はてなキーワード: ファイアパンチとは
この脳みそはもう駄目だ……。
何かを褒めたいという気持ちが生まれた瞬間、何かを貶めたい気持ちがそれを追いかけてきて最後にはスリップストリームを利用して褒めたい気持ちより前に躍り出る。
そうして無意識の海から氷山の一句として口や指先から出てくる言葉は、何かを褒める言葉ではなく、褒めたかった物を利用して他の物をコケにする一言なんだ。
悲しい……。
インターネットが、社会が、テレビが、親が、世界が、本が、友達が、自分自身の歩んできた人生そのものが、自分という人間をすっかりロクでもないモノとして作り上げてしまった。
今回は少年ジャンプ+
ああ、終わった。
本作のテーマを大まかに語るなら、“役割”や“虚構”みたいな話になると思う。
当初期待されていたような、悲しき宿命を背負ったヒーローの活劇ものでは決してない。
むしろそういったものを虚構とし、その偶像に翻弄され、各々の役割に苦悩しつつも時に順応し、時に戦い生きようとする者たちの群像劇みたいな感じ。
話は二転三転しつつも、実はこのテーマ自体はちゃんと一貫していたりする。
最後のサンとルナの邂逅だって、二人は本来のサンとルナではないわけだからね。
そういったテーマや作者の伝えたいであろうことを踏まえたうえで、私が本作を面白かったと思っているかというと……うーん。
展開は行き当たりばったりのように感じるけれども、連載当初の作者のインタビューから解釈する限り、大まかなプロットは決まっていたっぽいんだよね。
それであの始末なのだとすると、構成力不足か読者との意識のズレがあるのかなあと思う。
私もよく感想書いていたから、少なくともある程度は本作を評価していたのは間違いないんだけれども、喉に小骨が刺さっているような気分だ。
主人公が部活に誘われて、最初のうちは渋るものの最終的に入部する、まあ紋切り型。
とはいっても紋切り型が悪いわけではなくて、大事なのはその型に何を入れるかだからね。
その点で「書道」などといった選ばれにくい題材をチョイスしたのは妥当な判断だと思う。
難点は主人公の苦悩が陳腐で、思春期特有の漠然とした虚無感の延長線上でしかない点かな。
だから身内の死という要素を付け足して、その動機の希薄性を緩和しているわけだけれども、そのせいでかえって主人公の苦悩が身内の死のせいなのか若者の陳腐な万能感からなのか有耶無耶になっている。
そもそも芸術的な話って、一般人から見て「何がどうすごいのか」についてアカデミックな解答がないと共感しにくい。
その状態で、肝心の「なぜ書道なのか」について観念的なことばかり並べられても、結果として雰囲気だけで描いているという印象から抜け出せない。
まあ一番悪いのは謳い文句書いた人だよね。
「衝撃作」とか謳っておいてこれといったインパクトがないんだから肩透かし食らう。
キャラクターの描き方が上手いなあって印象。
主役はタイトルにもなっているノリなんだけれども、言動の突飛さと激しいスケート(?)シーンを同時進行で見せることによって、「変人だけどすごい」という説得力が増す。
コメディやギャグ漫画でも、絵の説得力って大事だなあと改めて実感した。
まあノリの造形はあんまり好みではないけれども、見せたいものが伝わっている時点でデザインとしては成功だと思う。
それぞれが「友愛か、恋愛か」みたいなことで悩んでいるんだけれども、これが三者三様であることを改めて見せてくれたなあっていう。
他の主要人物が一応の答えを出して立ち回ろうとしているのに対し、二葉の場合はそこら辺が漠然としている状態。
YESにしろNOにしろ相応の立ち回りをするべきなのに、二葉の消極的な性格もあいまって上手くできない。
それが前半の、二葉の将来に対する煮え切らなさと本質的な部分では重なっているわけだね。
学生たちが進路について考え始める時期に設定したのは、話がゴチャつくか空気設定になる可能性もあったけれども、なんか上手いこと繋げていくなあ。
まあ、タイトルからしてアンドロイドの人格に焦点を当てた作品であることは明らかだから、話は最初からスッと入っていく。
SF要素や哲学的な話は希薄で、矛盾はしていないように見えるけれども陳腐だとは感じる。
そもそも主題は「過去に辛い経験のある二人が、共に前向きに生きることを決意する」といった話だろうから、まあ作りはこれでも良いと思う。
期待していたものとは違うけれども、ストーリーと紡がれるドラマ自体は割と嫌いじゃないよ。
週刊ジャンプで連載されてたのに、コミックス発売記念の漫画をジャンプ+でやるのかっていう印象はあるけれども、まあ本誌でもジャンプ+の宣伝はよくするから細かいこと気にしたって仕方ないか。
この手の転移モノの話で未来に飛びたがるってのが逆に珍しい気がする。
現代だと、むしろ旧文明な異世界とかのほうがポピュラーなイメージがあるし、磯兵衛が過去に飛んで原住民相手に知識をひけらかしてドヤ顔するほうが“らしい”気もしたから。
でも、ここで「未来のほうが楽ができる」っていう発想は確かに“らしい”。
それに転移ものとしては最低限のツボは抑えていて、ジェネレーションギャップ(?)や、順応しようとする描写、肝心なところは大体「母上」というチートで解決っていうのも(笑)
とはいえ新鮮味は薄く、周りの登場人物が明らかに子孫で実質同一人物なので、現代を舞台にしつつも空気感はいつも通りだね(まあ、本作はもとから現代の話がちょくちょく入り込むことが多かったけれども)。
最後に磯兵衛はちょっとした成果を出すけれども、いわゆる枯れた技術の水平思考になっているのはちょっと感心した。
近年の異世界転生・転移もののマンガ読んでいる私からすると、現代の文明を旧文明の世界で活かすパターンが多かったから、その逆パターンもポピュラーになってもいいよねと思った。
子供を主人公にして過激なことやらせるってのは、まあ鉄板といえば鉄板。
主人公であるギコの序盤のアクションはケレン味が強く、まああんまりマジになって見るべきものじゃないことはすぐに伝わる。
ギコの人格を成熟させるのではなく、あくまで年齢相応に設定したのは良かったと思う。
アクションとのギャップでメリハリが出るし、分かりやすい未熟さはキャラクターとしては魅力にもなりうる。
反面、プロットは前時代的な勧善懲悪ものにしかなっていないのは残念。
結果としてはギコの一方的な勝利で終わるので、バトルシーンは総じて面白みが薄い。
例えるなら、小学生向けの漫画誌で描いていた作家がちょっと過激な描写に挑戦してみたものの、その頃のクセが抜けていない作風っていう感じ。
ボクシングを題材にはしてあるものの、スポーツものというよりは青春ものって感じ。
ほとんどモノローグ調で語られる主人公のセリフと、反して明朗快活なヒロイン。
だが本質的には同じ苦悩を抱えており、互いが想いを分かち合おうとすることでトラウマを払拭するという構成は良いと思う。
気になるのは、主人公の設定がボクシングシーンと噛み合っていないというか、分かりにくいところかな。
今までは防衛本能で殴っていたけど、共有できる仲間がいることを自覚したので冷静になれた、みたいな感じに解釈したけれども。
部活モノとして表面的に見るならば、今回感想書いた『I WILL ROCK YOU』と似ているんだけれども、テーマによって印象は大分変わるね。
今回は少年ジャンプ+
サンのアグニに対する信仰は偶像に近いんだけれども、それが軽薄ではなくて確固たるものだということを読者にも分かる理屈で説明している。
「人は信じたいものを信じたいように信じる」と語られているが、実際それがままならないことがよく分かる。
物語を追っている読者目線で見れば、どちらが正解を言っているかは明白なんだけれども、その前提がない立場だと主張を信じてもおかしくないような論理が展開されている。
メタ的に見れば、本作の能力における説明の粗探しを逆手にとっているとも言えるね。
社会通念に対して、中々に優れたバランス感覚をお持ちだなあと思った。
公衆のベビーカーのスペース問題や、赤ん坊の泣き声問題について正当な権利を主張しつつも、それをウザったいと思う人間の気持ち自体を否定はしていないのが良い。
もし論理の殻に閉じこもった社会不適合者だったら、「正当な権利を行使しているだけで何も間違っていないのだから、ふんぞり返ってればいい」なんてことを言ってたかもしれない。
作家自身がそう思った経験もあり、思われるような立場になって、経験をつんだからこそだってのが伝わってくる。
社会において重要なのは許容と順応で、それを育むのに杓子定規な正論はむしろ害悪だってことを、経験者だからこそ理解しているんだと思う。
「そういうのに寛容でいられない人間は愚か者」となるのではなく、「そういうのに寛容でいられる人間は偉い」のほうが健全だもんね。
意見を押し付けることはよくないことだが、どうせ押し付けるならポジティブであってほしいし。
上手いこと繋げたなあというか、こじつけたというか。
説得のためにすげえ尺使ったなあとは思うけれども、実際問題として人間が長年積み重ねてきたものは本質ともいえるもので、ちょっとやそっとのことじゃ変わりたくても変われないだろうからね。
メタ的に見れば、「生まれてから宇宙に飛ぶまでの十数年の人生」と「宇宙に飛んだ後の数十日間の人生」の戦いなわけで、後者が勝る説得力を持たせたるためには必要なドラマだったとは思う。
それにしてもアレだね、『ナルト』しかり古今東西のドラマにおいて、主要人物が体の一部を失うことによる絵的な力は凄まじいよね。
今回、「もうどうしようもないんだ」のシーンのくしゃくしゃな表情も中々よかったけれども、ラスト付近の見開きが個人的に効いた。
「そこに見開き持ってくる!?」と思ったんもん。
まあ粗探ししようと思えばいくらでも思いつく場面ではあるけれども、それで持っていかれた。
あー、あの作者のかあ。
『デッド・オア・アニメーション』は「やりたいことは分かるんだけれどもなあ……」みたいな作品だったが、そのあたりの作家性の問題点を担当がちゃんと指摘しているところが良いね。
それをメタネタにして、「氷コーヒー」だとかいう話の本筋と全く関係ない情報に1コマ割いている箇所が、あんまりちゃんと機能していないのも良い。
そんなつもりで描いていないならそれはそれでネタだし、そのつもりで描いているのならさほど面白くなっていないのが、これまた担当の指摘を裏付ける構成になっている。
そもそも「中堅漫画家が色んな人に話を聞いて学ぶエッセイ漫画」は割と“鉄板”になっているんだよね。
近年だけでも『ジャンプの正しい作り方! 』などのサクライタケシ氏の企画モノ、『大亜門のドンときいてみよう!』、『中川いさみのマンガ家再入門』とかあるわけで。
特にコンセプト丸かぶりな『中川いさみのマンガ家再入門』とは確実に比較される。
あの漫画、色んなクリエイターの言ったことを読者にも何となく伝わるよう落とし込んで説明するのが上手いからね。
有名な漫画家に話を聞いているだけでも面白いけれども、それだけだと作家の手柄じゃなくて担当など企画を持ってきた人間の力が大きいよねってなっちゃう。
それを今後どうするかってのが課題だろうね。
今回は少年ジャンプ+
相変わらずシーンの切り取り方と繋げ方が無頓着なきらいもあるけれども、今回はアクションも比較的分かりやすい。
やり取りも簡潔かつ明瞭で、例えば「俺はアグニじゃない」のくだりとか。
ここでいう「アグニ」っていうのは偶像として民衆の拠り所になっていた頃の彼のことではあるんだけれども、それを否定することと行動の結果(目的)が繋がっている。
まあ、戦闘シーンのくだり自体は蛇足感が強くて、前回で消化しきってて欲しかったかなあと思わなくもないが。
主人公が自分の置かれた状況と照らし合わせて、デスゲームそのものをメタ的な視点から分析している場面が興味深い。
で、それを踏まえて「どこまでメタ的な視点から読み取ればいいのか」っていうのを、後半の展開で読者に提示しているのも良い。
とある劇中マンガに主人公たちはドン引きするんだけれども、視点を変えればあれは所謂「シリアスな笑い」なわけで。
主人公の「どこに続くんだよ」っていうツッコミはギャグの領域だ。
柱のコメント含めて、この作品をどの程度メタ視点で読み取ればいいかと混乱させている。
あと、「ヒロイン観察漫画」っていう俗称が作中で出てくるのも大概ネタだなあ(なにせジャンプの各WEBコミックサイトは、その系統の作品を大量に世に出している)。
この時点で、良くも悪くも本作の流れや作風を完全にモノをしているという印象。
なにせキャラの設定とか話の流れそのものは、既存の学園コメディモノで有名なのがいくつかあるからね。
その状態で構成まで似ていたら、細部では別の作品だとしてもほぼ同じ作品だという印象を持たれる。
ちょくちょく挟まれる先生の自分語りや、モブたちの独特な実況は良いアクセントになっているけれども、特筆して個性があるのはそこだけだから、その部分にうんざりされたら読み続けるモチベを保つフックがなくなるかもしれない。
感想は書いていないけれども、色んなWEBコミックサイトを巡回しているんだよね。
といっても網羅しているわけじゃなくて、基本は16ちょいのサイトを回って、気が向いたら別のサイトもって具合。
それでも週に100作は読んでいるわけで、そんなに頻繁に見ていると作品を構造的に読んでしまうことが増えてくる。
で今回も、RPGものや異世界ファンタジーものをモチーフにしたコメディで、それはもう割と手垢まみれなんだよなあと改めて認識した。
勇者じゃなく敵側のモンスター役が主人公とか、クズと善良なキャラの掛け合いだとか、そのあたりがもはや紋切り型になってしまう現代は、ある意味で本当恵まれているなあ、と。
仮にやる場合は既存のものより洗練されているか目新しい何かがないと厳しいんだけれども、それが難しいからキャラで勝負するしかないんだろうね。
で、そのキャラはというと、個人的にはあまり刺さらなかったかなあ。
失礼かつ身も蓋もないこと言わせて貰うなら、主役のゾンビか勇者をセクシーな女の子にするか、マスコット調のファンシーキャラとかにしたら一定のファンは獲得できると思うよ(冗談のつもりで言っているけれども、そういうのが効果的であることは否定できないからなあ)。
まあ私は、もうその系統は食傷気味なので読みたいかといえば読みたくないけれども。
なんか我ながらすごく投げやりな感想だ。
今のところバトル部分が盛り上がりに欠けるというか、だまし討ちとか不意打ちとか瞬殺で終わりとかばかりで。
じゃあ、キャラクターたちの掛け合いとかバックボーンのストーリーとかが重点かといえば、掘り下げも甘いまま死ぬから何の感慨もないしで。
今後も、能力の後だしジャンケンとか、不意打ちだまし討ちばっかりで決着がつくようならうんざりするけれども、さすがにそんなことしてくるようなストーリーテラーなわけがないと思いたい。
二転三転して、恐らく十二支以外の第三勢力とか裏に隠された大きな陰謀が露にとか、それ以上の展開はしてくる、と思いたい。
というか作品に深みを持たせるための練り込みが甘いから、そういった展開部分で惹かせるしか期待しようがない。
ただ、まあ、そういう展開を六話の時点で予想&期待している時点で、私の中で本作の評価はかなり低い水準になってしまっているんだなあ、と。
今回は少年ジャンプ+
7つのショートショートで作風が窺えるのは、それを作者自身がモノにしていることの証左だね。
ただ、テーマ自体は昔話をモチーフにしたものとか、ほとんど紋切り型。
作風の特徴として、「ツッコミを詳細に」っていうのが傾向としてある。
これ自体はボキャブラリーを工夫しているのは良いと思うんだけれども、これが使われるときってネタそのものに自信がない時だって感じることが多いんだよね。
例えるなら、ネクタイを着けている人が目の前にいたら、「ネクタイを首にかけているー! かけ方はウィンザーノットだー!」みたいな。
ツッコミは原則ボケを理解させて盛り上げ、面白さを向上させるためのものだと思うので、ネタそのものが弱かったらダメだと思う。
なのでツッコミがほぼない6話とかはちゃんとネタが出来ているのかなあ、と。
相変わらずアクション面での描写は、お世辞にも上手くないなあ。
躍動感がないし、何をやってるか絵で分かりにくいのに、説明もしないから。
名も無きモブキャラでも、それなりにプロフェッショナル感を出させるセリフ運びや演出はいいんだけどなあ。
終始、絵を丁寧に描いているのは良い。
すごく頑張って描いているってのが伝わってくる。
反面、テーマに対してプロットがとっ散らかっていて、コマ割もセリフもごちゃごちゃしている。
そのコマも常にキャラやフキダシ、セリフがびっしりしててページ全体が窮屈。
演出意図はメリハリが大事なわけで、“ココ”っていう場面ではコマも構図もキメないから、スポーツ部分での描写は説得力があまりない。
主人公の先生に対する恋慕を演出したいなら一つのコマ、ページはあえて情報量を少なくすることで、人物描写そのものを強調するだとかしたほうがいいんじゃないかなあ。
主人公の青春モノとして見るにしても、スポーツモノとして見るにしても、その両方を合わせたモノとして見るにしてもビミョーという印象。
他の9月期ブロンズルーキー賞の作品についても感想書こうと思ったけれども、良くも悪くも特に何も言うことはないって感じ。
ワンアイデアと目を引くキャラがいればそれなりに体裁は取れるけど、その手法自体はもう大なり小なり既存の漫画がやっているわけで、そこから更に読者を引き付けてそのまま離さない地力があるかっていうと、別にそれほどでもないと思ったし。
今回は少年ジャンプ+
メタ的に見るなら、アグニが現状の展開について読者向けの説明をしてくれないから、ネネトがそのケツを持った感じ。
いや、本作ってどうもこのあたりの運び方があまり綺麗じゃないから今さらかもしれないけれども。
語らず見せるべきことと、見せても語るべきこととの過不足について作家自身苦戦している……ってのは邪推が過ぎるか。
今回は世界観説明というか、ヒロアカの設定資料を漫画で読んでいるような心地だった。
こういった架空の設定について理詰めで説明するのはリアリティが生まれて嫌いじゃない。
本作のテーマにも繋がっている解説だし、不必要というわけではないしね。
ただ、やっぱりちょっとファン向けというか、文字とフキダシの占有率が凄まじくて手放しで褒められた構成ではないけれども。
まあスピンオフって基本的に原作ファンとかが読むことが多いの前提だから、まあそれでもいいのかなあって感じか。
ちょっと前から始まった、読み切り&新連載ラッシュ。一つ一つ感想書く気力もなかったので、全体的な感想として。
ギャグ漫画、コメディ系のは軒並みイマイチ。酷い出来ってわけではないけれども、特筆して評価できるようなところもほぼない。私は、プロットが録になくて設定したキャラだけで何とか体裁を成そうとしている漫画を「キャラ漫画」とかいうことがあるけれども、概ねそんな感じだった。
別にキャラクターの描写に傾倒すること自体がダメってわけではないんだけれども、デザインや性格などの設定の羅列で終わってしまっているのがダメで。漫画はキャラが大事ってよく言われるし実際その通りではあるけれども、その認識が甘いというか。本当の意味で魅力的なキャラクターってのは、テーマやプロットなども包括してこそ。ドラマが言動に説得力を生み、相関関係が化学反応を起こし、そうしてキャラクターというものはより魅力的になる。
これといって大したことのない、何の捻りもないプロットに面白そうなキャラクターを配置しても、とりあえずは読めるものになるかもしれない。でも、すぐに底が知れて陳腐になり、漫画の話含めてキャラクターにもすぐに飽きる。特に会話劇とかが中心のコメディは、作家の手癖だけで描くと冗長になりやすいから、よほど自信がない限りはプロットから作りこんだほうが良いと思う。
ストーリー系の漫画は、クオリティ的には概ね良好だと思う。それぞれ個性を出そうとしているのも窺えるし。ただ、いかんせん私的に刺さったものがないので、語れることが少ない。
あと持論だけれども、私は表面的な表現手法とかは評価に値しないと考えているんだよね。極端な例えだけど、4コマ漫画を読んで「コマ割が良い」なんて言ったら馬鹿みたいでしょ。だからそういった表現手法は賞賛の対象にもならないし、批判の対象にもならない。どのようなテーマで、どんな構成やセリフを紡いで表現するかってことがストーリー漫画においては大事なんだと思う。もちろん、表面的ではない表現手法に関しては評価に値すると思う。私個人がそれを評価できるかはともかく。
スポーツ系のもあったけれども、正直ありがちなスポーツ漫画の読み切りだった。定型を何ら脱していない。王道的な構成と見ることも出来なくはないけど、私としてはもうこういうのはいいかなあ。
作品というものは絶対的な評価も大事だけれども、相対的な評価も大事。比較対象が多い媒体なら尚更。既存のものばかりで構成されているのなら、より洗練されていて欲しい。それが出来ないというのなら、(クオリティの良し悪しはともかく)せめて新しいものを。どちらも出来ていないなら、語るに及ばず。
今回は少年ジャンプ+
お、久々にワクワクする展開になってきた。
いまアグニ自身が突き当たっている問題は、このファイアパンチ時代のケジメ。
ファイアパンチは当然アグニのことなんだけれども、そのファイアパンチを介したアグニってのは偶像だった。
偶像ってことは、アグニ本人がいなくなればそれで綺麗さっぱりとはいかないってことを今回は別角度から見せたわけか。
「ファイアパンチを殺す」ってのは数話前から提示されてきたけれども、こうなってくると話はより複雑になってくるね。
絵が上手いわけでも個性があるわけでもなく、作風がジャンプ+向けじゃないかなと思うけれども、話の見せ方が良いと思う。
無個性な絵で、途中でさらりと描写されるヒロインの言動が、かえってヒヤリとする側面はあるかもしれない。
構成自体が淡々と、坦々と進むから、余計にヒロインの描写が際立つという見せ方はよい。
ただ、それがそのまま難点になっている側面もあるといえばある。
ヒロインが実は危険人物という前提を踏まえた上で楽しむのがメインだから、それ以外の箇所が読んでてかったるいと感じるとこがあるのは否めないし。
随分かけ足気味に畳んだなあ。
ただ、実のところ本作の全体的な難点を如実に表しているとも言えるんだよね。
以前から、プロットを垂れ流しているだけの部分が多かったから。
序盤はまだそんなことなかったんだけれども、中盤あたりから詰め将棋を見ているみたいな感じになっていた。
今回は少年ジャンプ+
腕の再生と時間の経過を同列に表現しているコマ割が良いと思う。
これまでもコマ割や構図を同じにして、手癖だけで描いているようなことがちょくちょくあったけれども、こういう演出意図がハッキリしている方向性なら悪くないと思う。
話に関しては、これまでも描いてきた気持ちを押し殺して自分を生かすっていうアグニの苦悩に回帰している。
テーマとして一環しているという見方もできるけれども、堂々巡りしている印象も拭えず、中だるみ感が正直あるかな。
胸方面がピックアップされがちだったが、ひょう太そちらも評価できる男だったんだなあ。
ということに気をとられすぎて、割とベタなオチだったのに不意をつかれた。
編集の開幕の煽りコメントが、ある種のフラグになっていたことに後で気づいた。
まあ悪魔って、そういう属性も割とポピュラーらしいし、考えてみればあってもおかしくないよね。
自動運転を、車の交通問題を解決する魔法の粉のように謳う人もたまにいるけれども、少なくとも現状は「便利な機能の一つ」でしかないんだよね。
人間のエラーが事故に繋がり、その人間のエラーを排除できないなら、そんな人間が生み出した代物もまたエラーを起こす可能性はなくならないわけで。
持論だけれども、自動運転の最大のメリットは「自分や他人のせいにしなくていい」ことだと思う。
今回のエピソードも、きっかけそのものは乗っている人間のせいではあっても、機械の暴走が主体になっているし。
それにしても、意志を持ったハイテクな車ってのはフィクションにおいて割と普遍的なテーマだよね。
タイトルが出てこないけれども、今回も恐らく話の基になった映画がいくつかありそう。
今回は少年ジャンプ+
んー、てっきり今回のアグニの言動は、これまでとちょっと違う趣なのかなあと思ったけれども、本質的には同じだったかあ。
ラストの煽りも加味すると、それ自体がこれまでのテーマの総括って感じだったのかなあ。
嫌いじゃないけれども、その結論に60話も費やしたことに多少の脱力感はあったかな。
ここにきて更にぶっ込んできたなあ。
演出の仕方も唸る。
読者側からすれば、これまで丁寧に主要人物たちのドラマを描き、少し前に新たな事実を経て更に情が湧いてくるであろうタイミング。
それをポリーナを通じて、突き放すかのように見せているのが良いね。
ポリーナが仲間になった当初、私は「メタ的に見たときテーマやストーリー構成上の蛇足、ノイズなんじゃないかなあ」という印象だったんだけれども、ちゃんとメタ的に見ても重要な役割だったんだと今話で実感させられた。
今回は少年ジャンプ+
アグニの演技はこれまで周りに翻弄された結果、無意識に行うものばかりだったけれども、前回や今回のはかなり自覚的かつ自分本位に利己的な使い方をしている印象がある。
本作における「演技」という概念が、テーマにおける何らかのメタファーになっているという予想はこれまでもしてきたけれども、今回のが何を象徴しているかは判断しにくいなあ。
アグニの現状や心境の変化を表現している見方もできなくはないけれども。
お茶子たちの心情は理解できるが、デク側が節操なく露呈してしまったケースならいざ知らず、あちらからわざわざ首突っ込んでおいてヒかれるってご無体な話だよなあ。
傍から見れば理解されにくい属性であったとしても、個々人が善良であるならば基本的に問題ないことなのにね。
まあ、でもこれはコメディなわけで、そこらへんを気にすること自体が無粋ではあるんだけれども。
属性を過剰にするか欠如させてキャラクターを表現するのは手法としては極めてオーソドックスなわけで、それはオタク(爆豪風に言うならナード)だって例外じゃないだろうし。
下品な話をとことん壮大にしつつ、ダブルミーニングを持たせたりして、何だか良い話っぽく語るって感じが。
一つの要素で話を転がしつつテンポよく展開を進めているのは好感触なんだけれども、後半から話のテーマを提示して纏めに入ったためにギャグが控えめになってしまったのは残念なところ。
ギャグ漫画とはいえ終始ネタを放り込みまくりなものよりも、緩急のある構成の方が私は好みではあるけれども、その配分バランスについては繊細さが要求されるかもしれない。
後半に出てくる子猫がすごく舞台装置的だなあとは思いつつも、見せ方が上手いからそういう粗探しする気持ちが吹っ飛ぶね。
あの場面でのトーマの視点を意図的に省略して描いているんだけれども、そこを不自然にしない構成なのは感心する。
あの場面での第三者目線の描写は真澄なわけだけれども、前話を踏まえると最も適任だから自然なんだよね。
前回で真澄のエピソードを語りつつも、今回の太一のフラグもたてていた。
で、今話の前半によって、後半の事態の重さを否応なしに理解させている。
構成だけで見るとやや露骨にも見えるけれども、丁寧な情景描写でゆったりと見せているからそれが緩和されている印象。
今回のプロットが破天荒であることは明らかではあるんだけれども、それを大真面目にやればコメディになるっていう典型だね。
結局、パロディって元ネタが受け手に伝わらないと面白さが半減するから、やや大衆向けに露骨にやったほうがいいんだろうね。
ギャグとしては話の説明自体は一応の筋が通っているせいで、イマイチ昇華し切れていない箇所もあるが(まあ、パロディ元もSF要素の強い作品ではあるんだけれども)。
今回は少年ジャンプ+
引火しないから、実質ただのパンチの連打で引導を渡さなきゃいけないってのが物悲しいなあ。
ましてや、それで殴る相手が相手だし、その最中に夢想しているのも悲壮感が増しているね。
何の因果か自分の昔の写真を見てしまっているが、その時の独白がアグニのこれまでの動向を象徴しているともいえる。
アグニは一見すると自分の意志で行動し続けているが、その実は周りの環境や人間たちに翻弄され続け、そこでもがいていることのほうが遥かに多かったからねえ。
それは大なり小なり他の登場人物たちも同じだったけれども、アグニはなまじ非凡な力があった故に、余計に理想と現実のギャップに苦悩している気がする。
そのせいで自分の意志に伴った言動の判別ができていないのかもしれない。
さて、ストーリー的にはクライマックスが近い印象だけれども、ここから更に二転、三転させるのだろうか。
最初は読み切りの一発ネタを、短期とはいえ連載するのは無謀だと感じたし、ましてや飽和状態のグルメというジャンルに片足突っ込むのは見切り発車にも感じたけれども、まあそれなりに工夫していたんじゃないかと。
最後はテーマに真正面からアンサーを出したというか、上手いこと纏った印象すらあるね。
グルメ漫画としてみると今日び満足に足る描写ではなかったし、マッチョの描写に関しても水準はいってても惹かれるほどではなかったけれども、それらを添え物にしつつ『食の本質』をテーマにして描いていると解釈した上で読むなら、割と面白い作品だったと思う。
あくまで、ちょっと斜に構えつつ、一歩引いた場所から見た場合での評価だけれどもね。
登場人物が機械メインな世界観で、今回は人間との違いを側面的にテーマにしたエピソードにしていて興味深い。
このあたりはメタ的に見れば、アイたちが分かりやすいキャラ付けにされているだけで、作劇上の都合と言ってしまえばそれまでではあるんだけれども、それを考慮してもまあ悪くないエピドードかなあと。
人間のズルさというか、一貫性のなさというか、複雑さというか、したたかさというか、その性質の違いを機械と人間とで差別化している感じ。
今回は少年ジャンプ+
ここでトガタに語らせることによって、妹のセリフの真意を数十話越しに、遠まわしに描く構成は悪くないと思う。
まあ、立場や状況も違うから再現ってわけではないのかもしれないけれども。
そこからは怒涛の展開といった具合だが、これまで丁寧にやるべき箇所をかなぐり捨てて、作者が見せたいところだけクドいくらいに見せて、そしてこのタイミングでも本筋をああいった風に描写されると咀嚼に難儀するなあ。
企画自体は興味深いし、様々なしがらみを気にしない前提で感想を述べるならば、面白かったと思う。
特に4枚目の発想は恐れ入った。
そこを切り取るのか、という。
しかし、基本ジャンプは男子向けだとはいえ、野郎どもだけで女子トイレマークのデザイン考えるという構図のマズさは気になる。
このノリは例えるならアレだ、学校の休み時間に同性が集まってする猥談のノリに近いと感じた。
その規模を人様向けに、大人たちがやった結果、本質的な問題がより浮き彫りになってしまったという印象。
少年ジャンプ+の編集はフットワークが良くも悪くも軽くて、それが功を奏するケースもあるんだけれども、今回はそういったのが悪目立ちしているケースだなあ。
ジャンプ+では『おかずサイト』っていう読み切り作品があるんだけれども、あれを読んだときも「大丈夫か、コレ?」って思ったもんなあ。
殺人鬼の動機として芸術だとかそういった理由は、個人的に辟易しているんだよなあ。
ただ、まあその後語られる持論そのものは分かりやすい理屈を述べているのは良いと思う。
「とりあえず支離滅裂な、狂っている言動やらせとけばいいだろ」みたいに描かれるサイコキャラは陳腐でしかないので、そういうところでクレバーさを表現することは大事。
相手がどう動くかが何となく分かっているのに、その上でタイミングに怯え、取り返しのつかない事態になってもおかしくないという緊張感も上手く描けていると思う。
これは主人公にも言えることで、後半の向こう見ずな行動はハラハラさせてくれる。
今回は少年ジャンプ+
なんか『インセプション』じみたことになっている。
最初はアグニ視点のものとして見るべきシーンかなとも思ったけれども、それにしては映画館の様相が忠実だし、どちらかというとトガタ視点として解釈するところなのかなあ。
でも、アグニの妹も出てきているしで、やっぱりアグニとトガタの対面を象徴的に描いた、あくまで演出として読み取るべきなのかな。
今回は、最近のも加味して中々にドラマチックな展開だとは思うんだけれども、トリップじみた演出の挿入はちょっと前にやったからクドく感じるなあ。
近年の能力バトルものはやたらと理屈っぽい説明を長々とやったり、リアリティを追及しようとしすぎているから、この漫画くらいの「大した理屈もリアリティもないけど受け入れる」っていう感じのノリに安心する。
豆の感想で「あ、そっちなんだ」と思って、さすがにそこまで下品なネタは出せないのかなあと思ったけれども、その後「アレ!!!!」っていうやり取りが出てきた不意打ちだった。
それなりの配慮をした結果の言葉選びなんだろうけれども、そんな曖昧な表現でも意味が登場人物にも読者にも伝わっているから、かえってギャグとしてちゃんと成立している。
今回は少年ジャンプ+
やる気のないコマ割は、まあ今に始まったことではないから置いといて。
今回の見所はやはり後半の展開。
まあ正直、今回の第一印象は「ウダウダやっといて最終的に“これ”って、どうなんだろう」って感じだけど。
アグニは頭では理解しているつもりだったが、復讐心は燻っているってことなんだろう。
43話の感想で、「何かしら演じている人物は間違いをしているってことを示している」みたいなことを私は考察したけれども、アグニが演者として脱却した結果の行動が今回のだとするならば、一概にそうでもなさそうだなあ。
アグニの心の中にいる妹が言うには、ドマは演技をしているってことらしいので、その演者を断罪するという意味と解釈することもできなくはないけれども。
とはいっても、妹との対話シーンは実質アグニの自問自答みたいなものなので、これはアグニ自身がそう思っているってことだから、そこまで信頼性に足るものではないが。
やっぱり本作のテーマは「演技」が主体で、善悪は抜きにしても「演じ続ける」か「そこから脱却するか」といったことを中心に語っていくんだろうかね~。
本編でやるとセキュリティがザルすぎるってなるので、スピンオフのギャグマンガならではのシチュだよね。
黒霧のコスプレは相変わらず笑わせに来ているが、もうこの漫画での扱いの方向性が定まった感があるなあ。
死柄木がオールマイトやデクの言葉にイライラしたり、逆に爆豪の言動に満面の笑みをしたりするのとかは、死柄木の特徴を上手くデフォルメしているなあと思った。
ありゃ、終わったか。
まあ、何がダメかっていうと行き当たりばったりな展開、演出だと思う。
そして、それがほぼワンパターンなんだから読者は飽きるに決まっている。
「ここで、このキャラを無残に殺す」だとか「登場人物が突飛な言動をする」などといった展開はここぞという時にだけやるから意外性があるのであって、それを毎回やればウンザリするだけだよね。
主人公の役割がしっかり物語への理解を助けて、漫画の面白さにも起因しているところは評価したいところ。
やり取りもところどころラブコメの典型を踏襲しつつも、あくまでそれを茶化している漫画だということを思い知らせる主人公の独白や、素っ頓狂なネタが合間に挟まれるのも本作の個性が出ていると思う。
友人とヒロイン二人の仲を取り持つコメディ寄りのラブコメというだけでもプロットとしては魅力的なのに、そこに更にエッセンスを加えて、話がどう展開するか分からなくなってきたなあ。
気持ちとしてはこの「どう展開するか分からない」というのはワクワク感の方が強いけど、話の運び方次第ではテーマが定まらないことにもなるし、現状そこらへんは個人的に警戒気味。
今回は少年ジャンプ+
最近の数話でもちょくちょく「教養」というワードが出てきたけれども、今回の話で明確に提示してきた印象。
ドマの語る「正しい教養」とアグニとの問答からして、信仰に相対するものは教養だと解釈できる。
今回出てきた映画は信仰の対象になっており、ドマの間違った行いのルーツにもなっていた。
また、本作では映画=演じているモノ=信仰といった風に解釈できる。
そして、その信仰は間違った行いを誘発させるものとして本作では描かれている。
だから、本作では行動のルーツに映画が関係している人物、何かしら演じている人物、信仰をする人物は間違いをしているってことを示しているわけだね。
何かしら演じているアグニや、映画を撮ることが目的のトガタも信仰側なので、彼らの行いはズレているってことになる。
そして、今の文明を滅ぼそうとする雪の女王(仮)の目的は映画が関係しているので、これも間違っていることを遠まわしに語っている。
まあ、ドマが今の人々に足りないものは正しい教養だと語っているのに、その「今の人々」を滅ぼそうとしている雪の女王(仮)の行いが相対しているのは当たり前といえば当たり前か。
私の深読みしすぎなだけな気もするけれども、ここに来てテーマと作中のアイテムをしっかり繋げてきたのは周到だと思った。
作品紹介で「新感覚コメディ」という割には、プロットもストーリー構成もありがち。
けれども、ところどころ挟まれるギャグやテンポは確かに個性が出ている。
「強面で誤解されがちだけど、心優しい少年」という凡庸なプロットを、ここまで個性を出して描けているのは感心した。