はてなキーワード: 伊集院光とは
なんで大物扱いされてるの?
べつに批判したいわけじゃなくて、単純に謎。特に時事ネタなんて、サラリーマンの飲み会で言っても痛々しいレベルだと思う。
人によって好みもあるだろうけど、太田光を面白いと言っている人を見たこともない。
ちなみにおれは、好みでいうと、35歳ぐらいまでの松本人志が好きでした。それ以後まっちゃんは全く面白くなくなったけど、それまでの人気から地位を維持しているのは理解できる。
以下、追記。(2016/1/25 18:30時点)
ここで「いや面白いよ」と言っても個人の感覚の違いと言って終わりになるのでいいとして、売れた今でも若手に混じって新ネタの漫才やってちゃんと会場の笑いとってるのは本当に凄いと思う。
俺も面白くない派。一方で彼は努力家だとは思っている。元日のネタ番組で大晦日の紅白をいじる漫才が披露できるスキルは尋常ではない。
⇒たしかにね。
「太田光を面白いと言っている人を見たこともない」 ここに面白いと言ってる人が現れたとして(もう何人も現れてるけど)この人の考えは変わるんだろうか
⇒変わるかも。「面白いと言っている人を見たこともない」が「ほとんど見たことない」や「見たことはある」に変わるだけだけど。
面白いと思う。でも、それ以上にしつこい時とウザい時が多すぎるとも思う。三振かホームランみたいな印象だから、ついつい期待しちゃう。(そして外れる)
⇒確かに、しつこい時とウザい時が多すぎるね。おれがダウンタウン好きだったのは、そういうマイナスがほとんどなくて、安定してたっていう点もあるかも。松本の「一人ごっつ」に、しつこくてウザい時間帯はほぼなかったと思うし。(こういう発言は、昔の2ちゃんとかだと、ナイナイファンや爆笑問題ファンから「信者」として叩かれたもんですw)
別に爆笑問題を特別好きでも何でもないけど、自分が認めてないものが世間から評価されてる時にこんな風な思考になることにそろそろ名前がついて良いと思う。大物扱いとお前の好みは1ミリも関係ない。
⇒自分に理解できないものが流行ってたら「なんで?」って思うのは当たり前のことなので、べつに名前つけなくても良い気が。
既視感ある。太田ってテンプレ的にこういう意見沸くよね。面白いか?と必ずいうけど、実際はそこよりも政治的・文化的発言に相容れなくて反感持ってるんだろうなと感じる。
⇒俺は反感はべつにもってないけど、もってる人たしかにいるよね。
そう思った時期もあったけど、ラジオを聴いてガラッと印象が変わった。投稿を読み上げる太田光は、役者そのもの。自分に限って言えば、腹を抱えて笑うこともある。
太田さんというか爆笑問題が大好き。太田さんが時事や文学について語るのには「意見が違うなぁ」と思うけど、齢50を越えた二人が中学生みたいな喧嘩をするのがおかしくてたまらない。ラジオ聞けラジオ。
ラジオ聞けばわかるけど、あの人は他の誰かの筋書きを論評なり演出なりするのがうまいんであって、あの人自身がどう、ってのはあまりないんだよな/なんでみんなもっとウーチャカの狂気に気づくべき
⇒ラジオきけっていうコメントがたくさんあった。なるほどねー。ただ、昔ネットで、「伊集院光のラジオを聞くと彼が天才であると分かる」みたいな説を振りまいている集団がいて、聞いてみたら、そんなに面白くなかったという経験はある。
コネはあるよ
面白いとか面白くないとかではなく、アンタッチャブルなものに触ってくれるんじゃないかという期待感だけでそこに居る。
(まあコネというか、談志に非公式にではあっても後継指名されているのが無下には扱われない理由の1つではあると思う。あと奥さんの能力と)
マジレスするとビートたけしとパイプがあるからでしょ?同様にビビる大木も「抱き合わせ販売」状態ってどこかで見たぞ。カラクリはあるだろうにanonymousを叩くコメの意図がわからん。マウント取りたくて仕方ないのか?
⇒そうそう、信じるかどうかは別にして、こういうのが気になったの。べつに、太田がテレビに出てるのが嫌とかいうのは全くなくて、単純に、お笑いとしてのクオリティが低い(と俺には感じられる)のにそれなりの地位に付いている理由が知りたいなぁと思っただけ。
僕も爆笑問題は好きではないけど、こういうのはなんというかダサいな単に。/ 「太田光を面白いと言っている人を見たこともない」と「爆笑問題ファンから「信者」として叩かれたもんですw」が矛盾
⇒たしかに、「見たこともない」は言いすぎたな。しかしよく考えたら、昔「ダウンダウン信者」とネット上で抗争を繰り広げていたのは「めちゃイケ派」や「笑う犬派」だった記憶が蘇ってきたので、「爆笑問題ファン」をわざわざここに挙げるほどみてない気は依然としてする。
太田の面白さも理解しかねるが、「それ以後まっちゃんは全く面白くなくなったけど、それまでの人気から地位を維持しているのは理解できる。」こっちの方が理解できない。
⇒賛成できるという意味での理解ではなく「世の中そんなこともあるだろ」っていう意味での理解です。
あの人は不思議な感じで、面白いと思った事がないんだけど「俺が見てないとこで面白い事言ってるんじゃないか」という謎の期待感というかハッタリがきいている。/テレビ・ラジオっ子には分かるまいw
⇒なんか分かる気がする。
⇒そういう上手いボケを連発してくれる期待感がないんだよなぁ。
なんか思ったよりブクマがついて微妙にホッテントリに上がってて、太田さんに申し訳なくおもっておりますが、意外に「いや、面白いから」みたいなコメントがたくさんあったので逆によかったということにしときましょう。
キングオブコメディの高橋が女子高生の制服を盗んで逮捕された。オンバト時代から割と好き、くらいの距離感でもこの報道は凄いショックだった。だけど、何よりショックだったのはこの報道をお笑い芸人がネタに出来ないことだ。
考えてみてほしい。この事件をお笑い芸人以外が起こしたら真っ先に芸人がネタにするだろう。特に爆笑問題は絶対にやっていたと思う。植草教授が品川のエスカレーターで手鏡越しに女子高生のスカートを覗いたモノマネをしたくらいだもん。それなのにサンジャポで一切ネタにしないどころかコメントもしない。
あとは伊集院光だ。俺は2年くらい馬鹿力リスナーだったからこういうネタが大好きなことくらい知ってるぞ。つい最近側溝男をネタにしてゲラゲラ笑っていただろ?? あれと同じようにやってくれるんだろうと思ってた。だとおもったら12月28日のラジオでは痴漢の冤罪を掛けられたときに高橋を擁護していたことを謝るだけだった。 ふざけんなよ! 偽善者ぶってんじゃねーよ。 側溝男なんて比じゃないくらい格好の面白事件だろ! 高校に制服盗みに行ってるやつがテレビに映ってるんだぜ? こんな笑いに出来ることないだろ? それなのにひたすら「僕が悪いんです」みたいなツラしてさ、CM開けたら普通の笑い話してるの・・・そういう偽善を一番嫌ってる人なんじゃないの?伊集院って??
「この事件での被害者がいるはずだから」、という事らしいけど側溝男だって植草教授の件だって被害者がいるのは変わらないし、お笑い芸人が犯罪犯すより経済評論家が性犯罪やる方がショックだ、という人もいるはずだ。
この事件を茶化したガリガリガリクソンは本当のプロだと思う。 これをネタに出来ない日本のお笑いは、存在価値がない・・・とは言わないけどお笑い芸人の社会的役割である「批評性」が大分弱くなっていると思う。
追記
「したらしたで批判する気でしょ」の人へ。 少なくとも俺はしないよ。
お笑いタレントが都内の高校に白昼堂々と軽トラを横付けに、女子生徒の制服などを盗んで逮捕された件で、さまざまな報道がなされている。
このタレントは2007年に未成年者へのわいせつ事件(いわゆる痴漢)で逮捕されているが、のちに不起訴となっている。
「今まで痴漢が事件として立件されにくかった風潮に対し、それを正そうという揺り戻しで、痴漢は証拠がなくても立件されやすいようになっている」
「あいつは気の小ささが自分に似ていて、痴漢なんかするとは思えないんだよね」
などと、完全に被害者の虚言であるかのような扱いでラジオ番組のトークのネタにしていたのが、今回の事件にからめて掘り起こされ、炎上している次第である。
報道によれば、20年間高校生の衣服を盗んできた人間を擁護していたのだ。
岡田斗司夫の不倫騒動で始まった2015年が、伊集院光のレイプ事件で終わりを迎えようとしている。
忌まわしき00年代の完全なる終焉を象徴するかのような一年だった。
伊集院光のラジオを夜中にこっそり聞いていたやつらが調子に乗って表に出てきたのが00年代だ。
人間の視界にいれてはいけない、天下の往来を闊歩させてはいけない連中に人権を与えてしまった、人類史上最大の過ちについて総括すべき日が、ここに訪れた。
ある種の第三次世界大戦が行われていた期間であると位置づけても過言ではないだろう。
2008年、志半ばでこの世を去られた宮崎勤さんも草葉の陰で泣いている。
泣くのはやめて立ち上がるべきだ。
共産党の市議が戦車のアニメにクレームをつけて催し物を中止にさせたという話があったが、あれは逆を言えば、共産党を通して抗議させれば、オタクが好むだいたいのものは簡単に潰せる、ということの証明である。
ポリティカルコレクトネスという最強最後の武器を使って世界で最弱の雑魚敵であるオタクたちを、これ以上なく正当な大義と方法とで、潰しまくれるのだ。
オタクたちがやっているグランブルーファンタジーとか探検ドリランドとかとはスケールが違う、これこそが本当のソーシャルゲームである。
この剣を振りかざせば、美少女アニメも毒舌タレントも、たちまち死ぬ。
みんな死ぬ。
みんなここで死ぬんだよ。
営業マン、社長、駅弁の売り子、自動車工場の社員、空港職員、人形浄瑠璃の演者、農家、伝統工芸の職人、撮影スタジオのカメラマン、楽団員等々、様々な職業の人の働く様子とともにその人のランチ風景を紹介する。
全く知らなかった職業、各人の仕事への取り組み方や職場の雰囲気を知れる面白さと、日本各地の美味しそうなランチが魅力的。
その家独特のおにぎりを紹介する「おにぎり百景」や、お昼どきのオフィス街で道行く人に声をかけスタッフと一対一でランチをさせてもらう「サシメシ」、視聴者の投稿したお弁当写真を紹介する「みんなのサラメシ」等、毎回3〜4つのコーナーに分かれている。
印象に残っているのはおにぎり百景で紹介された桜おにぎり。桜農家が収穫時期に1日だけ満開の桜の木の下に集まり、桜の塩漬けを混ぜ込んだピンク色のおにぎりを食べている様子は素敵だった。
何の気なしに見れるので録画しておいて見たいものが無い時に見ている。
「おくのほそ道」、「風姿花伝」、「般若心経」、「アラビアンナイト」、「遠野物語」等、大抵の人が題名くらいは知っている名著を、25分×4回の計100分で月に1冊ずつ、その分野を専門とするゲスト(基本的に大学教授、たまに僧侶や詩人)が分かりやすく解説してくれる番組。
本の内容はもちろんのこと、毎月登場するゲストの人となりも楽しみの一つ。いかにもその分野っぽい人が登場することが多いのだ。
毎回伊集院光が面白い着眼点で質問したり感想を述べたりしていて感心する。
「いい質問ですね!さすがです!」なんて派手なリアクションの先生もいれば、興味無さそうに受け流しちゃう先生もいたりして掛け合いも面白い。
印象的だったのは「種の起源」の回で紹介されたダーウィンの生い立ちで、ダーウィンは医者の息子だったので医者になることを望まれていたが、当時は麻酔がなかったので子供の手術なんかに耐えられないタイプで医者になれず研究者になったというエピソード。昔って麻酔無しで手術してたの?!という衝撃が…。全然本の内容関係無いけど。
録画して100分まとめて見ている。
視聴者のお悩みを専門家の手を借りて解決するという極めてシンプルな内容の番組。司会の松嶋尚美と三宅裕司のおかげで重たい悩みでも番組の雰囲気は明るい。
強烈だったお悩み1「キレイと言われたい」
容姿に自信のない相談者(女性48歳・既婚子持ち)は過去の経験でがんじがらめになって自分に本当に似合う服を受け入れることが出来なくなっていた。解決策としてスタイリストが提示した方法は、町や駅で見ず知らずの人に「今日の私の服、似合っていると思いますか?」と聞いて回ること(!)。見ていてほんとに居たたまれなくなったけど、みなさん案外フレンドリーに答えてくれていてホッとした。
最終的には結構いい感じに解決していた。
家には大量のマニュアル本を揃える婚活中の相談者(男性)。「女性には寒くないですか?と声をかけよう」とのマニュアルに基づき、人混みで熱気ムンムンの婚活会場で「寒くないですか?」と声をかける相談者。みんなから「むしろ暑いです」と答えられていた。
お悩みを解決してくれるきわめびとは冒険家、解決方法としてグループで山登りをするというよく分からない展開になるのだが、山登りのために買ったマニュアル本を山に持ってくる相談者。コントか?!
山登りで自分の殻を一枚破れた様子の相談者だったが、まだまだ道のりは遠そうであった。
タレントやクリエイターが母校の小学校に出向いて6年生の1クラスに2日に渡って授業をする番組。
テレビで見たことある人が先生だからなのか子供達が素直に授業を楽しんでいる様子が好ましい。
詳しく紹介しているブログがあったので貼っておく。てかすごいブコメ付いてるから今更感が…
http://d.hatena.ne.jp/yyamaguchi/touch/20140516/p1
子供達が今までと違う視点を身につけて少し自由になれたように思えるいい授業だった。
まず自分で思い出せるだけのことを詳しく年表に書き出し、次に家に帰って親に書き足してもらう。ここで「お母さんこんな話知らなかったよ」と親が子の事を知る事が出来たり、子が自分の覚えていない小さい頃の事を親に教えてもらう事が出来たりと、家族にもよいきっかけになっていた。
次の日はクラスメイトがそれぞれの相手に持つ思い出を一つずつ書き加えていって年表は完成。体育館に全員分を貼ってみんなで読んで回って授業終了。「クラス替えの後初めて話しかけてくれた」なんて思い出を書き加えてもらい「そうだっけ?全然覚えてない!」とまた新たな自分を発見。中学校に上がる前に一つのいい区切りとなる授業だった。これは水道橋博士がいなくてもどこでも出来ていいと思った。
課金のせいってのもあるけど
もっとも肝心なのは終わりがひどいから好きだった人もアンチになりやすいってことよ
「映画やドラマにはゴールがあるから終わるときも笑顔だけど、バラエティはいつも視聴率が理由の打ち切りだから、終わるときはいつも悲しい」
って
ソーシャルゲームって
まぁパズルゲームは例外的に俺も好きだけどさ(課金でひどいことになってなければ)
RPGとかっていつ終わるの?っておもうわけですよ
終わりの見えないものをやり続けると終わるって意味あるんだなってのを考えるよね
終わるからこそ思い出になる
人生に意味なんてないと思ってるからソーシャルだけじゃない話だし
意味を考えたらそれこそゲーム自体意味ないし、映画も書籍も意味ないよね
でもそこに意味を見出すってことは結局いい思い出になってほしいからだと思う
だからこそちゃんとその辺やってほしいよね
あれって人気があるとずーっと続くのよシーズン2,3当たり前で4,5,6ってつづく
あきれてさ、一時期はまってたけど今じゃもうアメリカドラマ自体見なくなっちゃったよね
やはり終わるって大事
終わらないもん
だからワンピースとか読んでる人ってスゲーなって思う(余談だけどワンピース読んでる人のソーシャルゲームやってそうな感なんなんだろう)
終わらないもので例外で好きなのはっていうとドラえもんがそうだし、サザエさんとかこち亀もそうだけど
共通するのは読み切りってことだよね
伊集院光さんがラジオで「最近のFFは感情移入できない。主人公がイケメン過ぎる。俺ブサイクなのに」という主旨の事をラジオでたまに言ってる。
聞いてる分には納得なんだけど、俺は真逆で、主人公がイケメンな作品見てる時は自分までイケメンになったかのような気分で見てる。
そして自分がブサイクだからこそ、その擬似イケメン体験が気持ち良かったりもする。
こういうのってもしかして少数派なんだろうか?
ルックスに限らず、例えば腕っ節が強い主人公の作品見ると自分まで強くなったかのように感じるとかってあるあるだと思うんだけど、その感情移入の度合いが強いとか?
ツイッターにおいて、望まれないリプライ・的外れなリプライは総じて「クソリプ」と呼ばれる。
ツイッターを含むネット界隈ではすでに人口に膾炙し、よく知られている言葉であるが
なにぶん「クソ」という上品とは言い難い単語が使われているため、ネット以外の場所では使うにはばかられる。
そこでこれを「リプライハラスメント」・「リプハラ」と改称してはどうだろうか。
たとえ内容が同じでも「クソリプについて研究をする」というより「リプハラ問題について研究する」とした方が
そうした研究の成果によっては、あなたがリプハラを受けなくなる日が来るかもしれない。
いまだ多くの人々にとって、マスコミは大きな情報源であり、信頼をされている。
リプハラというものがあり、それはこのようなものであるという周知がなされる意味は大きい。
自分の身を振り返ることのできる人々は、リプライボタンを押す前に一瞬考えるだろう。
「これはリプハラにならないか?」
この一瞬の自省が多くのリプハラを減らす。
ほとんどのリプハラは目にしたツイートに対し、反射的につぶやいているものだからだ。
もちろん、それでもリプハラをする者もいるだろうが、その総量は確実に減る。
「セクハラ」という言葉が知られるようになって、「セクハラ」は減っていっているのだから。
「あなたもリプハラをしているかもしれない!」と恐怖を煽る特集が雑誌に載るだろう。
「リプハラをする人間の脳はこうなっている!」と解説する新書が出るだろう。
人気講師はマスコミに呼ばれ、新たなセレブアイコンになるだろう。
リプハラ専門弁護士が生まれ、マスコミに呼ばれ、新たなセレブアイコンになるだろう。
「伊集院光 深夜の馬鹿力」のYahoo!クソ袋のコーナーに投稿しようと思い書いたのですが、どう考えても採用されないので送らずにこちらで供養します。
日本語が異常に下手ですが読んでいただけたら幸いです。
「よくよく聞くと質問者がただのヤバい奴だった」というコーナーの王道の流れにしたかったのに書いてる自分が気持ち悪い展開になりました。
あれは「出そうと思えば桃鉄出せるんですよ?」とチラチラ見せておきながら使わざるを得ない状況にならない限りは絶対に出さないものなんだよ。
ましてや伊集院光が据置で出せとか言ってたらしいが、据置なんて絶対ありえないね。出す理由がない。アホかと言いたいね。書いたけど。
IPってのは、使うにしろ死蔵するにしろ、手駒でしかないんだから会社の都合で好き勝手使われる道具に過ぎないんだよ。
ゲーマーどもにはっきり言うが、ゲーマーのためのゲームなんて作らないぞ?ゲーム会社はな。
例えば、今の情勢を考えればPS1,2のゲームは3DSと親和性高いゲームが多い。じゃあSCEが任天堂にゲーム出しますか?ゲーマーのために版権売りますかって話だよ。
フェミだの弱者だの言う度に炎上しては発散してブコメ欄が自己紹介の嵐になるわけだが、一回整理したいと思う。
だからなんだという話ではなく、きっと言いたくなった「ソレ」がオマエの脳内の自己紹介になる。
全16セットだな。
もうこの軸で既に炎上しそうだが、「キモくなくてカネのある若い女性」は救われるのか、という話。
まあ、若者のほうが稼げることは少ない。
普通は年の功というか、年功序列でというか、スキルの積み上げというか、
就業年数が長くなればなっただけ、社会的な信用も、賃金も上昇していく。
日本はかなりハッキリ、賃金カーブで見て明らかに女性が冷遇されてる。
つまり、カネのあるオバハンってのは、かなり頑張ったか運が良かったか何にしてもレアだ。
そもそもカネの有る無しで言えば、圧倒的に男性は恵まれた環境だといえる。
これは逆に救いがない。
ワリと残酷なことを繰り返すが、女性の賃金カーブは、一般的に男性よりも低い。
つまり、統計的にみると、年上の方が給料増えたり、しない。年功序列効果薄い。
有り体に言えば、女性は若かろうがオバハンだろうが、給料に差がつき難い。
おもしろ経済学系のセンセが論文書いてたりするが、容姿によって賃金格差がある。
で、統計的に処理したデータみると、全般的に女性ってのは男性よりも給料が低い。
つまりだ、コムスメがオバハンにジョブチェンジしても、給与の変化は微々たるもんだ。
とは言え、どの年代のどんな属性であっても、賃金は常に男性よりも低い。
子供>>>>母子家庭>>>>(超えられない壁)>>>>単身女性>その他
カネがあっても幸せにはなれんかもしれんが、カネがなきゃ死ぬんだよ。
そうすると、「カネを稼ぐ能力が低い」方から、社会は福祉を始める。
まあ、こういう順序で救済されることになる。
つまり、恵まれた境遇に居ながらにして「カネのないオッサン」というのは、努力してないと看做される。
(本当は、個別個別に事情があるかもしれないのにも知れないのにな)
で、何度も繰り返すが日本はまだまだ女性の賃金が低いし職も薄いし、女性の管理職は超レアだ。
すっと、ワリとカネのないオバハンっていうのは、コモン扱いで、それがフツー。
世間の目もまあそんなもんだよね、程度。
あのな、カネ稼ぐ能力のないガキが寒空の下放り出されてるわけじゃない。
キモくてカネのないオッサンとは言え、大抵の場合、「生きていく程度のカネは稼げる」程度には恵まれてる。
ヒラコーがドリフターズで描いてたがな、人間は尊厳がなくても食えれば生きていける、食えなくても尊厳があれば生きていける。
この「食える」っていうのは、時代によって違う。
まさに餓死一直線の文字通りのレベルから、「周りに比べて」という時代まで。
個人の人格を誇りに思えるかどうかのどこまでいっても「自己判断」だ。
「自分がここにいていいんだ」と思えない時に、ヒトはワリと病的になる。
「ああ、カネのないオバハンって、アタシの他にも沢山いるわフツーだわ」と思えるかどうかが、ポイントだったりする。
すると、
その「キモくてカネのないオッサンだと自覚している男」は、それよりも恵まれない境遇の人間がいようがいまいが関係なく、病的になる。
奇抜なファッションはブスの逃げ道と、その昔伊集院光は喝破した。
じゃあ、キモくてカネのないオッサンの極端な逃げ道は、どこに行くんだ?
これは福祉の問題じゃないんだよ。別に食えてないわけじゃないわけだし。優先度低いし。
どちらかというと、治安の問題で、キモくてカネのないオッサンの矜持を保てる程度の世間の目というのをつくり上げるのが重要なんだと思う。
が、まあ、子供の居ない夫婦というロールモデルですら拒否しかねない日本社会で、そんなオッサンは放置されては極端に走って逮捕されるのかねえ。