はてなキーワード: 光源氏とは
2500万部「パタリロ」花とゆめ ※国王、男性 /テレビアニメ化、劇場アニメ化、舞台、実写映画化
2160万部「動物のお医者さん」花とゆめ ※獣医学部の学生、男性/テレビドラマ化
1800万部「赤ちゃんと僕」花とゆめ ※長男/テレビアニメ化
1700万部「夏目友人帳」LaLa ※15~17才少年/テレビアニメ化(7期)、劇場アニメ化(2作)
1200万部「BANANA FISH」別冊少女コミック ※イケメン天才不良少年/テレビアニメ化、舞台化
1100万部「っポイ!」LaLa ※男子中学生/テレビドラマ化
1000万部「天使禁猟区」花とゆめ ※高校生少年/ドラマCD、OVA化
800万部「八雲立つ」LaLa ※美少年&教員志望男子大学生/ドラマCD、OVA化
800万部「エロイカより愛をこめて」 月刊プリンセス ※男色の美術品窃盗犯、男性
610万部「となりの怪物くん」デザート ※男子高校生/テレビアニメ化、実写映画化
600万部「僕は妹に恋をする」少女コミック /OVA化、ドラマ化、実写映画化
500万部「学園ベビーシッターズ」LaLa ※少年/テレビアニメ化
500万部「風と木の詩」 週刊少女コミック ※BL/OVA化
400万部「ここはグリーン・ウッド」 花とゆめ ※男子高校生/OVA化、テレビドラマ化
350万部「オトメン」別冊花とゆめ ※男子高校生/テレビドラマ化
200万部「恋に無駄口」花とゆめ ※男子高校生/テレビドラマ化
180万部「消えた初恋」別冊マーガレット ※男子高校生/テレビドラマ化
150万部「3D彼女」デザート ※高校生男子/テレビアニメ化
・前に読んだ時は「単なる男女逆転逆ハーレムだろ?」としか思わなくて2巻まで読んで投げた。
・7巻(の35話)から始まる赤面疱瘡vs医学vs異学排除の三つ巴は話の構造が立体的になっていて面白かった。
・ジェンダーSFってそもそもSFって名前がついてるだけでSFじゃなくない?
・イケメンにも歴史にも興味がない俺にこの作品を評価する資格はなかった。
・個人的な好き嫌いで言うと7巻~12巻は好きだけど、それ以外は正直しんどいだけだった。
・作品の根底にある「将軍が女だったらヤバくないっすか?」みたいなのに全然共感できなかった。俺のジェンダー感だと「有能ならどっちもでいいだろ」なので。
いつか「大奥」をちゃんと読もうと思っていたが、中々その機会がなかった。
いろんなランキングとかでの評価の高さに釣られて1・2巻まで読んだ時の感想は「江戸時代の日本で逆ハーレムしつつ、ついでにフェミニズム的なノリで男はクソだといいまくって気持ちよくなりたい連中の下世話な漫画」だった。
だがそれだけの漫画が日本SF大賞を取れるのかという疑問があった。
単に男女の役割を逆転させただけのものをジェンダーSFと言い張る界隈に対して、一言物申すためにも一度こちらが勉強しておきたいという暗い情熱もだ。
とんでも設定をぶちあげてフェチズムを描いた作品として家畜人ヤプーのような物を想像していたのだが、どうも他の人のレビューを見ているとエログロナンセンスのアイディア勝負けで評価はされていないように感じた。
もしかしたらジェンダーなだけでなく本当にSFで、5巻ぐらいから未来人が出てきて、10巻で超能力者、15巻で未来人、そして最終巻で神が登場したりするから日本SF大賞を取ったのでは……そんな突拍子もない空想も膨らんでいった。
いつか読もう。
そんな気持ちを抱えていた俺に機会がやってきた。
ピッコマで1日だけ全巻無料になるらしいと知ったのはGWが始まる少し前だ。
普通に買っても買って満足して読まないだろうことは分かっていたので、こういった期間限定で読める機会はちょうどいい。
今回の24時間無料に焦点を当てなければ下手すればもう二度と読む機会は来ないという感覚がビンビン来る。
とはいえ前に読んだ感じだと1巻につき1時間弱かかるわけで、1日で残りの17巻を読むのは厳しいだろう。
そこで俺はふとマンガParkを立ち上げた。
前に1・2巻を読んだときに使ったのがマンガParkだったからだ。
アプリを立ち上げて検索してみると、まだ「大奥」は引き上げられておらずFREEコインで読めるようだ。
2巻の途中までが完全無料、そして11巻までがFREEコイン。
ここで少しだけフライングしてから24時間無料に挑むと丁度いい塩梅になりそうだ。
そして俺はGWが始まる少し前から毎日30分ほど(約4話分、約2/3巻)大奥を読み進めるという姑息なフライングによって7巻までを事前に読み終えた。
残りは12巻。1時間に1巻読めば12時間で終わる計算だ。希望が見えてきた。
長く苦しい戦いだった。
12時間までいかずとも10時間は大奥をひたすら読んでたと思う。
漫画喫茶でドラゴンボールやうしおととらを一気読みしたことはあったが、その時も流石に10時間はかかってないし、一度読んだことがあるからおおよそ内容は頭に入っている。
しかも特に好きな漫画というわけではなく、前々から興味はあったけど感覚的に合わない漫画を「今ココでトドメを刺さなければもう一生読む機会がないかも知れない」という予感に急かされるままに読む。
キツかった。
まず俺が一番言いたいのは「これはSFじゃなくない?」ってこと。
ジェンダーSFというジャンル自体は聞いたことがあるけど、そもそもそのジャンル名自体がSFという名前を文化盗用してるだけじゃないってこと。
これがSFに含まれるなら光源氏でさえ「もしもこんなヤベーイケメンがいたらという思考実験なんだが」でSFになっちゃわない?
男が死ぬウィルスによって社会構造が何から何までまるっきり変わるならともかく、むしろこの作品が言いたいのは「男女が普通に逆転するだけではないでごわすか?男が特別なわけではないでごわしょ」なんでしょ?
病気部分がSFかといっても、単に男が死ぬ致死率の高い天然痘ってだけで、解決方法も天然痘のものをそのまま持ってきただけだし。
SFかどうかは置いといて作品としての評価をしようとしたんだけど、考えていく内に俺には出来ないってことが分かった。
イケメン坊主を脅して無理やり種馬にしてやるぜぐへへへ・・・とかやられても、「権力者は身勝手だな―」ぐらいにしか思えなくて。
徳川家が途中から女ばかりになっちゃうんですよ!凄いでしょ!とかやられても、「ゆーて直虎も謙信も女だったしなー」ぐらいで終わっちゃうわけで。
日本SF大賞取ってなかったら読んでなかったタイプの客というかね。
辛いもの好きじゃない客が10辛頼んで「舌が痛すぎて味がしなかった。豚の餌未満 ☆1」ってレビューしててもそれは単なる検索汚染じゃん。
公式が「医療編」と書いてる7巻ラスト~12巻は普通に面白かったな。
治療方法自体は天然痘の焼き直しなんだけど、それが蘭学によってもたらされることで政治劇に絡まっていってるから一筋縄ではいかなくなってる所に話しの膨らみを感じた。
トップが変わることで一度全部ひっくり返ったあと状況を逆転していくのとか作劇としてしっかり王道だったなと。
他の将軍様が女としての幸せを軸に物語を展開させがちだった中で、思想を持つものと持たぬもの戦い・当主としての成長っていう熱血軸で展開していく家斉のストーリーもこの作品の中では新鮮味があって面白かったな。
作中最大級のヴィランも出てくるし、いろいろな解決方法に納得感があるし、実際ここが作品のピークだった気がするんだよな俺の個人的な好き嫌いを抜きにしても。
他にも黒木が~青沼が~マジで~カッコよくて~と飲み屋で延々アニメの話してる中年オタクみたいな感じでしばらく語れそうだけど、俺の話聞いてる暇があったら実際に読んでほしいし一度読んだ人ももう一度読んだほうが俺の話聞くよりもタイパがいいだろうからここらで切り上げるか。
「大奥ちょっと読んだけどマジで無理だわつまんなかったわー。優男が尻掘られそうになる話とかどうでもいいわー」と思ってる人でも途中全部飛ばして35話から読むのはアリなんじゃねーかって気はする。
この部分はマンガParkでも読めるしな(7~11巻はフリーコインだけど12巻はボーナスコイン枠なのでコインを買うか動画広告再生して貯めてくれ)。
フライングも合わせて15時間近くかけて全部読んで結局「うーん医療編意外は全然合わなかったな―」となってしまったことについて後悔がないかと言えば、トントンなんだよね正直。
最終巻での感動のラストっぽいのもそこまでに積み上がった「ここまできたなら凄いの見せてくれ―!」ってハードルが上がりすぎてだいぶ肩透かしだったし。
失礼な言い方になるかもだが、「ありのままの姿見せるのよ的な?それって要はアナ雪やろ?こんだけ引っ張って最後にやるのがこの程度なの?」って感じだったのよね俺的には。(この程度の自由さえも奪われてしまうお貴族社会の悲しみこそがこの手の作品におけるトロの部分なんやろなあというのは分からなくはないんだけど、もっとこうなんか19巻読んだかいがあったぜマジスゲーみたいなのを期待しててですよ。)
黒歴史の最後を紐解いていく展開として公武合体にかこつけて凄い所に踏み込んでた感じはするんだけど、最後は大人しい着地になってしまったなと。
そもそも俺の中で「将軍が女とかありえん!帝が女とかありえん!」みたいなのが全然ないんだよね。
だってそういう仕事してる人に求められるのって機能を果たせるかであって、それって個人の資質に依存してるんだから性別なんてどうでもいいじゃん?
男でも無能なら勘弁して欲しいし、女でも有能ならぜひやって欲しいわけで。
別に俺が将軍とエッチしたりオカズにしたりするわけでもないんだから、その人達の性別とか本当にどうでもいいんだよね。
ゆーて大奥の連載が始まった頃既に40を超えてたような人、つまりはバリバリの昭和生まれからしたら「将軍が女とか絶対嘘でしょ」って感じなのかもだけどね。
俺がジェンダーSFをSFだと認識できないのはそういう所も関係してるのかも。
宿題を1つ片付けられた感じはするので。
しばらくはこういう「合わなそうだけど読んでおかないといけない気がする」でコンテンツを接取するのは休もう。
めっちゃ消耗したよー。
平安時代の貴族、家系図書いたらかなり血が濃い。ダビスタだと危険な配合ですって言われるレベルでインブリードがあったりする。
でも、近親婚で有名なスペインハプスブルク家みたいに顕著な奇形とか知能障害とかは出てなかったように見える。 疫病か出産がらみで早死にしなければわりと長生きだし。
これ、もしかして、通い婚だから密かに別の男と通じてて外の血が入ってたりするんじゃないかと思った。そう考えると昔の人は頭いいな。建前としてはやんごとない血で固めましたってことにできるし。
源氏物語の後半で、朱雀帝の娘である女三宮が光源氏に降嫁するけど、朱雀帝と源氏は異母兄弟だからおじ姪関係になるわけじゃん。当時はそれがさほど問題とされてなかった。
これで子ができるとなるとかなり心配になるけど、実際には別の男が密通して子ができた。これで遺伝上の問題は軽減されてる。こういうのがわりとあったのかなと思う。
私はゲームが好きだ。
だが今は、自分の遊びだけでなく、1歳の子供に色々なことを教えている。
これは、「教育熱心」「子どもの将来のために」なんて温かみのある話ではなく、
ゲームプレイヤーにとって競争相手は強ければ強いほど好ましいものだと思う。
遠回しなことをせず、友人や市井の相手を探せよと言いたくなるかも知れない。
しかし、長い時間オフラインの活動を共有でき、十分なリテラシーと社交性と競争心をもった
盟友を探すことは、大人にとっては、それほど簡単なことではない。
そこで私は、我が子を理想のプレイヤーとして育てる壮大な計画を実行することに決めたのだ。
ゲームに強くなるためには先ずは地頭を良くすることが必要だろう。
記憶力は高いほどよいし、論理パズル、数理パズルはできればできる程よい。
ボードゲームの複雑なルールに親しむためには、色々な遊びを偏りなく経験することも糧になるだろう。
ゲームを背景まで深く楽しむには科学、経済、歴史、地理、芸術、音楽あらゆる文化についての教養が身についていればいるほど良い。
ボードゲームの中でも重ゲーをやるためには長時間のプレイに耐えるために、体力づくりだって必要だ。
紳士的なプレイのためには社会的で協調性も持っているべきで、広い友人関係も築いてもらう必要がある。
このように学ぶべきことは無数にあるが、子供は詰め込み教育や押し付け教育を嫌う。
どんなに大人が急ぎたくとも、子供がそのペースに進んで付いてきてくれるわけではない。
だから、あくまで遊びの中で、褒めておだてて、根気強く各種のスキルを身に着けさせていくことが必要となる。
フラッシュカードやメモリーゲーム、ジグソーパズルのような基礎的なゲームから初め、
音楽や体操など、五感を使ったあらゆる遊びの中で楽しみを与え、無意識のうちに少しずつ染めていく。
この計画は、今のところ功を奏しており、月齢にしては極めて順調に言葉と知恵を獲得しているように見えている。
だがしかし、実行してみるとよく分かるが、光源氏計画には思っていた以上に気の遠くなるほど長い時間と熱量がかかる。
確実に一歩ずつ進んでいることには間違いないが、困った話だ。
しかし、理想のライバルを一生得ることができると思ったら、やる気も続くというものだろう。
そうは思わないか?
これ面白くて、未来が自分の後ろ側にあった時代には矛盾がなかったんですよ
我々現代人は普通「未来が前、過去が後ろ」なのが当たり前だと思ってますが、昔は過去が前、未来が後ろにあったんです
全く日本独自のことではなく、古代ギリシャやソマリ語など世界の地域/言語であった/あることらしいですが https://t.co/3iG9Uaqgae pic.twitter.com/hkoAEAJjB0— 重藤小藤太 (@Kotouta_Sige1) February 18, 2024
この言説は正しいのだろうか。この場合、過去に書かれた文学などにおいてどのような用法があったかを確認すればいいだろう。というわけで『源氏物語』から「先」が未来をあらわしている箇所を引用する。
わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ行く先も頼もしげなめることと思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせ給ふ。
「私の治世もいつまで続くかわからないのだから、(光源氏が)臣下として朝廷の後見をすれば、この先も頼もしいだろうと考えて、さまざまな学問を習わせた」といったところだろうか。この「行く先」は未来を指している。
中に十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなえたる着て走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなる容貌なり。
「その中で、十歳くらいに見えて、白い衣に山吹襲の着慣れた上着で走ってくる女の子は、その他の多くの子供とは違って、将来が楽しみな可愛らしい容姿をしている」といったところだろうか。この「生ひ先」も未来を指している。
我が心ながら、かかる筋に、おほけなくあるまじき心の報いに、かく、来し方行く先の例となりぬべきことはあるなめり
「自分のことながら、このような身の程知らずのあってはならない恋の報いとして、このように後にも先にも例になりそうなことが起きたのだろう」といったところだろうか。「来し方」は過去、「行く先」は未来、という時間の感覚がよく分かる。
一方で、もちろん「先」と書いて過去を指している箇所もある。
あこは知らじな。その伊予の翁よりは、先に見し人ぞ。されど、頼もしげなく頚細しとて、ふつつかなる後見まうけて、かく侮りたまふなめり。さりとも、あこはわが子にてをあれよ。この頼もし人は、行く先短かりなむ
「おまえは知らないのだろう。(姉君と私は)その伊予の老人よりも先に会っていたのだ。けれど、(姉君は私のことを)頼りなく弱々しいと思って、あのどっしりとした男を夫として、このように(私を)馬鹿にしているらしい。とはいえ、おまえは私の子でいてくれよ。あの頼もしい人は老い先短いだろうから」といったところだろうか。この箇所には二つの「先」があるが、「先に見し」は過去、「行く先」は未来を指しているのが面白い。
このあたりを見るかぎり、単に「先」といえば「過去」あるいは順序的な「前」を指しているが、「行く先」のような言い方だと「未来」になるようだ。これは現代的な感覚としてもわかるのではないだろうか。「先に〜〜する」と「この先、〜〜する」の違いだ。
ではさらに遡って中国では「先」という漢字はどのように使われてきたのだろうか。
先(拼音:xiān)是汉语一级通用规范汉字(常用字) 。此字初文始见于商代甲骨文及商代金文,古字形从止(指脚)从人,人举足则前进,表示在前面的意思。 先的基本义是走在前面,引申为时间或空间的次序在先。引申用作名词,特指祖先,又指过世的,多指长辈。
先(拼音:xiān)は、中国語の一級通用規範漢字(常用字)です。この字は商代の甲骨文と商代の金文で初めて見られ、古い字形は「止」(足を指す)と「人」から成り立っています。人が足を上げると前進することから、先は前にあることを示しています。先の基本的な意味は先頭を歩くことであり、時間や空間の順序が先にあることを意味します。名詞としても使われ、特に祖先を指し、また亡くなった人々、特に長老を指すことが多いです。
意味などを調べてみたかぎり、どうも中国語では「先」が「未来」を表すことはなさそうだ。空間的な順序では「前方」側、時間的な順序では「過去」側、で統一されているらしい。このあたりは中国語に詳しい人の解説を求む。
原義が「先頭を歩く人」で、時間的には「過去」を表すというのは、どう考えればいいだろう。イメージとしては、人々が一列に並んでいて、自分はその真ん中あたりにいる。空間的には、列の先頭の人は、自分の前方にいる。しかし、時間的には、先頭の人が先に動き、自分はその後に付いていくことになる。先祖代々が一列に並んでいるところを想像すると、その「先頭」はいちばん古い人だと考えるのが自然だろう……ということではないか。
精選版 日本国語大辞典
先・前(読み)さき
日本語の「先」には「目的地」という意味がある。たとえば「出掛け先」だとか「勤務先」のような言い方である。そして先ほどの「行く先」はまさにこの用法だろう。つまり「先」という漢字から、まず「目的地」用法が生まれ、それから「目的の地点」を「時点」にするイメージで「未来」用法が生まれた、と考えるべきかもしれない。
まとめ。
1. 日本語では「先」が「過去」を意味したり「未来」を意味したりする
3. 中国語では今でも「先」といえば「過去」だけを意味するらしい
残りの課題。
先日、知り合いAの披露宴に出席した。Aは大学時代の同級生で、同じサークルに所属していた。
インターネットで1年前に共通の趣味を通じて知り合い…といった感じで馴れ初めが紹介されていたが、一つ大きな嘘がある。
二人が知り合ったのは8年前。そして付き合い始めたのは5年前だ。
二人はあるFPSを通じて出会った。ほぼ毎日ゲームを一緒にやっている中で、次第に親密になっていった。
気づけば二人はフレンドを超えた関係になっていた。
だから、結婚すると聞いたときは驚いた。成人したBはもはやストライクゾーン外なのではないか、と。
だがそうではないらしい。Aは別に若い女の子が好きなわけではなかった。むしろ、世間一般の女性に対する忌避感が強かったそうだ。
だから、「婚姻相手の青田買い、企業で言うところのインターン採用」をしたらしい。
Bの可能性を見込み、市場価値の付かない内から手を付けておく。時間と金を大量に投資し、世間の価値観に汚染される前に、自分にとって理想の女性へと育て上げる。
どうやらそれは成功したようだ。
披露宴で見たBはとても美しかった。そして話してみると人当たりの良さと聡明さを感じた。
事実、Bは一流の大学に通っている。それも、Aが受験勉強を教えていた賜物かもしれない。
Bによれば、Aは大学受験に向けて高校3年間をずっと伴走していたそうだ。
特に受験前の1週間は、長期休暇を取って最後の対策に付き合った。
Aは新課程用に独自に研究した想定問題を用意し、実際、その内の数学の1問は当たったらしい。
俺が言うのもおかしな話だが、きっとそれはBにとっても幸せなことだったと思う。
Aは悪いやつじゃないし、社会的なステータスも同世代に比べれば二回り以上高い。
仮に彼女がAと出会わなかったとしたら、彼女が大学に行くことは無かっただろう。
そうして、生まれ育った町で高校卒業と同時に就職し、そこで骨を埋めただろう。
ああ、俺は8年間何をしていた?
同世代の女とくっついた別れたを繰り返して、無為に過ごしていただけだ。
そうして今は婚活市場に身を投じ、非常識な人間に精神をすり減らし、デートのために馬鹿にならない金額を出費し、未だに結果は出ていない。
Aは俺みたいになるはずだった。同じ穴のムジナだと勝手に思っていた。でもそうはならなかった。
俺はAが羨ましい。Aの先見の明、度胸、そして狡猾さが羨ましい。
Bはきっと、良い妻にも、母にもなるだろう。その学歴と人当たりの良さがあれば、キャリアを積むのも容易いだろう。
Aは先見の明と長期戦略を以て、あらゆる経済的・社会的リスクを背負い、婚活市場で最も価値のある20代の時期すらも犠牲にして、Bの教育に費やした。
そうして、賭けたものに見合ったリターンを得た。
Aは大きな賭けに勝った。ただそれだけのことだ。
二人の進む道に幸あらんことを。
何かあればすぐセックス、悩めばセックス、若いセックス、熟女セックス、セックスセックス。
思春期の少年かよ、そんなにセックス好きなら官能小説賞でも作ってろや。
夫婦生活もカップルも、セックスしてるのは一緒に居る時間の10分の1くらいにも満たないのに、なんで小説の方がセックスセックスなんだよ。
お前が感じている「面白さ」ってのは、文学としての「面白さ」じゃなくて、実は他人のセックスを覗き込む「面白さ」を「文学」だと勘違いしてるだけじゃないのか。
若いうちから賞を手に入れて、小説家としてのキャリアを進んだ人間が身内だけで評価してるから、もう文学じゃなくてただの貴族の暇つぶしなんよ。内容が光源氏で終わってるんよ。
文学賞とったら人生あがり、インタビュー受けるか旅行行くかしかやること無いから、大学生くらいで人生経験が止まっているのよな。
だからセックスとモラトリアムで文学が終わってんのよ。俺らはとっくに大人になってんの。
どの芸術分野にも、強すぎるが故に行うのが「無粋」として行われるものが存在する。
お笑いで言えば下ネタ。料理で言えば味の素、少し昔ならデミグラスソースなんかそうだ。
効果的で完成されたものは、芸術を画一化し進歩を止めてしまう。
ここ数年の「文学」はその無粋を行いすぎている。
第三者から見れば糞詰まんねぇ身内ネタを有難がっている。周りはとっくに飽きている。
銭湯に描かれた富士山のように、見ていて恥ずかしくなってくる。
観念としての同性愛とか異性愛みたいなのがそもそもない世界観で漫画って描けないものなんっか?
同性愛を忌避するからこそ同性愛というのはカテゴリとして切り出され名詞として概念化されるわけだし、同性愛って概念があるからこそその対比として異性愛っていうのがわざわざ概念化されて意識されるんだよな。
つまり恋愛対象を決めるためのファクターとしてそもそも性別を勘定に入れない文化、世界においては同性愛も異性愛もクソもなく、等しくなんらかの形の恋愛があるだけとなる。
そういう現実とは違う感覚の世界をわざとらしい説明文句なく自然と描いてる作品があったらLGBTqに関する啓蒙にもなると思うそう何より純粋に面白い
カテゴリとしてのボーイズラブっていうのは多様性に効果があるようで単純に男と男の恋愛を商品化してるだけ。男と男であるという組み合わせとしてむしろ性別という概念を強調してしまってるだけなんだよな。当然百合も同じ。
そうじゃなくてさ、たとえるなら源氏物語の光源氏みたいな遊び人が男も女も構わず、というより性別というファクターがそもそも考慮に入ってないために性別であえて見たら偏りなきいろんな人に手を出してるみたいな作品があればいいとおもうわ。当然世界観としてそうであるから、他の登場人物も現実の用語でいうなら全員パンセクシャル。(ただその世界観においては異性愛自体異端じゃないし概念としてないのでパンセクシャルという言葉を作中で使ったら不自然)
ただそういうの出したとき電子書籍とかでどのタグで売ればいいのか困るかが些細な問題。まあ普通に少年漫画でも少女漫画でもいいじゃねそこはむしろただの画風という視覚的な問題であって物語の筋はあんま関係ない