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はてなキーワード: ねじとは

2023-11-04

anond:20231102152941

8割くらいは「自分が悪いことしたから」って分かってて、でも認めたらプライドが傷付くから黙ってる

更にそれを「相手が話聞かない人だから言うだけ無駄」のパターンねじ込んで認知歪めて他責にして自己保身図るまでが様式美

2023-11-02

anond:20231102162137

いや良くないよねじゃなくて現におまえらそういう考えで生きてるでしょ

そっちがそのつもりならこっちもそうするよというだけなのに

なぜ片方だけクズ扱いされるのかという話

2023-10-30

anond:20231030024415

特に発達障害高学歴の人からしたら、弱みをなんとか学歴カバーしてこれたのに

これはなんか微妙なところじゃないか

まり別に転職しなきゃそもそもこれ露呈するタイミングすらないわけで

ハイキャリア転職なら今更適性審査ないとこも多いし、(まぁ隠そうと思えば多少はごまかせるし)実績でねじ伏せられるからそこまで困るとは思えない

学歴だけ高くても複数回転職を繰り返してて自覚的レベルの人は、別にこれまでもそんなに変わらんのよね、落ちるし、入っても苦労する

学歴だけじゃあごまかしきれないよ、クローズ就労続けて疲弊して潰れてオープンに変えた人、むしろ時代的にオープン就労枠がなかったから苦労してた人、色々見てきた

「強みを武器にして弱さを補う」を完璧に実現できてる人はそもそもこの程度の網にはかからないレベルちゃんと到達してる

……ん? ああ、新卒の話だったらそれは確かに苦労することもあるっちゃあるか

そういう話か? まぁ隠し方を覚えることになるのかね、数こなしてると見えてくる気はするけれど(そもそも適性審査ってそこまで厳格でもないし)

2023-10-29

男だけど他の男から逃げたい人生だった

現在アラフォーの既婚男性中高一貫男子校に通っていた時代から、男から逃げたくてたまらなかった。

最初被害高校1年で、当時の自分はいわゆる男子校の姫ポジだった。チヤホヤされるとまではいかないけど周りにも可愛がられて満更でもなかった。だけど、体育祭ちょっと目立ったことで1学年上の先輩に目をつけられた。相手運動部の副キャプテンで人気者だったから、最初は仲良くなれて嬉しかった。でもこちらが心を許した途端、人が変わったみたいに攻撃的な一面を見せてきた。いわゆる性加害を彼の卒業まで受け続けた。うっすら気づいてた奴もいたと思うが、誰も助けてくれなかった。むしろホモ野郎と陰口を叩かれ死にたかった。先輩は大学ではすぐに可愛い彼女を作ったそうだし結婚もしたので、彼がゲイだったわけではない。おそらく有り余る性欲をぶつける手軽な相手が欲しかっただけなんだろう。それから俺は男同士の接触に対して極度の嫌悪感を抱くようになり罪なき同性愛者やBL作品にも憎しみが湧くのだが顔や言葉に出さないよう注意しながら分別のある大人をやっている。

大学地元から離れ、女子の多い学部を選んだ。女を見る目がなくヒステリックメンヘラに捕まり交際中に殴られもしたが、こいつは自分に力づくで何かを強要することはできない思うと気が楽でもあった。相手ヤバい女として有名だったので、俺が殴り返すなどしない限り俺の評判は傷つかないと確信できたのも大きいかもしれない。学校の人気者に力と権力ねじ伏せられた経験を経ると、メンヘラに別れ話を切り出した後に死んでやるとメール攻撃を受けても「じゃあ死ね」と思って無視できた。相手はある瞬間に急に俺への関心を失い、死なずに卒業した。卒業まで無視されたが周りの友人には恵まれたのでどうということもなかった。

就職後は友人のひとりとルームシェアした。俺は就職してすぐに関西に飛ばされたのだが、そいつ地元就職しており実家には帰りたくないとのことでちょうど良かったのだ。親友とも呼べるやつだったが暮らしていくうちに横暴になり気に入らないことがあると物に当たるようになった。それがエスカレートして普通に殴られるようになった。とうとう真冬に家を追い出され、知り合いの少ない土地で行くあてもなく本気で死を考えた。恥を偲んで相談した警官にはゲイの痴話喧嘩だと思ったようでかなり適当にあしらわれた。唯一仲の良い同期が近くに住んでいたので頼った。泊めてはくれたが、「お前の同居相手ガリやん、なめんなってワンパン入れたったらええやん」と笑われた。当時の俺は鍛えてきてガタイもよかったが、暴力において重要なのは筋力ではなく相手人間として見ない力だ。幸か不幸か俺にはそれがなかった。ずっと世話になるわけにもいかず、そろそろ彼女を連れ込みたそうだったので3日目くらいにルームシェアしている部屋に戻ったら、友人は心底心配して反省しているように見えた。もうしないと言われたが信じられなかったし早く引っ越したかったが金がなく無理だった。それから数ヶ月ビクビクしながら過ごしボーナスが出たタイミング仕事も飛んで東京に戻った。

今はまともな妻と結婚幸せ暮らしている。だが時々過去暴力フラッシュバックして辛くなる(誰も本気で助けてくれなかった苦しみなのかもしれない)。最近妻の友人が夫からDVを受けて女性シェルターに入ったと聞いた。安心する一方、自分もあの時警察相談してシェルターに入れば良かったのか・・・?と思って調べたが男性用のシェルターそもそも存在しないっぽかった。女性シェルターは当然男性入居不可なので俺の入れるシェルターはない。

2023-10-28

anond:20231028015855

それだけ性根がねじ曲がってる時点で人との関係環境に恵まれなかったんだろうに。正直対面で関係を持てない相手依存してるのを見ると哀れんでしまうわ

積極的に優しくしろとまでは言えないがわざわざ論って攻撃することも無い対象だろ。余計孤独攻撃的にさせるだけだ

2023-10-26

anond:20231025194350

コンセプトカーもまともに作れない企業哀れなんだけどね

スゲえねじ曲げて日本衰退ポルノやっちゃう人、どうせEVどころか車持ってないんでしょ

2023-10-25

anond:20231025205223

ワイみたいなねじくれた人間がにっこりしてしまう不幸な人生を書ける才能、なかなか見どころがある。

売女の不幸は蜜の味

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

anond:20231024005450

根本的に18歳未満が絶対侵入できないようにするのがちゃんとしたゾーニングだろ

レンタルDVDドンキアダルトコーナーも、奥が丸見えののれんだよ

毎回身分証確認する人とか立ってたか???

コンビニだって酒やタバコボタン押すだけ

ゾーニング立派にしてるほうだよ、自分の嫌いなもの否定するときだけ都合よく世の慣習をねじ曲げんじゃねえよ

2023-10-24

anond:20231024114617

そうなると彼女努力って割と徒労というか

一般音楽シーンにも通用する曲で勝負するぜって感じがいけすかない層も当然出てくるよね、出しゃばってくんなって

そしてそれをねじ伏せるだけの歌唱力はないわけで…

いかにも自分Vtuberでっせって丸出しの曲出してる人のほうが素直に評価できる気がする

2023-10-23

かにオレ様系みたいな男が好きではあるんだけど、フィクションの中に限る、って感じで現実でそういう男は無理だなって思う

フィクションの中でそういうタイプが好きだと思うのは決まって種族人間ではない(Fateギルガメッシュみたいな)ときだけなので、人間に対して傲岸不遜なのは気にならないし、力でねじ伏せられる展開にあまり違和感がないんだが、リーマンBLのオレ様とかは死ぬほどイラつく。

包丁で刺されたり身体に火をつけられた程度で死ぬやつが粋がってるのはダサすぎてありえない。身の程を弁えて生きてろよと思うしそんな態度取られたら社会的に殺すぞみたいな苛立ちしか湧いてこないし魅力とかないんだよね

若いはいいのかもしれないけど、年取ったら家事ができるとか話が面白いとかの人間の方がよっぽどいいけどな。話がつまらないのはちょっとしんどいかもしれん。

2023-10-21

他の職業レポマンガあるのになんで漫画編集だけ色々言われんのって意見があって、職業がどうのって問題ではなくて扱う内容の話だと思っているので前提から違う気がするんだよなあ……

レポマンガが必ずしもポジティブな内容であるべきではない、と思う

匿名アカウントで、しか正義感が透けて見える(サンドバッグのところ)

ある程度フェイクが入れている前提だとしても、相手卑下して己の真っ当さを主張するような内容が受け入れられなかった

作者はそんな意図で描いたわけではないのだろうけど、ねじ曲がった読み方をする人は私を含めて一定いるから、そこのズレは同情する

でも、それなら何が受け入れられたんだろうね

相手卑下して、と言うとこまで書いて、前によく見てたクレープ屋のアカウントを思い出した

あれも内容次第では客を茶化した実話マンガマンガというかイラストというか)と言える

ただワンシーンだけ切り取ってるし、笑わす目的だし(これもどうなんだ)、デフォルメの絵だからリアリティを感じられなかったのかもしれない

リアリティのない絵ならいいのか?

からない!

わからんので、内容が気に食わなかったか同人作家ーーというか同人女たちが騒いだのだと思うことにした

バズと炎上タイミングと運だから深い理由はないんだろう

分析してもしゃーねーな!風呂入ろう

anond:20231020235932

いくら事実ねじまげて相手をだまそうとしても

数字を出されて終わり

哀れだね

2023-10-19

anond:20231019183936

そういう批判結構多いよ

下請けの車がトヨタ工場の前で待機してたりするし(早すぎても遅すぎてもダメから、結局工場の前で待機するしかない。納入が早すぎてもダメってのがキツイんだよな)

 

それにトヨタ下請け収益構造ねじ一本の単位で把握したうえでまだこれだけ雑巾絞れるだろって毎年原価低減押し付けてくるから

下請けは大変だよ

 

育ちからの罪悪感はともかく、一般論としては常識のものではないから口を必要以上に閉ざすことでもないとは思う

anond:20231019130406

言葉遊び

耳目を集めるためにやってるだけで、思想自分の都合の良いようにねじ曲げるためのツール

2023-10-18

anond:20231018102805

馬鹿に「あいつは礼儀が出来てない」って目をつけられないんだから、上辺だけなぞるだけでも効果があるだろ。

「上辺だけなぞっても都合の良い人止まりからなあ」で何かが伝わると思ってるのも「待遇アップをねじ込む作戦」とか言い出すのも頭悪そう。

anond:20231018102625

自分待遇を良くしてくれる見込みがないなら、ゴマするだけ損じゃん?

ちゃん自分待遇アップをねじ込む作戦あるの?

それなしで媚びるだけじゃただの無能

2023-10-15

anond:20231014190743

森永ミルクキャラメルはどこのコンビニにも売ってるだろ

ミルキーキャラメルみたいなもんだしな

 

それより俺の好きなクッピーラムネ代表される粉っぽいラムネの方が売ってない

固められた森永ラムネ系統ハイレモンミニコーラなどメジャーどころが色々出てるんだがな

ねじった小袋に5連で入ってる小さいやつが好きなんだがな

2023-10-14

anond:20231014025309

何でレズビアンだけこんな目にあわされてるんだろうな。

ゲイは暢気にトランス擁護繰り広げてるとこを見ると、身体男性だけのゲイイベント差別だとか、トランス男性ゲイヴァギナ受け入れないのは差別だってされてないんだよね、異性愛男性ペニス付きトランス女性恋愛イベントに混ぜないのは差別だとかされてないんだよね。

トランス女性も女が好きなら無理矢理女体が好きな女にねじり混まずとも、トランス女性同士で付き合うとか、女装男性が好きな女と付き合うとか有りますやん。

なんで一番嫌がる女をピンポイントで狙うんだよ。

女のイベントに男の体の男の性欲を持ったトランス女性が混ざる破壊力が解らないのかな。

何で身体女性が好きなレズビアン差別主義者だから認められない!とか訳わからん弾圧されてるんだろう気の毒に。

2023-10-13

anond:20231013103218

それIQでもよく言われる与太話だが世間の99%より10以上上だが普通にコミュニケーションできてるけどね

できないのはIQより青葉みたいな性格ねじ曲がった卑屈かつ傲慢なやつ

2023-10-12

anond:20231012035420

共同親権ねじれているのも似てる。

欧米の地で、日本人女性と現地の男性国際結婚する。

夫に無断で女性子供日本に連れ帰るとする。



日本法律家市民運動家構成されたチームを作ったら、きっと需要があるんだろうな。

欧米民法よりも日本民法を優先し、女性への単独親権を認めるように欧米法律家を説得するネゴシエーションチーム。

2023-10-10

anond:20231010034423

ガンプラを出すことが決まっているので無理をしてでもシナリオねじこむしか無く、ストーリーが変になったり機体が空気になっている。

40年近くコールドスリープしてたのか???

水星魔女を見たが非常に不満が大きかった

スレッタとミオリネの両方に社会性がない

スレッタは恵体で優秀なパイロットだが、水星田舎者で救助の仕事だけしてきて、素の性格アニメを見てスクールラブに憧れていた凡庸JKから

社会に関心がなく、恋愛友達家族しか興味がない視野が狭いキャラクターとして描かれていても、別に違和感や不満はなかった。

しかし対比となる、都会育ちでベネリットグループ総裁の娘として生まれたミオリネまで社会に関心がないとは思わなかった。

ミオリネまで社会格差家業に関心がないなら、デリングとシャディクに保護されて籠の中の鳥のままでいたほうが良かったのでは?と思ってしまった。

ミオリネの父親スレッタの遺伝情報上の父親を殺していることについて、「父親がやったことだから私には関係ない」と即解決され葛藤が一切無かったのも、

正論かもしれないがキャラクターとしての魅力を大きく損なったように思う。

 

スレッタが酷いことを言われても耐えるキャラのまま終わった

スレッタが強化人士4号にしつこく質問して地雷を踏んだのも悪いといえば悪いが、4号に酷いことを言われて「それでも好き」、

スレッタがプロペラ洗脳されているのにも問題はあるが、ミオリネに酷いことを言われて「それでも好き」、

エリクトには突き放され、プロペラからエリクトよりも優先順位が低い娘という態度を露骨にとられるが、

「それでも好き」という嫌な天丼をやられた印象がある。

こういう、冷たいことばかり言われて、いたぶられるポジションに置かれやす女性類型としてあるといえばあるのだが、

ガンダム初の女性主人公としては見たくなかった形だった。

 

シュバルゼッテとデミバーディングの無理矢理挿入された印象

シャディクがガノタに不人気で、本編でも見せ場がいまいちだったかミカエリスが売れない、などと言われていたが、

2期機のシュバルゼッテとデミバーディングはミカエリスとも比較にならないほど扱いがひどかった。

まずラウダがノレアペトラをケガさせられた八つ当たりでミオリネを殺そうとして兄を殺しそうになる(?????)という、

訳のわからない戦闘一回だけにシュバルゼッテは使われて消滅した。

グエルに期待して、期待が裏切られて反転アンチ化し、メインシナリオ無関係に殺しに来るというろくでもないキャラだった。

デミバーディングはもっと印象が薄い。ただ人間を運搬しただけでしかない。

マルタンが出しゃばりすぎたためニカとチュチュ関係が薄いものになってしまい、自動的にデミバーディングも影が薄くなった。

ガンプラを出すことが決まっているので無理をしてでもシナリオねじこむしか無く、ストーリーが変になったり機体が空気になっている。

 

クワイエット・ゼロが結局何なのか分からない

おそらくこうなのだろうという予想を大勢視聴者がしているが、本編中にろくに説明がないためほぼ憶測しかない。

ノートレットの理想デリングが引き継ぎ、プロペラがそれを利用しようとする、それぞれの思想ビジョンが全部不明瞭だった。

結果、「何のためにスレッタが身を削ったのかよくわからない」というのは致命的なのでは。

 

格差描写無意味作品としての倫理観が粗末だった

4号、ソフィ、ノレア、フォルドなど社会底辺出身ネームドが次々に死んだ。

虐殺したデリングはお咎めなし、強化人士を殺したペイル社CEOもお咎めなし、

そして宇宙議会連合軍大量虐殺したプロペラの罪はなぜかシャディクが被るなど、

罪と罰の扱いが非常に適当ものになっていた。「赦しがテーマ物語」とするにしたって雑すぎないか

勧善懲悪物語現実乖離しており安っぽくもあるのだが、いくらなんでもここまで混沌とさせ説明カットする必要があったのだろうか?

結局、死んだネームドは底辺まればかりだったという印象が残る。

宇宙議会連合唐突殺人光線から人を守ったスレッタや、失神したモブ生徒を救おうとしたペトラなど、

スペーシアンについては「利他的な行動をした結果として重度の身体障害者になっている」のも、何が言いたい?

ラウダによる地球メンバーロウジ、フェルシーに対する殺人未遂も適当に扱われて無罪になったようだし、

利他的な行動をとると障害者になって、他責思考加害者についてはやりたい放題であるというのが物語結論のようだ。

 

追記

デザイナー発注時シュバルゼッテはグエル搭乗機で赤い機体だった

グエルが最後までスレッタたち主人公サイドの敵で、シュバルゼッテ乗って死んでたとしても、

本筋と無関係なとこで謎にフェンシングしたり謎に弟に殺されかけるよりはマシだったわ。

敵対して死んでも共闘してもどっちでもいい。本筋と無関係なとこで意味わからん戦いに消費されたのが一番萎えたわ。

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