はてなキーワード: 院生とは
「『日本語の原郷』についての論文を読んでみた」(anond:20211121124146)を書いた増田です。思ったより多くの反応があって嬉しいので、調子に乗ってはてブの反応に対して補足説明みたいなのをしてみます。
そもそも言語学では分かりようがないところを考古学と遺伝学の視点からも補正したっていうのがあの論文の眼目だと思うので、言語学の面だけ否定しても…
こういう意見がみられましたが、少なくとも考古学や遺伝学の成果からは言語については何もわからない、ということを強調しておきます。
極端な例を挙げると、100年前にアメリカに移住した日本人の子孫で、ご家庭でも英語しか使っていない日系アメリカ人のことを考えましょう。彼もしくは彼女は遺伝的には日本列島に遡ることができます(おうちを探すと日本列島由来の品が出てくるかもしれません)。では言語的には? 彼もしくは彼女が話しているのは英語であり、英語というのは印欧語族ゲルマン語派西ゲルマン語群アングロ・フリジア諸語に分類されるイングランド発祥の言語であるわけです。どれだけ遡っても日本列島には行き着かない。「この人は遺伝的には日本列島の出身なのだから、英語の起源も日本列島にあるんだ!」なんて話はおかしいでしょ?
古代にどのような人口の変動があったのかはわかっていません。移民や同化が起きたのかもしれない。婚姻によって遺伝子が混ざりあった可能性もある。その場合、遺伝子の伝播と言語の伝播が異なるルートである可能性もあります。遺伝子はヒトの移動について詳しく教えてくれるけど言語の移動についてはなんも教えてくれないんですよ。せいぜい傍証になるだけ(「言語学の観点からは○○語は××地域あたりが原郷だと思われるが、遺伝学で調べてみたら××地域からの大規模な人の移住があったっぽいので、このときに言語も広まったんだと思われる」みたいな)。
様々な仮説があるのはいいけど、定説化とか定説がエビデンスによって覆されたとか以外はニュースバリュー無いと思うんだが、なぜ報道されたのか。
いやー、Natureにマックス・プランク研究所の研究者が載せた日本に関する斬新な論説をニュースにするな、という方が無茶じゃないでしょうか……
正直、これメディアを責められないと思うんですよね。実は著者のロベーツさん、去年オックスフォード大学出版会から『オックスフォード版トランスユーラシア語族ガイドブック』なんて本を出してるんですよ(Robbeets and Savelyev 2020)。天下のオックスフォードUPから『~語族ガイドブック』なんて出てたらその語族の実在は学界の定説になってるって勘違いしちゃうのも当然っていうか……これ、今回は日琉語だから気づけたけど、パプアニューギニアの言語とかでやられたら引っかからない自信ないです。
なおその『ガイドブック』には辛辣な書評が出てます(Vovin 2021)。掻い摘んで批判の内容を紹介すると、「分析されてるのが現代語ばっかりやんけ」「系統関係があるって言うなら明確な対照表を示してみろや」「中期朝鮮語の再建がおかしいけどちゃんと韓国語の先行研究読んどるんか?」「“leading international scholars”が書いたガイドブックって謳ってるけど著者のうち6人は院生じゃねーか」みたいな感じです。さらには、
We move now from the bad quality of research to the realm of science fiction in Table 39.1 that is supposed to present core Koro-Japonic etymologies. But there is at least one mistake and/or data fabrication on every line. (Vovin 2021: 126)
これは元増田でも書きましたが、大野晋は、少なくとも日本語の起源という点については完全にトンデモです。
タミル語はドラヴィダ語族というインド南部の語族に属する言語ですが、大野は「日琉語族とドラヴィダ語族はより大きな語族に内包される」というありえそうな穏健な主張ではなく「日本語の起源はタミル語である」という主張をしています。しかし「なぜドラヴィダ語族全体ではなくタミル語と比較するのか」「ドラヴィダ語史がまったく考慮されていない」「語義の解釈がおかしい」「サンスクリット語からの借用語に気づいていない」などのツッコミに対して有効な反論ができていない上、ツッコミを受けた箇所をしれっと書き換えたりツッコミを入れた人たちに人格攻撃を加えたりしています(長田 1998;児玉 1996;山下 1996; 1998)。やり口がもうきちんとした学者のそれではありません。
大野の語源論が誤っている一例として、amarar「不死なる者」という単語について挙げておきます。大野はこれを日本語「あま」と関連付けて「天上界の人」の意だと解釈するのですが、これはサンスクリット語amara「不死の」からの借用語です。これはさらにa-maraと分解でき、a-は否定の接頭辞、そしてmaraの語根mrは英語murderやmortalとも関連しています(つまり、印欧祖語に遡る語ということであり、どう考えてもタミル語起源の単語ではない)(山下 1996: 204–205)。
日本祖語から琉球語、もう片方の枝が本土語と八丈島語に分かれた系統図を覚えてたんだが、あれからずいぶん研究が進んでるんだなあ。/20年前に既にずいぶん版を重ねた本で得た知識だから当然か…。
五十嵐(2021)の説は発表されたばかりなので「定説」といえるほどではないですが、きちんとした分岐学的手法に基づいて系統解析してるんで個人的には信用してます。
で、従来説における八丈語の位置づけですが、正確には、「上代東国語の唯一の生き残りが八丈語」というものです。つまり、「本土日本語派」がまず上代日本語(OJ、奈良など当時の首都で使われていた言語)と上代東国語(『万葉集』の東歌と防人歌に痕跡が残る)に分かれ、後者が八丈島(&青ヶ島)以外では滅んだ(=上代日本語に同化された)ため、現代では八丈語が日本語と対立するひとつの語派を形作っているということです。
系統樹にするとこんな感じ(樹形図をどう書けばいいのかわからないんでとりあえず「うんこするの?」の樹形図からコピってきたんですが、見づらかったらすみません)。
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この樹形図から絶滅した言語を取っ払って現代語にのみ注目するとこうなります。
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├─八丈語
それに対して、五十嵐(2021)は、上代東国語は滅びたわけではなく、表面上は関西からの影響を受け続けたものの、現代の関東・東北地方の方言として生き延びていると主張しています。つまりこういうことです。
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八丈語が際立って特殊に見えるのは、この言語が失われた東国語の唯一の生き残りだからではなく、他の東国語の末裔(茨城弁とか)と比べて中央からの影響が少なかったため東国語の特徴が保たれたおかげだ、とするのが五十嵐説です。
要するに、「東国語は滅んだ(=東国語話者が完全に同化された)」のか(従来説)、それとも「東国語は生き残っている(=東国語話者は中央からの影響を受けたけど完全に同化されはしなかった)」のか(五十嵐説)、という違いです。個人的には後者が妥当じゃないかなーと思うんですが、どうでしょうか(だってそんな大々的な言語置き換えはどうやって起きたの? ってなりません?)。
なお、五十嵐(2021)だけでなく、元増田でも言及したローレンス(2013)も、八丈語には他の東日本の諸方言と共有される要素が見つかり、それは西日本の諸方言には見られず、したがって八丈語は東日本の諸方言の内に位置づけられる(=八丈語と本土日本語が対立する系統であるとする旧来説は誤り)と主張しています。
”日本語に興味のある&研究手法を学んだ”素人には、この論文の言語部分はとても怪しい。増田の指摘以外に日本語の粟を他言語の大麦の借用としたり、味噌(未醤)を漢語ではなく朝鮮祖語からの借用にしたりしてる。
実は増田もそれを見たとき「えっ……?」って思ったんですが、否定できるほどの根拠を持ってないので書きませんでした。確かに先行研究では意外な言葉が朝鮮語からの借用語だとされてることがありしょっちゅう驚いているので(たとえば「つち」とか)、「味噌」が朝鮮祖語からの借用というのをありえないと即断することはできないんですが……。
いちおうここで論文の内容を紹介しておくと、『鶏林類事』に[mitsu]という語があって、そこから朝鮮祖語*micuを導き、平城京の木簡にみえる「末醤」から上代日本語の*misoあるいは*misəを再建し、それは朝鮮祖語*micoもしくはその交替形*micʌからの借用である、という議論になってます。これだけじゃ門外漢の増田には当否がわからんのですが国語学的にはどうなんです?
なお、該当箇所に、
...This fragment preserves the following inscription: 御末醤一石二斗, i.e. HON-“bean paste” reads as miso. The Wamyoshō, a Chinese to Middle Japanese dictionary compiled in the mid Heian period has the same kanji (末醤) glossed as miso (美蘇)...
とあるのですが、「一石二斗」の部分いらなくね? とか、転写するならWamyōshōじゃね? とかはケアレスミスの範疇だろうから突っ込まない方がいいのかな……
マイルCS、グランアレグリアが有終の美を飾ってくれて最高でしたね……あとはコントレイルがジャパンCで有終の美を飾ってくれれば……実はまだ「三冠馬が勝つ」ところを見たことがないので、一度は見ときたいなぁと(にわかですいません)。
本当に素人なんだけど何でみんな信じてくれないんです……?
いろいろしくじってきたが、その後のことも考えると、人生で一番大きなしくじりだったと思う。
を検討していた。
コンピュータと人工知能に関心があったということが候補を選んだ理由だった。
当時、LinuxやFirefoxなどのオープンソース活動に興味を持っていた。
また、脳科学や認知科学、人工知能など人間の知能に関する分野にも興味を持っていた。
研究分野としてはOS・コンパイラなどのコンピュータの基礎研究という印象を受け、
工学の方が自分の嗜好に近いと考えて工学部の学科を検討することにした。
工学部機械情報学科はロボティクスを中心とした情報を扱っていて、
ロボットのハードウェアへの興味が低かったことから優先順位を下げた。
そして、
を候補として考えた。
機械系のカリキュラム・研究も含まれていて、2つの学科が扱っている分野が共通していた。
違いとしては、システム情報工学では応用物理系の内容を中心に扱い、
知能社会システムでは機械系から社会工学・経済工学まで扱っているという違いがあった。
そして、次の理由から知能社会システムコースを候補として考えた。
私は教養学部での講義からゲーム理論やシェリングの分居モデルなどの話題に触れ、
また、当時行動経済学や経済への物理学の応用などの書籍を読み社会科学系にも興味を持っていた。
人工知能やマルチエージェントや進化計算などの複雑系にも興味を持っていた。
また、自分の関心がある講義が他学科にも分散していたことから、
講義を取りやすいことも良いと考え、自立して科目を選択できると考えた。
また、製造業や電器メーカーの不調から従来の工学系学科に進んでよいのかと悩んでいた。
できて数年の学科だということで新しいことができるのではないかと無根拠に考えていた。
そうして工学部システム創成学科知能社会システムコースに進むことにした。
そうして、システム創成学科知能社会システムコース(PSI)に進学したが、
思うようにはいかなかった。
幅広い分野を扱いつつ、講義数が少ないということで全体的に内容が薄く、未消化気味だった。
また、講義間の関連性が薄く、体系的に学べることが少なかった。
などの工学の基礎となりうることは扱うのだが、基礎に留まっていた。
また、講義を受けてのレポートが中心で理工学の演習は少なかった。
工学部だから機械や電気ではなくても理数系を基礎として扱うのだろうと考えていたが、
予想とは違い少なかった。
統計は理工系でも社会系でも重要なものだからもっと力を入れて欲しいと思う。
そのため、ディスカッションやプレゼンテーションなどの機会があったが、
幅広い分野を扱っているということもあり、学生層が広かった。
その分、興味が合いそうな同級生を見つけにくかった。
カリキュラムが少ない分、就職活動を頑張って学部で外資などに就職しようという
学生も多かった。
全員が全員そうだということはなく、修士も進むことを考えている学生もいた。
他学科聴講は思ったよりもできなかった。
受けたいと思った講義の時間が被っていたり、前提知識が不足していたりして、受講が難しい場合があった。
学科での講義に関心が持てず、モチベーションが下がっていたということもあった。
研究室には学部3年後期に配属される。カリキュラムの少ない分をそこで補う想定らしい。
しかし、私が所属していた研究室では、学部就職する学生が多く、
他大学からの院生やポスドクが中心であまり教育が受けられなかった。
システム創成は機械情報学科や計数工学科と違い、情報理工学系研究科ではない。
進振り時点ではそこまで差を考えていなかったが、講義の内容やPCなどの設備が違っていた。
大学院でより専門性を高めたいと考えて情報理工学系研究科に進んだが、
実力の不足から、大した実績を上げることができなかった。
学部では幅広い内容を身に着けて、大学院で専門性を高めるということを考えていたが、
他の研究室に進学するならば、その研究室と密に連絡を取って、院進学前から
必要な勉強・研究計画作成をしないと、講義や就活で研究に必要な時間が取れなくなる。
このようなことから、大学院では成果を出せず、就職活動もあまりうまくいかなかった。
振り返ると、それまでの人生で初めて大きな意思決定をする機会だったが、そのことを十分に認識できていなかった。
取捨選択するということができず、幅広いカリキュラムがあるということから選択肢がありそうな道を選んでしまった。
安易に考えず、具体的にメリット・デメリットを書き出して、検討すべきだった。
それまでどれかができるということではなく、どれもできるようになろうとしてきたことがあり、
立花隆さんの影響を受けていて、文理ともに学ぶことに憧れていたが、
その難しさを分かっていなかった。
意思決定をするために必要な情報を集めて、裏を取るということができていなかった。
まあ、サークルに工学部の先輩がほぼいないという事情もあった。(普通工学部は忙しいからな。)
もう少し聞けていれば、進学先を再検討していたと思う。
自分が目指すような幅広い分野を学ぶということを行うのであれば、基礎を幅広く身に着けることを
念頭において進学先を選ぶべきであった。
そう考えると、情報科学科や計数工学科に進むことを考えるべきだったと思う。
理学部情報科学科については小中高からプログラミングを扱っている人が多いと聞いていて気遅れしていた面もあった。
独学で学ぶようにはしていたが、学科に進学した方が教育や同級生など成長できる機会は多かった。
学部で情報系の基礎を身に着けて、大学院で応用に広げることも十分考えられたが、当時はその想定ができなかった。
あと、当時情報科学科や電子情報学科が進振りの最低点(底点)が非常に低く、避けた方がよいかなと思っていたところもあった。
進振りで高い点のところを目指していたわけではないが、つい点数に左右されてしまった。
今の機械学習やディープラーニングは自分が当初やりたかったことに非常に近かった。
大学院でそちらに進もうとしたが、実力不足から挫折してしまった。
情報科学科や計数工学科に進学していれば、その分野に進むチャンスが大きかったと思う。
教養学部時代に自分がやりたいことについて、教授に相談したり、一般書籍ではなく学会誌を読むなどしていれば、
進路を明確に決めて、進振りでの失敗も避けられたのではないかと思う。
進振りでは点が足りなくて進学できなくて失敗したという話を良く聞くが、
これは進学先の選択を誤ったという話である。その分、あの時選んでいればという後悔が大きい。
システム創成について、自分の失敗から悪い面ばかり記載してしまった。
私の進振りでのしくじりを具体的に書くことで何か参考になればということで書いたものである。
自由度が高い分、自分で計画を立てて行動できる人にとっては良い面もあると思う。
私自身は進路・キャリアを良く決めないまま進学してしまったため、うまくいかなかった。
など学科の色がはっきりしてきて、その方面に目指す人にとっては良い学科と思う。
(カリキュラムはあまり変わっていないらしいという話も聞くが。)
失敗したと思っても、将来どうなるかは分からない。
現に情報系学科は過去は非常に底点が低かったが、今は高騰している。
システム創成ではないが、大学院で他分野に進んで研究者として業績を上げている知り合いもいるので、
あまり後悔せず、前を向いて進んで欲しい。
iPhoneの話題でAndroidとの比較を、日本のケータイの歴史も絡めた増田がホッテントリしていたけど、
個人的には、むしろAndroidがここまで普及したことのほうがにわかに信じがたい話だったりする。
自分は、大学で覚えたパソコンで2ちゃんどっぷりだったキモオタ系ということもあり、
すでにJK~20代の女性とっては当たり前になっていたガラケーも、仕事するようになって数年後、渋々持ち始めたくらいの代物。
だからそもそも、ガラケーの文字入力からして使いにくかったし、iモードに至ってはなにそれおいしいの?という感じ。
だからW-ZERO3とかBlackBerryといった、液晶画面+qwertyのハードウェアキーボードという当時のスマートフォンは、文字通り垂涎の的だった。
「本物のネットはパソコンの世界にあるもんだ、スマホはそこらへんをよくわかってる」
と胸踊らせたものだった。
しかし自分がいたキャリアはあくまでガラケー一辺倒=そういう機種は一切ラインナップに加えないので、本当に歯がゆかった。
そんな自分がアラサーのとき日本に上陸したiPhoneには、そりゃもう興奮した。
しかしまたしても「スマートフォンはまだ早い」とか言ってたキャリアが…。
さて、そんなiPhoneの後塵を拝す形でひっそり登場したのがAndroidなわけだが、これがモノになるなんて正直思えなかった。
海外ではすでにハードウェアキーボードのスマホが一定のシェアを持っていたことはなんとなく知っていたし、そういう従来のスマホとiPhoneの一騎打ちになると予想していた。
だってBlackBerryもNokiaもめっちゃ強かったから、まさかソイツらがブランドイメージ皆無なAndroidに全て駆逐されるなんて、ありえないと思うじゃん。
何よりAndroidがLinuxのスマホ向けディストリビューション、要は中身がLinuxということが、以下の理由でパっとしない感を更に強めていた。
あと全面液晶の「iPhoneクローン」なスマホだったら、Windowsのモバイル版が伸びるだろうと思ってたこともある。
Windowsはそこそこの値段でそこそこの使い勝手のデスクトップPC向けOSとして、当時はもちろん今もデファクトなわけだし、その実績からLinuxというCLIメインのOSよりも、ずっとスマホに近い場所にいると思ってたし。
それにスタープログラマのカトラーが文字通り人生を賭けて作ったOSなんだから、少なくとも院生のお遊びから始まったLinuxなんかよりは、モバイルでも上手くやるだろうと。
そういう当時を空気感を知っていて、かつ、ほぼXperiaしか触っていないとはいえ5年以上Androidスマホを買い替えつつ過ごした人間として、正直Androidなんて…と思っているわけで。
そして去年ようやく念願のiPhoneに乗り換え1年ちょっと経ち、「別にAndroidでいいじゃん」が「もうAndroidには戻れねえ」となった結果、更にその思いが強くなったと。
だから、AndroidとiPhoneをガチで比較してなお「Androidでいい」とか、ましてや「Androidがいい」という人は、一体何を見てそう思ったのか、心底理解できない。
PixelやGalaxyや中華スマホは触ったことないけど、Xperiaは国産スマホでは最高レベルに優れていると聞くし、そんな高級スマホと比較してもiPhoneのほうが全然使いやすいのだが。
俺の専門分野以外のことはいっさい知らない。
俺が院生の頃は、中国よりも日本の方がはるかにレベルが高かった。
北京大学にも清華大学にも訪問したけど、まったく相手じゃないと思った。
中国で優秀な院生はアメリカに行くのだろうから、そこは割り引いて考えるべきだとは思ったけど、中国で会えた院生たちは日本なら学部でも二流レベルだと思った。
教員にはそこまでの差は無かったけど、院生同士でこれだけの差があって我々の世代で追いつかれるかもしれないとは思えなかった。
今となっては、そんな昔話は恥ずかしくてできない。
国内の同世代でなら屈指と言って良い俺の業績は、中国でだったら有象無象レベル。
そして、その程度の俺が中国の大学にCVを送ったら、現職よりはるかに良い待遇でオファーが来た。
給料は倍、研究費は数十倍、日本より良い条件の保険・年金・住宅手当・他。今の俺の時間のほとんどを食い潰している、クソみたいな雑用は無し。
この研究費は間違いじゃないかと確認をしたら、勘違いされて金額を更に増やしてきた。その増加分だけで今の研究費より多い。
これだけ金があったら、研究関連の仕事さえ些細なことはアシスタントに任せ、本質的なことだけに集中できる。
これだけ金と時間があったら、そりゃ、二流の学部生もあっと言う間に一流の院生を追い抜くだろう。
もちろん、俺が日本で金をもらえないのは、俺みたいな研究者が日本にいても日本の経済に何の影響も無いからだ。
俺みたいな分野の研究は、日本のビジネスパーソン諸氏にはまったく興味を持たれていない。
少なくとも俺は、日本企業との仕事で、毎週、役員に研究結果の報告を求められたことは無い。
どんな仮説が支持されて、どんな仮説が棄却されたか、それが現在のビジネスを支えるどんな理論に影響があるか、そんな説明を日本企業に求められたことは無い。
「そんなことするやついねえよ」と思っていたのだけど、気がつけばうちの学生にも信じているやつがいるようなので気になった。
周辺的なことも含めて、少し書きたい。
自分の見聞きしてきた分野に限った話にはなるけれど、自分は比較的幅広い分野の学会や研究会で活動してきた方だと思っている。
否定のためだけに発言するやつはまずいないし、いたらその行為の方が批難される。
そのあたりの空気を読めていない院生はたまにいるけど、大抵はその子の方が先輩か教員にたしなめられる。
仮に「素人」の異分野からの批判の筋が通っていたとしても、その研究の価値はまず損なわれない。
そういう批判の矛先はその分野全体であって、そんなことを個別の研究発表の場でくどくど言っても非生産的。
(ただし、内輪の研究会などでなら、ブレインストーミング的にそんな議論をすることはある。
前の項目でも書いた通り、研究の価値はその分野の基準で決まる。
だから、その裏返しで、大家でも自分の専門分野以外の研究を是正することはできない。
是正もできないのに文句だけ言う、というのは、最初の項目で書いた通り、やらない。
逆に言えば、自分の専門分野の研究を聞いてそれが間違っていると確信したとき、それを是正するためにがっつり説教することはあるけれど、その際に「素人だ」と前置きすることは無い。
論文を読めばわかるはずだけど、研究者は他人の研究がクソだと思えばどこがクソかを公然と明確に説明する連中の集まり。
「素人でもわかる欠陥ですが」のような、曖昧で我々の価値観に反した表現を使うことは無い。
我々は、万事、明確さを愛している。
詰める意図の質問では無いので、質問者が適切な回答を得るために質問者側が提示するべき異分野から視点についての情報は提示しているはず。
なので、その誘導に乗れば、回答できると思う。
誘導に乗って回答した結果がその研究の価値にとってプラスだとしてもマイナスだとしても、そこにたどり着くことが大事。
何の面白みも無い内容で恐縮だけど、研究発表の場がクソのようなマウントの取り合いだと思われると差し支えがあるので、どこかに書きたかった。
考えたってわからないし
ねぇ、これからどうなるんだろうね
進め方教わらないんだよ
ボスの目を見た 何も言えず僕は歩いた
考えたってわからないし
ねぇ、将来何してるだろうね
困らないでよ
グラフの中に一つ線を引いても
どうしても消えなかった 外れ値なんだから
なぁ、もう思い出すな
間違ってるんだよ
考えたんだ あんたのせいだ
いつか働いたらって思うだけで胸が空っぽになるんだ
将来何してるだろうって
大人になったらわかったよ
何もしてないさ
満たされない頭の奥の化け物みたいな劣等感
間違ってないよ
考えたってわからないし
生きてるだけでも苦しいし
どうでもいいんだ
間違ってないだろ
間違ってないよな
間違ってないよな
間違ってるんだよ わかってるんだ
どうでもいいや あんたのせいだ
僕だって信念があった
今じゃ塵みたいな想いだ
IFこそがどうでもよかったんだ
本当だ 本当なんだ 昔はそうだった
こういう人見ると幸せそうで謎にムカついた気分になるし悲しくなる
美術視界の大御所が院生と不倫してラブホで論文指導してたとかそういう話を聞くと「だよなーそんなもんだよなー」って思う
そんな、性的魅力抜きで女を愛し、ずっと愛したままでいられる予感が全くしない。そういうのは自分とは全く別の人間だ。本当の意味で家族を持っている人だなとか思う。自分にも家族がいて妻がいるが、お互いべつに愛しちゃいない。妻は韓国のスターに夢中だし、自分は会社の新卒の女のコなんかをいいねえとか思ってる(もちろんセクハラの類は一切やってないしそもそも話しかけたり目を合わせたりすらしてない)子がいるからその保護者をやってるだけ。うちみたいなのが大多数だとは思うけど
学生の頃、ゼミで「親の貧富の差で子どもの暮らしに格差が生まれることついてどう思うか」というテーマについて話したことがある
そこに来ていた院生の「それは子どものために親が努力した結果だから当然の帰結」という論旨の発言は衝撃だった
なるほど、彼に言わせると貧乏なのは貧乏から抜け出そうとしない親の家に生まれついたのが悪い、ということらしい
大変な暴論だな、と思った記憶がある
そんなことはないだろう
【追記】
表面上はできるということになっているけど現実には誰でも内閣総理大臣になれるわけではないということくらいはみんなわかっていることだと思う
もちろん近代に比べれば可能性があるというだけで進歩しているのは確か
だけど実際の社会構造が建前とは異なっているのに、それを意図的にか無意識にか無視して「努力すればなんとかなるんだから努力しろ、努力もせずに飴がもらえると思うな」という言説がはびこっている点で言えば現代のが怖くない?
うんち
いま修士一年の理系院生だけど、むしょうに不安になる時がある。
この専門分野で職につけるんだろうかとか、自分の力量で務まるんだろうかとか、今考えてもしゃーないようなことがすごく不安に思えて夜も眠れなくなる。今なんか特にそう。
でも全然不安じゃない時もあって、そういう時は博士取得する気満々で、教授や周りの人間にだってそう言っちゃってる自分がいる。
こんな感じで両極端な気持ちが交互に押し寄せてくるんで、ほんとつらい。
わけもなくやたら不安になるのを、将来への不安だと決めつけてさらに不安になってるのかなとも思う。もしかしたら何かの病気とさえ思えてくる。
1〜2週間くらい普通に過ごしてても、ちょっと嫌なことがあったりすると、急に不安スイッチが入って、そこから1ヶ月は夜に寝れなくなって昼夜逆転生活になる。コロナでほとんどテレワークやってるので昼に寝てても滅多なことではバレないのは幸いかも。
精神科に診てもらおうと思い立つことも何度もあった。不眠用の薬くらいはもらえると思うし。
でもいかんせん昼夜逆転かつ気力がないので中々足が動かず、そうこうしてるうちに急に吹っ切れて元に戻って、すると行かなくていいかと思い直す。
これからずっとこんな感じの不安定な精神でやってかないといけないんだろか。
それならいっそ研究職なんか捨てて普通にさっさと就職して気楽に生きた方がよっぽど幸せじゃないのか。
とか思うけど、こんな考えも元気な時の自分は否定するんだろな。
周りのアドバイスを聞く限り、今のうちからそんなに焦ることはないらしいけど、じゃあなんでこんな不安になるのか誰かおしえてくれ。
最近タテカンが撤去されまくってる旧帝の工学部の者なのですが、同期も院生も(観測範囲内だと)大半は「もう俺は結婚は無理だ……」って言ってる人が多くて、自分もそんな感じなんですけど、そういう人ってどうなっちゃうんでしょう?
もしこうすればよかった!って言うのがあったらそれも教えていただきたいです。
あとあと、人をATMとしか見てない女とは付き合いたくないって言ってる人が一定数いるけど、そういう人って最終的にどういう人と付き合うのかも気になります。
近所の女子大の学生がNFとかインカレで狙いに来るっていうのは聞いたことがあって、なんとなく「顔が良くて運動できて年収が見込める人狙ってるんだろうな〜ATMにされるんかな〜」とか思ってるんですけど、自分は陽キャでもなければ運動も全然できなくてそういうのとは無縁だし、話も入ってこないんですよね。