はてなキーワード: 理ニートとは
年末年始位しか休みがほぼ無いブラック企業だったけど人間関係は良好で、仕事もやり甲斐があったし体調も問題無かった。
ある日ネットで、ニートが楽しそうに日々謳歌しているという内容の記事を見た。
毎日好きな時間に起きて、好きな物を食べ、好きな事をして、好きなだけ寝る、という何ら生産性の無い内容だった。
アホくさと思いつつ、社会経験が豊富な自分ならこのニートより楽しい事を、あんな事やこんな事する妄想をしていた。
妄想で終わらせておけば良かったのに次の日に退職届を提出していた。
その時はまだ、専門性の高い仕事だったから1年位遊んで暮らしてまた働けばいいやと軽く思っていた。
辞めてからの1、2ヶ月は、バイクでツーリングしたり、飲食店巡りをしたり、新しい趣味を探したりして充実していたが今思うと無理矢理ニート期間を楽しもうとしていたのかも知れない。
夕方に目が覚め、ウーバーイーツで倍ダブチを食べて、夜明けに眠るのがルーティンだった。
冬以外は裸で過ごし、頭の痒みが我慢できなくなったらシャワーをあびた。
まだ余裕と思っていた。
1年が過ぎた。この頃はなろう小説を読み漁り、田舎でスローライフ妄想するのがたのしかった。
主食は相変わらず倍ダブチだった。
体重が100㎏を超え、貯金が百万を切り、そろそろ働くかと思いはしたが、コロナが流行りだしたため就活は先延ばしした。
まだ余裕と思っていた。
1年半が過ぎた。この頃から昔の出来事がフラッシュバックするようになったが基本的には楽しかった事で、たまに黒歴史を思い出す程度だった。
貯金が70万を切ったが、コロナが猛威を振るっていたため就活は先延ばしした。
自堕落な生活だったが、焦燥感や自己嫌悪とは無縁だった。まだ余裕と思っていた。
2年が過ぎた。
この頃から死んだ母の記憶がフラッシュバックするようになった。
公園で一緒にシーソーをし、ゴーカートで競争し、街灯のない雪が積もった道を手を繋ぎながら歩く光景をよく見た。
役所に保険の減免手続きをするさい、人と目が合わせられず、舌が回らず、思考が纏まらなくなったことに気付いた。
貯金が50万を切ったが、自分みたいな人間は誰も採用しないだろうと思い就活は先延ばしした。
焦燥感や自己嫌悪まみれでも自堕落な生活は辞められなかった。まだ何とかなると思っていた。
2年半が過ぎた。
小学生の頃周囲に実は嫌われていたとか、
あの時職場で小声で話していた同僚は自分の陰口を叩いていたとか思うようになった。
父から数年ぶりに連絡があった。定年退職する報告とその会社のお局と再婚する報告だった。
前妻の物が気に触るらしく、自分に母の遺品やアルバムを送ってきた。
体重が120㎏になり100m程歩くだけで息が切れるようになった。
このままではまずいとママチャリを買ってサイクリングしようとしたが購入初日にパンクしやる気がなくなった。
貯金が30万を切ったが、面接会場に行くことさえできないと思い就活は諦めた。
焦燥感や自己嫌悪まみれでも自堕落な生活は辞められなかった。もうどうにもならないと思っていた。
3年が過ぎた。
重い腰を上げて家の大掃除をした。
メルカリやジモティー、不用品回収を利用し、10年過ごした家にはアイロンテーブルと毛布一枚と貴重品を入れる金庫と日記以外何もなくなった。
換気扇にはいつも雀が巻き込まれるし冷蔵庫のしたには誰かの気配を感じるようになった。LEDは勝手に調光するし養命酒がいつも空になっている。
思考がおかしくなっているのを自覚しているのにもしかした本当の出来事と思っている自分もいる。
3年前とは別人で笑ってしまった。
最初は万年筆をつかい内容もその日した事や感じたことを綺麗な字で、漢字で書いていたのに
途中からは、クリップペンシルやホワイトボードマーカーでその日見た夢や妄想を汚いひらがなカタカナで書きなぐっていた。
日々、脳が縮小していく。
人の目が見れず、人の目が気になる。
自分がこんな醜悪な生き物に成り下がるとは思ってもいなかった。
・プライドを捨てるな、恥を捨てるな
・歯を磨け、毎日磨け
・酒を飲むな、タバコは控えろ
・タクシーをすぐ使うな
後は思いつかん。