2020-07-08

在日コリアンの方のバス定期券がびりびりにされた話

こういう記事がありまして。

差別のない街の見本に」川崎ヘイト禁止条例 7月1日全面施行 在日コリアンの思い - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200630/k00/00m/040/196000c

この中でこういうエピソードが紹介されています

朝鮮学校に通い始めて1カ月が過ぎた頃のことだ。初めて買った定期券を持ちバスに乗り込もうとすると、運転手がいきなり目の前で定期券ビリビリに破った。それが何を意味するのか、10歳では分からなかった。

59歳の方ということなので、70年代の初め頃の話ですね。

こういうエピソードが成り立つためには、70年代初頭には「乗車時に定期券バス乗務員に手渡し、記載の氏名まで仔細にあらためたうえで、はじめて乗車を認める」という運用普通に行われていた、あるいは行われている地域が、いくらかはあったということが言えなければならないと思います。もちろん時代背景も地域差もあるとは思いますが、このような運用は、ありえたのでしょうか(渋滞の原因になりそうですが…)。自分はこの方より10歳ほど若い世代なので単純に比較してはいけませんが、バス定期券はさっと見せるだけで乗車できました。

このあたりは識者の見解を待ちたいところではあります

で、上のような手渡しの運用普通であったとすればよいのですが、そうでないならば、「子供差し出した定期券を(乗務員が通常のフローでないにもかかわらず手に取って、氏名を確認したうえで在日コリアンだと認識して)ビリビリに破った」ということになりますが、幼少のころの記憶とはいえこの()の部分を忘れたり省略したりするものでしょうか。

この()の中身はいろいろバリエーションはありえそうです。例えば、地域にこの方が在日コリアンだということが知れ渡っていたので、嫌がらせを受けるというようなことなのですが、その場合でも定期券乗務員に、なんらかの段階で手渡されていないと、「ビリビリに破」られません。定期券を手渡して確認するフロースタンダードでない場合、ここの部分はあまり平和的とは言えない感じで行われる運びになりそうなのですが、この場合もやはり、その部分を忘れたり省略したりするようなことはあまりなさそうな気がします。

ディティールが足りなさすぎるんですよねこの話。

個人的判断としては、単なる記憶いかフィクションだろうな、という気がしています。まあ、どうですかね。10歳ですからね。でも、そんなあいまいな思い出よりも鮮明なエピソードもっとあるんじゃないですかね。

在日コリアンの方への苛烈差別過去にあり今もあるということを否定する気はさらさらありません。それらは一刻も早く是正されるべきです。なのですが、作り話やあいまい記憶を都合よく盛った話で興味を喚起しようとしているならば、それはあまり品の良い話とは言えません。

ただ、これは受け手リテラシーの話でもあります。このエピソードをそのまま額面通りに受け止めて「まあ、ひどい」とか言っているようでは、話にならないのでは、と思います

  • 朝鮮学校だって制服でわかるとかじゃないの。書かれてないことあるかもしれない。どうして嘘や盛りだと思いたいの?

  • なんだと? 当事者の語りを疑うのか?

記事への反応(ブックマークコメント)

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