舞台を観に行って、写真よりずっと格好いいし何よりスタイルがすごく理想的!と感じてストーンと落ちたのが始まりだった。
演技は正直普通。同じような役が多いということもあるが、カメレオンには程遠い。演技の幅は広くはないが、嫌いではない。
演技を見たいというか、演技をしている推しが見たい、という方が恐らく勝っている。
だがちなみに私は推しに貢いでると豪語できるほど貢げてはいない。
ハマり始めた当初から今日この日まで、プレゼントを送ったことはないし、舞台に出ると知っても面白くなさそうだと感じれば観にはいかない。
交通費がかさむから、という地方民のテンプレのような言い訳をするが生活費をゴリゴリに削って推しに捧ぐほどの覚悟と情熱を持っていない、と言われてしまえば私はぐうの音もでない。
舞台に出ると知れば情報をチェック。観たいと思えば東京まで足を運ぶ。
写真集など推しに関するものが発売されたのなら買う。接触イベであれば尚買う。複数買いする。
接触を何周かしちゃう。
これを、気がつけば数年。
ザ 中途半端。
それでも学生の頃から月の生活費が約半分になろうとも遠征していたし、ブロマイドもたくさん買ったし、手紙には惜しみのない賞賛ばかりを綴ったものを投函していた。
これで元気が出てくれれば、
あわよくば、応援してくれてる私のことを知ってくれたら。
なんて、
おこがましいと、図々しいと、
自分が一番思っている。分かっている。
だが心のどこかに、どうしてもそんな自分本位な欲が確かに、密かに、渦巻いている。
恥ずかしい。
「私のこと覚えてくださいね!」「私の名前なんだったか覚えていますか?!」
なんて、接触で若手俳優に認知を迫るファンを冷ややかな目で見ていた私にも、確かに彼女たちと同じ欲望を持っている。
私は特定のファンサが欲しいとか、名前を呼んでもらいたいとか、そういうわけではないのだ。
満足なのだ。
手紙読みましたよ、とか。
前のイベントも来てくれましたよね、とか。
そんな、容易いようで高度なことを推しに求める自分が嫌なのだ。
私は私で接触イベなどでどんな手紙を送ったとか、前のイベントでこんな話をしただとか、気恥ずかしくて伝えられないのだ。
推しと一対一で話せる状況で、一方的に1ファンの個人情報の話なんか聞いたところで、推しは楽しくなんかないのではないだろうか。
自分から認知をしているといったようなことは言わない。オキニ、オキラを作らず誰にでも当たり障りないある意味平等な対応をする。
真面目で誠実だ。
しかし例えば認知されたことがいつか発覚したとしたら、私は満たされすぎてしまうだろうか。
遠征する気力も、無くなるだろうか。
それは、怖い。少し怖い。
認知されたい。
いや恥ずかしい。されたくない。
私を見て欲しい。
いや見なくていい。私など雑草と思ってくれていい。
もっとファンサしてほしい、そんなだから固定ファンが増えないんだ。
いや、誰にでも平等に接することこそ、彼の最大の感謝の表し方なんだ。
相反する感情がずっとぶつかり合っている。
この数年を無駄にしたくないこともあるだろう、多少の惰性も入っている。
だが推しの存在が、少なからず今も気になるのも本当のことなのだ。
若手俳優ファンとしての私は一体どこに向かい、どこでゴールテープを切るのだろうか。
そこで推しではないけど、結構好きな俳優から、内容は伏せるがたまたま、ファンサをもらった。
本当にたまたま、その俳優の目にとまったのが私というだけのことなのだが。
これまでファンサをくれるような俳優を推してこなかった身なので、正直私はそれだけで一気に落ちた。
顔もスタイルも演技もいい。キャラはそれほど好みではないけど、盲目期なのでそれすら新鮮と思える。
推しを降りるつもりはない。だが今はこの新しい俳優の方が気になっている。
そして、あわよくば。
ゴールテープは、まだ見えない。
こんなレベルで対応されたいとかおこがましい 死んで
これでおこがましいってあんたどれだけ貢いでんのよ。 マジで気になる。
ゴールテープを切ってゴールしたと思ったら、遥か彼方に見えるゴールテープ。。