はてなキーワード: 校長とは
あの記事で違和感なのは、性別による服装云々という問題より、多様性という口でなぜ制服を定めているのかということだったよ。
校長は「周りと同じじゃないといけない、という環境では、安心して自分を表現できません。」
って言ってるけど、選択肢がいくつかあったところで、制服じゃ皆が似たような服装することに変わりはないじゃない。
「自分のありのままを表現でき、他人のありのままも受け入れる経験をしてほしい」って私服でこそかなうものじゃない?
あとあの子は「足の動きが自由になるのが楽しかった」とかいうけど、女を40年以上やってる身としてはズボンの方がずっと自由なのよ。
タイトスカートなんてズボンより不自由だし、スカート履いてっと足閉じろ言われるんだから。スカートめくりが有効なのは女が履く時だけだろうが。
あいつは女が履くスカートの不自由さを知らない。その不自由さも知らんで足が自由〜♪みたいなこと言われるとイライラするわ。
母親も母親で「外国では男性がスカートをはく国もありますよね」とかいうけど、キルトのことか?
元鬱病者です。
鬱病になったきっかけは、親のDVと小中で虐められてきた事が始まり。
幼児の頃から殴られて、学校から帰ったら酒浸りの父親がいて気に入らないことがあれば、いきなり「しつけだ」といって殴る。
しつけも何もただ勉強しているだけで殴られました
学校へ行けば、お前の親父はヤクザと言われ馬鹿にされ暴力こそないけれども、村八分状態。
父親はヤクザでもなくて、ただのチンピラみたいなものだったのに。それでもイジメられる原因にはなるんですけれど。
なにか物が無くなれば、私のせいにされ学校では教師も混じって集団リンチ。
小学校のときは校長先生だけが味方でした。私は挨拶を欠かさなかったのと校長先生の菜園を見ているのが好きで、よく遊びに行っていたから優しかった。
中学に入り、小学校の時よりも親に殴られ体中傷が付いて学校へ行って、今度は暴力が始まりました。
教師に伝えても、教師は何もしてくれない。「気のせいだよ」と言ってくるだけ。
何度かイジメの現場を目撃しているのに「遊んでいないで早く下校するように」と言われたときにはショックでした。
家に帰って、それを伝えると父親にまた殴られる。殺してこいみたいな事を言って、虐められた方が悪いと言ってきました。
家では相変わらず殴られ、時には血を吐いたり。学校ではモップなどで殴られ、金具で肌を切ったりで血が出て。
体中傷だらけだから、学校で虐められてもわからないんですね。誰に言っても聞いてくれない。
周りはどんどん灰色になっていく日々。動くのも辛い日々です。でも、家にいればもっと辛い。
まだ今みたいに鬱病という病名が世間で有名になっていない時代だったので、鬱というものがわかってなかったのですが、
後々に精神科医に確認したら、それは鬱病だったんだと言われました。
朝起きたら『生きてるんだ』と思い、夜になると『明日は死ねるかな』と思って毎日続けてきました。
本来選んでいた学校は中学3年の時の担任に願書を握りつぶされてしまい間に合わず、残った底辺高に嫌々入る事になりました。
握りつぶされた理由は『体中に傷がある』という理由だけでした。
イジメの関係で学校の名前に傷がつくというのを避けたかったみたいな事を濁しながら言われたときは信じられなかったです。
底辺高校に入り、当然イジメられるんだろうな…と思ったのですが、不良というのは生意気な奴ほどイジメの対象にするみたいですね。
入ったときから何に対しても無関心で、明日は生きているかなと思うだけの毎日だったので覚悟はしていたのですが
家で殴られるくらいなら高校で殴られていた方が気分的には楽でしたから、拍子抜けです。
むしろ彼らは私を守ってくれる側に立ってくれました。良いように聞こえますが、不良は不良です。当然悪事も働いていましたし、私はそれを見てきました。
後で聞いたのですが、私がイジメられなかったのは、もう何をしても死にそうだったからだそうです。
彼らは、なんとなく始めた私の身の上話を聞いてくれて「よく生きてんな」「すげーじゃん」「マジぶっ殺してやりてえな」と褒めてくれたり、同情してくれました。
世間から見れば、彼らは悪い子供たちですが、私にとってはカウンセラーでした。
彼らは大人には反抗するけど、私みたいなのには優しくて身を守る術などを教えてくれました。
毎日死ぬのかなと思っていた時間が嘘のように変わり、毎日が楽しくなったんです。
もともと会話をすることはキライではなかったので、接客業は私にとって天職とまではいかないにしても好きな仕事です。
あらゆる接客業に携わりたくて、高校卒業後から20代前半まではコンビニ・ファミレス・電気店・水商売・娯楽で働きました。
ちなみに親はしばらくして身体を壊してあっけなく終わりました。
これまで生きるのが辛いほどの暴力とイジメと大人の汚い所を経験してきました。
結果として鬱病になりましたが、高校で出会った人たちのおかげで元に戻ってこれた。
私の場合は家に籠もることも出来ず、外で暴力を受けていた方が楽と感じました。
辛い日々でしたが、外に出ていたおかげで治すきっかけも得られました。
今の人たちは内に籠もってしまうので、治すきっかけが少ないかなと感じます。
私にとっては、たまたま不良の彼らが居てくれたから元に戻れたのだと思います。
時代的に人情などは古い骨董品のような扱いになってきていますので、なかなか出会いはないかもしれません。
が、どんなに辛くても立ち上がるという行動はしてほしいと思います。
こんな事を匿名はてなで書いても嘘話と笑われてしまうかもしれません。
しかし、実際に経験してきた私としては鬱に苦しんでいる人には立ち直ってほしいと思います。
きっと増田の中にもきっとそういう人はいるんじゃないかなと思います。
負けないでほしいと。
いじめられている、という申告が生徒から出た場合、学校はどうするか。
その作業は担任にしかできない。日ごろからクラスをみてるのはその担任一人だけだから。
専科の先生たちや教頭・校長はなんとなくはみていても、クラスの内部での細かい人間関係までは把握できていない。
軽度のいじめの場合、問題があると認識したらまずその生徒に注意する。ほとんどのケースはそれでおさまることが多い。
それ以上の深刻な問題の場合、担任が教頭・校長と相談し、必要であれば保護者を呼んで面談することになる。
いじめに絡んでいるのが複数人の場合、複数人の保護者との話し合いを重ねる。
保護者が比較的まともな親のみであった場合はそのプロセスを経れば解決することもある。
が、保護者がまともな親ではなかった場合(自分の子どもがしたことを客観的に判断できない場合とか)はスクールカウンセラーや教育委員会をはさみ、家庭相談員などを介して問題解決をはかることになる。それはすごく時間も手間も精神力も削られるし生徒側も学校側も相当しんどい時間を過ごすことになる。(余談だがそんな重役を仰せつかる家庭相談員はパートの非常勤であることも少なくない・・・)
そんなプロセスを経るのだが、いかんせん通常の教師の仕事が激務すぎて、それ以上のことが起きたら時間的にもリソース的にも対応しきれないような現状。
そうなるとどうなるか。精神面で相当タフな教師なら持ちこたえられるが、まともで真面目な普通メンタルの教師はだいたい精神を病む。その結果、突然職場に来れなくなるなどの症状がでる。長期休暇コースである。それでも立ち直れず、あるいは教職に絶望し、教職を離れてしまう人も少なくない。
担任がリタイアしてしまった場合は教頭と校長で引き継ぐのだが、如何せん人間関係や日頃の様子はそこまで把握できていないのでその状態での引き継ぎになる。
すでに残っている教師は精神面で相当タフな人か、相当マイペースな人か、問題を見ないですませてしまうタイプの人か・・・というように現時点で何パターンかにある程度ふるい分けられていると思ってもいい。もちろん地域差による生徒数の格差や各自治体のコミュニティの傾向などもあるが、生徒数が多い学校ではトラブルが起きないことはまずない。
最近は教師の威厳も権限もまるでないから子どもも先生を見下してたりする。頼りない新米教師の場合、学級崩壊も簡単に起こったりする。
生まれつきのアトピー性皮膚炎だった。今はかなりマシになって、割と気楽に暮らせているが、子供の頃は症状がひどくつらいことは多かった。
特に苦労したのが食物と衣類だった。食べ物の話は省略するとして、着るものは基本肌触りの良い綿のものしか着られなかった。それでも首周りが非常に敏感で、襟がついたものなどがほぼ無理だった。首に布が触れているとすぐにかきむしって首が赤くなってしまう。
小学校は田舎の公立だったので、制服等はなく、着るものは特に苦労はしなかった。
問題が始まるのは中学校からだった。同じく田舎の公立の中学校だったが、もちろん制服があった。制服というのはたいてい綿生地ではない。そしてうちの学校は男子は学ランだった。学ランというのは、中にYシャツを着た上で、詰襟の学生服を着るものである。当然こんなものは着られなかったので、入学前に校長との話し合いがあった。
端的に言って、クソだった。校長はこちらが何を言っても「私服登校は認められない」「代替のものを用意してほしい」「ただし見た目は同じものにしてほしい」それしか言わなかった。そもそも首に襟が触れるのが無理だと言っているのに、見た目を同じにしたら実現不可能だろうが。
といっても親としては仕方がないので、制服を作っているメーカーに行き、着られる素材で制服をオーダーした。Yシャツも特注した。
それでも無理なものは無理なので、私はYシャツの上の方のボタンを開けたり、Tシャツを着たりして、学ランも第1ボタンとか第2ボタンまで開けていた。
学ランが制服だった人はわかると思うが、たいていの学校で学ランの第1ボタンを開けていると怒られる。なんで怒られるのか、だれも理由を説明できなかったが、とにかく怒られる。生徒指導というやつは、理由も説明できないことで怒ってくるので最悪であった。こちらがアトピーの話をしても、それをわかった上で「ルールだから」と強制してくる。
小学校の頃はおとなしい方の男子として生きていたけれど、こうなってしまうと完全に周りからは不良として扱われた。ので、もうおとなしく真面目に過ごすのは止めた。
まず、毎週火曜日に実施されていた朝礼を、卒業まで全部サボることにした。どうせ校長の話くらいしかされないわけで、もうこの校長が俺の人生に何らプラスの影響を及ぼすとは到底思えなかった。朝礼が8:30から始まるので、火曜は8:50(授業開始時間)に登校した。朝礼に遅れて、8:35くらいに体育館に走っていくと生徒指導に怒られるのだが、最初から行かなければ誰にも怒られなかった。
次に、教師がいるところで遊んでいるとすぐにボタンを閉めろと怒られるので、保健室登校をするようになった。教室に居場所がなかったわけではない。が、それでも休み時間等に見つかって怒られるので、逃げた。幸い保健室には本物の不良等がいたので、そこで怒られることはなかった。また、保健室の先生はこういうことで怒ってこなかった。むしろ気が合ったのでいろんな話をした。
保健室や用務員室によく行くようになると、そこにもともといた不良や、教室に馴染めなかった人とも結構仲良くなった。ここで仲良くなったやつとは今でも付き合いがあるくらい。
授業はそれなりに出ていたけれど、授業中に服装について注意してくるのは、生徒指導や限られた教師のみで、そのときにどうこう言ってくる人は多くなかった(事情を察してくれる先生もいた)。
そんなわけで、本当に最初のころは辛かったけれど、後半2年くらいは適当に過ごしてなんとか乗り切れる程度の生活をしていた。
受験シーズになった。田舎の県立高校はだいたい中学校と同じく制服が存在する。この絶望的な制服縛りをもう3年やるのは勘弁だったので、どうしたもんかと思っていたのだが……。
私は高専というものを知ってしまった。高専は大体の場合制服がない、私服登校が許可されている。ただし専門分野がえらく限られ、そもそも入学時点で学科を選択する必要がある。
が、あまり悩む必要もなく学科は即決し、受けることにした。学校見学に行くという話をしたら、後ろの席のやつが「高専って偏差値高いぜ?お前入れると思ってんの?」と言ってきたので、無視した。
そうだよね、第1ボタン開けて保健室登校して朝礼サボってる遅刻魔が、そんなにいい学校行けるとは思わないよね。と思ったけど面倒なのでこれ以降、同級生に進路の話を一切せず「ニートになる」と言っておいた。
幸いにも、理科と数学だけが異様にできたので、「たぶん大丈夫じゃね」という言葉を塾の先生からもらえた。
その言葉の通り、大丈夫で普通に合格した。中学校の同級生は、未だに私がどこの高校に行ったか知らない人がほとんどだろう。
一応校則もあるらしいのだが、言われたのは「校内で喫煙をしてはいけない」「校内で飲酒をしてはいけない」ということだけ。入学初日から茶髪金髪は普通にいる。
制服の呪縛から解き放たれた私は、元通りおとなしく過ごすことができて、心穏やか。
授業は若干ハードではあったけれど、同級生はどんどん留年していくけれど、幸いにも即決した専門分野にえらくハマって、学校が死ぬほど楽しかった。特に4年、5年は毎日24時過ぎまで学校にいた。
その後は「スーツを着ないで就職する」という難題が待っていたのだけれど、それは別の話。
最近は流石にアトピーの人も増えただろうし、学校もこういう前例がいっぱいあるだろうし、柔軟な対応をしてくれると信じたい。
だが、昨今のブラック校則の話を見ていて、もし現代に自分が中学生だったら乗り越えられなかったかもしれないと思った。私はたまたま運良く平和な不良生活ができて、その後も特に困ることもなかったけれど、万人におすすめできることでもない。
ただ、あの頃の自分と、もし今同じようなつらさを抱えている人がいたら伝えたい。教師に怒られるのは面倒だし、そのときは嫌だろうけど、お前の皮膚は一度かきむしったらその後もかゆいし、血は出るし、完全に元通りに回復するまで1ヶ月以上かかる。そして怒ってくる教師は、俺のアトピーの悪化とそれに伴う将来について一切何も面倒を見ないし責任も追わないだろう。だから気にせず校則なんて破れ、お前の皮膚のほうが全然大事だ。怒られても血は出ないし、回復に1ヶ月を要するようなことはない。
小学生の頃、皆放課後になるとその辺で1番でかいk公園に集まって遊んでいた
そこで持参したお菓子を友達とシェアしていると毎度決まって現れるのが「カシクレ」だった
近所に住んでる60か70代の灰色の髪のちいさいじいさんだ。
カシクレはお菓子の袋を開けると出現し、「それおいしいか?おいしいか?」と言いながら私たちに絡んでくる
ここで一つ差し出せばすぐ去っていくので、「なぜ知らんじいさんに菓子を分けてやらにゃならんのだ?」と疑問に思いつつもカシクレに絡まれたらとりあえず袋から一つ与えていた。(都市伝説に出てくるお化けの対処法でありそう)
本当か知らんがただ菓子を乞うだけではなく、「入れ歯を見せてきた」「みかんを食ってそこら辺に皮を捨てていた」「チャリを取って持ち上げられた←?」など奇行の噂もあった
何度か菓子を取られる経験をした私たちは呑気にそこらで菓子を食ってる場合ではない。カシクレの気配を察知してチャリで逃げたり、近くに居ないのを確認してお菓子を分け合って食ったりするようになった
何かに追われている感が非日常的でわくわくした私たちはカシクレが居た痕跡を探して探偵ごっこのような事もした(ここにみかんの皮があるぞ...まさかカシクレか...?!)
それからカシクレの噂はどんどん広がり、とうとう学校の先生のところまで到達した。私たちは校長室に呼ばれ、カシクレという不審者について事情聴取されたりもした
そんなこんなで一、二年後、私は小6になった
同じマンションの子とk公園で2人で遊んでいると、気づいた頃には既にカシクレがそこに居た
しばらく彼を見ていなかったため油断していた
「飴あげる」
カシクレはなんと「カシヤル」に 変貌していた。
「あ、ありがとうございます.........」
困惑する私たち2人、ポッケにさっと入れてやり過ごそうとした。
「食べて」
怖っ、今までクレクレ爺だったくせに
言われるがまま口に入れる
「どう?」
「お、おいしいです............」
満足したのか去っていった
ここまで「頭のおかしい爺さんがいた思い出」みたいに書いたけど、このじいさんは頭のおかしな不審者ではなかったのでは?と私は思う。絡み方が奇妙なだけで、多分。
昔は近所の付き合いが今よりずっと濃くて、近所に住んでいる人々はみんな知り合いで、老若男女絡む機会があって、皆で助け合って生きていた所謂「古き良き時代」というやつだったのでは...?などと当時子供なりに考えた
平成の私たちに通じないその古き良き時代を不器用なりに現代に持ってこようとしたじいさんは完全に不審者扱いだった
7年たった今、カシクレを見かけることは無い
そこで、先生が「なんとしても立派な社会人として巣立っていけるよう……担任はこの三年間の全ての想いを込めてひとりひとりの名前を読み上げるんだ。そして生徒は感謝し旅立ちを云々」なんて真剣な顔で言っててさ。
もちろんフィクションだし、90年代の作品だし、不良漫画だから、現代のリアルな教師よりも全然熱く描かれてるはず。
やる気のない先生もいれば、教師に何かしてもらった覚えのない生徒もいるだろうけど、まあ担任やってれば思うところは色々あるだろうな、と。
俺はインターナショナルスクールに通わされたから、何年何組みたいな「クラス」というものがそもそもなくて、担任もいなければ、授業によって生徒の顔ぶれも、時には学年すらバラバラ。超少人数の大学みたいな感じだった。
始業式も朝礼もホームルームも委員会もなければ(生徒会だけはあったが何をしていたのか謎)、進路指導も生活指導もなし。
校則はタバコとマリファナが禁止だったことと、短パン禁止令が発令された翌日に結構な数の生徒が抗議の短パンスタイルで通学してきて禁止令が撤回されたこと以外に意識した記憶がない。
問題起こす生徒はいるにはいたけど反省文は校長室に直接提出しに行ってた。
その点、日本の学校って良くも悪くも面倒見がいいし、親密だよね。
余談だが、「日本の高校」とか書いたけど、映画とかドキュメンタリー観てる限り、外国でも現地校(ネイティブが通う)はクラス制度ありそう。
"学校"というのは人ではないので
普通の会社なら 社長 だったり 役員会議 だったり 株主総会 だったりするんだろうけど
長女は小学四年生に進級し、次女は新一年生になった。長女が次女の手を引き、とことこ歩いていく後ろ姿に、ちょっと感動しちゃったぜ!
それはいいけど、長女のクラスの担任が、この春大学を卒業したての女性教師で、昨日の初授業ですでに、クラスの男子達の雑談が止まず、勉強どころじゃなかったという話を長女から聞かされ、二年前の悪夢が甦って頭痛い。
二年前、長女の担任は妊娠後期の女性教師で、一学期の半分までいかずに産休に入った。そして、その後を引き継いだのが担任を持つのが初めての新卒男性教師だった。
という流れが、教師のスペックとか置いといてまず第一にクラス生徒の保護者達の反感を買ってしまい、何かの行事で保護者同士で顔を合わせれば先生への悪口大会になった。
酷いことに、妊娠中の先生がすぐ側を歩いているのに聞こえよがしに「こんな半端な時期に妊娠して担任を持つなんて非常識」と大声で言う人もいた。
妊娠中の担任は、5月の遠足にはもう臨月に入る頃だったので、遠足の引率はしないことになっていたのに、一部の保護者達が結託して抗議したせいで、結局補助の先生付きで引率することになった。しかも、今度は補助がついたことも気に入らないと言い出す保護者も出る始末。
そんなこんなで、遠足が終わってほどなくして、新卒の男性教師に担任が引き継がれた。すると、担任が若い男であることが気に入らない、見た目や態度もひ弱そうで気持ち悪いし頼りない、など、まだ何もやらかしていないうちから敵意剥き出しに臨んだ保護者達だった。
初めての担任が完璧にクラスを運営し保護者対応を完璧にこなすということは当然できず、なんやかんや色々トラブルは起きたけど、そこまで気にするか?ってほどの細々としたものばかりだったが、クラスのLINEグループに入ってない私にまでも、「今日の何時から校長に直談判しに行くからなるべく参加するように」とかネガティブなお誘いがしばしばメールで届いていた。
しかしまあ、なんだかんだ子供達は担任を小馬鹿にしつつも懐いていたし、すごく悪い事件が起きる訳でもなく、三学期になった。
最後の保護者会でも、担任は何やら一組の夫婦からギャアギャア叱責されていたけど、何故なのかは私は知らない。担任は学校を辞めた。
そんなことがあったので、今年もまた電話やメールで今から学校に抗議に行くから出て来いと言われんのかなと思うと憂鬱になる。私、夕方から仕事なんだよ!と、毎回断ってるのだが、その度ごとに他の保護者との間の壁の厚みが増していってるのを感じる。習い事のアシスタント当番で長女の同級生の親達と会うけど、昔のように話してもらえない。地味つら。
最近ジェンダー周りで炎上する人間、政治家以外は軒並み男子校出身だし、自分の周りでもちょっとヤバいところまで来ちゃってる人間はやっぱり男子校出身だった。
自分はジェンダー問題はわりとどうでもいい方だけど、こうも炎上しやすいなら男子校出身者を避けるのも手かなぁと思う。そうは言っても現状高学歴の学生のうち男子校の割合ってかなり高いから厳しいんだけどね。
きっと男子校のメリットとデメリットってかなり極端で、デメリットの中にあるジェンダー観が振り切れちゃってるんだろうな。開成の校長も前ヤバいこと言って炎上してたし。
・中高一貫校私立→親が金持ち→家庭が専業主婦サラリーマンの組み合わせ
・思春期に異性がいない→性欲が発散できない→女性に対するルサンチマンが溜まる
・オタク気質になりやすい→掲示板に入り浸る→2ch的な男尊女卑に染まりやすい
こんな感じ?もっとある?
で、5分座ってられない。
あと、知らない場所に行くとテンション爆上げで走り回りながら色んなところを見て回るので、発達支援の先生からは、満面の笑顔で
「うん!!1学期は15分座れるかなって感じ!」
と言われズッコケた。
で、体育倉庫の南京錠に目をつけて、ガチャガチャやってたら、校長先生とか児童とかが4〜5人集まってきて、しまいにゃピッキングの真似を始めるも皆は見守るだけで、校長先生が支援の先生に
「これってちゃんと閉まってるよね?」
あとは、鶏小屋とか支援教室のトランポリンやバランスボールで遊んで、放課後になったら何故か校庭に飛び出して、鉄棒やってる高学年の女の子の真似してみたり、突如男の子に背後から襲われ鬼ごっこが始まり、息子はテンション上がりすぎて男の子の腕をがぶっと噛んだ。
あああ、またやった、これでまた子どもに謝って相手の保護者と談判しなきゃならん、と心中一瞬でぐったり疲れたが、児童はケロリと
「せんせー、かまれたー」
「そりゃ君が追いかけ回したら噛むよ」
世界ではそれを他害って呼ぶんだぜ?
いいの?それでいいの?
その後、高学年女子とじゃんけんやったり、けんけんやったりして、ご満悦で帰宅した。
普通の支援級のある公立小学校だが、私もここならこの子も多少は安心して学校通わせられるな、と思ったのだ。
「私から見れば息子くんが入学前だから大目に見てもらえたとしか思えないし、増田が子どもをどう躾けてるかとか、アクシデントの時にどんな対応するかとか観察してると思うよ。学区にその学校しかないから選べなかった子とか迷惑でしかないだろうし。大体子ども同士は仲良くしてたところで、保護者が増田と増田の子を受け入れてくれるかは別だから」
と、世の中の障害児観としてのド正論を突きつけられ、結局のところ、また保育園の時と同じく、学校に謝罪し子に謝罪し子の親に謝罪して私は生きるのだろうと覚悟しなおした。
親子ともどもこの世からいなくなりたい。
異動直前に妊娠が判明した。
異動すること自体はもともと決まっていて、
校長には11月〜3月は妊娠は避けてくれと言われていた。何なら次の学校も一年は遠慮してくれと。
妊娠が分かって報告したら
「話が違う」
「私の言う事が伝わってなかったのか」と詰められた。
教頭は「おめでとうございます」と祝ってくれたが、校長はついでに「これが1ヶ月後なら諸手をあげて喜べるのに」と言う。
異動は相手があることだから、異動決まってるときに妊娠は困る。
しかし、こちらも家族の都合だし、妊娠の時期をコントロールできるわけじゃないし、授かればどんな時でも嬉しいし、
言うことを聞いて、事故にあったり病気になったりして、後悔しても責任は取ってもらえない。
体に気をつけてくださいとか、使える権利は使ってとか、もし不快に思われたらすみませんとか言っていたが、時期を考えてくれという発言を謝られたことはない。
職場で校長から発表があったが、その場でおめでとうも拍手もなかった。事前に伝えていた人は多かったが、それにしてもそれも悲しい。
そんなに悪いことをしたのか。
引っかかるのは、なぜ職場全体の報告でも他の人たちにも祝ってもらえなかったのか。校長の言い方なのか、やはり時期が悪くて顰蹙をかっているのかな。私の人徳の問題だろうか。
事前に個別に報告した時はおめでとうと言ってもらえたが。悲しい。
都内の小学校でPTAの会長をしています。仕事ではIT系のプリセールスをやっているSEです。
今年度はGIGA構想、プログラミングの必修化、コロナに伴うオンライン授業対応とかIT系の話題が多かったので、学校関係者や教職員・PTA関係者・教育委員会とも学校のIT化の話をすることが多かったのでちょっと思う事を書いてみます。
個人的に思うことはたくさんあったのですが、お互いにちゃんと理解されていないと思う事が特に多かった校内LAN(校務LANと言う方が一般的かもしれません)の話を書いてみます。
一部不正確なところはあると思いますが、詳しい方のご指摘があれば適宜追記していきたいので教えてもらえると助かります。
こんなことを書いています。
・ 校内LANの最大の問題は過剰なURLフィルター。このような構成になっている意義はあった
・ ZOOMによる保護者会開催は保護者が思っているより画期的だったのではないか
・ 結果としてインターネット分離は無くなっていくのでは?
なぜ校内LANはインターネットに繋げないのか?と言う話は日本年金機構の大規模なサイバー攻撃の被害の話にまで遡ります。この話の再発防止策として総務省は2017年までに省内LANとインターネットLANを分離するようなインターネット分離を実施することになりました。文科省もこれを受けてインターネット接続は都道府県の教育委員会の管理する代理サーバーからインターネットに繋ぎ、校内LANはインターネットに繋げないような環境になっていきました。
詳しい話が気になる人はこの辺の文書を読んでみてください。
自分はそれ以前がどう言う状態だったのか逆にあまり知らないのですが、ここでの大事な話としてIT技術者をそれなりの規模で抱えておけないような公共の組織で標的型攻撃や高度な攻撃から守る手段としてこのようにしたことは一定の意義があったのではないかと思います。
この辺の話をしていると、教職員もなぜこうなったのか理解していないまま不満を述べていることも多いようにも思えます。
学校のIT化の問題は最近は教職員の対応などが課題に上がることが多い気がしますが、次に多いのは学校のネットワークについての不満です。校内LANが上記のような感じなのでWi-Fiも飛ばせないし、URLフィルターが過剰すぎて教職員は文科省が出したオンライン教材にもつなげないような状態になりました(YouTubeが禁止リストに入っているため)。当然ZoomやTeamsで会議を開くこともできませんでした。(インターネットLANから開催すると大変。禁止されていたのではないかと思います。)
Wi-Fi の話はともかくとしてここで問題なのは元々のインターネット分離を実施する上で今回のような過剰なURLフィルターは必須では無かった事ではないかと思います。
これは代理サーバーからインターネットを閲覧する(プロキシーとは違います。詳細は割愛。)、という仕組みであったため教職員が動画サイトなどを常時閲覧されるとサーバーのスペックが過剰になるため、市民の税金でそんなぜいたくな環境を立てるわけにもいかない、とか本来教職員のインターネット閲覧は節度を持った最低限のものであるべきだ、というような考え方によるものであったのではないかと推測しています。本来のITセキュリティとは関係が無い話ですが、政府系や学校系のIT投資では一般的な考え方なので当時のその発想を批判することも個人的には難しいのではないかと思います。
昨年の緊急事態宣言下では学校が閉鎖された際に上記の問題が大きくクローズアップされました。文科省が矢継ぎ早に出したオンライン教材を教職員は全く見れないし、リモート授業やオンライン授業を無理やりでも暫定でもいいからやろうとしても教職員のインターネット閲覧は非常に限定的だったためほぼ検討の余地がありませんでした。
ここで着目されたのはGIGA構想で配布が始まっていた端末でした。この端末は回線が無い家でもネットにつなげるようにSIMカードが入っていたため、この端末を使ってZOOM会議などを急遽実施できるようになりました。Zoomが教育機関向けに無償解放したのも大きかったと思います。SIMカードが入っていたのはおそらく授業の際に使う学習系のシステムにはインターネット接続が必要ですし、回線の無い家からも使えるようにするためにこのようになっていたのではないかと思います。
ここで重要なのは教職員がSIMカードを使った直接のインターネット接続を行って保護者会などの校務を行うのは当初のインターネット分離の考え方から言うと完全に抜け道になる手段になる可能性があったのですが、文科省も含めてこのような方法によるオンライン会議の実施をこのタイミングで容認したことでした。配布端末にはSkySeaなどでURLフィルターを配布しているようで当然閲覧制限はあるのですが、「端末をある程度教育委員会で管理しているならインターネットLANを経由したインターネット接続には拘らない」と言う暗黙のルールがこのタイミングで生まれたように思えます。文科省からも「これまでのITセキュリティに縛られることなく早急な実現方法を検討してほしい」と言うような主旨の通達を出しています。
>>文部科学省としては、全国的な長期休業というこれまで類を見ない緊急時であること、各学校や家庭で ICT 環境が様々であることを鑑みると、平常時における学校設置者や各学校の一律の ICT 活用ルールにとらわれることなく、家庭環境や情報セキュリティに十分留意しながらも、まずはその積極的な活用に向け、現場を最もよく知る教員が家庭とともにあらゆる工夫を行えるよう対応いただきたいと考えています。 <<
このような意味でZoomによる保護者会実現はやや硬直化しつつあった校内LANの仕組みに風穴を開けるきっかけになりました。
多くの保護者は対応の早い私立校などとの比較で、オンライン授業やリモート授業が実施されない状況に不満を持っていたと思うのですが、個人的には画期的なことだったと思います。これにより、PTAのオンライン会議などでも校長先生などがオンライン参加出来るようになりました。
私の区では今年度の端末配布で10億円近い投資をした(区の負担が10億だったかどうかは知りません)と聞いており、来年度には一人一台を実現し、6月くらいには配布物のオンライン化を進めると聞いています。(教職員は全く詳細を聞いていない状態なので本当に実現できるかは微妙ですが。。)私の区は渋谷区のような先行した地域ではないのでこれでもかなり頑張ったのではないかと思います。
当初はすでにプログラミングが必修化されているのに端末配布は2025年くらいまでにやろうかと言っていた事を考えるとコロナ禍でGIGA構想は大幅に進んだのではないかと思います。
これからはG SuiteやO365も使うことになり保護者会のオンライン開催は今後も続くであろうことを考えると、残念ながらそれなりの投資が無駄にはなりますがインターネット分離は廃れていくのでは無いかと思います。多少の調整をしても今のインターネット分離の仕組みのママ積極的なSaaS利用や頻繁なオンライン会議の開催を想定することは難しい、と考えるのが自然なためです。
文科省のインターネット分離の期限が2017年だったので2022〜2024年を契機にどんどん廃止されていくのでは無いかな、と予測しています。おそらくら総務省や文科省もこのくらいのタイミング、もしくはもっと早い段階でこの辺の指針を出すのではないでしょうか。
業界的な用語で言うなら、なんでも隔離して守るのではなく、いわゆるゼロトラスト的な発想による端末運用を目指していく、と言う方向を目指すことになると思います。結果として時代に合わせた形に軌道修正されていくことになったのではないかと思います。
#で、何が言いたいの?と言われると困ってしまうのですが。。