるんだろうけど

つらくて昨日の夜から思い出すたびに動悸がする

今の職場でもうまく行かない夢を見た

月曜日仕事いきたくない

2020-09-09

自民党総裁討論会/所見発表演説会 の感想

石破

演説うまい

討論会質問されても具体的な話がスラスラ出てくる。他の2人とは格が違う。

うがった見方をするこちらを先回りして良識的な回答をするのも好感。

こんなにマトモなこと言ってるのに、2012年自民党改憲草案を持ち出すのは不気味にもほどがある。

とても思慮深い話しぶりなのに、一方で「グレートリセット」とか物騒なこと言ってる。

3人の中では一番有能で、一番良識があり、一番危険人物かもしれない。

おじいちゃん

ブコメでも結構言われているように、想像以上にアドリブが効かない。

立場もあるのか、全然中身のあることが言えてない。回答もピントがズレてる。

所信表明も昔の思い出話ばかり。

1.5倍速で再生しないと話がトロすぎて聞いててイライラしてくる。

ただ具体的な自分の実績を言えていたのは、政権の中にいただけある。

岸田

普通

変なことは言ってない。受け答えもしっかりしてる。

まぁ良いんじゃないの。

2020-09-07

anond:20200907155003

資本主義というか経済とか、それ以前に生物とかもう全部の常識がないのかおかしいので小言をいうね

まず国家が夢見るのは国民怠惰のためじゃないんだよ

国民結果的に称される個人が寄り集まって自分たち生活の共有部分を共同管理するための組織国家なのね

国がなにかしてくれるとかお国というなにか生き物が人間を飼ってるわけじゃないのね

自治体議員国家というのは国民の寄り集まりであって国家国民を生んでるわけではないのね

みんながちゃん政治に参加すればそんな雲の上でクラウド接続しているらしいみたいな国家幻想は抱かないと思うよ

それで、生物として怠惰に生をむさぼることが夢とか究極の目標とか楽園ではないのね

それがそうだというなら脳に電極さして水槽で寝てるのとか人類の最終目的でしょ

生きるというだけについていえばストレスがあって達成感があって不足や不満を感じてそれを解消する快楽必要なわけじゃん

まあそういうの全部今回はなしってことにしたとして 繋がれて夢をみるだけの生き物になるのが夢なの?

どう考えても人間生物的な活動をしていくと消耗消費と老化劣化からストレス競争が発生してかつ自然環境資源も枯渇して苦しくなるだけじゃん

それは幸福としたそれからどんどん離れていくよね

経済とかBIとは全然関係ないけど生物とかからいうと目標としては「苦しいかもしれないけど生を満喫すること、だってそれは生まれてきちゃったから」が究極な答えだと思うよ

それで資本主義の話なんだけど「金儲けのうまいやつが大儲けするのが資本主義」とかいうけどお金お金だけでは増えないのね

そりゃ銀行が刷ればいくらでも増えますかいうなんか宣伝文句があったけどそれ物理的に増えるだけでお金って物理じゃないのね

物理的なお金代替品に理論的に意味づけたものお金であってそれがもし大量にあったとしても「全部で1円」とか言えば数億円の束でも「1円」なのね

お金お金で増えないの お金もうけのうまいつがいいふうにやって倍にしていって 何億という資産を築いたとしても パン屋に腹が減ったから数千万パンを売れっていっても売らないっていったら交渉決裂なのね

実際にそれができないのは国っていう先述の寄り集まりがお互いに問題を起こさないようにとか問題がおきたら解消できるように組織したもの違反咎めて全部没収とか暴力的解決できるからなのね

ルールに従っていればいくらひどい事でもしていいけどルールから外れるとちょっとミスでも絶対許さんとかになる取り決めが法律なわけね

話はそれちゃったけど とりま何が言いたいかって お金は「お金儲け」では増えないのね

じゃあお金を増やすのってどうするかって、生産するしかないのね 一次産業から二次産業くらいまでが必要でもちろんそれが好きだしその知識が多くあって秀でていて 売り物にしたらより大きなものと交換できる可能性がある人がそれをするのね

権利だとか技術だとかを駆使して人がほしくなるようなものをつくるの そしたらほしい人は物々交換を申し出るわけ そりゃ生ものとかそのままじゃ使えないものをもってる人もいるわけなので平等にいつでも交換できる権利と交換するわけ

それがお金なの お金お金は増えないのね お金もうけがうまいやつがお金を増やすわけじゃないの

じゃあ何でお金がふえるかって 約束で増えるのね 高い絵画は「高く転売できる」って保証によってその価値があったり いつのタイミングでその料理がたべられるか いつのタイミングでその施設が使えるか どんな時にそれを利用することができるか

そういう約束お金って増えるの いまじゃないけどそれほしいって人が倍はくるよ 競争になるよ そしたら取り合いをさせずに倍の値段をもってくるやつと交換したらいいよ っていうのが価値なのね

その価値を作った人が潮目を見切って販売管理したり それをしながら生産をしたり そしてサービスをしたりするのはしんどいので その価値からいくらかおすそ分けしてその作業を人にお願いするのね

それがみんなが嫌ってる不労所得とか既得権益とか楽してもうけてるお金けがうまいやつとかの一部なわけ

欲しくなる時期までお預かりしておきます お持ちであるという証明を券で発行します いつまでなら使う側でいていいので使い終わったら払う側になってくださいねとか そういう金融商品って取引を代行する人がでてくるの

一次産業がそういうのに都合よくつかわれないように農協とか漁協かいろんな協同組合とか団体とかがあるの 実際にこまったとき相互に助け合う仕組みとして小さな国家単位みたいな組織

これを無視して利益重視にすればいま大手スーパーがやってるみたいな組合とかをとばして直販してもらって安く仕入れるとかできるし中間マージンがない分生産者も実入りは大きくなる

でも積み立てとか交渉とか共済かいうのがないから不作とか被害とかでたときにだれもなにも補償してくれないの 運が悪けりゃつぶれるだけ できるだけ原始的原理的な組織化で産業保護してくれてたのがみんなが不都合で嫌いだった組合とか土着の組織だったわけ

スーパー大手効率的に安く商品提供するために重厚な安定化組織解体してたわけ 運よくずっと良作に恵まれてたらいいけど一旦不景気かに落ちるともどってこれないよ 鬼怒川温泉みたいに

まりお金って結局人間が生きていくのに必要もの他人に作らせるからできてるわけで 他人にたくさん任せれば任せるほどお金ができるの

そしたら任せっきりのなんにもしない人が出てくるわけね そこでブルシットジョブもつくらないといけないわけ それが公共事業だったりしたんだけどね

どっかのド田舎まで高速道路ひいた首相かいたりして意味ないことだったけど経済的には一部を活性化させたりしたね

お金仕事っていう「その仕事をしてくれたおかげで生産がより便利になりました利益があがったのでお返しします」から利息分をすこしわけてもらうための権利を先取りしたもの労働の対価であるお金なのね

物々交換時間をかけあわせたものお金なの いまという時間から切り離した分だけリスクを含んだ価値を増大させるわけ

プロダクトローンチとかい言葉が昔はやったけど、簡単にいうと完全予約制みたいなものね 生産に対して顧客を先に固定させておいて販売価格商品より先に預かることね

土用の丑の日ウナギ弁当を予約で食品の廃棄を減らすみたいなもの 売れもしないグッドアイデアをこれは品質がいいから必ず売れると決め込んで投資していざ売ったら失敗みたいなことを回避する手ね

先に原資をあずかれることで生産にかかれるのね 基本会社はみんな借金してる 借金してそのお金でそれより大きなお値段をつけて生産したものを売る 借金を返してお給料もだして また借金して生産する

これでいつしか自己資本だけで会社やれたらいいなーっていうのが資本主義にある会社なのね

その借金という仲介をしたり証券化して権利分散して関係ない人からも結局その生産の原資として使いまわしがきくみんながもってる時間わずかな交換条件をかき集めてくるのが銀行なのね

銀行は人のチャンスとみんなの余裕を貯金として預かって、貸したり返してもらったりしてお金をふやしてるのね

これにはとても正確なやりとりが必要なので大変なのね こんなのみんな自分でできるなら会社はみんな自分取引してるわね

まり大きく仕事を三つに分けると、ものをうみだす人と、ものをつかう人と、消費する人と作る人の間を取り持つ人なのね

とりもつ人っていういわゆる「お金けが得意な人」がどれだけすごくても何人いても生産して運用しないと1円も増えないわけ

お金って生産して運用するその価値のものなのね お金けがうまい人っていうのがもしいるのだというならそれは生産ができて加工もできてそれをほかの人にわたせる人のことなのね

生産工場が直売してなくて卸業者代理店経由とかで商品を売る意味とかわかんないとおもうけど 全部できるならみんなしてる 自動車くらいに利益率が高くて組織が膨大ならできると思うけどね

農業経営してるところの飲食店とか 規模的に小さくても完結してるところはあるよね

ところで都市生活してるみんなは農業してたり一次生産してたりする? してないよね だったら飢えて死ぬべきかな? みんなが死なないように無駄仕事を増やしてくれてるよね

独占禁止法なんてなければ生産一族自分たちの分だけ生産して供給して ほかの人がほしいっていってもはい100万円っていえばいいだけなんだもんね

それをみんなが生きたい生きるべきってきめて あなたたちを襲って殺さないからぼくたちも殺さないでって取り決めて国家形成して法律をきめてるよね

みんなが分散して生産して消費の機会や場所分散させて無駄仕事と手間を増やさせてそれぞれに従事させてその対価として消費するその価値ちょっと上乗せしたものを配分してるのが資本主義だよね

これが成長していかないと「上乗せした価値」が得られなくなるからどこかを削るべきとかになるのはわかるよね だからGDPとか大事だよね

そういう無駄なことやめない? いる分だけ調整して上へ上へ上げていくのもうしんどいからコントロールして一休みしたり無駄仕事ふやしたりするのやめない?っていうのが共産主義って主義

国がその配分を一旦全部国有で国のものとして徴収して再配分するってきめると効率的無駄のない生産と配分ができるよね

上手だろうと下手だろうと誰彼かんけいなくそこにいる人にそれしなさいって国営のなにかをしてもらってその価値を国の配分で分けたりすればここまでややこしかった資本主義問題とか軋轢なんて一発解決

災害対策とか低迷する機能への投資かいいなっておもったら即機能させれちゃうよね ただ国民幸福度としては国がやれっていったからってことを押し付けられるのに報酬自分で決めたものではないのは不満だよね

資本主義は重責を負わないなら受け取る価値を下げるって選択肢があるよね

ここで重責を負うって名前だけなのに給料高いのは納得できない資本主義うまいことやったやつだけが給料たかくて真面目に働いてるみんなへの配分が少ないってことになると思うけど

重責っていう人が判断したり取り次いだり企画したり対応したり組織をつくったり運用したりしないと作業員がいっぱいいても価値生産したり運用したりできないのね

みんな下積みなん手必要ないやれっていわれたらできるしみんな同じことしてる作業員なんだから給料がいっぱいの人と同じことできるからお金欲しいっておもうよね

じゃあどういう経路で、どこに問い合わせたら、どうなっているかという予想ができて、それならばこちらに切り替えたり、無理をお願いしたり、時期をずらそうってしたりみんなできる?

現場作業をしていれば現場でいるものはなんでもわかると思うけど、じゃあそこに来る材料がいつどこからどう来てどんな品質からどうすべきかとか、判断できる?

また納品する先にどういう取次をして、支払いの約束をどうとりつけて、関係者のみんなにそこからいくらわけるとか計算できる?現場で10人優秀な人がいて生産完璧にできたとしても材料とか取引ができないと10人の価値ゼロ

10人に10人分以上の価値がでるように準備をしたり取引をしたりするのが重責の役目ね これが等価とかそれ以下ならだれでもできるの ほんとだれでもできる

から人のいい社長さんとかがその価値を切り崩して会社だめにしたりする がめつく粘って値切って節約していかないと維持できる程度の利益もでない これが重責なのね いってみればみんなのお給料のためにどれだけ意地悪な悪人になれるかみたいなとこね

みんなの1+1生産の結果をどれだけえげつなく汚い手をつかってぼったくったかが、お給料になるわけ 10人分なら10倍程度にね それが楽なので再分配しろっていうならみんな自営業したらいいだけ クラウド仕事募集サイト仕事すればいいだけじゃん なんでしないの?ってことよ

10人分の家庭の生活自分一言でつぶしてしまうかもしれない その責任がおまえとれるの?っていう重責が役職であったりするわけね 構造上の問題だけど

まあそういう仕組みがあって そのうえでそれらを超越してただ楽でなにもしてなくて暇つぶしだけしてるけどお金はいってくる人ってのも構造上でてきてしまうよね それはしょうがない

そんな人をピンポイント特別措置がとれる法律をつくろうなんていったら「人ひとり個人特定方法でしめることができるルール」ってそれルールっていう広義である必要はないよね

事故として処理するのとなんらかわらんし そういうのが陰謀論としてあるとわくわくするのはわかるけど 一応とつぜんみんなの家族がきえたりしないのはちゃん国家ってルール運用されているからだね

いちおういまもうまく国とか資本主義って機能してはいるし公共事業と基本給がいまのところベーシックインカムってものの変わりみたいなものだよ

これを現金化したり証券化することは国の機能のもの現金化したり証券化したり いってみれば民営化するみたいなものなんだよ

まあどっちでもいいんだけど 政治批判しかしないし政党に加わるわけでもなし支持する政党組織として共同体運用目的とした宗教にも加担せず個でいることにこだわる人がベーシックインカムなんて形で団体組織運営民営化してより独善的な偏りに現金をもっていこうとするのは目先の快楽にそそのかされてんじゃない?

もっとよく考えてからいいって言うならそれはいいと思うよ

2020-08-23

FPS初心者FPS対人ゲームをするなら大人数チーム対戦ルールをすべき

配信者がよくAPEXを実況してくれてるんだけどFPSって初心者がやるならバトロアよりもCoDBFのチーム戦がいいと思う

トロアの場合、一回の死亡がチームに与える責任が重いため初心者に来てほしくない

その点、チーム戦は6対6や1010、50対50とか色々あるけど人数が増えればその分だけミスの重みが薄まるから初心者おすすめしたい

初心者に対空や補給蘇生スポットしてるだけでもチームに貢献することが出来るし練習になると思う

暴力に囚われていない」という幻想

 僕らの人生はどこから始まったのかと言えば、当然二十年前であり三十年前であり四十年前なんだけど、僕らの祖先はどこからやって来たのか、という話をした時に、辿ることのできる歴史には果てがない。僕らは遺伝子ボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。

 僕らの中にある遺伝子の声を聴く時に、そこには声にならない声がある。僕らはその声に耳を澄ませ、そしてある程度言語化された呻きを聴くことができる。僕らは、その微かな声を頼りに、歴史を辿ることができる。


 人のルーツを辿る時、その歴史上最も古い霊長は(今のところ)七百万年前のサヘラトロプス・チャデンシスである。我々ホモ・サピエンス分化したのは今から二~三十万年前とされており、我々はアフリカから世界の各地へと足を伸ばし、集落を作り、文明を伝えてきた。

 当然ながらその歴史暴力と共にあった。共通利益としての安全を求める性質が、かつての我々にあったことは否定しないが、恐らくそこには絶えざる暴力連鎖があった。

 ここで言うところの「暴力」とは戦争軍事力媒介にした暴力行使を指しているわけではない。

 暴力は我々の身近に存在している。

 ごく身近に、あるいは、我々の中に存在している。

 繰り返すように我々がホモサピエンスとして遺伝子を繋いできたのは今から三十万年程前からのこととなるのだけれど、当然そこに至るまでにシームレス旧人類種のグラデーション存在している。我々の遺伝子レースきっかり三十万前に始まったわけではない。あるいはそれは五百万年前かもしれないし、一千万年前かもしれないし、一億年前かもしれない。あるいはもっと前かもしれない。

 例えば、我々の遺伝子レースが百万年前に始まったと仮定して、そして、我々の世代継承が十五年毎に行われていたと仮定する時、我々にはこれまで六万から七万の世代存在したということになる。仮に、たった百万年から我々にとっての遺伝子レースが始まったと仮定してさえ、そこには膨大な数の関係者存在することとなる。

 とにかく我々は遺伝子キャリアとして長い時間を旅してきた。


 そしてそこには必然的に、暴力行使がまとわり付くこととなった。

 それは自明のことと言って差し支えなかろう。暴力が無ければ人間は生きて来れなかったかである

 例えば、鋭い牙と爪、そして圧倒的な膂力を持つ獣に襲われた時に、我々に最も必要ものとは暴力である

 例えば、そんな事態においては武器必要になり、そして、獣を殺す為の殺意もまた必要になる。そこには、暴力を振るうための道具と、暴力を振るうための膂力と、暴力を振るうための意志必要になる。

 これは余りにも自明である

 無論、我々に暴力を振るう可能性があったのは獣だけに限らない。例えば、同族である人類暴力を振るうことも大いにあったであろう。そのような人類に対して、暴力を振るわなければならない場面もあったであろう。

 更には、そのような暴力防衛自衛のみを目的としていたと仮定することは恐らく不可能であろう。そこに積極的暴力行使可能性があったことを、認めなければならないであろう。

 そんな時、我々の振るってきたであろう暴力は――あるいは、我々が振るわれてきたであろう暴力は――どんな種類の暴力であろうか。

 まず挙げられるのは、殺人

 強盗

 強姦

 傷害

 恐喝

 その他に何があるだろう? すぐには思いつけない。

 何らかの種類の搾取があったかもしれない。詐取が存在していたかもしれない。

 我々の祖先はそれを不断に行ってきただろう。恐らくそれを止めることはできなかったであろう。

 それを止めることによって、周囲の遺伝子キャリアに対する対抗手段を失ってはいけなかったかである。我々はそれを止めるわけにはいかなかったのである。それを止めた途端に、我々の遺伝子キャリア頓挫し、今日という日に辿り着くこともできなくなるからである

 恐らく、ありとあらゆる種類の暴力行使は、我々の遺伝子レースにおいて切り離すことのできない要素だったであろう。

 つまり、この文を通じて僕は何を言わんとするのか。


 それはつまり、恐らくだけれど、貴方のかつての父親は、あるいは貴方のかつての母親は、誰かを殺したことがあるということである

 何かを盗んだことがあるということである

 誰かを傷つけたことがあるということである

 誰かを犯したことがあるということである

 誰かを騙したことがあるということである


 誰かにまれたことがあるということである

 誰かに傷つけられたことがあるということである

 誰かに犯されたことがあるということである

 誰かに騙されたことがあるということである


 その他の、無数の暴力を与え、そして、与えられてきたということである

 我々のかつての父は殺し、盗み、傷つけ、犯し、騙してきただろう。

 我々のかつての母は殺し、盗み、傷つけ、犯し、騙してきただろう。

 我々のかつての父は盗まれ、傷つけられ、犯され、騙されてきただろう。

 我々のかつての母は盗まれ、傷つけられ、犯され、騙されてきただろう。


 例えば、百万年前までの歴史を辿れば、我々一人につき六万から七万の世代存在することになる。そして、当然そのような世代は必ず一人の人間継承し続けてきたわけではなく、無数の兄弟姉妹存在していたことであろう。そのことも勘案すれば、我々にはおよそ無数の関係者が――無数の肉親が存在していたということになる。

 我々には関係者があまりにも多すぎる。そう考えた時に、我々の関係者の内に、一人たりとも、百万年歴史において暴力を振ったものなどいない、と言い切ることのできる可能性は、どれほどあるだろうか。恐らくはその可能性は限りなくゼロに近い。我々は無数の暴力をはたらいてきたし、恐らくは無数の暴力に晒されてきただろう。

 我々は暴力と共にある。我々は(そして私は)、これから暴力を振るい、そして暴力を振るわれるだろう。

 これまでもそうだったし、これからもそうだろう。我々は生きなければならないからだ。

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