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2023-09-21

Gastr del Sol 「Upgrade & Afterlife」 レビュー

だって聴いてる間、身体はこの世、魂はあの世だし。

世界最高のバンドGastr del Sol

その音楽ピークはとうとうあっちの世界に踏み込んじゃいました。

アメリカーナとは関係なく、フォークロア地域性に根を張った手垢のようなものを感じさせない普遍的天国的で透徹した音楽

(などと勝手に感じてしまってるけど勿論、この国の偏った舶来文化大勢意識の中で生きている一個人独りよがりですが)

全ての曲が完璧ですが、とりわけrebecca sylvesterはこのアルバムハイライトです。

そしてGastr del Solの最高到達点…のひとつでもあると思います

why did the sharks watch him drown?(なぜ 鮫たちは彼が溺れるのを見守ったのか)」

という述懐と共に奏でられフェードアウトしていくコーダの、夜空へ飛び立つような心地よさに何度涙したことか。

the sea incertainの複雑な和音を多用した繊細なピアノつぶやきは、大友良英さんのおっしゃる「恋をしている気分」そのもの

hello spiralはポストミニマルロックノイズと結びついた、明るみに向けてグラデーションを伴いながら上昇していく、

構造的ではあるものの、光の回廊を進んでいくようにみずみずしい喜びにあふれた名曲

バランスを失うとときに過剰な禁欲性を聴き手に要求しがちなミニマリズムの厭味がありません。

孤独とメランコリーの彼方を遠目に深呼吸するよう甘やかな浮き沈みを繰り返すthe relay、

our exquisite replica of “eternity”の一部分と同様のループの中で(この形態での)最後の爪弾きと独白のような歌を終えるGrubbs…。

そしてエンディングJohn Fahey名曲に、天かけるTony Conradの純正律バイオリンと、

わずかに3(4)回ピアノ和音が雨しずくのようにそっと寄り添う雄大もの

もちろん冒頭our exquisite replica of “eternity”はコラージュにおけるGastrでのO'Rourke畢生の大作。

そしてアメリカスイススウェーデンなどから参集した数々の即興ノイズ畑の実験音楽ミュージシャンとのインタラクションは壮絶です。

これは共同的な創造プロセスの成果としても音楽史に刻まれものではないでしょうか。

中核となる二人にしろ、誰が強固に支配的であってもこの音楽は生まれなかったのは間違いありません。

聴きすぎて一通りの音が頭に入ってしまった後は(それ俺です)自分聴く環境・コンディションの変化の中でいつまでも楽しみましょ~!

GrubbsとO'Rourkeの敬愛するLuc Ferrariが言っていました。

「結局、私の最も興味があることは擦ることのようだ」

深い含蓄と汎用性のある言葉だと思います

人にもモノにも、擦り合わせることで新しい何かが生まれる興奮があるっていう事でしょうね。

さまざまな異種の要素たちが無時間的感覚で摩擦し、それらの反発や調和が要素の単なる総和をはるかに超え、躍動的・神秘的に関わり合っていくGastr del Sol作品群も、その音楽大成者に違いないと思います

ああ、こんなすばらしい音楽たちに出会えてよかった!

私が好きだったライブコンテンツがどこか遠くへ行ってしまった話。

自分が好きだったライブコンテンツがひとりでにどっか行ってしまったという話。

まず始めに…

基本的お気持ちベース感想であるので、アレルギー症状をお持ちの方はブラウザバックなり、閉じて頂くなりが幸せに生きられると思う。

私的には世の中には自分が傷ついてまで見る事は無いというのが全てで、何でも見えるネット時代からこそ、何でも見てしまうよりは知らず生きる幸せをかみしめてほしいと思う。

お気持ちベースで書き鳴らしているので場所によっては乱雑な文章が取っ散らかっている所がありますので、ご容赦下さい。


正確には私も私で時計の針を一歩進めてしまい、どこかへ歩んでしまったが為に私にも原因の一端があるので、

キモオタクの単なる戯言だと思って聞き流してほしい。むしろこのような記事時間を割いてまで見るべきではないと思う。

世の中にはこういう意見もあるのだなあと思うならばそれは引き止めませんが、結果や貴方健康までは保証しません。


九月の頭、愛知県での事だった。片日だけのチケットを握りしめた私は高く飛び過ぎたイカロスのように叩き落されてしまった。

片翼では飛べなかったのだ。それも一番最後にだ。私を好きなら今すぐ来てねという声を聴いたっきり、私は明日また会う事が出来なかった……。


…と、いう事で片翼のオタク戯言を聞いてほしい。私は1日目しか行かなかったので1日目の演目の下、話を進めようと思う。


まずは、何故通し券がないにもかかわらずあの演目をするのか…という話から

これは全てのコンテンツライブに言えるが、1日目と2日目が同じタイトルな以上は、両日お互いに対して余計な負荷を掛けたり文脈を持たせるのは間違っていると思うからだ。

同じタイトルである以上、両日はツアー大トリで無い限りはどちらにも重きを置かずにある程度はその日だけでも楽しめる演目を組んでいただけるとありがたいと筆者が望んでいるかである

これは、全ての人間に言えるかもしれないが、仕事などの都合がつかずに、或いはチケットの都合上、片日しか行かれなかった場合、翌日に対して意味ありげ演出をされても困るので、

そういう意味では翌日に負荷をかけるトリの演目というのは好ましくない…と思っていたのだが…。演出家は検問所にある計測所において過積載で捕まる心配をした方がいいと思う。


ただ、同タイトルであれ、二日通しでお楽しみ頂けるように組んでいくのであれば二日通し券があるべきなのでは…?と思う。折角チケット先行用のプレミアム会員もあるのに…。

と、いうのがまずはお気持ちの一つ。まあ、ゲームでは毎日会えるので不健康オタククンはおうちでブルーライトと仲良くしてなさいと言うならばその通りに受け止めるが…。


過去演目の焼き直しが多すぎる・楽曲選出に偏りがあるという事

何曲かは過去の同地で行ったウケの良い演目オマージュしたいのだろうか、そういう選曲がなされているのは理解しているが、

余りにも毎回やっているのでそろそろ飽きが来たこと、そしてどうせこの曲が来てしまうと言う展開が読めてしまう事に一つある。

特に本年の愛知公演でも1日目13番目の演目は、一昨年に行われた同地前回の2日目に出て来ていて、更に遡ると名古屋市内の公演でも披露していて、

土地楽曲が著しく結びついて意外性という面白味に欠けると筆者は考えているからだ。方言キャラは多くないのに曲に地域性があるらしい。凄く奇習だと思う。

近年は意外性を売りにしているコンテンツライブだと筆者が受け止めていたばかりに、楽曲が予想の立てられるものでは非常に面白くないという話でもある。

1日目を取っても5曲ほどは過去2年で同地で行われた楽曲が含まれている。なんと演目の約20%だ。降水確率なら雨の心配をするレベルでもある。

思い出話をしたい人には良い話だが、わざわざ遠征までして見たもの過去の焼き直しというのはまったく面白くない話だ。家で円盤を見た方がマシだろう。

それならば百均で売っているHIT曲のコンピレーションアルバムを買う方が安上がりだと思う。実に100分の1の値段で済むというから良心的な話だ。

コンテンツには――――税と呼ばれるまでに高騰化しているチケット代という概念が既にあるのに、更にコンピレーションアルバムを流されているようでは溜まったものではない。

特に先ほどの13番目の曲はコロナ禍前にも同地域でやった事がある演目が故に、特に薄味として印象深い。5年で3公演に顔を出している。皆勤賞狙いか

他、強いオマージュを感じる公演としてコロナ禍前最後大阪での公演の事を強く思うが、今回の28曲の内3曲が被っている。概ね300曲を超える曲数のコンテンツライブとは思い難い被りようだ。

一曲演目場所といい特殊バージョンイントロといい強くオマージュを感じざるを得なかった。この曲の起用方法に関しても少し思うところがあるが、少なくとも思い出は思い出でじっとしておいて欲しかった。

もっと曲数が少ない所でももう少しいい組み方をする所はあるし、過去演目同士を切り貼りしてもキモいフランケンシュタインが出来るだけだと思う。これからパッチワーク教室でも開くなら是非頑張ってほしい。


機会の均等化による歪さが目立つ印象が強かった。

ここのコンテンツファンは熱心なファンが多く、機会均等法を声高に叫ぶファンが大変多い為しっかり起用に応えてくれたのはある種一つ良かったと思う。ここだけは評価している。

ただ、その陰でこのコンテンツが元来持っていた時に人を傷つけるような美しい鋭さは失われ、特に機会が均等に機械的に割られただけで、

センターの回数までは気が回って居なかったり、楽曲が持つイメージを損なってしまったりしていた演目があったのは一つ残念な点として深く印象に残った。

出場機会の均等を図るくらいならば偏りがあってもセンターをしっかり廻すべきだったと思う。私が応援していたのは果たしてアイドルコンテンツだったのか…?と疑問に思ったくらいに。

あと、楽曲が持つイメージを損なったという点では意外性のある選出やキャラクターの新しい一面を見る為の科学反応の為の選出ならば目を瞑るが、

三角形イメージした楽曲に6人投入するのはどういう意図なのかは掴みそこねた。六角形は半分にしても三角形にはならないというのに。

こういう滅茶苦茶な演目の組み方をする事が近年の公演で増えており、イメージ先行でのみで組んで、歌詞の割り振りなどの子細にまで目がいかなくなってしまったのかと悲しみを感じる。

どの演目とは言わないが2人がユニットでの相方や一人からの選出に対して、残り一人が公式で絡みがあるだけで特にユニットが組まれた選出ではなかった演目があり、個人的には疑問に感じた。

もしその人の推しであるならば大変申し訳ないのだが、あくまでも公式として謳って出しているもの非公式的に近い事に対しては納得がいっていない為であるキャラクターや演者に罪は無い。

そういったこともあり、深い意味合いで文脈が無くなってしまったが為に演者サイドからサインを受け取るのも難しくなった。魔法が解けた灰被りのお姫様を見ている気分だ。

私らは吊るされた男ではなく一端の魔術師としてこのコンテンツライブを見に来たつもりなんだけどな…。運命の輪というのは時に残酷カードである


続いてハコの選出に関して

結局大きなコンテンツと言うのは人数を収容しなければならない以上、場所を選んでしまうので多少仕方がない事ではあるという事は理解しているがやはり平面と言うのは…。

そもそもハコを見て応募を辞めようとも思えばいい事だというのは重々理解しているが、それはそうとして推しが出ている以上は行ってみるか…と応募したがばかリにこれを強く思う。

と言うのも筆者は身長が約150cmしかなく、とてもではないが前方席を引かなければ170cmや180cmなどの有象無象に埋もれてしまう事に一端があるとしても、多少手心があれば…と。

厚底の靴などで身長を積み増せばいいとは思うが、今回のハコは大変僻地もいい所の絶海の孤島なので動きやす恰好が望ましいと思った次第でどうにもこうにもならなかったというのが一つ。

是非よろしければ低くなって頂ければありがたいが、強要をするのも間違っているとも思うので、次回から平面の客席を採用する際は竹馬を利用する事をどうか許してほしいと思う。最低限は脚立。

それからパイプ椅子による指定席で隣の人と距離が近すぎる上に、隣人を選べないというのも一つ困ったという話だと思った。どれだけ身が細くても斜めに立たないと肩が当たる気がする。

卒業式のように姿勢よく座るならまだしも、多少動きの生じるライブパイプ椅子というのはちょっと狭くないかなあと思うところがある。幸いにも圧迫はされたことはない。

筆者が最近ライブハウスに通う事が多くなり、様々な曲や演目人間に対してご自由ポジショニングを取る事に慣れてしまったので致し方ない部分はあるが、

流石に外出するに際して見てくれの悪いオタクや二階三列四番の雰囲気を漂わせた隣人を2時間もの間同じ空間居合わせしまうのも考え物だなと思ったからだ。

頼むから家を出る前に最低限の見てくれと香りは何とかしてほしい。別にそこさえ担保してくれるなら絵具を混ぜた様な情けないナンセンスコンテンツTシャツを着てても許すから


因みにだが、別にオタクが好き勝手自分の頭上や近隣で暴れたり光ってくれる分には特には思わない。その人の推しが居てその人なりの表現があると筆者は考えているので。

しろある程度元気な方が演者と観客の対話的なコミュニケーションみたいで大変面白いので積極的にやってほしいと考えている。勿論、レギュレーション範囲内での話だが。

こう明記しておかないとこのコンテンツ勝手に余計な文脈を取って独りでに発狂する大変熱心なファンが多い為にコメントを返信する時の私が苦心するのでここに記しておく。


良かったと思うとともに私がここを去る事を決めたという話

今回一番良かったと思うのはコンテンツ新人が暖かく迎えられたという事だ。

拍手喝采でこの大舞台に迎えられてしっかりと立っているのを見ると、私のような逆張りオタクではなく、もっと相応しい人が客席に立つべきだと感じたかである

つい4年前はこのコンテンツの熱心な盲信者たちが私の心地よいインターネット楽園荒らしていたと思うともう隔世の感が出てきたが、

そういった逆張りをしなくてもよくなったというのは一つ明るい話であったと思う。もし過去にそういう事をしたと思うならばしっかり反省してほしい。


おわりに

長々と語ってしまいましたが、無計画闇鍋によって昔のような歌詞割りや演目による演者から文脈を感じ取る事が出来なくなり、

過去公演の焼き直しと新曲披露会のような地方産業館で見る様な薄味の展示会に高いチケット代を支払うのは勿体なく感じてしまった為に

このように文句を垂れているオタク戯言にお付き合い頂き、本当にありがとうございます

こうしてみるとこのタイトルは半分くらい間違っていると今思っています。でも正直向こうも半分は間違えている気もしている。私が勝手に。

これは一端のマジョリティでもあります私のお気持ちであり、大多数が今のままでいいと望むならばそのコンテンツはそのように進めばいいと思います

たまたま持っていた銀河鉄道切符が、今回で私の終着駅となったからです。今まで楽しい旅をさせて頂きありがとうございました。

これからが目ざましい活躍を見せる推しオタクはここからが始発駅ですし、勿論ここに至るまでに終点に至ったオタクも居ると思います

推し方は人それぞれで、私はここで一旦区切りがついたと思っているだけですので、是非どうか私の事は呼び留めずに忘れてください…。


今、私は安いチケット代と共に無計画闇鍋の極みみたいなフェスなどを空中浮遊しております別に規模や演者に一切の貴賤はありません。

もし気になれば知見を広めるためにも様々な「アイドル」に触れてみるのは如何でしょうか。素敵な音楽出会い、様々な人々の熱い思いなど、

色んな物を吸収してみるのも一つの栄養ではないか?と思っています。このような場でお勧めするのも私としても大変心苦しいものがありますが…。

また、どこかで亡霊となった私をどこかの会場で見掛けた際は、暖かく出迎えて頂けると幸いです…。本当にお読みいただきありがとうございました。

2023-09-15

片親ってそんな周りからなんか言われるもんなの?

小学校に上がる前くらいに親が離婚してシングルマザー母親に育てられたけどその住んでる地域性のせいかは知らんが片親だからって差別的な目で見られて嫌な思いをしたことって一回もないんだよな

からよく「離婚したいけど父親がいないのは可哀想…」みたいな人みると親が仲悪いとか嫌いな父親/母親と一緒にいるほうがよっぽど可哀想だろと思ってしま

実際暴力的だった父親と二度と会わなくて済むとわかったときは幼いながらも本当に嬉しかったし

今時シングルマザーなんて珍しくもないしそんな外野からなんか言われるもんなんかな?

2023-09-05

大阪地方の犬カフェで食べられている名物の「わんこそば」とは?

Q. 大阪の犬カフェで食べられている名物の「わんこそば」とは、岩手わんこそばとどのような違いがあるでしょうか。


A. 大阪の犬カフェ提供される「わんこそば」と岩手名物わんこそば」には、いくつかの違いがあります

地域性: 岩手わんこそばは、岩手県の伝統的な料理であり、地域特有文化を反映しています。一方、大阪の犬カフェ提供される「わんこそば」は、地域性を反映するのではなく、犬カフェテーマ雰囲気に合わせて提供されている可能性があります

提供場所: 岩手わんこそばは、岩手県内の特定レストラン店舗提供されており、地元観光名物として知られています。一方、大阪の犬カフェ提供される「わんこそば」は、犬カフェ内で楽しむための料理として提供されているでしょう。

食材盛り付け: 岩手わんこそばは、茹でたてのそばがお椀に一口大に盛られ、給仕の方に継ぎ足してもらいながら食べるスタイル一般的です。一方、大阪の犬カフェ提供される「わんこそば」は、犬カフェ雰囲気に合わせて、食材盛り付けが異なる可能性があります食べ放題スタイル提供されることもあるかもしれません。

要するに、大阪の犬カフェ提供される「わんこそば」と岩手名物わんこそば」は、地域提供場所料理スタイルなどの要素において異なる可能性が高いです。どちらも美味しい経験となるでしょうが、その違いにも注目して楽しんでいただければと思います


(可能性が高いです、じゃねえよ)

anond:20230905181624

結構地域性があるんだ

阪急最強はなんで最強なの?便利さ?高級さ?

2023-08-28

例の商法騒動

"AFURI"商標問題に学ぶ情報操作SNS危険

https://togetter.com/li/2212884

まとめ主と反するコメントを書くと消されるのでこっちで書き残しておく

その由来が地元の山や神社名前であるかどうかは全く関係ない

とある

コレは微妙に違う

富士山」という商標は「東京都千代田区株式会社ニップン」が取得して、ずっと更新してる

商標法上「その商品」の「産地、販売地等」は商標登録が認められないと規定されているため、出願書類記載する「指定商品」が「富士山」を産地や販売地としそうなものであれば商標登録が認められない。

というような構造があり

変な話だが、青森で酒を作っているAfuriの方が、山に関係ないとして商標を取りやす

そんな馬鹿なと思うかも知れないが、そういう規定のものなのである

山の名前、川の名前、そういった類の物は実は商標登録可能で、【産地じゃない】方が使えるのだ

もちろん、消費者感情を完全に無視できれば、という条件はつくが

変な話、Afuri社が、大山の麓で酒を作っていたら、その方が阿夫利で商標取るのが難しいまでありえる


もちろん、このあたりの判断はこうして社会的話題にならなければ緩いもの

「阿夫利大山」という日本酒は、伊勢原市(まさに販売地)の酒屋が商標所得できている

(山の名前大山

産地であり販売地でありながら取得できている、八海山高千穂等の実例もある(この辺は過去の経緯等も重要だろう)


この話は、例外事項が多すぎて、変にうだうだやる方が深みにはまる(人が一般的に感じる人情乖離する)ので

至極ドライに進めるのが正解だった

郷土愛を語れば、青森で酒を作っていたのが足を引っ張る

八海醸造1925年高千穂酒造(1902年)を例に語れば、歴史地域性判断されてしま

から、そっちで戦っては駄目なんだ

熱しやすくて冷めやすネット有象無象なんか無視して

ひたすらドライ

ただただビジネスライク

商標はうちが持ってますよとだけやれば良いんだ


法的にどうかという点はともかく

とにかく、社長の動き(facebookインタビュー)が燃料になってしまっている

これ、だんまりを貫くのが正解だと思うんだよ

権利者の苦労」とか言ってるまとめ主も、盛大な後ろ弾だと思うんだよね

酒造さん側の苦労がないとでもいいたいのか?

企業買収をお涙頂戴で語って、再建物語をプロジェクトX風に語ったら勝てるのか?

違うだろ?

ラーメン側のほうが苦労が大きいと?

違うだろ?

そんなの「微塵も関係ない話だろ?

商標ってそういうのじゃないか

なんの苦労もない思いつきで作った商品

売ったら売れちゃった、みたいなケースも、商標は守るんだよ

しかしたら、売れてる必要もないかも知れない

あのシステムは情が介するようなものじゃないの

2023-08-13

anond:20230813180803

いま20代半ばの男だけど、人生でたったの一度もリアルで見聞きしたことがない

文学青年死語?)だったので、高校の頃には小説描写で知っていたけど

よく言う同○教育とかも受けたことがない。

転勤族で色んなとこ住んだけど、東北関西中国には住んだことないから、地域性もあるかもしれないな。

2023-08-06

anond:20230806092551

しか伝統とか度胸試しとか、謎の風習妄信している地域性というのは田舎あるあるですな

2023-07-22

校則を増やしたがる子供たち

「言っていい言葉言ってはいけない言葉リストを作って欲しい」「靴下の色を指定して欲しい」「眼鏡の形を指定して欲しい」

「授業を受ける時の姿勢指定して欲しい」「「読んでいい本を指定して欲しい」「やっていいゲーム指定して欲しい」

学校教師だが、上記のような要望はここ2、3年ほどで実際に言われたこである

しかも、親ではなく、子供サイドから言われたことだ。

最近子供たちが校則を増やしたがっている。

私は32歳で、教職の中では若い方だ。ジェネレーションギャップなく、『子供気持ちが汲める』サイドの人間であったと言っていい。

デジタルネイティブだしね。ゲーム漫画話題も、大分近い距離で出来る。

だが、上にあるようなルールを決めてくれ、とにかくルールを、という考え方には戸惑いを覚えている。

ルールを減らしてくれ、だとかこのルール理不尽だ、大人の言う事は間違っている。子供気持ちを知らないで、勝手な指示をしやがって。

そういった感覚子供時代を過ごしてきたし、ちょっと前の世代までは実際、共通認識としてそういう感覚を共有出来ていたと思う。

だが、最近はとにかくルールで決めてくれ、というのだ。委員長気質の子だけでなく、普通の子も、学力の低い子も、不良っぽい子も、そう言うのだ。

地域性なのだろうか、と考えていたのだが、研修で会った別の地区教師たちも、「言われてみると確かに」という認識であった。

軽く、『ルールなんてない方がよくない?』といった旨のことを子供たちに聞いてみたことがある。

子供たちは、「ルールがあった方が便利」とのことを笑って言っていた。

便利とはなんだろう。ルールとは、行動を縛り、不便を感じさせるものではないだろうか。

基本的に、『決まりは守りなさい』と指導しなければならない立場からこそ、ガチガチルールを増やすようなことはしたくない。

自由に伸び伸びと育ってほしいと思うのだが、私の考えは間違っているのだろうか。

それ以上に、どうしてこういった風潮が生まれてきているのか、気になっている。

2023-07-15

なるほどですね」は福岡方言なのか

福岡方言とする根拠が弱いように感じて調べてみた。

結論: 福岡ではかなり前から使われている表現ということで、福岡方言とみなしてもよさそう。

きっか

ここで福岡方言とみなされていることを知った。自分福岡出身社会人になってから関東在住)だけど聞いたことないので調べてみることにした。

調査

ここでも福岡方言として紹介されている。追加情報として

方言であった「なるほどですね」は、実はドラマの影響で幅広く拡散していきました。2011年7月9日から同年9月24日まで、日本テレビ系列土曜ドラマ枠で放送されていた連続テレビドラマドン・キホーテ。」そのドラマの中で、松田翔太氏演じる城田 正孝の口癖の1つがこの「なるほどですね」という言葉でした。

このドラマ脚本家大石哲也氏が「福岡県」出身であることから、この言葉が起用されたと推測できます。こうして「なるほどですね」という言葉が他県にも広がったと言われています

とあり、確かに大石哲也氏は福岡出身のようだけど、福岡キャリアを積んだかは不明で、根拠としてはやや弱いように感じた。

Google で期間指定して古い証言を探してみる。

2003/06/13。不思議言葉として紹介されており、方言であるという説明はない。

2006/08/10質問九州方言であるという意見がようやく出てくる。

「…ですね」は九州方言だと、

九州出身の友人が言っていました。

その人の喋りは「ですね」の連発で、

いわゆる標準語の「ですね」とは少し違うみたいです。

2010/06/14 の質問

最初地域性に関して言及のあった回答はこちら。(他にもいくつか情報はあるけど省略)

もしかして九州出身の方が周りにいらっしゃいませんか?

全国転勤をしていて九州で「なるほどですね」をよく聞いたので

てっきり地域特有言い回しかと思っていました。

たまたまかもしれません。九州の方、間違った情報だったらごめんなさい)

それに対する回答。

まいさん、私確かに九州在住です。でも、私のまわりでもそんなに一般的な言い方ではないんですよ。

はじめて「なるほどですね」を耳にしたのは、大学卒業して社会人になった年に、福岡出身の同僚が口にした時でした。22年前です。大学福岡市内にありましたが、学生時代には耳にした覚えがありません(だからこそ、同僚の「なるほどですね」が新鮮だったわけで)。

その後、なじみになったビストロシェフが「なるほどですね」って言ってました。そのビストロと件の同僚の実家が近いのですよ。福岡市の中心部でたぶん同じ校区内(小学校の)。ただし、年は一回り離れているので直接の接点はないはずです。

案外「なるほどですね」の発祥はかなり狭いコミュニティなのかしらん?よくわかりませんが。

福岡では1988年から使われているらしい。

かに福岡で使われ始めたのかも、と納得したので調査おわり。

2023-07-11

私自

最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分直視することから逃げてきた。

幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベル胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しか祖母毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。

私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎人間としてはかなり)知的好奇心教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。

祖母は80歳を過ぎるまで苛烈自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。

物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい名前を挙げられた女の子たちに向かい祖母を止めない母親に向かい自分にも向かった。

はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格容姿趣味人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。

肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。

私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。

土地二束三文で買える田舎町にある実家敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室ひとつ風呂台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。

母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。

母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分不手際が契機となり、怒鳴られ人格否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。

小学校5年から学校いじめの標的になった。担任女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道いじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。

家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校いじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動いちばん盛んな頃に短大に進学して、父親警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。

それから長い年月が過ぎた。

祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。

母は合わない職務鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。

私は中年になった。自分と向き合うことから逃げ続けたままで。

この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。

脳内には14歳の私が世界万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれ規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。

ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。

私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。

それは、世界でただひとり私にしかできないことだからだ。

[]違う世界線増田地域性ではたぶん無いと思う。こういうの喜ぶブクマカってどういう世界に生きてるんだろう

出張で行った地域移住した地域東京、いずれも、20〜30代とファミリーが多かった

たまたま自分が行った地域けがそうだったのか・・・?と思ったが、まぁやっぱそんなワケねーよな

現在利用率(=直近1年以内に利用している人)は30.3%と3割程度で安定しています。男女の差はあまり見られず、20代、30代の若年層で利用率が高くなっています

 

コインランドリーを利用するきっかけは大物の洗濯や寝具を洗濯したいという意見が多くあがりました。月1回の利用者では、悪天候な時が高くあがっています

 

https://www.daiwa-corp.com/management/research/#:~:text=%E7%8F%BE%E5%9C%A8%E5%88%A9%E7%94%A8%E7%8E%87%E3%81%AF3,%E3%81%8C%E9%AB%98%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82&text=2019%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB,%E3%81%8C%E9%AB%98%E3%81%84%E5%82%BE%E5%90%91%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

 

楽な仕事を書いた時にもおそらくタイトルだけ見たんだろうなってブクマカブクマつけてたけど、

要は、『週2〜3日、数時間働きたい』ってことなのだろう

そういう働き方をすればいいのでは?感

anond:20230710141100 anond:20230711123212

2023-07-08

anond:20230708112717

神戸パンうまいとかあんま聞かないもんな

てか本格的なパンハード系・ドイツ系など)は日本全国散り散りにある

いわゆる日本的なお惣菜パンうまいパンではない

と考えるとそこまで地域性で味が変わるとか思えんな

2023-06-17

anond:20230612061051

これはピンキリしか言いようがない。

献金額は目安は書いてあることもあるが、あくま自己基準。仲間がいたらそれに合わすぐらいで、若者は1000円だとか、生活保護の人は何も支払わないと気になるという人がいるので100円だとか。色々ある。

教会によって、常識範囲でとなっているので、牧師神父相談するといい。

奉仕も人によってとか、そもそも教会によって結構違う。保育園併設の教会だと、父母の人が結構いるので、案外強く求められることが少なかったりする場合もある。逆に求められる場合もある。

意外と面白いのは生活保護の人が多い教会だと、必然的アルコール中毒の人が多いので、聖餐式ワインブドウジュースが用意されていたりと、結構地域性が反映されるので、自分が住んでいる所に近いのがいいのか、それとも自分に合う教会を巡ってみたりするのかなんてのも、いいかもしれない。

あと、礼拝堂建て替え時期のために積み立て献金をしているところがあったりするので、そっちは大きく献金していて、あんまり教会に来ないので、普段献金はあまりしていないなんて人もいたりする。

何となく雰囲気としては大きな教会の方が母数が多いために埋もれやすいので、新規の人はちょこっといやすいかもしれない。

それも周りの関係性もあるので、まあ肌に合う教会に巡り合えたらいいね

2023-06-09

産めるかもしれないのに産んでいない私のひとりごと

ひとりごとです。

自分は、生活している中でそこまで少子化を実感する場面がない(地域性によるところも大きいのだろうが)

勤務先ではチームメンバー(平均年齢30代前半、全員女性)の6割が子持ちで、学生時代からの友人たちは1年に3人くらい出産している。

近所のスーパーでもドラッグストアでもホームセンターでも、必ず子連れママさんパパさんを見かける。総人口の割に、市内に保育園幼稚園が多い。

我が家子供はいない。

夫婦ふたり生活は楽しく毎日幸せ。夫は最高のパートナー。両実家との関係性も良好で全員健在。

所得世帯ではないので頻繁な旅行や大きな買い物には手が出せないけれど、たまにお寿司が食べたいなと思ったら食べられるし、焼肉が食べたいなと思ったら食べられる。

昨年夫婦ブライダルチェックを受けてみたら結果は特に問題なく、医師から妊活希望すれば十分授かれる可能性があると言われた。

この時代に色々と恵まれている方だと思う。

それでも「子供を産み育てること」については全然前向きになれないまま、結婚4年目を迎えた。

前向きになれない理由は他の方もこれまでたくさん述べていることがほとんどなので割愛するが、夫婦ともに同じような感じ。

私は今年33歳、夫は34歳になる。

最近少子化対策に関するニュースを見ていて、この国が社会全体で目指そうとしているのは

「産みたい人にもっと産んでもらう」⇒「産めるかもしれない人にはもれなく産んでもらう」状態なんだろうな、と感じた。それくらい厳しい状況なのだ無知自分でも分かった。

同時に罪悪感を抱いた。産めるかもしれないのに産んでいなくて申し訳ないです。そんな気持ちにはなりたくなかったのだけれど。

この時代子供を産み育てている方たちのことを心から尊敬している。

身近な人に自分が力を貸せることがあったらしてあげたいし、子供を見かけたときはどうか幸せに健やかに育ってほしいといつも願っている。

経済的に2人目、3人目を諦めているといった話もたくさん聞くので、そういう人たちには国がじゃんじゃん投資してほしい。

行政による子育て世帯へのサポートは手厚くしてほしい。そのために私が今働いて納めている税金も役立ててほしいと思う。

2年後、3年後、5年後… 夫婦ふたりで穏やかな生活を続けているのか。はたまた、何かのきっかけで子供を産み育てていたりするのだろうか。

そのときどちらになっても、自分にとっての「今」の幸せ自分でしっかり持っていたいと思う。

ひとりごとを聞いてくださってありがとうございました。

2023-05-30

anond:20230530153821

地域性もあるんだとは思うけどね

そういう時代になってきたよな

恐ろしいわ

2023-05-21

俺はオタクじゃなさすぎる

からしてみたらオタク名乗ってるやつもヤンキーDQNも女もみんなオタク

ファッションにこだわるやつもスニーカーあつめてるやつもみんなオタク

くそんな下らないことで熱中できますねっていう気分になる

俺はなんでも基準タイコスパ、女にモテるかどうかだし趣味もない、周りに合わせて何か好きになっても全部後悔してる

趣味関連で女作っても後悔してる

まりにもオタクじゃなさすぎるから有り体になって結果どっちかというとオタク側に分類されるだけで

ももし下らないことで盛り上がれるタイプなら寧ろヤンキーDQNみたいな方に行ってたはずだよ 地域性もアレだし親もヤンキーだし

2023-05-18

anond:20230516225858

不動産もうかりそうだけどどうなん 地域性あかんのか

まあおめでとさん

2023-05-09

anond:20230509131442

からだけど18歳まで富山にいた記憶では雪かき雪かきだったような

雪をどかしてくる、とはいうけどその行為雪かきと呼ぶ

これも地域性はありそうだけど…

2023-05-01

上越にて

ムスコが平均サイズを少し下回っているという。

それは根拠ある事実なのか。

毎度、旅先の風呂場にて遠山の目付で観察を行っている。



別に、本気を出したムスコでチャンバラするのに大きい方が都合が良い、などと思っているわけではない。

しかし、中流より上に位置していることで安心を得るのが一般人の性である故、これは必要行為なのだ



今日上越での観察結果を記す。

なお、これが当地における統計的平均を示すものではないことは予め断っておく。

地元ナンバーほとんどのスーパー銭湯ではあったが、わずか一時間ばかりの間の観察結果に過ぎないので、俺のは例外だ、と異議申し立てされても困る。



目立ったのは、皮付きだ。

部活帰りらしい高校生大学生からおっさんじいさんまで、多くの人が皮付きなのだ

普通火星なら剥かないか

いや、見栄なのはわかっている。

しかしその見栄を張らずにはいられないものじゃないか

これは地域性なのか?

各地での観察の結果、日本人の7割は火星という説はアテにならんというか、わからんな、という認識でいたのだが、ここ上越では確かに当てはまる。

大きさ的には普通だ。

伸びた皮の分、やや長く見えるが、本体普通サイズだろう。

皮付きか否かよりも長さの方で見栄を張っているのか?



サイズ分布に関しても、わりと一般に出回っている統計通りな感じだ。

観察していた中では、やたら立派なムスコをお持ちの方は二人いただけだ。

目測で、日本人平均サイズに近いものと思われた。

本気出したら最低でも1.5倍か、恐ろしいな。

小さい方も、やはりそこまで多くはない。

太ると埋もれる、という通説も確かのようだ。



今まで目にしたことはなかったのだが、残酷遺伝の結果を今回は観測してしまった。



オトウサンと呼ばれた個体のムスコさんは小さく、ドリル皮付き。

一方、息子のムスコはかなりご立派。

10cmは下らないだろう。

毛が無い、色素沈着も始まっていない。

にも拘わらずそのサイズ、その露頭。

これはあれか、世に言う、母による「むきむき体操」による結果か。

あれ、ムクことに快感を伴うことを知った時、息子としては死にたくなること間違いない体操だよなと思って以来、反対の立場を取っていたのだが。

幼少期から英才教育の結果がこれだとするなら、安易に反対もできない。



オトウサン、泣いていいぞ。

それとも、連れ子だったり養子だったりするんだろうか。

托卵の結果であるとは、同じ男として思いたくない。

そんなところで発覚するなんて、オトウサン気が狂っちゃう



やっぱり俺のは平均だな、と結論付けて風呂を出た。

この安心感が欲しくてついやってしまう。



さあ、次はどこへ行こうかな。

anond:20230501072820

馬鹿かどうかじゃなくて地域性

産婦からコロナ感染してスタッフ全員自宅待機になったとして代替施設がある地域かどうか

2023-04-14

ヨッピー記事読んで維新ウケる気持ちが分かった

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/yoppymodel/n/nfb5ed80ea890

理由」ってより「気持ち」な。

うまく市民をノセて楽しませてるんだな、と分かったけど、でもそれって政治でやると「パンとサーカス」のポピュリズム政治になんだよな。

大阪人気質的にそういう「楽しいことが好き」という気質があるから、それをうまく利用されているともいえるし、そういう地域性なんだな、とも思う。

まあ、発展途上国の人たちが目先のことに釣られて変な政党を選んじゃうのと同じだな。

2023-03-17

都会の人の感情が読めない

九州という田舎の、そのなかでも陸の孤島と呼ばれる最も田舎な県で育ち、必死勉強して東京大学入学し、卒業後も東京で働いている。

人間である以上、ミスをしたり何かやらかしたりすることは誰にでもある。そんなとき、もちろん元増田元増田の周りの人も注意されたり怒られたりするのは当然である

しかし、東京大卒以上の良い教育を受けた人たちは、怒っていても怒っているようには全く見えないから困る。元増田が育った九州のド田舎では、怒っている人は怒鳴る、殴る、蹴るのいずれかまたは全てをものすごい剣幕で行うので、「ああ、この人は怒ってるんだな」というのがはっきりわかる。そんな環境で育ったので、静かに「あのね、そういうのは困るから、今度からは気をつけてね」とやんわり言われる程度では怒られているという実感が湧かない。こちらは怒られているのかわからないので適当にやり過ごしていたりすると、突然冷たくされたり無視されたりして人間関係が冷え込んだり終わったりする。アンガーマネジメントやらハラスメントやら言われている昨今、ますます相手感情が読めなくなってきて困る。

ちなみに、東京でもそれほど頭のよろしくない人は怒っているのははっきりわかる。なので、地域性というよりも教養の差の問題なのかもしれない。

なお、当たり前だが、元増田煽りストではない。

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