はてなキーワード: エレベータとは
kibidangoで電動原付のcute-mlを支援して、所有してから2年半くらい経った。
思うところがあったし、ツイッターに書くような内容じゃないのでここに書く。
■良いところ
①エンジン音がしない
②軽くてコンパクトな"方"
③かっこいい
■良くないところ
④バッテリーの持ち
⑤そこそこ重い
⑥メンテナンス性
■今の感想
⑦自宅に駐輪スペースがなく、騒音を立てたくない、単体で遠出しない人ならおすすめ
↑のうち1個でも平気なら、普通の原付か電動アシスト付き自転車の方がたぶんいい。
■ひとつずつ深掘り
①エンジン音がしない
原付の甲高いヴィイイン音は一切なく、モーターが回る小さなフィイイン音のみ。
停車中は無音。すばらしい!近所の騒音クレームは多分来ないと思う。
②軽くてコンパクトな"方"
わざわざ"方"にしたのは、良くないところでもあるから。
今の電動原付は、18~25kgくらいだと思う。持てないわけじゃない。が、持ち上げるのはきつい。
全体的に細身なので、駐輪スペースが少しでもあれば駐輪できる。
自分が所有しているCute-mlは、単体自立式。人が立てるスペースがあれば置けるので、玄関に置ける。
Cute-mlが他の電動原付と違うのはここだと思う。すごい利点だし、全メーカー採用してほしい。
③かっこいい
もう何も言うことないよね。走行中、停車中によく喋りかけられるのが難点。
気持ちはわかる、でも声をかけてほしいかといわれるとNOである。
あれ?良くないところか?
④バッテリーの持ち
メーカー公表値はだいたい30km。バッテリーが切れたら終わりで、充電に時間がかかる。
遠出はできないと思った方がいい。バッテリーが切れたら、家までどうやって帰るの?
タクシーに一緒に乗れればいいし、多分乗るとは思うけど、やったことはない。
時代が進んで大容量バッテリーが出れば、ここは多少解消されると思う。
⑤そこそこ重い
25kgをエレベータのない2Fに持っていくのは結構大変だぞ☆
それを軽々持ってくる運送会社のオニーチャン達は筋肉ムキムキのマッチョマンである。
⑥メンテナンス性
今一番困ってる所。なにせほとんどのお店が手をつけてない。未知の物は誰でも取り扱いたくない。
タイヤのゴムが外れかかった時も、近隣のお店すべてに見るのを断られ、メーカーに返送、自分で取り付けた。
正直超めんどくさいので、メンテしてくれる店が近くにないとマシントラブルが起きた際に詰む。
BLAZEかGrafitは、そこらへん考えてるみたいだから、左記メーカー所有者はちょっと安心なのかも。
⑦今の感想
アパートとかマンションに住んでて、駐輪スペースが無い。スーパーとか駅までの移動で疲れたくない、そういう人向け。
自分の今のスタイルに合っているので、とっても便利。ただ良くない所はしっかり主張してくる。
自転車と違って、運転免許・自賠責必須。自転車と同じで任意保険もほぼ必須。
コンパクトな分、ブレーキパッドや消耗する部分も小さくなっていると聞いているので、
通勤通学のようなほぼ毎日動かすスタイルだと、よりメンテやアフターサービスが重要になると思う。
持ってるだけで維持費はかかるし、道路の融通も利きにくい。はっきり言うと、電動アシスト付き自転車の方が便利。
■今思ってること
良いところ、良くないところを書いたけど、自分は電動原付を気に入ってる。
車を持ってたけど、電動原付を買って生活してみたら車が要らなくなった。遠出しないから、今も車は無くていい。
主流の電動原付は30km/時ちょい上くらいしか出ないけど、全然問題ない。幹線道路に出なければ平気。でも走行距離は不満。
自分の電動原付の理想を言えば、15kg以下、走行距離長め、バッテリー取り外し可能、単体で自立可能、近くのバイク屋でメンテ可能。
流行ればだんだんそういうのが出てくるかもしれない。流行れ~!
こんな事は書いたけど、実は数日前にkibidangoでsmacircle s1という電動原付を支援した。順調にいけば、2021年3月に届く。
こいつぁいい、20km/時しか出ないし20kmしか走れないというデメリットはあるけど、
14インチの折りたたみ自転車より小さくなって、重さは12kgしかない。ハイパーコンパクトで輪行もスペース取らない。
自宅→バイク→駅→バイク→目的地 ができるのだ。完璧じゃないか。しかもかっこいい。
いずれ、バッテリーはへたるし不便が目に付くようになるし、メンテがめんどくさい苦しみを味わうだろう。
でもいいんだ、こういうのが好きなんだから。いきなりステーキのプラチナを諦めれば買えるんだから。
今持ってるcute-mlは、単体自立できて省スペースな所が本当に素晴らしいと思う。
しばらく、運動してなかったし。もう50才手前の手前ぐらいだ。
せいぜい、寝る前にストレッチが5種目とウォーキング、中心だった。
先日、思い立って動画で上がってるラジオ体操したら何か、体側の運動が思ってたのと違う。
もっとこう、腰の辺りから曲げていた気がするが、脇の下から曲げていて、おや?そうなの?と思った。
子供の夏休みの頃は、3分かどうかなんて、気にしてなかったし、スタンプ貰うために、早起きしていたのが我ながら信じられん。。。
ジャンプもあって、驚いたし、人の動きに合わせて動くのが、しんどいな。。
ある程度、慣れたら美人ユーチューバーの筋トレ動画やるんだぜ。
★動画の一覧
一泊二千円台の安宿に部屋を借りている。安宿ではあるが、値段の割にサービスも質も悪くないのだ。しかし、どうやらこのホテルは霊がいるらしいと、Googleの検索ボックスが教えてくれた。確かに、このホテルは何かうら悲しい感じがしないでもない。礼儀正しいフロントの従業員から鍵を受け取り、エレベータに乗り3階で降りると、真っ暗でソファの置かれた空間にでる。そこの奥には普段は使われていない宴会場があるようで、いつも消灯されているのだった。そして、数段だけの小さな階段を降りて、私の部屋のある棟へ歩く。私の部屋の前にもソファがあって、壁に時計がかかっている。その時計は一分ごとに、「ギイ」という錆びた螺子の音をさせて、心霊ホテルを演出している。
ハムスターが餌をとって自分の巣へ戻るように、私も外から戻るとき、はいつもなぜか足早に部屋へ急ぐ。いつも通り駆け足でエレベータから私の部屋に向かって、鍵を開け、私の部屋につくと、濡れたパーカーを脱ぎ、帽子をとった。靴下にも雨水が浸食して気持ちが悪い。「Do not disturb」の札を下げて何日も封印している私のもので散らかった部屋に帰ってくると、少し安堵した気持ちになった。
この日は確か、目的もなく、見知らぬ駅の周りを歩いた日だった。駅には隣接するビルがいくつかあったが、私が出歩いた時には、商業施設も、映画館も営業してなかった。
飲み屋街を歩いてみた。老夫婦が、腕を組んで歩いていた。若者のグループがテントの下で何か民族的な楽器を鳴らしながら歓談していた。スーツを着た3人の男たちが、「じゃあ、また!」とご機嫌に挨拶していた。私は、なんだか自分がお化けになった気持ちになって、ゲームセンターに向かってみた。ゲームセンターはもうすぐ閉店するようだった。湿っぽい雨の夜に、真っ白な蛍光灯で照らされて冷たく乾燥した空間は、とても無機質だった。カラフルな景品たちがガラスの中に入っていて、それが無数に繰り返されていた。私は、暇だったので、景品の一つ一つを見て、欲しいか、欲しくないか、考えてみることにした。愛らしい丸みを帯びたデザインの動物モチーフのぬいぐるみ、あどけないの顔つきの成熟した身体の女のフィギュア、原色で彩られた小包装のお菓子。どれも夢のようであったが、今欲しいものは、そのどれでもなかった。
スロットやアーケードゲームのコーナーをうろつくことにした。そちらのコーナーは少し薄暗く、音も大きかった。広くて新しい店内ではあったが、時間が時間なので、人はほとんどいなかった。仕事帰りの若いサラリーマン風の男が何かロボット系のアーケードゲームをやっていた。レーシングゲームのコーナーには、若いカップルがいて、二人ともマクドナルドの青い飲み物を飲んでいた。音楽ゲームのコーナーには、もう一人、メガネをかけたサラリーマン風の男が、グローブをしてゲームに熱中していた。
私は、何回も彼らの横を通り過ぎながら、どのゲームをしようか考えていた。でも、うろうろと歩きすぎていいかげん不審者に思われているかもしれない、そう思って、考えるのはやめて個室風に覆われたシューティングゲームをやることにした。そのシューティングゲームでは、ゾンビが次から次へとやってきて、それを銃で撃ち殺していくゲームだった。何かゲームについての説明があったが、その説明の画面が流れるのが早すぎて、理解する前にゾンビが襲ってきた。とりあえず照準を合わせトリガーを引くと、簡単にゾンビたちが死んでいった。ゾンビたちで埋まったパーティ会場から脱出するべく、次から次へと撃っていった。「いけてるかも」普段ゲームをしない私であったが、私がトリガーを引くたびに死んでいくゾンビたちをみて、そう思った。そして、救出しにきたヘリコプターに群がるゾンビにも、乱射をお見舞いした。しかし、次の画面で、何やら今までとは体格の違うゾンビが出てきたと気がついたときには、「Incert coin to continue」と表示されていて、しばらく経って、ようやくゲームが終わって現実に戻ったのだと気がついた。
私が遠回りをして、ゲームセンターからホテルの部屋へ帰る頃には、頭にこびりついたゲームセンターの騒音は消えかけていた。
ふと、私は、黄色が嫌いなことを思い出した。黄色、というのは何か溌剌としたエネルギーを感じる色である。けれど、気狂いっぽいそんな雰囲気も私は感じ取ってしまう。ところで、「ち」というひらがなを見ると、私は、黄色をなぜか連想する。
霊(ち)、地、血、乳。
ち、という言葉には、生生しい印象をうける。
ぴちぴち、みちみち、ぱちぱち、かちかち。
ち、という音は、何か瞬時に飛び出していく感じがするのだ。
私が、黄色を好きになれないのは、私に生気が足りないことを叱られているような気持ちになったから、というのもあるのかもしれない。
3つのことを一緒に考えて悩んでいるように思う。
自分への甘さが気になるなら、自己を律していけば良い。甘くっても良いではないかという考え方でも良い。甘さは論理のほころびに繋がることも多いが、結論の正当性は客観的に判断されるので、究極的には関係ない。
逆算して条件を決定する権限は、誰にでもある。内心の自由というやつだ。逆算して作ると都合のいい理屈になりがちだが、これもやはり結論の正当性には関係ない。
結果のロジックが説得力を持つかはいつも難しい問題だ。「不買運動で追い込むのはいつも正当なのか」は今回の中心的疑問だが、これについて元増田は、個人では完全に自由・集団でも呼びかけに同意する人だけ不買する訳だから自由、という説明を付けている。モヤモヤするのはその論理が充分な説得力を持っていないためだと思う。今日の倫理は twitter ができる以前の世界で確立されたものだ。リツイートによって膨大な人数にアプローチでき、フォロワーネットワークで特定の思想での結びつきが容易になったいま、購買者側の権力は昔よりはるかに大きくなっている。エレベータの中に閉じ込められて相手がペットボトルの水を売ってくれなければ死ぬ、そんな状況では売らない自由は正当でない。説明は状況の変化に柔軟に対応するために、もっと長くなる必要がある。
せっくすをしまくった時期があった人も、昨今では幸せであろう。
結婚すれば毎日せっくす、などと楽観している人は、そのまま悲観します。
学生時代(主に大学)に恋人ができた人は、お互いバイトの無い土日に、
朝から夜までクーラーのない部屋で素っ裸で汗を流して過ごすのです。
浮気同士のせっくすは気兼ねが無く良いでしょう。
作業しながら女先輩の彼氏が忙しいから会ってくれない。とか愚痴を聞いて、
初めはラブラブだったのに。男はやっぱり飽きるんですか?と聞かれて、
僕に彼女は居なかったが、彼女はツンツンで、こっちがツンでもデレでもデレデレ無くて。
無いものねだりなんですかねー
とお茶を濁した。それから「女先輩、デレデレしましょう」と言った。
「へっへー。良いですわよ。いつ?今日バイト終わって?良いですわよ」。
去り際に「よろしくお願いします」と言ったら、振り返って耳元で「せっくすするんだよ」と言われた。
大人になって色んなせっくすを経験した。匿名掲示板で知り合った女子は、
19歳と聞いてたけど、実はそのとき17歳だった。微妙。15歳ならパンチがあったかも。
彼女とは「とある目的」のために会うことになって、会ってはせっくすをするのだった。
若い女子の性は搾取されがちである。ふぇらして動画撮るね縛るね言うこと聞いてね嫌いな男とせっくす。
しかし僕は「たのしいせっくす」をモットーとしていて、「とある目的」の効果もあって、
女子の腕を前で交差しておっぱいをせりあげてる格好で正常位してるとき、
僕はせっくすのときは「ちんこを出し入れ」の単純行動だから、(暇だなー)とか
(女子は何考えてるんかなー。かわいいなー)とか考えてるとき、
「私、中2のときに封印した気持ちがあるんですけど、いま胸がキュンキュンしてます!」
「せっくすで?」
「はい!」
彼女の目はキラキラしてた。「それは良かったですねえ。じゃあもっtキュンキュンしなくちゃ」と、
頭を撫ぜながら柔らかいキスをした。彼女の舌が入る。耳元で「可愛いな」と褒めて首筋に唇を這わすと、
彼女から「ああん」って吐息が漏れた。「私を気持ちよくさせたら増田さんも気持ちよくなるよ?ね?」<br.</p>
ラブホで窓を開けて上から来る人を見てて、半分は単独男性とデリヘルとか、おじさんおばさんとか、
おじさん援交もいて、大学生x2もムズいけど、なんか合いそうな雰囲気のおじさんお姉さんのカップルが来て、
エレベータが同じフロアで止まって、聞き耳立てて部屋を特定して、
しばらくして部屋のドアまで行って聞き耳立てて、なんかエロいこと初めたときに、
女の子じゃなくておじさんが出てきてラッキー!「4Pしませんか」「あ、いいよ」「では失礼しますー」
最近、家買ったんだよ、家。
一軒家な。新築。ぴかぴか。
転勤がデフォルトの業界に就職したんで長いこと、全国を家族連れで転々として。
製薬様とか金融様とかえぬちけー様みたいに金のない業界だから社宅もなし。
住宅補助もいまいちだから今まで住んでたのって築30年~のボロ屋しかなかったんだ。
バランス釜物件もあったし、上にちょっと頭おかしい老人が入ってて子どもが騒ぐとポストに「静かにしろ うるさい」とかの手紙をすぐに投函されたりとかさ。
音に関しては上下左右、常に気を使ってきたんだけど、同時に上下左右からの騒音被害もあったりして。
カビがひどいとかエレベータなし物件しか選べなかったとか集合住宅での子育て大変すぎるとかいろいろあったんだけど。
とある地方都市でもう転勤しなくてよさそうなポジションがあったからそこに収まることにして。
今まで縁もゆかりもなかった場所だけど、まず1年ほど借り家で住んでみて、よさそうな場所だってわかったので、そこからちょっと離れたところに戸建を買うことにしたんよ。
それでネットで、まるっと新築戸建で売ってるよさそうな物件を探して。うちに出せるだけの資金に見合った、あんまり評判がよくないハウスメーカーが建てた小さくてよくあるような外見の戸建を見つけて。
それからあらゆることをめちゃくちゃリサーチ。現場も歩きに歩いて。
家は本当に簡単な内装で、おしゃれでもなんでもない。よくあるような家。でも過不足なくほしいものは全部あって。
というか今までが質素すぎたからうちには豪華すぎるぐらいだった。玄関広い!食洗器!浴室乾燥機!屋外に水道ある!そもそも壁が新しくて白い!みたいな。
家自体はハウスメーカーがあれだったから心配だったけど、長期優良住宅とか地震補償付き住宅とかなんかいろいろついてたのと、それでも心配なところは保険でカバーみたいな感じで。
なにこれ。めちゃくちゃいい。よすぎる。
上下左右からの音の心配皆無。両隣駐車場だし。楽器弾けちゃうんじゃね?
あと居心地よすぎる。
一軒家ってこんなに心地いいもんだったの?知らなかったわ。
これが家を持つって幸せか。
追記:
こんな独り言みたいな自己満足の文章を読んでくれて、コメントやお祝いの言葉ももらえてうれしい。ありがとう!
そうなんだよ、今までは買えなかったよさげな家具とか楽器とかコンパニオンアニマルとか、買っても(飼っても)いいんじゃね?!?って思いながら少しずつそろえてる。
金もかかるから少しずつな。ただ、何かを買うときすっげー考えて見定めるようになった。
知らない場所に来て家を買うのは正直賭けで運任せだったところもある。ただ、転勤であちこち回ってたから自分たちがどういう土地がいいかっていうのはなんとなくわかってた。
海と山がある自然が多めの地方都市でそこまで不便ではなく、気候がいいところ、人が排他的でないところっていうのが条件。
たまたまそういうポジションがあってそこに来れたのはラッキーだったな。
あと、今回の家は小さな不動産事務所が1戸だけ建売してるっていう物件で、売り主だったので仲介手数料もかからなかった。
頭金は600万、15年ローンでそれまで毎月払ってた家賃よりは多めの額を払ってる。
今までぼろ屋が多かったのは、家を買うために頭金を頑張って貯めてたのもある。
借り家のときは家の居心地があんまりよくなかったから、休みのたびに海とか公園とか日帰り温泉とかに出かけてたんだけど、あんまり出かけなくなった。
それぐらい居心地いいよ。なんだろうなこのゆったり感。
私は今日、エレベータを待っていると、奥の部屋に人影があるのを見つけた。昼も過ぎてとっくに閉鎖されたビジネスホテルの朝食会場。ビルの陰となって、日の差し込まない薄暗い空間には、整然と並んだテーブルと椅子たち、コップ、皿、カトラリー。その隅の席に、女性の影があった。
その人は、じっと動かずになにか書いている姿勢に見えた。いや、こんな時間にあんな場所に人がいるだろうか......。見つめ続けても、その影は動くことがなかった。
「なんだ、私の見間違い......」
私は目的だったコンビニへ行き、またホテルへ戻り、エレベータを待っていた。ふと、先ほどの人の影があるのか確認したら、その影はなくなっていた。
私は、この間、こんな夢を見た。
雑踏に紛れる、近年新しく進出したコンビニ。年々、出店の勢力を上げていた。私の街にも当然そのコンビニはあった。ある日から、そのコンビニは、今までに見たことのない暗い極彩色と不明の言語でデザインされたのぼりを飾った。その違和感に宗教じみたものを感じた。なにか強いメッセージを感じるものの、私には何も読み取ることはできなかった。
いつの間にか、そのコンビニの外装や商品もそのデザインに変わっていった。私は、そのコンビニが平然と街に馴染んでいくのが受け入れられなかった。
そのような夢であった。
私は、小さい頃、サーカスや劇が嫌いだったことを思い出した。そんなふうに、芋づる式に自分の不快が思い出されて、こうして文章に書くことにしたのだった。
サーカスは暗くテントで覆われ内密に行われる。広くぽっかりとした空間を丸く観客が取り囲んでいる。暗いテントの中で、中心がライトで照らされている。調教された熊や犬が芸をする。人間たちも張り付いた笑顔で曲芸を披露する。観客たちはそれを見て拍手する。
小さな頃の私には、これの何が楽しいのかわからなかった。嫌な感じがする、けれど、拍手しなければならない。楽しいフリをして拍手した。
劇の不快について。
学校の体育館で、いつものステージが劇場に変わり、見させられる劇。年上の大人たちが、何かを演じている。独特の演劇口調と衣装を纏って、役になりきっている。確かに、物語に没頭はできた。その役の人物を好きになってしまうことさえあったくらいに。
しかし、終わってしばらく経つと、とても虚しい気持ちになってしまうのだった。映画やアニメを見たのときには感じない虚しさがあるのだった。
演劇には特有の陰湿さを感じていた。湿っぽいような、なにか滞っているような。劇が喜劇的であればあるほど、その落差を感じた。
小さい頃、両親が休日に朝から連れて行ってくれたディズニーランド。
一通りアトラクションを楽しんだ後に、人々の帰路を意識し始めた焦燥感をじわり感じながら、陽の沈みかけた園内でパレードを待つ。
そのうちに電飾で彩られた巨大な装置と、それに乗ったキャラクターたちが現れる。大音量で音楽となにかセリフが聞こえる。
また、大勢の人たちが拍手をしている。私もそれに合わせて拍手をする。もしかしたら、拍手をする大多数は、私のように周りに合わせて拍手をしているだけなのではないか。大音量で煌びやかなパレードを見ながら、その音や景色が頭の中で遠ざかっていく。
その画は西洋の宗教画の並びにあった。一連の草原、道、淡い色の空。そんな印象をかき消すかのように、白に近い水色と鮮烈な赤で彩られた円い曼陀羅か魔法陣のような物体。ぽっかりとした空間にそれが浮かんでいる。
どんな絵だったのか、よく覚えていないのだが、その独特の色彩が頭から離れないのだ。
中学生の頃、部活帰りの夜に、誰もいない真っ暗な田んぼ道を自転車を押しながら、ふとそのイメージが思い出されてしまって、動けなくなってしまった。
あの色彩は、人間の神経と血管を想起させるのか。それとも、自然界での毒を想像させるのか。この画はずっと私の頭の中にあるというのに、作品名を忘れてしまったため、その作品の存在さえもはやわからなくなってしまった。
コロナウイルスが食品に付いたって話は聞いたことがないけれど、エレベータのボタンに付くなら食品・食器にも当然付きますわな。目に見えないから表立って問題にならないだけで、居酒屋とか営業時間を規制するのも判らんでもない。飲食店全体がヤバいと思う。
生産拠点を中国に置くことは問題であるとして、移転させる動きもあるみたいだし、何より今が事実上の鎖国状態だから、これから先、外食や食材、あらゆる生活コストが跳ね上がるかもね。それに同期して全体的に賃金は上がるだろうが、中国産品が国産その他に置き換わると物価の値上がりも激しそう。これからやるなら農業って感じがするけど、規制業種だしもう少し既存の利益団体がおとなしくならない限り無理か。それと、中共はこの失態を美談にすり替えようとしているみたいだが、いつまでも隠し通せるはずもなく、体制はそのうち瓦解するんじゃないかな。北朝鮮も結構ヤバいと思うわ。
フリーダムに書く。
「大体の人が好きなことは仕事にできない」
みたいな理屈をまあよく見るんだけどさ、
そういう考えはそれなり人生損してるなぁーと。
結論だけ言うと、仕事楽しくなくても、仕事していること自体を楽しめばいいのに。
人生の半分くらいの時間を使うものを楽しまないって・・・そりゃ勿体ねーわって思う。
何もね、今の会社から与えられた任務に心から真面目に取り組む必要無いし、
つかそれは洗脳だし、まあどこまでも行っても嘘よ。
仕事内容を楽しいと思い込むのではなくて、仕事する時間そのものにできるだけ多くの楽しみを見出すのよ。
重要なコツは、仕事で使う時間を「なにか自分の人生とは別の時間」のように考えないこと。
あのね、
どれだけやりたくないことだろうが、
それらに対して手を動かして考えるのは「自分」なのよ。
何が自由でどう楽しむかは人それぞれだけど。
例えば俺の場合は全ての数字を維持するゲームだと思って楽しんでる。
売上とか給料とか仕事の速度とかもちろん、後輩の機嫌とか、昼飯の旨さとか、
とにかく仕事行っている間の全ての事柄を数値化して、それをなるべく高く維持するゲームみたいに考えてる。
あと細かいことをいちいち楽しんでる。
タイピング早くなると楽しー。
電話に慣れると楽しー。
人を丸め込めると楽しー。
俺を怒ってる人を観察すると楽しー。
一番早く来るエレベータを的中させると楽しー。
あと、考え方として「楽しさ」と「仕事の内容」に直接的な関係がないっての重要。
会社の職種とか上司に依存しないんで、いつ職場を鞍替えしてもいい気楽さがある。
そもそも会社なんてどんな最悪なことが起きても、クビか倒産しかありません。
それがなんだっつうんでしょ?次の会社行けばいいだけじゃん?
そう気楽に構えれば上司のカミナリとか仕事上の大ミスとか、ゲームの臨時イベントクエストみたいなもんですよ。
まあこれは俺のやり方だけど、とにかくどんな楽しみ方も絶対にある。
「仕事内容がやりたいことではないので楽しめない」
って考えは間違いだし根拠がない、と俺は思う。
人は皿を落とさず回すという何の意味もない単純なことにすら楽しみを見いだせる。
人は災害や戦争などという意に反することの極致にすら楽しみを見いだせる。
銃弾も飛んでこないし、複雑さは皿回しの比ではない。
楽しみ方なんていくらでもあると思うんだ。
間違いなく言えるのは、
「仕事後と休日だけが自分の時間」みたいな考えで生きてたら人生あっという間に終わる。
か、人生つまらなすぎて20代で退職リタイアして労働が無意味にトラウマになる。
それか自殺。
実際そういう人らを見てきたし、
それは本当にもったいないと思う。
仕事に行くのも皿洗うのも風呂はいるのもシャンプー詰め替えるのも全部自分の人生の時間なんだから、
楽しみを見つけることはできるって。ゼッタイ。
逆に言うけど、
仕事(を含めた生活)に自分独自の楽しみを見つけようという姿勢もなく、
それである日突然「とくに自分がどうこうしなくても自動的に楽しくなれるようなこと」と出会える(それも仕事で!)、なんて思ってるほうがおめでたい。
「いまの職業や会社が楽しいかどうか」なんてどうでもいいんですよ。職業や会社なんて人生から見たら使い捨てなんですから。
「仕事している時間をどう楽しむか」を見つける(・・・というより作る)ことが超重要。
最後に、
人に与えられた楽しみに出口なんかない。
会社なんかは
みたいな感じで「こう楽しめ」と押し付けてくる。
まあそれはクソオブクソ。無視していい。
そしてそんな言葉の通り本当に「今の会社の自分の仕事」に対して心から取り組むようになったら、
「仕事を楽しめ」ではなくて、
そのためには「たとえ囚人ですら自分の意思で自由に動いていない時間など一秒もない」という事実に気づくことですなぁ。
※一応フォロー
以下の理由で、誰もがこれをできると俺も思っていません。
・俺は技術職なのでそもそも会社なんぞ使い捨ての乗り物であるという考えがあります
・俺は人間関係の状態や質にプラス/マイナスの影響を1mmも受けない人です
・俺は会社における立ち振舞(「お疲れさまです」とかね)はロールプレイだと考えることができます。軍隊の敬礼といっしょでしょあんなもん。
・全ての評価軸が自己満足なので、他人に怒られても全く心的ダメージ受けないですし、褒められても全く心的プラスはありません。