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はてなキーワード: 自己嫌悪とは

2018-01-30

ドタキャン野郎に告ぐ

彼氏ドタキャンされた。私は久しぶりのデートからキドキ楽しみにしてて、寝ることなんてないだろうけど前日は念入りに毛の処理とかしちゃって、足のマッサージして、明日は何着よう、どんなメイクしよう、やっと会える、嬉しい、とかなんとか舞い上がってた。

でも前日の夜に「ちょっと気分が落ち込んでて」「原因はわからない」と連絡が来た。

私が そっか、私何かできることある?と聞くと「一人になりたい」と返事。「でも明日は行くから」とそのときは言われたけど、結局当日に「頭いたくて今日は無理そう」と。お大事に、辛いときは力になりたいからできることあれば教えてねといった旨を伝えたけど返事なし。

頭いたいって本当かな。会いたくない口実?そうやって人を疑う私の人間性が終わってる。一人舞い上がってたのもバカみたい。でも、やっぱり悲しかったのは一番好きな人が辛いとき自分が何もできないし何も求められてないということだった。疑いと自己嫌悪と虚無でごっちゃ混ぜになった汚い感情で心がいっぱいになったけどぶつける場所がない。

なんでずーっと既読無視してんの。だんだん腹立ってきたけど落ち込んでる人を独りよがりな思いで殴っても地獄しか生まないので乙女ゲームすることにした。整った顔とイケボでプレイヤー翻弄してくる攻略対象、あーかっこいい。私の返事も三択から選べば良い。楽。でもテンプレしか言わない。同じ動きしかしない。触れられない。彼氏じゃない。

落ち込んでるって教えてくれたときもっと何か辛さに寄り添えるような優しい言葉がパッと出てきたら良かったのに。彼氏が望むような言葉が出てきたら良かったのに。いつどういうきっかけで彼氏気持ちが晴れるんだろう。その時私って需要あるんだろうか。なんでも良いから頼ってほしかった。

2018-01-29

腐女子ジェンダー論に疲れたので愚痴

腐女子ジェンダー論を見聞きするのが苦痛だ。

私が読みたい、描きたいのはCPで、もっと端的な言い方するとボーイズラブだ。失礼だろうが浅はかだろうが、現実のものに関しては考慮しない。「BLファンタジーだ」という言葉にとても励まされてきたのに、もうこの言葉には今まで私が感じていたような開放感と自由はない。他人ジェンダーツイートを見て実在するジェンダー配慮できない自分自己嫌悪してしまう。BLファンタジーじゃなくなったのか。

腐女子みんなが従来のジェンダー観や規定の性意識、性規範にとらわれない、自由生き方実践している人種だなんて思われるのは迷惑だし、癪だ。

聖人じゃないんだ。私は女には興味がない、男が好きだから描く。それだけ。ずっと罪悪感を抱えて快楽だけ貪るんだよ、悪いか

BL同性愛世界からこそ、ジェンダー規範をなくさなきゃいけない?‪受け攻め固定は悪?‬

‪「BLNLGL」などの表記を使うと「男女が"ノーマル"なのは同性愛への差別だ」とか、「同時多発的に同性CPが成り立つの趣味じゃない」と言うと「少数派への差別だ」とか。‬

‪言いたい事はわかる。わかるけど。‬

‪人を差別、軽視することなく、さまざまなジェンダー観に対応し考えていかなければいけないのは人として当たり前のことかもしれないけれど、フィクション世界にまでその議論を持ち込まなきゃダメストレス発散の趣味でそこまで考えなきゃダメなの?‬

‪もうジェンダーのジェの字も見たくないなぁ。‬

‪みんなすぐ議論したがるんだもん。‬

‪ただ自分の好きなCPに溺れていたいだけなのに、他人に罪悪感押し付けないで。勝手懺悔しといてください。‬

‪疲れてるんだ。難しい事は考えたくない。‬

‪考えるなら、CPの事とキャラ考察だけでいい。それでキャラクタージェンダー観に行き着いても、それを考えるのは苦痛じゃない。顔も見たことない生身の女のジェンダー論は知りたくない。腐女子思想なんか知るか。‬

‪頼むから‬、もっと腐女子本業に力を入れてくれ。

私も明日からはそうする。

2018-01-28

強い人の心理

ある質問版を見ていたら、ある女性意見を見つけた。強い人間である彼女は、弱い人、つまり意見を言わない人や弱そうに見える人が大嫌いだということだった。そういった弱い人はその場しのぎで逃げまわり責任感がないこと、また人当たりはいいので強く意見をいう彼女相対的悪者に見えやすことなどを理由にしていた。

私はこの文脈で言う弱い人間側なので耳が痛かった。私自身こういった弱さに悩んでいる。彼女がいうような責任感のなさや弱く見せる術などについて、自覚があって自己嫌悪にいつも陥るし、責任感のある人間になりたいと思っている。しかし、グループワークになると、リーダーになることに本当に強迫的な拒否反応が出てくる。

組織で動く上では、誰かリーダー必要だ。しかし、余程人材の不足している組織でない限り、リーダーが誰か特定の人である必要があることは稀である。だからリーダーになる時は個人エゴが程度の差はあれ存在する。自分はそこの正当化が極端にできない。これは、今まで、自分の身近で、組織リーダー判断エゴで大きな失敗が起こった事例を多く見てきたからではないかと思う。

いわゆる強い人というのは、そこらへんの正当化はどういうふうにしているのだろうか。私は、リーダーシップ責任感を持ちたいと切実に思っているが、そのために上記強迫観念を克服したい。だから、実際にリーダーシップをとっているような強い人がいたら、自分エゴをどう正当化しているのかを聞きたい。

2018-01-26

Siriという名前が嫌すぎる

だって「尻」みたいじゃん、とかそういう話でもなく。

自分は「り」がうまく発音できなくて「ぎ」になってしまう。

「り」を発音するたびに、不安や緊張感、そして「やっぱりうまく発音できなかった」という自己嫌悪を覚え、ストレスを感じるのだ。

「シルィ」と巻き舌風になら発音できるのだけど。

本当は「ヘイ、ユー」と言いたい。

「ユー」は発音にまったくストレスを感じない。

アクセシビリティの設定で名前カスタマイズができるようにならないかな。

吃音と構音障害を持つ者として、このアイディアApple提案してみるつもりだ。

2018-01-25

決意みたいな

ダイエットすることにしました。

私は私の友達のように勉強ができるわけではないし、見た目もよくないしデブだしたぶん性格もブスです。自分に自信がないのも相まってすごいネガティブ根暗デブスになってしまっています。他の女の子自分と比べて毎日自己嫌悪して、他人から視線が気になってビクビクして毎日どんどん自信を失くして、こんな自分が本当に嫌です。せっかくの高校生活をこんな暗い気持ちで送らなければいけないことがとても悔しいです。これからも一生こんな惨めな思いをしていくのは本当に嫌です。変わりたい。このままではだめだと思いました。うつむかずに笑顔で明るく他の人と話したいし可愛い洋服を着て友達と堂々と歩きたいし自信をもって色んなことに挑戦したいです。

欠点だらけの私だけどそれだけ伸びしろがあるってことだと思いたいです。これから少しずつでも自分自身改善していって普通女の子として高校生活は無理だったとしても大学生活を思いっきエンジョイしたいです。だからダイエットします。まずは見た目からってことで。すぐになんか痩せられないと思うけど少しずつ頑張ります。見た目だけで私を蔑んできた人たちを見返してやります高校生活はあと約一年です。笑顔大学生一年目を迎えられるように、勉強ダイエット、精一杯がんばります

夢の中のロリコン

数日前、ある夢を見た。

夢なので細かいことは忘れてしまったのだが、勤めている会社小学生社会科見学対応をしていたら、

なぜか1人の女の子に抱きつかれた。夢なので実に荒唐無稽であるが、その子タイプだったからか、

性的に心が高ぶり、幸せな気分を感じた。そこら辺で目が覚めた。

目が覚めて、なぜもっと夢が続かなかったのかと思ったと同時に自己嫌悪に陥った。

普段小学生に見とれる事があるわけでないし、犯罪を犯すなどは全く考えていない。

良い夢だったけれど、嫌な夢だった。

2018-01-24

俺は31の処女厨ハト派の純童貞

出会いについてはその考えにおおむね同意するが、最終的に優先するのはフィーリングとか相性だと思ってる

処女だったらもう最高にうれしいけど、もうこの年になると相性のいい異性とたまたま会えただけでもすごくうれしくて、処女かどうかとか昔のこととか割と気にしないと思う

それでもいざ実際に童貞喪失後とかになると、「こいつはおれの前にもいろいろ経験あるんだよな」と思って、勝手自己嫌悪劣等感・卑屈感にたびたにさいなまれて、結局それに耐えられずに別れそう

結局一番後顧の憂いなく幸せなのは、同じような処女とくっつくことになっちゃうんだろうなあ・・・

よくエロ漫画とかでエロい性教育みたいなやつあるけど、割とマジで高校くらいでやっていいんじゃないかと思う

義務じゃないとダメから中学・・・だと身体発達的にアレかもだからとかマジで考え始めた自分自分キモイと今思いましたハイ

2018-01-21

女は女っぽくていいのか

先日私のパソコン勝手に変なソフト的なものインストールされ、インターネットがどうにも使えなくなった(削除したら解決しました)。

当時家には私と母と妹がいた。三人ともパソコンには詳しくない。

パソコンが使えなくて困る」といった文句を母に言ったところ、母は「○○はしてみた?○○は調べた?」と色々聞いてきた。

母に対し私は「そんなこと言われてもどちらも同じくらいの素人なんだからそちらが思いついたことは一通りしてるし、アドバイスなんて求めてないんだ!」と、見たい配信が見れなくてイライラしていたのも相まってついキレてしまった。

そしたら妹が「お姉ちゃん共感してほしいだけなんだよね、「そっかぁ大変だね」って言ってほしいだけなんだよね。」と解説してきた。その通り過ぎて驚愕した。そんなことを思ってしまっている私にである

車のバッテリーが上がった女と電話している男のコピペをご存じだろうか。「ライトは点く?」と聞いているのに女は不機嫌になるアレである

あれを私は笑いながら見ていたのに、私もその彼女と同じことを思っしまったなんて。

「そんな女っぽい思いを持ってしまって自己嫌悪だ」と母に言ったら、「女なんだから女みたいなこと考えていいじゃないか」と言われた。それで私は衝撃を受けた。「母は増田ミソジニーに染まっていないのだわ!」と。

すっかり増田(というか最近インターネットコンテンツ)に染まってしまった私は、女みたいな思考回路は非論理的で良くなくて抱くべきでないもので、思ってしまった暁には反省する必要があると思っていたのだが、そんなことないのか?と混乱している。

やはり増田はクソだな。でもたまに平和増田もあるから好き。やめられない。

anond:20180120161343

同じく尊敬できない親に育てられたので、自分の嫌いな部分が出た時に『ああ、母親と同じだ』と色々思い返してしまって自己嫌悪に陥ることが多々ある。

自分幸せになれないだろうと悲観して過ごすのも、同感。

2018-01-19

anond:20180119170650

俺がそんな夢見たら最悪というより恥ずかしいわ

どんだけ意識してたんだって自己嫌悪になる

2018-01-16

境界性人格障害のアイツ

境界性人格障害ボーダーボダ、聞いたことはあるだろうか。

感情の起伏が激しくちょっとたことで切れる、切れると人格が変わったように人をこき下ろす、そうかと思えば相手神格化ベタベタしてくる。

基本的に見捨てられ不安というもの根底にあり、見捨てられないか相手を試すかのように酷いことをしてしまうらしい。

一方で境界性人格障害の人たちは落ち着いている時は凄く魅力的な人に見える。

自分もその魅力にやられた一人だった。

ボーダーの人たち特有らしいが、距離感が異様に近くすぐ仲良くなれる。子供のようなところが多くよく笑う。

当時の自分にはその子供のような明るさがとても魅力的に見えた。

しかし実際に近づいてみると徐々に本性を現し始めた。

些細なことでスイッチが入りこれまでにないほど罵倒される。

あの手この手を使って罪悪感を植え付けられる。

こうなればもうボーダーたちの手の中だ。逃げることは難しくなる。

それからというもの本当に散々な目にあった。散々という一言ではあまりに生易しいほどに。

書き始めると止まらないので詳細は書かないが、家族とも友達ともあまり連絡を取らなくなった。貯金もだいぶなくなった。

知らないうちにジェットコースターに乗せられたような、そんな気分だった。

そうは言ってもこれは過去の話だ。

最近ようやくアイツから逃げることができた。

逃げてみて初めて境界性人格障害というものを知った。まさにアイツのことだと思った。

それと同時にこれまで怒りだった感情が同情に変わり、可哀想だと感じ始めた。

境界性人格障害の人たちは本当に好かれたい人に限って酷いことをして酷いことを言ってしまい後で激しく後悔するそうだ。

それは本人達自覚がありやめたいのにやめられないという。

実はアイツも罵倒したり酷いことをした後に後悔し自己嫌悪に陥っていたんだろうか。

いつになるかわからないけどアイツのボーダーが治れば、今度はちゃんと対等な関係で一緒に楽しく遊べるようになるといいな。

自己嫌悪したつもりになってるけど

本当に嫌ならもっと頑張れるはずなんだよな。もうどうしようもなさすぎて笑えてくる

2018-01-15

さびしさの運用について

「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪費しました。

その中でまず気付いたことは「人はさびしいとおかしくなる」ということでした。

ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしいんだよな。

さびしさを動機にして人や自分を裁いても、よけいさびしくなるばかり。

なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。

一度切り捨てられたもの時間が止まってしまう。

うそからは何もうまれないのでした。

さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、自分さえも許せなくなって、狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。

おかしなことだ。

さびしさとは無縁に見える、幸福そうなあの人と、わたしは何が違うんだろう。

考えればなにもかも違うように見えたし、でも本当のところはどこがどう違うのかよくわからない。

ただ、自分さびしさにふりまわされていることだけがわかる。

で、ここでひとつ実験をしたのです。

自分がどうしてさびしいのかわからなかったし、さびしくなさそうなあの人との違いもわからなかったので、わたしは「楽しく見えればそれでいい」と決めて、それ以上のことは求めないようにしたのでした。

その実験わたしにとって正しい試みでした。

それからもうひとつ気付いたことがありました。

「人が吸い寄せられるものは、優しい」ということ。

一見優しさとはかけはなれて見えるものでも、そこに人が吸い寄せられているならば、それはその人にとって優しいのだよ。

この世にはわたしのしらない優しさが無数に存在していて、ただ見出だされるのを待っているのだと気付いたとき世界が変わって見えました。

では、その優しさに反応する心とは何だろう。

たぶんそれがさびさなんじゃないか

そう思いました。

人それぞれが固有のさびしさを抱えていて、固有の優しさに惹かれて、繋がって、世界というのは出来上がっているようだ。

そういう気がする。

そしてまたわたしひとつ決めたのでした。

さびしさは引力とする」

さびしいときに、そのさびしさの犯人探しのようなことをして、いろんなもの一方的に裁いたりしていたけれど、それはわたし幸福にはしなかったから、もうさびしさに意味を求めるのはやめようと思ったのです。

さびしさは、優しさを指向する引力で、それ以上でもそれ以下でもない。

から、その引力を濁らせないで、本当にいちばん惹かれるところに、素直に引っ張られてみよう。

わたし場合は具体的な話をすると、それはたとえばボードゲームだったりKBG部だったりするのですが、とにかく、なるべくさびしさで世界を切り捨てたりゆがめたりしないで、素直に優しさに惹かれていこうと思ったのでした。

そうやって決めたことも間違いではなかった気がします。

さびさなんてどうせちょっとうれしいことがあれば蒸発してしまう揮発性の感情で、それをわざわざ恨みとか自己嫌悪なんかのめんどくさいものに加工する必要はない。

今でもときどきさびしさの波のようなものは訪れるけど、別におそれるようなものではなくて、そういうときもあるわね、というぐらいで、おおむね楽しくやれています

なりたかった状態自分を持っていけたことは、うれしかったし、安心した。

それで今になって思うのは、かつてさびしさに無縁で幸福そうに見えたあの人たちにも、きっとさびしさの波は訪れていたのだろうということです。

決して、わたしけがさびしかったわけではないのだと。

ただ、彼らはさびしさを正しく運用していただけなんだ。

それだけのことなんだ。

大人なんてさびしくて当たり前で、でもそれはただ優しさを指向する力で、だれのせいでもなくて、みじめに感じることもなくて、その力にさからわずに、惹かれるままに、自分のさがしているものを見つければいい。

会いたい人には会いたいといって、いきたいところには素直にとびこんで、泣きたいときには思いっきり泣いて、さびしさでいろんなものとつながっていけばいい。

わたしはこれからもきっとさびしい。

でもそれでいい。

たくさん間違えて、長い時間がかかったけれど、ようやくここまできたよ。

https://anond.hatelabo.jp/20180115225245

2018-01-10

anond:20180110220844

なんかちょっと涙が滲んで来た。

ストレスって地味に溜まるものなんですね。過去自分投稿見たらめちゃくちゃで、自己嫌悪に陥った。ありがとう

納豆からし

ついてくるじゃん、たれと一緒にふたの下に。

あれって、みんな使ってるの?

私あれ使ったことないの。ないわけじゃなくて、使ってみたことあるけど、好みじゃないの。

それ以来使ってないけど、毎回捨てるのが本当にここるぐるしいのよ。あ、肉まんにもからし不要派です。

これを作っている工場があって、そこで雇用されている人がいるんだ、それなのに生ごみと一緒に捨ててしまうってってって。毎回心がチクっとする。

うそんなのいやなのよ。でも納豆食べる、私。

からしいらないから、たれを2パックにしてくれたらいいのになんて思ってしまう。また自己嫌悪嫌。

2018-01-09

自分自分を育てたいなら

受験生なんだって、2018

1月もも3分の1終わったが今のところ何もやっていない。

今まではそれなりにやってきたと思うしやる気はあるのにやれない自分自己嫌悪しにた〜〜みたいな感じだったのにこの冬休み気持ちがぷっつり切れた。

というか今までぎりぎり均衡を保っていた色々なものがぜんぶおかしくなった。

から長い休みは嫌い。

余計なことをたくさん考えるから

基本装備としてはちゃめちゃに根暗自分嫌いな性分なので思考する隙を与えてはならない。

この冬はそんな隙がたくさんあったか

完全にわたしメンタルが死んだ。

不眠症BBA炸裂して5時寝13時起きみたいなゴミ生活送ってますそんな今ももう3時半です

社会生活を営む上で重大な欠陥ですね。

社会不適合者なわたしだけど、

まれときからそうだったわけじゃない

わりと色んな経験してうつにもなった割にむかしのわたしは擦れてなくて、イイ奴だったと思うんだ。自分で言うのも何だけど。まあそりゃ絵に描いたような不幸は経験たことないからだろうけど。

わたし、イイ奴だったんだよ。

でも気づいたらめちゃめちゃに暗くてめんどくさくて他人気持ち推し量れなくて冷たい難儀な性格の女になってた。こじらせの限界突破

本当に自分でもこんな女嫌だだから喪女なんだって思う。それな。

たぶんわたしがそうなったのは

高校受験に失敗したからだ。

受験に失敗したからなのか高校選びに失敗したからなのか何が明確なきっかけってわけではないけどわたしはあの高校に入ってから坂道を転げ落ちるようにやたらとめんどくさくて暗い女になった。

やらなきゃいけないのに身体金縛りみたいに動かなくなる日も増えた。

絶対にやらなきゃいけないことがあるのに、動けない。涙が出るくらいそんな自分キライなのに、やっぱり動けない。

おまえのそれはただの怠け病だっていわれるけど、自分いちばん様子がおかしいってわかってるんだ。言い訳じゃなくて。

色んなことが噛み合わなくなっておかしい。身体も心もしにかけなのに、やっぱりその異様さが自分しかからない。

たぶん、わたしこのままだとそのうち道路に飛び込みたくなる。

そんなわたしを変える方法

たぶん大学に受かることしかない。

私立最高峰早稲田

こんなにバカ学校だけど

こんなにがんばれない私だけど

わたし早稲田に行く

わたしはそこで変わる

この性格

冴えない顔も

圧倒的に欠如したコミュニケーション能力

なにかを心から楽しむあの感覚

ぜんぶぜんぶ、わたしは変える

私がいるべき場所はここじゃない

から心が浮いてるんだ、馴染めないんだ

だって私の好きなアイドルいじめられた時に言ってた、「自分アイデンティティ中学に収まりきらなくなった」って。

からわたしは馴染めないまま曖昧に笑ってこれでいいのかよって思いながらぼんやり生きてるんだ。

うそなのは御免だよマジで


わたしはこの時を待ってたはずだ

わたしいじめあいつに

わたしをかえてくれたあのひとに

わたしを疑ったあいつに

わたしのともだちでいてくれるひとに

復讐するときを、待っていたはずだ。

しあわせになるという、復讐を。


そのためにわたし死ぬほど勉強しなければならないし性格も顔も生まれ変わるための準備も死ぬ気でしなければならない

まず手始めに、じぶんに自信をつけるためにわたしひとつでも自分で頑張ったと言えることをつくろうと思って

"学校を休まず毎日行く"

という目標を立てた。

いまのところ高校は無遅刻無欠席。

地下鉄内で貧血になってヘロヘロでも、這ってでも学校に行っている。

それがわたしスーパーヒーローとの約束から。(べつに約束はしてない)

これからわたし死ぬほど勉強する

だけどTwitterもインスタもおたく

全部辞めないし休まないよ

やりたいことは全部やってやるよ

やりたいことを我慢して生まれた"余裕"は怠けるための余裕にしかならないのが経験則なので好きなことを全部こなすためにどう動くかを考えて私はこれからしぬほど勉強する。


わたし、昔小説家になりたくて。

しかにすごく文章を書くのが上手だった。

だけどいつからか私は当たり障りのないことばしか綴れなくなった。頭に言葉が浮かんでこなくなった。

それはたぶん、自分のことを書けなくなったからだ。

でも、書けないわたしわたしじゃない。

からわたし

早稲田に行きたい

なんて叶えられなかったらこっ恥ずかしいことを

わざわざ言葉にして決意表明している。

ばか恥ずかしいよ今。

学校の人にだって何一つ言ったことのない話だから。もちろん親にも。

わたし絶対変わるから

アイツ誰だっけ?って言われるくらい

ぜったいぜったい変わるから。見返してやるから



なれっこない大好きな人を追いかけて、

わたしは強くなりたい。

そのための武器ひとつ学問を備えておきたい。

自分で決めてる細かい目標はたくさんあるけど、わたしの今の目標

早稲田大学文化構想学部合格すること

学びたいことを学んでひとになにかを伝えられる人になること

櫻井くんみたいになること



だ。わたしスーパーヒーローさくらいしょうくんの背中、追い越すくらいわたし、がんばるから


自分自分を育てたいからただただひたすらもがくよ。


先僕をみて、最近がんばるわたしのだいすきなキラキラアイドルたちを見て

ひさしぶりに心をからっぽにしてたくさんの本を読んで

やっと決意表明できそうなメンタルまで持ってこれたので増田投稿しました。


宣言しちゃったんだから後には引けないよ、わたし

絶対からないとダサいよ。


やってやろうじゃん2018

どうせクラスハブられてるんだ

勉強友達にしていなくなった友達なんかその程度ってもん

学校でひとりでもおうちに帰ったら

アイドルがいる

ずっとずっとおっきいしあわせがある

から折れずにがんばれ、わたし






ぜったいに未来、つかむから

櫻井くんの笑顔より健人に見える世界よりきらきら未来

わたし、つかむから!!

まってろ、早稲田大学

2018-01-08

私は異性と付き合っても毎回長続きせず、自己嫌悪に落ちていたが、黒川伊保子さんの本を読んで、なぜ、の部分が理解出来た。

次の恋愛では実践するぞと思うことばかり。

解のある受験数学と違い、人間の心は理解できないことばかりだが、それでいいんだ、と思えた。

2018-01-06

星野仙一氏が膵癌で亡くなったという話を聞いて、また原発事故のせいだ! と騒ぎ出す放射脳が居るかと思って一瞬探しそうになった。

1回目の検索した所で我に返ってものすごい自己嫌悪した。

2018-01-04

うつ病とうまくやっていく、たったひとつの冴えたやり方。

ハサミの使い方を忘れました。

■ちゃんとハサミを使えたボクの話。

それまでのボクは、ケータイサイトを作るベンチャー会社でちゃんと働いていました。

その会社社長とボクとボクの友達で作った小さな会社

2000年誕生し、2007年には株式上場最初は4人だった社員も今では150人強に。そんな中でちゃんとした給料をもらい、取締役という役職ももらい、ちゃんと仕事をしていました。

かに、朝9時30分に出勤し家に帰るのは午前1時とか2時とかだったり、土日も出勤してたりもしましたが、「ベンチャー企業なんてそんなもんだよね。」と人からも言われ自分にもそう言い聞かせて働いてました。普通に

逆にそんな風に頑張っている自分が誇りだったし、「最近寝る暇も無い位忙しい」ってことが自分にとっては「美談」でした。

気づいていただけましたか??すべて過去形です。

そうボクがちゃんと普通に「ハサミ」を使えてた頃の話。

ここで一度考えてみてください。

あなたの「ちゃんと」って、本当にちゃんとしてますか?

あなたの「普通」って、本当に普通ですか?

■ハサミの使い方を忘れました。

意外と自分自身の事って自分ではわかりません。

「ボクってカッコいいのかなぁ?」とか「ワタシってかわいいのかなぁ?」ってのは、「誰か」と自分を見比べて、鏡の前で悩めばわかるかもしれません。

自分って健康なのかな?」ってのは、健康診断を受ければ解決します。

ただ、「もしかして、ボクって精神的におかしくなってきたのかも?」っていうのは案外自分では気づかないものかもしれません。

幸いにも(?)ボクには兆候がありました。

ある日突然「ハサミの使い方」を忘れたんです。

ハサミを見て「あ、これはハサミだ。」ってことはわかるんです。でも「何に使うものなのか?」ってことが分からないんです・・・

「何かの道具」だって事は覚えてるんです・・・

でも、「何のための道具なのか?」って事が思い出せないんです。

他にも「会社資料を作っているときに誤字脱字が増えてきた」「会社会議などスケジュールを覚えていなかった」「机の上に置いてあるお茶が、いつ注いだものかわからなかった」など、いろんな兆候がありました。

でも、なにより会社に行きたくなかった。社長に会いたくもなかった。

部下にも会いたくなかった。

この時期、会社でボクの身に何があったのかというと上司取締役が変わったことくらい・・・

その方は他社から転職してきた方で、もともとは凄くボクとも仲良くしてくれていました。

冗談を言いあったり、喫煙室で長い時間話をしたり・・・

ところが、直属の仲間になった途端そんな関係は造り物だったことに気付きます

喫煙室で顔を合わせると、不機嫌な顔をされ一言も口を聞くことはありませんでした。仕事相談すると「今忙しい。それくらい自分で考えろ。」と一蹴され、取引先に向かう電車の中で「あんたってこの会社に8 年間もいて今までどんな実績上げてきたの?何も無いんじゃない?あったら私の耳にも入ってくるけど。本当は社長あなたの事なんて要らないと思ってるんじゃない?」なんて事も言われました。

さすがにきつかったので他部署のAさんBさんに相談しました。

なんとなくですが、「社長が僕自身を鍛え上げるために、この取締役にそう言ってあるのかな?」なんてポジティブに思ってた事もあって。

今までの同僚としての距離感ではなく、取締役としての距離感で接してくれているから、こんな冷たい態度なのかな?って思ったか・・・

その数日後。その人に会議室に呼び出されました。

あなた、AさんとBさんに何か相談したらしいじゃない?」

その一言で目の前が真っ暗になりました。

信じていたAさんBさんもボクの味方では無かったんだ・・・

その真っ暗な目の前を真っ白にしてくれる一言がやってきます

「そんな事くらいで他人相談するし、仕事もできないし、あんたなんて生きてる価値ないんじゃない?」

『ボクはこの会社必要とされてない役立たずなんだ。』

『もうこの会社に居たくない。』

そんな気持ちがボクの心のすべてを満たしていきました。

家族にも相談し、近所の心療内科のドアを叩きました。

でもそれは、自分兆候(症状)を相談解決してもらう為じゃなく、会社に行かなくてよくなるように「診断書」を書いてもらうためでした。

そう。ハサミの使い方を忘れてしまったボクは、もう一度ハサミを使えるなるようになることよりも、いまの現状(会社から逃げ出したかったんです。

もう一度ハサミを使えるようになりたいなんて気持ちはこれっぽっちもありませんでした。

■ハサミの使い方を思い出した今のボク。

最初に今のボクの生活をご報告します。

1年2ヶ月という長い休職期間を経て、この度元の会社復職いたしました。

精神的にも安定しています。まだまだ薬は飲み続けています・・・

でも、逆に薬さえ飲んでいれば普通に生活できるわけで、何てことはありません。

今だから思うこと・・・

うつ病になる前の自分生活には、絶対戻りたくないと思っています

あんなに仕事人間だったボクが、会社と上手く距離をおいて物事を考えています

趣味カメラを持って出歩いたりしています

今でも人混みは苦手です。

でも、そんな所に行かなくても生きていけるので不自由はありません。

そう。

今までのボクは会社100%依存していたんです。

特に趣味もなく、会社評価されること・会社仕事をこなすことだけが、ボクの生きがいであり、ボクの存在必要としてくれる居場所だったんです。

そりゃぁ、その会社からあんたなんて必要ない。」って言われれば、自分の居場所が無くなるんだからうつ病にもなりますよ。

今のボクは、趣味であったり、美味しい食事であったり、大好きな自然だったり、友達だったり、ブログだったり、いろんなところに居場所があります

から会社で辛いことがあろうが平気です。

逆に今の会社で無くてもいいやってくらいに思ってます

不思議と楽なんです。会社以外に帰れる居場所があるから

ライフワークって言葉があります

今までのボクは仕事ライフワークにしていました。

今のボクは仕事会社を「ライスワーク」と考えています

御飯食べるための仕事。要するに飯の種って事です。

それくらいに割り切ったお付き合いを会社人間関係に置いてみると、多少嫌なことも我慢できるのかもしれません。上司にガミガミ言われても、新しいカメラレンズを買うためなら・・・って。

では、ボクがここまで変わることが出来た経緯をご紹介します。

休職できた。

休職」ってボクの中では重病(骨折とか入院とか)の方しかできないと思っていました。

よく勘違いする人が多いのですが「うつ病心の風邪」って言う人がいます

うちの会社の総務の人も「うつ病心の風邪からちょっと休めば治りますよ。」なんて、気休めを言ってくれました。

ボク自身がまずは「うつ病は脳の病気」だと意識を変えました。

しかも外傷も見当たらない「脳の重病」だと。

だって、食欲もない・眠れない・何もする気が起きない・・・これって心(気持ち)でどうにかなるものでしょうか?

「心」なんて自分の体のどの臓器かもわからないのに、「心の病気」とか「心の風邪」って言われることが本当に怖かったんです。

だって自分じゃ治しようも無いわけですから

心療内科先生カウンセリング先生からうつ病は脳の病気です。」って聞いて、本当に安心しました。自分おかしなっちゃったのは「心(気持ち)」がおかしくなったんじゃなくて、脳がちょっと壊れちゃったんだなと。

しかも、ちゃんと薬があるのであれば、怖くもなんともない。何となく「心の病気」って言われると、自分自身おかしくなったように思っちゃって怖かったんです。もう元に戻らないような気がして。

ボクは胸をはって休職することにしました。

当然の権利だと思いました。会社ストレスで脳に病気を持ったわけですから。だから休職することに何の抵抗もありませんし、恥ずかしくもありませんでした。

最初診断書で「3ヶ月の休職期間を必要とする。」と記載してあったので、会社からは3ヶ月の休職期間をいただきました。

3ヶ月で治るんだと思っていましたが、治りませんでした。

そして、会社休職期間の限度である「6ヶ月間」に休職期間を延長してもらいました。

多分、6ヶ月で治りますうつ病になる前の仕事人間自分には。

ちょうど休職期間が終わる6ヶ月後の頃、会社面談を行ないました。

その時の総務の方の対応に疑問を覚えました。

毎回「調子はどうですか?」と聞かれ、ボクは「たまに、メマイとかします。人の多いところとかだと。」と答えます事実、今でもそうですが・・・

それを「明確な復帰の意思、どこに復帰したいか意思表示がありません。」と言うふうに社長や他の取締役に報告していたようなのです。

人混みでメマイやパニック障害を起こしている状況で「はい!もう大丈夫です!元の取締役として働かせてください!」なんて言える人はいないと思います

そして、そもそも根本的な疑問を持ったんです。

「あれ?ボクはなんでうつ病になったんだろう・・・。」って。

この時、自分の持っているすべての感情会社にぶつけました。

だって会社うつ病にさせられた」と思ったから。

もう、休職期間も終り自然退職自己退社)になるんだから、言いたいことは全部言ってやれ!って気持ちでした。

休職期間に入るとき社長から伝言で「休職は認めるけど、戻ってきたら取締役解任ね。」って言葉を頂戴してました。

それ以外他にも例の人から言われたことの全てを総務の人に報告し、「パワハラではないか?」と詰め寄りました。

そもそも、総務の人は現場で何が起こっているのかを知りません。

レベルで「こんな事いわれたらしい。」と言うことは聞いていても、他の取締役本人の口から伝えなきゃわかってくれません。

から言いました。

スッキリしました。

本当に。

今までのストレスを全部吐き出したんです。

今思えば、抗うつ剤副作用だったのかもしれません。

抗うつ剤の服用者が暴れたり言動が荒くなったりってニュースを見たことがありました。

今思えば、この頃のボクはそんな状態だったのかもしれません。

でも、今のボクは当時のボクを責めたりはしません。

自己嫌悪もしていません。

薬の力を借りていたとしても、自分の気持を汚い言葉罵声であれ会社に伝えられた自分を褒めてあげたいと思っています

だって、それだけストレス溜まってたんですもん。たまったストレスを吐き出させてくださいよ・・・

今までいっぱい我慢してきたんだから

今思えば、休職してすぐにストレート会社気持ちをぶつければよかったなぁとも思います。でも、そんな気力も余裕もなかったんですよ。

自分の気持を整理して、相手の言うことを理解し、自分の気持と照らし合わせ、思いを伝える気力と余裕を持つまでに半年掛かったってことです。

その半年間のことは正直よく覚えていません。

ひたすら寝て、きちんと薬を飲み、食べられるものを食べる。

人間として何とか生きている感じ。

でもきっと、気力を貯めこむ期間として必要半年間だったんだと思います

おかげで気持ち会社へ伝わり、会社の規程が「病気場合での休職は1年間とする」と変更されました。

ただこれに素直に感謝できるまであと半年かかりました。当時は当たり前だろって位に思ってました。

今思えば、ここからが本当の「闘病生活」の始まりでした。

■本当に自分と向き合った半年間。

一気にストレスを吐き出したボクは、やっと何かを吸収する余裕ができました。

からアドバイス聞いたり、本を読んでみたり、ちょっと難しいテレビを見てみたり、Twitterを始めてみたり・・・

やっぱり自分気持ち(想い)が自分の中に溜まっていると、人から何を言われても「そうは言うけど、ボクはうつ病だし・・・。」みたいな感じで聞く耳を持てなかったりします。

想いを全て会社に吐き出して、やっと「何か」をしてみようという気持ちになれました。

この想いの吐き出し方や吐き出し先は人それぞれだと思います

ボクの場合は「会社のせいだ」と思ってしまっていたから、会社にぶつけたまでで。

まずは何故自分うつ病になったのかをきちんと主治医カウンセラー相談し、答えを見つけることが必要なのかもしれません。

余裕が出てきたところでやっと気付きます

「うちの会社うつ病でこれだけ長く苦しんでいるのは自分が初めてだ。」と。そして、相手を思う余裕も出てきます

「もしかしたら、会社の総務人事の人達社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?だから、ああ言う対応しかできなかった。」と。

そこで1つの結論自分の中で出ます

「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と。

簡単に言っちゃいましたが、「そりゃぁ、仕方ないよね。」って考え方は、ボクの中に初めて生まれた考え方でした。

仕事人間だったボクは「何にでも白黒付ける」事を求められ、必ず答えを出さなければいけなかった。「仕方ないよね。」とか「どうしようもないよね。」で片付けることなんて出来なかった。

全てにおいて私生活でも白黒付けて生きてきました。

「この世にはどうしようもないことがある。」

それに気付き納得できたことは、これからのボクの闘病生活を大きく左右する出来事でした。

会社人達社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?」から「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と思ったボクは、「うつ病」について知ってもらおうと思いました。

せっかくなので会社の人だけでなく、全国の人にも。

うつ病を楽しんでみる。

ボクは写真が好きでブログTwitterをやっていました。

まずはブログTwitterで「自分うつ病であること」「うつ病の人ってこんな人」ってことをセキララに語ってしまおうと思いました。

本名会社名を明かした上で。

当然、ブログで「ボクはうつ病です。こんな生活を送ってます。」なんて記事を書こうと思ったら、自分生活で「あれ?」と思ったことを記録しなきゃいけません。

・ あれ?ボクは何でこんな事してるんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事を考えたんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事が出来ないんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事が出来なくなったんだろう。

この4つを思いついたときメモするようになりました。

そうすると何だか自分自分のことが面白くなってきたんです。

例えば、ある日「冷蔵庫サランラップ仕舞っている」事がありました。

朝、冷蔵庫を開けたら冷蔵庫サランラップが入っていたんです。

・・・あれ?ボクはなんで冷蔵庫サランラップ入れたんだろう?って思いました。

それをうつ病のせいにしてブログに書いてみたんです。

サランラップ冷蔵庫に入っていました・・・うつ病って凄い。」って。

そうしたらいろんな人からコメントを貰いました。

「あー!私もよくあるから大丈夫だよ!」

「疲れてるだけだよ!」

「冷たいサランラップって気持よさそう!」

などなど。

あれ?と思いました。

自分の変な行動をみんなが面白がってくれてる。

ちょっとでも人を笑わせる事ができるってことは、凄いことなんじゃないか

急に目の前が明るくなった感じがしました。

それから毎日その繰り返しです。

そこであることに気付きました。

自分の中で「変な行動や変な考えを全てうつ病のせい」にするのって意外と楽だって事に。

だって病気がボクをそうさせてるだけで、ボク自身おかしいわけではないんじゃないか?きちんと病気と向き合って対処すればいいだけじゃないか

これに気づいたときに本当に楽になりました。

今まで無かった「目標」ができたんです。

そして、このメモ主治医カウンセラー相談するときにも役立つんです。

この発見は本当に大きな出来事でした。

それからのボクは、「うつ病を楽しむ」生活に切り替わりました。

うつ病が恥ずかしいなんて気持ちはいっさいありませんでした。

「ありがとう」って言われたくなる。

そんな日々を繰り返していると、Twitterメッセージを貰いました。

ブログを拝見しました。ご想像の通り、ボクも若干うつなのです。薬も服用しています。でも、まだ公表できていません。ブログを読んで気持ちが楽になりました。ありがとうございました。ただ、それがいいたくて。」

別に誰かを幸せにしたいとか何も考えずに書いているブログに、「気持ちが楽になりました」って言ってもらえるなんて思ってもいませんでした。本当に嬉しかった。

ボクにだってかに勇気を与えることができるんだ。

こんなボクに「ありがとう」って言ってくれる人がいるんだ。

本当に嬉しくて、夜中に涙を流しながら母親電話しました。

「生きてて良かった。」って泣きながら母親に話をしたことを今でも覚えています

それから他人から「ありがとう」って言われることをすれば、自分存在理由を見つけることができるのかもしれないと思うようになりました。

同時に、きちんと自分から「ありがとう」と言える人になりたいと思いました。例え、コンビニ店員さんであっても「ありがとう」って言うようになりました。外食したときお金を払って店を出る前に「ごちそうさまでした」って言って帰るようになりました。

しかすると、その事自体別に褒められることではないのかもしれません。

人間として当たり前のこと。

だとすると、なおさら「今までやってこなかった自分」を恥じるようになってきました。

そう「仕事人間で余裕が無く他人に『ありがとう』とも言えなかった自分」が恥ずかしくてしょうがなかったんです。

普段探してみると「ありがとう」って言う機会は思った以上に転がっています

それに気づかなかった過去自分おかしいんじゃないか?って思ったんです。

それが自信から確信に変わったときにハッキリと目が覚めました。

そして「うつ病になる以前の仕事人間自分になんて戻りたくない。」と。

自分に自信が無くなったときは。

はいえ、自分って何故こうなんだろうって、自信を無くす時はあります

そんな時ボクは、あまり褒められる事ではないのですが、見知らぬ誰かと自分を比べるということをしています

例えば、街でタバコポイ捨てしている人を見かけたら、「自分ポイ捨てしないなぁ。」って思えれば、その人よりも自分のほうが生きてる価値があるのかもしれません。

まりいい事ではありませんが、自信を持つことは出来ます

2018-01-02

母の愛と2018年

年末の忙しさから解放されて気が緩んだのか、冬休みに入ってから急に体調を崩してしまった。

30代一人暮らし風邪はなかなかにツラいものがあるが、まあ寝ていれば治るだろうと特に何もせずごろごろしていた。

本来であれば1/1には実家兄弟家族が集まるのだが、今年はパスメールだけして携帯放置していた。

1/1の夜、急な来客があり何かと思ったら母親だった。

電話をしたのだが出てくれなかったので、連絡も取れないくらヤバいのではないかと思い飛んできたとのこと。

ごめん寝てた。そこまでじゃないよ。とぶっきらぼうに答えながらも、片道2時間をはるばる来てもらったことに申し訳ないようなありがたいようなことを感じていた。

んが

入口すぐ横の洗面台に大型オナホールが思い切り干してあるのに気付く。(リアルボディシリーズのどれか)

ヤバい

1歩でも踏み込まれたら正月早々死んでしまう。

来てくれたのはありがたいが、風邪うつしてしまうと悪いので気にせず帰ってくれないか。と、2時間はるばるミカンと水を持ってきてくれた親に言ってしまう俺。

掃除でもしていこうか、などとぬかす母親。いいからいいからと突っ返そうとする俺。

軽くひと悶着あったのち、そのまま追い返すことに成功した俺。ああよかったよかった。

その後、2018年なんて来なければよかったのに、と布団の中で自己嫌悪とともにうずくまっていたらこんな時間でした。

あけましておめでとうございます

2017-12-31

ストロングゼロ呑みながら日記

前回の日記

[日記][ストロングゼロ]

◇Day 1 [2017/12/30(sat)]

 プシュ、とプルタブを開けた時の音が何となく自分は好きだ。

 ついさっきスーパーまで行ってどさっと1箱、ストロングゼロの500mlの24本入りを買ってきた。

 これを来月8日までに飲み干すわけだからざっと計算して1日2缶、1,000mlは呑むことになる。

 さながら処方箋のように。

 ストロングゼロ 500mg、1日2回。服用は食後。

 みたいな。

 さて、酒は中1から飲み始めたと昨日書いたけれど、今日はそのことについて振り返ってみようと思う。

 あー、でも、まだ酔いが足りないかもしれない。

 今手に持っているストロングゼロをまず一缶空けてからキーボードを叩くことにしましょう。

 ……。

 呑み干した。てことで、もう一缶。

 にしても不味いな、ストロングゼロ

 ちなみに葡萄ダブルを今呑んでいるが、安いウォッカ特有の、あのザ・アルコールな苦味がなんとも言えない。それを無理やりぶどうの香料で消した感じも、うん、なんとも!

 なーんて悪態を吐きつつ、でも、人生で一番飲み干した酒缶は間違いなくストロングゼロ自分である

 手元に酒がないとき、とりあえず手軽に安くて簡単酩酊するにはこれは最適すぎるのだ。

 500mlのストロングゼロをぐいぐいと呑みつつ、〆には鬼ころし。あとはタール11mgの重めのラッキーストライクなんかの煙草もつまみにして。

 そうすればほら、たったの300円程度で酔っ払いの出来上がりだ。

 300円の処方箋

 高校時代から続く、いつまでも煮えたぎっている自己嫌悪だって、とりあえず思考の端には追いやれる。

 延々と続く毒にしかならない退屈な時間を、この瞬間だけは確かに、こいつらは薬になって埋めてくれるのだ。


 ……なんの話をしたいんだっけ? ああ、思い出した。

 んー、じゃあ。さて、振り返ってみるとするけれど。

 ええと、自分が初めて酒を飲んだのは中学一年の冬……7年前のことになる。

 ちょうど7年前。

 2010年12月23日のことだ。日付だってちゃんと覚えている。

 その日は友達の家でクリスマスパーティーだった。メンバー曖昧だけれど、六人程度。全員、小学校からの幼馴染だ。そいつらとは今でも仲は良い。

 酒を持ってきたのは吉田くんだった。

 吉田くんはこの小学校メンバーの中では一番アウトロー存在で、不良を嫌いつつ、行動は不良そのものみたいなやつだった。2010年の当時は、脱法ハーブなんかがまだギリギリ滑り込みで出来ていた時代で、吉田くんはドラッグアルコールなんかの知識中学1年生ながら無駄に溜め込んでいた。そんな吉田くんを僕は若干尊敬さえしていた。

 彼の存在は、部活も何もない暇な中学生であるぼくにとって、ある意味の「非日常」だったのだ。

 わんやわんやと騒ぎ立てて、お菓子ジュースなんかにそろそろみんなが飽きてきたころ、吉田くんは青色水筒を得意げにカバンから取り出して、

 ひとこと。

「酒、持ってきた」

 と言った。

 ――たぶん、そのとき一番その言葉に興奮していたのは自分だったと思う。

 吉田くんが飲むやつは、とみんなに訊ねて、ぼくは「飲む! 飲む!」と目を輝かせて挙手した記憶がある。

 そうしてにやっと笑った吉田くんは、ぼくのグラスに水筒に入った酒を注いでくれた。

 茶色の液体。あとになって知ったことだけれど、ブランデーと呼ばれる種類のものだった。

 ぼくは余っていた三ツ矢サイダーでそれを割って、ごくっと勢いよくグラスを呷ってみた。

 甘い。

 なんか、ケーキのにおいに似てる。

 それが生まれて初めてのお酒感想。当時中学一年生のぼくが抱いたお酒への感想だった。

 それからお酒はこのクリパメンバー中で黙認化されて、新年、進級、七夕ハロウィン、そういう行事を口実にしては酒を呑む日常が始まった。

 お酒はぼくの中で非日常へ行くための手段だったのだ。

 それはたぶん今もおんなじで、お酒の味が良いからだとか、そんな理由で呑みたいと思ったことは一度もない。

 すべては酩酊した楽しい世界に行きたいから。

 これに尽きた。

 たぶん、LSDだとか、大麻だとか、そういうもの代替え品として使っていたのだ、当時の自分たちは。

 こうして中学一年生にしてぼくは、暇な日常からそこそこ楽しく脱するためのツールを知ってしまった。

 暇なとき。楽しくなるには、お酒を飲めばいい。

 ただそれだけ。

 自分が酒を飲み始めたのは、こんな経緯。

 ある意味では健全だった当時の酒の飲み方は、高校に入ってから一変し始めるわけだけれど、それは明日書いてみようと思う。

 あー、ほんと、ストロングゼロは不味いなあ。でも酔いが足りない。

 だからもう1缶追加しようと思う。

 大丈夫、なくなったらまたコンビニで買えばいいんだから……。

 

2017-12-29

ゼルダもいいけど正月だし

2018年スタートとして、有意義活動から始めたみもある。

漢字検定勉強とか。数学勉強とか。

あとはプレステ2を押し入れから引っ張り出してきて、

ずいぶん昔に断念したEver17の続きをするっていうプランもある。

ウォーキングスイミングを始めて、5kgぐらい痩せてもいいなと思う。

新幹線乗り放題に参加するのも楽しそう。

で、毎年のことだが計画倒れ自己嫌悪になることは目に見えている!!!

2017-12-28

anond:20171228075926

あんた、スゴい。

心理勉強かなんかしてるの?

ただ、俺もよくわかんないのよ。口先の自己嫌悪とかスゴいんだけど、心の奥底では自己否定しきれないのよね。変に自分に甘いんだよ。

あと、変化の方が正しい表現だね。かっこつけの悪い部分が出てるわ、コレ。

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