はてなキーワード: 退職届とは
年末年始位しか休みがほぼ無いブラック企業だったけど人間関係は良好で、仕事もやり甲斐があったし体調も問題無かった。
ある日ネットで、ニートが楽しそうに日々謳歌しているという内容の記事を見た。
毎日好きな時間に起きて、好きな物を食べ、好きな事をして、好きなだけ寝る、という何ら生産性の無い内容だった。
アホくさと思いつつ、社会経験が豊富な自分ならこのニートより楽しい事を、あんな事やこんな事する妄想をしていた。
妄想で終わらせておけば良かったのに次の日に退職届を提出していた。
その時はまだ、専門性の高い仕事だったから1年位遊んで暮らしてまた働けばいいやと軽く思っていた。
辞めてからの1、2ヶ月は、バイクでツーリングしたり、飲食店巡りをしたり、新しい趣味を探したりして充実していたが今思うと無理矢理ニート期間を楽しもうとしていたのかも知れない。
夕方に目が覚め、ウーバーイーツで倍ダブチを食べて、夜明けに眠るのがルーティンだった。
冬以外は裸で過ごし、頭の痒みが我慢できなくなったらシャワーをあびた。
まだ余裕と思っていた。
1年が過ぎた。この頃はなろう小説を読み漁り、田舎でスローライフ妄想するのがたのしかった。
主食は相変わらず倍ダブチだった。
体重が100㎏を超え、貯金が百万を切り、そろそろ働くかと思いはしたが、コロナが流行りだしたため就活は先延ばしした。
まだ余裕と思っていた。
1年半が過ぎた。この頃から昔の出来事がフラッシュバックするようになったが基本的には楽しかった事で、たまに黒歴史を思い出す程度だった。
貯金が70万を切ったが、コロナが猛威を振るっていたため就活は先延ばしした。
自堕落な生活だったが、焦燥感や自己嫌悪とは無縁だった。まだ余裕と思っていた。
2年が過ぎた。
この頃から死んだ母の記憶がフラッシュバックするようになった。
公園で一緒にシーソーをし、ゴーカートで競争し、街灯のない雪が積もった道を手を繋ぎながら歩く光景をよく見た。
役所に保険の減免手続きをするさい、人と目が合わせられず、舌が回らず、思考が纏まらなくなったことに気付いた。
貯金が50万を切ったが、自分みたいな人間は誰も採用しないだろうと思い就活は先延ばしした。
焦燥感や自己嫌悪まみれでも自堕落な生活は辞められなかった。まだ何とかなると思っていた。
2年半が過ぎた。
小学生の頃周囲に実は嫌われていたとか、
あの時職場で小声で話していた同僚は自分の陰口を叩いていたとか思うようになった。
父から数年ぶりに連絡があった。定年退職する報告とその会社のお局と再婚する報告だった。
前妻の物が気に触るらしく、自分に母の遺品やアルバムを送ってきた。
体重が120㎏になり100m程歩くだけで息が切れるようになった。
このままではまずいとママチャリを買ってサイクリングしようとしたが購入初日にパンクしやる気がなくなった。
貯金が30万を切ったが、面接会場に行くことさえできないと思い就活は諦めた。
焦燥感や自己嫌悪まみれでも自堕落な生活は辞められなかった。もうどうにもならないと思っていた。
3年が過ぎた。
重い腰を上げて家の大掃除をした。
メルカリやジモティー、不用品回収を利用し、10年過ごした家にはアイロンテーブルと毛布一枚と貴重品を入れる金庫と日記以外何もなくなった。
換気扇にはいつも雀が巻き込まれるし冷蔵庫のしたには誰かの気配を感じるようになった。LEDは勝手に調光するし養命酒がいつも空になっている。
思考がおかしくなっているのを自覚しているのにもしかした本当の出来事と思っている自分もいる。
3年前とは別人で笑ってしまった。
最初は万年筆をつかい内容もその日した事や感じたことを綺麗な字で、漢字で書いていたのに
途中からは、クリップペンシルやホワイトボードマーカーでその日見た夢や妄想を汚いひらがなカタカナで書きなぐっていた。
日々、脳が縮小していく。
人の目が見れず、人の目が気になる。
自分がこんな醜悪な生き物に成り下がるとは思ってもいなかった。
・プライドを捨てるな、恥を捨てるな
・歯を磨け、毎日磨け
・酒を飲むな、タバコは控えろ
・タクシーをすぐ使うな
後は思いつかん。
給料は普通に手取り24万だし、ボーナスも3ヶ月分にプラス業績分でるし(もらうまでいなかったが)、残業も30時間くらいだし、ブラックではなかったなーまぁでも辞められないのはブラックだろってんであればそれはそう。
裏で繋がってたら笑う。てかその発想はすごい。
退職切り出したら、アルバイトじゃないんだから辞められないよって返す刀で言われて、法律の話出来ないことに絶望して翌日委任してた。
転職3ヶ月で辞める判断は早いかもだけど介護の問題って言えば辞められるかなって思ったら辞められなくて、介護で辞められないの怖くて、よりはやく辞めよこんなところ居られるかってなったわ。
退職代行色々あるけど、弁護士委任できるところの方が安心だわって思って相場より2〜3万円高いけど弁護士事務所にコンタクト取りました。
LINEでやりとり出来てレスも早いし、出社して退職届書けとかいう要求も弁護士判断で断ってくれるし最高。
法律上は2週間前に言えば退職できるし、理由なんて言わなくていいのに素人同士の話だとその通りにいかないのよね。
その点弁護士が間に入ればバサっと縁もつながりも切れるからありがたや。
正社員が辞められないわけないんだわ。
次の会社まで暇だなあ。
もう疲れてきた。
7-23時が出社と勤務の拘束の仕事を辞めたいと言っていたので、辞めてもらったら辞めさせられたという。退職届は本人にしか出せないのに。
公務員試験を受けてみたらと勧めたら、友人に公務員なんて給料安いし激務だからと言われたから、やっぱり試験は受けないと言う。
その友人が勤めている企業より確かに少ないかもしれないが平均年収は超えるくらいはもらえるのに。
無職期間は1年以上あるのに、仕事を選べて内定がもらえるなら民間への就職活動をしてからにしてほしい。
離婚したら?と言われても離婚したところで大して変わらない。扶養から外れるように早く職についてほしい。
世帯年収が4割減で大打撃だが、衣食住に不満がないからか、あまり自覚してなさそう。役所から給付金がもらえる世帯に認定されるような有様なのに。
滋賀ってなんとなく反社が多かったりヤンキーがノーヘルで走ってそう。
(琵琶湖の周辺のビーチで反社っぽい人たちがウェイってたのをYouTubeで見ただけの勝手なイメージ)
いっぽうで隣の岐阜県は真面目な印象がある。
地方独立行政法人・市立大津市民病院(大津市本宮2丁目)の「外科・消化外器科・乳腺外科」の全医師9人が3月末以降、順次退職する意向を示していることが14日、京都新聞社の取材で分かった。医師らは病院幹部から退職を強要されたと主張し、病院側は「強要したという事実はない」と説明している。後任は決まっておらず、4月以降に診療や手術などの地域医療へ影響が生じる恐れがある。
病院や関係者の説明によると、昨年9月、病院幹部が同科に医師の入れ替えを検討していると伝えた。この一連のやりとりで同科の医師は退職を強要されたなどとして、今年2月1日に「3月末~6月末にかけて順次退職する」と院内の一斉メールで通知した。すでに退職届を出した医師もいるという。
医師ら9人を送り出している京都大医学部側はハラスメント的な行為があったとみている。同幹部は「大津市民病院と信頼関係をもって今後の人事を行うのが難しいと判断している」と話す。滋賀県などと協議し、地域医療への影響を最小限にとどめる方法を検討するという。
同科は直腸がんや乳がん、ヘルニアなどの手術を行っている。外来患者数が1日当たり平均約30人で、手術件数は昨年4~12月にかけて月平均46・3件。医師の1人は「大量に医師が退職すれば、新規手術や救急の受け入れなどを停止せざるをえず、地域医療を混乱させる大事態になる」と危惧している。
同病院総務課は「医師の入れ替えは強要したのではなく、提案したものと認識している」とし、「医師から退職届が提出されているかどうかは答えられない。(京大側に)今後も引き続いて派遣を求めたい」と話した。大津市は現時点で状況を把握しておらず、同病院からの報告を求めているという。
去年までブラック務めだった。
元々精神は強い方だと自負していたのと、給料が同世代と比較して良かったのがあって、精神を削りながら出社していた。
キツいのは今だけで昇進さえすれば楽になるだろうと同僚の1.4倍くらいの仕事量をこなし、それを積極的に上司(彼は今となってはうんちだ)へアピールしていたが、昨年の9月頃からじわじわと精神がおかしくなっていき、結局最後に残った僅かな力を振り絞って11月に退職届を提出した。
当時から増田やはてブに入り浸っていたが、退職し十分な休息とたっぷりの栄養を与えられた脳で考えてみると、はてなで費やしている時間を趣味や勉強に使った方がはるかにQOLの上昇に役立つことに気がついた。
冷静になってみれば当たり前のことだ。
去年までは業務によって脳のCPUやらRAMやらが圧迫され、正常な思考ができなくなっていたんだろうと思う。
というわけで本日をもって増田とはてブを卒業し、1月28日(128は2の7乗で縁起がいい)以降はてなとは距離を置くことにする。
わたしは大学を卒業してから総合病院の医事課で働いた。職場の人はみんな優しいし仕事を覚えるのは苦労したが今思うととても充実していた気がする。だが、激務が続いたり少し特殊な病院だった事もあり、ストレスで双極性障害Ⅱ型と偏頭痛であると診断された。それでもなんとか働いていたが後に休職、そして退職をした。上司がわたしの事をとても努力して頑張っていたと言われたことがとても嬉しかった。
退職をしてすぐに家から近いクリニックで働き始めた。ほぼワンオペ状態の医療事務だった為大変だったが患者さんとの距離が近いクリニックだった事もあり、すぐに患者さんがわたしの顔を覚えてくれて世間話をしたりケーキの差し入れを貰ったりした事もあり患者さんのために仕事を頑張っていた。そして間もなく異常な偏頭痛に襲われ仕事を1日休んだ。この事がきっかけで職場に精神科に通院中という事がバレて正社員からパートになり、なんだかんだで退職して欲しいという内容の事を言われ腹が立ってすぐに辞めた。
その後、通院先の精神病院でWAIS-IIIを受ける事になった。そしてIQ63の軽度知的障害と診断された。わたしは少し嬉しかった。今まで仕事を覚えるのに苦労したり学校の先生や塾の先生に人一倍頑張ってやっと一人前になれると言われた事がありわたしは必死で頑張ってきたつもりだったが上手くいかない事の方が多くもしかして自分の障害のせいだったんだと思うことで今まで辛かったことが嫌な思い出にならなくなった。
そして、わたしは初めて障害者雇用で働く事になった。事務補助の仕事だった。働き初めてすぐに壁にぶつかった。すぐに就労支援センターという障害者の就労支援をしている施設に電話し相談をした。するとすぐに支援センターの担当と上司と3者面談になり、苦手な仕事はしなくても良いという事になった。わたしは最初はこれで仕事に行く時の憂鬱さから逃れられると思ったがそうはいかなかった。自分がわがままを言って上司や職場に迷惑をかけてしまった無能社員だという悩みに変わってしまたったのだ。そして、会社に迷惑をかけたくない死のうという思考に陥り退職した。
そして、どこかで働かなければならないという思いでいっぱいになりA型作業所で働いた。半年くらい経った頃突然作業所の責任者であるクソ女からうちの社会福祉法人でB型作業所を設立する事になったからそこに移って欲しいと言われた。わたしは驚いてしまい頷くことしか出来なかった。数日経って冷静になったわたしは会社都合退職という形で退職届を書いて提出した。しかし、クソA型作業所は自己都合でないと受け付けないと言い雇用保険の手続きもしてくれなかった。すぐに縁を切りたかったから仕方なく自己都合退職をした。労基やハロワに相談したが労基はあまり取り合ってくれずハロワでは今そのA型に行きたいと言う人には注意喚起をしてくれている、らしい。後で分かったことだがその設立すると言っていたB型作業所は役所によるとB型作業所が出来るという事実は無かったし未だに設立されていない。
なんだかんだで行く場所が無くなったわたしはB型作業所の体験に行った。工賃が700円近いという理由だけで。体験をしてる間は楽しかった、パートのおばさんが優しいし楽しい。喫茶店の厨房で仕込みをしたり一緒に働いている障害者もコミュニケーションに難があったが困った時はいつも助けてくれた。入所について案内をされた時、雨の日とかちょっとしんどいな〜って思ったら電話してくれれば休んでいいからねと言われた。わたしはその時はへぇ、そうなんですね…と言ったがそんな甘い考えで良いのか…と少し過ぎった。B型は雇用契約を結ばないしそんなもんかと考え自分を納得させた。それから正式入所になり何日か通所したが、時々一緒に作業をしている障害者にお前はやる気あんのかと言ってしまいそうになる事があった。厳しい環境で働いてきたからか仕事に責任を持ってやっていない人を見るとイライラしてしまう。障害者だからって怠けて良い訳では無い、もちろん鬱とか体調が悪いなら休息は必要だが。わたしはだんだん今の状況に腹が立ってきた。双極性障害がほぼ寛解状態になり、薬を一切飲んでない状態で次の障害年金が切られる可能性が大きい事もあり焦っているのかこんなところでぬくぬくしてていいのか不安になった。なにより自分より無能な障害者を見ていると自分の無能な社員時代を見ているようで嫌になった。だからわたしは今日作業所にしばらく休むと連絡を入れた。この先どうするか考えていない、働きたいが仕事が見つかるか不安だ。
障害者はしねばいい。無能人間、社会の荷物。本当に生きてる価値ないよ、努力しないで国から金もらって生活して幸せなの?障害者しね!
そしてわたしもしにたい。
常習バックラーなんだが今日仕事やめた。厳密にいうと明日から今月いっぱいまで有給消化。
いやー今まで仕事ってずっとバックレて辞めますって退職届を内容証明で送って離職票来るの待ってたんだが、今回は人間関係に頗る恵まれていたので正式な手順を踏んだ。
一か月前にちゃんと上長に伝えたら課長に話行って、課長と面談して、部長に話行って部長と面談して、その後最後に人事課長と面談して、正式に退職に必要な手続きの書類書いて、職場の先輩達に辞める旨伝えて、残念がられたりこの先の事根掘り葉掘り聞かれたり(ホワイトな現場だったけど20代最後のチャンスだったし別業界にチャレンジする為の退職だった)現場の引継ぎの準備と引継ぎしたり、協力会社の人達とかお客さんも仕事辞める話聞きつけて色々聞きにきて今後の事根ほり葉ほり聞かれたり、上司に「期待して折角手塩かけて育てたのに別業種に行くのは裏切られた気分(実際滅茶苦茶お世話になって色んなこと教えてもらった)」みたいな事言われてちょっと雰囲気悪くなったり、引継ぎも終わって、職場の人に片っ端から挨拶して菓子折り用意して、入館証返却の手続き済んで、ようやく終わった……。
バックレた時なんかバックレ決めてとんずらしたその日に履歴書作って職務経歴作って転職サイトで何個か求人ピックアップして全部応募して離職票届く前に内定貰ったりしてたんだけど、正式な手続き踏んで退職すんのくsssssssssssssっそ体力減るわ……。ヤバすぎだろすげえ疲れた、みんなこんな事してたのかよ、俺次回辞める時ぜったいにバックレようと思ったぞ。疲れすぎて転職する気マジで起きねえよ。やる気わかねえわ、マジでなんも気力わかん。働きながらだと転職活動なかなか難しかったから、有給消化中に転職先見つける気でいたんだけど辞めるまでが糞だるすぎてMPごっそり持ってかれた。倫理的によろしくないと思うけど、マジでバックレてればよかったわ。しんどい。
【辞めると決心するまで】
先週、会社を行くのを辞めた。
厳密には来月が来職日なので、今は有給休暇消化期間だ。
辞めた理由は募集職種(社内SE)と実際の仕事内容が違っていたからだ。
これについては入社後に管理部3名(40代~50代)が1度に退職し、さらにもう一人(30代)も「私の仕事の負荷を減らさないと辞めてやる」という脅しをかけ、それを真に受けた会社側がビビッてそいつの負荷を減らしたため、なぜか入社したばかりの自分が管理部を兼任することになったという経緯がある。
しかし、兼任といっても割合は半々ではなく、管理部が9割以上、というか座席も管理部に移動したので、ほぼ全部管理部といっても過言ではないぐらいになった。
管理部で人事戦略とか高度なことであればいいのだが、段ボール運びとか誰にでもできる簡単な軽作業が多くなってきたため、これは今までの経歴と違いすぎるので転職を考えた。
配偶者に相談し、「専門が違うなら辞めてもいいが、次の仕事が決まってから」との結論になった。
【決心してから】
平日は仕事があるが、幸い有給休暇があったのでそれを利用したり、平日の夜や土日に面接をしてくれる会社もあった。
結果として内定が1社出た時点で直属の上司に退職届を提出(ただし就職活動自体は継続し、複数内定が出てから選択した)。
翌営業日には社長の手に渡ったと社長から直接口頭で言われたため、退職ができることがわかりホッとした。
実は就業規則では「退職の1か月前に退職届を提出すること」と記載があったのだが、提出日から退職日までは1か月に数日満たない。
実際には先述の有給休暇消化期間があるので退職届提出日から最終出勤日までは2週間ほどだ。
なのでこれを理由に何か言われる可能性があったこと、さらに新卒で入った会社で常軌を逸した引き留めがあったので今回も引き留められたらどうしようという不安があったのだが、杞憂に終わった。
仕事の専門性が活かせないのが転職の一番大きな理由ではあるが、実は社長のパワハラで何人もの人間が病院(精神科や心療内科など)送りやどうしようもなくなって退職などしている会社なので、その意味でも引き留めがなかったのは幸いであった。
正直言うと冒頭で述べた3名の退職者も社長のパワハラ被害で退職に追い込まれたり、精神科送りになっており、スケープゴートがいなくなったことで自分が新たな標的になっていたというのもある。
当然自分も精神的なダメージが大きく、このままだとやばいと思い、まだまともに動けるうちに転職活動をしよう、逃げられるうちに逃げようというのもあった。
具体的には、何の仕事もないのに自分だけ無駄に夜まで残らされる、誰がやってもいいはずの雑用を自分にだけ押し付けられるなどであった。
【最終出勤日まで】
自分が退職届を出したことは役員には伝わっていたが、社員では知っている者はいないようだった。
結局、最終出勤日の1週間前に、同じ部署のメンバー(自分にとっては部下に当たる)に伝えた。
良くも悪くもメンバーに動揺はなかった。
引継ぎも後片付けもさしたる困難はなく、むしろ最終出勤日の数日前からやることがなくてどうやって時間をつぶそうか困ったほどだ。
これまでの退職者がお菓子を配ったり休憩室に置いたりしているのを思い出し、自分もそれに倣う。
増田君さぁ、
本音を言えばその仕事、増田君がやるより俺がやった方がよっぽど上手く早くできるんだわ。
増田君に仕事任せて1年半になるし、ず~っと教育も続けてるけど、いつまで経っても手際よくならないよね。
今の俺の仕事を誰かに任せて、増田君の代わりにまた俺がその仕事してもいいんだけど、
そうしたら増田君は何をするの?他の仕事は人手十分なんだよね。
退職届書く??
でも俺がずっと増田君に付きっきりだと、増田君に来てもらった意味が無いよね。
そろそろ独り立ちしてくれないかなぁ。
この退職勧奨は酷すぎる。
自分はこういう事件を専門的に扱った経験が結構ある者だけど、元増田に対して特に「GJ!」と感じたのは
1. その場で退職届を書かずに「持ち帰って検討します」と言えたところ(その場で退職届を出してしまうと、とてもとても不利になる)
2. しっかりとした信頼関係がある同僚にちゃんと相談できたところ(精神的な支えになる。これは実は非常に重要)
3. 専門的な相談先をきちんと頼り、労基が当てにならなくても(残念ながらこのパターンは多い)、めげずに次を当たって弁護士としっかり検討したこと(専門家の知恵がないと、法的な基準も根拠も示せない一般人は一方的にやられる)
の3点。この経験はぜひ、今後も色々広めて欲しい。
正直、労働者の無知や弱みにつけ込んでとんでもない条件を飲ませる会社はめちゃくちゃ多い。
労基が頼りにならないのも、酷い会社が多すぎて全然手が周らない、という理由が大きかったりする。
ちゃんとした所を頼ってきちんと解決すれば、その分個人も社会も助かる(会社では最初の条件を決めた人は「やらかした」ことになる。社会的には無法が通らない実例が増えたし、法テラス→労弁や弁護士会への紹介できちんと解決したという実績も増えた)。
増田GJ!
小学生の頃からバチボコに虐められ、ついには不登校になった中高時代(とは言いつつ別室登校とかで出席日数かさ増しはしてくれたけど)
大学はまあ、そこそこ楽しかったが貧乏学生だったゆえに体重が20kg近く落ち一時期は生理も止まったしブラックバイトを2つ経験した
社会人第一歩目は派遣会社の常用派遣(「営業候補」って名目だった)ノルマ激ヤバエリアの携帯屋
敬語できるっていうワケわからん理由で初日からノー研修で接客してた
しかも歩合じゃないのに月20万以上端末付属品(sdとかそういうやつね)売らなきゃ人権がない世界
結局残業代百時間近くちょろまかされてて責任者クビになるし派遣会社がそことの契約切るしでまあ大変だったよ
派遣会社なんで、そういうことがあれば別のところ行かせてくれるけど、次に行ったコールセンターではベテランも新人もやめまくってて、ろくに新人教育もうけないまま一年経過
自分都合で就業時間中に着信拒否したり、そもそもタイピングが1分10文字とかいうポンコツばっかりだったけど、たぶん本社の人わかってなかっただろうな
ちなみにその表彰がきっかけで年上ギャルおばさん集団(推定40代)にネッチネチに虐められて精神病んで辞めた
(電話出る度に声高くてキモい、通話時間短くて生意気とか呪文みたいに言われたらそりゃ誰でも病むわ)
結局営業候補から営業になれるのは200人に1人って聞いたのもあって「人生搾取される」って思ってやめた(退職届出す直前まで「期待されてるからあと半年頑張ったら営業になれるかも」とか毎年お馴染みのことを言われたけど辞めたあと同期に聞いたら皆に言うらしい、怖)
再就職先は「コネの子入れるから内定取り消しねって言われて一週間ほど働いてたけど給料すら渡されず解雇された。
雇用契約書サインさせといて内定中で本採用じゃないから、はないでしょうに
まあ、人生そんなもんだよ
ごめんね
「楽しくも辛くもない」かな
さすがに最近はなんで結婚しないの?とは言われなくなったけど、世間的には将来の選択肢として結婚・出産が当たり前に存在してる。
どうなるかわからないけど、という枕詞は置かれるものの、結婚・出産はありとあらゆる人間にとってよりハッピーになれる結果であると思われてる。もちろん私にとってもそうだし、私もそう思ってるだろうという前提で家族・友人から語られる。
最初にそう思った理由は、自分が死にたくないから、である。小学生の頃から漠然とした死への恐怖がずっと私の中に渦巻いてる。
生きてたら必ず死ぬ、当たり前のことだし、100%その結末になるのに、それが怖くて仕方ない。
死への恐怖に怯えていたら、気づいたら生=死という感覚になっていた。多分日常生活でそんなこと考えてる人は稀有だとは思う。
新しい命をつくるということは、人を1人殺しているのと同じだと思う。
過程が大事なのは当たり前である。だから私も日々よりよい人生を送る努力はしてる。親にとって、子どもの人生をよりよいものにできるように努力することは義務だと思う。でも人生の最後はどうしたって死でしかない。
生まれたら死んでしまう。それを考えると、子どもをつくることは殺人を犯しているのと同じことだと思えてならない。
育児は当たり前に産んで終わりではなくて、育てていかないといけない。それって、いつ終わるの?
少なくとも18年間、子どもにかかりきりの人生になる。子どもが自立しなければそれ以上。
他人に18年間自分の人生を束縛されるのって、ありえなくない?他人だったらそんなの犯罪。おんぶにだっこって言葉がある。これは人を頼りきりであることを育児に例えた言葉。全く理解できない。なんでみんなその人生を望むの?育児そのものが幸せで、「よりよい人生」だから?
でも実際はみんなtwitterで愚痴りながらイヤイヤ育児してるじゃない。地獄としか思えない。
また、ふたりでいたころは上手くいっていた夫婦が、子どもが生まれたことで意見の相違でギクシャクしていく例も多くある。
さすがに最近は共働きでも育児家事は女の仕事!って心から思ってる男性も少なくなってきてるとは思うけど、どうなるかは生まれてみないとわからない。というか多分そこまで考えて結婚相手選ばないし。
最近子どもが生まれた友人も、「旦那が育児手伝ってくれるので助かる」なんて発言をしてた。そもそも一緒に子育てをする前提で結婚して出産してたらこんな発言は出てこないと思う。すごいな、とシンプルに思う。
子どもが障害や病気を持って産まれてくる可能性だってある。性格が合わない子どもである可能性もある。
そんな排出率不明のガチャを、数千万のお金と、18年以上の時間を払って回す。
それが当たり前の人間社会なんだったとしたら、ソシャゲのガチャに数万出したくらいで文句を言わないでほしい。
自分の血を分けた子どもだから、お腹を痛めた子だから当たり前。産めばわかる。
どんな仕事だって、退職届を出せばやめられる。自分の意思でやめられないことなんて、懲役くらいしかない。
毒親に親だって他人だっていう意見がまかり通るなら、毒子に他人だっていう意見がまかり通らないとおかしい。でも実際には育児放棄したら当たり前に犯罪だしね。
そもそも自分のDNAを半分受け継いだ子どもが、自分のお腹から出てきて、成長していって、徐々に自我を持っていくのが若干気持ち悪い。しかもそれは親である私の影響を少なからず受けてる。あまりにも重すぎる。そんな人の人生背負いたくない。
やっぱり自分の人生を左右されたくないっていうのが一番理由として大きいのかもしれない。
元々自分の邪魔をされたくないっていう感覚が強いから、子どもは邪魔でしかないんだよな。街中で子どもをみても、人の子どもだから可愛いって思うけど、自分の子どもだとしたら多分ずっと腹立つんだろうな…って思う。
って理由で子どもは欲しくないんだけど、こんなの他人に言えない。
子どもは欲しくないけど結婚はいつかはしたい。でも、結婚して子どもを作らないって選択肢は、なかなか難しいもので、思想レベルの理由はなんとなく認められなくて、なんかしらの直接的な理由(病気とか、経済的理由とか)以外はおかしいと思われがちなのだろう。
そもそもDINKs志望で婚活すると、当たり前にちょっとやばいやつしかいない。私自身、私みたいなこんなひねくれてる奴と結婚したくないので、当たり前である。
少子化と言われていても、結婚したらまあだいたい子どもを持つということは、みんな子どもを持つことが当たり前の幸福だと思ってるんだろうな。本当に羨ましい。
私も早く育児がハッピーに思える、まともな人間になりたい。育児がハッピーだと思えないのは種の存続から反してるし、人間として欠陥としか思えないので、私は愚かな存在なんだろうなって思う。