はてなキーワード: 70年代とは
俺はハンコ屋だ。今は社会の敵だ。大勢の人から要らない、必要ない、潰れろと叫ばれながらも日々ハンコを彫っている。
お前らに問いたい。なぜ俺たちはこんなに恨まれなきゃならないのか?なぜ廃絶を望まれなきゃならないのか?
「ハンコ屋がなくなるのはしかたない」と言っている人たち、本当に真剣に俺たちについて考えたことがあるのか?
俺たちだって生きているんだ。いろんなことを考えて生きている。
俺の親父はハンコ屋だった。マジでハンコと名刺を作ること以外なんの取り柄もない男だった。
そんな男は70年代に機械彫りが普及され始めても、手彫りにこだわった。俺は効率性を重視して機械彫りに活路を見出したが親父は頑なだった。
最初は理解できなかったが、100均など安価な大量生産のハンコが作られ始めてから俺は親父の偉大さをしった。手彫りには一切同じものはない。
まず書から書き、木口に転写し、篆刻台に固定し彫っていく。そして溝を残す。これだけのことなのに、機械彫りではたどり着けない領域に達する。
それから俺は手彫りについて探求した。専門学校に入学して真剣に手彫りについて学んだ。
親父は脳梗塞で寝たきりになって喋れなくなった。それでもベッドでハンコを彫り続けていた。
そんな俺が親父のハンコ屋を継いだのは2年前のことだ。その矢先、俺たちはパブリックエネミーにされたのだ。
今、日本で俺たちほど存在の消滅を望まれてる人々はいないだろう。本当に虚しい。たしかに時代だとは分かっているが、この気持ちが捨て去られるのは悲しい。
だからそんなに憎まないでくれ。俺たちは生きているんだ。
IT業界のキチガイは他人や社会に一人戦争仕掛けるようなことしても、何回ボコられようが首から下がなくなっても生きている限り俺の勝ちみたいなレベルだけど
健常者たる大多数のエンジニアは職歴にわずかな手傷を負うだけでも取り返すのに数年かかるし下手すりゃ再起不能になるからキチガイ無双なんだよね、だって向こうは普通の社会人なら人生終了クラスで懲役食らうくらいの犯罪犯そうが死なない限りノーダメっていう死ぬまで常時スーパーアーマーのゾンビみたいなもんだもの
ベンチャーの立ち上げとかオウム真理教みたいにたまたま運良く野良エリートが初期段階で入ったら、あんなんでも急成長できてしまう余地があるし、だから成長ある程度してキチガイが締め出されてベンチャーくらいしか選択肢がなくなる
参入障壁下げまくった結果、参入障壁が高いのならばこういうキチガイは取り付く島もないから昭和の先人たちの知恵だったというわけだ
キチガイや犯罪者予備軍みたいな人間にエンカウントしやすいブラック業種というのは必ず共通してる
それは参入障壁が低いことだ
キチガイのまぐれ当たりで撃たれる危険性がある時点で対策のリソースがいる
世界中のIT業界に70年代から今に至るまで産業スパイが跋扈してるが
初めてスケートリンクに遊びに行ったとき、普通にスケート教室がリンクの中央で開催していた。そこで自分と同世代の女の子たちが、きれいに足を上げて滑っていたのだけれども、いつものようなパンチラとは違って普通にお尻の曲線をずっと眺めていることができてしまって、僕は滑るどころではなかった。
性に目覚めたころ、こんな目で女の子を見ちゃいけないと思ってはいたのに、自分ではどうしようもないほど強力な衝動に襲われていて、自分が自分でなくなってしまいそうで本当に怖かったし、初めての射精のときも呆然として、それから怖くなって涙が出てきた。男性だって、性の目覚めってのは怖いものだということは、広く知られていい。今となっては、とてつもなく図太くなってしまったが。
ところで、フィギュアスケートだ。その名の通り、元々は氷上に図形を描くスポーツであったのだが、その優美さと技を競うものになっている。氷の上を滑る技術そのものは非常に古く、スケート靴も先史時代にさかのぼるという。
で、そのスケートが競技になって以来、女性たちはどうやってパンツが見えることを防いできたのか。今のようなレオタード以前はどうであったのか。調べてみると驚きの結果が出た。なんと、戦前にさかのぼる見せパンが発見された。以下はその資料である。
1928年、ドイツのEllen Brockhöftによる滑走。
https://www.liveabout.com/illustrated-history-of-figure-skating-clothes-1283059
1948年、Barbara Ann Scottのクラシックなスケートスカート。ミニスカートになっているのは、戦時中の繊維不足のためだと書いてある。にわかには信じがたいが、これ以来スケートのスカートが極端に短くなったのだという。
また、同資料では、スカートがどのようなフリル付きレオタードに移っていったかの写真が掲載されている。
こちらの資料でも、繊維の不足がミニスカート化を加速させたと書いている。
同じくBarbara Ann Scott、1948年のオリンピックである。
同じく1948年、アメリカのGretchen Merrill。興味深いのがベルトを身に着けていることだ。当時ではフィギュアスケートのアクセサリーとして使用されていたが、60年代から70年代のワンピース型の衣装の普及とともに廃れたとのこと。しかし、ベルトを着けていると、なんだかますます見てはいけないもの(パンツ)を見ている気がする。
ちなみに、プロの選手が練習時に着用する、真っ黒な長袖長ズボンみたいなの実は好き。とはいえ、ジーンズにワイシャツのかわいい女性が好きというのと同じで、元々かわいくないと似合わないんだよ、とツッコミを入れられてしまいそうな話ではある。
スポーツジムで、体操の選手のレオタードを中継しているのをみたことがあるのだが、なんだかエッチな気持ちになるのが申し訳ないくらい、辛そうだった。手足は傷だらけだし、表情は真剣そのものだ。それでも、魅力的に感じてしまうことに、我ながら困惑する。おそらく、頭の中で「好き」「かっこいい」「エッチ」の感情を処理するユニットが近いので、混線しているのだと思う。
言い訳はさておき。以前にも書いたが、レオタードは元来レオタールという男性曲芸師が全身にフィットした衣装を身に着けていたことに由来する。もともと男性のものだったのだ。しかし、その機能性が注目され、女性のものとして利用されるようになった。
とはいえ、当時のことだからいきなり今のようなハイレグ水着みたいな形になったわけではない。当然、紆余曲折があった。
http://www.olympicleotards.com/leotard-history/
上記の資料によれば、1908年代に女性向けレオタードと称していたのはドレス状のものである。初期の女性の水着がドレスみたいで、体型を一切見せないものだったのにも似ている。
1948年に今のような形になっているが、ハイレグではない。せいぜい提灯ブルマー程度しか足を見せない。
今のようなハイレグとなったのは、60年代以降だ。1976年、ナディア・コマネチはビートたけしのギャグでも知られているが、ここまでくると広くハイレグが使われていたようだ。
おそらく女子バレーでブルマーが使われだしたのはこのころだし、これが日本でのショーツ型ブルマー導入の遠因になっている気がする。
https://www.elle.com/fashion/a37371/evolution-of-gymnastics-leotard/
それ以降、基本的にレオタードはハイレグだが、時代によって模様にもはやりすたりがある。概略を示すと、無地→愛国的デザイン→キラキラした素材、といった具合になるようだ、使用されている繊維の質も違う。
なんとなくブルマーの本場というか総本山のイメージが女子陸上や、女子マラソンにはある。とはいえ、選手によっては普通の短パンだし、中には宗教上の理由から全身を覆う例もある。普通にかわいいと思うし、よく似合うと思う。イスラーム世界はおしゃれとは無縁だと勝手に思っている人もいるらしいけれども、ヒジャブだとかチャドルだとかはいろんな色や巻き方があるし、僕らには見えないけどもその下はきれいにお化粧している。いろんなファッションでスポーツをやる人がいてしかるべきだし、それを決めるのは選手だろう。
で、話を女子陸上に戻すけれども、ここで特筆すべきなのはへそ出しというか、もうほとんどビキニみたいな恰好の選手。腹筋がめちゃくちゃかっこよくて、おかげで腹筋萌えにまで目覚めてしまったのだけれども、昔はそんな恰好をする選手はいなかった。
https://www.elle.com.au/news/summer-olympics-fashion-history-9896
こういう写真の資料をみていると、セパレート化の流れは90年代にはじまり、それがだんだん過激になって軽いへそ出しからただのスポブラになって行ったんじゃないかと思われる。
ちなみに、これはテニスだがスポブラと短パン姿だ。https://www.pinterest.jp/pin/494833077788864848/
また、ブルマーらしく裾が短くなっていくのは、やはり40年代から見られる。
ところで、以前リンクを貼ったバレーボールの記事について調べると、ブルマーの別名として「bun huggers」というのもあるらしい。英語のをウィキペディアの「shorts」の項目にも載っていた(数か月前はここまで細かく書いていなかったのに)。また、ほとんどショーツ型のbun huggersが2000年代中盤から、ショートパンツ型の「boy shorts」に置き換わった、とある。やはり、いろいろな揺り戻しがあるのだろう。現に、バレーボールでショーツ型ブルマーが導入されてからも、90年代以降に(?)使用が中断された。また時間があるときに、これらの用語からも陸上ブルマーの歴史について再検討したい。
しかし、英語で調べたのだが、残念ながら陸上ブルマーの単体の歴史変遷についてまとめている記事は見たらなかった。オリンピックの選手は大まかにこんな服装でした、という写真を並べただけで、細かい情報はあまり載っていない。上記の記事はいちおう公的なメディアなのでそういう扱いはよろしくないとされるのだろうが、調べている個人が見当たらないのは不思議である。探し方がまずいのかもしれないので、「bun huggers」などの用語で再検索するかもしれない。
おお! 懐かしい。70年代。
少女小説が好きだ。
戦前の吉屋信子氏に代表される「少女小説」から始まり、時代の流れのなかでいちどは途絶えそうになるものの、70年代後半にやはり「少女小説」を愛していた氷室冴子さんをはじめとするコバルト文庫の作家さん方によって再び脚光を浴び、2020年まで連綿と息づいてきた少女小説が、好きだ。
昔からずっと変わらず月が愛でられてきたように、百年前から変わらず「少女小説」を愛しているひとたちがいる。そんな長い歴史の浪漫の一端に、きっと私もいるのだろう。
青春時代、「少女小説」というひとつの空間のなかで、ひそやかに繰り広げられてきた世界に没頭し、陶酔し、生涯大切にしようと胸の前でそっと本を抱えながらその思い出を心の奥底にある宝箱のなかにしまったのだ。
私が初めて少女小説を読んだのは、中学生の頃だった。学校の図書室で、静かに置かれていた『シュガーアップル・フェアリーテイル』シリーズを偶然手にして、優しく柔らかに、そして美しく描かれる銀砂糖師と妖精たちの世界に魅了されたのだ。そこから、『ヴィクトリアン・ローズ・テーラー』シリーズや、『おこぼれ姫と円卓の騎士』シリーズ、『英国マザーグース物語』シリーズ、『彩雲国物語』シリーズなどなど、様々な少女小説に手を出した。あるときには、とある少女小説作家の方に、人生で初めてのファンレターを送ったら、返事が届いた。今もその手紙は、机の引き出しの奥できらきらと輝き続けている。そうした読書体験を含め、少女小説を心から愛している。
とはいえ、たぶん。現在の若年層は、そもそも「少女小説」という言葉を知らないひとも増えているのだと思う。実際、私(※大学生)の周りでも、「少女小説」という言葉を知らなかったというひとは多い。コンテンツに溢れた世の中で、他作品よりも目立つことの難易度は、どんどんと高くなっているのかもしれない。だが同時に、「キャラ文芸」あるいは「ライト文芸」といわれるような作品群や、Web小説のなかに、少女小説の文脈はいまも引き継がれているのだとも思う。
ある言葉の持つ意味が時代と共に少しずつ変化することがあるように、時代に合わせて本もまた少しずつ変化していくのだろう。だから、そうした時代の変化を悲観する必要はないのかもしれない。けれどやっぱり寂しい気持ちもあり、もっと沢山のひとに「少女小説」という存在を知ってほしいと思ってしまう自分もいる。
「小説家になろう」発のWeb小説や、「ライトノベル」という言葉の定着によって、昔なら「少女小説」と呼ばれたかもしれない作品群も、「Web小説」や「女性向けライトノベル」という枠に入ることも増えつつある。その結果、「少女小説」という言葉が再び「知る人ぞ知る」ものになりつつあるのだろう。名前が変わっても、物語が描き出すもの自体は何も変わらないのだから、繰り返しにはなるがきっと悲観することではない。それでもやっぱり、どこか寂しい。その思いから、筆を執った次第である。
「少女小説」という言葉に執着する必要はないのかもしれない。前述したように、物語が伝えたい想い自体は、変わらず在り続けているのだから。
それでも、百年前から愛されてきた、そして私が愛した「少女小説」を、再び世に広く知ってもらえる未来が来ることを祈っている。
ポケモン剣盾に関して西洋の文化に詳しいユーザーの面白い考察を見ててイギリス要素をこれでもかと盛り込んでるなぁと驚きました。制作についてイギリス出身の社員が指揮に関わってたそうで,古代イギリスで起きた土着のケルト文化圏と移住でやってきたキリスト教文化圏の邂逅の話,イギリスにある環状列石や地上絵,バイキング,70年代のパンクロックと反体制派の思想の結びつきなどが盛り込まれてて西洋の歴史に疎かったのですが結構興味が出ましたね。ブラックホワイト以降のポケモンは現実にある地域の文化や生活や歴史などを新旧のポケモンの設定や世界観に組み込んでヒト社会にポケモンが溶け込んでいるような作りを目指していたものが剣盾ではっきりとしたものとなったようなので,また日本を舞台にした完全新作のポケモンを作ってほしいなぁ。九州がベースとなっている舞台があるルビーサファイアのリメイクでは熊本県の都市が元になってる街で熊本の都市にあるようなアーケード街が建設されてたので,現実の舞台をゲームに盛り込むノウハウで日本の地域ネタを盛り込んだらなかなか面白いだろうなぁ。
昔からの大ファンから言わせれば、正直作品の出来不出来が激しいと思っている。
いくつかの大傑作を生み出してもいたことが魅力となっている。
自分が傑作選を編集するなら、異論は多いだろうが以下の作品になるだろう。
「ミノタウロスの皿」
「ノスタル爺」
「イヤなイヤなイヤな奴」
「ヒョンヒョロ」
自分のなかでは「ミノタウロスの皿」「ノスタル爺」が飛び抜けて名作。
20年以上繰り返し読んでいるが、読むたびにその凄さにため息が出る。
(追記)
印象としては、1970年代前半が駄作と傑作の振り幅が大きく、
1980年代以降は良くも悪くも作品の質が安定するようになっている。
手探り状態で試行錯誤を重ねていた70年代のほうがやはり魅力的かな。
ラストの締め方に強い違和感がある(あれがいいという人も多いのだろうけど)。
個人的には藤子F短編は途中まで凄くてもラストがイマイチだなと思うことが多い。
その点「ミノタウロスの皿」「ノスタル爺」はラストが神がかっている。
「クレパトラだぞ」も非常に好きな作品だけど、ラストが若干の不満。
「僕はゆるせないぞ!自分がそんなにみにくく老いていくことを!過去の自分をせめること以外なすこともなく・・・」
のセリフに鞭打たれる日々。
年齢 | 棋士 |
---|---|
57 | 大山康晴(A級/3位) |
56 | |
55 | |
54 | |
53 | |
52 | |
51 | |
50 | |
49 | |
48 | 二上達也(B1/19位) |
47 | |
46 | |
45 | 木村義徳(A級/34位) |
44 | 有吉道夫(B1/12位) |
43 | |
42 | |
41 | |
40 | 加藤一二三(A級/6位)内藤國雄(A級/7位) |
39 | 板谷進(A級/21位) |
38 | 大内延介(B1/15位) |
37 | 米長邦雄(A級/2位) |
36 | |
35 | 勝浦修(A級/4位) |
34 | 森雞二(B1/16位) |
33 | 石田和雄(A級/10位)田中魁秀(B2/17位) |
32 | 中原誠(名人/1位)桐山清澄(A級/13位) |
31 | 佐藤義則(B2/14位) |
30 | 森安秀光(A級/5位) |
29 | |
28 | |
27 | 青野照市(B1/8位)宮田利男(C1/20位) |
26 | |
25 | |
24 | |
23 | 小林健二(C1/11位) |
22 | |
21 | |
20 | 福崎文吾(C1/18位) |
19 | |
18 | 谷川浩司(B2/9位) |
中原誠(名人・十段・棋聖・棋王)米長邦雄(王位)大山康晴(王将)
筆者にとってはここから数年後が将棋に興味を持ち始めた時期のため個人的には印象の深い顔ぶれが並ぶのですが、改めて1990年の世代表と比較すると、羽生世代と55年組が年齢の関係で登場していないことを除けば、主たる顔ぶれに大きな変化がありません。大山から中原への世代交代を経て米長の台頭と加藤の才能の遅れながらの円熟を迎えた70年代の熱が、80年代いよいよその盛りに達しようとするまさにそういうタイミングであり、それが1990年の段階でまだまだ勢いを持っていたと見るべきでしょう。そういう意味でも、羽生善治は「最も最適のタイミングで出現した」と言えるのかもしれません。
そういう熱の中に、1人とびきりの若さで登場した谷川浩司の衝撃、をリアルタイムで感じることのできない当時の私の年齢ではありましたが、こうして見ればその存在感の突出さも別の意味で理解できようというものです。ただ、谷川は80年代を通してついに「自らの統一王朝」を開くまでには至らず、中原と押し引きを続けている間に羽生とも戦わざるを得なくなるという状況を迎えました。
藤井聡太の大師匠板谷進とその弟弟子石田和雄がA級に、さらに板谷進の弟子小林健二が将来を期待される俊英として名を連ね、板谷四郎一門のある種の盛りを迎えています。途中石田の弟子高見泰地が叡王位を獲得するとはいえ、ここから40年を経て「東海にタイトルを」が結実するというのは、年月の長さを感じます。
なぜかというと「少年漫画でできないことができる」一種の解放区だったから
メジャーな出版社は少年漫画、青年漫画とかの建前上の枠に束縛されていた
当時の男の子向けと言ったら
不良、スポーツ、不良、スポーツ、不良、スポーツ、不良、スポーツ、が王道
「どこに需要があるの?」みたいな扱い
しかぁし!
いい例が魔夜峰央とかだろうな。『パタリロ!』から美少年を取ってみろ
国際謀略スパイアクションにホラーに落語に……どこが少女漫画やねん
当然、少年漫画だったらますますもって編集者が相手してくれない
あと
萩尾望都や竹宮恵子が切り開いた初期やおい(「BL」じゃないぞ)ブームは
大いなる追い風となった
(当時の少年漫画でこれはなかなか受け入れられにくい)
そんなわけで吉田秋生のBANANA FISHみたいな怪作も成立した
1980年代当時の少年漫画がヤンキー臭いスケールの小さな不良バトルばかりの中
本物のピストル振り回して政財界の大物の大人と戦う少年の話の方が
よっぽど面白いだろ!! などと思った男子は俺だけではないはずだ(偏見)
小学生でも知ってるメジャーな存在となったのはやっと1980年代後半
これも当時の少年漫画誌だったら許されなかったよな…
・
・
・
↑
【追記1】
「『やおい』ではない」「『少年愛』では?」「『JUNE』では?」
すまん、少なくとも1970年代~1980年代中期「BL」という語句は
【追記2】
「少年漫画誌、青年漫画誌でも実験的なSFやらファンタジーやら作品はあった」
諸星大二郎や星野之宣などのような異才も取りあげた点は評価せねばならん
が、寺沢武一みたいな例外を別にすれば安定した長期連載は少なかった印象
【追記3】
「お前が言ってるのは『花とゆめ』とか一部の少女漫画誌の話だろ」
確かに当時も大多数の少女漫画は普通の中高生男女の恋愛物だったと思う
が、俺はそーいうのに興味なかった
【追記4】
その通り! 今にして思えば、虚淵やら奈須やらその他を輩出した
当時のエロゲ業界こそ、団塊ジュニア世代のオタク系クリエイターにとっての
(1970末~80年代初頭のような)古き良きボーナスステージだったんや
【追記5】
すまん(50歳)
「ひどいもんだ……。あんた70年代からタイムスリップしてきたのか?」
「ポリコレなんてもんに頼らなくてもイカした映画を作ってみせるさ」
「これは決定事項だ」
「じゃ聞くが、あんたに一体何がわかる?」
「少なくともポリコレじゃないことは確かだ」
「ポリコレなんてものは映画を良くする上でなんら役に立たない」
「そこらの石っころのほうがまだ役に立つさ」
「あんたは金集めのプロであって、映画作りのプロってわけじゃない」
「映画のことだったら、俺のほうがよくわかってる」
「なぁ、お前さんの給料、誰が払ってると思う?」
「なんとオレが払ってる」
「こいつは驚きだな」
「あなた様が一体どれだけご立派な志を持っているのか知らんが」
「ここではオレがボスだ」
「こいつは命令だ」
「クソッタレ!」
こういう記事がありまして。
「差別のない街の見本に」川崎ヘイト禁止条例 7月1日全面施行 在日コリアンの思い - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200630/k00/00m/040/196000c
朝鮮学校に通い始めて1カ月が過ぎた頃のことだ。初めて買った定期券を持ちバスに乗り込もうとすると、運転手がいきなり目の前で定期券をビリビリに破った。それが何を意味するのか、10歳では分からなかった。
こういうエピソードが成り立つためには、70年代初頭には「乗車時に定期券をバス乗務員に手渡し、記載の氏名まで仔細にあらためたうえで、はじめて乗車を認める」という運用が普通に行われていた、あるいは行われている地域が、いくらかはあったということが言えなければならないと思います。もちろん時代背景も地域差もあるとは思いますが、このような運用は、ありえたのでしょうか(渋滞の原因になりそうですが…)。自分はこの方より10歳ほど若い世代なので単純に比較してはいけませんが、バス定期券はさっと見せるだけで乗車できました。
で、上のような手渡しの運用が普通であったとすればよいのですが、そうでないならば、「子供が差し出した定期券を(乗務員が通常のフローでないにもかかわらず手に取って、氏名を確認したうえで在日コリアンだと認識して)ビリビリに破った」ということになりますが、幼少のころの記憶とはいえこの()の部分を忘れたり省略したりするものでしょうか。
この()の中身はいろいろバリエーションはありえそうです。例えば、地域にこの方が在日コリアンだということが知れ渡っていたので、嫌がらせを受けるというようなことなのですが、その場合でも定期券が乗務員に、なんらかの段階で手渡されていないと、「ビリビリに破」られません。定期券を手渡して確認するフローがスタンダードでない場合、ここの部分はあまり平和的とは言えない感じで行われる運びになりそうなのですが、この場合もやはり、その部分を忘れたり省略したりするようなことはあまりなさそうな気がします。
個人的な判断としては、単なる記憶違いか、フィクションだろうな、という気がしています。まあ、どうですかね。10歳ですからね。でも、そんなあいまいな思い出よりも鮮明なエピソードがもっとあるんじゃないですかね。
在日コリアンの方への苛烈な差別が過去にあり今もあるということを否定する気はさらさらありません。それらは一刻も早く是正されるべきです。なのですが、作り話やあいまいな記憶を都合よく盛った話で興味を喚起しようとしているならば、それはあまり品の良い話とは言えません。
ただ、これは受け手のリテラシーの話でもあります。このエピソードをそのまま額面通りに受け止めて「まあ、ひどい」とか言っているようでは、話にならないのでは、と思います。