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2021-10-03

学校に入り直して人生軌道修正する」という夢をよく見る

覚えている限りで、自分が見た夢の中で印象的だったのが

というものだ。

自分人生の中で1浪しただけで退学などしていないし、別段学歴学問に不足を感じているわけではないので

直接的な記憶や願望ではない。なんでこんな夢を見るのだろうか?

まず、現実浪人した理由が「1年目の結果に両親が満足せず、半ば強制的にやり直させられた」

からというもので、その時の人生が脇道にそれてしまったような感覚再現されているのだと思う。

もう一つ、新卒就職した企業ブラックでそこから2回転職をしてようやくそれなりの生活にありつけた

というのもありそうで、人生軌道修正を行ったのが成功体験になっているのかもしれない。

この二つがくっついた結果、退学だの大学入り直しだのって夢が生成されているんだろう。

2021-10-02

anond:20211002132530

博士号とか持ってる学問に対して真面目な集団」だからこそ、「芸能人枠」での採用と捉えるのは違和感あるなあ

一般的芸能人とは色々と事情の違うことを元に「芸能人採用すること」の是非とかの話にできんくいかと思う。

anond:20211002131104

何を教えるかにもよるんじゃないのかなぁ。

バラエティを通して学問市民の身近なものとして伝えてきた実績はあると思うし、そういうことを学生に向けて講演することがあってもいいんじゃない。(少なくともQuizKnockは、メンバーに須貝さんみたいな博士号持ちもいるし、学問に対してはそれなりに真面目な集団よな。)

実際、ジャーナリストIT金融行政国連職員とかの業界スペシャリストが授業する、みたいなこと普通にあるでしょ。

anond:20211002131104

ぶっちゃけクイズ王なんて実務家教員のたぐいでは例外的に「学術的な」方向じゃん。

芸能人を雇った」話の1つとして捉えていいのか?失礼かもしれんけどyoutubeとか見てる範囲では「頭がよく学問的なことに親和性の高い学者気質な人」よりの人に見えるし、

学者とは違う風を入れよう系のポストに充てるには逆に学問方面の実績に頼るところが大きすぎると思うんだが……

サイエンスコミュニケータを特任に採用した事例とかに近い気がしてしまう。

anond:20211001193500

でも言葉を洗練したものが数式だとして、数式という道具を発明たからこそ扱える領域があるのでは?多様体とかエキゾチックな球面とか言葉を持ってなかったころの人類が扱えたとはとうてい思えないんだけど。

そもそもAIやら気象予報の技術たらだって1人の人間だけの思考では完成するものじゃなくて、研究結果を複数人で共有していって考えを出し合うことによって生まれものじゃないの?そして思考の共有には言語必要

AI気象予報自体生存必須ではない便利なものという意味では意味では「言葉必要じゃない」「なぜなら言葉によって派生したもの必要じゃないからだ」と、むしろあなたの考えを補強することになりかねないけど。

しかしそれでも文体問題じゃないし、言葉だけでの問題じゃなくて、言葉を操ってそういう学問的に高度な領域に至ることができるような知性も必要で、そこには才能の比重が大きいと思う、俺なんか多様体の本どころか松坂の集合位相論で20ページでつまづくような数学の才能皆無な人間だったけど、こういう本によって人類は着実に深遠な方向へと思考を到達させていることは感じられるよ。

そもそも数式なんかは「写経」したところでその数式の言わんとすることを自分自身が分かったうえで出力できるようになるわけじゃないからなあ。門前小僧習わぬ経を読むから論語読みの論語知らずよ。写経することによって得られた数式の暗記や受け売り的な出力は記憶力はともかく知性については何も保証しないよ。

2021-09-29

anond:20210929233213

ドキュン自体懐かしいよな

あの頃はそうやって高卒馬鹿にするくらいにはまだネット民学問に対する信頼があった

anond:20210929113550

4年制大学生がモラトリャムを満喫してる間に、

高卒や専卒、高専理系

高校生の勢いのままに勉強仕事して使える社会人になっていくんやで


話がそれたな。学問では飯は食えない。就活情報戦

2021-09-28

anond:20210921134546

リベラル社会学者が全員そうではないけど、北田先生やいまの本田先生は、自分政治的主張学問的な装飾をほどこしただけの議論だと思う。

2021-09-27

anond:20210927163710

かに人口統計が始まったのは17世紀から18世紀ヨーロッパから江戸時代人口推計をする手法は普及していなかっただろうなあ。

人口統計日本で始まったのはヨーロッパ学問移入された明治以降でしょうね。

どうやって江戸時代とか縄文時代平均寿命推計したんだろうな。

2021-09-25

anond:20210925202926

良い悪いって判断軸がそもそも学問評価する上で適切じゃないと思うよ

anond:20210925182520

望んでるのは大学ポストだろ? よく分からん学問予算を振ってほしいってことじゃね

あと選択の結果ってのも確かにそうなんだが、人は現在生活簡単に変えられるものではないからなあ

anond:20210925134900

男脳と女脳というのがあってね。

ASDは究極の男脳なの。

男性の思う「論理的」な世界でこれまで学問制度も作られてきたけど、これからは違った形の論理も求められているよ。

論理多様性というね。

男脳からは出てこない、女性ならではの視点が今社会のあちこちで求められている。

性別関係なく採用すれば女性だらけになるから仕方なく男女別の枠を作っていたと、企業面接官も市役所採用担当者も口を揃えて言うよ。

男性はたとえ社会被害者でも、一箇所の施設に集めておくとお互いを攻撃しあうけど、女性センター平和的で上手くいっている。

それどころかコロナウイルスへの対応も、女性リーダーの国ほど上手くいっている。

男脳競争の脳、女脳は共感の脳。

女性男性はたまに例外もあるけど、身体だけでなく基本的な脳の作りからして違う。

本来女性の方が優秀で、放っておけば女性多数派になるはずだった入試試験日比谷だって東大だってそう、理系学部もそう)や採用試験、あるいは将棋の昇級試験

それを、男性プライドを守るためだけに女性に不利な制度にしたり、周囲の大人社会文化が「女らしくない」と陰に陽に抑圧する形で、現在不公平環境になっていた。

それを止めようよというだけ。

anond:20210925020600

ジェンダー論って対立構造作って議論させたりしないし、反論される事に弱そうだよな。

アレフとかとかカルト宗教共産主義系の団体にありがちだけど、

そう言う学問建設的に成り立たない場所って反論に詰まると「不勉強からだ」「反省が足りないからだ」になって

最終的にリンチとか暴力行使に発展するんだよなぁ

今回のvtuber批判あさま山荘事件的な立ち位置だと思うわ

anond:20210925015811

すまん、たしか実証主義はいいすぎた。

とにかく、学問根拠のない「お気持ち」だけでやってるわけではない社会学も多いよってことがいいたいだけ。

それも言い過ぎだし表現が難しいところではあるとか色々あるんだろうというのはわかるけど。

anond:20210925014737

ジェンダー論にしても社会学にしてもなんにしてもツイッター炎上してる人が主張するそれと実際の学問分野としてのそれはものすごい乖離があると思ってる。

社会学とか自分大学で授業受けたとき先生普通にちゃん学術的な実証主義を重んじていたし、寧ろ社会学を名乗ってアレなことする連中を敵視してたのになと。

anond:20210925013124

統計恣意的曲解した数字しか使わずに、大半が独自論理机上の空論構成された学問もどきだよね、ジェンダー論。

そもそも女性性的モノ化から解放する、その目的として性規範を強化させるような表現は抑える」って結論と、

男性規範を抑えるために、男性に課せられてきた表現を抑える」って結論ジェンダー論に出てきているはずだけど、

男性なら大丈夫」って考え自体が既にジェンダーから外れてるし、そんな事言ってる学説なんてあんの?

Twitterで勝部元気のツイートを読んでもジェンダー論学んだことにならないと思うけど(笑)

2021-09-23

聖書考古学実態

いま話題になっているニュースの一つに「3600年前に滅んだ町の遺跡が、聖書に書かれているソドムゴモラモデルになったのではないか」というものがある。

これの真偽はさておき、聖書考古学を結びつけて、考古学的に聖書の内容を考えようという学問に「聖書考古学」というものがある。

聖書考古学テーマとして、ノアの方舟エデンの園バベルの塔実在性などが挙げられる。

日本ではこの聖書考古学に関する情報は驚くほど少なく、マイナーだ。

というのも、日本において聖書考古学研究している大学はとても少ない。本格的に研究しているのは一部のキリスト教大学だけなのだ

私はある縁で、キリスト教聖書考古学と関わったことがある。

日本人として聖書考古学(とその問題点)を直感的に理解するのはとてもむずかしい。なぜならばキリスト教系の価値観の土台と歴史があって、やっと感覚的に理解できることだからだ。

さて、例えばアダムとイブ起源ノアの方舟実在性などと言った話題は、われわれ日本からすればなんだかすごくワクワクするものだ。

本当かどうかはわからないが、大昔に似たようなことがあって聖書に書かれて……という経緯があったならわかりやすいし、ファンタジー現実と繋がった感覚がしてとても感じが良い。

しかし、アメリカヨーロッパといったキリスト教が深く根付いた(そして克服してきた)国家からすれば、聖書現実が地続きであるというぼんやりとした感覚は、日本より実際的問題となっている。

というのも、あちらでは数百年前までは「聖書は単なる神話であり、現実ではない」という主張をするだけで異端認定され、ガチで殺されたり、社会的抹殺されることが普通にあり得たからだ。

今日では、流石に聖書がまるまる真実だと信じている層は少なくなってきてはいるが、その余波は残っている。

例えば聖書では、神は自分の姿に似せて人間を作ったとされている。それなので、人間が徐々に進化して今の形となったという進化論は、今でもあちらでは反発が強い。

ということで、宗教科学の分離というものは、日本ではあまり逼迫的な問題ではないが、あちらではより実際的問題なのだ。実際にキリスト教科学を圧迫してきた時代があることは、言うまでもない。

聖書考古学はその性質上、研究従事する研究者のほとんどはキリスト教徒となっている。

そこで思うのは、「聖書考古学科学なのだろうか?」という疑問だ。聖書歴史的に正しい事実だ、という前提で聖書証明するために研究を行うのは科学的態度とはいえない。

実際のところ、聖書考古学はこういった懸念から、主流の考古学からは「宗教的な動機からまれ擬似科学」としてみなされることが少なくなかった。

そこでアメリカイスラエルを巻き込んだかなりデカドタバタ騒動(これはメチャクチャ長くなるので書くのはやめる)があった後、やはり宗教的な前提を持ち込むのはやめて、より科学的なアプローチで取り組もう、となったのが現在聖書考古学となる。

だがやはり、キリスト教一枚岩ではない。より原理主義的な団体もたくさんある。そういったところが、「聖書を正しいと証明するために、科学的な態度を装って」聖書考古学を利用するというケースは今でも多々見られるのだ。

もちろん、冒頭の研究については調べていないのでよくわからないが、「聖書」と「考古学」という単語が繋がって出てきた場合、少し立ち止まって考えてみてほしい。

2021-09-22

職業訓練校に通ってるけど就職憂鬱になる

勉強する日々は充実してるけど、いざ就職に向けて準備をし始めると気が重い

特に希望年収を書くときに物凄く気が重くなる

平均を見ると(地方からってのもあるけど)低い

経験から収入が前職から落ちるのは仕方ないけど、こんなに落ちるのか…

もちろん、学問ちゃん勉強してこの道に入った人や、この道に入って経験を積んだ人より低いのは当たり前だって言うのはわかるけど…

勉強している事を仕事にするのはとても面白そう

ただ、人間尊厳が無くなる気がして心がヤスリで削がれているような気持ちになってしま

30超えてるのに、20代の頃にもらった初任給に近い金額に逆戻りしてしまったようでふりだしに戻ったようだ

これまでの人生っていったい何だったんだろうって虚無感に苛まれ

2021-09-21

anond:20210921204210

算数数学が「求めている回答に対する適切な問題の作り方を言外に教える学問でもある」って認識があるかどうかじゃね?

丸暗記だけで生きてきたようなタイプ文系大学出てるとたとえ大卒でもこの概念に一切関わることなく生きていけるのが困りものよね

人の自殺を止める者にはバカ詐欺師しかいない

「生きていれば必ずいいことが起こるから死んじゃだめだ」んだってさ。

普段あれだけ「(人口動態|学問の軽視|政治劣化)から日本未来絶望だ」って言ってるのは何だったの?

歴史の大きな流れの中で大抵の個人は無力なんだよ。

から奴らは現実と願望の区別がつかない無能か、自分らが良いと信じることのためには平気で嘘をつく詐欺師かのどちらか。

2021-09-18

自分立ち位置を変えても見える世界は変わらない

 相対的貧困多浪自衛官医学生という経歴をもつ私(見る人が見れば特定できるだろうがあえて触れないでいただきたい)が最近思うことがある。それは自分所属する集団いかに変わろうとも自分が見えている世界は変わらないということである

 多浪時代に感じていたこと、自衛官の時に思っていたこと、そして今医学生として感じていること。これらは全て表現型を変えてはいものの残念ながら同じことなのだ。医学部進学をあきらめて180度違う世界に入っても、自衛官を辞して再び学問世界に入っても、自らが原始に望んでいた世界に入るために高齢ながら19,20の学友と轡を並べつつ予備校へ行き受験医学の道へ進んでも、私の価値観に対して大ナタを振るってくれるものなど在りはしなかった。

 ある程度歳を取り、貧困経験し、凝り固まってしまった人格というものは、多少の衝撃では矯正し得るものではないということを身をもって痛感させられた。

 逆説的に、若く平凡以上の、所謂ガチャなどと自分の生まれ揶揄できるほどの親に恵まれている諸兄にとってみれば、自分所属する集団の如何によって「目覚めた」であるとか「本当の自分人生を見付けた」であるとかといったことがいえるのではないかと思う。自分が固まっていない、価値観を固定されるほどの幼年時代をおくっていないものであればあるほど、頭を殴られるような経験はしておくべきなのだろう。

2021-09-15

anond:20210915185630

学問で差がつくよ」って教えだね

いつかは今は何十万何百万かかる保険適用外の医療技術もいつかごくごく普通にみんなが受けることのできる当然の医術となるかもしれない、今は治すことの難しい病気が何十年の間何人もの学者研究開発の積み重ねの下に治すことができるかもしれないと思うと、なんだか不思議気持ちになる。いやあらゆる学問に置いて、何百年何千年のコピー用紙の積み重なりみてえなものなのだろうけど、医術に関してはなんだか一番不思議気持ちになる。今はダメでもいつかの未来はいくつかの病気は治る病気になっているって想像できない。

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