2018-09-01

甲子園球数制限とかそういう話

夏の甲子園“投手ぶっ壊しコロシアム”の解体方法──スポーツとしては時代遅れ、教育としてもデタラメ

 だが、そうするとべつの問題が生じる。

 ピッチスマートでは17~18歳は105球を上限とされているが、100球ちょっとで9回を完投できることはさほどない。よって継投を余儀なくされる。そうすると、2番手投手の力が劣るチームは不利となる。

 ただ、日程に余裕をもたせる提案も、抜本的な解決にはほど遠い。そもそもトーナメント戦で一発勝負であることが、野球というスポーツにはそぐわない。プロスポーツ優勝者勝率もっとも低いのは、6割程度の野球だと言われている。10回やって4回負けるチームが優勝する。これは試合数の多さも関係しているが、運に左右される傾向があることも意味している。高校野球ファンプロ野球ファンがかならずしも重ならないのはこのためだ。

この2つが同じ記事内に共存するのか(困惑

一発勝負の勝ち抜きトーナメントだと、強いチームの思わぬ不調や弱小チームのまぐれなんかで、弱小チームが勝って強豪チームが負ける番狂わせが起きることがある。それを嫌って、長期的な勝ち負けの記録を積み重ねて成績を決めよう、というのがリーグ戦だ。

この2つはどちらが悪いわけでもなく、単なる設計思想の違いである。実力が明らかに格下の相手に偶然が重なってたまたま負けてしまったばかりに大会敗退を余儀なくされた強豪からすればリーグ戦の方がありがたいだろうし、わざわざスタジアムまで足を運んでチケット代を払ったのにやる気のない消化試合を見せられた観客からすればトーナメント戦のドラマ性に魅力を感じることだろう(サッカーW杯ポーランド戦は記憶に新しい)。

そう、選手層が薄いチームにとって有利なのはトーナメント戦であり、選手層が厚いチームにとって有利なのはリーグ戦なのだ

別にどちらを支持しようともそれ自体では何の問題でもないが、継投制限をするなら選手層が薄いチームにとって不利になる、という主張と、トーナメント批判を同一人物が同じ記事で行っているのは理解に苦しむ。

球数制限を課し、リーグ戦を導入したならば、選手健康は守られるかもしれないが、選手層の厚い私立高がますます有利になり、甲子園に出てくるのは「プロ部活」ばかりになるだろう。

逆に球数制限を課さず、トーナメント方式を維持するならば、選手には大きな負担がかかるかもしれないが、選手層が薄くとも一発逆転の目があることになり、「昭和野球」が勝ち進む余地が生まれてくるだろう。今回の金石農業のように。

球数制限試合方式も、それぞれは独立したオプションのように見えるかもしれないし、実際ある種の人にとってはそうだろう。それは、どのようなチームが有利になるのが望ましいのか、という視点を持たない人だ。その視点を持たないならば両者は別々のオプションとして扱って美味しいとこ取りをして何ら問題あるまい。

しかし、「選手の獲得や育成にお金をかけられる私立高ばかりが有利になるのが本当に望ましいのか」という問いを立てるならば話は別だ。そのような視点から語ろうとするならば、球数制限試合方式は切り離せないセット販売だ。

もしも「球数制限を課し、リーグ戦を導入」というセットを購入すると決めたなら、自動的に言うべきことも決まるはずだ。「プロ部活が有利になってしまうという批判があるが、それは仕方ない。都市部私立高が勝ち進み、地方公立校が早々に敗退するような制度を支持する」

なのに、そのセットを購入すると表明しておきながら、選手層の薄い学校には酷だ、なんて同じ記事で言うのは理解できない。都会のスマート自由主義か、田舎の泥臭い平等主義か、どちらを支持するのかハッキリしてほしい。

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