はてなキーワード: 風と共に去りぬとは
数年前、NHKのハートネットTVで山師のような見た目の青年が高校生に進路指導をしていた。
数十人の高校生を前にして、まったく信用のできない口ぶりで彼は言った。
「進路を決めるコツは、やりたくない仕事をはっきりさせることだ」
それは観たくない映画を選ぶことだ。
というわけで、午前10時の映画祭のラインナップに対して、増田が観に行きたくなくなるようなコメントをしてみたいと思う。
どうせ指と指くっつけて終わりだろ。宇宙外生命体とガキの心温まる話とか増田は興味ないって。
オープニングいつ終わるんだよ。
そもそも増田はイタリア系移民マフィアになんか興味ないでしょ?
照明が有名だけどそれにも興味ないなら眠いだけだからマジで観なくていい。
長い(2時間52分)。途中で休憩あるけど。
ずっと白黒てwwwwwww(しかも3時間27分wwwwwwww東京から兵庫まで行けんぞwwwwwww)
ドゥンドゥンwwwドゥンドゥンwwwwドゥンドゥンwwwwwwww
オシャレなカイジ。
ネタバレしたらクソつまんなくなる。
長時間きれいな映像が流れ続ける(3時間1分、頑張れば岡山行けそう)。
じゃあ観ないほうがいいね。
精神的なグロさはともかく、今となっては映像的にグロく感じないかもしれない。
じゃあ観なくていいね。
そもそも増田さあ。第二次大戦中とかのイタリアの映画館に興味あんの?
ないよね。以上。
これ、当時のアメリカ保守層のための映画だから。やめといたほうが無難。
ノリが良いだけの映画。ばいばいだね。
今となっては映像に未知感がない。かろうじてロマンが残っている。メッセージ観とけ。
白黒wwwwwwww。アン王女はリアルで元レジスタンスだった危険な奴だからやめとけ。
どの映画も古くさく感じるかもしれない。
だが、同時に「今だと作ることのできない映画」でもある。
それは、戦争を経験した役者の凄みや、リソースを無視した人海戦術の美術、独創的な演出、華麗な音楽、映画の隅々にまで至る。
こないだ「宇宙よりも遠い場所」いしづかあつこ監督のインタビュー記事内で「ファンにできることはありませんか」という質問に「「このアニメが好き」って、一言発信していただくだけで、すごくうれしくなりますね。」と答えていたのを読んでふと「案外こういう怪文書でも巡り巡って彼らの活動支援になったりするのかなぁ」なんてことを思ったので感想を書くことにした。ちゃんと見てから感想書きたい気もするけれど、以前よりもいの完走レビュー書いたときは1ヶ月費やしたので時間の制約上1〜3話程度の感想になっている。
それっぽく並べてあるけど、作品の優劣は付けてない。容赦して。
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私はTVでアニメを観ない(BS見れないし、TOKYOMXもAT-Xも受信できないし)ので、配信情報はこれ以外の手段について書いている。
恋のデスノート。やっぱりA-1 Picturesのラブコメは面白い。ラブコメの中では圧倒的にセリフ量の多い会話劇。
テーマとして恋愛頭脳戦を掲げているので、メインの二人が「表情に出さないけど思考をフルスロットルさせ、頭の中がカオスになっている」っていう様子を面白おかしく絵にする難しさがあるんだけど、あの手この手で彼らのジェットコースターみたいな心情変化を演出している。
BGMのアレンジといい「恋愛頭脳戦とかいう新しいことをやってるみたいでその実、思春期真っ只中な高校生男女なんやで」っていうベタな部分を昭和チックなラブストーリー調に演出するとこが非常に良くて、あくまで二人が大マジで恋愛を繰り広げているからこその面白さ(大マジだからこそ面白いっていうのは「月間少女野崎くん」もそうだよね)にちゃんとフォーカスしている。不意にときめいた瞬間を「ラブ・ストーリーが突然に始まりそうな曲」で笑わせてくるところとか最高だった。どういうオーダーしたらあの曲になるんだろう。
そして青山穣によるイケボ解説が最高。最近良かったナレーションだと「ティラミス」の大塚明夫(陰毛役)、「プラネット・ウィズ」の小山力也(おっぱいのくだり)、「ダグ&キリル」の上田燿司(本作のノリはコレに近い)とか。淡々としているようで、ちょくちょく感情を見せてくる生きたナレーションが全体的なテンポ感を規定している感じがあるので、冒頭のあれは毎話必須な気がする。
「かぐや」はともかく「御行」「藤原」っていう独特なネーミングは竹取物語の登場人物が元ネタなのね。そのメイン3人のキャラデザについて。原作者インタビュー記事に「まつげを『女性漫画家の書くまつげ』っぽくしてほしいってお願いした」みたいなこと書いてたけど、確かにかぐやと御行の目元が非常に艶っぽくて、ラブコメらしからぬ奥ゆかしさを印象づけてる。個人的に畠山守監督作品の「静かに視線を伏せる男性キャラ」が好きなんだけど(「昭和元禄落語心中」の菊比古師匠のことなんだけどね)、本作の御行も単に目つきが悪いっていうだけではなく、見栄っ張りでありながら動揺しやすい性格がちゃんと表情に現れててすごく好き。一方のかぐや様も御行ほどではないにしろ目つきが悪い(やや吊目ぎみ)のに表情が豊かで、しかもベクトルが「侮蔑」「焦燥」「優越」「失望」「失意」とか、そっち!?な方向。それでいて、ときめいた瞬間のかぐや様めちゃくちゃ可愛いっていう。
作者天才かよって思うのが「頭脳戦ゆえ落とし所が難しい話の流れをジョーカーこと藤原千花のサーキットブレーカーというかインターセプトが鮮やかにキマって、ちゃんと短い尺の中でオチがつく」という構成。藤原のキャラクターとしての自由度が高いのもあって毎回不意打ちを食らっちゃう。また藤原はメイン二人と比べて柔らかい線で構成されたキャラデザなので、メイン二人のきつい目が交互に映る緊張感からの、柔らかい線で描かれた千花の目が映ることで緊張→緩和の流れが出来てるので、どうあっても笑ってしまう。そういえば御行の急な行動→かぐや様がときめくっていう流れのときも、かぐや様は全体的に柔らかい線になるよね。かわいい。そういう部分も含めて緊張と緩和の流れが完璧なので、何度でも観て笑える。1話もう20回位観たかも。早く3話観たいな。
話題のOPは水野良樹作曲。すっかり「いきものがかりの人」から「アニソンの人」になりつつある。
「濃いアニメを作るスタジオ」ことマッドハウスの新作(監督含む主要なスタッフ的にはワンパンマンとかACCA13区の布陣)。20年くらい前に書かれたライトノベル原作。現代を舞台にしたSF(少し不思議)サスペンス会話劇。
クオリティが高いというのもあるけれど、作りが完全に映画のそれ。各シーンをぶつ切りしていく演出とか、その中で登校シーンみたいなリフレインを入れて時間経過を表現してたり、ブギーポップとの会話で変化する主人公の感情を日常生活の行動を切り取る形で淡々と表現してたり、凄く尖った演出になってる。写実的な背景(背景:アトリエ・ムサ)も気合いが入ってて、屋上のシーンで敢えて遠景のカットが多い。リアリティの強い世界観を持った作品。
あと劇伴が印象的。本作の劇伴は「聲の形」「DEVILMAN」でおなじみ牛尾憲輔。穏やかなのに心がざわざわする美しくて豊かな音楽は聲の形っぽさを感じるんだけど、不穏な空気をシンセの重低音で表現してたり、カットの切り替わりで音楽をぶつ切りして、直後の無音で緊張感を演出する等、映画の劇伴で使う手法を地上波アニメでやってる感じがある。あの音ってスマホで出せるのかな。サントラ欲しい。
その会話も、ブギーポップという非日常の存在に、学校という日常空間(会話する場所は必ず校舎の屋上)の中で会うっていう、ブギーポップの実存性(不確実なはずなのに、確かそこに存在しているっていう感じ)が凄く不思議。そういえばそんな話を二人もしてたっけ(多重人格についてのくだり)。あと同級生との、少し距離感を感じさせる会話なんかすごく小説っぽい。
会話劇として「あの作品っぽいなぁ」みたいな作品をいくつも思い出すけど、(このライトノベルが刊行された時期的に)私がこれまで触れてきた多くのライトノベル作品が「ブギーポップは笑わない」の下流に存在しているわけで、非常に感慨深い。
それにしても、ブギーポップを演じる悠木碧すっげー。中性的な声を持つ声優さんって貴重だけど、その中でも特に、声に含みがありすぎる感じ(本人もよく「私の演技は情報を詰めすぎてしまう傾向がある」と言ってる)がたまらない。あと宮下藤花も悠木碧が演じてるってことに最初気づかなかった。
EDは「やがて君になる」のOP曲でおなじみ安月名莉子xボンジュール鈴木。すき。
水島努x横手美智子の新作。空飛ぶ用心棒の日常アニメ。またバンダイナムコからスマホゲームが配信予定。
水島努監督作品「ガールズ&パンツァー」が「清く正しく美しい戦車の可愛さを描く、女の子が中心の世界」なのに対し、本作は「ならず者のはびこる男社会の空を、プロペラ機で逞しく生きる女の子の話」なので、決してやさしいせかいではない。戦闘シーンが両方共ガチなのは共通。
アニメーション制作をGEMBA(CG)、ワオワールド(作画)が行っており、主要キャラ(コトブキ飛行隊、飛行機)が基本的に3DCG。対してモブは作画キャラなので、3DCGキャラと作画キャラが同じ絵の中にいる不思議なアニメに。3DCGキャラの利点として、細かい作業を行うとき(マジで細かい作業)の手元がちゃんとしているところと、飛行中の機体を引きで見たときの良さが際立ってる(実際、作画のモブキャラは飛行中、引きの絵が無い)。あとトゥーンレンダリング調のキャラに対して飛行機は写実的。なんか3Dゲームに出てくる飛行機みたい。年季の入った感じとか、個性のあるペイントとか。
相変わらずミリタリー関係の演出がヤバイ。まず怒涛の専門用語による会話から始まる戦闘。何言ってるか全然わかんない。艦橋で交わされる、ウィットに飛んだテンポの良い会話はさすが横手美智子って感じ。そしてほぼ完全再現?される出撃前儀式。いやその計器を指差し確認されてもわからんし。燃料とか油圧とか確認してるんだろうけど。機体は既存の飛行機が今後も登場する模様。1話は隼、紫電、零戦。その後敵機とドッグファイトに突入するけど、ガルパンでもあった「回転する砲塔視点」みたいな視点が結構使われてて、機銃視点で天地がくるくる回り、敵機と追いかけっこしながら銃弾が飛び交うシーンが続く。攻撃側の狙う場所が(アニメ的には飛行機の胴体を攻撃するのが絵的にわかりやすいんだろうけど)羽根の付け根部分を射撃→燃料タンクに着弾→燃料が漏れる→引火→爆発っていう描き方がガチ過ぎて笑った。着弾した場所にちゃんと弾痕あるし。他にも、相手の後ろに取り付いて攻撃するっていうパターンが徹底されている上に「後ろに取り付いてきた敵機に対して、急制動による捻り込みで背後を奪う」からの「エース機と思しき敵機に捻り込みを使って背後を取ろうとするも、裏をかかれて被弾」とか。主人公を追い詰めた敵機がとどめを刺そうとしたタイミングでタイムリミットになり引き返すシーンも、一瞬だけ燃料メーターを映して「燃料が帰還分しか残ってないよ」って演出したり。機体をフラフラさせて煽るシーンは笑った。どんだけ描写を練ってるんだ。同じ空戦でも「ガーリー・エアフォース」とかなりベクトルの違う魅せ方なのが素敵。
で、音がブッチギリでヤバイ。空間的な変化を丁寧に反映した音響はさすがとしか言えない。大音量ヘッドフォンか、部屋が震えるくらい大音量のスピーカーで視聴推奨。出撃前後で言うと、出撃前はエンジンのドコドコ音が響いていて、滑走路を走行中エンジン音が徐々に変化してるのに加えてタイヤのガタガタ音が重なり、空中に出た瞬間、空間的な広がりを感じるエンジン音と風切り音に。風切り音も通常飛行と雲の中を進むときとで音違うし。縦に旋回する時、機体がギシギシ軋む音は感動した。機銃の音も、発砲する機体が映ってるとき発砲音は乾いた音(パパパン)が聞こえるが、撃たれる側が映ってるとき、遠くで鳴ってるような残響(ボボボン)になってるとことか。命中した音も、近くだとキキンッっていう軽い音と弾丸の風切り音が混ざってるが、引きだとガガンッっていう重い音に変わってたり。
音楽はガルパンに引き続き浜口史郎。戦闘シーンの音楽がめっちゃかっこいい。ミリタリーとストリングスの相性って抜群だよね。
ちなみに戦闘シーンはガルパン以上に説明的な会話が無いので、ニコニコ動画等ミリタリーに詳しい人たちと一緒に観たほうが良いかも。私も全然わかんない人なのでニコニコ動画のコメント付きで観ようかな(音のクオリティ的に、ニコニコ動画の品質で妥協しづらい…)。「解説つけなくても視聴者は付いてきてくれるはず」という水島努監督の強いメッセージを感じた。ちなみに毎週更新の公式webラジオでレシプロ機の詳しい解説を見ることができたり、できなかったりする。
「メイドインアビス」のキネマシトラスによる不条理文学。2クールかけて主人公が成長する姿を描く。原作はなろう系小説。1話は1時間スペシャル。
最近よくアニメになってる異世界転生(転移?)モノだけど、オバロとか転スラのようなヒロイズムと大きな距離がある。こういう作品の共通した性質としてゲームライクな世界観というものがあって(本作のゲームライクな演出は「デスマーチから始まる異世界狂想曲」に近く、絵としてのGUIも結構練られている)、主人公がただの村人Aではないこと(異端というか特別)の記号になってるんだけど、本作の主人公は俗物的で、上記のようなヒロイズムに対するポストヒロイズムみたいな感じ。勇者D(X人目)。転生によってアドバンテージを得た勇者が転生先で成功するお話に対し、本作は転生によってディスアドバンテージを得た主人公が、転生先でそれに抗う、あるいは異世界人のように逞しく生きながらえるお話。
王前で主人公が慟哭するシーンは、異世界転生モノの持つ「現実の世界において「自分は社会から不当に虐げられている」という漠然とした不満のようなものを持っている人たち」というメッセージを強く表現してる。なんとなく「風と共に去りぬ」を思い出した。風と共に去りぬは南北戦争を描いた小説で、差別や不条理と戦う女性のお話、だっけ。本作における「剥がしたり消したりすることのできない盾」は彼が例の勇者であり、同時に排斥の対象であることを知らしめるレッテルになっていて、彼が戦っているあらゆる不条理がこの「盾」に集約されている。そういう意味では、最初に仲間になったのが奴隷っていうのも大きな意味があるよね。
面白いのは「1ヶ月後にやってくる敵の襲来」というイベント。彼が勇者である以上逃れる術はないので実質的に盾と同じ不条理の象徴ではある(特に2話は、「襲来を乗り切って生き残るんだ」というセリフが何度も登場する)んだけど、同時に彼がただの大罪人ではなく世界一利用価値がある人間であることの担保になっていて、ワンチャンあらゆる不条理を打ち負かす可能性を秘めていること(世界に借りを作ることができる)。タイトルはそういう意味なのかな。
「サボタージュ」、「間諜最後の日」、「平原児」、「西部戦線異状なし」、「祇園囃子(1934年)」、「祇園囃子(1953年)」、「雨月物語」、「東京物語」、「地獄門」、「青い山脈 」(1949年版)、「おかあさん」など
「ローマの休日」※、「戦争と平和」※、「シャレード」(1963年版)、「風と共に去りぬ」、「アフリカの女王」、「荒野のガンマン」、「ガンヒルの決斗」、「キリマンジャロの雪」、「エンブリヨ」、「ルーシー・ショー」、「ボナンザ」など
「セカンド・サイト光と影の中で(英語版)」、「ハングマン(英語版)
「カサブランカ」、「紳士は金髪がお好き」、「カンサス騎兵隊」、「片目のジャック」、「マクリントック」、「バリ島珍道中」、「雲流るるはてに」、「恋愛準決勝戦」、「白雪姫」
「岩窟の野獣」、「ガリバー旅行記」、「スーパーマン」(フライシャー・スタジオ製作分)、「ポパイ」(フライシャー・スタジオ製作分)、「まぼろし探偵」
「C.C.ライダー」
「シェーン」、「禁じられた遊び」、「オズの魔法使」、「凱旋門」(1948年版)、「イースター・パレード」、「雨に唄えば」、「真昼の決闘」、「ウィンチェスター銃'73」、「ピノキオ」、「バンビ」、「ファンタジア」、「ダンボ」
タイトルが『ツァラトゥストラはかく語りき』だと意味が分からない人が多いから、『ツァラトゥストラはこう言った』になった
別に黒塗りが無くなったって困らないでしょ、とのブコメをちらほら見るが私は…私は…どうしたらいいのだろうか。
お芝居の中で黒人役がある場合、タカラジェンヌはドーランで肌を黒く塗り黒人に扮する。代表的なのは『風と共に去りぬ』のマミー役だ。宝塚において『風と共に去りぬ』というのは『ベルサイユのばら』と並ぶ古典演目で、何度も何度も再演されてきた大切な作品だ。しかし、いくら名作であっても今現在のポリコレ基準で考えるとアウトになるんだろう。
つい最近も、花形スターが黒人役をやる演目があった。「うちの黒塗りは笑いにしてるんじゃなくてカッコイイと思ってやってるんだからいいんです」という理屈は通じるのだろうか?それって傲慢じゃないのか。
これが他所の劇団ならば、黒人の役者を引っ張ってくればよいのだろうが、ご存じの通り宝塚は大半が若い女性たちで構成される劇団である。そうした役者の制約のあるの中で国籍を問わず老若男女を演じなければいけない難しさはどう解決したらよいのだろう。
宝塚の黒塗り文化は芝居だけではない。ショーにもある。いわゆる「黒塗りショー」と呼ばれるジャンル。私としてはむしろこっちの方を心配している。黒塗りって差別的だよねっていうことを何となく理解してもなお、率直な気持ちとして宝塚から「黒塗りショー」が無くなったら心から悲しい。
ショーにおける黒塗りというのは、黒人というより褐色の肌をしたラテン系のイメージである。こちらの代表は『ノバ・ボサ・ノバ』。これも歴代のトップスターたちが演じてきた名作。私の大好きな作品だ。燕尾服やスーツでビシッとスタイリッシュに決めた男役もカッコいいが、裸足でオラオラとサンバを踊る男役のカッコよさも捨てがたい。
宝塚のお芝居はヨーロッパの歴史物が題材になることが多いので(特にフランス革命の酷使っぷりはすごい)、黒人役っていうのはそもそもかなり少ないのだが、「黒塗りショー」はジャンルとして確立されているので定期的に新作が生み出される。もしかしてこれってすごく危うい状況なのだろうか…。
宝塚はずっと昔から定期的に海外公演を行っており、今年も台湾公演が計画されている。劇場でもちらほらと外国人と思しきお客さんを見かけることもある。だから、日本の感性だけでいいっていう開き直りもなかなか厳しいよなって色々考えては鬱になってる。
今年が私の精神的に一番成長できた年であろうことは間違いない。他の年に比べて色んなことを経験したし得られたとも思う。
でもなんだかなあ…私が中学生の時に思い描いていた高校2年生とか16歳じゃないっていうか…岡崎京子のマンガかサガンの小説に出てくるようなもっと大人っぽくてカッコイイ女の子になってる予定だったんだけど。
この前も風と共に去りぬを読み始めるもスカーレット・オハラが同い歳だったので、なんだかいたたまれなくなって読むのをやめてしまった。3ヶ月行った留学先の女の子たちは美人ばっかりでとても歳下には見えなかったし、彼女達もそう思えたみたいで1つ上だよって言ったらメチャクチャ驚いてた。
こんな事を考えるのは全然恋愛が充実していないからか?ちょうど2年前の今頃から彼氏はいないし、好きな人もいない。ここで何か凄くいい人(若い時のキアヌかダニエル・クレイグかルトガー・ハウアーに似ているとなお良い 映画と本好きであって欲しい)がパーッと出てこないかなー!!
具体的に知ってるのは84年生まれ向けの中学講座だけだから前後がどうなのか知らないが。でもそもそもCMが筋肉少女帯とかエイリアンとかだったんだよなあ。
テキストの他にフルカラーの冊子があって、これの内容が結構サブカル色濃くて毎月楽しみだった。
なんか映画の特集では『風と共に去りぬ』から『フェイス/オフ』とか押井守の『アヴァロン』まで新旧作を紹介してたし、名セリフ紹介ではなぜか『ニューヨーク1997』の「俺をスネークと呼べ」が写真付きで載ってた。
ロボットアニメ特集ではエヴァを軸に簡単な系譜と当時の人気アニメについて書かれてて『アキハバラ電脳組』を知ったし、人気OVAランキングとかもワクワクしたなあ。
マンガ特集ではさらに小冊子が付録でついてきたし、新作フィギュア紹介とか財力的にどう考えても中学生向きじゃない特集もあった。
性に関する特集もあって、それぞれのオナニーの仕方が投稿されていたと思う。勃起の抑え方で「母親の顔を思い出す」という読者投稿を顔写真付きで紹介していたことも強烈に覚えている。
こんな感じで中学生向けにしては不思議な濃さで、学習教材よりもサブカル方面の教育の方が身についてしまったが、なんだかんだで金もない当時としては簡単な情報収集ができたしいろんな面白いものを教えてもらってありがたかった。
世の中にはあらゆるヴィンテージがある
例えばワインなんかはよく見る話だ
http://store.ponparemall.com/echigoyanet/goods/1299104/
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1952年といえば、「風と共に去りぬ」が大ヒットして、なおかつ鉄腕アトムが連載開始された年。
ちなみに有名人では、中島みゆきや坂本龍一や村上龍や夏木マリや秋元治や浜ショーが生まれた年。
いわゆるネイキッドタイプのバイクで、1990年以前は最も売れた気がする
丁度、このときバイクが好きでたまらなかった世代が今の48歳の人
葉加瀬太郎や佐々木倉之助、大沢たかおや新田恵利、渡部篤郎さんと同い年
そのCBX400Fはいま、ノーマルの極上状態で200万超の買取価格(!)
https://www.bikeone.jp/bikeone_blog/category-05/cbx400f
というか、CBシリーズ最新モデルの中で最上級のCB1100すら2台買える
http://www.honda.co.jp/CB1100/
50歳前後といえば、ちょうど子どもが手を離れて少しは時間がつくれる頃
バイク好きだった人はこれを機に、新しいモデルに買い替えたりすると
空いた時間を楽しく活発にすることができるかもしれない。
ちなみにヴィンテージといえば、
http://www.vintage-mansion.tokyo/about/
恐ろしく経済が活発だったこともあり、とにかく贅沢
ダンまち最大の問題は、アニメがめっちゃくちゃ面白いんで、原作擁護に傾いちゃうことなんだよなぁ。
指輪物語とか、風と共に去りぬとかジュラシックパークなど、ほぼ学者の訳者による和訳古典なんかも結構よんだけど、文章は丁寧で正確無比でも絶対的に文字数が多く読みづらいし、雰囲気も逐一細かく描写しているけどその描写に一ページをまるまる使ってたりと読み解くのに5分から10分から時間がかかりすぎて、文章から脳内にイメージが浮かぶ前に次の文章を読み解く方向に思考が使われちゃって、せっかく構築したイメージは霧散する状態になってしまい、つまらないことこの上なかった。
原作が面白いと再認識したのは、映画を見て世間一般で使われる共通イメージを自分の中に身につけて定着してからの、再度読破に挑戦して読了してからだねwww
すべてが頭の中に湧いてでてきて、なおかつひととおり消費するまで映像と音声が残ってる、安くて美味くて速い感覚。
加えてストーリーはアンチが突っ込めない程度のつじつまが合ってキャラクターがアニメセオリーどおりなら言うことないわ。
ただこれだといわゆるケータイ小説も肯定せねばなくなってしまう。
ぐぬぬ。
ハックルベリー何とかに限らないけどさ、まるで無内容なエントリがはてブにあがってくることがあんじゃん。
あれむかつくよね。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090517/1242546021
「風と共に去りぬ」って具体的な名前出せば、何かありそうって思うのが人情だよ。
そのじつ、エントリでは「風と共に去りぬ」について何も書いてない。
はっきり言って「風と共に去りぬ」を読んでなくても書けるエントリだよ。飲み屋でくだ巻いてるおっさんレベル。
もちろん、はてなーたちには、無価値なエントリを見抜く力がある。
240を超えるブクマは、ほとんど否定的なコメントに埋め尽くされてる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090517/1242546021
気持ちはわかるんだ。
オレだって、よほどブクマして「こいつなんとかしないと…」みたいなコメントを書こうかと思ったよ。
でも、ブクマしなかった。思いとどまった。
今のはてブの構造では、否定的なブクマでも、結局、数を集めることで人気サイトになってしまう。
そしてうっかり目にする人がさらに増えてしまう。
なんの価値のない文章なのに、多くの人が踊らされる。
ギガジンとかは、すでにネタとして認識されてるから害は少ないが、
ハックルベリーから滲み出てる嫌らしさは特別耐え難いものがあるんだよな。
もうスルーしちゃおうよ。