はてなキーワード: 地域性とは
まとめ主と反するコメントを書くと消されるのでこっちで書き残しておく
とあるが
コレは微妙に違う
「富士山」という商標は「東京都千代田区 株式会社ニップン」が取得して、ずっと更新してる
商標法上「その商品」の「産地、販売地等」は商標登録が認められないと規定されているため、出願書類に記載する「指定商品」が「富士山」を産地や販売地としそうなものであれば商標登録が認められない。
というような構造があり
変な話だが、青森で酒を作っているAfuriの方が、山に関係ないとして商標を取りやすい
そんな馬鹿なと思うかも知れないが、そういう規定のものなのである
山の名前、川の名前、そういった類の物は実は商標登録可能で、【産地じゃない】方が使えるのだ
もちろん、消費者感情を完全に無視できれば、という条件はつくが
変な話、Afuri社が、大山の麓で酒を作っていたら、その方が阿夫利で商標取るのが難しいまでありえる
もちろん、このあたりの判断はこうして社会的な話題にならなければ緩いものだ
「阿夫利大山」という日本酒は、伊勢原市(まさに販売地)の酒屋が商標を所得できている
産地であり販売地でありながら取得できている、八海山、高千穂等の実例もある(この辺は過去の経緯等も重要だろう)
この話は、例外事項が多すぎて、変にうだうだやる方が深みにはまる(人が一般的に感じる人情と乖離する)ので
至極ドライに進めるのが正解だった
八海醸造(1925年)高千穂酒造(1902年)を例に語れば、歴史や地域性で判断されてしまう
だから、そっちで戦っては駄目なんだ
ひたすらドライに
ただただビジネスライクに
法的にどうかという点はともかく
とにかく、社長の動き(facebookやインタビュー)が燃料になってしまっている
これ、だんまりを貫くのが正解だと思うんだよ
「権利者の苦労」とか言ってるまとめ主も、盛大な後ろ弾だと思うんだよね
酒造さん側の苦労がないとでもいいたいのか?
企業買収をお涙頂戴で語って、再建物語をプロジェクトX風に語ったら勝てるのか?
違うだろ?
ラーメン側のほうが苦労が大きいと?
違うだろ?
なんの苦労もない思いつきで作った商品を
売ったら売れちゃった、みたいなケースも、商標は守るんだよ
「言っていい言葉と言ってはいけない言葉のリストを作って欲しい」「靴下の色を指定して欲しい」「眼鏡の形を指定して欲しい」
「授業を受ける時の姿勢を指定して欲しい」「「読んでいい本を指定して欲しい」「やっていいゲームを指定して欲しい」
学校教師だが、上記のような要望はここ2、3年ほどで実際に言われたことである。
私は32歳で、教職の中では若い方だ。ジェネレーションギャップなく、『子供の気持ちが汲める』サイドの人間であったと言っていい。
デジタルネイティブだしね。ゲームや漫画の話題も、大分近い距離で出来る。
だが、上にあるようなルールを決めてくれ、とにかくルールを、という考え方には戸惑いを覚えている。
ルールを減らしてくれ、だとかこのルールは理不尽だ、大人の言う事は間違っている。子供の気持ちを知らないで、勝手な指示をしやがって。
そういった感覚で子供時代を過ごしてきたし、ちょっと前の世代までは実際、共通認識としてそういう感覚を共有出来ていたと思う。
だが、最近はとにかくルールで決めてくれ、というのだ。委員長気質の子だけでなく、普通の子も、学力の低い子も、不良っぽい子も、そう言うのだ。
地域性なのだろうか、と考えていたのだが、研修で会った別の地区の教師たちも、「言われてみると確かに」という認識であった。
軽く、『ルールなんてない方がよくない?』といった旨のことを子供たちに聞いてみたことがある。
子供たちは、「ルールがあった方が便利」とのことを笑って言っていた。
便利とはなんだろう。ルールとは、行動を縛り、不便を感じさせるものではないだろうか。
基本的に、『決まりは守りなさい』と指導しなければならない立場だからこそ、ガチガチにルールを増やすようなことはしたくない。
自由に伸び伸びと育ってほしいと思うのだが、私の考えは間違っているのだろうか。
それ以上に、どうしてこういった風潮が生まれてきているのか、気になっている。
結論: 福岡ではかなり前から使われている表現ということで、福岡の方言とみなしてもよさそう。
ここで福岡の方言とみなされていることを知った。自分は福岡出身(社会人になってからは関東在住)だけど聞いたことないので調べてみることにした。
方言であった「なるほどですね」は、実はドラマの影響で幅広く拡散していきました。2011年7月9日から同年9月24日まで、日本テレビ系列の土曜ドラマ枠で放送されていた連続テレビドラマ「ドン・キホーテ。」そのドラマの中で、松田翔太氏演じる城田 正孝の口癖の1つがこの「なるほどですね」という言葉でした。
このドラマの脚本家・大石哲也氏が「福岡県」出身であることから、この言葉が起用されたと推測できます。こうして「なるほどですね」という言葉が他県にも広がったと言われています。
とあり、確かに大石哲也氏は福岡出身のようだけど、福岡でキャリアを積んだかは不明で、根拠としてはやや弱いように感じた。
2003/06/13。不思議な言葉として紹介されており、方言であるという説明はない。
2006/08/10 の質問。九州の方言であるという意見がようやく出てくる。
その人の喋りは「ですね」の連発で、
いわゆる標準語の「ですね」とは少し違うみたいです。
最初に地域性に関して言及のあった回答はこちら。(他にもいくつか情報はあるけど省略)
それに対する回答。
まいさん、私確かに九州在住です。でも、私のまわりでもそんなに一般的な言い方ではないんですよ。
はじめて「なるほどですね」を耳にしたのは、大学を卒業して社会人になった年に、福岡市出身の同僚が口にした時でした。22年前です。大学も福岡市内にありましたが、学生時代には耳にした覚えがありません(だからこそ、同僚の「なるほどですね」が新鮮だったわけで)。
その後、なじみになったビストロのシェフが「なるほどですね」って言ってました。そのビストロと件の同僚の実家が近いのですよ。福岡市の中心部でたぶん同じ校区内(小学校の)。ただし、年は一回り離れているので直接の接点はないはずです。
最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分を直視することから逃げてきた。
幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベルの胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しかし祖母は毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。
私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代や地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎の人間としてはかなり)知的好奇心や教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。
祖母は80歳を過ぎるまで苛烈な自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。
物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的な人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい、名前を挙げられた女の子たちに向かい、祖母を止めない母親に向かい、自分にも向かった。
私はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格。容姿も趣味も人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代に一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。
肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。
私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。
土地が二束三文で買える田舎町にある実家は敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室がひとつ、風呂も台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。
母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。
母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分の不手際が契機となり、怒鳴られ人格を否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。
小学校5年からは学校でいじめの標的になった。担任の女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道のいじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択の余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。
家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初は祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校でいじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動がいちばん盛んな頃に短大に進学して、父親が警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。
それから長い年月が過ぎた。
祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。
母は合わない職務で鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い。知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。
この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分を憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。
脳内には14歳の私が世界の万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれた規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。
ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。
私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。
出張で行った地域、移住した地域、東京、いずれも、20〜30代とファミリーが多かった
たまたま自分が行った地域だけがそうだったのか・・・?と思ったが、まぁやっぱそんなワケねーよな
>現在利用率(=直近1年以内に利用している人)は30.3%と3割程度で安定しています。男女の差はあまり見られず、20代、30代の若年層で利用率が高くなっています。
>コインランドリーを利用するきっかけは大物の洗濯や寝具を洗濯したいという意見が多くあがりました。月1回の利用者では、悪天候な時が高くあがっています。
楽な仕事を書いた時にもおそらくタイトルだけ見たんだろうなってブクマカがブクマつけてたけど、
そういう働き方をすればいいのでは?感
献金額は目安は書いてあることもあるが、あくまで自己基準。仲間がいたらそれに合わすぐらいで、若者は1000円だとか、生活保護の人は何も支払わないと気になるという人がいるので100円だとか。色々ある。
各教会によって、常識の範囲でとなっているので、牧師、神父に相談するといい。
奉仕も人によってとか、そもそも教会によって結構違う。保育園併設の教会だと、父母の人が結構いるので、案外強く求められることが少なかったりする場合もある。逆に求められる場合もある。
意外と面白いのは生活保護の人が多い教会だと、必然的にアルコール中毒の人が多いので、聖餐式のワインもブドウジュースが用意されていたりと、結構地域性が反映されるので、自分が住んでいる所に近いのがいいのか、それとも自分に合う教会を巡ってみたりするのかなんてのも、いいかもしれない。
あと、礼拝堂建て替え時期のために積み立て献金をしているところがあったりするので、そっちは大きく献金していて、あんまり教会に来ないので、普段の献金はあまりしていないなんて人もいたりする。
ひとりごとです。
自分は、生活している中でそこまで少子化を実感する場面がない(地域性によるところも大きいのだろうが)
勤務先ではチームメンバー(平均年齢30代前半、全員女性)の6割が子持ちで、学生時代からの友人たちは1年に3人くらい出産している。
近所のスーパーでもドラッグストアでもホームセンターでも、必ず子連れのママさんパパさんを見かける。総人口の割に、市内に保育園幼稚園が多い。
夫婦ふたりの生活は楽しく毎日幸せ。夫は最高のパートナー。両実家との関係性も良好で全員健在。
高所得世帯ではないので頻繁な旅行や大きな買い物には手が出せないけれど、たまにお寿司が食べたいなと思ったら食べられるし、焼肉が食べたいなと思ったら食べられる。
昨年夫婦でブライダルチェックを受けてみたら結果は特に問題なく、医師からは妊活を希望すれば十分授かれる可能性があると言われた。
それでも「子供を産み育てること」については全然前向きになれないまま、結婚4年目を迎えた。
前向きになれない理由は他の方もこれまでたくさん述べていることがほとんどなので割愛するが、夫婦ともに同じような感じ。
私は今年33歳、夫は34歳になる。
最近の少子化対策に関するニュースを見ていて、この国が社会全体で目指そうとしているのは
「産みたい人にもっと産んでもらう」⇒「産めるかもしれない人にはもれなく産んでもらう」状態なんだろうな、と感じた。それくらい厳しい状況なのだと無知な自分でも分かった。
同時に罪悪感を抱いた。産めるかもしれないのに産んでいなくて申し訳ないです。そんな気持ちにはなりたくなかったのだけれど。
この時代に子供を産み育てている方たちのことを心から尊敬している。
身近な人に自分が力を貸せることがあったらしてあげたいし、子供を見かけたときはどうか幸せに健やかに育ってほしいといつも願っている。
経済的に2人目、3人目を諦めているといった話もたくさん聞くので、そういう人たちには国がじゃんじゃん投資してほしい。
行政による子育て世帯へのサポートは手厚くしてほしい。そのために私が今働いて納めている税金も役立ててほしいと思う。
2年後、3年後、5年後… 夫婦ふたりで穏やかな生活を続けているのか。はたまた、何かのきっかけで子供を産み育てていたりするのだろうか。
ムスコが平均サイズを少し下回っているという。
毎度、旅先の風呂場にて遠山の目付で観察を行っている。
別に、本気を出したムスコでチャンバラするのに大きい方が都合が良い、などと思っているわけではない。
しかし、中流より上に位置していることで安心を得るのが一般人の性である故、これは必要な行為なのだ。
なお、これが当地における統計的平均を示すものではないことは予め断っておく。
地元ナンバーがほとんどのスーパー銭湯ではあったが、わずか一時間ばかりの間の観察結果に過ぎないので、俺のは例外だ、と異議申し立てされても困る。
目立ったのは、皮付きだ。
部活帰りらしい高校生大学生からおっさんじいさんまで、多くの人が皮付きなのだ。
いや、見栄なのはわかっている。
これは地域性なのか?
各地での観察の結果、日本人の7割は火星という説はアテにならんというか、わからんな、という認識でいたのだが、ここ上越では確かに当てはまる。
大きさ的には普通だ。
皮付きか否かよりも長さの方で見栄を張っているのか?
サイズの分布に関しても、わりと一般に出回っている統計通りな感じだ。
観察していた中では、やたら立派なムスコをお持ちの方は二人いただけだ。
本気出したら最低でも1.5倍か、恐ろしいな。
小さい方も、やはりそこまで多くはない。
太ると埋もれる、という通説も確かのようだ。
今まで目にしたことはなかったのだが、残酷な遺伝の結果を今回は観測してしまった。
オトウサンと呼ばれた個体のムスコさんは小さく、ドリル皮付き。
一方、息子のムスコはかなりご立派。
10cmは下らないだろう。
毛が無い、色素沈着も始まっていない。
にも拘わらずそのサイズ、その露頭。
これはあれか、世に言う、母による「むきむき体操」による結果か。
あれ、ムクことに快感を伴うことを知った時、息子としては死にたくなること間違いない体操だよなと思って以来、反対の立場を取っていたのだが。
幼少期からの英才教育の結果がこれだとするなら、安易に反対もできない。
オトウサン、泣いていいぞ。
それとも、連れ子だったり養子だったりするんだろうか。
托卵の結果であるとは、同じ男として思いたくない。
さあ、次はどこへ行こうかな。
九州という田舎の、そのなかでも陸の孤島と呼ばれる最も田舎な県で育ち、必死に勉強して東京の大学に入学し、卒業後も東京で働いている。
人間である以上、ミスをしたり何かやらかしたりすることは誰にでもある。そんなとき、もちろん元増田も元増田の周りの人も注意されたり怒られたりするのは当然である。
しかし、東京の大卒以上の良い教育を受けた人たちは、怒っていても怒っているようには全く見えないから困る。元増田が育った九州のド田舎では、怒っている人は怒鳴る、殴る、蹴るのいずれかまたは全てをものすごい剣幕で行うので、「ああ、この人は怒ってるんだな」というのがはっきりわかる。そんな環境で育ったので、静かに「あのね、そういうのは困るから、今度からは気をつけてね」とやんわり言われる程度では怒られているという実感が湧かない。こちらは怒られているのかわからないので適当にやり過ごしていたりすると、突然冷たくされたり無視されたりして人間関係が冷え込んだり終わったりする。アンガーマネジメントやらハラスメントやら言われている昨今、ますます相手の感情が読めなくなってきて困る。
ちなみに、東京でもそれほど頭のよろしくない人は怒っているのははっきりわかる。なので、地域性というよりも教養の差の問題なのかもしれない。
もう意図でてるけどせっかく要約?したので
あってるかな?
ギリ十代の乙女のときレンタルビデオ店でバイトしてた時に男性向けのAVコーナーで作業していた。
でも自分は気にならなかった。客もおそらく気にしてなかっただろう。
こういう場合は従業員として許容されると思う、元増田と同じ考えだろう。
余談だが、この時の経営者の意識は当時としても低く問題だと思う。
ここからは違うジェンダーの人が女湯に入ってくることについて考えてみる。
もしも性的な接触をされた時に「子供のしたことだから」って泣き寝入りになるのが見えてるからだ。
これはトランスジェンダーの議論に通じるものがあり、内面の性別がどうだろうとちんちん生えてる、そして使用可能っぽいと無理だ。
つまりトランスジェンダーはマジョリティが使いやすい棲み分けのために我慢して欲しい。
ふと昔の日本はどうだったかと考えると、マイノリティは個別対応で、できるだけ配慮しましょうね、っていう文化だったはず。
サブスクが主流じゃなかった、ん十年前の話になるけど。
レンタルビデオ店でバイトしてた時に男性向けのAVコーナー(隔離されてて外から見えにくい)でも作業してたわ、ギリ十代の乙女だった当時。
死角とはいえ店内だしカメラ有るし、という安心感はあったので、自分は気にならんかったし、客も気にしてなかったっつーか脳内でどうかは知らんけど特に何もされなかったし、苦情も無かったみたい。
何かあった時、未成年(当時の基準)のバイトが被害者だと問題が大きくなるのにね。当時の風潮でも。
で、これは従業員だから許容されるし益田もきっと、そのつもりかなって思うんだけど。
関係者以外でってなると
ギリギリ女湯に入れる男児でも、発育よければ嫌がる女は居るよ。
というか自分は嫌だね。
もしも性的な接触をされた時に「子供のしたことだから」って泣き寝入りになるのが見えてる。
つまり、同じ事だよ。
内面の性別がどうだろうと関係ないんだよ、ちんちん生えてる、そして使用可能っぽい。それがすべて。
そもそも、マジョリティが使いやすい棲み分けとして男女別なんだし。
マイノリティは個別対応で、できるだけ配慮しましょうね、っていう文化じゃん?いちおう日本は、伝統的に。
そりゃ個別の事例でしんどい事はあろうけども、そんなん別にマイノリティだけじゃないし。
大多数が平穏ですねっていう状態へ整理するのがマットウで、バッファとして、どこまで寛容になれるかって所が地域ごとの文化だったのにね。
関西弁はその他の地域の人間からすると、(関西弁と一言で言っても細かい地域性の違いがあるらしいのだが)自分は話さないのになぜかざっくりと理解できる謎方言でキャラ付けに最適。
あかーんって言われてそれがなんなのか理解できるのはテレビやら小説やら漫画やらにやたらと出てきて刷り込まれているせいだと思うんだけど、それを異世界転移または転生させたとして、伝わるのか?
翻訳魔法万能説か、はたまた似たような立場の訛りとして置き換えられているのか、もはや一切伝わらないのか。
訛りとして捉えられる場合、翻訳した結果だとすれば翻訳魔法は標準語を基準としていることになるがどういう理屈で日本語を設定されているのか。そもそも異世界言語が日本語であるとか?