はてなキーワード: 院生とは
私はとある大学の修士課程に所属していた。もうすでに過去形なのはつい先ほど修了証書を授与し、卒業したからだ。
思えば私の6年間はうぬぼれの塊であった。高校ではそこそこ勉強のできる部類であったと自分で勝手に勘違いしていたが、大学に入って同じ学科の仲間を見たとき、高校の成績なんて
そこからは課題を自分の頭で考えることをいつの間にか諦めていた。大学まではおおよそ2時間ほどかかるが、不真面目な生活態度を貫いている私には苦痛でしかなく大学における人との交流はほぼゼロとなった。
それでも家にはお金がないため留年なんてのは論外である。とりあえず卒業できる程度には単位を取るためにそこそこ頑張った。
ところで私の所属している学科は理系であり、半数以上は院へと進学する。例に漏れず私も院に進むことにした。正直就活するのも面倒だったし、本当に先のことを何も考えたくなかった。この癖はいまだに治ってない。
しかし、この研究室配属が私に、いまでも思い出すだけで無意識のうちに奥歯を嚙み締めてしまう苦い経験になる。先に言っておくがすべて私の研究に対する甘すぎる意識がその原因ではあるが......
就活することが億劫な私が入ろうって思う研究室なんてのはコアタイムもないようなゆるーいところであった。事前情報では。しかし、情報収集を怠っていた私は、実はその研究室に5年ほど前から来た新しい教授がいることを知らなかった。
言うてもなんとかなるやろと高を括った私は配属後の最初のミーティングで絶望した。
学部生時代にいかに不真面目であっても、自分なりに勉強はしてきたつもりだった。しかし、研究室の先輩たちの発表する研究内容がまるで意味が分からなかった。最初は宇宙言葉だと思った。本気で。
それは私の同期も同じだったようで、ミーティングの後、それぞれの研究テーマを決めなければならないがどれも意味不明すぎておなじに見えたため、私は、教授の説明によるとまったく新しい試みの研究らしいテーマを選択した。これが第一の失敗だった。
理系の院生、研究活動には明確な答えは存在しない問題に取り組まなければならないというのは、まあまあ知られている話だと思うが、私のテーマはその手法も手探り、教授もよくわかんないけどなんかやってみて、といった態度で私はまるでやる気が湧かなかった。自分が
なにをしているのか意味不明なまま、結局学部4年生を卒業した。
そこから修士1年生となり、テーマを変更することになった。正確には学部生時代のテーマはあまりにも先が見えないため、テーマを変えたいなーと思ってはいたが、教授と相談するのも面倒、研究もしたくない、そんなことを考えながらバイトをする日々だった。我ながら
なぜ院に進んだのか昔の自分をぶん殴ってでも止めたほうがよかった。
そんな感じで結局大学にはほぼいかず、研究もしない日々が続き、世間ではコロナが大流行し始めた。そして私も感染した。ついでに胃腸炎になって入院もした。研究室の方々には大きな迷惑をかけた。大学にはなおさら行かなくなった。この時すでに、2年生になろうといったところだった。
書くのがめんどくなったので大幅に端折るが、最終的に私は修論を挟んで教授と犬猿の仲になった......というのが周りから見た私と教授の関係性らしい。いやでもね、力関係を考えてよ、いち学生と教授が戦いになるわけないでしょ、僕はいつもぼこぼこにされてましたよ。
修論かかなきゃ→実験してないからデータがない→でもとりあえず何か書かないと卒業させてもらえない→でもそもそも書くことがないのになにを書く?→でも書かないと卒業できない→....
と思考がループして、躁鬱状態を繰り返しタバコとコーヒーを常に加えてないと不安で頭がおかしくなりそうだった。てかおかしくなってた。
修士なんか所詮2年しかないんだからさっさと教授に泣き寝入りしてなんとかしてもらったほうがいいです。自分がクズであることを自覚した私は怒られることが怖い自分に嫌気がさしていたがなんとか口を開き事情を説明した。
君はいつも報告が遅いんだよ、と小言を言われたが研究してない学生を助けてくれる教授ほど心の広い人はいない。これは皮肉ではない。
マジレスすると学術書をきちんと読むのは大学教育きちんと受けてないと難しいし(大卒でもちゃんと読めない人一定数いるでしょ)、学術書って内容が細分化されててマニアックだから売れないと思う。仮にうちの分野の学術書が3,000円で売ってたら「安っ!」って驚くレベル。学術書は研究費で買うか人からもらうか図書館で借りるかするものであって基本的に個人で買って読むものではないんだよね(もちろん院生とかのときは身銭を切らなきゃいけないこともあるけどさ。あと『想像の共同体』みたいな有名な古典ならそこそこ安い)。
知的水準上げたいなら、新書と学術系選書の充実だろうね。岩波新書と中公新書とブルーバックスと岩波ジュニア新書は無条件で入れる、講談社現代新書はそれなりに入れる、ちくま新書は良さそうなのをピックアップして入れる、星海社新書や集英社新書や光文社新書は良さそうなのがあれば入れる、扶桑社新書とかは良いのがあったら入れる、くらいの感じ。選書系だと、講談社選書メチエ・筑摩選書・新潮選書・NHKブックス・河出ブックス・フィギュール彩・歴史文化ライブラリーあたりは全部入れておこう。文庫だったら岩波文庫・岩波現代文庫・講談社学術文庫・ちくま学芸文庫あたりを入れておくといいぞ。
「自衛隊は憲法違反。だから自衛隊は解散せねばならない」「自衛隊の前提を当然とする日本国民はネトウヨ」とする必要がある。ところが、今やリベラル自身が「自衛隊がいるから改憲は不要」とか言い出す。
憲法の条文が1文字も変わってないのに、なんで日本の護憲派は、半世紀もたたないうちに、意見が180度変化するんだよ。頭いかれてるんじゃないか?
かつては、暴力を奮ってでも、住民票の受取拒否など、それこそ憲法違反な行為をしてでも、自衛隊員を自分たちのそばから追い出そうとするほど嫌っておいて、今困ったら「助けてください」だって? 馬鹿も休み休み言えよ。
http://www.asahi.com/2004senkyo/news/TKY200406300351.html
「憲法の明文の規定と照らし合わせれば、違憲であると言わざるを得ない」と述べ、旧社会党時代の94年に「自衛隊を合憲」とした党の見解を変更する考えを示した。福島氏の個人的な考えであり、党として見解を変更するかどうかは、中期的な指針である「社会民主主義宣言2005」を採択する来年秋の党大会で正式に検討される見通しだ。
https://www.jcp.or.jp/seisaku/006-0609/kenpou9jyo_yougo.html
そして私は、自衛隊が憲法違反といわれるのがいやなら、憲法九条を取り払うことでこの矛盾を解決するのではなくて、世界に誇る憲法九条の完全実施に向けて、憲法違反の自衛隊の現実を一歩、一歩変えていくことこそ政治のつとめだ(拍手、「そのとおり」の声)、こう考えるものであります。(拍手)
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2008/1117.html
https://ajda.jp/publics/index/124/
憲法学者の7割が「違憲」の存在と語り、又、小学校の教科書では《自衛隊については憲法と照らし合わせて様々な意見が交わされている》とされ、中学校・高校では《政府は合憲と解釈し学界や判例には憲法違反もある》と記されています。
この様に憲法に根拠が無い事から日陰者扱いをされ、支える家族もつらい思いをしているのが現状です。我々は24時間365日、命をかけて日本の平和と安全を守ってくれる自衛隊の皆様に「自衛隊さんありがとう」の感謝の気持ちを込めて『自衛隊』を憲法に明記し自衛隊に誇りと名誉の回復する活動を青年部会の輪を広げ、47都道府県に組織するべく邁進致します。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/703510
「入学書類は受け取らない、帰れ」と怒鳴ったという。当時20歳の海上自衛隊士長、大旗清さんの経験だ。仕事に生かそうと選んだ電気工学科。自衛官だからという理由で一度も受講できないまま1年後に退学した。
大学側は一時、入学を保留した。当時の本紙に「事実上の不許可」と書かれた対応は、反戦運動をする学生たちが学内封鎖や授業ボイコットに及び、本人にも危害が加わりかねないため-とされた。一転して入学を認めた後、予測は当たった。
首里城跡にあったキャンパスに通う大旗さんを見つけると、追い出す学生たちがいた。時に竹ざおや棒、拳で突き、蹴り、石を投げた。教室に連れ込んで2、3時間、150人ほどで詰問した末に「帰れ」「入学認めないぞ」などと怒号を浴びせた日もあった。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/687565
日本復帰前後の自衛隊は県民の激しい反発を受けた。配備が本格化すると、自治体が自衛隊員の転居手続きを拒否。成人式への参加を拒まれるなど、地元の「反自衛隊感情」は、一層高まった。
http://w01.tp1.jp/~sr10697360/kiginomidori.html
66年12月に同学会委員長に選出され~67年12月まで2期つとめましたが、思い出深いのが全学で闘われた自衛官入学反対闘争です。工学部院生協議会を中心に60年代に入って取り組まれてきたこの闘いはついに全学学生大会・全学ストにいたり、奥田総長との大衆団交で「京大
Fラン大学では学生の半分が卒論代行業者に頼んでいるろいうツイートがバズっていて、代行も見抜けない教師はけしからんというリプが多数ついていたけど、大学教員が代行を取り締まるのは現実的には不可能に近いという話。
ちなみに自分は大学教員とはいっても一般教養と導入ゼミしか担当したことがない若手(といってもいい歳だけど)なので、あくまで以下の内容は「おそらくこうだろう」という話だということは断っておく。
https://twitter.com/lalalamiyo/status/1483089094112837632?s=20
まず、代行を発見するのは実は難しい。
剽窃(出典を示さないコピペ)であれば、文章のつながりがおかしかったり、いきなり教えてない専門用語が出てきたり、ひどい時には「ですます調」と「だである調」が混ざっていたりして、検索すれば元の文章が出てきたりする。コピペ元は大抵ネットで読める文章だ。
それに比べて代行は、書いているのが別人なだけで実際に書かれているから、代行業者がコピペをしていない限り、文章自体には不自然さがないはずだ。
普段から文章をやりとりしている場合ならまだしも、単発のレポートでこれを見ぬくのはかなり厳しい。
卒論なら普段から文章をやり取りしているから見抜けるかもしれないが、中間報告や卒論ゼミでの課題レポートも代行されていたら見抜くすべはない。そこで提出されるのは、同じ人物が、ゼミの指導を受けて書き続けた、しごくまっとうなレポートだからだ。
書いた人が、学生ではないというだけで。
質疑応答で分かるだろう、というコメントもよくある。確かに見抜けるとしたらここだと思うのだが、それも想像されるほど簡単ではない。
まず、「自分で書いたものなら質問に答えられるはずだ」という考えは甘い。そこそこ優秀な博士後期課程の院生でも研究会では質問への応答に困ることがあるのであって、学部生なら、自分でした作業・書いた文章についても、立て板に水と説明できるのはごく少数だろう。
かつ、口頭での応答というのは、文章を書くのとは異なるスキルが求められる。受け答えははきはきとしているが文章を書くと無茶苦茶な学生や、受け答えはしどろもどろだが文書は書けるという学生は、一定数存在する。
文章は書けているのに質問に答えられないからといって、それが代行された文章だからなのか、単にその学生が「口頭で他人の質問に答える能力が低い」からなのかは分からない。
そういうわけで代行を見抜くのは世間が想像するより遥かに難しいのだが、より深刻な問題は、見抜いたところで取り締まるのがほぼ不可能だということだ。
他の不正行為、たとえばカンニングや剽窃であれば、証拠が残る。カンニングなら試験中にスマートフォンを動かしていた履歴だったり、剽窃であれば提出されたレポートや卒論そのものとコピペ元の文章を示せば、不正行為はほぼ立証できる。
しかし代行の場合、そういった証拠がない。証拠がない状態で不正行為を疑う発言をすれば、学生からハラスメントとして逆に訴えられかねない。
しかも、代行を疑った教員が学生にかける言葉は、「本当に君がこの文章を書いたの?」だ。これは暗に、「君にこの文章を書く能力がない」と言っている。
君にこの文章を書く能力があるとは思えない。これは、確実にアカハラとして訴えられる発言だ。もし代行を証明することに失敗したら、学生に人権窓口に駆け込まれ、場合によっては保護者が出てきて、最終的には教員の側が処分される。少なくとも、口頭かメールでの注意まではいきそうだ。
そういうわけで、かりに普段はゼミでずっと黙っている学生が、締め切り前に作成者欄が空白になったwordファイルを送ってきても、大学側にできることは少ない。
そういうファイルを受け取りたくはないけど、それを取り締まることまでが仕事とは思えないし、それを取り締まるための手段はこちら側にはない。
ハラスメントとされる行為の中には「それは一般社会でも犯罪だろ」というものもあれば、「それは別に一般社会では犯罪ではないだろ」というものもある。無断で尻を触るなどは一般社会でも強制わいせつ罪にあたるし、服を破くとか持ち物を壊すとかの嫌がらせをしたら器物損壊罪になる。しかし、では例えば「無視をする」というのはどうか?
一般社会において、私が誰かから何度か声をかけられて無視したとしても、それ自体はなんの犯罪にもならない(それが犯罪になるならこの世はナンパ師の天下になってしまう)。しかし、若く健康で聴覚障害を持たない大学教員が、自分が指導している学生からの再三の礼儀にかなった問いかけをガン無視したとしたらどうか。これはハラスメントではないか。
一般社会において、二人きりで食事をしようと持ちかけることや他者に愛を告げること、あるいは「セックスしよう」と誘うことは完全に自由である(それがダメなら親友に「おい、今度サシ飲みしようぜ」というのもダメになってしまう)。しかし、たとえば上司が(とりわけ異性の)部下にこれらを持ちかけたら紛れもないハラスメントということになる。
つまり、「一般社会では自由だが、職場などの特殊な環境では処罰の対象となる行為」というのがあるわけだ。それらは本来自由な行為であるのだが、一定の条件下では処罰の対象になってしまう。ということは、その範囲はなるべく厳密に設定されなきゃいけないということになる。だって、本来自由であるはずのものを罰するんですよ? その条件はきちんと決めておく必要があるでしょう。
アカデミックハラスメントは、「研究・教育機関、および学会等の学術組織において、立場が優越的な者から下位の者に対して行われるもの」と定義されるのが一般的だ。
たとえばある人物の公表された論文に「くだらん論文だ」「こんなのなんの価値もない」「こんな非生産的な研究にカネと労力が注がれているのは嘆かわしい」ということはまったく自由である。公開された論文については誰もが言及する権利を持っているからだ(表現の自由)。しかしそれを指導教授が受け持ちの院生に言ったらアカデミックハラスメントになる。
もしこの定義を崩せば、たとえば大学教授であるナンパ師が見ず知らずの女子大生に声をかけるのもアカデミックハラスメントということになってしまう。それはどう考えてもおかしいだろう。アカデミックハラスメントというのは、あくまで学術的機関・組織での権力関係に基づいて設定されるべきものだ。
では、大学でも学会でも縁がない非常勤講師やテニュアトラックの助教に誹謗中傷された任期なし准教授は「アカデミックハラスメント」の被害者なのか?
誹謗中傷の被害者ではあるだろう。それは正々堂々裁判に訴えて賠償金をもぎ取ればよろしい。それについてはなんの異存もない。しかし、同じ大学の同僚ではなく、学会で顔を合わせているわけでもなく、直接の権力関係があるわけでもない(むしろ被害者の方が立場が強い)場合には、それはアカデミックハラスメントとみなされるべきではない。
そしてアカデミックハラスメントではないのなら、自ずと罰されるべき発言の範囲も違ってくる。上に挙げた「くだらん論文」の例を考えてほしい。これを指導教授が院生に対して執拗に言ったら学内でお叱りを受け、場合によっては戒告などの処分に発展するだろう。だがもし、これを評論家が大学教授に向けて言ったのだとしたら、地裁から最高裁までのすべてで「単なる論評であり誹謗中傷とはいえない」との判決が出るはずだ。論文を読み、それをどう評価するかは自由だからだ。「こいつは無能な研究者だ」というのはどうか。指導教授が院生に言ったら一発でハラスメントだろうが、評論家が具体的に論文を引いてこいつの言ってることはおかしいと指摘した上での話なら、自由な論評の範疇ではないか。「彼女はどうしようもないバカな極右だ」「彼は救いようがない愚かなフェミニストだ」というのはどうだろう。「某教授のやってることはニセ科学だ」「某教授のジェンダー研究なんてまともな学問じゃない」はどうか。さすがにこのへんになると裁判でも危ういかもしれない。しかし、これを評論家が言うことすら許されないのだとしたら、言論の自由とは、表現の自由とはいったい何なのか。
ゴブリン就活無双とかいうやつをテレワーク中に見て苛立っている。
何が悪質かって、学生に内定辞退前提で大量に企業を受ける事を勧めている事、それと言っている事が社会構造に直結し過ぎていて会社ではどうにも対応しようが無いという事だ。
そりゃおじさんにウケるような社員なんてどこの会社も欲しいに決まってんだろ。
でも俺たちが欲しいのは面接の時だけおっさんウケするヤツじゃなくて、普段からナチュラルに気遣いできるやつなんだよ。
今から女性を最終面接官にアサインするのは会社として無理だし。
面接のために人生経験積まれたり面接慣れされたら、ウチの人事の連中なんかどれくらい見抜けるか分からないし、それで内定辞退されたらナビサイトへの掲載期間も増えて余計に金がかかるだろうが。
・1年目:260万円
学位を取って晴れてポスドクとなった。同じゼミにそのまま残っていて業績過小なので、オーバードクターみたいなものではあるが。手作りの収入は院生時代の奨学金より減少し、奨学金の返済も始まった。給料について事前に説明はなく、同じポジションの先輩が月30万くらいだからそんなもんだろうと思ってたら予算の都合で今年度の採用者はこの金額ですとのことだった。他に行き場所もないからとりあえずそのまま働くことにしたが、すぐに転職サイトに登録した。まあ色々理由はあったが、結局のところアカデミアへの興味も失っていた時期で、かつ結婚も考えていたので、もういいや民間へ行こうと心に決めた。
・2年目:350万円
1年弱ポスドクをやって転職した。微妙に専門分野と関係なくもない専門事務?的な仕事で無事採用され、何も考えずに行くことにした。炎上プロジェクトに放り込まれて月60時間くらいの残業があった時期もあったが、自分としてはランナーズハイみたいな感じになって結構楽しかった。しかしそれだけ残業して残業代がフルで出てもこの金額である。一応、転職エージェントから言われていた金額とピッタリではあった。どんだけ残業前提なんだ。
・3年目:430万円
新年度から正社員に登用されることになった。転職エージェントから聞いていた話とは違い、基本給は据え置きだった。炎上プロジェクトが完了し、残業が減ったのでむしろ収入は減った。しかし業界がちょっと景気の良い時期だったので、人生初のボーナスは3桁万円だった。これは結構嬉しかった。
・4年目:490万円
特に変わらぬ日々。正社員2年目でボーナスがようやく2回出るようになった。しかし業界的にも会社的にも業績が下がっていて金額は下がった。残業もさらに減少した。
・5年目:520万円
コロナの影響で在宅勤務となった。一応昇級したらしく基本給はちょっと上がった。しかしまだ転職エージェントに言われた、正社員になったらこれくらいですよ、の金額には到達していない。なんか残業もそこそこあり、後半は結構忙しかった気もするが、やってる事が相変わらずすぎて飽きてきていた。もう成長している実感もないし、転職しようと思い立った。
・6年目:550万円
他業種に同職種で転職を果たした。まだ任される仕事が少なく、業務量としては今までで一番楽である。在宅勤務は相変わらず継続中。一番楽な事をしているのに今までで一番収入が多いことにはやはり何か変な感じはする。
・今後:今のポジションでは600万くらいがいいところでしょう。とりあえずアカデミアでずっと続けていて助教になるのと同程度には収入を増やせたかなと思って自分を納得させている。今のところで年収がサチったらまた転職は考えるかも。博士取ってから民間でバリバリ稼げている人もいるだろうけど、こういう例もありますよって程度の自分語りでした。