はてなキーワード: 農業とは
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まとメモ:はてな匿名ダイアリー(増田),小説家になろう,togetter,2ちゃんねるまとめ(5ちゃんねるまとめ)
『「とんかつ屋の悲劇」行列ができる人気店がなぜ廃業するのか』という記事が話題に 製造業・農業・伝統工芸にもみられる問題 - Togetter(参考:とんかつ屋の悲劇 ~ 行列ができる人気店がなぜ廃業するのか(中村智彦) - 個人 - Yahoo!ニュース)
なんでLINEは返信ないのにTwitterは返信できるの?に対する明確な答えに「まさにその通り」「すごいわかる」の声 - Togetter
Twitterで紹介された絶版本がバズって中古価格が高騰→気づいた出版社が緊急復刊「この流れ定着してほしい」 - Togetter
73年前 終戦から一か月半後の東京駅周辺の写真に驚きの声「まるで違う都市に見える」「八重洲の前が…!」 - Togetter
地元にシンデレラがやってきた
ラノベ作家になった俺が絶望して引退するまでの10年間を書いてく
府中三億円事件を計画・実行したのは私です。
『私が三億円事件の実行者です』小説投稿サイト“小説家になろう”に掲載された文章が“本物”か“創作”かで話題に「真実かどうかはさておき、胸に来るものがある」 - Togetter
欧米をひとくくりにはできんが、少なくともアングロサクソン圏では成人すっとみんな親元離れるのが基本で、兄弟の上下関係もあんま無いらしい
日本みたいに長男が土地を相続して下の兄弟が従うシステムじゃなかったから
開拓時代のアメリカなんか土地はいくらでも取り放題だったし(元は先住民の物だが)
ただまあ、今の日本でも子守りを近代的に職業化すれば、それまで就労しにくかった低学歴独身女性やおばあちゃんが収入源を得る手段にできる可能性が
それはそれで難しいだろうけど
3)
まず念のため。私は特別にエリアを区切ったりといったゾーニングを求めてはいません。
写真にあったラノベで一番扇情的とされた表紙も書店がディスプレイに配慮する以上の必要は感じません。
シュナルムの写真はある書店でレジ横の平済みにたまたま少々扇情的なものが多かっただけだし
アニメの扇情性のある絵が特にキモがられるのは、性的なだけじゃ無く「不気味の谷」も関わっていると思うので。
それにシュナルム自身のツイートにも「(R18のように)売り場を分けろ」や「規制を掛けろ」といった要求は見つかりませんでした
どちらかというと、そういうこと言っていたのは湧いてきた「シュナルム同調派」と、オタク界隈の「自主規制派」でしょう。
私自身がアフター宮崎事件のオタクパッシングや幕張メッセのコミケ拒否を実際に体験してきて、
自主規制しないと潰されるという危機感を植え込まれてる世代ですし、自主規制派の気持ちも分かります。
でもゾーニングはもう今の時代には不要でしょう。のうりんだってコラボは無くなりませんでした。
文脈が読めない人に農業より性的なイメージを与える「唐突で意味不明な」ものだったのがデザイン的に悪かっただけで、
もし良田胡蝶がトラクターに載っていれば、上気してほてった顔も労働のもので健康的に見えたんじゃ無いかと。
ただ、相手が発言も要求していないことを「そのうちエスカレートするかも知れないから」
すでに言ったも同じだとするのは、議論としては「ルール違反」ではありますよね。
それに同調者の発言は同調者のもので分けないと、ネトウヨ(相手からの決めつけレッテル)VSパヨク(〃)のように
お互いに先走るバカの「仲間」だから同罪だと決めつける地獄になりかねないですから。
じゃあシュナルムの主張は正しい認めるのかと言われればそんなことは無く、不当性があると思います。
一番のポイントはみんな言ってますが「性的消費」のフレームを持ち込んで、ラノベ容認する人々を加害者だと決めつけたこと。
そもそも性的消費論自体が詭弁の一種だし、ここだけ叩けばいいんじゃないでしょうか。
農耕社会になると、農業やる為に大きな集団で暮らして皆で協力する必要が出て来る。
そうなると群れを統率するリーダーも出て来る。
農業やるにも、皆を統率するリーダーになるにも、やはり力の強い男が有利だ。
更に食料の大量生産&貯蔵が出来るようになるから、財産というものが生まれる。そうなれば群れ同士で財産の奪い合いが起こる。
ここで男中心社会が作られた。
手荒れせず家事する方法を模索してる。アトピーで乾燥肌なので皿洗いや料理で手のひらが割れたりむけたり湿疹ができたりする。皿を洗うのはもちろんだけど、手荒れせず肉とかモミモミできるようにしたい。
市販の炊事用手袋は全体的にガバガバすぎ。かなり肥満体型の人でもゆるくて使いにくいんじゃないかな。あと手首のところから水が入ってくる。農業とかで使う腕にはめるやつ?使えばいいのかな。でもガバガバで作業しにくいからやっぱやだな。
介護用手袋はフィット感は良いんだけどゴム臭くてだめだった。綿手袋の上に介護用手袋をはめても綿手袋がゴム臭くなった。あとは介護用なのでなんとなく食品を触るのが憚られる。ゴムだし。
今はめんどくさくなって素手でやってる。いちいちハンドクリーム塗ってごまかしてるけどめんどくさい。別にハンドモデルになりたいわけじゃないけど、せめて湿疹できて痒くならないようにしたいよー。
NECの研究提案会議はテーマリーダーがプレゼンを行い、研究所長と中央研究所長が審査するものです。件の研究テーマも、江村氏の責任の下で承認されたもののはずで、それを「まだ~」という発言は極めて無責任だと感じました(私もその場にいました)。また、私がその分野に明るくないことを差し引いても、当時の技術水準であの研究テーマは極めて先端性を有しており、今後20年間のSIビジネスをけん引できる可能性に満ちているものだっと思います。それこそ、「企業の基幹システムのAWSマイグレーションはNECが見積もりも含め、一番仕事が早く、安心感がある」、というようなステータスにすることは可能だったと思います。江村氏はCTOになる以前は、常々から「NECはSIをもうやりません」と公言していましたが、NECのSIビジネスはレベニューの増大は不可能でも、規模としてのシュリンクが非常に困難です。そのため、最低限のSIビジネスをやっている人たちが、それで食っていくための武器が必要です。特に外部リソースの活用が不得手なNECにとって、NEC発の技術なのかどうか、非常に大きな意味をもっています。私がかかわるところでは、顔認識は世界でみれば3流ですが、それでもNEC発であることを最重要視して商流に乗せています。
専門性をもってビジョンを示すことは研究者として重要であることには同意しますが、それは提案を聞く姿勢がある場合に限っていえることです。江村氏の経営では、「わからんから却下、再提案」ということが横行していました。その分野のビジネス判断として事業部とネゴシエーションをテーマリーダは実施してニーズを特定し、ビジネスチャンスを示すこと。そしてリスク要因として将来そのビジネスを取り巻く環境変化を示しても、江村氏はそれらを理解できず、却下することがしばしばありました。無論、配下の研究所長がリーダーシップを発揮し、責任をもって推進する、と援護があれば進むこともありますが、NECではそのようなリーダーシップをはぐくむことは不可能でしょう。なぜならNECのリーダーは、自身の責任を明確化しないまま、YesともNoとも言わずに、上位のポジションが空くのを待つことが基本姿勢だからです。結果、研究者が優れた業績を上げればそのウマに乗ってポイントを得るし、却下した研究テーマで他社が優れたポジションを獲得しても、そのテーマに投資しなくて正解だった、などと宣うのです。
また、CTOブログが言語道断な内容という主張についても、元の増田に同意です。研究資金獲得において、江村氏の発言は全く参考になりえません。資金投入の考え方として、客観指標と主観指標の2つの側面があります。まず、エビデンスや世界情勢への理解といった点で、客観指標としてガートナーレポートに遥かに劣ります。一方、主観指標として役に立つかといえば、意思決定として、NECが注力すべき研究テーマもぼやけており、責任をもって推進する、という姿勢は全く見えません。元の増田氏は江村氏をIT音痴と評していましたが、私はそれに加えてビジネス音痴でもあると思っています。江村氏が重要視し、集中投資したすべてのテーマで競争優位性を確保することができていません(劣化診断や農業ICT、そして漏水検知は試験プレスは出ているのに、正式に導入されたプレスは出ていないことからもわかります)。それを踏まえれば、キャピタリストとしてのCTOに対する評価は、落第も良いところかと思います。それでも江村氏がそのポジションについていることは、単に大チョンボをやらかした研究所出身の國尾氏の後釜という意味合い以上のものはないでしょう。
先日の増田以来、研究所内でも重役に対する評価が変わってきたことは喜ばしい点でもあります。リーダーシップを発揮しようとしない所長に対するレポーティングは省力化を優先するようになりました。彼らはビジネスを動かすことも、資金を調達することも存在感を発揮できないだろう、という見方が強まってきています。この、影響力がない仕事コストを下げようという試みが機能するかどうかは、彼らのプライド次第という面もありますが、うまくいかなければ転職しよう、という現場の考え方が出始めているように感じています。
困った。支離滅裂に殴り書き。
友達が会社がやばいらしくて転職しないといけないのかもな、と言われて。
じゃ!これやってみたら!とか色々言ってみたけど
「やる気がない。愚痴を聞いて欲しい。」と言われて。
聞いていたけど、正直聞いてもどういう気持ちなのか、何を言って欲しかったのかわからなかった。
ちなみに、彼女はうつ病ではない。やりたいことはやれる時間はある。
私は「やりたいことがない状況」が生きてきてなかった。
人生に迷ったことはもちろんある。進路なり、転職なり、ニートしてた時期もある。
何かを迷いながら何かをやめたこともある。
迷う気持ちはわかる。
でも暇ができたら同じことをしてると飽きるから何かしらしてしまう。
勉強なり、ハロワなり、人に話を聞くなり相談するなり、資格とるなり、農業行ったり、何かを体験しに行ったり、本読んだり何かしらしてた。
やりたいことをいやいややらされている、のが辛いのはわかる。
疲れてるわけじゃない。
元田にも書いたけど団塊の7割は高卒中卒な、そん大部分は大卒就職せんかったブルーカラーや農家や
この連中が就職した当時は高度経済成長期つうても、農家が農業だけでは食えなくなったとか、炭鉱や製鉄所が閉鎖したとか、ホワイトカラー以外はけっこう悲惨な話は多いんやで
この世代の高卒中卒は、今の世代の高卒中卒と比べたら悲壮感まったく薄いでしょ。金の卵なんて言われて農村から都会に集団就職して重宝がられた時代だもの。今の大学生の就活も求人倍率的には久しぶりの売り手市場とはいえ、金の卵なんて言われるほどじゃない。
今と今後の日本の財政・人口動態を考えると、貧乏な70歳の比率は今後ますます増えるだろうけどね。
それはその通り。高齢オヤジ全般の問題なのに団塊団塊いわれるのは、「団塊世代というわかりやすい呼び名」があって、「数が多い」から。要するに目に付いちゃうし、特に名前のついてない年齢層と比べて言及されやすいんだよ。
元田にも書いたけど団塊の7割は高卒中卒な、そん大部分は大卒就職せんかったブルーカラーや農家や
この連中が就職した当時は高度経済成長期つうても、農家が農業だけでは食えなくなったとか、炭鉱や製鉄所が閉鎖したとか、ホワイトカラー以外はけっこう悲惨な話は多いんやで
次に
>・日本はアメリカに次ぐ経済大国かつ先進国くらいの勘違いをしている(20年くらい前の国際経済の感覚がアップデートされてない)
こういう時代錯誤な認識、1960年前後生まれバブル世代にもぎょうさんおるで、ほんで「今の若い奴らは俺らみたいに高級車グルメ高級ブランド品ゴルフ料亭リゾートその他に金を使わんけしからん」とかドヤ顔してる
https://mainichi.jp/articles/20180915/k00/00m/020/193000c
コンビニエンスストア各社が加盟する日本フランチャイズチェーン協会は、政府が創設に向け議論を進めている外国人労働者の新しい在留資格「特定技能」の対象に、コンビニを追加するよう要望する方針を明らかにした。
現状は「単純労働」とみなされ対象外とされているが、「複雑な高度技能」と訴えることで実現を目指す。人手不足の打開策になるか注目される。
「一定の専門性,技能を有し,即戦力となる外国人材を幅広く受け入れていく仕組みを早急に構築する必要がある」
「専門性・技能を有し,即戦力となる外国人に,就労目的の在留資格を創設」
「特定技能」の在留資格においては,生産性の向上や,国内人材確保のための取り組みを行ってもなお,当該業種の存続・発展のために外国人の受け入れが必要と認められる業種を対象にする
ブコメに応答しとく。
whkr 理屈はわかるけど、それくらいのことは中学高校の段階で理解しておくべきだし、アニメのコンテンツを引っ込めることは、この理解を進めることになんら貢献しないものだ。
誰も「引っ込めるべきだ」なんて書いてないです。
onoborisang 今だったら昔は問題にならなかったコンテンツも盛大に炎上するんだろうなと思うと気が滅入る。黎明期のキリスト教徒のごとくカタコンベで息を潜めて見つからないようにしないと。
別に堂々と暮らした上でクレームに対処すればよくないです? 『モアナ』や『ハリー・ポッター』にも先住民族からのクレームは来てますし、クレームが存在するからといってそれらの作品の流通が停止されたりなんてしてないですよね。正直、ちょっと韓国人の一部からクレームが入ったくらいで慌てて公式サイトを差し替える日本側の問題だと思いますよこれは。クレーム対処下手すぎ。
え? 戦国武将萌えな人たちって彼らが残酷な行為をやっていたとわかった上で萌えてるんじゃないんですか? わかった上で萌えるのは止められないでしょう。わかってなかったならわかれ。そういう話です。
jankoto それを言うなら外国人研修生からの搾取で成り立ってる現代の自動車産業や農業など、誰かの犠牲の上に成り立ってる経済文化活動は無限にあるのだから、我々は一切の生活を停止して反省しなければなるまい
最後まで読んでください。
morokyu あなた大英博物館に行った時、「盗品ばっかじゃねえか!」って客や学芸員さんに言う?言わないでしょ?屍の上に築かれた文化である事と、文化そのものの輝きは別だよ。これ作者個人の性格と作品を切り離せるか問題や
いちいち言いはしないけど、盗品ばっかりだ! ってクレームつけられたときに、違う、盗品じゃない、って言ったらそれはおかしいよねって話です。
kakaku01 "はいからさんなどの文化は一見して軍国主義と無縁に見えるかもしれない。"オマエ見たことないだろ~~~~~!!!!!!!
そりゃ私は平成生まれですからリアルでハイカラな人を見たことはありません。あなたは見たことがあるんですか? すごい! 長寿ですね!
turanukimaru 異議あり。それは「もう収奪はやめよう」という話で近代までは奪い奪われるのが当然で現代の価値観で過去を裁くのは法の不遡及に反す。ナチや旧陸軍は軍国主義の復古に繋がるからアウトだが大正ロマンにはそれはない
法の不遡及は、存在しなかった法に基づいて刑事罰を与えることを否定するものです。「当時は合法だったかもしれないけど、今から考えるとひどいよな」と過去の行動を倫理的に評価することとはまったく別次元の話であり、現在の価値観に基づいて過去を批判することは、過去の人物に刑事罰を加えようとしない限りにおいて、何ら問題のある行為ではありません。
rag_en その視点ですら、『生産や流通の事情由来で、消費に罪を着せるな』という話でしかない。また「生産手段」が問われるとして、現代ではNGだとしても、過去の「手段」まで現代基準でNG扱いされなきゃならんのか?と。
ていうか、奴隷制だってクエーカー教徒とかは否定してたし、朝鮮の植民地化に反対した日本人もいたわけで、加えて言うなら奴隷や朝鮮人たちは「収奪されて当然」なんて価値観を持ち合わせてはいなかったわけで、過去においては問題なかった、という主張は普通に成り立たないのではと思いますが。
deztecjp 3回読み直し、少し考えた結果、私の立場は「記事に同意」だ。女性専用車両問題と同じ構造。総合的に女性専用車両を支持するが、男性差別の内包を全否定するのは違う。批判の受け止めと作品を守る判断は両立可能。
ほんとこれですわ。どちらも、差別的ではあるけど現状しゃーない、とか、収奪の上に成り立っていたからといって素晴らしい文化であることは否定できない、とか、それでいいと思うんですけどね。差別だと認めた瞬間に女性専用車両がなくなるわけでも、植民地主義の負の遺産を引きずっていると認めたからといって大正ロマンが禁止されるわけでもないのに。
srgy プリリズは大正ロマンとは関係なく、ちょっと前に似たようなことがあって…。 https://togetter.com/li/1253165 好きなコンテンツが立て続けにトラブルに見舞われてただただ悲しい。理性的に考える気力がない。
こんな事件があったんですね。これに関しては批判側に一分の理もないので全ツッパでいいと思いますよ。そもそも抱き枕自体特に問題のある商品には見えないですが、仮にペドフィリア向けだったとしても、小児性愛も性指向の一種であり彼らへのヘイトスピーチは許されるべきじゃないと思うので。
なるほど! それは許せませんね!(手のひらクルクル)
限りなく黒に近いグレーを白と言い切って進める仕事ってそんなに世の中にあるの?
そういう仕事の方が多い……かどうかはわからんが、あるのは事実。
どういう経緯で発生することが多いの?
この2つが代表的だと思う。前者はオリンピック関係、後者は農業の外国人研修生あたりが典型的かな。
なんでなくならないの?
上の(1)の場合「立派な理念」は否定しにくいから。(2)の場合「長年続いてきたんだから、それを続けるのは正しい事だ」と思いがちだから。
どうやったらなくせるの?
無理がある理念、儲からなくなった産業にはとっとと退場してもらう、そのためにはある程度の補償金等を出す、というのが望ましい形だと思うが、そういうのは現在の日本の多くの国民が嫌がるだろうから、なくすのは難しいだろうね。
九州は上手に男女の役割分担してるだけです的なのをよく見たが、九州はわりと共働きは多い
ついでに言えば九州は貧困率が高い、役割分担して家族に不自由がないくらい稼ぐという男の仕事はあまりこなせていない
夏の甲子園“投手ぶっ壊しコロシアム”の解体方法──スポーツとしては時代遅れ、教育としてもデタラメ
ピッチスマートでは17~18歳は105球を上限とされているが、100球ちょっとで9回を完投できることはさほどない。よって継投を余儀なくされる。そうすると、2番手投手の力が劣るチームは不利となる。
ただ、日程に余裕をもたせる提案も、抜本的な解決にはほど遠い。そもそもトーナメント戦で一発勝負であることが、野球というスポーツにはそぐわない。プロスポーツで優勝者の勝率がもっとも低いのは、6割程度の野球だと言われている。10回やって4回負けるチームが優勝する。これは試合数の多さも関係しているが、運に左右される傾向があることも意味している。高校野球ファンとプロ野球ファンがかならずしも重ならないのはこのためだ。
一発勝負の勝ち抜きトーナメントだと、強いチームの思わぬ不調や弱小チームのまぐれなんかで、弱小チームが勝って強豪チームが負ける番狂わせが起きることがある。それを嫌って、長期的な勝ち負けの記録を積み重ねて成績を決めよう、というのがリーグ戦だ。
この2つはどちらが悪いわけでもなく、単なる設計思想の違いである。実力が明らかに格下の相手に偶然が重なってたまたま負けてしまったばかりに大会敗退を余儀なくされた強豪からすればリーグ戦の方がありがたいだろうし、わざわざスタジアムまで足を運んでチケット代を払ったのにやる気のない消化試合を見せられた観客からすればトーナメント戦のドラマ性に魅力を感じることだろう(サッカーW杯のポーランド戦は記憶に新しい)。
そう、選手層が薄いチームにとって有利なのはトーナメント戦であり、選手層が厚いチームにとって有利なのはリーグ戦なのだ。
別にどちらを支持しようともそれ自体では何の問題でもないが、継投制限をするなら選手層が薄いチームにとって不利になる、という主張と、トーナメント批判を同一人物が同じ記事で行っているのは理解に苦しむ。
球数制限を課し、リーグ戦を導入したならば、選手の健康は守られるかもしれないが、選手層の厚い私立高がますます有利になり、甲子園に出てくるのは「プロ部活」ばかりになるだろう。
逆に球数制限を課さず、トーナメント方式を維持するならば、選手には大きな負担がかかるかもしれないが、選手層が薄くとも一発逆転の目があることになり、「昭和の野球」が勝ち進む余地が生まれてくるだろう。今回の金石農業のように。
球数制限も試合方式も、それぞれは独立したオプションのように見えるかもしれないし、実際ある種の人にとってはそうだろう。それは、どのようなチームが有利になるのが望ましいのか、という視点を持たない人だ。その視点を持たないならば両者は別々のオプションとして扱って美味しいとこ取りをして何ら問題あるまい。
しかし、「選手の獲得や育成にお金をかけられる私立高ばかりが有利になるのが本当に望ましいのか」という問いを立てるならば話は別だ。そのような視点から語ろうとするならば、球数制限と試合方式は切り離せないセット販売だ。
もしも「球数制限を課し、リーグ戦を導入」というセットを購入すると決めたなら、自動的に言うべきことも決まるはずだ。「プロ部活が有利になってしまうという批判があるが、それは仕方ない。都市部の私立高が勝ち進み、地方の公立校が早々に敗退するような制度を支持する」
なのに、そのセットを購入すると表明しておきながら、選手層の薄い学校には酷だ、なんて同じ記事で言うのは理解できない。都会のスマートな自由主義か、田舎の泥臭い平等主義か、どちらを支持するのかハッキリしてほしい。
小学生の時、バレーボールをやっている女子が、「将来はバレーボール選手になりたい」といった。その子はすでにバレーボールをやっている選手だったんだから、「もうなってるじゃん」と言ったんだけど、「プロになりたいの!」だったかな、なんかそういうようなことを言われた。
プロだろうがアマチュアだろうが、バレーボールをやっていることは変わらないだろう。プロには大会ごとのレギュレーションとかがあるかもしれないが、基本的にはプロでもアマでも同じスポーツのはずだ。プロとアマの違いと言えば、お金をもらってるかどうかだけじゃないか。
どこかで見たが、堀江貴文が「将来、農業をやりたい」と言っている高校生に対して、「今すぐやれ」とアドバイスをしていた。全くその通りだと思った。農業は高校生でもできるんだから、「将来」まで待つ必要なんかない。
「将来バレーボールをやりたい」とか「将来農業をやりたい」とかいうやつ、本当はどっちもやりたくないんじゃないか? なんか別のものを求めてるのに、建前上、バレーボールだの農業だの言ってるんじゃないの?
もう一つ。「商社に就職して良い給料をもらうか、子供の頃からの夢だった映像制作の会社に就職するか、悩んでいる」という人と話したことがある。俺は即座に、「映像制作なんて今すぐ始めればいいじゃないか。商社に行ったら映像制作ができないなんて考える必要はない」と言ったのだけど、「変わってるね」というようなよくわからない反応だった。
いまだによくわからない。