主張しておくのは以下。
(1):本放送は日本国内のTVの電波で流された放送であり、放送局は日本国内をターゲットとしてその放送の責任が発生する。
(2):肌を黒く塗ることに関して差別的な意図がある文化は日本では醸成されていない。
(3):黒人に対して悪な意図を持ってエディー・マーフィーに扮してはいない。
海外在住の外国人に差別だと言われる件については(1)により関係ないで通せば良いし、その責任を持つべきではない。
キャプチャとかYoutubeのアップロードとかほんとに知らんでよい。
放送を見た日本にいる外国人に対しては(2)(3)のことから日本では差別ではないので理解してくれと説明する。
国際的云々に関して、それって何?
自分は
・互いの文化やルール、表現を尊重し多様化を認めて許容すること
・上を踏まえた上で、衝突する場合はお互い一番傷がつかない落とし所を探ること
・上を踏まえた上で、自国の文化に沿って相手国の文化やルール、表現を自国の理屈で一方的に削ることを強要しないこと
・上を踏まえた上で、自国は外国の文化やルール、表現にあえて置換したり、並列化することで何らかの効率を著しく上げること
と思っている。
要は個性を認めた上で効率的にお付き合いできるようにしましょうである。
なので他国へ渡ったとき、その国の文化やルール、表現での拒否反応は当たり前であるし、理解を深めて許容すべきと思うし
自国は外国の文化やルール、表現に単純に倣うことは違うと思っている。
日本以外黒塗りが差別に当たるとしても、日本で差別では無い文化なら他国はまずそれを尊重すべき。
異国の文化やルール、表現のあり方を許容することも国際的というなら必要な感覚だと思う。
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その代わりにもっと大きな視点での外国人という括りに対して差別はあると思っている。
が、公的な表現媒体上でほぼ見ることがなく、ネット上の落書き的な場所や
リアルでの仕事や何らかのサービスを受けるときの対応に寄っていると認識している。
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ボクシングや相撲等格闘技、大好きな映画、漫画、小説すべてアウトになるよね。誰も得しない。
パワハラにも当たらない(と思う)。
ベッキー自体あんなことがありながらも本気NGな案件を強要されるほど芸能界の中で立場は弱くないし
現地点ベッキー本人は問題ないとしているのでこれを受け入れるしか無い。
エディマーフィーのロウっていうスタンダップコメディを撮影した(?)映画みた事があるけど。本人差別ネタきわどいネタやるのがお得意な人だしね。個人的に不快に思う事はあって...
それこそはるか昔には土人みたいに完全に差別としかいいようが無い物言いの人もいたし、今もいないとは言わないけど。 黒人の歴史を大して知らないって意味では日本人の事だって大...
そもそも「黒人」って概念は、日本人も中国人もインド人も「アジア人」と呼ぶみたいなザックリした概念で、アイデンティティの有りようとして雑な分類過ぎると思うんだが。肌が黒...
まぁ黒人さんたちは肌が黒いという理由だけで人間扱いされなかった歴史があるから差別を語る上で「カテゴリー:黒人」で括られるのは仕方ない部分もあるんじゃないかな?