以前ブコメ等で「リベラルは不倫に対して寛容であるべきだ」と書いたことがあります。
このタイミングにおいて、この件についてもう少し書いてみたいと思います。(*追記:できれば文末の追記1〜4まで含めてお読みいただければと思います)
リベラリズムにおける基底的な考え方の1つとして、「善に対する正の優越」という考え方があります。
この考え方は、リベラリズムは特定の「善の構想」(何が善い人生であるか)を前提することなく、それぞれの個人が持つ「善の構想」を各人が自由に追求するための「フェアなルール」を整備することを目指すものである、という考え方です。(*この説明で腑に落ちない方は、「善に対する正の優越」や「善に対する正の優先」で適宜ググってみてください)
例えば、リベラリズムは「結婚すること/結婚しないこと」について特定の善の構想を持ちません。つまり、結婚する人生も、結婚しない人生も、どちらが「善い」ものかということについてリベラリズムは関知しません。リベラリズムが目指すのは、「結婚する人生」が善いと思う人も「結婚しない人生」が善いと思う人も、どちらも”えこひいき”することなくフェアに暮らせるためのルールを整備することになります。
私は、上記の「善に対する正の優越」という意味で「リベラルは不倫に対して寛容であるべきだ」と考えています。
多くの人々の感覚とはズレるかもしれませんが、「不倫は悪いもの」というのも人生における「特定の善の構想」を前提とした考え方になります。人には色々な事情があり、家族には色々な事情があります。色々な事情に応じて、人々には色々な「善の構想」が — 甘いものも苦いものも酸っぱいものも含めて — あるわけです。
もちろん各人の「善の構想」の追求も無制限に許されるものではありません。例えば、他者に危害を与えるような「善の構想」の追求は当然に制限されることになります。その意味で、「不倫」についても不倫行為により危害を受けうる当事者の家族や親しい関係者から非難されたり断罪されるのは正当なことでしょう。どんどん非難されたり断罪されたり(あるいは赦されたり)するとよいと思います。
逆に言うと、不倫行為について非難したり断罪することの正統性があるのは、その当事者の家族や親しい関係者だけだと思います。関係ない第三者が他人の「善の構想」に口をはさむというのは、(その構想が他者の人権の尊重に抵触しない限り)少なくともリベラリズムの立場からは、やるべきではないことだと私は考えます。
また、そもそも、「誰を愛するべきか/誰と一緒にいるべきか」について社会(関係ない第三者)から指図されない、というのは現代において我々が獲得した「自己決定権/人権」の中でもかなり基底的なものなのではないでしょうか?
上記の考えから、私はこれまで報道された有名人の不倫について非難したり断罪したことは一切ありません。
今回、小室哲哉さんが「不倫疑惑」によって 昨今の不倫に対する不寛容な世間的アングルの中で出た、不倫に対する疑義についての報道を契機として(しかも、不倫に類する行為は実際には存在しないであろうことがほぼ明白であるにもかかわらず)(*追記2)、その潜在能力の発揮が妨げられることになったのは、リベラリズムの信奉者として残念としか言いようがありません。
(リベラルが考えるべきなのは、その不倫行為等の帰結により何れかの潜在能力の充足が果たされないような状況 --- 子供の貧困など --- を生じさせないためのルール整備だと私は考えています)
#追記:殺人への第三者からの批判については本文中の"(その構想が他者の人権の尊重に抵触しない限り)"の但し書きの部分に該当すると考えています。「他者の人権の尊重」に抵触する行為については第三者からの批判は当然許容されるべきです。
#追記2:小室さんへの言及が舌足らずだったので変更しました。ブコメでご指摘いただいた方、ありがとうございました。
#追記3:私が勉強不足なのは認めます。皆様のブコメは大変勉強になります。「不倫」ではなく「婚姻外恋愛」としておけばよかったですね。あと色々異論は全然たくさんあると思うので異論をたくさん書いていただければ嬉しいです。(*特にガチプロがガチプロの観点から何か書いてくれれば嬉しいなあ)
#追記4:「現状でリベラルが不倫に不寛容である」とは一言も書いていない(し思ってもいない)のですが。。。以前に「リベラルは不倫に寛容であるべき」とブコメ等で書いたときに、「何言ってんだこのクソ馬鹿野郎」みたいな反応をいくつかいただいたことがあるので、自分としての上記の考えの理路をメモ的にまとめたのが本エントリーです。「リベラリズムの敗北」は道徳主義的人民裁判みたいなもので人の社会的人生を終わらせてもやむなしという世間の流れが定着したことを指したものです。
そもそも本人は不倫はしてないって言ってるし、マスコミが非難に使う「不倫」の定義もあいまい。 文春でもテレビでも、彼らにとって「不倫」は「セックス」を伴うものとは限らない...
小室の「不倫」、本人が認めているのは「家族以外への精神依存」ということだよね。これ、相手が男性の看護師だったなら文春は「洗脳」報道していただろうね。かつての貴乃花やオ...
断罪とは具体的になにを指すのか?
日本の自称「リベラリズム」がダメなのは、「善に対する正の優越」とかいいつつ人権を中心にものを考えられないところ 人権を中心に論理を組み立てれば「善に対する正の優越」など...
リベラリズム自体がコミュニタリアニズムのつまみ食いでしかないは昔から指摘されてたから。 それに人権をメタに考えるのは人間には無理なんだと思う。肉体があるかぎりそりゃ枠組...
じゃあ酒気帯び運転なんかも被害者だけが非難すればいいのかな?
新手のかまってちゃん。「善に対する正の優越」なんてぐぐっても怪しげなサイトしか引っかからんぞ。
これの事か https://eow.alc.co.jp/search?q=%E5%96%84%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E6%AD%A3%E3%81%AE%E5%84%AA%E8%B6%8A
「誰を愛するべきか/誰と一緒にいるべきか」について社会(関係ない第三者)から指図されない、というのは現代において我々が獲得した「自己決定権/人権」の中でもかなり基底的...
リベラルであることと、『(残念な)リベラリズム』を、分けて考えたいんだよなぁ。何でもかんでもリベラリズム敗北って言うのは、自分の首絞めるだけだから嫌だわ リベラルの敗北、...
言いたいことはなんとなく理解したけど日本人全員がリベラルなわけじゃないだろう そしてリベラルじゃない人にリベラル思想を押し付けるのもリベラルじゃないって事でおk? また...
〉殺人への第三者からの批判については本文中の"(その構想が他者の人権の尊重に抵触しない限り)"の但し書きの部分に該当すると考えています。 じゃあKEIKOが「結婚したとき...
他者の人権の尊重を阻害したら、第三者は批判可能というところが理解できない。 他者とは誰なのか。今回は不倫された側が人権の尊重を阻害されたと言えないか。 殺人の場合も第三者...
リベラルが不倫に不寛容という根拠もクソもない仮定になんか言っても藁人形だろう。 不寛容なのか?
再開
婚姻関係の不義は人権侵害じゃないの
物言いが難しくて何言ってるかわからん
小室哲哉に対する記事から同情するべき部分があった.その同情から派生して「不倫=悪」と宣伝するのは不味いと言う記事があった.何か感覚が違うなと思っていたので,とりあえ...
議員や企業経営者ならまだしも、自分の制作物を娯楽として提供しているに過ぎないアーティストやスポーツマンを 「権力者」のカテゴリに入れてしまうのはどうかと思うけど。
発言力を影響力とみなして、権力と見なしてる。自覚、無自覚に関わらず発言力があるなら影響力もあるとみている。 実利に関する政治家や経営者の方が気をつけるべきなのには...
https://anond.hatelabo.jp/20180120101421 元増田は「リベラルは他者の不倫行為に対して寛容であるべき」と述べているが、寛容という言葉の意味が分からなかった。 今の法律は、不貞行...
低能ネトウヨに細かいところを突っ込んでも100%逃げる結果に終わります
とりあえず弱いやつの味方をして強いやつを叩きたいというのが多数派なんだろうけど 関係に実態に則して法律で細かく分類されていなくて婚姻契約が一種類しかないからグダグダにな...
リベラルが不倫に対して不寛容なのは確かにおかしいと思うよ。 迷惑かけた関係者に謝罪はわかるけど、なんで世間にまで謝罪するのか意味がわからないと思う。 でも小室哲哉の時だけ...
不倫はパートナーシップに対する契約違反だからじゃないかな。 これは不倫ではない、同意に基づくポリガミーだ!とか言えばリベラルさんもニッコリ。
つうかそもそも不倫を叩いているのは「リベラル」なの? たとえば誰?
ゲス川谷も「誰に謝れば良いのかわからない」なんて言ってたけどまさにそうだな 奥さんはともかく世間に謝る必要など別にない
「善に対する正の優越」が実現されることが理想であるというのは、「善に対して正が優越することが『正』である」のか「善に対して正が優越することが『善』である」のか、どちら...