私は自分自身が毒親にならない自信がなくて、今までそういう本を読み漁ってきました。
実際そうできているかは、子供達が大きくなって、家庭の価値観にとらわれずに物を見ることができるようになるまでわかりませんが。
母親になるために我慢することも諦めてきたこともたくさんあります。
おかあさんだから諦めたのではなく、おかあさんになるために自分で選択したのです。
私の辛抱は何においても一つも子供のせいではなく、だから子供は少なくとも私の犠牲の上に成り立ってはいない。
そして私は私の責任において、時にちょっとした我儘も言う。しかし決してそのために子供を不幸にするようなことがあってはならない。
その我慢をどこに噴出させることもなく最後までやり遂げるのは美談かもしれないが、
余程強い精神力と体力の持ち主でなければ最後まで無理をやり遂げられる人間などほぼいないのだから、
自分を過信しないで、自分の感情は自分の中だけできちんと処理できるよう、休むなりして対策を取る。
それほど器用にできてはいないかもしれないが、そういう私の姿勢から、我慢や無理をしすぎず責任を果たすということを学んでくれることを願っている。
そして子供も、誰からの負い目も感じることなく、誰のせいにもせず、自分自身の責任において、そして決して無理をすることで自分を追い込まず、しっかりと人生を歩んでいって欲しい。
それが私の見つけた、子供を愛するということです。
あの、おかあさんが諦めたものや我慢しているものばかりを恨み節のように挙げ連ね、最後に全部あなたのためよ、あなたを愛しているからなの、と呪いのように締めくくるあの歌が、まだ幼い子供に向けて発信されることは、私の努力が水の泡になるということなのです…
だから、あの歌を許容することができなかった。
(みなさんがおっしゃる通り、大人向けに作られ、子供が触れることがない歌なら、まああまり好きな考え方じゃないけど…という程度で、それほど攻撃する必要もない話だったのです。)
それを言いたいがために、あなたを傷つけてしまったことは本当にすみませんでした。
横だけど、この増田のように自分の心中の闇を自分で見つめられるかどうかが、毒が連鎖するかしないかの境目なのかなという気がした。 傷ついた!傷ついた!と言っているだけだと、...
でもまあ考えてみたら、これから子供たちはたくさんのコンテンツに触れていくわけで、 この歌はまったく共感できないけれど、そういうものを排除するよりは、 その中には私が間違っ...