はてなキーワード: ひとりじゃないとは
最悪だ。
ことの発端は、違法ダウンロードをしようとしたことだ。違法ダウンロードが悪いことなどとうにわかっている。見たかった映画が見つからない。見つかっても英語字幕すらないようなものや、ダウンロードやストリーミングができないようなもの、映画ではない別のファイルがダウンロードされたり、とにかくもう散々だった。それだけで2時間くらいは使ったと思う。日本語サイトだけでなく、英語のサイトも見た。それでも見たい映画にはたどり着けなかった。もちろん、プライムビデオを契約すればこんなことにならないことくらい知っている。それでも、月数百円が払えない。私の収入は月数万円あるが、そのお金はサイトの運営費(wordpressでサイトを運営している。Googleアドセンスで収益を得ることを目指している)に消えたり、そして多くは貯金に消える。本当はもっと稼げる。在宅ワークではなく普通の会社に入れば、月に30万円くらいは稼げる。それだけの能力があるからだ。それでももう成人しているというのに、親が働く許可を出してくれない。だから仕方なく(これでも2年やってようやく許可が得られた)在宅ワークしかできない。だから、繰り返すが、プライムビデオの月会費が払えないのだ。
2時間を無駄にしたことと、どうせプライムビデオなんて契約すらさせてもらえない自分では月数百円が払えないし、親に頼んでも絶対に許可されない(ということ、その他いろいろが積み重なって、私は家具を投げた。数回投げた後、なんか嫌な音がした。床に穴が空いてしまったのだ。しかもかなり大きな穴が…これが親に見つかったら間違いなく怒られるだろう。1週間後には旅行も控えているが、それすらなくなるかもしれない。もう嫌になった。
精神科には通っている。しかし正直もう通いたくない。効果がないし、なにも変わらないからだ。3時間は平気で待たされるし、そのうえ診察は3分といった具合だ。そしてその診察にもなんの意味もないどころか、ただの時間の無駄である。だから薬だけもらっている。これが薬事法かなんかに引っかかることは知っているが、時間を無駄にしたくないから問題ない。その精神科は地元にあるというだけで、そしてやぶ医者でもないから仕方なく通っているだけだ。本当はもっと話を聞いてくれたり、親身になってくれたりする精神科に転院したい。何度も訴えたが、「いまの病院で十分でしょ」と言われて親は転院させてもくれない。そうして私でも病院を探してみたものの、良さそうなところが見つからない。どこも似たり寄ったり、何も変わらない。
20歳になって、ようやくお酒が飲めるようになったのに、親は「精神科の薬を飲んでいるからお酒は飲むな」と言い、ろくにお酒を飲ませてくれない。親が間違っているとは思えないが、はっきり言って、薬よりもお酒のほうが遥かに効く。幸せになれる。満たされる。それでも、親が許可する程度だけ飲んでも、最初は酔えたのに、だんだん何も感じなくなっていった。なんで大麻や覚醒剤が合法じゃないんだろう。どうせ薬も酒も効かないのなら、それくらいしか楽になれる方法なんてないはずだ。
仕方がないので、海外の心理士とカウンセリングをしてもらった。1時間で5000円くらいかかるが、これは私のポケットマネーから出ている。すごく大きくは変わらなかったが、それでも、効果はあった。もう少し続けたかったが、お金が心配になり、やめざるをえなかった。
悔しい。
アダルトチルドレンだとは思っていないし、これが虐待だとかネグレクトだとは思ってもいない。親は親なりに私を理解し愛してくれた。調子が悪くて泣いていたときに、「そんなにつらいなら美味しいものを食べに行こう」と言って、いつもの店に連れて行ってくれた。そのときに日本酒を飲んだが、あまりに美味しくて泣きそうになった。
それでも。
満たされない。愛されたい。必要とされたい。思いっきり抱き締めてほしい。
風俗にでも行こうと思ったこともあった。そうしたら、お金も貰えるし、抱いてくれるし、「愛してる」とも言ってもらえる。
それでも、さすがに、それが「本当の愛情」でないことくらいは、私にだってわかる。
安心感がないのだ。「家族に守られている」という感覚がまったくない。数年前には手を上げられたことも何回もあったけれど、そんなことはもうされない。安心して良いはずなのに。それでも、あの頃よりもいまのほうがずっと情緒不安定だ。
有名になりたい。認められたい。たくさんの人に囲まれたい。本を出したい。メディアに出たい。私のことを知ってほしい。私だってひとりじゃないと思いたい。
とにかく、現状を変えたい。
薬は6年くらい飲んでいるけれど、結局20キロくらい太ったし、薬に支配されている気がするし、もう飲みたくない。だから1か月前くらいに全部勝手に辞めた。飲むべきなのはわかっていても、たとえ強制入院されたとしても飲みたくはない。太るということは、もともと弱かった自己肯定感を失うことだ。醜い体になってまで、生きていたいとはもはや思わない。
これが身体の病気だったらどんなに良かったか。周囲には「かわいそうに」と思ってもらえるし、親ももっと良い病院に連れて行ってくれるし、なによりも障害の程度が客観的にわかる。差別や偏見というよりかは、ただ単につらさが「わかってもらえる」ことは間違いない。
自分やひとを傷つけたいと思っても、どうせ誰も助けてはくれないし、せいぜい精神病院か刑務所に放り込まれるだけだろう。
なんで安楽死を認めてくれないのだろうか。それが無理なら、せめて安全な違法薬物でも開発して、簡単に幸せになれるようにしてほしい。
昨日書いた日記にたくさんの人がコメントをしてくれて嬉しかったです。ありがとう。
平成の米騒動あたりは記憶が曖昧だが、たしかに食堂でタイ米を食べてました。
多分、入隊してすぐくらいだったか…この辺りは、半年以上教育期間だったので、
TVも見られず、もちろんスマホも無い時代なので、世間がどうなっていたのか全く知りません。
マズかったメシ以外にも、自衛隊の楽しみだったり、心に残ったメシをつらつらと書いていこうと思う。
20年間で5回くらい転属してあちこち臨時勤務等もあったので、ひとつの食堂の話ではありません。
カレーライスは間違いなくアタリの日だった。どこの駐屯地でもうまかった。
だが、午前中の訓練のモチベーションを上げてくれるのもまたカレーだった。
新人の頃は午後、ウトウトして先輩からよくどつかれたものだが、
先輩になると、どつく側になった。
そしてまたそれを超える年になると、どつきどつかれしている後輩達を生暖かく見守る立場になった。
昔、料理長に聞いたカレーの隠し味「焼肉のたれ」は、今でも家でカレーを作るときに入れている。
12月24日だか25日の昼には可愛いクリスマスケーキ1ピースが出た。
恋人がいない隊員はあえてこの日に当直を入れ、寂しさを紛らわした。
この日あたりから年末休暇が始まるので、ウキウキと帰隊する既婚者がなかなか憎たらしかった。
ケーキはうまかった。
元旦の昼はおせちが出た。大皿に少しずつ黒豆とか、なます、田作りなんかが適当な感じに盛り付けられていた。
まあ、おせちは出来あいなので大してうまくはないし、おかずになりにくい。
数年に1回は元旦勤務があったが駐屯地にはたくさん人がいるので寂しくはなかった。
バレンタインデーには昼飯にチョコレートがついた。不二家のハート形のチョコレートが多かった気がする。
男女関係なくみんなにもらえるチョコレートはなんだか嬉しかった。
自衛隊の女性はモテるというが、頭が良くて優しくて素敵な、妙齢の独身の先輩はたくさんいた。
自衛隊の男の目が節穴だと思っていた。
少し年を取るとWACはモテなかった。常にすっぴんだし、男女平等階級社会なので言葉遣いも荒くなることもあった。
女性とみなされないのかもしれない。
3月になると、予算に余裕が出るのか使い切ろうとするのか、メニューがわりと豪華になった。
料理長が大きな鉄板で手のひらサイズの肉をジャンジャン焼き上げ、横にうずたかく積んでいく。
外で焼くパターンもあった。
もう焼きあがっているので熱々とまではいかないが、本当に美味しくて年に一度のパーティタイムだった。
その他、創立記念日には紅白饅頭が出ることもあったし、節分には小袋の豆が出た。
美味しいメシは本当に訓練のやる気に直結していた。
ただ、唯一不満があるとすれば、白米がまず出てこなかった。
健康に留意してか、常に玄米とか粟とかヒエとか謎の穀類が混入していたので、ただただ真っ白な白米が食べたかった。
同期なんかは「また鳥のエサが入ってる…」と、よくぶつぶつ言っていたことを思い出す。
あと、駐屯地食堂では目玉焼きが出ないので、外で食事をするときはひたすらベーコンエッグ定食を食べていた。
生の卵は出るので玉子かけご飯は出来るが、半熟目玉焼きに飢えていた。
あとはなぜかクリームシチューが出てこなかったなあ。
自分が除隊する前の数年で糧食班がなくなり、民間の業者が隊員食堂を切り盛りするようになった。
団塊の世代だった古い栄養士や糧食班長も定年を迎え、若くて新しい世代の栄養士さんに代替わりした。
男性の若い栄養士さんは、自衛官の心をグッとつかむ旨いガツンメニューが上手で、とても人気がある。
まじでクソデカでびっくりしてる 12cm なんで気づかなかったんかな??
確率がFGOの星5なのか、プリコネの星3なのか、あんさんぶるスターズの星5なのか、全然話が違ってくるなあなどと思っていた
抗がん剤治療の話とか聞いてびっくりしたよ
なんかおしっこするときに痛いから膀胱炎かな〜つって泌尿器科行ったんだよ 昨日ね
何年腹で育ててきたんだ 食べても全然太らなかったのってもしかしてキミのせい?
子供の頃から痩せてて食への執着も薄くて、運動音痴だから体力なくて疲れやすいし、なんにも気づかなかった
そういえば就職したあたりから(ちなみにわたしはいま29ちゃい)なんか疲れるとお腹張るなあとは思ってた でも過敏性腸症候群だと思ってたんだよね 当時ずっと仕事のストレスやばかったし
実家の親に電話して伝えたら泣かれた そりゃそうだよな 未婚の娘が卵巣腫瘍、がんかもしれないなんて聞いたら泣くよ
申し訳ねえな
婚活が順調に進んでたから、次は交際相手の顔見せするつもりだったんだけどね。とんだ親不孝になってしまいそう
わたしも病院では怖くて泣いてたけどこうやって文章にしたり家族と話すときはやたら陽気になっちゃう
割とポジティブな方だとは思うけど、本当にこうなるんだなって思った 笑い話とかめっちゃしちゃう(別にそんなにおもしろくないけどね)
腹を開けて腫瘍取ってバラしてみないとわかんないんだって。がんかどうか。
やだなあ。抗がん剤治療したらやっぱ髪の毛抜けちゃうんだって。どうせなら好きなウィッグ買って、これまでできなかった色とかしちゃおっかなとか思うけど、最近わりと頑張ってケアしてやっと髪質良くなってきたところだったのになーとか。ずっと喪女だったのに、婚活のために人生でいちばんかわいくなったのに、全部ぼろぼろになっちゃうかもしれないんだなあって。
わかんないんだ。これは悪ければの話だし、良性だったら手術だけで健康体に戻れる。子供も望めるかもしれない。可能性の話でしかない。
婚活うまくいって、ようやく結婚を考える相手ができたばっかりだったんだ。病院行く2日前だった。わたしが最後に健康だった日。
親に良い報告をしたかった。結婚してみたかった。もしかしたら子供も作れたかもしれない。
そういうの全部なくなるかもしれないんだね。
わたしは2月に30歳になるんだけど、友達が今年続々と30歳になって、みんな楽しく30代生きてこうねって約束してたのに、なんかほんとに洒落にならないというか本気の約束になっちゃいそうなのがさ。そういうのじゃないじゃん。なんでそうなるのかな。
まだやりたいこといっぱいあるよ。怖いよ。終わりたくない。まだまだ幸せに生きていきたいよ。
ねえ。もし良性だったら、あんなのただの杞憂だったねって言って笑い飛ばしてね。
(追記)
ブコメ!!!!!!トラバ!!!!なんかいつもと雰囲気違うじゃん!!!!!!!!!!!!!!!
いつも創作だろとかしか言ってくれなかったのになんだよ!でもそういうのもひっくるめて好きだよ!!
普段は追記とかしないしこの文章に追記するのも余韻ぶち壊し感あるけど、お礼言いたいから今回だけさせてください。
お祈りしてくれたみんな、励ましてくれたみんな、ありがとう!とってもうれしいです!!
最近見た大好きな作品に「神様はいるんだ、僕らはみんなひとりじゃない」ってメッセージもらってたの思い出した。それはお米の話で伏見稲荷の神様なんだけどね、でもなんかわたしもひとりじゃないっぽいし、きっと神様もいるよねって改めて思ったよ。そんでこんなに祈ってもらったら聞かないわけにいかないでしょ。
まだまだ元気に生きていきたいよ!さくっと退院してのろけダイアリー書いてやる!!!ほんとに創作じゃないやつ書くから絶対読めよ!!!
本とか参考になるページとか制度とかいろいろ、教えてくれた人ありがとう!
余計な妄想して落ち込みそうだったから詳しく調べられてないんだけど、気持ちと折り合いつけながら見ていくね。検査もそこそこに転院することになったので、妊孕性の話とかはまだしてないんだ。これから参考にさせてもらう。諦めなきゃいけないって決まったわけじゃないもんね。
経験者の人、家族が似た病気をした人たちもエピソード教えてくれてありがとう!思ったより経験者が多くてびっくりした。違う。びっくらぽんだ。
悪性疑いと言われて結構ビビってたので、取ってみたら良性だったよって話には結構励まされました。わたしもそれになりたい。
いま同じように腫瘍があったり疑いがあったりする人も、不安だけど一緒にがんばりましょう。お互いに良くなりますように、わたしも祈ります。
これまで大病したことなくて病院はわりと縁遠いものだったし、なんとなく不調だけれどもそれが日常になっていく感覚はよくわかります。でもやっぱり同じ思いはしてほしくないし、月並みだけれども、身体の不調があるようだったらぜひ検査してね。
あとはわたしも入院前に神社行くつもりなので、自分の健康はもちろん本気で祈るけど、優しい言葉をくれたみんなの無病息災も祈っておきます!!
この通り、結構ほんとに元気出たよ。みんなありがとね大好き!良いクリスマスを!良いお年を!きっと来年も楽しい一年にしようね!
2月の下旬、全公演のチケットを取るくらい楽しみにしていた舞台が半ばで公演中止になって、呆然としたまま突然の大千秋楽を迎えることになった。
3月、友達が死んだ。東京から遠く離れた地元へは帰れなかった。小学校のころから一緒に趣味の絵を描いて遊んできた友達だった。
4月からこれまで、エンタメが消えた世界は本当に寂しかった。楽しみにしていたことが全部なくなってカレンダーはスカスカになった。これまで楽しくやってたはずの仕事も全然楽しくなくなった。在宅勤務で昼間から家にいると時間が止まったような気がした。そのうち仕事もほとんどやらなくなって、毎日散歩して空ばっかり見てた。なんにもなかった。
ずっと寂しかった。ひとりはさみしい。実家は飛行機の距離で、仕事はフルリモートで同僚と顔を合わせることはなくなった。それが楽だという人もいると思うけれど、それが辛いと思う人もいて、自分は後者だったという話だ。
劇場では一般的に十分と言われるであろう感染症対策をしてはいるけれど、伝染るときは伝染るんだろうなと思った。一週間の行動履歴は観劇で埋まったし、まあまあのトンチキ感がある作品タイトルで、これいま感染したら一時期の舞台クラスタみたいに晒し上げられたりめちゃくちゃアクティブな人みたいに叩かれそうだななんて思いながら、それでも劇場に通った。
病気で死ななくても、心が先に死んでいく。心が死ぬのはとてもつらかった。病気でもなんでも、死んでも別にいいと思ってしまうくらい。友達が死んでから先に行かれてしまったなという思いがずっとあった。少し前にやっと手を合わせる機会をいただけて、なんとなく、残された側はそれでも生きていくしかないんだなと感じた。生きていかなきゃいけない、そう思っていても、からっぽのまま空を見上げていた時期、うっすらとした希死念慮はずっとすぐそばに漂っていた。楽しいことがないのに生きていくのはつらかった。
やっぱりこの人生には舞台が必要だった。春からからっぽになってなんにもなかった心が一気に満たされて、楽しい、好き、幸せ、久しぶりにそういう気持ちがぶわっと溢れてきた。大事なものにやっと再会できて、ああ、自分には必要なんだって思った。
ここまで揃うと、笑うしかない。
こんな状態なのに、去年介護がワタシにやってきた(サンタが街にやってきた風)。
「お父さんが緊急搬送されたと病院から連絡がありました。あなたの電話番号を病院に教えていいですか?」
という不動産屋からの電話。先方も事情がわからないようで困惑している。
定時で帰ろうと呑気に考えていた春のある日、こんな風に始まった。
当初は脳梗塞も軽く済み、介護サービスを使いながら独居することも可能だった。
その後のリハビリのおかげで、身の回りのこともできるし、簡単な会話もできるくらいには回復したが、細かな判断(お金周りとか)を要する質問には返答できない。
兄弟姉妹もいないので、1ヶ月半おきに北海道に帰省した。終の住処になる施設に落ち着くまで、約1年間続いた。
毎回4泊5日のスケジュールで、病院・役所・父のアパートを何往復もした。お金は勿論のこと、体力的にかなりきつかった。
金額は石狩管内私調べなので、田舎に行くともっとお安いところもある。
CMでよく見かけるのはコレ。あれは金持ち用の至れり尽くせりな施設だ。
母が医療関係者として働いていたことがあり、「料金が高いせいか、入所者になにもやらせない(家族もそれを望んでいる節がある)。結果、入所後にボケる人が多い」らしい。
通常家屋で暮らせる程度の身体能力がある人が入所していて、痴呆症の受け入れも多いようだ。
脳梗塞の後遺症で、通常家屋に住むのはちょいと厳しいので深くは調べなかった。
金額的にはピンキリの様子だが、18万円は高い部類だと思う。都市部のグループホームだろうか?
ただし、終の住処にはなり得ないので、3ヶ月後には退所しなければいけないことが大半。
また、入所中の通院、日用品の買い足し等は家族が行うので負担が大きい。施設に入っているから一安心とはならない。
最近建設された施設は、個室またはユニット個室なので、利用料も12万円台〜。
多床室と呼ばれる大部屋の場合は利用料9万円台〜。
裏技的に特別養護老人ホームの入所待ちに使われることもある(自分もそうだった)。
首都圏では施設数が増え、待機期間が短くなっていると言われているが、空いているのは個室またはユニット個室で利用料は高い。
利用料の安い多床室は、相変わらず入所待ちが続いている。
現在、新しく施設を作る場合は、個室またはユニット個室である。
多床室は昔の制度下で建設された施設のため、建て替えなどで個数が減ったとしても増えることはないと思われる。
特養の利用料は老健と同じようなレベルだが、特養は自宅介護が不可能な人たちが入所してきている。
「終の住処」と呼ばれているが、見取りを行っていない施設もあるし、胃瘻やインスリン注射が必要な人の入所数を制限したり、断っている施設もある。
入所は順番待ちになっているが、介護度が重いほど上位に来るかというと…そうでもなかったりする。
介護度5を最優先にしている所が大半だが、施設によっては、状態の重い人を入れ過ぎてスタッフが疲弊、バランスをとるために、ちょっと介護度低い人にしよう…となることもある。
これは、各施設の方針によるので、見学した時にざっくばらんに聞いてみるといい。ぶっちゃけてくれる相談員もいる。
ありがたいことに、比較的すぐに特養入所ができたため、ほとんど帰省しなくて良い状態になった。
定期検査で通院する時は、施設のスタッフが付き添いをしてくれるし、日用品がなくなると代行して購入し、月末に利用料と一緒に領収書添付の請求書が送付される。
そもそも老健と立ち位置が違うので、比較するのはよくないことなのだが、老健に移動してから負担が恐ろしいほどに減った。
世の中的に介護施設のお給料は少ないと言われてるので、もっとお給料あげて欲しいと思う。
スタッフの献身のみに支えられているのは異常だ(でも、利用料は据え置きでお願いしますw)。
元増田さん
正直、母上のグループホーム18万、父上の20万という利用料は大きすぎると思う。
首都圏では普通にあり得るんだけど、北海道では、高額な部類に入ると思う。
この状況が10年20年続いた時のことを考えなければいけない。
ご両親の蓄えがなくなった時、元増田さんや兄上は金銭的な負担ができますか?負担しても、それぞれの家庭が壊れないと断言できますか?
私は家庭を築く気持ちも能力もない、頭アッパラパーな人間です。
そんな人間に言われるのも心外だと思うけど、自ら作った家庭に対する責任を第一にした方が良いと思うんだ。
多分、老後もそろそろ考えないといけない年齢だよね。
金銭的援助を20年続けたとして、その間に自分たちの老後の蓄えできるだろうか?
玉突きのように、子供たちに負担がいったら…親としては、ものすごく辛いんじゃなかろうか?
どちらもお金が関わっている。
大事なのは「愛」というけれど、世の中の不幸の大半は「お金」で解決できる。
自分は「愛」より「お金」が大事な守銭奴なので、父親の介護に関して持ち出しをしないことにした。
ただ、父には蓄えがなかったので、当初は50万〜は持ち出しした。ボーナスもぶっ飛んだ。
でも、そんなことを続けていたら共倒れするので、病院の「無料・低額診療制度」を利用して、入院費や定期検査を1年間無料で受けられるようにしてもらった。
その他にも、役所にある地域包括センターに相談して施設を探してもらったり、任せきりにせず、自分で施設を探すために電話をしまくった。
「法律は法律を知るものの味方」とはよく言ったもので、介護も制度を知らないと金銭的にも心身的にも疲弊する。
利用できる窓口に相談する以外にも、自力で動く必要もある。そして、それがめちゃくちゃ気が重い。
親の介護やお金のことって、簡単に相談できるものじゃないから、わからないことだらけ。
でも、「助けて!」と叫ばないと、どこにも声は届かないんだよ… 。
つらつら記載したけど比較的両親が若い状況で倒れ、治る見込みもなく医療費が月40近くかかり、実家は資産家でもなく、かつ自分や親族は遠方というベリーハードな状況の人っているのかね?
元増田さんから見ると、ベリーハードな状況から脱しているように見えると思う。
でも、安心してください!
去年から、ずーーと続いてるよ!
続く時は続くというけど、本当だっだねー…元増田さん、まだハードモード続行中なんで安心してください!
でも、私やあなたよりも酷い状況下で戦っている人はたくさんいるはず!ひとりじゃないよ!
あと、毎月医療費が40万円もかかってるなら、高額医療費として払い戻しできるんじゃない?ぜひ調べてみて!
自分は健康診断で「高度」判定されたのだけど、再検査では「低度」になったので自然治癒する可能性があった。…残念ながら、先日の再々検査で「中度」に格上げされてしまったので、このまま自然治癒せず「高度」に上がってしまうと、めでたく手術になる。
案外、自分のことは冷静で、いの一番に「生命保険で手術・入院費が支払われるか」を確認した。
母の方がうるさいくらいで、「セカンドオピニオンしてもらった方がいいんじゃないの?」と心配してくるが、正直かなりウザイ。
この辺りは独身の気軽さで、「ダメになっちゃったら、もう仕方ない」という境地にたどり着いているのが原因かも。
この世にいる以上、生と死があるのは仕方ないこと。
配偶者や子供がいたら、セカンドオピニオンでもなんでも受けると思う。
今のところ、自覚していないだけなのか、手放して惜しいものが一つも思い浮かばない。
大変な状況が続いて、こうして文章にまとめられるようになっただけでも増田は息子さんと向き合うのに一生懸命だと感じた。
よくテレビで擦られる諦めずに声をかけたら、治っただったり、よく見るにもかかわらず名前を忘れてしまったがアメリカの軍人の父と障がいのある息子がトライアスロンに挑んで、息子さんはサポートを受けながら大学にはいり、ひとり暮らしをしてって言うような話もあるから、諦めずに息子さんと増田が向き合っていけたら良いと思う。
ただ、増田はひとりじゃないってことを忘れずに、使える行政サービスや、今はクラウドファンディングなどで支援者を募ることもできるからそういったものを最大限に利用して息子さんと増田の人生が潤いのあるものになればと思う。
私は結婚することも子供が欲しいと思うこともなくなって長いが、自分が増田の立場だったら絶望していたと思う。周りの子供を見てお前は元気でいいな。と思うことなんか当たり前だし。以前、以後と思うのも当たり前だと思う。
こう言うと「税金で飯食ってる!」と思われるんでしょうか。
まあ実際滞納者様にそう言って怒鳴られました。
あと「パソコンで遊んでるだけ」って貴重なご意見もいただきました。
僕の所属ではパソコン業務が多いのは事実ですけど、紙で◯年保管しろって書類が多いんですけどね。そんなこと興味ないか。
僕の愚痴は置いておいて。
ほとんどの方が納期限にきちんと納めてくれてるって、僕は知ってます。
ありがとうございます。そういう、きっと僕とは一生縁のないような方のために毎日仕事をしています。ありがとう。
でもね、僕が今年度差し押さえた額が××××万っていうのを見て(僕の年収の何倍ですかね…)、そんなときに「税金で飯食ってるくせに!」って滞納者様に言われてね。
みんな納期限に納めてくれたら、僕なんて公務員でなくなったっていいのに…と思ってしまった次第です。
例えば「払うの忘れてた!」とかは仕方ないと思うんです。
そうすると督促状っていうのが出て(法的に出さなきゃいけないんです)、それで急いで払ってもらったら、いいことではないけど、これを僕は「悪」とは思いません。
ただ相談してもらえないと僕らは事情が把握できないので、電話なりしてもらえると助かります。
でも世の中には「払えるのに払わない」っていう滞納者様が多いんです。
払えるのに払わない、だから僕らは財産を差し押さえなきゃいけない。
以前某新聞が「差押できる」って表現を使っていたんですが、正しくは「差押しなければならない」です。
法律で決まってるんです。僕らは督促状発布から一定期間経ったら、差押する義務があるんです。
だから内心はやりたくなくてもやります。やりました。そして「なにも言わずに金とりやがって、お前はヤクザか!」と今日も怒鳴られました。
僕らの人件費、督促状類の印刷と発送に伴う費用、職場の光熱費、細かなところでいけば書類のコピー代とかもそうですね。
督促状類も2,3ならともかく、毎年何百何千と出るので…郵便代だけで諭吉何人ぶんかな?って感じです。
督促状が半分になるだけでも違うんですよ。
税務職員は減らせるし、浮いた税金は他の福祉関係なんかにまわせるし、もっと国民のみなさまの生活をよくするために使えるんです。
「自分ひとりくらい」と思っている人が実際はひとりじゃないから、僕の差押額が僕の年収の何倍もの額になっているんです。
数年前Twitterで催告書の写真を面白いもののように投稿されているのを見かけました。
それを面白がっている人たちも。
写真に載ってるのは1通かもしれないけど、実際は何百何千、全国で見れば何万と出ているものなのに。
もしそれがたった数万円の滞納だったとしても、僕ら税務職員の人件費は変わらないのに。
延滞金さえ払えばと思っているのかもしれませんが、それは僕らの人件費ひとり分にもなりません。
なんでこんなことを書いているのかというと、こんな実態をひとりでもいいから知ってほしかったんです。
公務員の給料をカットすればいいと言われるかもしれませんが、僕は薄給がさらに安くなるくらいなら転職します。
数を減らすにしたって、児童相談所の人手不足が叫ばれ、僕の職場もギリギリでまわしています。
「安すぎる」という批判も見ました。
僕もそう思います。でも同時に僕も含め国民全員が納期限までにきちんと税金を納めていれば、もっと財源もあったのかなとも思ってしまいます。
長々と書いてしまいましたが。
お願いです、税金は納期限に納めてください。忘れてしまっていたら、早めに連絡と納付をお願いします。難しい状況であれば、早めに管轄へ相談してください。
そして周りに払えるのに払っていない方がいたら、納付を促してほしいです。
納期限に納付してくださっている国民のみなさま、本当にありがとう。
あなたのお陰で国も自治体も存続しているし、公共サービスを提供できます。
読みにくかったでしょうに、ここまで読んでくれてありがとうございました。
きっとこれを読んだ誰かに、また怒鳴られるんだろうなと思いながら。
序
https://anond.hatelabo.jp/20200113194334
蘭「お父さん!って、あれ?事務所を開けっ放しでどこに行ったのよ!?」
コナン(やべっ、蘭が戻ってきた)
蘭「コナン君もいないのかー」
蘭「あーあー、新一もいないし、私ひとりじゃない」
蘭「ねぇ新一、覚えてる?あの時の話」
コナン(あー、そう言えばそんなこと言ってたな)
蘭「どうして…どうして相談したい時にいつもいないのよ…」
コナン(…)
蘭「新一…電話ぐらい、かけてきてくれていいじゃない…」
蘭「…!?誰かそこにいるの?」
コナン(やべぇ!)
蘭「隠れてるなら出てきなさい!」
歩美「こーんにちはーーーー!」
蘭「あら、歩美ちゃん、どうしたの?」
蘭「え?コナン君?見てないけど」
蘭「どうしたの?相談したいことって」
歩美「源太くんが、源太くんがいつもと様子が違ってて…」
歩美「コナン君なら何か知ってるかなと思って…」
蘭「あああ、歩美ちゃん。ちょちょちょ、ちょっとお菓子持ってくるから待っててね!」
(蘭の携帯の音) 「ブーッ!ブーッ!ブーッ」
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