はてなキーワード: 精神論とは
https://www.meti.go.jp/committee/summary/0004660/index.html
最も重視したのは、世界の中での日本の産業の現実を直視することである。これまでの議論は、ともすれば、耳障りの良い「日本の強さ礼賛論」に陥ったり、非生産的・自虐的な「悲観論」に走ったり、経済実態から乖離した「精神論と美文」に終始しがちであった。
再分配による成長の限界
特定のグローバル製造業に過度に依存した成長となった2000年代は、景気の拡大期であったにもかかわらず、賃金は上昇しなかった。結局のところ、日本経済「全体」の「パイ」を拡大しない限り、成長は困難なのである。
しかし、90年代に入り、省庁間の縦割りによる弊害が目立つようになり、「小さな政府」や「規制緩和」による民間活力の発揮を標榜する論調が我が国にも広がる中で、いつしか、国は企業活動の自由を保証し、あとは何もしない方が良いという市場機能を無批判に肯定する議論や、産業政策における国の役割をすべて否定するような議論さえ台頭するようになった。こうした中で、官民の連携の強さは失われ、相互の距離は広がっていってしまった。
不思議に思うことがあって
昨今伝票が未だに手書きってどういうことなんだろう?って思うけど
会社によっては手書き伝票圧着用紙に重ねて書く間違いが許されないタイプの伝票で
これ256種類のアイテムがあったら
256行書くわけでしょ?
それで1日終わるくね?って
もしかしてそれ自体が書くということ自体が雇用を生み出しているのかしら?って
オフィスオートメーションを促進して
秒で回収出来るのにって。
でもやっぱり何かしらの事情があるわけなのよね?
たくさん社員がいそうな会社ほど手書き率が高いような気がするわ。
少数の規模の会社だとそこはオフィスオートメーションになっている気もするし、
私の事務所もそう言えば
手書きで何かすることって一切無いのよね。
今思ったら本当に手書きをすることが全く逆にないことに驚きまくる自体。
マスター商品アイテム品物項目事項をデータをちゃんと作っておけば
あとは手間掛からないわけで、
一切手書きしてなかったわ。
手書き伝票のところは本当に
256アイテム注文あったら
間違いが許されない4枚複写ぐらいの紙に
米粒に筆で細かい字を書くよりも私嫌だわ。
それはそれでそう言う256行の伝票を喰らったら、
あれ何枚に別れるのかしら?
サインする方も大変だし
私も石原さとみちゃんばりにノールック投法をノーバンで始球式してみたいわ。
公表しないけどその時はマジでノーパンでノーバン始球式しちゃいたいところね。
時代ネーって思うわ。
無いと思ったけど、
あるのよねー
なんだか
なんでも機械が解決しちゃう人間はいったい何を頑張れば良いのかしら?って
かと言ってのんびり出来るわけでもないし、
薄ーく平たく伸ばして1日がかりでやるのに
ちょうど手書きでもいいのかも!って思ってるのかも知れないわね。
だから本当に手書き伝票は逆にちょっと鬼気迫る狂気を感じるわ。
早くプリンター導入した方がいいし、
導入する方が先か、
256行の伝票を手書きで書いて腕がブッ潰れるかが先か問題になるわ。
そんなプリミティブ伝票のところは
ってひっそりと思ってしまうわ。
皮肉抜きに言っちゃいそうよ。
うふふ。
欲を言うなら
私的サンドイッチアベンジャーズで1つのパッケージになってるサンドイッチがあれば
事欠かないわ。
これで全て世界が救えるかの如くよ。
今日はなんだか熱めのホッツでソルティーな梅干しを合わせてみたわよ。
私調べでは無限よ、
浅漬けのキムチがこれいつ食べ始めたのだっけ?って忘れた頃に古漬け級の
本場の酸っぱいキムチのようになっていて、
私調べの調査では
早く食べきりなさい!ってところよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これがイルカの絵を描いてたり、エイズで死んだり、麻婆豆腐得意だったりカメラ目線で鍋振ってる周富徳だったら違うんだろうな。
「ねえ、パパってビートルズだったの?」
美味しんぼだけを見て育った人は、ピーマン嫌いに「本当においしいピーマンを食べたことがないんだ」とか言いがち。
おいしいピーマンはピーマンではない。「うん、これなら僕も食べられるよ!」は問題解決してない。
いい歳のひねくれたおっさんも、うまいもの食べさせればその味の善し悪しが分からなかったことで自分の間違いに気づき、
すぐ非を認め、素直に反省して謝って、相手と仲良くしようと屈託がない。
そう思えば、雄山に美味い料理出されて対決で負けても、自分を顧みないのは士郎だけだな。
どうせ、雄山の出した母の料理を食べたとき、士郎の記憶が蘇って、
ってゆう「マクロスプラス落ち」だろ。周りのみんな、言ってやれよ。
X-9には同じ人工知能の無人機ぶつけろよ。機械には最後は人間が勝つって、
根拠のないナショナリズム的な精神論だから負けるんだよ。三目並べやらせるの好き。
必勝法は無いかもしれないけど、相手がいれば勝つことはできるけどね。
相手に詰められたとき、だっと立ち上がって、外に走って出たい。
「士郎、お前は浮気してるだろう。スマホを見せろ。自分の伴侶すら幸せにできない者が、
他の相手と楽しくやろうなどとは片腹痛いわ」ってときに、「うぐっ」って言って、
走って逃げたい。田畑さんとやりたい。
結局みんな金持ちで、平民が食べてる一般食を「まずい」って言ってる金満の考え。
ワイの中の理想の大人は海原雄山。雄山ならこんなときどうするんだろう、って考えてる。
「これはなんですかねー。肉とも魚とも違う、、不思議な味でーす」「人肉だよ」。
全然関係ないけど、Youtuberとかで「命に感謝、いただきます」とか言ってる奴、
みんな死ねばいいのに。昔から肉とか黙って食べてたよ。一方的な言い訳を見せられて、鼻につく。
「スタッフがおいしく云々」に至ってはバカにしてるだろ。食べ物で遊ぶなってことだからな。
給食の栄養士は、子供が残すような献立をだすなよ。栄養のバランスがとか、
まずい料理にしなきゃ栄養が偏るのかよ。食べ物残すより、残される料理出すほうが罪深い。
ポテトサラダに玉ねぎ入れる人は、カレーにコーヒー入れたり、酢豚にパイナップル、
ラーメンのスープにはすんごくこだわるけど麺は製麺店から買ってる。
サッポロ一番塩ラーメンとうまかっちゃんの粉末スープはすごい。
一部上場の超大企業で働いてるんだけど、バブル入社組のせいで日本は没落したと確信してる。
頭空っぽで何も考えていないし、時流に沿った常識にもアップデートされてない上、数だけは多く自己正当化が激しい。なのにめちゃくちゃプライド高い。
日本型のメンバーシップ雇用は、安定の保証と引き換えに、仕事の自分事化による高い責任感によって維持されてきたと思うけど、バブル入社組がこれを破壊しまくった。
この世代は徹底的に他人事、できるだけ考えずに、手を抜いて、他人(特に若手)に押し付け、仕事から逃げまくり自分が定年までなんとか楽に逃げ切ることしか考えていない。そうやって会社をうまく使うだけ使って自分さえ良ければいいとするバブル入社組社員が今の管理職に多い。
だがジョブ型雇用がいいかと言うと、これもバブル世代が自分達の実務能力の低さを糊塗するために都合よく使われている場合が多いので、注意が必要。
バブル入社組は精神論を好む。ろくに頭使ってこなかったので、論理的な指導や改善ができないからだ。精神論はそれを支持する人間の数のみで正当化されるため、彼らの世代にとっては有効に機能する。
論理や新しいテクノロジーを妨げて、定年まで自己保身を図り続けるこの世代のせいで現在の停滞が社会を覆っていることは明らか。
50代は全てゴミ屑に放り込んでそれより下(氷河期世代は残念ながらこれから戦力に育て直すことはもう不可能なので40歳より下)で立て直すしかない。
私は、客観的に見て、それなりに成功した人間だと思う。大学進学者が少ない田舎から出てきて、経営に携わる仕事でそれなりの評価を得ている。妻と子供3人を養う程度の給与も得ている。親族の支援もあって、一定の資産も築けている。
でも、私は幸せを感じていない。理性的に考えると、自分は恵まれているなとは思う。しかし、心が躍るような幸せを感じることはない。より社会的に経済的に恵まれた人と自分を比べては、自分はまだまだ不十分であり、更なる努力が必要だと感じるのである。
今までは勉強することが幸せに繋がると盲信して努力を続けていたが、それにも疲れてきた。努力をすることに楽しみを覚えるということに変わりはないが、何を目指すべきかを見失った。何かになれると信じていた魔法の期間が終了したのである。
幸せを感じるためにはどうしたら良いのだろう。朧げに、下記のアクションが必要な気がしている。
1.マインドセット/環境については、まずは認知することが重要と考えている。認知さえできれば、すぐに解決することは難しいと思われるが、時間を掛けて試行錯誤していけるだろう。何年も粘り強く行動を変える努力を続けていくしかないのである。
早速、認知するというステップであるが、これに関しては思い当たることが多々ある。
A-1. 人から怒られない/責められないように生きている
A-1~A-3は紐づいていると思っていて、自分が犠牲になることで万事解決と考えているのである。また、自らの時間の価値を過小評価しているのである。このマインドセットに関しては、『精神論ではない仕事を速くこなす技術』という記事が役に立ちそうだ。まず重要なのが、物事に対して投下する時間を区切ること。強制的に、A-1の不安を要因としたA-2/A-3を防ぐのである。よって、私は下記の目標を定めた。
今までは、月に50時間~90時間をしていた。これを30時間に押さえるのは、当然簡単ではないだろう。当然、全てを得ようとしても無理な話で、多くを切り捨てないといけないと思う。脱線するが、何かに変化を加えようとするときに重要視すべきは、まずは質より量だと思う。恒常性の壁を超えるには量が必要なのだ。よって、今回は月30時間という思い切った目標を定めたい。
そして、もう1つ大きな目標を定めたい。
正直、私は、どの程度の完璧さを人から求められているのか、感覚的にわからなくなっていると思う。敢えてその水準感を他人から教えてもらうことで、バランスを取り戻したいのである。非常に勇気のいることだが、他人からこの水準を教えてもらうためには、その水準を一旦下回る必要がある。できる人には何の困難も伴わないだろうが、私にとっては大きなチャレンジである。
今回の考察にあたって、「都道府県ベスト&ワースト - とどラン」さんの統計を参考にさせていただきました。
https://todo-ran.com/t/bestworst
公立小中学生を対象とした学力テストの結果を見ると、福井、石川、富山の3県は毎年のように上位5位以内に食い込む。この結果に対し「私立校が少ないからだろう(だから結果はすべて統計的に意味がない)」という声がよくある。実際、進学校としての私立小中学生の多い都市圏では、この学力テストの順位は実態とかけ離れていることが多く、統計的に正しい結果とは言いがたいだろう。では、都市圏を除く多数の地方に関してはどうか。実は、ロクな私立校が少ない地域ほど平均点が高いわけでも、地方の平均点がどんぐりの背比べで結果がまぐれというわけでもない。各都道府県の正答率分布は正規分布になっており、北陸3県は毎回およそ偏差値70以上に位置する。
北陸3県の平均点が高い理由の考察として、多くのメディアは「勤勉な県民性だから」「学問の神様が見守っているから」などとふわりとした精神論しか語らない。しかし、もっと統計的に有意と言えるデータが存在する。子供の学力テストの平均点は、正規雇用率と正の相関があり、非正規雇用率と負の相関があることが判っている。つまり、親の正規雇用率・非正規雇用率である。
他に正規雇用率と直観的に関係がありそう かつ 北陸3県が高いレベルにランクインしているランキングには以下のものがある。
もちろんこれらは偶然ではなくすべて繋がっている。北陸地方は総じて景気が良い地域なのである。
特に世帯年収は、何かしらの相対的な値でなく絶対的な値として全国上位なので超重要である。1人当たりの平均年収は人口(都市の規模)の割に高めとはいえぱっとするほどでもないが、世帯年収は東京都に次いで愛知県や神奈川県に並ぶ。地価や物価の安さを考えれば相対的に裕福な家庭が多いと考えられる。そして、多くの場合親の経済力は子供の学力に大きな影響を与えるのである。
(余談だが北陸3県は平均身長や平均寿命も高い。ここらへんも裕福さが関係していそう)
では北陸地方の景気が良い理由は何か?理由は正直よくわからないしネットでも他人の考察が見つからなかったが、調べてコレではないかと思ったものが2点ある。
1つめ。
ものづくり系の製造業がさかんである。特に、大手グローバル企業であるM社の巨大工場が多数存在している。工場といっても設計開発を担う研究所を兼ねたホワイトカラーの大規模施設である。グループ最大にして本社から最も寵愛を受けている工場も北陸某所に存在する。非公開情報なので具体的にここに書くことはできないが、ツテで聞いた話では、北陸3県のM社からの税収は驚く割合を占めている。当然、県民の経済にも直接的・間接的に大きな影響を与える。
2つめ。
地理的要因。関東~中部~関西が比較的豊かで、その他は遠ざかるほどそうでないことが窺い知れてしまう統計が数多く存在している(北海道と沖縄県は歴史的経緯から例外的である場合も多い)。未だに日本の中には地域格差が存在している。北陸は日本海側の目立たない位置ではあるが、場所で利を得ている可能性がある。
景気の良さはだいじ。
目下W杯最終予選中のサッカー日本代表ですが、とうとう森保監督を支持する人がどこにも見当たらなくなりました
昨日のオマーン戦も、勝ちはしましたが、Twitterでは#森保解任がトレンド入りするなど、サッカーファンからの評価は目も当てられない状況になっています。選手起用と采配が、殆どのファンにとって納得できないものだからです
ポゼッションこそすれど、チャンスを全く作れなかった前半について「そんなに悪かったですか?」と振り返るなど、森保監督がきちんと内容を分析できていないのは明白なのですが、これは目指しているサッカー像が古くて、そもそもの戦術解像度が低いからでしょう。問題を把握できないのは、問題に対処できないよりもまずい事態です
ビルドアップのコンセプトがない。アタッキングサードでバリエーションがない。フォーメーションありきで、ポジションに選手を当てはめるだけの古いサッカー観。謎のメモ。繰り返される精神論。森保監督の仕事は、ピッチの中は選手に任せて、外から鼓舞するだけの簡単なお仕事に見えます
「W杯の切符を掴み取るために毎試合トーナメントのつもりで戦い抜く」と森保監督は言いますが、日本代表の目標はいつからW杯出場になったのでしょうか?僕の記憶では目標はW杯ベスト8だった気がするのですが、もしかして森保監督だけは、まだドーハで戦っているのでしょうか?
選手選考とスタメンについても、お気に入りのベテラン選手に固執しているという批判があります。もしかしたらこれは、ステークホルダーにいい顔をしたい田嶋会長のゴリ押し、またはそんな田嶋会長への忖度があるかもしれません。森保監督は気遣いの人らしいので、十分にあり得るでしょう。あとは、森保監督は頑固で負けず嫌いな性格だそうなので、外から批判されればされるほど意固地になっているという説もあります。Twitterやネット記事に目を通しているかは分かりませんが、これもあり得る話です。戦術の解像度を高め、旬の選手をうまく活かせるチーミングと選手起用をお願いしたいものです
試合中の修正力の無さ、というのも批判されているポイントです。先制した試合では負けなしだが、先制されると勝てないというデータがあるそうで、これが試合の状況に応じた臨機応変な采配がないことの証左だといわれています。因果関係を示すには一足飛びの論理ですが、森保監督が臨機応変な采配ができないことは試合を見ていれば明らかです
サッカーの最新トレンドを作っている欧州リーグで活躍している選手も多い中で、いまだドーハに魂がありそうなザ・ドメスティック・メモライター、森保監督。田嶋会長がおしすすめるジャパンズウェイの未来は、果たして明るいのでしょうか
党派性による誘導目的の主張だと思われるのは嫌なので最初に書くと、今回は他と維新で少し迷って維新に入れた。
むしろここではこっちの方が多くの人から冷たい目で見られる気がする。
確か自民が圧勝した2014年衆院選で、事前予想でも圧勝だったので勝ちすぎは良くない、だけど民主もないなと思ったので共産へ。
開票直後に自民側の一部は、惨敗した民主をさらになじるために共産を持ち上げて唯一まともな野党とすら評した年だったと思う。
そのときはアレルギー云々は少なくとも大きな声ではなかったような気がする。気がするだけで自分が知らなかっただけっぽい。
ここ最近はアレルギーとの主張が見聞きする範囲に挙がってきたが、よくわからない。
まあ上述の他者評価はあくまでも民主をなじるためとか、歴史はさておきその時点で相対的に見ればというのもあるのだろうし、
逆に今回は共闘で存在感が出たのである種の逆宣伝も含んでいるのではとも思う。
単に逆宣伝というだけではなく、政権運営に影響を及ぼすくらいになりつつありそうな予測だったからアレルギー発症したのかも。
実際のところは大体どの年代くらいまで忌避感の強い割合が多いのだろう。50代から上くらい?
最近の若者はアレルギーないらしいというのも聞くけど、すでに完全なおっさんで頭頂部がやや薄くなってきた(それはまだ早いんだよ……)
自分が属する年代でも、そこまで強烈な印象は感じたことがない。
よく覚えているのは、新卒入社数年した頃、会社の同期が選挙前でもないがぽろっと共産に入れたくなると言ったことだ。
その人は実家が都内で私立文系出身で親が学費を出していて、そして自分たちの入った会社は中央値はもとより平均からしてもかなり恵まれた
待遇・労働環境にあるのに、他の誰かではなく自身が不遇だと思うから共産に、と言っていた。(ちなみに、会社組合は当時の民主党支援)
口には出さなかったけど、その境遇で不遇というのはあまりにも世間が見えてないのではと感じたし、
割と何ともなくどこの政党に入れるとか言うんだなとも思った。親しみやすくて友人も多い人だ。
いやまあ周辺を見てわきまえろみたいな精神論だと衰退するし労働者個人個人で見て生活向上できればという考え方は今はわかる。
平均よりどうとか言ったところで周辺みんな富裕層にはまったく遠いしな。
どこでもOKなわけではない。忌避の理由の種類が全く違うだろうが、公明党の背景へのマイナス感情は強い。
あの同期は公明にははっきりとした拒否感を表明していた。これは自分も同じだ。
今後の選挙で、その時々で共産や立憲や国民や維新や自民に入れる可能性はあっても、公明に入れることはまずないだろう。
子供時代の旧友が学会員で、その人とは今もたまに選挙無関係な話をすることがあるけど、選挙関連は断っている。
等々のごく狭い体験からだと、個人的な周辺は投票のための選好順序付けという観点で共産への他よりも特別に強い拒否感はそんなになさげに見える。
第一の選択肢にはなりえない程度を超えて、ずっと前から続く潜在的に絶対嫌レベルの拒否感は。
現時点で掲げる個別の政策がNGというのではなく、アレルギーと称するほどの意識って何から来ているんだ。
昔からあって今の政策にも通じている根幹の思想こそが(あるなら)アレルゲンなんじゃというなら、その価値観の人は相応にいて不思議じゃないとは思う。
友人の会社の社長、コロナ禍に突入してからも、長い間、リモートを認めず(友人はフルリモートできる職種)、それは精神論以外の何物でもない、「社員同士顔を合わせてこその仕事」との理由で、基礎疾患のある友人は、不安を抱えながら、出勤し続けた。基礎疾患がある旨を訴え続けてようやくリモートは認められたが、どうやら、以前から残業代も支払われておらず、面談の際には罵倒されており、心療内科に通院しているとの事。立派なパワハラなので、労基に話してみてはと言ったが、不運にも適当な担当者に当たってしまったらしく、話にならなかったとの事。なお、就業規則すら作っていない会社らしい。
どうしたら友人を救えるのだろうか。