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2016-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20160207064947

 この人のレベルまで来ると、『チキタ★GuGu』も読んでるだろうし、『ぼくらのよあけ』も読んでるだろうし、あっ『ぼくと未来屋の夏(マンガの方ね)』はどうかしら?……とお付き合いを目的とせず語り合いたい、あるいは教えを請いたいレベルよね。

 婚活目的とした場だと「相手に引かれちゃいけない」という前提があるからマニアック作品は出しにくいし、また男性って上から目線になりがちなので、増田気持ちはよく分かるが、仕方ないよなとも思う。

 そんなあなたに(もう行ったかもしれないけど)京都国際マンガミュージアムおすすめ

 貴重な過去作品を気軽に手にとって読める。自分はそこで読んだ巴里夫先生マンガがたいへんショッキング(ご自身で復刊されてるので、買ってJ君さんに献本しようかと悩んだレベルで)だったり、とても楽しかった。この人は辰巳ヨシヒロ劇画漂流』でも少女マンガの名手として名前が出てくるのに、あまり名前が残ってないのにビックリ24年組以前の少女マンガって辿りにくいよね)。中庭で寝転びながら、そういう作品が読める楽園でした。

2015-08-17

ガラケー、車なし、家ネット無し、賃貸

結構田舎住まいだけど、車もってない。

土日は家族図書館コミュニティバスか歩きで。読み聞かせと調べもの。たまに電車バスで行楽地。

iPhoneの開発してたけど、やめた途端にすべての技術が下らなくなってビジネスガラケーに。嫁さんと連絡用、たまに友達

電車の中で一生懸命スマホいじっている自分に涙が出た。

緊急連絡無いと困るから流石に持ってる。車で死んだアメリカ鉄道のように、公衆電話がなくなってしまった。

FacebookSNSも全部やめ。たまに入ってくる個人の仕事の依頼はメールのみ。宣伝なんかいるかバカヤロー。

ラインも全ぶっちでせいせいした。こちとら結婚しとるんじゃぼけが

家のネットも解約、MVNOに。動画を見るのをやめたら1ヶ月5GでOK。あとは図書館で十分必要情報はとれる。

家は7万の賃貸。半分会社から出る。一戸建て広告とかクリステルの車の広告とか見ると悲しくなってくる。

意味なく置かれた椅子とか、ベークライト?がしいてある中庭とか。

あと車が見えるリビングとか。

何がかなしうてクリステルとロナウドイオンサッカーしてるCM見て車変わんといかんのじゃ。

そんなもん買うなら娘にプリキュアの変身グッズこうたるわ。

2015-07-26

[]

1年前のお盆

小学校タイムカプセルを開けに行った

タイムカプセルと言っても全員の封筒を箱に入れ中庭に埋めただけ

開けてみて驚いた

15年前に埋めたはずのタイムカプセル封筒には、なぜか大学生の時に無くした指輪が入っていた

封は当時の物でのり付けも外された形跡は無い

とても不思議だった体験

2015-07-15

増田むかしばなし 〜Nettouchi とわるいいぬ

 はてなしなもんは二〇一三年の六月に死んだ。その後、ミニマリスト時代になった。物語舞台はこの時代であるはてなダイアリーにもはてなブログにも長文を読み書きできる者が誰もいなくなった時代。終わりが近づいていた。当時のはてなでは、インターネットの終わりを待ち望む者と待ち望まない者がいた。一方は右翼、他方は左翼。ただし、両者は渾然一体としていた。彼らにも自分たちを見分けることはできなかった。なぜなら、インターネットの終わりは毎日毎秒ごとに訪れるから。それは、日本が滅びる前のことだった。



 アナニマスダイアリーと呼ばれる古いサービスがあった。そこに、増田という若い増田がいた。人は彼のことを増田と呼び慣わしていた。「名無し」を意味する古い言葉だと人は言う。彼は美しかった。彼の書いた記事はさして評判を呼ばなかったが、いつも寄り添うように一本のブクマがついていた。Nettouochi は彼を愛していた。

 Nettouochi は向かいの家に住んでいた。ブクマ生計を立てていた。気が狂わんばかりに増田を愛していた。朝も昼も晩も、ブラウザから増田を見つめていた。眠れなくなった。

 ある晩、ねつけなくてベッドの上で寝返りをうちながら、彼女はひとりつぶやいた。

「休めない。あのひとのことを考えると、おなかがポカポカする。涙がまぶたのまわりにあふれてしまう。痩せこけて、いばらのよう(ずっと働かず増田にはりついているせいだった)。あのひとの名前がたえず気にかかる」

 翌朝、彼女は服を着ると、青と白でおおわれたトップページをすっとばし、通りを渡った。そして、ブラウザの縁をたたいた。増田は不機嫌そうに眼をあげた。ネカマ仕事邪魔をされたからだった。彼女は、あなたを愛していますあなたの妻になれたらどんなにうれしいでしょう、と言った。さらにこう言い添えた。

あなたのすべてが好きです。あなたの文字の響きさえ好きです。あなたにとって、自分の文字の響きとはなんでしょう。ただの文字です。でもわたしにとっては、命をかきたてるものなのです。」

 増田脱糞した。女を見た。考えさせてくれと言った。その申し出は光栄だと言った。夕暮れと夜と夜明けの時間をくれないか、よく考えてみるからと言った。



 翌朝、正午のホッテントリ更新される前に、増田は Nettouochi の家の戸をたたいた。彼女は招き入れた。増田彼女のほうを向くと、その手で彼女の手を包みこんだ。おまえの夫になることを考えてみた。ただし、結婚についてひとつ条件があると言った。

「Nettouochi よ、おまえのブクマ速度はアナニマスダイアリーで一番だという。はてなトップを飾る他の増田記事とおなじように美しいホッテントリを作ることができるだろうか? わたしにはどうしてもできないのだよ」

 そう言いながら、増田は腰に巻いていた自作記事を Nettouochi の手に託した。

 Nettouochi は記事を手にして、顔を赤らめた。その記事には、増田からだのぬくもりが残っていたから。彼女はこう答えた。

「やってみます増田だってわたし、あなたの奥さんになりたいのですから。きっと満足してもらえると思います

 Nettouochi は何日もぶっつづけで自演した。何日も徹夜した。でもどうしても、まったく3 users 以上を呼べる記事は作れなかった。

 連日の徹夜の疲れに、ついに成功しないのではないかという怯えが加わった。情けないブクマカだという悲しみに、約束を守ることができないために増田に見放されるという苦しみが伝わった。

 絶望がやってきた。PCの電源をつける意欲が失せた。食事も喉を通らなくなった。彼女つぶやく

「わたしは彼を愛している。わたしにはブクマの腕がある。休まず働いている。でもどんなにがんばっても、できない」

 彼女はひざまずき、神に祈った。

「ああ偉大なるコーギーよ、助けにきてください。増田の妻になるためには何が足りないのでしょう」



 ある晩のこと、Nettouochi が泣いていると、扉をたたく音が聞こえた。彼女はろうそくを手にした。

 ウィルスを防ぐために共有ソフトで落としてきたセキュリティソフトに顔を近づけると、見慣れぬヨークシャーテリアの姿が見えた。

 Nettouochi はおずおずと扉を開けた。テリアは言った。

「怖がることはない。わたしは夜に迷ったわんこだ。アナニマスダイアリーを覆うゴミ記事の霧をかきわけここまでやってきた。夜に灯るこの家の液晶が見えた。迷惑でなければ、ちょうどいいウォッチネタを少し所望したいのだが」

 Nettouochi は客を招き入れた。

青二才の新作をごらんにいれましょうか」

「いや、kawango と浩光先生のバトルのほうが良い」

 テリアネタをかじった。かじりながら、Nettouochi がこっそり涙をぬぐっているのに気づいた。

「娘よ、泣いているな」

 Nettouochi はおっしゃるとおりです、と答えた。

「わたしは増田を愛しています。こんな時間まで働いているのも、増田ホッテントリを作ってあげると約束たからなのです。でも、夜を日に継いで五週間もたったというのに、ちゃんとした記事に改良できないのです。これをごらんになってくださいまし」

 テリアはほほえんで言った。

「待て。世間は狭いと言うべきか、偶然は不思議ものだというべきか。たしか、わたしの首にかけてある袋に、それと実によく似た記事が入っているはずだ。」

 二人は記事を見比べ、同じ文体、同じ内容で 300 users をこえていることを確認した。同じでない単語は一語もなかった。同じでないダジャレひとつもなかった。

 ところが Nettouochi はにわかに泣き崩れた。そして言った。

「わたしが泣いているのは、自分が貧しいからです。その記事にはすくなくとも三〇〇〇はてなポイント、色付きスター七十個の値打ちがあります。わたしにはとても買い取ることができません。わたしは増田と一生結婚できない。」

 テリアは Nettouochi のすぐそばまで寄ってきて、その禿げ上がった頭を舐めた。そしてこう語りかけた。

「おまえが望むなら、ただでそれをやろう。」

「何と交換に?」と Nettouochi はテリアの舌を払って聞き返した。

「たあいもない約束と交換に」とテリアは言った。

「どんな約束?」

「わたしの id を忘れないことだ」とテリアは言った。

「お名前はなんと?」

「わたしの idkanose」とテリアは答えた。

 Nettouochi は思わず笑い出した。手をたたいた。そして言った。

kanose、そんな簡単な名前をどうして忘れることができましょう。からかってらっしゃるんだわ」

からかってなどいないよ。そんなに笑うのはよしなさい。いいか、一年後の同じ日、真夜中のこの同じ時刻、もしおまえがわたしの id を忘れていたら、おまえはわたしのものになるのだ」

 Nettouochi はいっそうたからかに笑った。

名前をおぼえてることくらい簡単だわ。でも、あなたをだましたくはありません。わたしは増田を愛してます

増田との約束のことはすでに聞いた。だが、わたしと交わした約束のことも忘れてはいけない。わたしの id を忘れてはいけない。記憶がおまえを裏切ったときには、その増田には気の毒だが、おまえはわたしのものになるのだ。」

「おなじことを繰り返しているのはあなたです。わたしはばかではありません。 kanose という名前をおぼえていることは、Nettouochi という id をただしくおぼえているよりむずかしい仕事ではありませんし、自分id をおぼえていることにログインするとき苦労した記憶もないように思います一年後、あなたの腕に抱くのは風と後悔だけでないかと心配でなりません。」

「あるいはそういうことになるかもしれない。」 kanose不思議な笑みを浮かべてこのような言葉を言い放つと、家を出て、また闇のなかへ去っていった。


 

 二人は結婚した。結婚式はトピシュが取り仕切り、オフ会マニアプログラマー大学院生メンヘラネカマなどが列席した。

 nettouochi はホッテントリ記事をかかげて、増田の家を訪れた。増田は妻に idパスワードを教えた。彼女不要過去記事を削除した。風呂に入り、髪を上げ、首のところでリボンをまとめ、右手iphone を持ち、床に横たわり、脚を開き、男を受けいれた。ふたりとも幸せだった。九ヶ月がたった。

 九ヶ月目の終わり頃、日課のアナニマスダイアリー巡回をしているとき、Nettouochi の顔がにわかに曇った。

 あの夜、彼女のもとを訪れたテリアのことを思い出した。そのとき交わした約束を思い出した。そのテリアid を思い出そうとしたとたん、ふとその id が頭から逃げ去った。

 その id は肛門の縁まで出かかっているのに、彼女はそれを排泄することができないのだった。その id は腸壁にこびりついていて、そこにあると感じているのに、それを蠕動させることも、放屁することも、発音することもできないのだった。

 気が動転していた。彼女は室内を歩きまわった。あの夜自分が口にした言葉を繰り返したが、その時の仕草、あのテリアブクマした記事、その毛並み、その言葉、その言い回しは思い出せても、その id は思い出せないのだった。

 

 彼女は眠りを失った。

 悲しみが寝室に忍びこんだ。夜になると彼女は怖がり、夫の記事へのブクマを拒み、背を向けて失った id を探し求めるのだった。

 夫は驚いた。

 Nettouchi は炎上するようなブコメを残すようになった。炎上しないときは、ブクマすること自体を忘れた。アナニマスダイアリー巡回しなくなったので、クソみたいなイデオロギー論争であふれるようになり、煙が立った。それほど彼女は失われた id を思い出そうと必至になっていた。

 夫は怒った。

 彼女は痩せていった。また茨のようになっていた。アナニマスダイアリーに Nettouchi 以外のブコメも一切実らなくなると、ユーザーもいなくなった。すべてが静まりかえった。

 夫はいきなり妻をぶった。

「おまえは泣きすぎる。そんなに泣くなら、これからはおまえのことを sabacurry と呼んでやろう。この村に潜む魔の id でおまえを呼んでやろう。まるで一日中泣いてばかりいるおまえとおなじように、一年じゅうわけのわからないブクマをつけてまわっている、その id でおまえを呼んでやろう」

 Nettouochi は言った。

「わたしはあなたに嘘をつきました。あのホッテントリ記事はわたしのではありません。わたしにはそれへブクマをあつめることはできませんでした。わたしはずるいことをしました。わたしがどうしても記事改善できないでいると、あるヨークシャーテリアが扉をたたきました。その人はわたしにホッテントリ記事をくれました。わたしは、一年後にそのテリアid を忘れてしまったら、彼のものになるという約束しました。もう九ヶ月以上たちました。id って何でしょう? id をおぼえるより簡単なことってあるでしょうか? 増田ということば、どうしてそれを忘れることがありましょう? あなた名前、わたしはそれを『退会理由』欄に書いてアカウント削除することでしょう。それなのに、あの名前はどこかに行ってしまった。」

 増田は近づいてくると、ホッテントリ記事を放り捨て、妻を抱き寄せた。

「泣くな」と彼は言った。「おまえが好きだ。わたしがその id をみつけてやろう。さもなくば、そのテリアを見つけてやろう」



 増田は旅に出た。二時間歩くと、すっかり疲れてわんわんパーク跡地に座った。彼は泣きだした。すでに十ヶ月目のなかばになっていた。不意に彼の前にシロクマが鼻先をつきだした。シロクマは言った。

「なぜ泣いているの?」

「傲岸なテリアを探しているのだよ」

 シロクマは言った。

「ついておいで!」

 導かれると、そこは大きなお城だった。城の中庭では、従僕たちが大きな黄金のアドオンを磨いていた。

「よろしかったら、どうしてそのアドオンを磨いているのか、わけを教えてもらえませんか。」と増田は聞いた。

「ご主人様がもうじきアナニマスダイアリーへご出立なさるんだ。若いブクマカを探しだして、結婚するのさ」と従僕たちは言った。

「その御方の id は? さぞかしこアドオンに劣らず立派な id に違いない」

「そうとも。加野瀬末友さまの、kanose さまのアドオンときちゃあね」

 増田はみぶるいした。

 彼は城を出た。加野瀬領土を後にした。ちなみに、加野瀬とはニフティサーブのかつての住人たちが地獄(彼の瀬)をさして言った言葉である

 ちなみに地獄とはこの世のあらゆる人間たちがインターネットを指して言う言葉である

 彼はアナニマスダイアリーを目指して走った。彼は kanose という id を繰り返していた。繰り返しながら、頭に刻みこんでいた。懸命にその名を繰り返していた。

 アナニマスダイアリーにつくと、店長記事が迎えたお祭りが行われていた。彼は立ち止まった。その隠し切れない顕示欲が美しいと思った。浮かれ騒ぐブクマカたちに見惚れた。そのとたん、空腹を感じた。

 からだを起こし、id を言おうとした。それはすぐ間近、肛門の縁まで出かかっていた。近づいてきたかとおもうと、肛門から逃れ去っていった。だが、それを妻に告げる段になると、その id は完全に奥へ引っ込んだ。

 彼は息も絶え絶えに妻に自分アカウントログインするよう言った。

あいつの id をわたしの本アカウントに書いた。それを使うのだ」

しかし、あなたの本アカウントを暴き出したら……」

 彼はしずかに首を振った。

「もういい。人を呪う人生にも飽きた。信じてもいないイデオロギーを信じているふりをし、嫌いでもない id罵倒するのはもう疲れた。かつて、わたしにも名前があった。本アカがあった。それをおまえのブクマとともに永遠にしてくれ」

 そして、増田は床に崩れ落ち、息絶えた。

 

 

 増田の命が尽きると同時に、深夜の最初アラームが鳴り、にわかに風が起こってブラウザ勝手に立ち上がり、地獄テリアが戸口に表れた。

 テリアはしっぽをふりながら進み出た。彼は Nettouochi の手を舐めようとした。彼女は手を引っ込め、こう言った。

「なぜわたしの手をお舐めになろうとするのですか」

「わたしの id をおぼえているか、 Nettouochi よ」

「もちろんです、わたしはあなたのお名前をおぼえております

「では申せ。わたしの id はなんという?」

 Nettouochi は笑みを浮かべて亡き夫のアカウントはてなログインした。

kanose加野瀬末友。地獄kanose 。それがあなたのお名前です」

 すると、テリア叫び声をあげた。あたりが暗くなった。メイン、サブ両方のPCの電源が落ちた。今、ガリガリと悲鳴をあげてフリーズしかけているわたしのこのPCのように。

 話をするものは誰もがフリーズするものだ。

 そして、闇夜に犬の遠吠えだけが響いた。



 Nettouochi が勇気をもってふたたび自分アカウントログインすると、テリアはすでに姿を消していた。

 Nettouochi は冷たくなった増田に寄り添い、その唇に最期のくちづけをしようとした。

 アナニマスダイアリーはいまでもそうであるように、あまりに暗かったので、Nettouochi はブクマを集めて users 表示を紅くし、男の顔のそばにその 10 users を置いてから、おおいかぶせるようにして、静かに横たわっている男にそっとブクマをつけた。

2015-05-14

オフィスビルが、丸ごと停電のため全く仕事できず……

開発環境こそノートPCからいいものの、

ファイルサーバーは全滅のためドキュメントは開けず、

プロキシも死んでるので外部にメールを送ることすらできないという、

半笑いしか出てこない感じ。

ああ、でも打ち合わせという名の雑談会議を急遽朝から重ねて

タバコ吸って狭いビル中庭から空を見て逃避している今の気持ちが今年のハイライト

復旧しましたというアナウンスがあったらしい。

今度は階段を登らずにすみそうだ。

2015-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20150301204811

ここ最近買おうと思ってヲチしてるが、

・狭い(20平米以下は駅前一等地でも数百万台が普通)

・古い(特に1985年以前は数百万台を良く見かける)

・北向き

バストイレキッチン収納がショボい

・目の前に他の建物がある(酷い例だと中庭状態)

・近所にスーパー等が無い&駐車場駐輪場も無い

特殊地域(水害地域断層、部○等)

特殊施設に隣接(霊園、祭祀場、工場線路ラーメン屋等)

この辺の条件がいくつか揃ってると安くなる模様。

例えばコレ。

http://www.athome.co.jp/smt/ks_12/dtl_6956815089?BKLISTID=018LAN

地元でも有名な高級住宅街にあるにも関わらず一度600万台で出てたのだが、Googleマップで見ると…

2014-08-14

早稲田大学で「ここは勉強するところじゃない」と言われた話

いま、大学一年生。早稲田大学基幹理工学部所属してる。サークルは、4月新歓でなんとなく雰囲気が合ってた映画サークルに入ってて、週1の集まりにたまーに参加するくらい。特に楽しいイベントも発生してない。高校とき想像してた大学サークルって、毎日毎日うぇーい!!」って感じで飲みまくって、サークル内で彼女作ったり、週末は海行ったりフジキュー行ったりとかだった。実際は、授業とバイトっていう定期イベントがあって、それをこなしつつ友達遊んだり、家で映画観たりする生活。まあそういう普通っぽい生活楽しいんだけどね。

サークル大好きな大学生とかバイト戦士と比べたら、時間はあるほうだと思う。それと受験勉強反動か、受験や成績と関係ない勉強とかが妙に楽しいって思うようになった前期だった。で、5月くらいだったんだけど、図書館で読んでた「物理数学直観方法」っていう本が面白くって夕方くらいから、ずっと読んでたんだ。数式も結構出てくるので、紙とペンを机に広げて、実際に手を動かしながら読んでた。勉強好きな人なら分かると思うけど、なんだか脳みそ調子がいいときってあると思うんだ。本に書いてあることがスッと頭に入って、勉強以外の余計なことは一切排除されて、お腹すいたとか帰りの時間とか全然気にならなくなるような状態。この間もそんな感じの「ベンキョウハイ」な状態だったんだけど、大学図書館って、21:00で閉まっちゃうんだ。本当は、最後のページまでぶっ通しで読みたかったんだけどね。渋々、本借りてキャンパス中庭にある階段で読んでた。膝にノート広げて。

めちゃめちゃ集中してるときに「図書館は21:00までです。」とかって言われて、教室も遅い時間は鍵がかかってて入れないのは辛い。心の中では「うおおお、明日までに読み切ってやるぜぇ」とか思ってて、集中力保ったまましばらく読んでいたら、警備員が近づいてきた。「遅くまで勉強かい?関心関心。」とか言われるかなとか思ったんだけど、全く逆のことを言われたんだ。「ここは勉強するところじゃないよ。」って。そのとき知ったけど22:30以降は大学を閉めるので、学生教授大学を出なくちゃいけない。もうこっちは朝まで読み切るつもりだったので、ちょっとイラときて、「ここ大学ですよ!?」と言ったけど、警備の人にいうのも筋違いだなって思って、大学の近くにあるジョナサン勉強続けた。

ってことが5月のことだ。

で、最近試験期間も終わって夏休みに入ったんだけど、最後試験のあとに学部の中で、ちょっとえらい教授が、夏休みの過ごし方みたいのをダラダラとしゃべるんだよ。なにを話してたかもあんまり覚えてないんだけど、最後の締めの言葉で、「...夏休みを楽しむのもいいですが、みなさんは大学勉強するために入りました...」って。それを聞いて、5月のこと思い出してまたイラときた。

理系でも学部生は研究室所属してる学生ほとんどいない。早稲田理系学生は、学校勉強するなら、空いている教室図書館に行くしかない。でもさ、図書館教室も21:00に閉まっちゃうんだよ。つまり早稲田では21:00以降は「大学勉強する場所はない」って言ってるんだ。(研究室所属していれば、徹夜できるけど、これは研究室を1部屋1部屋、警備員がチェックしないってだけなので、表向きには22:30以降は帰るっていうのがルール)21:00って小学校低学年かよ。学校は21:00以降は図書館教室も閉めて、帰りなさいっていう。それでも帰らない学生は22:30に警備員に注意させる。大学入った頃は、高田馬場(大学の最寄り駅)のロータリーで酔いつぶれてる学生をみて「大学生にもなってなにやってんだか」とか思ったけど、大学が夜は勉強するなっていってるから仕方ないな。高田馬場は、居酒屋カラオケも朝5:00までやってるからね。

2014-06-19

那珂市議会 議員質問回数

 243月246月249月2412月25年3月25年6月25年9月25年12月26年1月
筒井 かよ子    5
寺門 厚  7
小宅 清史    5
助川 則夫     4
綿引 孝光        1
木野 広宣     4
古川 洋一9
中庭 正一      3
萩谷 俊行       2
勝村 晃夫       2
中崎 政長      3
笹島 猛    5
君嶋 寿男         0
武藤 博光       2
遠藤 実9
福田 耕四郎0
須藤         0
加藤 直行         0
石川 利秋9
木村 静枝9
海野        1
木内 良平         0

2014-06-01

春の珪藻戦

早慶戦といえば、早稲田大学慶應大学がおこなう野球の対抗戦であり、六大学野球クライマックスとしてよく知られている。

だが、その裏側でもう一つの戦い、「珪藻戦」がおこなわれていることを知る人は少ない。

私がその存在を知ったのは、大学に入った年の五月、教授の下のごとき発言によってである

「今週末は早慶戦ですね……いや、珪藻戦でしたか

小学校理科で習ったように、珪藻は植物プランクトンの一種だ。

珪藻戦というからにはプランクトン関係しているのだろうか……興味をひかれて調べてみると、この存在の極めて奇妙であることが、徐々にわかってきた。

慶應大学において、珪藻戦はまことに由緒正しきイベントということになっている。

実際、毎年五月の半ばになると、観戦チケット中庭で売られるようになり、各種サークル人間行列を作る。

しかし、メディア報道するのは早慶戦のことばかりで、珪藻戦についての記事はさっぱり見当たらない。

まるで早慶戦しか行なわれていないかのようである

対戦相手である早稲田大学では、さすがに珪藻戦の名を知るものは多い。

それでも珪藻戦の話題に触れるものはバカにされるようだ。

早稲田大学学生に、珪藻戦について知っているか、と聞いたことがある。

彼は失笑しながら、

ケイソウ戦? それ早慶戦のことじゃなくて?」

と答えた。

早慶戦と珪藻戦の決定的な違いは、その応援の仕方にある。

早慶戦の応援は、全学をあげての大行事である早慶それぞれの学生が肩をがっしりと組み、校歌を若々しく歌い上げる姿をテレビで見たことのある人は多いと思う。

それに対して珪藻戦の応援は気まぐれだ。慶應学生自分大学を応援したりしなかったりする。

これには理由がある。

慶應大学では珪藻戦の日が休校になる。そして珪藻戦は土・日・月と行なわれ、二勝先取であるから、両者一勝ずつで三戦目にもつれこめば、学生は思わぬハッピーマンデーを手にし、自宅で珪藻のごとく光合成にはげむことができる。

から慶應生の多くはそれが早慶どちらであるかに関係なく、初日に負けた方を二日目には応援するようだ。

「天は人の上に人をつくらず」という一万円札の教えに従った結果かもしれない。

また、珪藻戦は異性との交友を深める場としても大きな期待を背負っている。

ある卒業生によると、肩を組んだ拍子に指先がおっぱいをかすめてしまう、というのはごく普通にあることで、おっぱいを鷲掴みにしてそのままホテルまで引き摺っていってしまうことすらあるのだという。

人間は珪藻とちがって有性生殖をする生物から仕方ないのかもしれない。

早稲田には、近ごろ独自に万能細胞を開発している卒業生がいるということである

これが珪藻戦における勝利を目指したものだ、というのは考えすぎだろうか。

慶應は昨年度限りで竹田某というやんごとなき人物を失ったこともあり、厳しい戦いを強いられるだろう。

5月31日大人の遠足

5月31日鉄分の濃い有志11人で「大人の遠足」に出かけました。

写真ありきの記述になっているので、時折意味不明なのはご容赦を。

集合まで

東京メトロ葛西駅集合ということで地下鉄東西線で行ったのですが、ほとんどの電車は水色のライン電車なのに、偶然にも東葉高額、もとい高速鉄道電車が。一般の人にはJR中央線に見えるのではないかと。

今日5月31日明日6月1日から都営地下鉄消費税転嫁のため値上げとなります。4月に一斉に足並みを揃えられなかったので、東京メトロはじめ通しのきっぷ(連絡きっぷ)を販売する各社は二度手間を強いられました。

東京メトロの案内ポスター。下の方には各駅間の運賃が掲載されていますがポスターとは思えないフォントサイズ視力5.0くらいなら読めるかも……

地下鉄博物館

首尾よく集合して、まずは東京メトロが運営する地下鉄博物館へ。

入場券210円。少し前に来た時は自動販売機PASMO非対応だったと思います。しかしこの自販機、使いづらかった。

スマホモバイルSuica)をタッチして、紙の切符を購入。その先には自動改札機が……やっていない。そしてさらに先には有人改札。なんだかよくわからないですが、切符を切ってもらうのはいものです。

チョキン。

入るとまず出迎えてくれるのが、丸ノ内線赤い電車です。側面には∞∞∞のような模様(正弦波:サインカーブ)がありますが、塗装ではなくステンレスなのです。ドアが開くところもちゃんと。

普通電車電気天井上の架線から取りますが、丸ノ内線などはレールの横にあるもう一本のレール(第三軌条:サードレール)から電気を取ります。SがShoe(シュー:集電靴)、FはFuse(ヒューズ)だったかな?そして電線の部分以外は「木」!確かにここが金属だったら車内で感電しちゃいますね。こういうマニアックな部分が「大人の遠足」ならではです。

営団マークマンホール

銀座線初代の電車。「運轉室」の「轉」がいいですね。

銀座線の集電靴。これは「木」とハッキリわかります。

銀座線の車内。電気が流れている第三軌条の切れ目では、昔車内が暗くなっていて、その時にこのランプが点いたそうです。

銀座線丸ノ内線しかなかったころの案内図。

ラインカラーがありません。

丸ノ内線新宿止まり。

溜池山王駅がありません。

銀座線銀座駅丸ノ内線は西銀座駅、別々でした。

表参道駅はまだ神宮前駅です。

丸ノ内線の車内。運転士側は箱に入っていますが、車掌側は開放的ですね。

日本で一番古い銀座線開業から「打子式ATS」という、赤信号を超えた時の緊急停止装置がありました。丸ノ内線では98年まで現役でした。

レールにくっついた白い打子が車体の弁のレバーに当たり、ブレーキ管の空気が吐き出されて非常ブレーキがかかります。

これはなんのためのものかよくわかりませんでした

副都心線開業時の記念PASMO開業直後は毎日「!」でしたね。

メトロ3本目の日比谷線開業パンフレット丸ノ内線新宿から先は「荻窪線」と言っていました。450億円というのは今のどれくらいにあたるのでしょうね。

東横線との直通は終わってしまいました。

お金を入れると通れる改札口です。実際に試せます(お金は戻ってきます)。

リコ式のつり革。RICO社なんですね。頭を打つと痛いです。

客室にあるドアの開閉装置車掌も客室にいたのでしょう。

日本人「たん」をはかなくなって随分たちます。「たばこものめなくなりました。まどは開かないので「かほ」や「て」も出せません。

春場所の案内。当時は11日間だったのでしょうか。

マネキンに何か貼ってあります。固定資産使用シールです。そこに貼らなくても……同行者はべつの場所で、遺跡からの出土品に貼ってあるのを見たことがあると言っていました。

中央線の旧万世橋駅リニューアルオープンしましたが、銀座線に「万世橋」があったのは知りませんでした。「時代の最尖端を行く雷門直営食堂」とはどのようなものだったのでしょう。

13号線(現副都心線)の工事中ポスター新宿七丁目、新千駄ヶ谷という仮称でした。

輸送指令室のシミュレーションコーナー。駅でのトラブルにどう対応するか。正解は写真の後に。

正解は「ドアを開けたのち……」でした。お客様第一ではありますが、ダイヤも守らなければいけません。

こういうのを見ると、もともとなんと書いてあったのか「き」になります。

東京メトロでの車内冷房導入は極めて遅く、銀座線丸ノ内線はスペース的な問題もあって、92年にようやく冷房車両が登場しました。長年、トンネル内の温度上昇を抑えるために、トンネルを冷房して、窓を開けるという形をとっていましたが、その点の展示は見つかりませんでした。

以前の案内表記。「国鉄線」というのが懐かしいです。

銀座線ルーツは、浅草新橋東京地下鉄道と、渋谷新橋東京高速鉄道です。こちらは東急総帥強盗、もとい五島慶太氏が率いる鉄道でした。地下鉄の父、早川徳次氏は経営権を奪われてしまいますが、営団東京メトロはやはり早川氏や東京地下鉄道を誇りに感じているようです。しかし、百貨店と一体になった渋谷駅は、東京高速鉄道ならではのものではないでしょうか。電車は「三越前」まで直通してしまうのですが。

図書室に立ち寄ります。営団地下鉄建設史は「東京地下鉄道○○線建設史」のような題名がついていました。年代が下るにつれて、東京の地下は複雑になり、半蔵門線大手町界隈の工事では各所と協定を結んだようです。

営団地下鉄電車スタイル制服などでなかなかの洒落っ気があったのですが、一風変わった「マナーポスター」も有名です。図書室にはマナーポスターをまとめた本もあるので、是非ご一読を。先ほどの空調に関しては「窓を開けよう」というポスターが何度も作られているのがわかりました。

こちらで少し紹介されています。

http://jipangnet.blog.fc2.com/blog-entry-101.html

クイズコーナー。博士コースはなかなか難しいです。

車体が動く本格的なシミュレーターもあります。写真撮影は自由だがビデオ撮影ご法度というのは、やはり警備対策なのでしょうか。

BOSEスピーカーで走行音も再現。

この「出口」は旧デザインですね。

葛西から東向島

さて、葛西駅から西葛西駅に移動します。またもや東葉車でした。通過待ちに一枚。

西から読んでも西葛西、東から読んでも西葛西

都バス「亀29」系統で亀戸までやってきました。駅は正面の白いのではなく右の茶色いビルでした(笑)

東武亀戸線。東急世田谷線のようにメディアで取り上げられることも少ない、知る人ぞ知るローカル線です。駅番号は「TS44」東京、もといスカイツリーラインの支線扱いです。

次の目的地はここ。

8000系電車が短い2両編成でやってきます。おでこに車体番号を書くのが東武流。

もちろん先頭に陣取ります(周囲の乗客の方、すみません)。

途中駅の「東あずま」。他の地名は無かったものか、と思うのは私だけでしょうか。まぁ、日暮里・舎人ライナーの「西新井大師西」駅よりはマシかもしれません。

「津覇車輌東武にあまり馴染みがない私には、初めて見る銘版でした。

4駅目で終点の曳舟です。たった3.4キロしか走っていません。ここで乗り換えます。

福島県会津田島駅まで向かう区間快速が通ります。このように、私鉄としては旅情を感じさせる列車が多いのも東武ならではです。

東向島(旧玉ノ井)駅です。この後昔の地図を見て、銘酒屋という言葉が出てくるのですが、そういう意味だったんですね。隣の駅の「鐘ヶ淵」は、For Beautiful Human Lifeカネボウ、鐘淵紡績のルーツだそうです。

東武博物館

今日遠足の最終目的地「東武博物館」に到着。

ドイツ有数の観光地ローテンブルクの背後にそびえる東京スカイツリー(R)。

なんと、ここでは東武博物館名誉館長の花上嘉成氏から、説明を伺うことができました。写真はSL B1形です。

デハ1形5号電車。この斜めの支え棒?も見どころの一つだったそうなのですが、よく聞き取れず、すみません

車内。やさしい明かりと二重天井ダブルルーフが特徴です。

窓のブラインドは鎧戸。

上の小窓も開きます。

扉は手動。ゴロゴロと重々しく開閉します。

正面は五枚窓。側面には「草淺←→井新西」の案内がありました。

アルナ工機に保存されていた5700系5703号(前面部)です。搬出、搬入には相当苦労したようです。

戦後まもない1951年昭和26年)の日光鬼怒川向け特急、5700形5701号(ネコひげ)。後のデラックスロマンスカー(DRC)の先輩です。前頭部は搬入後に改めて当時の姿に戻したようです。

車内の様子。シートは前後に方向転換できます。あまりの人気に「補助席」も用意されました。デッキには売店も。昭和26年ですよ?

となりの小学校では運動会土曜日に開催するんですね。実は中庭展示の車両は、小学校の校庭から搬入されたそうです。車両は重く、校庭を傷めてしまうため、校庭の改良工事があるわずかな期間で搬入しなければならなかったそうです。保存への熱意に頭が下がりました。

ロープウェイゴンドラは生憎見られませんでしたが、搬入の様子が。

東武博物館は動かない車両の展示(静態保存)だけではなく、東武鉄道から車両を買い取って、動く状態での保存(動態保存)も行っています。この列車は貸し切りもできるそうです。6両編成の堂々たる電車の貸し切り!

参考:http://tusrail.seesaa.net/article/394766310.html

東武といえばDRC(デラックスロマンスカー)。カットされていますが、車内に入ることもできます。シート間の間隔が広いことにビックリ新幹線に初めて乗った時に車両間のドアが自動だったことに驚いた人もいたでしょうが、実はこの自動ドアはDRCが日本初で、この車には「自動扉 AUTOMATIC DOOR」と書いてありましたが、宣伝文句は「○○○○ドア」だったそうです。

その後、博物館の奥の「ウォッチングプロムナード」。観察の小道とは?と思いながら階段を登って行くと、天井の低い、殺風景な、廊下とも部屋ともつかない場所へ。しかし右をみるとそこには窓が!

軽症「あ、スペーシアが通ったヽ(^。^)ノワーイ」

重症「いまの音は住友台車だね(`・ω・´)キリッ」

「いやぁわれわれ脚フェチにとっては実にたまらない場所ですなぁ」

模型のパノラマもありましたが、やっぱり東京スカイツリー(R)が……

浅草

東向島駅に戻り、東武浅草駅へ。後ろ2両のドアはホームがあるのに開きません。ホーム先端まで行くのは狭すぎるためです。

天ぷらの名店で打ち上げ

鉄道グッズをかけたクイズ大会が開かれましたが、難問ぞろいで、13問のクイズの1位は8問正解の方。

オーソドックスな難問

銀座線開業時に一番切符を手にしたのは?」

(答:原信太郎氏。原鉄道模型博物館で有名)

■ひっかけ問題

大手民鉄16社中、関東で一番営業キロが長いのは……」「東武!」「……ですが、では2位はどこでしょう?」

西武

京成

「正解は、東京メトロでした!」

東京メトロ大手民鉄というのを皆、見落としていたのですが、よくよく考えると営団時代から民鉄協に加盟していたわけで、酒が入っていたとはいえまだまだですね……

マニアック問題

日本で初めて貫通路に自動ドアを装備した東武DRC。その自動ドア名称は?」

マジックドア」

■無茶ぶり問題

「(私が利用する)井の頭線渋谷駅アベニュー口の営業開始時間は?」

「……アベニュー口ってどこ?」

他にも、参加者の方の最近武勇伝や懐かしい話を肴に、楽しい時間を過ごしました。

せっかく浅草まで来たので、浅草寺に寄って、雷門で解散。

おつかれさまでした。

2014-03-29

へちまなつかしいなあ。学校中庭でつくったよ。

風呂の体あらうスポンジに使えるんだよね。

2014-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20140130004813

超わかる。

同郷というだけの薄っすい共通項でライドオンする人って、誇りに思えるモノを自前で持っていないからそうしてるのかな。よくわからない。他人の業績で自己愛補填してるつもりなの? それ、素に戻った瞬間惨めすぎね?

そのひとが素晴らしいのはそのひと自身の努力に拠る。イチローのことを“同じ日本人として”馬鹿みたいに誇りに思うより先に、修学旅行バットを持参して宿の中庭素振りしたという野球への情熱と愛とたゆまぬ努力を褒め称えられるべきだと思うよ。で、そんな素晴らしい人というのは国籍を問わず世界中存在するのに、日本人のみをあえて選択して褒め称え、誇りに思って悦に浸るという行為って、なによ。わからん

2013-12-29

ゼログラ(ネタバレ)

ゼログラビティの気になった点(ご都合物理法則)

ねた

なので

これぐらい

送ればいいかな?

1) CO2上がりはじめてからも楽勝で行動できすぎてないか

換気のない宇宙服に人を閉じ込めて動かしてみればいい。まあ、厳密に言えばCO2の固定と酸素供給は別なんじゃなかったっけとか。

代案: もっと迅速に

2) ジョージクルーニーが遭難するシーン

あの、「画面の右側に宇宙飛行士を引き寄せつづける謎の力」はなんだろう?

代案: 普通にテンションで戻ったけど掴まえられず、鋭角のエッジで切られて遭難、でいいんじゃないの?

3) 前は上、上は後ろ、後ろは下、下は前

だっけ? 中国ステーションに行く時に軌道力学ロコツに無視したよね。

代案: 説明抜きでいいから正しい方向に噴かす

4) 消火器パワフルすぎ

70km移動するのにどれだけ相対速度出したか知らないけど、消火器一本でそれをどうこうできるものかしら。

あと、ぐるぐるまわると思うよ。

代案: パラシュートのケーブルをアレスティングワイヤーがわりに使うんじゃだめかな?

5) 大気圏突入

まぁここは神の加護級の偶然でもいいや。

6) ハッチ開いて1分で水没

いくらなんでもロシア伝統ある突入カプセルがそんな設計のはずないのだが…(実際はしらないけど)

代案: 出身高校中庭にある池に偶然着水する(ぉぃ)

いや、野尻先生ロケットガールシリーズ(特に「私と月につきあって」)とか、笹本先生彗星狩りとか、このスタッフ映画化してほしいなと思いました(無理だけど)。

2012-07-15

Try WiMAX @近鉄沿線(一部)

うちから出たら電波は問題ない。

幹線上でもバスの中でも電波強度は中程度。

東生駒駅はさすがに電波強度大。

ただ、生駒駅だと強度が落ちたのはやはり生駒山沿いだからか。

トンネル内は当然アウト。トンネルを抜けた後は快速急行の中でも問題ない。

BNRスピードテスト (画像版) http://www.musen-lan.com/speed/speed-img.html

での速度は最高速度:1.30Mbps 平均速度:1.02Mbps @小坂から布施

鶴橋から長瀬をへて大学までの間も大丈夫だが構内に入ると強度が下がって室内(4階)ではほぼ弱。

鉄筋だし中庭側なのでしょうがいか。でも切れはしない模様。

ともかく室内は注意が必要という事ですな。

次は郊外ショッピングセンターとか行ってみる。

2012-07-14

朝の散歩

朝は6時に起きて、団地中庭を歩くのが習慣になった。まだそんなに暑くはなく、心持汗ばむ程度だからむしろ気持ちいい。中庭は広く一周800メートルもあり、丁度10分で回れる。同じように朝のウオーキングをする人たちが10人くらいはいて、顔ぶれが決まっているようだ。

 反対方から回ってきた女性が、私に向かって手を挙げて笑っている。はて、どなただったかしら、とりあえず会釈を返したものの、見覚えがない。その人は右手を振ってみせて、「おんなじものを探してますね」と笑う。二人とも同じような草を握っていた。「これ、大好きなんですよね」「でも、みかけなくなりましたよねえ、以前はこの辺、猫じゃらしだらけだったのに」。

 芝刈り機で刈り取られているうちに年ねん少なくなっていた。今ではなかなか見つからない。いつの間にか生態系が変わってしまったのだ。テニスコートでも西洋タンポポだらけになっている。

2011-04-17

いじめられていた頃を思い出した

憲法理念について考える過程で、中学生のころいじめられていたことを思い出した

現在俺は大学生でかなり充実した生活を送っていると自分でも自負しているし、他人からも言われている。

そんな今になってやっと気持ちの整理がついたので、その頃に起こったことを綴りたいと思う。稚拙な文章ではあるがお付き合いいただきたい



俺は中1の頃部活であることをやらかした。その内容については書かないことにする。


その後仲良くしていた友達全員が急に態度を変えた。

誰も話しかけてくれなくなった。じきにその中から罵倒するやつが出てきた。

大半は俺に関心を寄せまいとした

そいつらの俺に対する見方は分かっていたから、憎むことはなかった。「うわ、汚い。」

自分そいつらの立場ならそう思っただろう。

しかし、あー人ってこんなもんなんだーとあの時悟った。


俺を遠くから罵倒した人のことを今でもはっきりと思い出す。あの顔。薄ら笑っていた。

そんな時そいつらに背を向けて俺はただ窓から外を眺めていた。


関わったらいじめられる、といったことは憶測ではあるが、大半はあまり考えていなかった。

ただ俺は軽蔑の対象であり、関わろうという気にもならない、といったところだろう。


事件直後、俺のことを助けてくれると宣言した人がいたと顧問が言っていたので期待していた。

でもなかった。話しかけられたことは、一度もなかった。

俺が一人でいて、かつ誰にも見つかることがないタイミングなんていくらでもあったのに。


事件があって間もないころ、帰り道であいつを見かけた。

俺はあいつに気にしないほうがいいのかなあ、と明るくいつも通りに言った。

あいはいつも通りの口調で笑いながら、自分の置かれている状況は気にしろよ、と言って俺を後にして前を歩いていた部活の集団に向かって走っていった。

親友だと思っていたあいつにこんなことを言われた。あいつなら大丈夫だと思っていたのに。こんなものなのか。

一緒に野球していたじゃないか。一緒に何回も遊んだじゃないか馬鹿なこともしたじゃないか

人間不信に俺は陥った。


その集団の中で話しかけてくれた同級生は一人だけだった。

中学で知り合ってあまり親しくない子だった。

練習場所の水抜きをしていたとき、明るい声で話しかけてくれた。たぶん挨拶だった。

あの時すごくうれしかった。本当にうれしかった。

こんな屑に話しかけてくれてありがとう、と心から思った。


また話しかけてくれてたのは事情を知らないクラスの人たちだった。

いや、噂で知っていたのかもしれない。でもそいつらは気にしていなかった。

くそいつらと中学中庭で鬼ごっこをした。楽しかった。その中で一瞬だけ自分の状況を忘れることができた。

しかし俺はある意識を常に持っていた。その意識に縛られていた。「俺は屑だ。」


一番賢い学校にいってみんなから離れようと決心した

中1なのにもう先のことを考えていた。

中学校でのことはもう諦めていた。罵倒され続けよう。耐えよう。俺が悪いんだから


俺は自分のことを価値のない人間だと思い、死ぬことをいつも考えていた。偶然の事故とかで死にたかった。

ぬことは理由をつけて避けていた。死ぬのは怖かったから。

ただ死にたいと思うことに理不尽さを感じることはなかった。生きている価値はないと思っていたから。


家が俺のただひとつの居場所だった。事情の知らない家族との他愛のないおしゃべり。十分だった。

部活が終わった皆がいない帰り道でやっと安心できた。そして明日のことを思いすぐに憂鬱になった。


俺はベッドの中で人知れず涙を流した。部屋の空間に背を向け壁に向かって。

意図的に自分の状況を考えて悲しい感情に浸り、流したこともあった。

カタルシス本能的に感じたかったのかもしれない。


しか学校毎日通っていた。

なんで不登校にならなかったのかは分からない。部活も休まず行っていた。

自分は強い、と思っていたわけでもない。なぜいっていたのだろう。今でも分からない。何かに突き動かされていた。


たいつも自分眉毛をできるだけ垂れ下げるようにしていた。

申し訳なさそうな顔をするために。

実際申し訳なかった。こんな屑が存在していてごめんなさいって。



ある日顧問から一年生は理科室にくるように、と招集がかかった。

俺は一番後ろに座った。そして顧問はどんな話をするのだろうとぼーっと考えていた。

顧問は俺へのいじめをやめよう、とみんなに静かに言い聞かせて会合は終わった。そんなに長くはなかった。

顧問が喋っている間、俺はありがた迷惑だ、と思っていた。

もう俺には触れないでくれ。こんなので改善されるわけないだろう。


俺は教室最後に出て、皆が向かった練習場所のほうへ行った。

なぜ反対側に行かなかったのだろう。そうすればまだ安心できる学校での居場所である自分クラスに戻れたのに。

淡い期待があったのかもしれない。


練習場所の脇に皆が円になって立っていた。

からごめんって次々に言われた。

謝罪の言葉を聞いた俺はそばの壁に腕を当て顔をうずめて泣いた。声を上げて泣いた。

場所が元に戻るかもしれない。


しかし懐疑心はまだまだ残っていた。

今だけなんじゃないだろうか。いや、きっとそうだろう。今までそうだったのだから


その招集後初めての部活

帰りに部活の皆と一緒に帰ることになった。

誰かが面白いことをいったとき、俺は腕で顔を隠して笑った。

なぜそうしたのかその時は分からなかった。

今はそうした理由が分かる。俺が笑う顔を見せることなんておこがましいと思っていたからそうしたんだ。

そこまで自分は屑である内面化されていた。たった半年で。

それから俺へのいじめはなくなり、皆とぎこちないながらも仲良くやることができた。



時間は進んで中3のころ、いじめられていたやつが腕で顔を隠して笑うのを見た。

心に何かが刺さった。

しかし俺もそいつのことをみんなと一緒に影でいじめ、関わらないようにしていた。

こいつを庇ったらまたいじめられる。もうそんなことは絶対に嫌だ。


人をこんな風にした原因はなんだ?

教育環境だ。

あれから何も変わっちゃいない。


こういった経験をしてよかったと今は思う。

ただこんな思いは誰にもさせたくない。

俺が日本を変えよう。俺が行動しよう。


追記1: 感情が高ぶっていたために文章の論理関係がめちゃくちゃな部分がありましたので訂正しましたツイートしてくれた方などありがとうございます

追記2: >migurinさん やらかした内容について書かなかったところについて言及されていると思うのですが、全体の文章から伝わるようにしたつもりです。それ以外のところでしたらお答えします。

2010-12-01

二次元に行く方法考えたwwwwwwwwwwwwww

まず最初にwwwwwwwwwwwwwww

====

まず最初に、ごめんなさい。

私もその方法はわかりません。

あなた純粋な心を傷つけてしまったのであれば心から謝ります。本当にごめんなさい。

このタイトルを見て続きを読んでくれたあなたにお聞きしたいことがあって、こんなタイトルしました

しまだ続きを読んでくれている人がいるのなら、少し私の話を聞いてほしい

私はアニメ漫画が大好きで、小さな頃からそれらに触れて育った。

気が付けばお話キャラクターに強い感情を持つようになって、思春期はぜんぶ彼ら彼女らとともに過ごしたように思う。

その頃私の世界は本の中やテレビの中にあって、たぶん他にはなにもいらなかった。他人とも話さず、ただただ自分の中にいる彼ら彼女らと共にいられればそれでよかった。その気持ちは今でも覚えてる。

でも時間が経って、私もいつしか仕事に就き、人並みの分別を持つようになった(本当はまだそんなもの持っていないのかもしれないけど)。

彼ら彼女らがどこを探しても、どんなに夜の町に繰り出しても現れないことも知った。

学校中庭で一人ご飯を食べていても図書室のどの席を見ても行っても夜の学校に忍び込んでも遠い地へ旅行へ行ってもクリスマスの夜にツリーの下で待っていても同じ本を読んでも同じように紅茶を淹れるようになっても同じようにジンジャークッキーを作っても同じようにテトラポッドの上を歩いても、なにをしようと私の大好きな人たちは現れなかった。

話が変わるけど、社会に出てからはどんな生き方をしてもそれが他人に干渉をしない限り、その人の生き方として捉えてもらえた。よく言えば自分生き方迫害されることも否定されることもなかった。おそらく私はとても恵まれた環境にいたんじゃないかと思う。

時折私の心は『果たしてこのままでいいのか』と迷うこともあったけど、依然として私の気持ちは心の中にいる彼ら彼女らに向けられていた。

私はその頃には、自分はいしかアニメ漫画を楽しみつつ、現実世界にも大事な人のいる一人の人間”になっているのだろうと想像していた。

今まで私を支えてきてくれた彼ら彼女らに対する背徳心をとても強く感じていたが、それが普通で、それを越えてみんな生きているのだと思ってた。

でもここ最近のことだ。

私は連休を利用して実家に帰り、久しぶりに学生時代と同じ曲を聴き、あの幸福感に満たされていた時代を過ごした道を同じように歩いてみた。

それはすごく楽しくて、やっぱり彼ら彼女らが私にとってとても大事で愛しい人だということを再確認した

それで、その人たち以上に私を支えてくれた人がいないことも本当の意味で思い知った。

彼ら彼女らは思春期の私とずっと共にいて、辛いことがあれば元気をくれ、本当に数え切れないほどの楽しいことをくれた。私の半身みたいなものだった。

途端にそれまで自分が築き上げた人間関係だとか打算的な関係の異性が、そんなものを必死になって築いた自分が嫌になった。

私が本当にほしかったのは私を支えてくれていた彼ら彼女らで、その別のなにかじゃない。

もともとこんなものはいらなかった。

なんで私はこんなものを抱えて生きているんだ。

なんであの人たちはいないのに、彼ら彼女らのお話はあの最後のページをめくった瞬間に終わりを迎えていたはずなのに、なんで私はまだここにいるんだ。

彼ら彼女らのお話は終わって、どうして私の話だけはまだ終わってないんだ、おかしいでしょ。

今は、その気持ちだけがずっと胸の中にある。

あの人たちはやっぱりここにはいなくて、私の気持ちも誰かが作ったサブカルチャーの上で踊っているだけのものだということも理解しているつもり。

でも私の心は長年の間もう彼ら彼女らの存在を在るものだとして捉えてしまっているし、今さら彼ら彼女らの存在を否定する気もない。彼ら彼女らは確かに私の中にいる。笑われるだろうけど、私の中ではいる(ゆのAAの『お前がそう思うんならそうなんだろう』と同じです)。

だから、彼らが現実世界にいないのがつらい。

あと数十年、この葛藤に悩まされながら生きていけるほど私は強くない。

ここまで書いてなんだけど、私自身なにが問いたいかいまいちよくわかってない。

みんな最後にはこんな場所に辿りついているのか。

だとしたら、なんでまだ生きていられるのか、それを教えてください。

最後には結局一人になって、胸が張り裂けそうになって叫びだした衝動に駆られても、それでも寿命だけはまだまだ残ってる。

考えても考えても私には今日までわからなかった。少しでも知っている人がいるならお願いだから教えてください。お願いします

追記:長文だから『続きを読む』が入れたかったんだけど、よくやりかたがわからなかった。

目ざわりな方もおられると思う。ごめん。試してみてもできなかったので、間違ってるところのご指摘いただけるとありがたい

2010-08-28

プーチン語録

テロリストは便所に追い詰めて肥溜めにぶち込んでやる」(1999年チェチェン武装勢力に関して)

ソ連が恋しくない者には心(心臓)がない。ソ連に戻りたい者には脳がない」(2000年

日本は、不倫近親相姦を題材とした小説紙幣印刷して流通させるほど社会堕落したのか」(2000年7月沖縄サミット日本首相森喜朗が二千円紙幣を各国首脳に配布した時に)

「あれは沈んだ」(2000年9月ロシア原子力潜水艦クルスクが沈み、乗員118人が死亡した事件について)

「我々の敵はテロリストでなく、ジャーナリストだ」(2001年5月

「もしあなたがイスラム過激派になりたくて割礼が必要ならモスクワに招待する」 (2002年11月、「チェチェン住民を抹殺しようというのか」というフランス記者の質問に対して)

「(地球温暖化のおかげで)毛皮のコートを買う金も節約できる」(2003年9月、気候変動会議の開幕式で)

国歌演奏中は行儀良くするように。歌詞を知らないなら、せめてガムを噛むなと選手に伝えて欲しい」(2004年6月サッカー欧州選手権ロシアスペイン戦開始前の国歌斉唱で)

「謝罪は1回すれば十分だ」(2005年5月第二次世界大戦の際にソ連ドイツ密約を交わしソ連バルト三国併合を取り決めたことに対して)

バルト三国ロシアの小銭」(2005年5月ソ連によるバルト三国支配への批判に対して)

「かわいくてついやってしまった」(2006年7月クレムリン宮殿中庭少年シャツをめくって腹にキスするというスキャンダルを起こす。後にこう釈明)

中世のように、汚職する公務員は手を切り落としてしまえばいい」(2008年3月ロシア国内汚職の横行に関して)

医者を送り込んで始末しなければならない」(2008年7月ロシア石炭大手企業であるメチェル社によるダンピング脱税疑惑に関して)

「睾丸を縛ってつるし上げてやる」(2008年8月南オセチア紛争の際、グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリへ向けて)

2010-07-02

「誰かの奴隷になりたい」と言ったらドン引きされた

「誰かに隷属して、一生命令に従うだけの人生を送りたい」

大学食堂

月曜日の2限が終わり、学生教職員が昼食の為に行列を作る。

ガラス窓の向こうの中庭では音楽系のサークルが一昔前の音楽演奏していた。

僕は何とはなしにそちらに耳を傾けつつ、次の言葉を発した。

「別にマゾだとか被支配欲とか破滅願望って訳じゃないんだ」

「むしろ、誰かが僕を支配しなければならないという状態に縛られてる状態が欲しいんだ」

「こんなにどうしようもない僕なんかを、ね」

ここまで話して、日替わりラーメンの新作「麻婆ラーメン」に口を付けた。

麺を何口か啜り「これは罰ゲームに使えるな」と呟いた。

「谷倉に食わそうぜ。最近後半組の瑞希さんと仲良いしな」

対して、向かいの席に座った芦原は定食Aのステーキを切り分けながら相槌を打った。

「今度の必修のレポートが終わったらまたやろうか。北森も呼んでさ」

良いなそれ、と言いつつ芦原の視線は配膳に固定されている。

いつもの事だと流して、左で菓子パンを手にこっちを見ている凪川を見た。

「話を戻すとさ、支配されてるのに支配してるって言う矛盾みたいのが良いと思うんだ」

幼女二次元は?」

芦原がニヤニヤして横やりを入れた。

「それ十分条件……いや、必要条件だな」

「このロリコンが。お前が捕まったらネットで晒し者にしてやる」

はいはい、と流して話を続けた。

「この矛盾はね、結局相手も隷属してるってのが素敵なんだよ」

「犬の散歩で言うなら、縄の付いてる部分こそ違えど、飼い主と犬は繋がってるって事でしょ」

「けど、飼い主は自分から縄を離せる」

凪川は眉根を詰めて言った。

「都合の良い対象として扱われたいのか?」

「いいや、違うよ」

「もし、飼い主も自分で縄を離せなかったらどうする?」

「僕は、その状態が欲しいんだ」

「形としては支配されてる、けどそれは惰性に過ぎない」

「いつ支配され返されるか分からない。それでも支配し続けなければならない、離れられない」

奴隷となった相手の従順な姿に安心しつつも、時折絶望に浸って欲しいのさ」

「…………お前の考えは変態すぎる。俺には良く分からん

凪川は渋い顔をしてこちらを見ている。

場違いだと思いつつ、こいつに倒錯的な性体験をさせたいと思ってしまった。

顔に出ないように取り直しつつ、言い返して反応を見ることにした。

死にたいと四六時中言っているよりは良いだろ。性的エネルギーは活動の活動源だ」

「方向性が道徳的ではないのは良いのか」

「0°がまともだとして、720°でも傍目には分からなければ良いのさ」

道徳的であるかどうかは過程じゃなくて結果にあると思うよ」

「その結果が支配関係なら180°だろ。それに、俺らに言ったら過程が分かってるから意味ないだろ」

依存してるから良いのさ。愛を受け止めておくれ」

「口唇期まで戻れ。歪んだパーソナリティ矯正してやる」

光源氏計画か、はたまたプリンスメーカーか」

フルメタルジャケットの方だ、良かったな」

軍隊プレイで男に撃たれるのがお好みかね?」

「お前に掘られるくらいなら石鹸リンチの方がまだ耐えられる」

「痛いのが好きなら、そうとはっきり言えば良いのに」

「どう解釈すればそうなる変態バイペドフィリア地獄に落ちろ」

今日も厳しいな、少々古いがツンデレ愛情表現かね……とにやりとした。

凪川の目にあるはっきりとした嫌悪については、今は深く考えたくない。

芦原は黒檀色の瞳を探る様に向けている。

「…………良いんだ、今さえ楽しければ。どうせ刹那的にしか生きられないし、受け止められないから」

「あっそ、好きにすれば」

「ごめん」

それから3限開始までは何事もなくいつもの日常が戻って、4限に解散した。

モノレールから見える景色は変わらなくて。

銀朱に染まる最寄りのバス停で降り、鍵束でドアを開放する。

その日 友人が一人死んだ。

午前6時、その報せが映ったディスプレイを見つめていた。

7月の初めに、人が死んだ。

名前以外はノンフィクションです。

読んで頂きありがとうございました。

2009-11-02

屋上ではないけれど11階

中庭

タイル張り

硬そう

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