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はてなキーワード: 70年代とは

2020-10-30

芸人論今昔

ヒロコヒーとかラランドサーヤで女芸人論が盛り上がってる。「ブサイクvs美人」とか「女捨ててる」とかの安易フレーミングで切り取られなかった女性芸人といえば、関西育ち・70年代後半生まれ自分には、メンバメイコボルスミ11と高僧・野々村だった。のに、野々村はすっかり「鬼嫁キャラになってしまって悲しいなあ。

あと非常階段は、出始めのころ、男女雇用機会均等法っぽさあったよね?

2020-10-24

anond:20201024212621

せやろ?!ええやろ!本編は超シリアスやしな、いかにも本気な70年代ドラマ香りが素晴らしいんや~

2020-10-11

ハンコ屋だけど、なんで俺たちをそんなに憎むんだ?

俺はハンコ屋だ。今は社会の敵だ。大勢の人から要らない、必要ない、潰れろと叫ばれながらも日々ハンコを彫っている。

お前らに問いたい。なぜ俺たちはこんなに恨まれなきゃならないのか?なぜ廃絶を望まれなきゃならないのか? 

「ハンコ屋がなくなるのはしかたない」と言っている人たち、本当に真剣に俺たちについて考えたことがあるのか?

俺たちだって生きているんだ。いろんなことを考えて生きている。

俺の親父はハンコ屋だった。マジでハンコと名刺を作ること以外なんの取り柄もない男だった。

そんな男は70年代機械彫りが普及され始めても、手彫りにこだわった。俺は効率性を重視して機械彫りに活路を見出したが親父は頑なだった。

そんな窮屈な親父に嫌気がさして俺は普通会社就職した。

最初理解できなかったが、100均など安価大量生産のハンコが作られ始めてから俺は親父の偉大さをしった。手彫りには一切同じものはない。

まず書から書き、木口に転写し、篆刻台に固定し彫っていく。そして溝を残す。これだけのことなのに、機械彫りではたどり着けない領域に達する。

それから俺は手彫りについて探求した。専門学校入学して真剣に手彫りについて学んだ。

親父は脳梗塞で寝たきりになって喋れなくなった。それでもベッドでハンコを彫り続けていた。

そんな俺が親父のハンコ屋を継いだのは2年前のことだ。その矢先、俺たちはパブリックエネミーにされたのだ。

今、日本で俺たちほど存在消滅を望まれてる人々はいないだろう。本当に虚しい。たしか時代だとは分かっているが、この気持ちが捨て去られるのは悲しい。

からそんなに憎まないでくれ。俺たちは生きているんだ。

2020-10-05

anond:20201004173050

IT業界キチガイ他人社会に一人戦争仕掛けるようなことしても、何回ボコられようが首から下がなくなっても生きている限り俺の勝ちみたいなレベルだけど

健常者たる大多数のエンジニア職歴わずかな手傷を負うだけでも取り返すのに数年かかるし下手すりゃ再起不能になるからキチガイ無双なんだよね、だって向こうは普通社会人なら人生終了クラス懲役食らうくらいの犯罪犯そうが死なない限りノーダメっていう死ぬまで常時スーパーアーマーのゾンビみたいなもんだもの

ベンチャーの立ち上げとかオウム真理教みたいにたまたま運良く野良エリートが初期段階で入ったら、あんなんでも急成長できてしま余地があるし、だから成長ある程度してキチガイが締め出されてベンチャーくらいしか選択肢がなくなる

参入障壁下げまくった結果、参入障壁が高いのならばこういうキチガイは取り付く島もないか昭和の先人たちの知恵だったというわけだ

キチガイ犯罪者予備軍みたいな人間エンカウントやすブラック業種というのは必ず共通してる

それは参入障壁が低いことだ

キチガイのまぐれ当たりで撃たれる危険性がある時点で対策リソースがいる

世界中IT業界70年代から今に至るまで産業スパイ跋扈してるが

それは基地外を操ったりキチガイへの対策マニュアルで持ってるから盛んにスパイ活動で稼げるんだろうなと思う

そういう面で見てもキチガイを締め出す対策業界必要なんだがそれをしなかったからこうなった

2020-10-04

anond:20201004130911

あちらは男尊女卑日本以上に根付いてるから

キム・ジヨンベストセラーになって、それを支持する女性男性が袋叩きにする地獄

日本70年代ウーマンリブ運動みたいな事を今になってやってる感じに見える

出生率1切ってるって事は、生涯1人も産まない女性の方が多いって事だし

産まない方が多数派になってしまうともう「産みたくないけど同調圧力で産まされる」って事もないわけだし詰んでるよな

国のシステムも人の意識多数派の子なしに合わせるだろうからますます子育てがしにくくなるんだろうし

2020-09-07

フィギュアスケートの見せパン新体操レオタード陸上ブルマー

フィギュアスケートは見せパンじゃないけれどさ

初めてスケートリンクに遊びに行ったとき普通にスケート教室リンク中央で開催していた。そこで自分と同世代女の子たちが、きれいに足を上げて滑っていたのだけれども、いつものようなパンチラとは違って普通にお尻の曲線をずっと眺めていることができてしまって、僕は滑るどころではなかった。

性に目覚めたころ、こんな目で女の子を見ちゃいけないと思ってはいたのに、自分ではどうしようもないほど強力な衝動に襲われていて、自分自分でなくなってしまいそうで本当に怖かったし、初めての射精とき呆然として、それから怖くなって涙が出てきた。男性だって、性の目覚めってのは怖いものだということは、広く知られていい。今となっては、とてつもなく図太くなってしまったが。

ところで、フィギュアスケートだ。その名の通り、元々は氷上に図形を描くスポーツであったのだが、その優美さと技を競うものになっている。氷の上を滑る技術のものは非常に古く、スケート靴も先史時代にさかのぼるという。

で、そのスケート競技になって以来、女性たちはどうやってパンツが見えることを防いできたのか。今のようなレオタード以前はどうであったのか。調べてみると驚きの結果が出た。なんと、戦前にさかのぼる見せパン発見された。以下はその資料である

https://qz.com/quartzy/1191926/spandex-sparkle-and-pure-athleticism-a-photo-history-of-figure-skating-fashion/

1928年ドイツのEllen Brockhöftによる滑走。

https://www.liveabout.com/illustrated-history-of-figure-skating-clothes-1283059

1948年、Barbara Ann Scottのクラシックスケートスカートミニスカートになっているのは、戦時中の繊維不足のためだと書いてある。にわかには信じがたいが、これ以来スケートスカートが極端に短くなったのだという。

また、同資料では、スカートがどのようなフリル付きレオタードに移っていったか写真掲載されている。

https://www.insider.com/olympic-figure-skating-dress-evolution-2018-2#later-a-fabric-shortage-in-the-1940s-forced-many-competitors-to-opt-for-figure-skating-dresses-with-higher-hems-5

こちらの資料でも、繊維の不足がミニスカート化を加速させたと書いている。

同じくBarbara Ann Scott、1948年オリンピックである

https://www.cosmopolitan.com/style-beauty/fashion/g15064708/how-olympic-figure-skating-costumes-have-changed-through-the-years/

同じく1948年アメリカのGretchen Merrill。興味深いのがベルトを身に着けていることだ。当時ではフィギュアスケートアクセサリーとして使用されていたが、60年代から70年代ワンピース型の衣装の普及とともに廃れたとのこと。しかし、ベルトを着けていると、なんだかますます見てはいけないものパンツ)を見ている気がする。

ちなみに、プロ選手練習時に着用する、真っ黒な長袖長ズボンみたいなの実は好き。とはいえジーンズワイシャツかわいい女性が好きというのと同じで、元々かわいくないと似合わないんだよ、とツッコミを入れられてしまいそうな話ではある。

体操新体操レオタード

スポーツジムで、体操選手レオタードを中継しているのをみたことがあるのだが、なんだかエッチ気持ちになるのが申し訳いくらい、辛そうだった。手足は傷だらけだし、表情は真剣のものだ。それでも、魅力的に感じてしまうことに、我ながら困惑する。おそらく、頭の中で「好き」「かっこいい」「エッチ」の感情を処理するユニットが近いので、混線しているのだと思う。

言い訳はさておき。以前にも書いたが、レオタードは元来レオタールという男性曲芸師が全身にフィットした衣装を身に着けていたことに由来する。もともと男性のものだったのだ。しかし、その機能性が注目され、女性のものとして利用されるようになった。

とはいえ、当時のことだからいきなり今のようなハイレグ水着みたいな形になったわけではない。当然、紆余曲折があった。

http://www.olympicleotards.com/leotard-history/

上記資料によれば、1908年代に女性向けレオタードと称していたのはドレスのものである。初期の女性水着ドレスみたいで、体型を一切見せないものだったのにも似ている。

1948年に今のような形になっているが、ハイレグではない。せいぜい提灯ブルマー程度しか足を見せない。

今のようなハイレグとなったのは、60年代以降だ。1976年ナディア・コマネチビートたけしギャグでも知られているが、ここまでくると広くハイレグが使われていたようだ。

おそらく女子バレーブルマーが使われだしたのはこのころだし、これが日本でのショーツブルマー導入の遠因になっている気がする。

https://www.elle.com/fashion/a37371/evolution-of-gymnastics-leotard/

それ以降、基本的レオタードハイレグだが、時代によって模様にもはやりすたりがある。概略を示すと、無地→愛国デザインキラキラした素材、といった具合になるようだ、使用されている繊維の質も違う。

女子陸上女子マラソンブルマー

なんとなくブルマーの本場というか総本山イメージ女子陸上や、女子マラソンにはある。とはいえ選手によっては普通の短パンだし、中には宗教上の理由から全身を覆う例もある。普通にかわいいと思うし、よく似合うと思う。イスラーム世界はおしゃれとは無縁だと勝手に思っている人もいるらしいけれども、ヒジャブだとかチャドルだとかはいろんな色や巻き方があるし、僕らには見えないけどもその下はきれいにお化粧している。いろんなファッションスポーツをやる人がいてしかるべきだし、それを決めるのは選手だろう。

で、話を女子陸上に戻すけれども、ここで特筆すべきなのはへそ出しというか、もうほとんどビキニみたいな恰好選手。腹筋がめちゃくちゃかっこよくて、おかげで腹筋萌えにまで目覚めてしまったのだけれども、昔はそんな恰好をする選手はいなかった。

https://slate.com/culture/2012/08/olympic-uniforms-from-loose-and-heavy-to-tight-and-dimpled-a-visual-history-of-olympic-sprinting-attire.html

https://www.elle.com.au/news/summer-olympics-fashion-history-9896

こういう写真資料をみていると、セパレート化の流れは90年代にはじまり、それがだんだん過激になって軽いへそ出しからただのスポブラになって行ったんじゃないかと思われる。

ちなみに、これはテニスだがスポブラと短パン姿だ。https://www.pinterest.jp/pin/494833077788864848/

また、ブルマーらしく裾が短くなっていくのは、やはり40年代から見られる。

ところで、以前リンクを貼ったバレーボールの記事について調べると、ブルマーの別名として「bun huggers」というのもあるらしい。英語のをウィキペディアの「shorts」の項目にも載っていた(数か月前はここまで細かく書いていなかったのに)。また、ほとんどショーツ型のbun huggersが2000年代中盤からショートパンツ型の「boy shorts」に置き換わった、とある。やはり、いろいろな揺り戻しがあるのだろう。現に、バレーボールでショーツブルマーが導入されてからも、90年代以降に(?)使用が中断された。また時間があるときに、これらの用語から陸上ブルマー歴史について再検討したい。

まとめ、結論

しかし、英語で調べたのだが、残念ながら陸上ブルマーの単体の歴史変遷についてまとめている記事は見たらなかった。オリンピック選手は大まかにこんな服装でした、という写真を並べただけで、細かい情報はあまり載っていない。上記記事はいちおう公的メディアなのでそういう扱いはよろしくないとされるのだろうが、調べている個人が見当たらないのは不思議である。探し方がまずいのかもしれないので、「bun huggers」などの用語で再検索するかもしれない。

今後の展望

競泳水着や、ビーチバレー衣装の変遷について調べる予定。

過去ブルマーに関する記事との比較については、後程。

2020-08-19

anond:20200819175012

70年代まれだけど、

まぁ良く分からないなりに、シャアはザビ家を恨んでいること、セイラとは兄妹であること

だけ分かった状態で楽しんでましたね。

シャアが実はシャアじゃなかったとか、そんな話は一切なかったんですよ

2020-08-17

少女小説」を愛するということと、その忘却について

 少女小説が好きだ。

 戦前吉屋信子氏に代表される「少女小説からまり時代の流れのなかでいちどは途絶えそうになるものの、70年代後半にやはり「少女小説」を愛していた氷室冴子さんをはじめとするコバルト文庫作家さん方によって再び脚光を浴び、2020年まで連綿と息づいてきた少女小説が、好きだ。

 昔からずっと変わらず月が愛でられてきたように、百年前から変わらず「少女小説」を愛しているひとたちがいる。そんな長い歴史浪漫の一端に、きっと私もいるのだろう。

 青春時代、「少女小説」というひとつ空間のなかで、ひそやかに繰り広げられてきた世界に没頭し、陶酔し、生涯大切にしようと胸の前でそっと本を抱えながらその思い出を心の奥底にある宝箱のなかにしまったのだ。

 私が初めて少女小説を読んだのは、中学生の頃だった。学校図書室で、静かに置かれていた『シュガーアップルフェアリーテイルシリーズを偶然手にして、優しく柔らかに、そして美しく描かれる銀砂糖師と妖精たちの世界に魅了されたのだ。そこから、『ヴィクトリアン・ローズテーラーシリーズや、『おこぼれ姫と円卓の騎士シリーズ、『英国マザーグース物語シリーズ、『彩雲国物語シリーズなどなど、様々な少女小説に手を出した。あるときには、とある少女小説作家の方に、人生で初めてのファンレターを送ったら、返事が届いた。今もその手紙は、机の引き出しの奥できらきらと輝き続けている。そうした読書体験を含め、少女小説を心から愛している。

 とはいえ、たぶん。現在の若年層は、そもそも少女小説」という言葉を知らないひとも増えているのだと思う。実際、私(※大学生)の周りでも、「少女小説」という言葉を知らなかったというひとは多い。コンテンツに溢れた世の中で、他作品よりも目立つことの難易度は、どんどんと高くなっているのかもしれない。だが同時に、「キャラ文芸」あるいは「ライト文芸」といわれるような作品群や、Web小説なかに少女小説文脈はいまも引き継がれているのだとも思う。

 ある言葉の持つ意味時代と共に少しずつ変化することがあるように、時代に合わせて本もまた少しずつ変化していくのだろう。だから、そうした時代の変化を悲観する必要はないのかもしれない。けれどやっぱり寂しい気持ちもあり、もっと沢山のひとに「少女小説」という存在を知ってほしいと思ってしま自分もいる。

 「小説家になろう」発のWeb小説や、「ライトノベル」という言葉の定着によって、昔なら「少女小説」と呼ばれたかもしれない作品群も、「Web小説」や「女性向けライトノベル」という枠に入ることも増えつつある。その結果、「少女小説」という言葉が再び「知る人ぞ知る」ものになりつつあるのだろう。名前が変わっても、物語が描き出すもの自体は何も変わらないのだから、繰り返しにはなるがきっと悲観することではない。それでもやっぱり、どこか寂しい。その思いから、筆を執った次第である

 「少女小説」という言葉に執着する必要はないのかもしれない。前述したように、物語が伝えたい想い自体は、変わらず在り続けているのだから

 それでも、百年前から愛されてきた、そして私が愛した「少女小説」を、再び世に広く知ってもらえる未来が来ることを祈っている。

2020-08-16

anond:20200816163829

女がやるなら当たり前、出来ない女は無能か怠け者、と言われる風潮が何十年も続いたのに

男に火の粉が降りかかったら問題視されるのの早いこと

育児ノイローゼ」なんて70年代からある言葉なのに

2020-08-14

anond:20200813153635

実家70年代に買ったであろうSINGERの工業ミシンがある。

真っ黒でつやつやした筐体にSINGERの輝く金文字。

もともと足踏み式だったのを電動式に魔改造して『ガーーーッ』と縫い上げる凄い奴。

洋裁やってたカーちゃん自慢の機械だったが80年代末期に身売りしてしまったとは。

2020-08-12

BW以降の新興のポケモン舞台設計の話

ポケモン剣盾に関して西洋文化に詳しいユーザー面白い考察を見ててイギリス要素をこれでもかと盛り込んでるなぁと驚きました。制作についてイギリス出身社員が指揮に関わってたそうで,古代イギリスで起きた土着のケルト文化圏と移住でやってきたキリスト教文化圏の邂逅の話,イギリスにある環状列石や地上絵,バイキング70年代パンクロック反体制派の思想の結びつきなどが盛り込まれてて西洋歴史に疎かったのですが結構興味が出ましたね。ブラックホワイト以降のポケモン現実にある地域文化生活歴史などを新旧のポケモンの設定や世界観に組み込んでヒト社会ポケモンが溶け込んでいるような作りを目指していたものが剣盾ではっきりとしたものとなったようなので,また日本舞台にした完全新作のポケモンを作ってほしいなぁ。九州ベースとなっている舞台があるルビーサファイアリメイクでは熊本県都市が元になってる街で熊本都市にあるようなアーケード街建設されてたので,現実舞台ゲームに盛り込むノウハウ日本地域ネタを盛り込んだらなかなか面白いだろうなぁ。

2020-08-10

藤子F短編集は駄作が多い

藤子F短編集が一部無料公開で最近また話題になっているけど、

からの大ファンから言わせれば、正直作品の出来不出来が激しいと思っている。

はっきり言えば駄作3割、ふつう6割、傑作1割ぐらい。

駄作と傑作のスレスレ実験的な作品を描いて、

いくつかの大傑作を生み出してもいたことが魅力となっている。

自分が傑作選を編集するなら、異論は多いだろうが以下の作品になるだろう。

ミノタウロスの皿」

「ノスタル爺」

「イヤなイヤなイヤな奴」

ウルトラスーパーデラックスマン

「あのバカ荒野を目指す」

「ヒョンヒョロ」

自分のなかでは「ミノタウロスの皿」「ノスタル爺」が飛び抜けて名作。

20年以上繰り返し読んでいるが、読むたびにその凄さにため息が出る。



追記

 

印象としては、1970年代前半が駄作と傑作の振り幅が大きく、

1980年代以降は良くも悪くも作品の質が安定するようになっている。

80年代のヨドバ氏カメラシリーズも好きだけど、

まだ藤子Fがドラえもん大成功国民漫画家になる以前の、

手探り状態試行錯誤を重ねていた70年代のほうがやはり魅力的かな。

カンビュセスの籤」は完成度が高い作品だとは思うけど、

ラストの締め方に強い違和感がある(あれがいいという人も多いのだろうけど)。

個人的には藤子F短編は途中まで凄くてもラストイマイチだなと思うことが多い。

その点「ミノタウロスの皿」「ノスタル爺」はラストが神がかっている。

「クレパトラだぞ」も非常に好きな作品だけど、ラストが若干の不満。



「僕はゆるせないぞ!自分がそんなにみにくく老いていくことを!過去自分をせめること以外なすこともなく・・・

セリフに鞭打たれる日々。

2020-08-04

英国病」についてウィキペを覗いてみたのだが

英国病の期間は60年代70年代とされてて、二十年程度なんだよな。

バブル崩壊以降の日本では不景気経済的停滞は25年超えて続いてて、これが改善される見込みもない状況だから英国病下の英国よりも状況はずっと悪いよなあ。

バブル以降の不景気さなかでも、政府財務省)の言っていたことは「イザナギ超え」とかなんで、最初から改善しようという意識が碌になかったのは明白だから、当然と言えば当然なんだろうけどな。そういう方針政党をずっと支持してきたのも国民であるのだが。

2020-07-26

anond:20200726090939

どうでもいいけど90年代カルチャー70年代の焼き増しと80年代の影響がだいたいの場合根っこにあるだろ

スーファミゲームの話やMステスペシャル版のアーカイブコーナーで90年代映像と共に出てくる人ってイメージだわ

って書いてあって俺がこのメンツがザ80年代と思ってないことぐらいわかるやろ

なんか知らんけど90年代って80年代あたりに醸成されてったアングラがより洗練された形でメインストリームにのし上がっていった時代で、そのころのオタクルーツを辿るって姿勢もあって70、80年代ノスタルジーに弱いとこあるじゃん

こんなん日本人共通認識やん

説明さしとんねん

anond:20200726045707

今年40なので、ふーんサムライチャンプルーはおじさんのファンが多いのか、まあ自分も嫌いじゃなかったけどと思いながら読み進めてたら、70年代80年代がその人たちの青春なので〜っていやいや 70年代80年代青春だった層はもう還暦だぞ 70年代、生まれてすらいねーし

ついでに言うと大黒摩季活躍してたのは90年代だぞ

若い人たちにはなんならお前らはバブル時代にいい思いしてたんだろ!とかまで言われそう感あるな

10年後には、太平洋戦争ってどんな感じだったの?とか聞かれそうまである

知らんよ

2020-07-23

ポリコレの行き着く先がBLM暴動なのはやっぱりダメなんじゃないか

言論批判したり平和デモ行進をするだけなら良いけど、暴動や略奪や脅迫での文化破壊正当化しちゃダメだろう?

ネット普及前の20世紀と比べて現在アメリカ黒人境遇悪化しているわけではなく、黒人を射殺した警官が放免されているわけでもないのに、この時代にああい暴動が起きた理由ネットポリコレ過激主義になってしまたからだ。

こういう暴力まで肯定する社会運動は恵まれない人々の境遇改善する結果にはならないというのが、たとえば60~70年代極左テロの教訓なんじゃなかったのか?

2020-07-22

anond:20200722010303

こうやって子供部屋があるうちはいいよな。70年代に大量にたった住宅老朽化ダメになるころには、新築の家を買える層は限定的になってるだろうな。

2020-07-20

1980年7月18日世代

anond:20200720204513

年齢棋士
57大山康晴A級/3位)
56
55
54
53
52
51
50
49
48二上達也(B1/19位)
47
46
45木村義徳A級/34位)
44有吉道夫(B1/12位)
43
42
41
40加藤一二三A級/6位)内藤國雄(A級/7位)
39板谷進(A級/21位)
38大内延介(B1/15位)
37米長邦雄A級/2位)
36
35勝浦修(A級/4位)
34森雞二(B1/16位)
33石田和雄A級/10位)田中魁秀(B2/17位)
32中原誠名人/1位)桐山清澄A級/13位)
31佐藤義則B2/14位)
30 森安秀光(A級/5位)
29
28
27青野照市(B1/8位)宮田利男C1/20位)
26
25
24
23小林健二(C1/11位)
22
21
20福崎文吾(C1/18位)
19
18谷川浩司B2/9位)

タイトルホルダー(王座戦一般戦時代のため全六冠)

中原誠名人十段棋聖棋王米長邦雄王位大山康晴王将

概観

筆者にとってはここから数年後が将棋に興味を持ち始めた時期のため個人的には印象の深い顔ぶれが並ぶのですが、改めて1990年世代表と比較すると、羽生世代と55年組が年齢の関係で登場していないことを除けば、主たる顔ぶれに大きな変化がありません。大山から中原への世代交代を経て米長の台頭と加藤の才能の遅れながらの円熟を迎えた70年代の熱が、80年代いよいよその盛りに達しようとするまさにそういうタイミングであり、それが1990年の段階でまだまだ勢いを持っていたと見るべきでしょう。そういう意味でも、羽生善治は「最も最適のタイミングで出現した」と言えるのかもしれません。

谷川浩司登場

そういう熱の中に、1人とびきりの若さで登場した谷川浩司の衝撃、をリアルタイムで感じることのできない当時の私の年齢ではありましたが、こうして見ればその存在感の突出さも別の意味理解できようというものです。ただ、谷川80年代を通してついに「自らの統一王朝」を開くまでには至らず、中原と押し引きを続けている間に羽生とも戦わざるを得なくなるという状況を迎えました。

板谷四郎一門の存在感

藤井聡太大師板谷進とその弟弟子石田和雄A級に、さら板谷進の弟子小林健二が将来を期待される俊英として名を連ね、板谷四郎一門のある種の盛りを迎えています。途中石田弟子高見泰地が叡王位を獲得するとはいえ、ここから40年を経て「東海タイトルを」が結実するというのは、年月の長さを感じます

2020-07-19

anond:20200719031405

24年組とその後続世代を中心に

1970~80年代中ごろの少女漫画面白いのは必然

なぜかというと「少年漫画でできないことができる」一種解放区だったか

現在でこそマニアック漫画専門誌は多い

が、当時は漫画自体の数が今より少なく

メジャー出版社少年漫画青年漫画とかの建前上の枠に束縛されていた

当時の男の子向けと言ったら

不良、スポーツ、不良、スポーツ、不良、スポーツ、不良、スポーツ、が王道

SFファンタジー不条理雑学衒学ギャグなんて

「どこに需要があるの?」みたいな扱い

しかぁし!

少女漫画は外見上だけ美男美女が出てくれば何でも許された

いい例が魔夜峰央とかだろうな。『パタリロ!から美少年を取ってみろ

国際謀略スパイアクションホラー落語に……どこが少女漫画やねん

当然、少年漫画だったらますますもって編集者相手してくれない

あと

萩尾望都竹宮恵子が切り開いた初期やおい(「BL」じゃないぞ)ブーム

大いなる追い風となった

少女漫画といいつつ男キャラばかりの話でもOK

美少年が出てくれば舞台中世でも19世紀でも可

主要登場人物金髪碧眼の外国人ばかりでも可むしろ大歓迎

(当時の少年漫画でこれはなかなか受け入れられにくい)

そんなわけで吉田秋生BANANA FISHみたいな怪作も成立した

1980年代当時の少年漫画ヤンキー臭いスケールの小さな不良バトルばかりの中

本物のピストル振り回して政財界の大物の大人と戦う少年の話の方が

よっぽど面白いだろ!! などと思った男子は俺だけではないはずだ(偏見

ドラクエが売れて「ヒロイックファンタジー」なるジャンル

小学生でも知ってるメジャー存在となったのはやっと1980年代後半

その数年前から和田慎二は地味ぃにピグマリオを描いていた

これも当時の少年漫画誌だったら許されなかったよな…

元増田の話とは随分ずれてしまって申し訳ない

とにかく、かつて今ほど漫画雑誌が多様化してなかった時代には

少女漫画ニッチ実験場だった時代があったんだ(遠い目

うるせえよ老害年寄り

追記1】

「『やおい』ではない」「『少年愛』では?」「『JUNE』では?」

すまん、少なくとも1970年代1980年代中期「BL」という語句

まだ聞かなかったから、とりあえずこの語句表現した

追記2】

少年漫画誌、青年漫画誌でも実験的なSFやらファンタジーやら作品はあった」

たとえば70年代末期~80年代初頭の少年ジャンプが

諸星大二郎星野之宣などのような異才も取りあげた点は評価せねばならん

が、寺沢武一みたいな例外別にすれば安定した長期連載は少なかった印象

追記3】

「お前が言ってるのは『花とゆめ』とか一部の少女漫画誌の話だろ」

かに当時も大多数の少女漫画普通中高生男女の恋愛物だったと思う

が、俺はそーいうのに興味なかった

(↑典型的な、非日常的な作品ばかり好む社会性のないオタ)

追記4】

1990年代末~2000年代初頭のエロゲと同じだ」

その通り! 今にして思えば、虚淵やら奈須やらその他を輩出した

当時のエロゲ業界こそ、団塊ジュニア世代オタククリエイターにとっての

(1970末~80年代初頭のような)古き良きボーナスステージだったんや

追記5】

――以上全部年寄り臭い、すごく年寄り臭い

すまん(50歳)

2020-07-14

anond:20200710204005

オタク向けコンテンツが性欲ありきなのは70年代80年代から変わらないし、BLはともかく男性向けの性的コンテンツを作ってきたのは間違いなく”オールオタク”層だよ。何を見て「昔は」とか「今は」とか判断してるんだ。自分の良いようにしか物事を見てなくて狭量なのはオタク”に違いないが。

2020-07-13

脳内ポリコレ外人

「この脚本、一体どうなってる!?

「ひどいもんだ……。あん70年代からタイムスリップしてきたのか?」

ポリコレってもんが、まるでなっちゃいない」

ポリコレだ!これから時代ポリコレなんだよ」

「また、その言葉(ポリコレ)か……」

ポリコレポリコレ。いい加減にしてくれ!」

ノイローゼなっちまいそうだ」

ポリコレなんてもんに頼らなくてもイカした映画を作ってみせるさ」

「いいかポリコレに従え」

「これは決定事項だ」

「じゃ聞くが、あんたに一体何がわかる?」

イカした映画を作るのに、必要ものが何かわかるのか?」

「少なくともポリコレじゃないことは確かだ」

ポリコレなんてもの映画を良くする上でなんら役に立たない」

「そこらの石っころのほうがまだ役に立つさ」

「なんなら、昼食のチーズハンバーガーを賭けたっていい」

あんたは金集めのプロであって、映画作りのプロってわけじゃない」

映画のことだったら、俺のほうがよくわかってる」

「なぁ、お前さんの給料、誰が払ってると思う?」

「なんとオレが払ってる」

「こいつは驚きだな」

あなた様が一体どれだけご立派な志を持っているのか知らんが」

「ここではオレがボスだ」

「こいつは命令だ」

脚本を書き直せ。今すぐに、ポリコレシマシでな!」

クソッタレ!」

2020-07-08

在日コリアンの方のバス定期券がびりびりにされた話

こういう記事がありまして。

差別のない街の見本に」川崎ヘイト禁止条例 7月1日全面施行 在日コリアンの思い - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200630/k00/00m/040/196000c

この中でこういうエピソードが紹介されています

朝鮮学校に通い始めて1カ月が過ぎた頃のことだ。初めて買った定期券を持ちバスに乗り込もうとすると、運転手がいきなり目の前で定期券ビリビリに破った。それが何を意味するのか、10歳では分からなかった。

59歳の方ということなので、70年代の初め頃の話ですね。

こういうエピソードが成り立つためには、70年代初頭には「乗車時に定期券バス乗務員に手渡し、記載の氏名まで仔細にあらためたうえで、はじめて乗車を認める」という運用普通に行われていた、あるいは行われている地域が、いくらかはあったということが言えなければならないと思います。もちろん時代背景も地域差もあるとは思いますが、このような運用は、ありえたのでしょうか(渋滞の原因になりそうですが…)。自分はこの方より10歳ほど若い世代なので単純に比較してはいけませんが、バス定期券はさっと見せるだけで乗車できました。

このあたりは識者の見解を待ちたいところではあります

で、上のような手渡しの運用普通であったとすればよいのですが、そうでないならば、「子供差し出した定期券を(乗務員が通常のフローでないにもかかわらず手に取って、氏名を確認したうえで在日コリアンだと認識して)ビリビリに破った」ということになりますが、幼少のころの記憶とはいえこの()の部分を忘れたり省略したりするものでしょうか。

この()の中身はいろいろバリエーションはありえそうです。例えば、地域にこの方が在日コリアンだということが知れ渡っていたので、嫌がらせを受けるというようなことなのですが、その場合でも定期券乗務員に、なんらかの段階で手渡されていないと、「ビリビリに破」られません。定期券を手渡して確認するフロースタンダードでない場合、ここの部分はあまり平和的とは言えない感じで行われる運びになりそうなのですが、この場合もやはり、その部分を忘れたり省略したりするようなことはあまりなさそうな気がします。

ディティールが足りなさすぎるんですよねこの話。

個人的判断としては、単なる記憶いかフィクションだろうな、という気がしています。まあ、どうですかね。10歳ですからね。でも、そんなあいまいな思い出よりも鮮明なエピソードもっとあるんじゃないですかね。

在日コリアンの方への苛烈差別過去にあり今もあるということを否定する気はさらさらありません。それらは一刻も早く是正されるべきです。なのですが、作り話やあいまい記憶を都合よく盛った話で興味を喚起しようとしているならば、それはあまり品の良い話とは言えません。

ただ、これは受け手リテラシーの話でもあります。このエピソードをそのまま額面通りに受け止めて「まあ、ひどい」とか言っているようでは、話にならないのでは、と思います

2020-06-30

anond:20200629225227

ラディカルフミニズムって、「過激フェミニスト」ではなく「抜本的なフェミニスト」という意味で、1960〜70年代発言力を持った本質主義フェミニストことなんだがな。なので「日本ではラディカルフミニズムが支配的」は全く間違っている。今は日本でも社会構築主義立場に立ったフェミニズムが主流なので。(そうじゃないやつもまあまあいるが、中心的な思想じゃない)

メンズリブとか、フェミニズムの流れから出た男性研究のほうに目配りしてみればいいのでは? 男性の辛さについて話題にしている男性研究者はけっこういる。

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