はてなキーワード: 個人的意見とは
「俺が若いときは毎日残業と接待で---」「今の若モンは苦労を知らない」というのはあまりにステレオタイプな昭和の勤め人像だが、確かに洒脱でないなと感じる言い分だ。
こういう、旧来の感性と180°反転して、現代の20代は「自分の楽しいと思える形で努力し、それを認められる環境で生きていくのがクール」「辛い努力をルールに従って泥臭くやるのは恰好悪い」とされる。少なくとも20代半ばの私はそう感じている。
個人的意見だが、私は上記二つの対局にある感性両方に疑問をもつ。
もちろん、空気を読めだとか、いくら無能でも年上を敬えだとか、女はこういうもんだとか、男が大黒柱であるべきだとか、そういった時代遅れの考えに同調するわけではないし、個人が能力に応じて自由な選択を選び取れることが幸せなのだろうと思う。
一方で、今日の大学生たちがあまりに個人主義に傾倒し、大学をでて就活をして大手企業に入ろうとするといういわゆる「人生のレール」を毛嫌いしていることに違和感を覚える。
現実に、私の同期や後輩のうち10名以上が大学を辞めるか、一般的な就職活動を行わずにいわば変則的なルートで進路を決定している。
私は彼らを心から応援しているが、少なからず、その決定に伴うリスクと合理性を問いたい。
彼らは決まって、一見大胆に見える進路を選択した後にSNS上に『なぜ大学を辞めたのか』という旨の投稿を行い、それに他の学生は熱烈なエールを送るのだが、私はそのやり取りを一抹の恐怖に似た感情をもって見つめている。
例えば、大学の研究に意味を見出せず、浪人と休学を含めて6年間を投じた大学生活を途中退出してコネクションを使ってエンタメ業界へ。
賞賛と応援の嵐、夢を摘み取ったことへの羨望がコメント欄に滾々と沸き立っている。
なんだかなぁ、と私は思う。
大学を出てからでもよかったんじゃないのか? 全く触れもしなかった卒業研究からも、得られるものがあったんじゃないのか? などと考えてしまうのは私がもはやロートル化しているからなのか。
繰り返しになるが、私はこの判断を否定する気などさらさらないし、そんなことをできるほど大した人間ではない。
私は単に、大学生たちに、人生のレールがダサいものなどではないことを知ってほしいと思っている。
研究をまじめに行って、大きな企業で世の中にインパクトのあるものを、優秀な同僚とともに生み出していくことが、恥ずかしい事であるはずがないのだ。
学業や就活は総じて苦痛を伴うだろう。私も大変に苦しんだし、大学院をやめようと思ったのも1度や2度ではない。
それでも徹底して競争に身を投じ、苦しんで苦しんで戦い抜いた結果、私は今作りたいものを自らの手で生み出せる仕事をしている。
研究以外で何もクリエイティブなことなどできないが、こういう人生もアリだろうな、と自分では感じている。
何も研究や勉強がいつも楽しかったわけではない。苦しい事が9割5分だった。
それでも逃げ出さずに戦いぬいたことを私は誇りに思うし、この経験が私にとって有益なものをもたらした。
https://anond.hatelabo.jp/20200130091130
このときも日テレはZIPを通じてただただマスクが品薄であることだけを報道して、マスクの有用性についてはほとんどの検証を避けた。
その結果国内でもマスクの品薄が発生して本当に欲しい人に届かなくなった。(通勤前に見ることができるのがZIPなだけで他のワイドショーは知らない。)
それからもZIPを観察しつづけたけど、マスクに対するエビデンスがしっかりと検証されるような内容が放送された記憶はない。
日テレにすべての責任があるとは言わないけど、1つのメディアとして不安を煽るような内容だけを報道するのはどうなのか。
そんなZIPで今度は中国野菜が品薄で、その在庫が尽きれば国内の野菜が奪い合いになると報道していた。
またそうやって不安を煽ることだけをする。
その報道には量的要素が全く含まれていなくて、そうなった場合の市場の調整機能がどれくらい用意されているかの説明の一つない。
市場関係者のどれくらいからインタビューしたかしらないけど、一人の市場関係者だけが野菜が入ってこないとコメントしたものを、まるで市場全体がそうであるかのように報道していた。
それが自分たちの報道に都合の良いコメントを残した人間のコメントだけを報道して、直接表現は避けつつも今のうちに買いに走ったほうがよいですよと扇動していることと何が違うのか。
これはすでに市民のパニックを引き起こそうとするテロといっても過言ではない。
そもそもこのニュースを否定する側に中国からの輸入量とか国内の生産量を用意させるのはおかしい。
こうしたニュースが流れる度に、視聴者側の意見が一定数集まればメディア側に報道内容を証明させる仕組みを作るべきではないか。
例えば予想視聴者数のうち3割程度の数が疑問を持つと回答が集まった場合はメディアはその内容を証明するための量的データやエビデンスを集め、それが報道と矛盾した場合は一定期間謝罪と正しいデータの報道を繰り返さなくてはならないとか。
そういう緊張感もないまま、市場関係者の個人的意見をあたかも全体の事実のように報道するのは甚だ疑問でしかない。
BPOはしっかりと仕事をしてほしいし、例えば民法の流したニュースを変わりにNHKが検証してくれるっていうなら受信料だってこれからも喜んで払いますよ。
芸能人のゴシップを流す感覚で人の命に直結する情報を扱わないでほしい。生殺与奪に影響があるのだから殺人に加担するかも知れないくらいの自覚を持ってくれ。
結果ありき、擁護ありきのせいで組み立てがグチャグチャ。
最たる例として、以下の文がある
「真剣な」恋愛経験をたくさんつむ(一見、矛盾するようだが、要するに周囲からは一途な人間と見られることが絶対条件で、かつ恋愛経験を数回積みましょうということ。何十回も積む必要はない)
「恋愛経験をたくさん積む」ことができるなら非モテじゃねーだろ。頭沸いてんのか。
でも、人生はめちゃくちゃ長いということも忘れないでほしい。基本的に恋愛工学は、(恋愛対象としての)女性を一人の人間としては見ない。そういう価値観で一生を過ごすのは、恋愛工学で結果が出ても出なくても、そうとう辛いものになると思う。特に年齢が上がっていくにつれて、めちゃくちゃしんどいだろう(が、これは私の個人的意見)。
餓死寸前の人間にカロリーやら胸焼けやらの話ししてどーすんの?マジで頭逝っちゃってるんじゃねーの?
https://note.mu/sumomodane/n/n514814103a9e
がバズってる。
提示されている調査結果自体は、男性から見ると概ね納得いく内容のように思う。
が、実際には、すもも氏自身が、「進化生物学的な意味での男女間の認識の違い」に無意識のうちに支配されているために、論証がおかしな方向にいってしまっている。この認識の違いは、モテ議論がすれ違う主要原因のひとつなので、ここで整理しておきたい。
まず、妊娠出産に対するコストが男性と女性には非対称性があるために動物として確実に子孫を残すためにとる戦略が完全に異なることが知られている。
単純に言うと、
動物としての女性は、なるべく信頼のできる男性と長期的関係を持つことを優先する。
(例えば:https://diamond.jp/articles/tachibana-print/195501?page=2 を参照)
この傾向は、現代においても、ある程度残っており、上記のような動物的価値観を持つ人は少なくない。その結果としてて、社会的平均値としての「モテ」は
男性にとっては「多くの女性から恋愛対象としてみてもらえること」であり
女性にとっては「自分が良いと思う特定の男性から長期的に愛を独占できること」である。
(あくまでも平均値の話であり、例外はもちろんある。また、メディアなどで、男性的モテ価値観を役割的に演じる女性もいる)
そのことを踏まえて、上記の記事の調査結果(男女間での告白する・される回数の非対称性)を見てほしい。
この結果を見て、
平均的な男性は「異性から告白される回数が多いなんて、女性は得してる。いいあな。うらやましい。」と思い、
一方で、平均的な女性は「目当てじゃない男性から恋愛対象として見られても困るだけ。『恋愛工学なんて、そんな馬鹿なことを言ってないで』一人の女性からの愛を長期的に独占できるように努力したら?」
と考えるわけである。
そして、「恋愛工学」は上記の動物としての男の価値観を絶対視し、それを手に入れるための効率的なマニュアルになっている。
動物としての女であれば、「サイテー」と感じるだろう。
このように、モテに関わる議論のすれ違いの多くは、無意識における「モテ」の定義の違いに起因すると言ってよいだろう。
と、このようにまとめたところで、「非モテ男」はどうしたらよいか?
もしあなたが「人生において動物的価値観を全うできる。貫き通せる」と思うなら、恋愛工学に傾倒するのもいいかもしれない。
でも、人生はめちゃくちゃ長いということも忘れないでほしい。基本的に恋愛工学は、(恋愛対象としての)女性を一人の人間としては見ない。そういう価値観で一生を過ごすのは、恋愛工学で結果が出ても出なくても、そうとう辛いものになると思う。特に年齢が上がっていくにつれて、めちゃくちゃしんどいだろう(が、これは私の個人的意見)。
では、「動物的価値観に人生を捧げるのは嫌だけど、でも、モテなくてものすごく苦しいよ」という男性はどうしたらよいか?
簡単にまとめると
これしかない。
告白は「ほぼ100% OKしてもらえそう」というときにするものであって「一か八か、これで逆転するぜ」という道具ではありません。ましてや「会ってから2時間で、大して盛り上がってないけど、いっちょやってみっか」というものでもありません。そういうのは恋愛強者のやることです。
まずは友好な関係を築き、最低でも2~3回くらいデートを重ねて「これは大丈夫」となってから告白しましょうね。
ん? なんで男性だけがそんなに頑張らないといけないのかって? それは非モテ男性へのアドバイスだからです。非モテ女性には、また別のアドバイスがあるでしょう。
元記事の、「モテる努力をする」「高望みしない」「自分からアプローチする」は、男女ともにやったらいいと思いうよ。
(元?)非モテ男より
登録サイトとか商会所とか絶対無理のコミュ障・オタク・うつ病・非正規という
無理すぎる案件を自分自身でも自覚していたので、某オタク婚活に参加しました。
女性は2000円男性8000円でした。受付で身分証明書出すのが必要。
最高20人(男女半々)で最初は3分間の制限時間で相手と話す。
プロフィールカードがあるので相手に渡してそれを見て話したり質問する。
自分は「音楽:80年代メタル好き(ガンズ・ハロウィーン・ホワイトスネイク)と書いてたら聞いてくれた男性もいたよ。
他の参加者女性は「銀英伝(田中芳樹)」と書いてる人は人気があった。
しかし参加者全員と話す結構大変、3分で相手のすべてがわかるわけないし、それを10人×3で30分しゃべるので。
個人的意見だと、女性はパステルカラーの落ち着いた服とメイクの方が人気でしたね。
あと女性は年齢が若いほうがやはり有利です。悲しい現実だけど…
男性は、やはり清潔感ある服装(それが例えGパンでも)のある人が人気。
10回ほど通いましたが、オタク婚活なんで、同じ女性参加者と話すのが楽しくて通ってたところもあります。
「アニメの●●好きなんですかー?」
「押しは誰ですか?」
「****くん!」
「私も~♪」
こういう会話が楽しくて、名も知らぬ参加者(婚活パーティなんでライバルのはずなんだが)と楽しくお話してました。
不思議なことに男性のほうはこういうのはなく、みんな黙ってドリンク飲んでましたね…
「7回も参加してるのになぜ選ばれないの!?」と
増田はもっと気楽に考えるといいと思う(無理かもしれないけど)
「ジャンプ読んでハンターハンター載ってたらラッキーだなあ」くらいの軽い気持ちで言ったほうがいいと思います。
あとはやはり、服や髪型の清潔感は大事なんでそこを気をつけるべきかもしれません。
(全体的に参加者の男性はチェックのシャツで来ている人が多かった…)
参考になるかわかりませんが、すいません。
登録サイトとか商会所とか絶対無理のコミュ障・オタク・うつ病・非正規という
無理すぎる案件を自分自身でも自覚していたので、某オタク婚活に参加しました。
女性は2000円男性8000円でした。受付で身分証明書出すのが必要。
最高20人(男女半々)で最初は3分間の制限時間で相手と話す。
プロフィールカードがあるので相手に渡してそれを見て話したり質問する。
自分は「音楽:80年代メタル好き(ガンズ・ハロウィーン・ホワイトスネイク)と書いてたら聞いてくれた男性もいたよ。
他の参加者女性は「銀英伝(田中芳樹)」と書いてる人は人気があった。
しかし参加者全員と話す結構大変、3分で相手のすべてがわかるわけないし、それを10人×3で30分しゃべるので。
個人的意見だと、女性はパステルカラーの落ち着いた服とメイクの方が人気でしたね。
あと女性は年齢が若いほうがやはり有利です。悲しい現実だけど…
男性は、やはり清潔感ある服装(それが例えGパンでも)のある人が人気。
10回ほど通いましたが、オタク婚活なんで、同じ女性参加者と話すのが楽しくて通ってたところもあります。
「アニメの●●好きなんですかー?」
「押しは誰ですか?」
「****くん!」
「私も~♪」
こういう会話が楽しくて、名も知らぬ参加者(婚活パーティなんでライバルのはずなんだが)と楽しくお話してました。
不思議なことに男性のほうはこういうのはなく、みんな黙ってドリンク飲んでましたね…
「7回も参加してるのになぜ選ばれないの!?」と
増田はもっと気楽に考えるといいと思う(無理かもしれないけど)
「ジャンプ読んでハンターハンター載ってたらラッキーだなあ」くらいの軽い気持ちで言ったほうがいいと思います。
あとはやはり、服や髪型の清潔感は大事なんでそこを気をつけるべきかもしれません。
(全体的に参加者の男性はチェックのシャツで来ている人が多かった…)
参考になるかわかりませんが、すいません。
以下は15年くらい経験のあるWebエンジニアとしての個人的意見
ただし、GitHubプロフィール/WebアプリのURLについては、就職活動のための個人情報が含まれている可能性があること、宣伝すべきでないことから、ここで公開をすることはありません。
仕方がないけど成果物を見てみないとレベル感がわからないからアドバイスしにくいなと。
だとしても応募してよいかと。求人サイト経由より直接応募の方が目にとまりやすいかも。最近のITベンチャーなら大抵は現場のエンジニアが直接面接することが多いし、そういう会社であれば
GitHubで、Issueを立てたりPull Request(数行程度)を送ってmergeされたりした経験が合計で10回
この辺のリンクを貼っておけば見てくれるかもしれないし、内容によってはちゃんと評価してくれるかと
面接官の誰一人にもモダンなJavaScriptといったものを理解してもらえなかったのが辛かった
あとはJSが好きならそれ系の勉強会とかでLTするなりすれば名前売れるし、応募時にもスライドのURLが成果として使えるね。
ここでは社名とか書けないけどもしうちに応募してきたとしたら門前払いはないかな
もし時間が有り余ってるならAtCoderとかで競技プログラミングとかやってみたりするのもいいかもね。そういうのも実務経験以外での実力を証明する手段の一つかと。
「どーしょもないグチグチにコメントなんて付かないだろ」と思っていたんですが、凄く丁寧なお返事を頂けて嬉しいです。ありがとうございます。
他の方にもコメント頂いていましたが、既に記事自体を削除されたようで読めませんでした。残念です、お返事したかったです。
友人のアドバイスは、まぁ的外れではないのがわかりました。もう少し周りの意見(実際に働いている人)を聞いて回ってみようと思います。
ボチボチやってみたいです。なんていうか今、凄く自分で自分を焦らせて、そのくせに「だからだめだ」と自傷気味な数日を過ごしていました。この一文に救われました。
今の仕事が無事終了したら、バイトとして週2くらいで別のお店で働くことは可能なので、必要最低限のお金だけ稼いで勉強に費やす時間を増やしてみようと思います。
めちゃ嬉しかったです!ありがとうございます!
・どうしてこの世界を選んだんですか
元々Webに興味があって、中規模のWeb制作会社に就職したけど、病んでしまったので、1年の闘病生活の後、仕方なしにフリーランスになったよ!意識低いよ!
病気がなおった後、迷惑かけた所に挨拶したら、元いた会社のクライアントが何人か覚えていてくれて、仕事くれたよ!
もちろん元の会社には仁義を通したよ!(大きな仕事になったら、元の会社を通してもらうとか色々)
・上の要約はあなたにとっては実感通りですか
んーまあ、実感どおりといっていいんじゃないかと思うよ!
いい友達だね!
・いきなりフリーなんて無理
まずこれだけど、
どのスクールを見ても大体同じような事が書いてあります。「フリーで高収入」的なやつ。もしくは「勉強して6ヶ月で月収50万」とか。
こういう話が嘘だとは断定できないけど、こういう形で仕事頼んでくるクライアントは大人しく制作会社に依頼するクライアントではない事は確かだよ!
お金を払いたくないか、自分でエンジニアの力量を測れる自信があるかどっちか!
前者だとキツいことが多いよ!
いきなりフリーランス&ネットで仕事をとろうと思ったら、そういうクライアントと付き合えるか、振り回されないか、という点を自問自答する必要があるよ!
・でも手に職ってのはまじ。
まじ。こんなどうしようもないおっさんでもやっていけるぐらいだからね!
あと能力はプログラミングスキルだけではないよ!コミュ力とか交渉力とかのビジネススキルもあると便利だよ!
フリーランスはクライアント次第で簡単に死ぬから、まずまず信用のあるクライアントとやろうと思えば
今日も仕事が終わったらmacbookを開いてチマチマと初歩の、本当の初歩のコードを打って「おー文字が返ってきた」とかやっていると思います。
楽しいのはいいことだよ!ブログにあるように、目的のない勉強は逃避かもしれないけど、
大前提として、下記は強く言っておきます。
・今から僕がこのレスに書く事は、会社組織の先輩や上司が後輩や部下に口が裂けても言ってはいけません。
・飽くまで物作りの世界の住人の話であって、一般業務に携わる人には当てはまりません。
・飽くまで杉森の主観、個人的意見です。— 杉森 雅和 (@m_sugimori) 2019年4月23日
良い事教えたげようか。
今、君が休んでる今も先輩は作ってるか作る準備してるか構想練り続けてる。
君と同じ歳の頃、あのデキる先輩は君の倍作品に向き合ってた。
気が狂いそうなくらい。
いや、既に狂ってたのかも。
学生の頃から好きで好きで作り続けてた人たちだよ。— 杉森 雅和 (@m_sugimori) 2019年4月23日
君の「才能」だけで、その人たちに追い付ける?
追い越せる?
中にはそういう新人……正確にはそう見える子もいるだろう。
でもね、そういう子って実は見えないところで尋常じゃない数作ってるよ。絶対に。
そう、今トップに立ってる先輩らと同じように、
息を吸って吐くように。— 杉森 雅和 (@m_sugimori) 2019年4月23日
好きでやってる事に制限(残業禁止)掛けられる事に怒るのは分かるけど、
嬉々としてそれを受け入れるのは僕には分からない。
好きな事をやり続ける事がブラックなんてはずがない。
どの世界のプロも24時間それに捧げて、
それでも足りなくてもがいてんだから。— 杉森 雅和 (@m_sugimori) 2019年4月23日
君らがこれから生きる世界の本質ってこんななんだよ。
社会は変わった?
違うね。
それは「君が先輩らに追い付けないようにする為の罠」だ。
僕は君らが罠にハマらず、僕らを打ちのめす作品を作ってくれる事を祈ってる。
僕も先輩らにそうしないといけないから。
死ぬまで作り続けるんだよ。ね。— 杉森 雅和 (@m_sugimori) 2019年4月23日
重ねて言いますが、これは物作りの社会の話です。
一般社会の話ではないのでお間違えないようお願いします。
あとくれぐれも!
今僕が書いたのは社内とかで言ってはいけません!
上が下に言うのは100%パワハラになりますし、
100%ブラックですww
お気を付けてくださいねw— 杉森 雅和 (@m_sugimori) 2019年4月23日
書いた事が世間からズレてる自覚はありますし、
本来は己の矜持として持つ事で他人に言う事ではありません。
でもどうにも昨今の何でも「ブラック」な風潮
(というより、それをゲーム業界の人間まで言い出す事)
に納得いかずつい書いちゃいました。
反省はあんまりしてない。— 杉森 雅和 (@m_sugimori) 2019年4月24日
杉森雅和
すぎもり まさかず
最初はカプコンに所属しており、1999年から2003年まで在籍。代表作は『逆転裁判』や『ビューティフルジョー』など。
その後、2007年から同じく元カプコン所属の甲田雅人氏や長谷川憲人氏と共にデザインウェーブに所属している。
https://www21.atwiki.jp/gamemusicbest100/pages/3573.html/
追記:
世界に名の知れた先輩や元上司の方達がこぞって必ず言うのは
「最近の若い子にはもう何にも強く言えない。
ちょっと言うとすぐパワハラ認定されるし、そいつ辞めちゃう」
「もう僕大人しくしてるよ」
なのです。
こんなの寂しくないですか(´・ω・)?
物作りの業界は、こうではいけないと思うのです。— 杉森 雅和 (@m_sugimori) 2019年4月24日
自分が若手しばきたいだけやん
備忘録程度に
一般に、日本社会学において査読論文は重視されます。特に、若手にとって査読論文を出すことは研究業績を重ねる上で、非常に重要であると考えられています。
ただ、以下の三点が一般的な「アカデミア」のイメージとずれているため、わかりにくいところかなと思います。
日本社会学においては雑誌の格が明確に決まっておらず、これがIFやh-indexで論文の格がある程度自動的に決定される理系(+経済学)と違うところです。
たとえば、おそらく日本社会学で一番格が高い雑誌は日本社会学会が発行する『社会学評論』でしょうが、これに掲載が決まったからと言って、マーケットにおいてダントツに評価が高くなるということは無いですし、掲載率も25%程度とそこそこ高いです。
一方、関東社会学会が発行する『年報社会学論集』や関西社会学会が発行する『フォーラム現代社会学』なども掲載率は同程度ですし、評価もされると思われます。つまり査読論文の質がジャーナルの格によって決定される、という仕組みが弱いです。これは社会学の領域の多様性+手法の多様性+後述する国際意識の弱さに起因していると思われます。
また、『思想』『現代思想』といった一部商業雑誌や、『ソシオロジ』『ソシオロゴス』といった同人誌に近い形態を取る査読雑誌が、ある程度の評価を受けているという点も特殊かな。
依頼論文が査読論文より偉いというのはまず無いと思いますが、一方で依頼論文が評価されないということもないです。一般に依頼論文は査読論文と同程度の評価を受けているかと思われます。
エライ社会学者ほど査読論文を書きたがらない、というのは事実です。というのも、彼らは自分の考えたことを本にしてまとめてしまうからですね。
ではなぜ本にしてしまうのかというと、査読を受けたがらないというのも確かにあるのですが、概ね①社会学ギョーカイは一定程度の市場があり、エライ教授がまとめた(キャッチーor教科書になる)本は出版社としても出したがる傾向が依然としてある②査読プロセスが長い(半年-2年)ため、自分の考えをとっとと出せる本のほうが魅力的③先述した社会学の領域の多様性+手法の多様性により、査読による集合知が先駆的研究の場合働きにくい場合があるという点のほうが大きいかなと思います。
特に特殊なのは①ですね。この日本社会学の市場の大きさが与えたアカデミズムへの影響は、無視できないと思います。
日本社会学がどちらかというと内向きな傾向にあることは否定出来ないと思います。比較的国際化が進んでいるのは計量分析が盛んであり、アメリカ社会学と親和性が強い家族・人口・ネットワーク社会学の一部と、伝統的に留学風潮の強い学説史・理論でしょうか。とはいえ後者はいわゆる「国際化」とはずれてますが。いずれにせよこれら以外の領域では、英仏独語で論文を書くという行為はあまり一般的ではないです。
ではなぜ内向きなのかというと、前述したように社会学が比較的まだ「売れる」学問だから、というのが大きいように思います。つまり国内マーケットの中で、研究にせよ知名度にせよ院生にせよある程度獲得できてしまうという現状が、外に目を向けない元凶かなと。
もちろん社会学という学問が、もともと世界的な共有知を探求するというよりも、個別特殊的事例や、異なる側面からの理論体系を構築する研究を好む傾向があるということも大きいでしょう。
ただ、国際化されてないからと言って国際化が評価されていないかというとそういうことはなく、IFを持つ海外査読誌に論文が載ることは、希少故に非常に意義があるものとして認められています。
上記したように、社会学においては論文の格は雑誌によって決定されず、査読論文と依頼論文の区別は曖昧であり、内向き志向である。とすれば一体研究者評価はどのようになされているのでしょうか?
この問に答えるのは容易ではないですが、平均的な回答をしておきます。
まず重要なのはこれで、博論で単著が出せるか、出したあと評価されるかは、研究者個人の評価に決定的な影響を及ぼします。
一部大学院で未だに課程博士をなかなか出したがらないのは、これも影響しています。つまり単著で出せるような博論でないと、そもそも就職が覚束ないという考えなんですね。
査読論文の格が特に決まってないとはいえ、査読論文が重要な評価対象とみなされているということは、先述したとおりです。ですので、いきおい査読論文の数は、若手研究者の就職にあたって非常に重要です。いくら良い博論を単著で刊行できたとしても、査読論文がない研究者が就職することは(比較的)難しいでしょう。
ではどのくらい必要なのかということですが、だいたい就職までに3~4本(紀要除く)書いているのが一般的なようです。
なお、海外著名ジャーナルや『社会学評論』に載っていると、当然その分評価されますが、評価が格段に良くなるということは無いように思います。これが「格がない」という言葉の事実であります。
どういうことかというと、結局いくら査読論文が重要とはいえ、それ以外の仕事というのも社会学では評価の対象となります。つまりムラのネットワークの中で、いかに仕事(ブックチャプターや非常勤講師など)を貰えるかが、結果的に研究者評価において非常に重要なファクターとなるんですね。コネで採用されるというのはほぼなくなったと思いますが、未だに特定の大学の院生が比較的就職しやすいのは、あるネットワークに所属していると、比較的研究業績を増やしやすいということもあると思います。こうした状況の中で若手研究者は業績を稼ぐために媚びへつらい、顔を売り、己が付き合っていて気持ちがいい人間であることをアピールするために、愛想笑いを浮かべながら査読論文の抜き刷りを配り歩くのです。
とはいえ、これは一般的な「社会」でも一緒ですからなんとも言えないですね。とかくこの世は世知辛い…アカデミアがコミュ障の楽園だと思っていたら、実はベンチャー企業の営業と類似のスキルが必要であることを痛感するのは、博士課程進学後になってからなのです。
ちなみに一部の大学ではこうした制度を公的に備えているところもありますが、これは先述したネットワークが発達した大学への対抗実践として見ることもできるでしょう。
なお社会学ムラ内でのふるまいのコードは、一般的な民間企業とも、いわゆる「アカデミア」の無縫さとも異なる独自の体系があるのですが、それは省略
この場合のヒーローは特定の作品や人物というより、幼い子供が憧れるもの全般だ。具体的にはアンパンマンだとかプリキュアだとか戦隊ヒーローだとか。人によってはロボットアニメなどもこの括りに入るのかもしれない。
これはあくまでも私の意見であり、吐き出し用の記事だ。なにかを呼び掛けたり共感を求める内容ではない。
以下、特定のものに対して『気持ち悪い』などと言うが、該当のものを愛好する方を否定する意図ではない。
物心ついた頃から日曜の朝は戦隊を見ていた。当然その後(今は順番が変わってしまったが)のライダーだのプリキュアだのも見ていたが、何より戦隊だった。
その素晴しさについては今回関係がないので割愛するが、私はその長寿シリーズが持つ魅力に取り憑かれ、自分の生まれる前の作品までレンタルで視聴するようなオタク予備軍になっていった。未就学児の頃のことである。
その情熱は小学校高学年くらいまで続いた。私は小学4年生くらいの頃からインターネットを使い始めたのだが、当時一番の楽しみはWikipediaで好きな戦隊のページを見ることだった。
結局、現行の作品にハマれなくなってきたり他のジャンルのオタクになったりして、中学に上がる前には戦隊から離れてしまったのだが。
あの頃と異なり、今の私はオタク予備軍ではなくただのオタクである。中学時代はpixivで二次創作を漁り、高校時代は即売会や専門店で同人誌を漁った。
そんな私が好きな戦隊の名前をpixivの検索欄に打ち込むのは当たり前のことだ。
そうしたら出てくること出てくること、18禁のオンパレードだった。
これは私の個人的意見だが、古い作品であればあるほど18禁の割合は高い気がする。ニッチなオタクしか残らないからであろうか。
女性戦士のあられもない姿は沢山、男性戦士の特殊性癖を含んだ作品もあった。無理だった。気持ちが悪かった。
絵の技巧は関係ない。小学生レベルの殴り描きもあったし、プロレベルのCGもあった。どれもすべからく気持ち悪かった。サムネイルの時点でげんなりとしてしまい、結局ろくに普通のファンアートを探せなかった。
女性向けのいわゆるBLは数が少なかった(こういうのはもっと隠れているのだろう)が、少ないながらに検索に引っ掛かってしまったそれらもまた気持ち悪かった。露骨な性的描写がなくとも、作者の思惑が透けている気がしてダメだった。
ヒーローピンチ、などと呼ばれる嗜好だ。普通に検索エンジンでヒーロー名を検索していたら、この嗜好の方が追い詰められた戦士たちのスクリーンショットをまとめたサイトが引っ掛かってしまったのだ。
簡単に説明すると、ヒーローが怪人などに追い詰められる様や苦しげな姿を愛好する嗜好である。私はここに、特殊性癖的な加虐性を感じてしまった。これは私の感じ方が間違っているのかもしれないが、一度そう見えてしまうともうダメだ、気持ちが悪い。
二次創作と違い性描写があるわけではない。ただ公式の画像を無断転載しまとめているだけだ。
そこで私は自覚した。私は『ヒーローへ向けられる性欲』を気持ち悪く感じているのだと。
二次元だったら推しのえっちな本が大好きだし、三次元でもAVとかは全然良い。
ただ、ヒーローがえっちに見られているのが嫌なんだ。多分まだ見ていないだけで、仮面ライダーのエロ同人とかも絶対見られないと思う。アンパンマンとかプリキュアはそこまで好きでもなかったから多分平気だけれど。
っていうだけの話。