はてなキーワード: 研究室とは
日本社会は表向き実力主義、成果主義を掲げつつ、未だ学歴主義体質が根強いと言われている(渡辺,2006)。そのような社会の中で、大学進学者の割合が初めて5割を超え(文部科学省,2009)、数十年前と比較して高学歴化が進んでいる。全入時代までは至らないが、志望大学に拘らなければ受験生の9割超が大学に進学できる時代となった。今後は大卒の肩書きのみでなく、大学の知名度や質を重視する傾向が強まり、受験競争はさらに激化するとも考えられる。ここで問題となるのが、受験という競争に伴う敗者と勝者の存在である。彼らが過剰な挫折感や劣等感、あるいは優越感に囚われた場合、学歴コンプレックスとして諸々の心理的、社会的な問題を引き起こす。しかし現状は、定義自体が曖昧であるため、研究者独自の概念や言葉で当問題が扱われている。そこで、今回は心理学分野での学歴コンプレックスに関する研究に注目し、考察と今後の展望を述べることとする。
学歴コンプレックスとは、不満足の原因を自己あるいは他者の学歴に関連づけることで感じる、劣等感や自尊心のこと(鷲田,1995)であり、学歴に対して劣等感を抱く場合と学歴への誇大な自尊心を抱く場合の2層に分けられる。両層に共通する主な特徴は、以下の3点に集約される。第1に、自己の実力不足や失敗を過度に学歴に帰属すること、第2に、自己だけでなく他者をも学歴で評価すること、そして最後に、学歴ばかりに囚われ学業という本来の目的を見失いかねないことである。これらの根底には、学歴が高いほど将来は報われると考える「学歴社会意識」(安藤,2007)や有名大学の進学のみに価値を見出す「学校歴主義」(野田,1996)といった学歴志向の存在が窺える。層別に見ると、劣等感層では上述の志向に加え、入試時に第1志望に落ちて仕方なく所属大学に入った「不本意入学」(伊藤、1995)がコンプレックスの主要因となっている。そして、不本意感から多浪や仮面浪人、退学を繰り返す再受験症候群や、国公立大の進学者を優遇する国公立大学至上主義下での私大進学者なども本層に含まれる。一方、誇大な自尊心層では、学歴社会の勝者であるがゆえに、学歴に比例して自己を過大評価する傾向がある。その裏には人柄や実力よりも学歴イメージが先行する、レッテルとしての学歴の影響が見られる。その他、学歴に見合った社会的待遇でないと受け入れられない学歴保証の希求や、就職時に多い高学歴者の挫折体験等の問題も挙げられている。これらの学歴コンプレックスに伴い、失敗感、挫折感からくる無気力や自尊心低下、不本意感に由来する不適応や抑うつ状態といった心理的問題に加え、充実感や生き甲斐の欠如、自我同一性拡散の深化など、生き方そのものに関わる問題の存在も示唆されている。また、学歴志向や進学観が親子間で継承される(吉川,2005)ように、親子間でのコンプレックスの継承や家庭内の学歴格差によるコンプレックスなど、個人のみでなく世代間に学歴問題が発展する可能性もある。
先行研究は、学歴コンプレックスを多側面から検討し、日本独自の学歴観や学歴の持つ意味、学歴が認知や思考に及ぼす影響について言及した点で、学歴問題の諸相と今後の研究可能性を提示した意義を有する。今後の展望としては、同じ状況下で不適応に陥る人とそうでない人との相違や学歴にまつわる不適応への対処法など、臨床実践に向けた研究を進めていく必要がある。
安藤聡一朗 (2007).学歴社会意識とスチューデント・アパシーとの関係についての考察 学習院大学人文科学論集,16,137-165.
池上知子 (2004).「学歴社会」に対する意識と大学の自己同一視との関係 愛知教育大学研究報告(教育科学),53,79-86.
伊藤美奈子 (1995).不本意就学類型化の試みとその特徴についての検討 青年心理学研究,7,30-41.
吉川徹 (2005).7-106間移動を考える.日本教育社会学会大会発表要旨集録,(57),44-45.
文部科学省 (2009).平成21年度学校基本調査.2010/02/02情報取得
野田陽子 (1996).学歴観の構良智 (学生とその親の学歴観の分析をとおして― 淑徳大学研究紀要,30(II),87-113.
鷲田小弥太 (2005).コンプレックスに勝つ人、負ける人PHP研究所渡辺山.
もともとはまじめに学校へ行くタイプで、中高も欠席なんてほぼ無かった。高校はたまに遅刻はあったけど、それでも毎日が楽しくて学校に行くのが楽しかった。
大学も入学前はワクワクしてたし、入学直後も「ついに自分が大学生か〜」なんて思ってもいた。けど、進級手前から講義を休みがちになった。
朝起きるのも億劫だし、数時間かけて電車乗って大学行くのを想像したらなんか嫌になってきて。
それでも自分で行きたいって決めた大学だから、なんとか早起きして講義受けに行ってたんだけど、研究室配属が決まってから悪化した。
そもそも私は、大学生活の中で自分のやりたいことが分からなかったし、当然何の分野で研究をするかなんて決められなかった。
だから、研究室配属の希望を出す時に新任の先生の研究室を希望した。
しかし半年経って4年へ進級手前になった頃、新任の研究室は作れなくなったと聞かされた。
本来なら、希望を出してから半年間はその研究室でテーマなどを学んで卒業研究を進めて行くんだけど、別のところで勉強をしてきた私はその研究室のテーマなんて全くわからない。
再配属された後に少しだけ研究室の説明をされたが、もともと苦手な分野だったのもあって、正直ほとんど理解出来なかった。時間も無かった故に説明もその後全くなく、私一人だけ取り残されたまま本格的な活動が始まった。
でも仕方がないからと自分に言い聞かせて、その研究室で頑張っていこうと思った矢先。
自分にできそうな分野のテーマを考えて、卒業研究は何にしようかと考え、十数個の案を出して先生に提出したテーマは全てボツ。理由は卒業研究じゃないから。
もうこの時点でかなり疲れてたんだと思う。
周りの人は着々と決めていっているし、自分だけ遅れてる不安に陥った。
一番意味がわからなかったのが、自分の出したテーマと全く同じものが、他の人の卒業研究のテーマに本決まりしていたこと。
そんな悶々を繰り返してるうちに、だんだん研究室に行きたくなくなった。一人だけ遅れてるし、何より研究室の先生が苦手になってきていた。
ある日朝起きて、準備をして、学校へ向かおうとしたら、ドアが開けられなかった。
ベタだけど、ドアを開けようとしたら吐き気がするし、目眩もするし、動機もすごかった。
友達に相談したらうつ病だよって言われて。でも正直あまり認めたくなかった。
だって自分が今まで嫌な思いをしてるのは、周りのみんなもきっと経験してることだろうし、ただの逃げだって思ってるから。
だから、自分はうつなんかじゃないって無理して大学向かったら、駅まで来て吐いてしまった。
行かなきゃなあ
小中高帰宅部で大学は大鬼で数人しかとっていない講義ばっかりで、必修もシケ対と一切かかわらずにサークルも一切入らずに研究室は院生が俺一人だけだったというガチのぼっち学生生活を過ごした俺から一言。
その症状はうつ病だ。ぼっちが原因に見えるが根本原因をまず直せ。心療内科いけ。
うつ病を「ぼっちのため病んだ」と誤解して適切な治療を受けられずに退学していった奴は多数いる。
大鬼の講義は試験一発レポートなし出席点なしというパターンが多い。「レポートだけで優くれました^^」みたいな講義はぼっちにとっては逆に鬼門だ。大鬼の講義は30人収容の教室に5,6人とかでとても快適である。
必修はまじで糞に当たる可能性も多いので半分諦めよう。英語と重要な科目だけ真面目にやってればいい。
ぼっちだとどうしても周りに比べて成績は落ちる。奴らは過去問、シケプリ等の合法的なカンニングに長けているからだ。
だが学内の成績と、卒業後の学業評価は全く別であることを覚えておきたい。
例えば東大の理系では、コミュ力をMAXまで発揮し過去問を大量に手に入れ平均点を85点まで伸ばしてようやく進学できる理学部物理学科は学内ヒエラルキーとしてはトップクラスであるものの、卒業後はぼっちでPCをポチポチしていただけの理学部情報学科出身に圧倒的に負ける確率が高い。そんなものである。
もし実家住まいでかーちゃんとかが弁当を作ってくれてる場合、本当に申し訳ないのだが遠慮して外で買って食べるようにしよう。
昼休みに教室とか外で一人で弁当を食べていると本当に周りがうざいことが多い。大学側も基本は食堂で食べることを想定しており、事務員等に嫌な顔をされることも多く、精神衛生上よくない。適当にウィダーinゼリーぐい飲みして図書館で勉強したりするのがよい。
どんな手を使ってもいいから留年せずに卒業しよう。ウェイウェイやりすぎで1年留年したやつを今後30年見下せる。
そういう負のパワー大事。もしそいつらが留年しなかったとしても、逆の立場になるリスクを回避できたと思えば安いもの。
サークル等でダラダラ残っているのが充実した大学生活、という人もいるだろうがそういうやつが会社でダラダラ残って生産性を下げている元凶なので「あー生産性低い人生送ってるなー」ぐらいに思っておけばよい。
就活の会社はちゃんと選んだほうがいい。就活の時期になるとウェイウェイ勢が「パナ○ニック内定取れた~」とか「ソ○ー楽勝w」とか言い出して心理的圧迫をかけてくるが、実は有名メーカーは30歳でせいぜい年収600万程度である。こういう会社を一緒に受けてもウェイウェイ勢しか受からず、落ち込むかもしれないが、実はそういう人で固まってる会社というだけであり、しかもまともな技術者がいないので競争力が低く給料は安い。
そんなところよりも某フリマサイトとか某クッキングサイトなどの有名Web系に入ると30歳で年収1000万、ウェイ勢は白い目で見られるといった環境が君を待っている。
書かなきゃいけない気がしたので書く。
1年目 入学
2年目 留年確定
3年目
4年目 休学(1年間)
5年目 復学
6年目
7年目 卒業
9年目 就職
今 生きてる
周囲がウェイウェイガヤガヤしている中で自分が孤立しているのは確かに辛い。
だが周囲をもっと注意深く見回してみろ。孤立してる奴はお前だけじゃないはずだ。必ずいる。お前が孤立しているように俺も孤立していた。ぼっちは遍在する。お前はぼっちかもしれないが、一人ではない。
だから何だと思うかもしれないが、「一人ではない」ということは「同じような悩みを抱えた奴も一人どころではない」ということだ。それはつまり「相談窓口がある」ということだ。
構内のビラ、掲示板、大学のウェブサイト…注意深く見てみろ。「相談室」「保健センター」「保健室」そういう類のワードだ。大抵の大学にはこういうサポートが存在する。
この手の窓口はまず間違いなく無料だ。たっぷり時間をかけてカウンセラーと話せ。気後れするかもしれないが、安くない学費を払ってるのだからそれくらいやってもらわないと困る。主に俺のような奴が。
ところで、カウンセリングは全てを解決しない。だがカウンセリングを、他者との会話を通じて見えてくるものはある。例えば「自分が何を辛いと思うのか」だ。漠然と「辛い」と思うより具体的に「◎◎が辛い」と掘り下げた方が対処しやすい。
例えば「ぼっちなのが辛い」にもいろいろあって、「ぼっちであることで不利益を被るのが辛い」と「ぼっちであること自体が辛い」とではそこそこ違いがある。
前者を更に掘り下げると「休んだ回のノートを借りられない」とか「試験の情報共有ができない」とかだ。ここまで具体的な事象に落とし込めばぐっと対策が立てやすくなる。例えば「教員に参考文献を聞いて自学自習する」「オフィスアワーに教員に直接聞きに行く」「ネットの掲示板やTwitterで検索する(大規模な大学・学部であれば有効)」などだ。教員は友人ではないが、基本的に味方だ。
後者の場合は少々厄介だが、手がないわけではない。人間は本質的に孤独だが、他者との交流を持つことで孤独感を和らげる生き物だ。ならば他者との接点を増やして交流への足掛かりを築こう。
大学2年生であれば他者との接点は「講義」「アルバイト」「ゼミ・研究室(3年次からが多い)」「サークル」「SNS」「学外のコミュニティ」が主軸になるだろう。前2つについては申し訳ないがアドバイスできることが殆どない。何故なら奏功しなかったからだ。これは俺の限界でもあるが、自分の限界を認識しその範疇でできることをやることも大切だ(自己弁護)。
ゼミ・研究室についてだが、増田が今2年生ということは学部・専攻によってはゼミや研究室の話が出てくる頃合いだと思う。少人数ゆえに距離は近いが、同期や先輩との相性に加えて指導教員との相性もあるので、合わない人は合わない。中には一生ものの友人と出会う人もいるが、合わなければさっさと割り切っていくしかない。自分は後者だった。あっ、これも奏功してないな?
サークルについてだが、それなりの規模の総合大学であれば「サークルリセマラ」が利く。都市部であればインカレサークルもありだろう。なんとなく興味を持ったサークルにふらっと寄って、なんとなく雰囲気が合うなとか、話しやすい人が多いなとか思ったら残り、そうでなければフェードアウトする。新参が一人来なくなったところで誰も気にかけないので、こちらも気にしないことだ。コミュニケーション能力を高めるより、自分のコミュニケーション能力でも溶け込めるサークルを探した方が話が早い。相性もある。あとは試行回数。
自分語りで恐縮だが、俺が大学生活で最も長く在籍したサークルは2年生になってから入ったところだった。集まることは集まるが、互いにさほど深入りしすぎず、孤独とゆるく付き合っているような人が多かったのが俺には合ってたのかもしれない。休学中もサークルには時折立ち寄るなど、サークルの存在は立ち直る上で非常に大きかった。
何が言いたいかというと、一つで十分なのだ。何か一つ自分の居場所を確保するだけでかなり違うということだ。俺は講義でもゼミでも孤立していて、教室の前まで来たのにどうしても入れずにそのまま帰ったり、アルバイト募集に電話をかけられず断念したり、そういう学生生活を送ってきたわけだが、サークルの片隅に居場所ができたおかげでなんとか致命傷で済んだ。
しかし、例えば増田が地方の単科大学に在学中だとしたらサークルリセマラはちょっと難易度が上がる。学生数が少ないとサークルの数も少ないからだ。そこで「SNS」「学外コミュニティ」も有力な接点となってくる。今はインターネットで同好の士を探しやすい。自分の学生時代はmixi全盛期でクローズドなコミュニティが多く辛かったが、今主流のTwitterはとてもオープンだ。何より大学の外の人たちは自分の視野を大きく広げてくれる。視野とはつまり「なんとかなる」という感覚だ。
大学というある種閉じた場所で孤独と向き合うばかりだと、周囲とのギャップで自分がひたすら惨めに思えてくるものだ。だが世の中には孤独とうまいこと付き合いながらそれなりに楽しくやってる人たちが実は沢山いる。サークルやSNSや学外コミュニティでそういう人たちと出会うことで孤独に耐え得る価値観を知ること、そして「孤独でも案外なんとかなるんだ」という感覚を知ること、それがつまり「視野の広がり」なのだと俺は思っている。価値観は柱だ。柱は多い方が頑丈なのだ。
これは鬱の初期症状の可能性があるので早めにカウンセリングや心療内科の受診が望ましい。上述した通りまずは学内カウンセラーに相談の上で受診を検討した方がよいだろう。
休学についてだが、積極的にはおすすめしない。休学は基本的に「問題の一時的な凍結」でしかないからだ。それでも心身が休養を要するのであれば一つの選択肢になり得る。ただし、カウンセラーや医師や家族と相談して慎重に決めるべきだと思う。例えぼっちでも学業面に問題がないのであれば休学しないに越したことはない。
俺が休学を決断したのは自宅から出られず引きこもる日が増えた頃だった。学業や生活に支障をきたすようになったら一つの目安かもしれない。だがいずれにせよ、自分一人で決めるべきではないというのは間違いないだろう。
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いまいちまとまっておらず乱文乱筆で申し訳ない。一連の話はあくまで自分の生存バイアスを通したものでしかないのも重々承知している。人にはそれぞれの地獄がある。ある人にとっては何てことなくこなせることでもまたある人にとっては地獄の苦しみだったりする。
だからここに書いたことが全てお前のためになるかは分からないし、保証もできない。何故なら俺はお前ではないし、お前も俺ではないからだ。
それも重度の。
ある講義のレポートが出せてなくて、親切な先生がここ(その先生で研究室)で書きなよ!と言ってくれたけど、怖くて行けなかった
所属サークルを聞かれて入ってないと答えると、「珍しいね」と言われる
友達がすぐにできないので、一人で新歓に行くことになるんだけど、一人だと怖くて行けずどこにも入らなかったから
治る気がしないんだけど、どうやって生きていこう
小学校〜中学校の夏休み、どこの学校でも自由研究が宿題に課されていたと思う。
私はそれがひときわ苦手だった。
まず、テーマが出てこない。自分が何をやりたいかが出てこないのだ。
出てきたとしても、それは既存の実験やら本に記載されたアイデアの焼き直し。
小学校の頃は、親に渋々手伝ってもらって、テーマを一つに固定して行ったことを覚えている。
中学の頃は、統計のような資料を基にしてある種あたりまえのようなことを述べるだけだった。
そしてそのどちらも、テーマに関する考察や疑問が設定できず頭を抱えたものだった。
今になって思えば、ああいう課題は子供の発達障害(の一部)を見分けるために出しているのかもしれないと邪推している。
紋切りや媚びた文章で覆い隠されがちな読書感想文よりも、よっぽど自己発露が試されるからだ。
ちゃんと自発的に考えられるか、きちんと疑問を持ち、それに対して解決できる小柱や実験を計画できるか。
そういったことを見定めるある種のファクターとして活用できる、もしくはされていると思う。
ただそれは、研究室時代に子供の頃から矯正を放棄されていた考え方を改善されたから。
教授や先輩にミッチリしごかれたからこそ、無事論文を提出し、就職できたと思っている。
今でこそ研究テーマを自分から持っていき、質疑や討論を出来るようになったものの、
(たまに重箱の隅をつつくような意味なし質問をしていまうこともあるけれど)
配属当初はアウトプットがボロボロすぎて「君はなんのために研究をして学問を学ぶのか」と詰問された程だ。
来月から新しい年号に変わるということで、この年のゴールデンウィークは10連休だった。
だけど、学会の準備と学振の申請書書きでまるまるつぶれてしまった。
僕は自分の頭の悪さとか、研究の業績がぜんぜんないこととか、論文を読むのが苦痛なこととか
そういうことにうんざりしていた。いわば自己嫌悪のようなものだったのだろう。
自ら望んで、それが叶って入った分野だった。憧れに近かった。
でも、悲しいけどあまり向いていないということは早いうちにわかっていて、
だけどなんとか未練がましくしがみついているという状態だった。
いいのか、というか、どの道を選べば(そもそも道なんてあるのか?)納得できるのかが皆目見当がつかなかった。
また、この頃はたぶん見込みのない恋もしていた。
相手は大学関係者だったので(教員ではない)、万が一内気な僕が何かしらの行動を起こす勇気を振り絞ったとして、きっと困らせるだけだと思った。
僕がその人に気に入ってもらえるかは別にして、道徳的な人のように思えたので、いずれにせよ気持ちを受け入れてはもらえないだろうという気がした。
その人のことをどうして好きになったのか、はっきりとした理由はよくわからなかった。やさしかったからかもしれない。
僕には友人がほとんどいなくて、おまけに親元も離れていたので
特にこの時期は研究室の人と、その人と、バイト先の人くらいしか接触の機会がある人間がいなかったから、寂しかったのかもしれない。
勘違いかもしれないけど、この頃から必要最低限の会話に加えて雑談みたいのもするようになって、あとハンカチを貸してくれたりして
少し距離が近くなったように思えていた。
だからこそ、状況としては見込みがないのに、勘違いして期待のようなものをしてしまって、余計に苦しかった。
その人に思いを伝えるかやめるか
きっと、何ヶ月か何年か経った後に、こんな風に思い返している気がする。
僕には、今までに何度か
この先の未来で、選択に失敗した僕が、戻りたいと切実に思っている「あの頃」というのがいまの僕がいる時間だ、と感じることが幾度かあった。
その度に必死に考え、多少の後悔はあっても、僕のできる最善をつくして行動してきた。
その時期が、また訪れたような気がしている。
誰かが見てくれるとは限らないけど。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 114 | 23693 | 207.8 | 41 |
01 | 70 | 11562 | 165.2 | 44.5 |
02 | 23 | 2241 | 97.4 | 19 |
03 | 20 | 1940 | 97.0 | 35.5 |
04 | 9 | 1886 | 209.6 | 94 |
05 | 12 | 1249 | 104.1 | 46.5 |
06 | 24 | 3292 | 137.2 | 75 |
07 | 17 | 3631 | 213.6 | 43 |
08 | 57 | 4510 | 79.1 | 35 |
09 | 44 | 10554 | 239.9 | 45.5 |
10 | 64 | 9187 | 143.5 | 59.5 |
11 | 59 | 5031 | 85.3 | 57 |
12 | 30 | 2640 | 88.0 | 34.5 |
13 | 106 | 13867 | 130.8 | 57 |
14 | 115 | 13994 | 121.7 | 50 |
15 | 79 | 8276 | 104.8 | 50 |
16 | 94 | 7459 | 79.4 | 39 |
17 | 57 | 4831 | 84.8 | 50 |
18 | 51 | 6382 | 125.1 | 39 |
19 | 62 | 12459 | 201.0 | 68.5 |
20 | 66 | 6656 | 100.8 | 40.5 |
21 | 64 | 10326 | 161.3 | 85 |
22 | 97 | 10458 | 107.8 | 51 |
23 | 103 | 15091 | 146.5 | 49 |
1日 | 1437 | 191215 | 133.1 | 50 |
MMT(9), エンドゲーム(8), マイコン(3), 野草(4), 経産省(3), カンダタ(4), インサイダー(3), この世界の片隅に(3), 未央(3), 徴税(4), ショートコント(3), MCU(3), 令和(23), 研究室(8), ボイス(5), 人並み(9), インフレ(5), 分配(5), 踏ま(5), 夢見(10), 手足(5), 平成最後(6), 連休(7), 上級国民(7), 富裕層(8), うつ病(8), 昭和時代(9), やり直し(6), 寄付(6), 平成(26), 消費税(10), C(13), マイノリティ(8), 昭和(20), セリフ(8), 言語(16), 平和(12), プログラミング(11)
■もう人生詰んでいるんだなぁと実感して悲しくなった。 /20190427150421(13), ■長い話 /20190425182402(13), ■俺、一人、風呂場で泣く /20190427205417(10), ■ネットに女の居場所はないのか /20190428133306(8), ■ /20190428015205(8), ■はてな民の人情味溢れる戦争犯罪肯定 /20190428141203(7), ■「MMT理論」の記事を書く中野剛志の謎 /20190428100937(6), ■MMTについて /20190427223747(6), ■引きこもりのうんこの話 /20190426163428(6), ■最近って言葉が100年以内だと思っていたのだが違うらしい /20190427221804(5), ■違う歴史を本物だと思ってる /20190428033649(5), ■個人の時代とかいう地獄 /20190428002821(5), ■思い出は、廊下に溶け込んでいる /20190427225623(5), ■リアルでADHDとかAC自称してくるやつぶん殴りたい /20190428204529(5), ■LGBT疲れ /20190428140649(5), ■6万の財布が欲しい /20190428143306(4), ■食品添加物、気にしない派や擁護しちゃう派は、どういう行動原理なの? /20190428135411(4), ■これから離婚すると思う /20190428221414(4), ■才能がない /20190428203304(4), ■来年度から社会人になるぞい /20190428154624(4), ■子供がいるor欲しい人、この質問に答えてほしい /20190428223754(4), ■日経 xTECH のライターの日本語力がヤバい /20190427203630(4), ■隠れオタクだけど /20190428142135(4)
6209482(1558)
ゴミの散乱した六畳間。電灯は付いておらず、辺り一帯をパソコンの光のみが照らしている。
……そうだ。増田は思い出した。
それがいつものように、コメントが付き、ブクマがされていって。
高揚感と興奮の裏に、ふと少しの恐怖を覚える。
最近も某大学で麻薬を合成していて書類送検が発生したことが頭をよぎる。
これで摘発されるくらいなら、普段から後ろ暗いことをしでかしていた研究室だ。
それに関しては問題ない。
こんな、一介の単なるM冶大学生に、どこで知り得たのかを詰問されたら。
途端に、感情が弾けた。恐ろしくなった。
増田はアーカイブの消し方など知らぬ。記事の拡散は留まらない、待ってくれ、頼む……
それが昨日までの出来事、のはずだった。
……そうか、寝落ちしたのか。
それが趣味なら何も言うことはないが、嫌なんでしょ?
所詮は大学と元学生なだけで、企業との雇用関係の方が拘束力あるよ?
研究室はパワーで押さえつけてるだけ。
個人情報盾にしてきたら、逆にこっちのもん。
納得できない出来事があったので、初めて匿名ダイアリーを書いてみる。以下独り言。
私の所属している研究室では、毎週発表会がある。研究室の学生・教員が全員参加し、学生の発表に対して議論する本格的なものだ。研究室内で行うぶん参加者は皆分野に関する知識を持っており、レベルが高いものとなっている。学生は(炎上を避けたいがために)気合を入れて発表をする。
先日、私の発表順が回ってきたため、全研究室メンバーの前で発表をした。プレゼン後、学生間の質疑応答があり、それから先生と議論をする。
先生は開口一番「君はこの前、学会で賞をもらっていたね」と言った。
私は先日、学会で受賞をした。とある委員会が開催する、1年を通して複数回行われる学会の中から、2018年度の若手賞に選ばれたのだ。
私は「はい、もらいました」と応えた。すると先生から、このように返ってきた。
「君の研究は、高校生レベルの稚拙なものだ。君の説明がわかりやすいのは認める。わかりやすいから、質疑応答も盛り上がる。ただ、君は研究内容ではなく発表のやり方で受賞をしたのだ。正直、委員会の人間にも頭の悪いヤツは多いから、君の発表が評価されたのだろう。研究室内の人間はみんな、君の発表をアホかこいつはと思って聞いているよ。」
衝撃だった。そして、こんなにも他者を理解しようとしない人間がいるのか、と思った。圧倒的な選民思想。他者を見下す態度、相手に理解させようとする姿勢の無さ。
自分とは評価基準が異なる人間を馬鹿にする態度。委員会の人間にバカなやつが多い、という言葉。私を評価してくださった方々は、先生からするとみんなバカなようだ。議論を盛り上げてくださった方々も同様。仮にも専門家である。自分に理解できないものは、全て低俗なものであるという考えなのだろう。自分の評価軸だけを信じ、自分のものの見方だけを信じ、 他者の価値観を一切受け入れない姿勢。
私は、今回の受賞において研究内容だけで評価されたわけではないと思っている。私が大切にしていたのは、発表に対する態度や、わかりやすい説明、盛り上げようとする工夫である。相手にできるだけ話をきいてもらおう・理解してもらおうと努めることである。
私は大学院から専攻を変えたので、分野に関する知識はかなり浅い。だからこそ、こんな自分が学会に参加させていただき、発表させていただくことになったとき、じゃあ自分にできることは何かと考えるのだ。
学会とは、最先端の研究成果を共有する場である。それと同時に、他分野の研究についての理解を深める場でもあると思う。そのため、相手に理解してもらい、自分の研究内容について理解してもらうことが大切であると思うのだ。どんなに素晴らしい研究をしていても、誰にも理解してもらえない発表をするなら学会に参加する意味はない。ただの時間と金の無駄である。他者の時間をも浪費する愚行である。そんなやつは、1人部屋に篭って好き勝手に研究していろ、と思う。
先生は無知を馬鹿にするが、無知を馬鹿にしていては研究成果が世の中に広まることはない。分野に対する知識が浅い人でも興味を持って議論に参加でき、理解できる発表をしなければ、どんなに素晴らしい研究成果も内輪に留まってしまうだろう。相手を理解した上で、相手に理解させる説明をする必要がある。
私にできることは、研究内容を理解してもらうこと。それと同時に、自分の研究分野についても理解してもらうことなのだ。それが、無知である私だからこそできる最大の貢献であると思う。
今回受賞した学会には、私と同研究室から、私より遥かにハイレベルな研究をしている方も多く参加していた。それでも、受賞したのは私だった。だからこそ、委員会の先生方は、私の発表に対する姿勢を評価してくださったんじゃないかと思うのだ。
そんな評価軸を持っているであろう先生方を、「バカ」の一言で片付ける。研究室内の知識ある人々にとってハイレベルでない研究を、「アホ」の一言で片付ける。