はてなキーワード: 罹患とは
自宅の部屋に閉じこもり、もう3日目くらいになる
主な症状は発熱、頭痛、咳、胃のもたれ、気だるさ、味覚変化などだ
何より頭痛がきつく、罹患するまでは症状がきついと言っても、その間に読書とか映画とか見て時間を潰せばいいやと思っていた
常時、頭痛が発生していると何より集中力が削られ、活動意欲もうせる
動画や映画なんて五分も見てられないし、ましてや想像力を使う読書なんてマジでやってられない
基本的な一日の活動時間は計測していないが、3~4時間程度だと思う
ご飯(おかゆやINゼリー)を食べる時間の他は布団に伏して、まどろみと現実の間を頭痛を伴いながら過ごしている
寝ている間が一番頭痛を感じなくて済むので、基本的に寝ていたいが、昼寝ると夜寝れないので、朝から夕方の間は布団の中で連想ゲームみたいなことをしている
正直まともに働いているとはいいがたい、頭の中で、なんとはなしに浮かんできたお題に回答し、その回答から連想されるお題にまた答えていくみたいな児戯だ
ふとんの中で寝転んでできる時間つぶしなんて、情けないがこんなことしかない
今朝、最初はドラゴンボールの天津飯の自己紹介ラップを作ろうみたいな連想をしていたと思う
これは頭痛状態では思った以上に韻の対応する語彙が浮かばずすぐに失敗した
とある島に2機の変形ロボットが配備され、複数人操縦士がそれを操って敵害宇宙人と戦うみたいな話
オペレーター役含めて、8人くらいが同じロボットに乗る設定で、軍人お兄さん、少年主人公、生物学博士、別ロボットに乗る有能女子みたいな
連想が上手く転がり、三話分くらいの戦闘シチュエーションが現在のところ完成した
ただ別にこんなこと考えたいわけではないのだ
自身の生活、仕事のことは頭からオフっていて、適当に浮かんだお題に答えているだけで、オリジナルロボットアニメの設定を考えたいわけではない
今のところ、敵害宇宙人の戦闘の目的が探査だとして、それはこの島にある何なのか?というお題で連想が止まっているのでこのまま止まってほしい
頭痛い
自分、配偶者(ともに30代、ホワイトカラーだがテレワーク環境無し)、子ども(1)(小学校高学年) 、子ども(2)(小学校低学年)。
実家、義実家ともに車で1時間くらいの距離。自分の弟(独身)が近くに住んでいる。
前週末は金曜日も休み(沖縄県の休日)で3連休だったので、ショッピングモールに2時間ほど出かけたほか、義実家に半日ほど子どもを連れて行った。
思えば、子ども(1)はちょっと咳が多いように感じたし、自分もちょっとだけ喉に違和感があった気はする。
ただし、自分の喉の違和感は、これまでにも感じて一日でなくなったりしていたので、今回もそれと同じと考えていた。
前の週に誘われたが参加しなかった飲み会で、8人中5人陽性になったと聞いて胸をなで下ろしたりしていた。
と思いつつ急きょ午後から年休取って帰る。近くの席の人には「配偶者が陽性になりました」と最低限伝える。
配偶者は個室にこもって寝てるので飲み物と食事と体温計を差し入れる。主な症状は頭痛・喉の痛み。熱はないとのこと。
家に買い置いてあった抗原検査キット(コロナ・インフル対応)で残りの家族に検査すると、自分と子ども(2)は陰性、子ども(1)がコロナ陽性。もう一つの部屋に隔離。
窓を開け、まくらを互い違いにして子ども(2)と寝る。心なしか、子ども(2)もいつもより咳を出す気がする。
朝になると自分も軽く熱がある。咳も出てきた。職場に断って休みを取る。
配偶者から陽性の連絡を受けたときに「家族も受診するからその病院の予約取れない?」と聞いてみたが、その日の予定は埋まっていて、翌日の予約は当日しか受けないとのことだったので、朝から電話するが全くつながらず。
近くにあって、救急病院でもないのにずっと発熱外来をしてくれる病院だから、まあ仕方ない。
昔子どもがかかったことがあるクリニックに聞いてみると「11:00になら空いていますよ、大人も大丈夫です」とのことで、配偶者以外3名で予約。車で向かう。車内に陽性者と非陽性者が混在している可能性があるので、窓を半分ほど開けて走る。
指定された時間に駐車場に入り、体温を測ってからスマホから問診を送信。その旨を電話してしばらく待つ。
看護師さんがやってきて、自分と子ども(2)の鼻腔をグリグリして粘膜を採取していく。「子ども(1)は?」と聞くと、「医療用キットで陽性が出たんなら、ほぼ偽陰性の可能性はありませんから、陽性とみなして結構です」とのこと。
車内で子ども(2)にU-NEXTを見せながら待っていると、さっきの方がきて、抗原検査の結果を見せてくれる。結果:自分→陽性、子ども(2)→陰性。
さらに待っていると、お医者さんがやってきてくれる。「親御さんは抗原陽性、お子さんは陰性です。さらにPCRができる機関で検査する方法もありますが、咳が出るところを見ると、陽性と同じように扱って過ごしてもよいかと思います」
聴診もしてくれて、現在のところ肺炎は無し。アセトアミノフェン(解熱剤)とメジコン(咳止め)を、あと持病がある自分のためにラゲブリオ(コロナウイルス用抗ウイルス薬)を処方してくれることになった。
薬が出てくるまでの間に、職場にSlackで連絡。現状、急ぎ対応が必要なタスクについて、代理をお願いする。幸いにも、上司からも同僚からも快諾の返事と労ってくれるメッセージが来た。
病院の受付から「お釣りピッタリ用意しますから、いくら出しますか?」との連絡。一万円札でお願いしたら、病院から隣の薬局に連絡、薬とセットでお釣りを持ってきてくれた。車の窓越しに受け取り、相手が用意したビニール袋に一万円札を入れる。
沖縄県では子どもは医療費無料なので、自分の分だけ。よく見たらラゲブリオ(5日分)の値段が94,300円と書いてあってビビる。どうやら5類で医療費はだいたい有料になったが、コロナ専用の薬だけは国が全額払ってくれているらしい。
家に帰ったら38℃を超えているのでそのまま寝る。もはや我が家の全員が陽性(扱い)なので、隔離もマスクも必要なくなった。
配偶者から、義実家に陽性者が出た旨電話。よくよく注意するように伝える。今のところ変わった症状はないとのことで、ひとまず安心する。
夕方、弟から「何か買っていくものがある?」とLINE。ありがたくポカリスエットなどお願いする。家のドアの前に置いてもらい、あとで回収する。
相変わらず熱。最大で38度5分なのでたいしたことないのかもしれないが。
配偶者は喉の痛みと頭痛だけとのことで、色々家事をやってくれている。子ども(1)はSwitch、子ども(2)はU-NEXTで大半の時間を過ごす。
仕方ないので増田を書いてみた。
現在の法律上は、陽性だって外を出歩いても違法ではないが、もろもろのガイドラインに従うと、症状発現が月曜日なのでこれを0日目として、5日目となる土曜日が終わるまでは最低限家にいるべき。
かつ、症状がなくなって24時間が経過している必要があるので、金曜日のうちに平熱になり、咳が治まっていたら日曜日から外を歩いてもよいことになる。その場合もマスク着用、ハイリスク者との接触を避けるなどの配慮は必要になる。
食事は米が十分にあるのでそれを中心に、弟に2日に1回くらい買い物してもらえることになって大変ありがたい。終わったら何でお礼をしようか。
PCR無料が終わったので無症状者向け民間PCR検査場は激減していて、那覇近辺にしかない。費用も4000円から11000円と高額。
医療用抗原検査キットが帰る薬局一覧は、薬剤師会が作ってくれて、頻繁に更新されている。
ここに載っていても「今はやっていない」などのところもあるので、電話してコロナ疑いがあることを告げて受診の可否を確認すべし。
ただ、2年前、子ども(2)が41度の熱を出したときに受けに行ったXクリニックは、検査をしただけで「結果はあとでお知らせします」といっただけで診察無しで帰し、その日の夜中、今だ40度の熱を出す子どもを抱っこしている自分に電話をかけてきて「検査の結果は陰性でしたよ、よかったですね」と言うだけだったので許していない。
こういうところに当たらないようによく注意して。
この病気もうつや統合失調と同様に、最悪患者が自殺するケースが普通にあるんでしょ?
それなのに、医学先進国であるはずのアメリカでさえ、ベトナム帰還兵に自殺者や心身不調者がやたら多い辺りでようやく気づき始めたとか、遅くね?
日本だと阪神大震災とか地下鉄サリンあたりでやっと認知され始めたわけじゃん。
少なくとも大昔から戦争や災害、疫病とかがあるたびに一定数の罹患者が出ていたはずなのに、それに対し医学界が動き始めたのが'80年代以降だもん、信じられんわ。
そりゃ民間人を多数巻き込む血みどろの戦いだったんだからそうだろうなって話だけど、こういうのも最近まで顧みられなかった≒沖縄戦は終わった話・過去の話として片付けられていたわけだ。
実際には少なからぬお年寄りにとって、沖縄戦は今でも続いているようなもんだったのに。
さらに言えば沖縄だと戦争マラリアという、見方によっちゃ銃や爆弾で死ぬより酷い災禍もあって、当然この生存者かつ沖縄戦経験者もいると。
こういう例一つとっても、色々酷いなって思うわ。
コロナネタですが日本に問題提起とかしてないただの日記なので、血の気盛んな方も読み飛ばして大丈夫です。
おいどんは医療関係者と同居してて、まだ生きててほしい祖母(コロナとタイマン張ったらギリ負けそう)とよく会う機会があるからコロナ勃発当初からコロナに罹りたくない気持ちは人一倍強かった。ので人一倍気をつけていた。去年一昨年は、めっちゃ目擦ったりピッタマスクしかしてなかったりだけどずっと元気な人ってなんかいるよね。あれって結界張ってるからこそのピッタマスクだったりするのかな。などと思いながら日々を過ごしていた。
マスク外していいよ!の時が来てもおいどんには
・コロナになったら潰れる予定がある
・マスクしてた方が顔がいい
・家にまだ在庫がある
などの理由からマスクを外すという選択肢はなかった。今でも対策は普通にしている。
ウイルス様は突然に…ということで、先週コロナになった。そもそも今までかからなかったのが奇跡だし、ウイルスが元通りのまま社会が変わったから不可抗力だ。仕方ない。誰も悪くない。予定がいくつか飛んだ。普通に熱も出たし、咳が出たし、だるかったし、薬を飲むのが面倒くさかった。ただワクチンを4回打って両手両足が5Gに結ばれている由縁か、そこまで症状が酷くならなかった。よかった。WiFiに繋がって見たかったアニメを見たりして突然の休暇をコロナ罹患者なりに満喫した。
月曜から復帰だが、クソほど寝ていたので昼夜逆転してしまいこの日記を書いた。実際コロナになってみて、マスクして防げる可能性が少しでも高いのなら基本マスクを貫いていこうかなということを再認識し、ついでに毎日いっぱい薬を飲んでる祖母は凄いんだなということも実感した。今週は先週の分忙しくなりそうだが頑張りたい。これを読んだ人も早く寝て今週も頑張ろうね😷
私自身もStable DiffusionやRVCに触れてみてその技術力の高さに驚いた
ディープフェイクや著作権等、ここで敢えて語る必要もないほど世間を賑わせている。
もあるのだが、AIだからと言う理由で嫌悪感や異常なほどの拒否反応を示している人も多い。
特に酷いのは、手書きで美麗な絵をTwitter上げると「これはAIですか?」とリプする人間もいたりと、存在してないAIに関しても拒否反応が出てしまう。
AIに対して拒否反応を示している人は何が問題点なのか言語化出来るのだろうか。著作権が問題なのであればYou Tubeに蔓延る違法転載の方がより問題では?自分が使用しているアイコンやヘッダーは転載ではないのか?結局は自分の裁量で良し悪しを判断して突撃しているにすぎない。
新しい技術が出来ると一定数のアレルギー罹患の方が増えていくのは仕方ないことなのだ。
打ち込み音源が出たときは「生音より温かみがない」だの「こんなの音楽ではない」だのと。
そして今はそれを発言しやすい世の中になってしまいアレルギーの方々が纏まり自らをマジョリティだと思ってしまっている
違う
それが、田舎の高校(井戸)を出て東大京大(大海)に入ると、自分に特殊性は存在せず、その辺の凡愚と変わらんことに気付いてしまう
誰からも理解されない事すらも、自身の特殊性を強化する材料となる
だって、折角左翼に罹患して自身に特殊性を見出したのに、それすらも幻想だったなんて、認められるわけがないだろ
そういう類のものであるから、サブカル系の言論畑、アーティストに罹患者が多い
左翼の方がよほど「目覚め」てるよ
右翼のアレコレには陰謀論だのQアノンだのとラベルが付けられるが
左翼のアレコレにはつかないだろ?
それは、左翼の人らは愚民が騙されてるという「真実()」に触れたときに、「ボクハチガウ」ところっと転がるからよ
鏡見ろって話よ
ネトウヨが増えてる?
違う違う
左翼が先鋭化してるんだよ
罹患しても起こってそうだけどね
1年前:「かゆうま」みたいなノリで匿名日記を書くサイト作って2年が経った
去年の投稿で「来年の今頃はマスク着けないがスタンダードになっているかもしれない」と書いていたが、3月13日からマスク着用ルールが緩和され、街中ではノーマスクの人が増えてきた。
2022年10月には水際対策も緩和され、外国人旅行者もよく見かけるようになった。(なんなら月2,3回くらいは道を聞かれるようになった)
5月8日にはいよいよコロナの扱いがインフルエンザなどと同じ「5類」に移行するとのこと。
自分はこの時季はまだ花粉症があるのと、正直直近1ヶ月でまた感染者数が増えてきており、周囲でも4月に罹患した人がいたなどもあり、マスクを付けておいたほうがよさそうと思い付けているが、今後は付けない人が増えていくのだろう。
サイト的には、2022年8月末、サイトを乗せてるサーバーだったHerokuが11月末で無償プランが廃止することが発表され、サーバー引っ越しをした。
一瞬、これまで無償でお世話になってきたし、素直にHerokuの有償プランに切り替えることを考えていた。
しかし、9月入った頃に1ドル140円を突破して、「これ1ドル200円近くまでいくのでは!?」という勢いだったので、ドル払いのHerokuは厳しいなと思い引っ越しを決意。
さくらVPS、10年くらい前に使ったときは利用開始まで1,2週間待つ必要があったり、管理画面も使いづらかった記憶だった。
それがネットから申し込んだら即使えるし、管理画面からワンクリックで初期設定できたり管理画面からセキュリティ設定できたりと便利になってた。
というのも元々HerokuのURLをそのまま使っていたのだが、Herokuから引っ越しをするので独自ドメインを取得する必要が出てしまったのだ。
最初は covid19-kayuuma.com あたりにしようと思ったけど、なんかスッキリわかりやすい名前にするのも違う気がした。
いろいろ考えてた結果、 enigmatic-brushlands-82725-herokuapp.com を取得した。
旧URLが enigmatic-brushlands-82725.herokuapp.com で、.herokuapp を -herokuapp に変えた。
怪しさ満点のいいドメインが取れた。
正直「URL変更で日誌を書き込む人・読む人も減ってしまうかな…」と懸念していたが、引越し後も変わらず書いてくれる人・読みにきてくれる人がいて本当に感謝です。
「仕事でもないのにサーバー引っ越しで頭悩ませたり、毎月サーバー代払うって、そのモチベーションはどこから来てるの?」
と聞かれた。
たぶん広告貼ったり、ほしいものリストを作って載せるとかが面倒というのが一番大きい。
「それでいい、楽しいから」――7万人の町「GREE」を一人で作ってる会社員:ITは、いま - ITmedia NEWS
https://www.itmedia.co.jp/news/spv/0407/30/news006.html
GREEがまだ会社になる前の、個人サイトだった頃の田中良和さんのインタビューだ。
など名言の宝庫だ。
「趣味でインターネットサービス作る人がいていいじゃない」
と言い続けられたらいいなという思いがモチベーションなんだろうなと思った。
記事最後の田中さんの笑顔が好きで、自分もこんな笑顔でサイトを続けていけたらと思う。
COVID-19流行下の日々を集団で記録する日誌 https://enigmatic-brushlands-82725-herokuapp.com/
3年前:「かゆうま」みたいなノリで匿名日記を書くサイト作った
コロナ禍になる前からテレワーク・リモートワークの仕組みを作ろうって話を提案し続けた。これはうちに介護が必要な弟がいて、どんどん状態が悪くなってる事もあったんだが。
一部が通って、実験をスタートさせるも予算つけて貰えない。業務の合間でやれということで、自分で勉強してオープンでシステムを研究していた。
そこで、コロナ禍になる。コロナ禍になったら、今度はまだ完成してないのかと謎の反発になるも、予算が出て、一気に構築した。とは言ってもモダンなものではない。単なるVPNだが、地域IP網の折り返し通信を使うとかでかなり低コストで快適な仕組みになったと自負している。
が、ITシステム担当はシステムが動かなかった時にフォローが必要であるという謎の理由で出社強制、コロナ禍でもテレワークが許可される事はなかった。
そうこうしているうちに、弟がデイでコロナをもらってきて、俺も含めて罹患。親と弟は入院、俺は自宅待機となってようやくテレワークを使ってもよいことになったが、一時的なもので、出社に切り替えられる。
親は1カ月ほどで退院できたが、弟はリハビリが必要になり、一年かかってようやく退院。
より重い介護が必要になる状態になってしまうが、施設での受け入れ先がない。
退院にあたってテレワーク申請、介護休暇をちらつかせてようやく許可を取って、週3日テレワークでやっていたが
先日、全社で無条件出社の御触れがでた。
もう付き合ってられるかと言う気持ち。
転職活動したら、在宅中心、週1出勤、年収2割UPの条件で内定出たのでもう辞めるところ。
それでも、GWを返上して、有休消化期間もとらずに引き継ぎしている俺は愚か者である。
もう自分自身にも付き合ってられない。
めちゃくちゃしんどい。
風邪すらひかない超健康体だから38.6から下がらないとめちゃくちゃしんどい。
副反応の比じゃない。
病院やってないから市販の解熱剤飲んだけど3回飲んでも38.1以下にならない。
呼吸浅いし手痺れるし節々ゾワゾワするし、咳止まらなくて喉痛いし、食べ物一切受け付けないし
今まで頑張ってたのにな…
とりあえず治すわ。
みんなも気をつけて
そこそこ良い大学出てて、それなりの客観力は持ち合わせてるだろうと思ったら、本当に自分のことだけ棚に上げる人いて驚いたの思い出した
あと心の病に罹患歴のある方だった
アラフィフの自分はタイのドラマにハマっている。俳優のファンミーティングなどのイベントに参加すると、ギブアウェイという、ちょっとしたものをファン同士が交換したり、プレゼントをする文化がある。寡聞にして存ぜずK-popから流入した文化らしいのだが、出会うタイドラマファンの年齢層は同世代か少し上であることが多いためか気になることがある。
ギブアウェイはお菓子だったり自作のグッズだったり様々なのだが、貰ったものは全て捨てていることを告白する。
お菓子は、包み紙に俳優の写真が入ったチロルチョコであったり、数種類のお菓子を小分けにラッピングされたりしているのだが、衛生管理してない人が触ったと思うと食べる気がしない。コロナに罹患した時に辛すぎたので、口にいれるものは敏感になりすぎてるせいかもしれないが、飴やチョコなど開けて舐めて戻してもわからない包装のものもあり、より分けるのが面倒で全て捨てている。
自作のグッズは、前述のチロルチョコやポストカードやキーホルダーなど様々なのだが、ほとんどが著作権を考慮していないので所持していたくなくて捨てている。スタイリストが関わった衣装や、デザイナーが関わったロゴや、商標登録している文言を使わず、自分でイラストを描いたポストカードを自宅で印刷するならまだ良いが、より分けるのが面倒で全て捨てている。
他人の権利に抵触しているものを貰うたびに苦々しい気持ちになるが、イベントは楽しむためにお金を払って参加しているので極力面倒を起こさないために断ったり注意はせず頂く時は普通に貰ってはいる。話しかけるきっかけとしてのギブアウェイだと思うが、むしろモラルに欠ける人なのだと判断材料になってしまっているのが本音だ。
このエントリーを読んで自作グッズの境界線に不安を覚える人は、もうギブアウェイは作らない方が会話がはずむ人数は増えるかと思う。これは自戒だが問題があったとしても私たちの年代を相手にその場で丁寧に注意したり教えてくれる人はおらず、曖昧に微笑んで去っていかれるのだ。
3ヶ月前のある日、職場のエレベーターに乗っている最中ひどい貧血と立ちくらみ、吐き気に襲われた。昼休みだったためしばらくオフィスの椅子で休んでいると20分ほどして回復した。
その日の帰りに、2ヶ月前にも一度仕事帰りに貧血と立ちくらみ、吐き気に襲われたことに気がついた。
色々ネットで調べていたところ、大腸がんの症状が自分に当てはまった。
自分の症状
・二週間に一度のペースで下痢気味になることがある。特に週末。
・体重減少。社会人になって、一人暮らしを始めて食事がお粗末になったことがきっかけだと勝手に思い込んでいた。
・お腹のはり。
・頻繁なゲップや屁。
そして先述の貧血と立ちくらみである。血便はないが全ての患者に現れるわけではないそうだ。
年齢、血の繋がった家族や親戚にガン罹患者がいないことなどから最初は信じられなかったが、大腸ガンについて色々調べていると日本を含む世界中で二十代や三十代の大腸ガンが脅威的なほど急増していることを知った。
しかし、もし進行していたらと考えたらいけなくなってしまった。病院のベッドに縛り付けられ、腹を切り開かれ、その後効くのかどうかもわからない抗がん剤(抗がん剤を毒物と呼んで使用禁止を呼びかける医師がいることも知った)を投与されボロボロになって死ぬ。担当医は高級キャバクラで俺が死んだことを電話で聞かされ「あーそう。死んだか。はいはい。忙しいから後でね」と電話を切って再び女の子を口説き始めるんだろう。
仮に進行していなかったとしても、退院後一生再発の恐怖に怯えながら生きることになる。
また病院のベッドで弱っている俺を女手一つで育ててくれた母に見せたくない。
そう考えた結果、「もうあと一瞬で死ぬ」という所まで放置することに決めた。これから段々症状の悪化や痛みに苦しむのかもしれないが、俺が耐えれば良いだけだ。
「倒れたと思ったら、すぐに死んだ」
その方が母の心の傷も悲しみも少ないかもしれない。
大腸ガンが発覚するまでは「これから先も毎日仕事して、彼女ができて、結婚して、子供が産まれて、あっという間に年取るんだろうなあ」なんて考えていた。しかし現実は違った。俺は年を取る間もなく死ぬ。
高校生の頃に精神疾患に罹患して、半ば不登校になりながら卒業した。卒業後は典型的な鬱病ニートのような生活をしていたが、2浪の年に英語と国語だけで受験できる学部を受けてみたら運良く合格してしまった。けれども、もとからそれほど興味のある分野ではないのに世間体のために進学したことと、必修の少人数制の授業が荒れていることが相まって次第に大学に足が向かなくなった。
以前から社会心理学や動物行動学(とりわけ群れを形成する哺乳類に関するもの)、進化心理学などに興味があり、それに関連する分野を学べる国公立大学を来年受験したいと思っているのだが、大学受験の勉強をした経験がほぼないので何から始めたら良いのかわからない。
もういいやって思った。
もういいやって思った。
自分の答えが欲しくて大学院まで行った。なんとか生きていく意味を見つけたと思ったのもつかの間、うつ病を罹患してしまった。
けれどもよく考えれば、うつ病に罹らなくても、仕事は辞めていただろうと思う。ずっと昔から、働くことなんてクソだと思っていたし、案の定、クソそのものだった。
よく社会不適合者という言葉を聞くが、真に差し迫った社会不適合者というのは、子どももいるのにまともに働くことができず、つまりは、守るものがあるのに自分の力の無さのせいで仕事を続けることができないというのが、それだ。
うつ病は、治ったと思った。クリニックに通院してはいるが、およそ二年間事務のアルバイトを続けることができた。しかし今、辞めそうになっている。正社員になろうという話しを持ちかけられ、それを承諾してしまった。結果、責任のある業務が増え、後輩ができ、辛いと感じることが増えた。
仕事を辞めようにも、今年で30歳になる。転職歴は5回ほどある。どれも、数ヶ月働いては辞めてを繰り返していた。今の職場を辞めてしまえば、もう障害者雇用くらいしか残されていないだろう。
ただ今がつらいということだけで、逃げてしまっていいのだろうか。そのうち、つらい気持ちはなくなるだろうか。逃げ癖がついてしまっているから、逃げて逃げて逃げて、その結果が今だ。また繰り返してしまっていいのだろうか。向こう何十年、耐えるにはあまりにも苦しすぎる。
就職のタイミングで子どもを授かった。こんな人間が家庭を持ったのだから、最悪な結果しか招かない。自分のことで精一杯なのに、子どもを育てられるわけがなかった。もう4歳にもなる息子には、申し訳ない気持ちしかない。できることはしたいが、できることがあまりに少なすぎる。
息子には本当に幸せになってほしい。元嫁さんにも。
こんな奴を夫にしてしまったことを後悔しているだろう。本当に申し訳ない。自分の腕で幸せにできなかったことが、虚しくてたまらない。
そして今、過去を思い出して悲しくなった。青春は青春らしい、ちゃんとした青春だった。もうあそこには戻れない。あの淡い、駆け抜けるような熱情に包まれた生は、もう戻ってこない。
ずっと若いままで居られると思っていた。いつまでも子どものままでいたかった。大人になんてなりたくなかった。さらには、うつ病になってからは記憶が曖昧で、気づけば5年ほども経過している。自分はあの頃から、同じ場所で足踏みしているだけだった。心も身体も、何ひとつ進歩していない事実のせいで、現実とのバランスが保てない。
やりたいことはある。やってみたいことが、けれど、生きていくために割かなければならない時間と心が、気持ちを前向きにはさせてくれない。
何にも煩わされず、喧騒に晒されず、生きていきたかった。楽しいことよりも辛いことのほうが多い。もう疲れた。
そんなわけだから、もういいや。
最後に海を見にいこう。