はてなキーワード: 生活費とは
前年度の収入は、平均よりちと高めぐらい。
(他の外コンはもっともらってるのかもしれないけど、私は無給残業ばっかりだったので、世の中の平均と変わらない)
・崩壊寸前のところで、外資系あるある〜な「実力ない奴は辞めてまえ」の発言
普段から全然お金は使わないので、貯金は普段の生活には当分困らないぐらいあった。
予定としては、ニートして、ボロボロになった精神を復活させてから、ゆっくり職でも探そうかな〜と思っていた。
辞めるとき、人事の人に「雇用保険が無くなるので、国民保険、国民年金に入ってね」と言われた。
身体はなかなかに丈夫に出来てるので、病院も滅多に行かないし、
年金ももらえるかわからないけど、とりあえず入らなきゃアカンので入る。
役所に書類出したら10分ぐらいで出来たので、「あ、意外と簡単なのね」と思い、さっさと終了。
「去年の収入ベースなので、納付額は変わりません」の一点張り。
「分割払いとかは出来ますけど」って言われたけど、そこじゃない。
え、これどうしたらいいの?
無職はこの国では生きていけないの?
1.実際に「高収入女性は貧乏男と結婚する事を『強制』しろ!」と主張する奴がやたら多いから。
(『強制』が許されるわけない)
(大多数の人間は同階級同士で結婚するもので、「玉の輿」は滅多にないからこそ話題になりやすいだけだ)
それが世の中で推奨されている事もないのに
何故逆を推奨したがるのか、となるから。
3.高収入男性が専業主婦の生活費を負担しているのは、専業主婦の家事出産育児介護労働に対する対価を払っているだけであり
それを「高収入男は貧乏女を無条件で養ってるのに」と解釈するのは誤りであるし、
その事実に対して「だから高収入女は貧乏男(家事出産育児介護もなにもしない)を養うべき」と主張するのは筋が通ってないから
という辺りだろ
30代も中盤に差し掛かりスキルもコミュ力も身につけてこなかった自分が悪いのはわかっている。
努力をしてこなかったツケが現状だろう。
正社員として働いていた時期もあったが続かなかった。派遣やバイトで食いつなぐ日々。
生活費の倍ほど稼げば車は買えずとも原付くらいは維持できるだろうしTシャツをヨレヨレになるまで着なくても大丈夫になるだろうという金額が300万。
スキルと言えるかはわからないが仕事としてPHPやJavaScriptを触っているので下手に畑違いに行くよりは同じ業界のほうが良いだろうと思っている。
希望としては自社サービス立ち上げ云々スライドみたいな会社で働いてみたいが技術力不足だろうしまた続かず辞めてしまう可能性も高い。
今後どうやって稼いだらいいのかどんなアドバイスでもいいので教えて欲しい。
資産運用について調べれば調べるだけ何故そんな事をしないといけないのか分からなくなってきているので、やっている人に理由を聞きたい。
私が分からなくなっている原因の一つが、資産運用を始めるときに最初に知ることになった「運用はリスクを伴う」と「投資は余剰資金でやるべし」という鉄則らしき言葉である。
リスクがあるというのは損をすることがあるということのようだ。それで余剰資金とはなんだと思ったら、「手元流動性のうち,運転資金,設備資金に充当する必要のない資金を指す。:出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」ということらしい。
これは要するに、「まったく使う予定の無いお金」のことらしい。
つまり、「資産運用は損をすることもあるので、まったく使う予定の無いお金でやりなさい。」ということのようだ。
上記のことが分かったこの時点で、私はもう意味が分からなくなっているのである。
「まったく使う予定の無いお金」があれば、損をするリスクを負ってお金を増やそうとする必要がないと思うのだ。
何がしたいのか分からないのだ。生活に必要なお金が十分にあって、将来に備えた貯蓄も十分にあって、それでもまだお金が余っています。という人は、ではなぜそれ以上のお金を必要とするのだろうか。
目的は何だろうか。それは趣味だろうか。趣味ならわかる。趣味にお金を使うのは正しい。生活にハリが出るからだ。
だけど、楽しいのだろうか。趣味は楽しむものではないだろうか。使い道のないお金が、使い道のないまま増えていくことが楽しいのだろうか。楽しいならいい。
しかし、ただお金を増やすことが趣味でない人は、いったいなんのためにやっているのかわからない。
また、別の疑問もある。そもそも資産運用をしている人はみんな「全く使う予定の無いお金」を使っているのだろうかということだ。
みんなそんなにお金が余っているのだろうか。日々の生活費だけじゃなく、将来にわたって安心安全な蓄えがあるのだろうか。あるのかもしれない。まあそれは結構なことだ。
しかし、仮にそうでないとすれば、それはもっと意味が分からないことになるのである。
なにせ資産運用の鉄則が「損をすることもあるので、まったく使う予定の無いお金でやりなさい」だからだ。
つまり、使う予定のあるお金を、損をすることもあると分かっていて運用しているのだ。これはやばいだろう。やばくないの?
使う予定があるお金で損をすると、使う予定だったことはどうなる。できないよね。できなくなっちゃうんだよね。
やるつもりのことが出来なくなるリスクを負う理由なんですか。分かりません。
そして何事もそうだが鉄則を無視して成功することは難しいだろう。無視すると失敗するのが鉄則だからだ。
つまり、余剰資金でない資金で資産運用をしている人は失敗するのだ。失敗するんだぜ?損をするんだぜ?
使う予定があるお金を失敗すると分かっていて運用するんだ。恐ろしいほどに意味が分からない。
ということで、実のところ、調べれば調べるだけといっても、そもそもの大前提みたいな鉄則の部分でひっかかり、
その後の具体的な運用方法とは詰まるところ「リスク」の大小についての話であって、そしてやはり鉄則というだけあって、「だから余剰資金でやりなさい」という話に戻ってくるのである。
投資を始めることにした。
なかなかお金はたまらないとはいえ働いてるから生活費はまぁある。
自分で働いた金じゃないから自分の物という実感がなかなか持てない。
遺産として手に入れただけに変なことに使いにくい。
そんな理由で数年銀行で寝かしたままにしてたんだけど一度の手数料で吹っ飛ぶ程度の利子しかついてないのを見て馬鹿らしくなってね。
ニュースでも市場に金が回らないことの問題を目にしてたし、今後インフレが進むとその遺産も目減りする。
じゃあ運用を考えてみるか
と。
で全然わからんから「投資なら信託銀行っしょ」と信託銀行に行って一から教えてもらったんだよ。
ほんと面白かった。
お金に対する考え方が変わったよ。
その足で証券会社にも行ってみたんだけどこっちも面白かったね。
国債の利点とかなぜ経団連が移民を入れたいのか、なぜ高齢になっても働かせたいのか。
いろんな問題や疑問が一本の線で繋がった感じ。
本当に勉強になった。
お金ってほんと集まれば集まるほど増やしやすいものなんだなというのがよくわかったw
もちろん投資や株がどういうものかという知識はあったよ。社会科でもさらっとやったりするからね。
でも実感としてはなかった。
もうアラフォーに差し掛かったんだけど今まで働いてもなかなかお金がたまらず「運用」という発想ができなかったんだよ。
子供のころから貯金をしろ、働いてお金を貯めろって言われたしそれは間違いではないけど
この社会ではそれだけではないんだな。
お金にはもっと違う次元の世界があってそこでお金はぐるぐる回ってるんだなと実感した。
全てを投資にまわしたりハイリスクな商品になんて挑戦しないけどね。
元本割れの可能性も無いではないがおおむね5%ほどのプラスにはなるようだ。
数年後インフレ率より増えててそのお金でちょっとした贅沢もできたらいいかなって感じ。
楽しみだね。
ただちょっと気になったのが
~20歳
20~60歳
60歳~
となっていたこと
働いている世代である20~60歳をひとまとめにするのはそれだけその世代の客が少ないからか?失われた20年のせいなのか?
確かに俺以外の客は高齢者ばかりだった。
まぁ単純に
働いている世代か否かを分かてるだけかも知れないけどさ。
今は生臭い息を吐きながら眠っている。
今回は生活費が尽きたことが原因だった。つらいことがあったり、私と喧嘩すると彼はお酒を大量に飲む。
「これ以上飲んだら致死量かもー」と言って、私に心配させることで溜飲が下がるようだ。
彼は暴力は振るわない。いわく、理性的な人間は暴力を振るわないのだ、とのこと。
その代わりに物に当たる。未必の故意、ぐらいの感じで私が大切にしているものの周りの物に当たる。
あわよくば、偶然、私が大切にしているものが壊れてしまうのを狙っているんだろう。
私がキレて彼を攻撃すると、彼は免罪符を得て私の大切なものを直接壊しにかかる。
免罪符を得れば、その回の争いは晴れて、私が100%悪いことになる。どれだけ悪いことをしてもお咎めなし、不平等条約も結び放題だ。
俺:30歳 東京
父が60、母が40の時に俺が生まれた
子供の頃、父と出かけると「おじいちゃんと一緒でいいわね」と言われたりした
授業参観に来た親たちと並ぶと、母はやはり歳を食って見えた
当時はすこし思うところはあったけど、今となってはそんなのは何とも思ってない
現状
父 : 現在90、老後資金が尽きて下流老人へ(諸事情で年金はほぼ無い)
いまは実家に両親2人、なんとか自活できている
しかし母のこともあり、父の年齢もあり、長くて数年、場合によっては明日からでも立ち行かなくなるだろう
はっきりとは言われてないが、実家に帰ってこいムードを作られてる
何者にもなれてはいないが、ようやく仕事面では自己実現ができつつある
そんな中地元に帰るという事は、少なくとも今の「俺」という人間は死ぬ
誰しもいつかは通る道だとは思う
が、それを30そこそこで背負わされるのは正直きつい
一般的な年齢の両親から生まれてきた場合、介護問題に直面するのは40代中盤以降だろうか
それなりに上手く生きてきた人なら、それを受け入れられる体制も整いつつあるだろう
けど俺の場合はそれが「今」来た
また仮に、全く予定はないのだけど、
結婚しようと思った人が居た場合、俺の両親はどのように映るだろう
彼女未満の人が一応いるが、そのあたりのことは一切話していない
30そこそこの歳で相手の親が認知症だと聞いて、身構えない人はいるだろうか
40すぎて子供がほしいと願うのは構わない
舞台を観に行って、写真よりずっと格好いいし何よりスタイルがすごく理想的!と感じてストーンと落ちたのが始まりだった。
演技は正直普通。同じような役が多いということもあるが、カメレオンには程遠い。演技の幅は広くはないが、嫌いではない。
演技を見たいというか、演技をしている推しが見たい、という方が恐らく勝っている。
だがちなみに私は推しに貢いでると豪語できるほど貢げてはいない。
ハマり始めた当初から今日この日まで、プレゼントを送ったことはないし、舞台に出ると知っても面白くなさそうだと感じれば観にはいかない。
交通費がかさむから、という地方民のテンプレのような言い訳をするが生活費をゴリゴリに削って推しに捧ぐほどの覚悟と情熱を持っていない、と言われてしまえば私はぐうの音もでない。
舞台に出ると知れば情報をチェック。観たいと思えば東京まで足を運ぶ。
写真集など推しに関するものが発売されたのなら買う。接触イベであれば尚買う。複数買いする。
接触を何周かしちゃう。
これを、気がつけば数年。
ザ 中途半端。
それでも学生の頃から月の生活費が約半分になろうとも遠征していたし、ブロマイドもたくさん買ったし、手紙には惜しみのない賞賛ばかりを綴ったものを投函していた。
これで元気が出てくれれば、
あわよくば、応援してくれてる私のことを知ってくれたら。
なんて、
おこがましいと、図々しいと、
自分が一番思っている。分かっている。
だが心のどこかに、どうしてもそんな自分本位な欲が確かに、密かに、渦巻いている。
恥ずかしい。
「私のこと覚えてくださいね!」「私の名前なんだったか覚えていますか?!」
なんて、接触で若手俳優に認知を迫るファンを冷ややかな目で見ていた私にも、確かに彼女たちと同じ欲望を持っている。
私は特定のファンサが欲しいとか、名前を呼んでもらいたいとか、そういうわけではないのだ。
満足なのだ。
手紙読みましたよ、とか。
前のイベントも来てくれましたよね、とか。
そんな、容易いようで高度なことを推しに求める自分が嫌なのだ。
私は私で接触イベなどでどんな手紙を送ったとか、前のイベントでこんな話をしただとか、気恥ずかしくて伝えられないのだ。
推しと一対一で話せる状況で、一方的に1ファンの個人情報の話なんか聞いたところで、推しは楽しくなんかないのではないだろうか。
自分から認知をしているといったようなことは言わない。オキニ、オキラを作らず誰にでも当たり障りないある意味平等な対応をする。
真面目で誠実だ。
しかし例えば認知されたことがいつか発覚したとしたら、私は満たされすぎてしまうだろうか。
遠征する気力も、無くなるだろうか。
それは、怖い。少し怖い。
認知されたい。
いや恥ずかしい。されたくない。
私を見て欲しい。
いや見なくていい。私など雑草と思ってくれていい。
もっとファンサしてほしい、そんなだから固定ファンが増えないんだ。
いや、誰にでも平等に接することこそ、彼の最大の感謝の表し方なんだ。
相反する感情がずっとぶつかり合っている。
この数年を無駄にしたくないこともあるだろう、多少の惰性も入っている。
だが推しの存在が、少なからず今も気になるのも本当のことなのだ。
若手俳優ファンとしての私は一体どこに向かい、どこでゴールテープを切るのだろうか。
そこで推しではないけど、結構好きな俳優から、内容は伏せるがたまたま、ファンサをもらった。
本当にたまたま、その俳優の目にとまったのが私というだけのことなのだが。
これまでファンサをくれるような俳優を推してこなかった身なので、正直私はそれだけで一気に落ちた。
顔もスタイルも演技もいい。キャラはそれほど好みではないけど、盲目期なのでそれすら新鮮と思える。
推しを降りるつもりはない。だが今はこの新しい俳優の方が気になっている。
そして、あわよくば。
ゴールテープは、まだ見えない。
女側男側の意見があるので民族差別に対するもののような統一したポリコレはないよ。
とは言え、
家族は仕事(給料)に縛られてるから家族のあり方に多様性が出ていて、ポリコレは相性悪い。
多分あれは現実で、CMは理想(家族の「時間」を大切に)を見せるべきという人には厳しい。
介護や夜勤、残業の仕事のある人は時間よりも「生活費」を優先しなきゃいけないから羨ましい人も多かろう。
CM荒れたのは仕事の生活費ではなく仕事の人間関係をピックアップしたからでしょ。業務時間外の。
(個人的には、誕生日の業務時間外の人間関係は、仕事の人より家族を優先にする社会してほしいが)
他人と暮らすんだから苦しいのは当たり前だ。一人で暮らすのとは違う。
耐えられないなら逃げろ。もしくは録画録音して間に入ってもらって話し合え。
なんでかわからないけれど昔から、いつか貧乏になることが怖かった。
今も怖くて、お金の使い方が下手。その価値観や判断基準をまず見直すべきだというのは重々承知なのだけれど、お金を使うことに抵抗があって(物を買うのがそもそも好きではない)、消費せず経験せず年を重ねるのも怖くて、貯金がほしい。
収入:現状 普通預金967万+投資用の口座に206万=資産計1,173万
昨年度年収約500万、今年度見込み年収約600万(月平均60時間の残業代その他手当込)
支出:家賃3万+光熱費ネット計1万+被服費・交際費・娯楽費は月によるけど多くて3万+食費2万=生活費9万
計算:
今の収入、支出を維持すると年に収入600万-(支出9万*12ヵ月=108万)=492万の黒字、目標達成まで45ヵ月=3年9ヵ月
自分:
25歳、女、文系大卒(社会学、中堅国立)、海外営業(兼 営業事務、貿易事務?)。結婚願望もマイホーム願望も欲しいものも趣味もない。子供もほしくない。家族も自分も健康だし、両親ともそれなりに稼いでいるから、コントロールできない出費はない、はず。(友達も少ないからお祝儀貧乏にもならない)
3年9ヵ月後には30歳になる。それで、仮に貯金が3,000万あったとして、「よし安心だ、あとは稼いだ分好きに使おう」と思えたとして、なにに使おう?もう手遅れ?このペースで30歳まで貯金を続けるのも漠然と不安。
使うとしたら:
できること:
英語がまぁまぁ話せる。よく知らない分野でもとりあえず自分で考えて動ける。事務一般まぁできる。パソコンも一通り扱える。勉強するのが好き。人と話すのも好き。
遠くで暮らしてもいい。地方でも、外国でも。一人でいられる。暑さにも寒さにも汚れにも強い。(でも体力・筋力はそんなにない。)性風俗も大丈夫、と思う。割り切って数年で大金を稼ぐ方法?
計算その2:
1,827万ほしい。月1万多く稼げると、
ていうか:
こうやって計算して、大丈夫だと思うための材料を探しているけれども、既にもう、大丈夫だと思う。同世代の平均より稼いでいて、貯めていて、学歴も職歴も悪くない。最悪両親が稼いでいるし、兄もいるし。
今29歳。会社を3ケ月前に辞めた。
自分からは言い出さなかったけど、周りが勝手に学級委員とか何かの代表に推薦してきたり、
地方の公立小中を出たけどいわゆるヤンキーとも普通に友達だった。
クラスに馴染めない子がいたらそれとなく声をかけたりもしてた。
成績もまあまあ良かったから、推薦で私立の高校に特待生で入って大学に行った。
大学は入学直前うちにお金がないことがわかって新聞奨学生として学費と生活費を稼ぎながら通った。
大して勉強したいこともなかったが、周りがみんな大学行ってたから専門や就職は考えなかった。
学費の元をとろうと思って就活も頑張ったら第一志望の企業に行けた。
入社後最初はカスタマーセンターに配属された。電話が死ぬほど苦手だったので社会人生活終わったと思ったが、
すごく頑張ったら3ケ月後にナンバーワンになってた。
それから色々経験して、最終的にいわゆる会社の花形部署に配属されて思いっきり仕事した。
社会人7年目に入ったころ、上司から「あなたを管理職にしたい」的なことを言われた。
絶対嫌だと思った。今より残業が増えるし上層部に振り回されるしどんどんこの会社でしか生きられなくなる気がしたからだ。
ここで初めて、レールから外れた。
今までずっと、誰かが示してくれたレールの上を落ちないように走ってきた。
自分で考えるよりも先に、誰かが課題を与えてくれたから、それをがむしゃらにやってればよかった。
29年間、自分で考えることをサボってきた。
この3か月間、色々な本を読んだり、自己分析したり、勉強したりしてるけど、
自分がこれから何をやりたいのか、どうやって生きていきたいのかがずっとモヤモヤしている。
ネットにはよく「好きなことを極めろ」とか書いてあるけど、好きなことが見つからない。
受動的に過ごしてきたツケだと思ってる。
会社を辞めたことは後悔してない。自分が初めて与えられた環境にノーを言えたからだ。
ただ、今とても苦しい。
自分の進む方向を自分で考えて決断することが初めてだからだと思う。
また会社員として働くこともできるし、東京を離れることだってできるし、
都内私立に入学して「大学教授」と呼ばれる職業の人たちと出会い、憧れ、あんな風になりたいと思った。どうすれば大学教授になれるのかと思い、職業ガイドみたいな本を読んで、博士号を獲らないとなれないと書いてあった。姉に話すと猛反対され、就職することにした。猛勉強をして新聞記者になった。給料は良かったし、いわゆる「社会的地位」も高い。どこへ行っても「記者様」扱いをされる。でも、この仕事に興味は湧かなかった。新聞記者になればどんな有名人にも会える。総理大臣にも会える。権力が好きな人に新聞記者は向いている。自分はそういったことに興味はなかった。偉い人に会いたいとか、有名人に会いたいとかそういう欲求が少なかったから、新聞記者の仕事に夢を感じなかった。出世することにも関心はなかった。組織の中で上に行くことにどういう意味があるのか、それで心が満たされるのかと言えば、そんな風には思えない。多分、自分は変人の部類に入るのかも知れない。いわゆる「お勉強」が好きだったし、多分「お勉強」しか向いている分野がなかったから、社会人としてのスキルとかそういうのは身につかなかったし、身に着けたいとも思わなかった(社会人失格とか、社会不適合とか言われれば、受け入れる)。多分、大学の自由な雰囲気が好きで、そこに身を置きたいという欲求だけが続いたんだと思う。
30代になって会社を辞めて「お勉強」する目的で海外に留学した。最初は語学学校で、そのあと修士課程に入って、博士課程に入って気づくと40代になっていた。博士号はまだ獲ってないし、お勉強と研究は別物なので、実はあんまり研究には向いていないのかも知れないけれど、博士論文のテーマは一応決まったし、想像していなかったようなきっかけで研究予算をもらえたので、「研究しなければならない」という逼迫した立場になったけど、研究については今まで怠けていたとも言えるので、自分を訓練するいい機会になったと思って毎日資料を読んでる。
留学を始めたばかりのころは新聞社の給料が良かったから貯金がなかなかの金額になっていて、それで賄えた。修士課程、博士課程では返さなくていい奨学金がもらえた。運が良かったと思う。今は奨学金はなくなって、貯金も底をついたけど、大学で非常勤で何コマか担当させてもらえるようになって、大学生と同じか、それよりもうちょっといい生活ができる。40代の収入としては笑えるほど低くて、普通の人なら絶対にやらないと思う。大学で大学生相手に仕事をしていれば、自分の生活水準が低くても気にならないから自分は収入の低さはあまり気にならない。非常勤の講師でも初めて講義をさせてもらえた時は感動した。自分が大学生だった時に憧れた職業の最底辺の隅っこの下座も下座とはいえ、入り込めたと思うと泣けてきた。あと、口座に「給与」が払い込まれることにも泣けてはきた。「給与」を受け取るのは、新聞社を辞めて以来のことだった。最近、担当するコマ数が増えた。体力的にはそれだけ厳しくなるけど、生活費は楽になる。大学生と同じ生活をするのなら、少し貯金できるかもしれないくらいにはなった。後で聴いた話によると、少子化なので今後は新規の採用はしない。とのことで、それでも時々辞める人はいるから、結果として今すでに隅っこに入っている自分に担当が回って来たということらしかった。運が良かったと思う。もうちょっと遅く博士課程に入っていれば、非常勤の講師にすらなれなかった。非常勤の講師はアカポスとすらも言えないくらいの立場だけど、自分はそれになれたということにやはり今書いていていても感動してくる。
40代の大学の非常勤講師といえば悲惨な人生の典型例のように言われる。無駄に高学歴で、驚くほど年収は低く、いつ切られるか分からないからだ。そういうのが悲惨で耐えられないという人は、大学院には行かない方がいい。理系は企業に雇ってもらえるけれど、文系博士は大学の教師になる以外に道は残されていない。文系の博士には「著述」という道はあるけど、著述はけっこうしんどい上にあまり金にはならない。それでもいいやと思える人にしか勧められない生き方だけど、自分は大学という場の雰囲気に馴染みやすいと思うから、それでもいいやと思える。教授様になれるとは思っていない。老後のことも分からない。ある人は「詰んでいる」と言うかも知れない。でもやっぱり新聞社にいるより、今の方がいい。姉の反対がなければ人生の途中で新聞社に就職することはなかったと思うし、それがなければ学問の世界のキャリアをもっと積むことができて、もしかしたら教授様も狙えたのでは...と思うこともある。でも、会社を辞めて自分の願望を目指したのは次善の策だったと思う。あと、新聞社にいた時は贅沢な生活はできた。でも、今の生活の方が自分の好きな空間にいられる分、別の意味で贅沢できていると思うし、美味しいものを食べたり、高い服を買ったりするのは若いうちにさんざんやったので、今はあんまりそういうことにも興味はない。贅沢は若いうちにやっておいた方がいい。年を取ると無駄に目や舌が肥えて来るので、無駄な贅沢をしてしまうと思う。若いうちに贅沢しておけば、飽きが来るのでちょうどいい。
今後のことだけど、取り敢えず博士号は獲っておきたい。その後のことは分からない。いずれ帰国したいとも思う。帰国してアカポスに就けるほど甘くはないと思うから、生き延びるという点では今の大学にしがみつき続けるのがベストなのかも知れないけど、もし切られたら帰国するしかないなあとも思う。帰国したらどうしようか...ということは全く分からない。先が見えないという意味ではしんどい生き方かも知れない。でもやっぱり、牛のようなのろい歩みでここまでやれたことは正直に嬉しい。
父はとにかく考えることが嫌いで月々の生活費やローン、生活設計を考えない人間だった。
ガンで亡くなった母の病気のことも、十数年かかって寛解した妹のうつのことも、
俺が今うつで生活保護を受けていると言う意味も理解していない。
母親が病気になってからは、かなりきつい口調で自分で考えるよう母親に言われていたが結局改善しなかった。
父親として、家長としての機能はなく、働いて金を稼いで来るだけの存在だった。
一方、母はそんな風だから父の代わりに生活設計妹の病気のことも、進学問題も、全部一人で片付けていた。
妹がうつになってからは文字通り自分の身を削ってなんとか治そうとし、結局自分が病んで先に死んでしまった。
妹は5年後、母になり、そこから来る心境の変化か、うつは寛解し今は介護職で働いている。
父に対して恨み言はあるが、それ以上に言いたいのは、
夫婦ってのは思考能力レベルが同等じゃないと片方にひどい負荷がかかるってことだ。
うちの場合は父は自他共認めるATMで、それ故問題にかかわらなかった(母親に言われてもわからないと逃げ続けた)からまだマシで、
あれが攻撃的な正確なら「お前がちゃんと子供の世話をしてないからこうなった」となっただろう。
どちらかがとんでもなく幼稚な夫婦ってのは現実では家庭が破綻する可能性が高い。
いや、子供の成長に伴って問題が生じないならそれでも上手くいくかもしれない。
だが人生は進学問題、身体問題、精神問題、金銭問題、親戚づきあい、頭の痛くなる問題ばかりだ。
そう言った時に、片方が極端に問題解決能力が低いと負担は残る方に全て行く。
両方馬鹿なら夫婦揃って騙されて、騙されたことすら理解しないで済むかもしれないが、
片方が標準的な思考レベルをもっていると、最も身近な夫/妻が最強最悪のストレッサーとなる。
家やマンションを買う、あるいは夫や自分が転職すると言った時に出てくる諸問題に対して、
散々言われているが、早々に離婚した方がいいと思う。
俺は「基本的には生活保護から借金を返すのは認められないが、○○さんは労働の意欲も高いので例外的に数ヶ月様子見ます」って言われたよ。
一個訂正。
借金40万ってかいて、今は300万って書いたけど、最初の40万は奨学金を足してなかった。
だから正確には140万→300万の160万増加が正解。
生活保護中に借金すると、収入扱いになり、その分支給を減らされる。
収入として報告しないと不正受給になることを知ったが、後の祭り。
40万は元々のカードの返済とパソコンのローンの返済で月2万、それから住宅補助から足が出る分で月3万の 5万x8ヶ月=40万
残り80万は生活費と飲食代と生命保険、壊れた家電の買い替えで大体消えた。
正直頭おかしくなってたんだと思う。
元々酒は大して飲めないのに日中から酒飲んで四六時中食って、体重は30kg増えて100kgの大台を突破した。
元々ストレスが貯まるとどか食いする方だったんだけど、1日6食+酒+おやつとか気が狂った食い方してた。
家電はほぼ10年使ってたからそろそろやばいかと思ってたけどタイミング悪かった。
生活保護なら医療費かからないから保険いらないだろって言われるけど、