はてなキーワード: 退職届とは
ホビージャパンの件。
今回はたぶん諭旨退職。退職を促す代わりに退職金は出すし、社内外的には自主退社したことにする、って言う。
Twitterの炎上だけだとこれでも厳しいと思うけど、仮に別件でなにかやらかしてイエローカード溜まってた(既に口頭注意や減給を受けていた)なら、妥当なところだと思う。
ただし後日会社側が無理に退職を促した(例:退職届にサインするまで個室で監禁するなど)として訴えられた場合、負けなくとも和解金払わざる負えないリスクもある。まぁホビージャパンぐらい大手なら、顧問弁護士に相談した上でやってるだろうけど。
余談だけど、ワンマン中小だと社長の「クビだ!」の一言で訴えられて、年収1年分程度払わされるのがよくある話(タイムリーだけど今日の日経朝刊参照)。
転売を容認する発言をした社員をホビージャパンが退職処分にしたって話だけど、これは正当な解雇になるのか?
退職処分と書かれてるだけなので、それが懲戒解雇なのか、いわゆる諭旨解雇(ゆしかいこ)なのかは判断できない。諭旨解雇… 社員に退職届を提出させる処分は懲戒解雇よりマイルドだけど、しかし調べてみると法律上必要な要件は特に違わないようだ。
https://roudou-pro.com/columns/428/#toc_anchor-1-4-2
ただし、諭旨解雇も結局「解雇」に該当するので、後述する「解雇権濫用の法理」が適用されます。懲戒処分の段階としては、たしかに諭旨解雇は、懲戒解雇よりも軽い処分という位置づけです。
しかし解雇権濫用の法理との関係上、諭旨解雇の適法性が認められるためのハードルは、懲戒処分とほぼ同等と考えるべきでしょう。
https://sakura-hokuso.com/houjinhoumu/roudou/yushi-kaiko.html
更に、諭旨解雇も解雇の一種であることから、労働契約法上の解雇事由に当てはまることが必要です。また、他の法令上の解雇制限に当たらないことも必要です。
懲戒解雇では犯罪級の理由が必要になるので、ただの発言程度では、この処分は酷すぎるように見えるのだが… 何か見落としがあるのだろうか。
しかしそう言ってしまえるなら、『社員の労働権は犠牲にできる。』と考えてる事の証明にもなる。と思う。
個人的には、みせしめの懲罰で問題解決を図るのは気分が悪い。転売を憎んでる人の胸はすくのかもしれないが。構成員に思想統一を強要するよりも、会社としての考えを積極的に発信していく方が、支持は得やすいのではないか。
昨今キャンセルカルチャーの高まりと共に、容認してる・容認してない、を問われることが多くなった。
この流れに少なくとも私は、ウンザリしている。はっきり言って、他人が何を考えてるかなんて知った事ではない。
もっとドライに、労働力を提供する⇄対価を提供する、商品を提供する⇄対価を提供する… 互いが互いを道具のように利用しあう関係になれないのか。疎結合になれないのか。思想のコントロールなんて、重すぎる。
八百屋に行って「このトマトの農家は笑顔で栽培をしてますか?」なんて確認が必要になる未来は… 面倒くさすぎるぜ。そう思わないか?
メンタル弱いからあらかじめ退職理由空欄にした退職届け用意してて
2日目でミスしたときやる気あるのみたいな態度とられたから、その場で退職理由に職場の不親切と記入、退職届け出した
バックレよりは全然いいよな
週5、平日勤務、残業もなければ休日出勤もなく、ホワイトな中小企業に勤めていた。
帰属意識も、向上心も無い俺は、惰性で通い続けて、物覚えの悪い頭で仕事を少しずつ覚えながら業務に従事していたが、ある朝、身体が動かなかった。起き上がらなくなってしまった。体を起こそうとする頭に対して、体と心が拒否してしまった。
俺は人と話すのが苦手で、口頭でのやり取りだとすぐに頭が真っ白になってパニックになってしまう。こういう状態だと相手が何を言ってるのか意図を組むことさえままならない。仕事から帰ると精神的に疲れきってしまいずっと寝ていた。
そういう自分の特性は自分ではわかっていて、慣れて行くし無いと自分に言い聞かせながら3年従事したが、とうとう身体が拒否反応を起こした。
職場が急に怖くなってしまい、退職届を郵送で出した。電話に出ることが出来なくなってしまった。良くしてもらった上司からメールが届いた。仕事を辞めずに休職して貰いたいけど、どうしても辞めたいなら引き止めることはできないので、その時は退職手続きに必要な書類を書いて返送してほしい。落ち着いたら電話が欲しい。そんな感じの内容だった。俺は電話をかけることがどうしても出来ず、申し訳ない気持ちで頭が裂けそうになりながら退職手続きの書類を書いた。
その後、ずっと寝ていた。退職の通知と離職票が届いた。それから3日ぐらい寝ていたら、段々と気力が戻ってきた。菓子パンやカップ麺をやめて。簡単な和食を作った。暖かい味噌汁に、焼いた鮭に、炊いた白米と納豆。ぬか漬けも、添えた。
引きっぱなしだった布団を畳んだ。布団を干して、カバーを洗濯した。
部屋の掃除もした。
段々と身体が軽くなってきたので、俺は家を引き払って、実家に帰った。
今は実家で無職をしながら家の手伝いをしている。貯金は少しあるので、そこから毎月5万、家に入れて、のんびりと生活をしている。
朝早く起きて、5kmランニングした後、親の朝食を作ったり、母の作る食事を食べたりしている。
昼間は積読してた本を消化したり、プログラミングの勉強を初めてみたり、部屋の掃除をしたり、雨樋の清掃や、ガタついたドアノブの修理、壊れたコンセントの交換、エアコンのフィン洗浄など、やりたい事をやってのびのびと過ごしている。
夜も、食事を作ったり、母が作る食事を食べたり、買い出しに付き合ったりしている。
親は言わないが、普通に働いて欲しいんだと思う。俺も三十路だし、転職に有利なキャリアなんて何一つないし、この先たぶんお先真っ暗なんだろうけど、のんびりこうして過ごして生きていけるだけで、とても幸せを感じられるせいか、不思議と不安はない。ただ、若さが全てを楽にしてくれているだけだろうか。
(国内ITベンダー→外資ITベンダー→[イマココ]国内銀行IT部)
■本題
社内規定では「退職するときは1ヶ月前までに上席へ伝えろ」と書いてあるから、4/15に退職しますと伝えた。
すると、「暗黙のルール的には、3ヶ月前には言ってほしいわけよ」と言われた。
規定では1ヶ月なのに?????暗黙のルール?????????業務の引き継ぎは絶対1ヶ月でできるよう立ち回ってきたが???????
これまでの転職も1ヶ月前告知で問題なしだったのに???????
退職届受理されなかった場合は、職業選択の自由侵害で騒ぎ起こせるよね???????
後任計画は確かに狂って申し訳ないけど(弊社は人が少なめ)、ヒト・モノ・カネをどうにかするのは経営の責任では?????????????????????????????
ここで質問です、
昔から極度のあがり症なのと、大きな音や人前に立つことに酷くストレスを感じ、口頭でのやりとりが苦手過ぎて発話能力が壊死してるのもあって壊滅的に人前で喋るのが苦手だ。喋ろうとすると頭が真っ白になる。
一ヶ月前から発表の予定が入るとその事で頭がいっぱいになり廃人のようになる。俺はそれで仕事を数回飛んだ。内容証明で退職届を書き失踪した。社会人として失格なのは重々承知しているし最低な行為だと思うが、本当にいっぱいいっぱいになってしまう。
コミュ障にプログラマが薦められていたのをネットで見たのと、ルーチン業務をVBAで自動化させたのが楽しかったのがきっかけでプログラマとして就職が決まったが、人前で喋る機会が余りにも多くて、研修期間中に飛んだこともあった。
俺みたいな人前で話すのが苦手すぎる人はどんな仕事をしてるんだろう。どんな対策をしてるんだろう。皆なんであんなに普通に人前で振る舞えるのか俺にはわからない。皆1ヶ月ぐらい悪夢に魘されたりご飯が喉に通らなかったり茫然自失になりノイローゼ気味になりながらもなんとか頑張ってるんだろうか。だとしたら俺には無理だ。
発注と検収のいたちごっこみたいな仕事に嫌気が差して、入社して2年目からちびちびと転職活動をしていた。
入社して2年目は転職サイトとか転職エージェントとかを使って、もっと手を動かす仕事が良い!みたいな希望で活動した。
何社か応募したけど、採用どころか面接にすら全然届かない。経験も実績もないから、仕様無いと今になっては思う。
でも数少ない面談した企業の方からは「小さくてもいいからWebサービスを作ってみるといい」とか「うちはRails使うことが多いから、Railsわかる人だと嬉しい」みたいな具体的なアドバイスはもらえた。
ちなみにどことは言わないけど、転職エージェントは「年収が下がっていいならすぐに見つかります!」「正社員じゃなくて派遣から始めるのはどうでしょう!?」とか不穏な誘いが多くてすぐに使うのを辞めた。
3年目はもらったアドバイスに従って、仕事の合間に小さなWebサービスを作ることにした。(Railsは使わなかったけど)
流行りのフロントエンドフレームワークを使って、PaaSで公開。テストも書いて、CI/CDもちゃんと整備した。
フレームワークや言語の学習も含めると半年以上かかったけれど、納得のいくものが出来た。
4年目。業務転換があり、ベンダと要件の狭間でストレスが絶頂になった。
この環境から逃げたい、というひどく後ろ向きな理由で転職活動を再開した。
幸い3年目の成果物がある。Twitterの転職タグとかを使って成果物のURLを貼り付けたりすると、5社くらい話を聞いてくれることになった。
驚いたことに、エンジニア業界では有名な会社とかも声をかけてくれたりして、ちょっと有頂天になったりした。
しかしながら結果は惨敗。オンラインのコーディング試験や技術面接に歯が立たず、ほぼ全てがお祈りとなった。
ある企業の面談では、「希望年収の半分くらいなら」と言われたこともあった。この日のことは、未だに忘れられない。
4年目の惨敗を受けて、5年目はしょぼくれていた。
面接で出来なかった問題こそAtCoderなりアルゴリズム本なりで勉強していたものの、「こんなに勉強しないといけないなら、もう現職でいいかな」という思いが大半を占めていた。
なんとなくはてブの技術エントリを読んだり、Qiitaとか面白そうなチュートリアルを手慰みにして時間を潰していた。
そしてそんな折に、知人経由で大手ITを受けてみないかと声をかけられた。
いやいや無茶でしょう、というような有名企業で、自信を喪失していた自分には恐れ多いとしか言いようがない。
とは言え、落ちるだろうから受けない、というのもあまりに後ろ向きな話。
なので、受けるだけ受けることにした。知人の顔を立てる、というくらいのモチベーションである。
内容の詳細は秘密保持の関係から記載できないけど、3年目のサービス開発で学んだ知識と、惰性で技術エントリを読んでいた経験が活きた。
それなりに回答できて、手応えはあった(現職で得た知識とかももちろんあるけど)
結果は通過。そこからあれよあれよと面接ラッシュで、すったもんだありながらも最後は内定。
待遇も満点ではないけど十分な内容で、迷う余地がなかった。強いて言うなら、休みが減るのがちょっとネックかな。
元増田に言いたいのは、一回動くと何かが変わるよってこと。
私が結果としていい転職ができたのは2年目の活動の際に「Webサービスとか作ってみるといい」ってアドバイスをもらえたのがきっかけだし。
ベンチャー企業の人から声をかけてもらえたりするくらい頑張ってるなら、胸を借りるくらいの気持ちで話をしてきたらいいんじゃないかな。
人生の分かれ道は意外なところに落ちていたりするよ
10年ほどIT系中小企業で働いていたが、途中で就任した2代目の新社長にクビにされ、それから5年経った今も、鬱々としている。一部フェイク含むが、もやもやとした気持ちを吐き出すために記載したい。
新卒で中小IT企業に入社し、人事や財務などの間接部門で働いていた。入社5年目ごろに、社長の息子が2代目として就任した。
新社長は「親父は社員に甘い。この会社は無駄がたくさんある」と全社員の前で宣言し、数々の改革を行った。特に「賃金規定の改定」はその効果が大きく、社員の平均年収を30%ほど下げることに成功した。
その結果、社員数は2年間で350名から200名まで減少した。特に稼ぎ頭(優秀で給与が高い分、派遣単価が高く、利益率はバツグン)の社員の退職が多かった。当然、売上も30億円ほどから20億円ほどにまで落ち込んだ。
新社長は「社員1人あたりの売上は上がった」と豪語していたが、実態は他社から人を回してもらって仕事をこなしていたため、利益率は激減していた。創業以来の大赤字を前にしても「膿を出すには必要なこと」「節税につながった」と自画自賛していた。
2年間の赤字垂れ流しの結果、現預金が尽き、新社長就任3年目には、たびたび社員の給与遅配も起こすようになった。資金繰りに困った新社長は、銀行から追加融資を受けようとした。当時、既に10億円近い融資を受けていた上、3期連続赤字という条件ではまず融資は厳しいと思われた。だが新社長は、実態と異なる決算書を作成することでV字回復を達成したことにして、1億円ほどの融資を勝ち取った。余談だが、この融資で添付した資料において、実際は4000万円近い社長の報酬は、1000万円と記載されていた。
就任3年目になると、新社長は、新卒採用に力を入れると発表した。プロパー社員が減ると利益が減ることをようやく理解したんだろう。従来は毎年10名程度の採用目標であったが、新社長は保守的だと一掃し、30名の目標を掲げた。
まずは従来付き合いのあった学校に営業したが、給与を一方的に大幅カットしたことが卒業生から伝わっており、遠まわしに出入り禁止を通達された。採用予算もカットされたので、そうすると時間対効果の悪い手法も取らざるを得なくなり、自分の残業も慢性的に60時間を超過するような有様が続いた。当然サービス残業である。
なんとか最終面接まで学生を送り込んでも、新社長がガンガン不採用を下したり、圧迫面接を行ったりしたことで、採用率は減り、辞退率も増え、最終的に採用できたのは数名だった。
余談だが、新社長は「君が稼げるか分からないから、契約社員としてだったら採用してあげる」と学生に放言し、大学就職課から文書でクレームを貰い、自分が頭を下げに行ったこともある。クソが。
当然、30名の目標に対して採用人数が数名だったことで、自分の査定も大幅に下がった。
こんな状況でもなんとか働いていたが、新社長就任4年目の中ほどで、さすがに体調を崩した。はてなーなら共感してくれると思うが、通勤途中にトイレに駆け込むことが増え、3日に1回ほど遅刻をするようになった。当然、遅刻は午前半休で処理した。さすがに辛くなり上司に休職を申し出たが承認できない、と回答された。
その翌日、出勤したら、入退室カードが無効化されていた。外線から上司を呼び出すと、「昨今勤怠が悪いので懲戒解雇にする。今ここで退職届にサインすれば温情により自主退職にする」と告げられた。
さすがに絶句するも、上司から「社長が納得するように退職届が必要。あとで撤回してやるからサインだけしろ。今週は有休にしてやるからそのまま休め」と口頭で促され、うかつにもサインして帰宅してしまった。録音をしていなかったことが悔やまれる。
翌日、退職届を受理した通知が内容証明郵便で届き、私物一式も宅配便で送り届けられた。当たり前だが、それから鬱になった。1年ほど寝たきりが続き、体重も30キロ増えた。
ようやく多少は動けるようになった退職2年後に、知人から弁護士を紹介されて不当解雇で訴えるも、退職後では証拠をほとんど持ちだすことができず、むしろ申請したはずの有給が無断欠勤にされていたり、また、退職届にサインしたことが決め手になって、最終的には裁判官から促された年収半年分程度の額で和解するしかなかった。労災も申請したが、採用活動で外出が多かったためタイムカードで長時間労働を証明することができなかったりして、認定されなかった。むしろ後日、会社側への調査報告を請求したところ、上司の承認を取らず勝手に外出したり出張したことにされていた。死ねよ、クズが。
退職から5年が経ち30代後半になったが、今でも働けるのは週に2日程度なので、緩い自営業でなんとか収入を得ている。昔のツテで、財務計画や人事制度設計などを請け負い、年商で300万、費用と税・社保を除いて手取りで200万ぐらいか。当然、生活できないので、実家に寄生している「こどおじ」である。
隔週で心療内科に通ってはいるが、頭の回転は戻っていないような気がして、様々なサプリや海外薬の個人輸入などにも手を出している。それでも、やる気は出ないし、自己評価や自己肯定感は最低、性欲は消え、幸か不幸か酒は食道炎で飲めなくなった。当然、恋愛や結婚も諦めた。トラウマもひどく、前職がある駅には近寄りたくもないし、通らなければならないときは遠回りする。リストラの記事や、最近のなろう系小説で流行っている「追放」という言葉すら見たくはない。
裁判で登記簿を取ったので社長の自宅住所は知っており、今でも年に数回は用もなく行ってしまう。自制心が低ければ火をつけたりするのだろうが、それは妄想だけに留めている。過去の囚われから解放されたくて様々な本も読んだが、「憎い相手を許す」という表現には馬鹿野郎と思ってしまう。それができたら苦労するか。
かたや粉飾した金で年収4000万を得て、多くの他人の人生を破壊しつつも、会社の金で六本木で遊び歩きながらのうのうと暮らしている。こなたいきなりクビになって年収200万で、まともな人生も送れない。
死ね、と思う。
せめて会社が倒産し、本人が破産してくれれば多少なりともこの呪縛からも解放されると思うが、転職口コミサイトを見ると、社員の待遇悪化を続けながらも、まだ生存しているらしい。一方、帝国データバンクで業績を見ると、あり得ない業績が記録されているので、引き続き粉飾は行っているようである。
昨夜眠れなくなって泣きながらこの文章のハイライトを作成し、今日の昼過ぎから書き始めたが、諸々思い出して、途中で3回ほど机を殴ってしまった。人の人生狂わせたヤツは、同じように狂い死んでほしい。
もう1年くらい経ったので書く。
私は当時フリーターをしていたのだが、
その時働いていたお店をやめた時の話。
パートさんの中に店長ととても仲の良い人がおり、そのパート言ったことは例え嘘であっても本当にあったこととして処理したり、
嫌いな相手は徹底的に2人で監視し粗を探し、どうでもいい理由で責め立てて怒ったりしていた。
またパートさんは、販売している物に対しての知識はほとんどないが、値引きをしまくり、オマケもたくさん付け、物に対する間違った都合のいい情報を塗りたくりお客さんに物を押し売りするような人だったので、
一応の実績は持ち合わせていたので店長からは(売り上げを出しているので)そういう面も含めて気に入られていた。
当時2人の標的であった若い社員さんと私は仲が良く、仕事中に理不尽なことがあるとよく本人達のいない時に私に愚痴を漏らしていた。
私もあの2人には思うところがあったので、いつもうんうんと頷きながら聞いていた。
標的の社員さんと仲が良かった私は、同じようにちょくちょく監視をされ、理不尽な理由で小突かれることもあったのだけど、社員さんほど見張られることは無かった。
だが、ある日いつもより社員さんと私を他のスタッフも混じえて徹底して監視をしていた日があり、
その日はいつもの倍、2人で社員さんに理不尽な怒りをぶつけていた。
たまたま事務作業でバックヤードにきた社員さんが裏で掃除をしていた私をみつけ、今日はもうヤダ〜!と愚痴をいつものように漏らしていた。
その数十分後、別のスタッフから店長から電話だから代わってくれと言われた。
内容は、パートさんの悪口を社員さんと言っていると報告を受けた。
会社として、売上のほとんどをたてて、皆のお給料を作っているパートさんの士気を下げることをすることは許されないし、責任問題に発展する。
いい歳をしてこんな事を言われないといけないのは恥ずかしくないのか?というものだった。
その日は帰っていいと言われ、元から次が決まっており退職の予定があったのでそれも早めていいと言われた。
その日の夜に店長から、退職届を確認した。あなたは社員さんの本質を知らなかっただけで何も悪くありません。お礼も言えずすみませんでした。お世話になりました。と連絡が来たがシカトした。
もう二度と、この業種に関わるのはやめようということと、早めにやめられてよかったなと思った。
やっぱり、クソみたいな所は早く辞めるべきだなとこれを書いていて改めて思った。
退職届け出したら終わり。何悩んでるの。
【パターン1】
1.メンタルクリニックに行く
(退職日は14日後にする。民法では退職の意思を雇用側へ通告した日の14日後に必ず退職できる)
(在職中の最初の支給対象日から数えて最長で1年6カ月目まで、元の月給のほぼ3分の2が支給される。)
※退職後に国民健康保険に加入した場合でも、続けて受け取れる。
【パターン2】
2.退職届を内容証明郵便で職場に郵送(退職日は14日後にする)
源泉徴収票や離職票を郵送で送ってもらうように請求する旨の手紙を同封
【パターン3】
2.丸投げ
【シュチュエーション別対応】
■上司が家まで来る
→体調不良で実家に帰ったことにして居留守、本当に実家に帰る、gotoを利用して欠勤中ホテルに連泊する
・Aくん
陽キャそのもので、先輩上司から可愛がられて上手くいってそうだった彼。しかし肝心の仕事にミスが多くやたら発注ミスしては現場でしこたま怒られていたらしい。最後の方は元気がなくてどうかなと思ったが、長期で休みを取り旅行に行ったが、その間にも発注ミスで旅行先で怒られ、結局旅行から帰ってきても会社には帰ってこなかった。
・Bさん
すごく普通の先輩に見えた。仕事ができるわけでも、しかし全くできない訳でもなくごく普通。社歴の割には失礼だが存在感のない人だった。特に親しくもなく、知らないうちにメンタルで休職に入り、知らないうちに退社していた。
すごく普通の感じだったが、かなり奇抜なマグカップを使っていたあたり何かしらの思うところがあったのかもしれない。
・Cさん
明らかにこのブラックな会社に向いていないか大人しい感じの女性。とにかく線が細くはかなげだったが、やはり長くは続かず、うつ病に診断書を出してそのうち辞めていった。
末期は仕事をほとんど任されず、遅刻も常態化していたが病ゆえに上司も強く言えず放置されていたが、彼女の同期社員は何であいつばっかりとイライラしていた。
・Dさん
突然出社しなくなって、総務が家まで尋ねるともぬけの殻だったそうだ。妻子持ちでこのバックレができるのはむしろ有能なのではと感心した思い出。一緒に仕事をしたことはなかったが、逸材だったのではないかと今でも思っている。
・Eさん
「この会社はおかしい」と言い残しすぐ転職して行った中途入社の人。転職してそうそう死ぬほど仕事をまわされていたので、本当に気の毒だったので何も言えなかった。
・Fくん
入社して3日で退職して行った後輩。スーツの着こなしがヤバめだったが、そこからの直感は正しかった。長くはないとは思ったが3日で辞めるとは思ってなかったので、3日しか会っていない割には記憶に残っている。
・Gさん
この人も妻子持ち。数日出社せず、本人に電話しても繋がらず家に電話したところ奥さんが出て「主人は仕事に行っていないのですか…?」と軽く修羅場になったらしい。奥さんの気持ちを思うとつらい。
・Hさん
ちまたで流行りの退職代行で辞めていった先輩。外回りの営業に行ったと思ったら、弁護士から電話がかかってきたらしい
。くわばらくわばら。
・Iさん
中途入社の女性。一目みて向いていないなと思ったが、ずばり的中で、あまりに仕事ができなすぎて上司に「辞めさせてください」と大泣きし、その場で退職届を書いて退職して行った。