はてなキーワード: 風向きとは
あなたにはネットメンターはいるだろうか。あなたが尊敬しているところの、例えばブログとか書いてる人で、考え方が人生の参考になるような人のことだ。
自分は今30代になったばかりだ。これまでにネットメンターは四人いた。それぞれ、当時は夢中になってブログを楽しんでいた。
今となっては活動をやめている人が多い。でも、やっぱり今でも感謝というか、これは灌漑というのだろう。自分という人間は、その人らの考え方を楽しむには齢を取り過ぎてしまったのだなぁ、と感じることがある。
今回は、素人の拙い文章になるけど、懐かしい記憶を堀り起こしてみたい。なお、皆さんおそらく存命だと思うので、ブログへのリンクとかは貼らない。迷惑をかけないためだ。
1人目 げっべさん
未成年の頃だ。当時、携帯電話を買ってもらったばかりの自分は、mixiに登録していた。それで、コミュニティを探していたところ、「笑っちゃダメな時に笑っちゃう」というのを発見した。
どういうコミュニティかというと、文字どおり笑ってはいけないシチュエーションで噴き出してしまい、周囲から冷たい視線で見られた、恥ずかしい思いをした体験を参加者が綴っていくのだ。
人間、飲み会なんかで皆が笑っている時に黙っていたりするのは、まだ何とか許される。しかし、葬式の最中にいきなり爆笑したりなんかすると、周囲の視線が冷たいだろう。このギャップはなぜ生じるのか。当時、中学生だった自分には新鮮な疑問だった。
それで、この当時から登録者20数万人を抱える当コミュニティの管理人がげっべさんだった。過去日記を見たところ、ナチスドイツのヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相大臣から名前を拝借したと思われる。
過去日記で、いろいろ面白そうなやつがあったので覗いてみたところ、これがまた最高だった。視点が斬新で、文章力があって、知性が抜群だった。
あとは、この人はDLsiteでR18の同人作品を作って売っていたのだが、その関連で創作における女性性について語るところの新鮮みが凄かった。あんな論説は見たことがないし、今後も見かけることはないだろう。シロクマ先生でもメロンダウトでもフミコフミオでも書けない。基本読書の人ならなんとかなるかもしれない。
実は、メッセージを何度かやりとりしたことがあるのだが、当時中学生だった自分にも優しく接してくれて、まさにTHE★大人だった。神だった。この御方こそが人生最初のネットメンターだ。
30代になった今、久しぶりにmixiにログインしてみた。友達だった約50人は全員mixi利用をやめていた。確認しなくてもわかる。確信があった。
プロフ画面を眺めていたところ、若かりし日のアルバイト先でみんなに可愛がられていた高校生の『ゆめちゃん』が、今では32才になっていた。あまりにリアルな現実だった。信じられないよ……。
感傷はなくて、温もりのある懐かしさがあった。薔薇の香りや、紅葉の美しさがわからなかったあの頃の、子どもっぽくて拙いコミュニケーションの思い出が蘇ってきた。私は、あの頃はどんな思いで人生を過ごしていたんだろう。感慨が込み上げてきた。それから小一時間、mixiの思い出めぐりを楽しんだ。
で、げっべさんの話に戻るんだが、今ではあの人について何となく理解できるつもりだ。おそらく、今でいうところの発達障害とか、自閉症とか、そういうTypeの人だったんじゃないか? と思う。いや、当時のメッセージのやり取りとか、あの人がDLsiteで売っていた作品を再度鑑賞したり、ほかにもいろいろ思い出してみたけど、たぶんそうだ。
いわゆる、人生を生きるのが難しいタイプの人だったと思う。でも、そんな苦しい状況の中でも、mixiで屈指の人数を誇っていたコミュニティの管理人を務め上げて、創作活動もしていて、何より哲学的かつエロティックな日記が神髄の人だった。
今改めて、感謝を申しあげたい。当時は生意気な中坊~高校生だったと思いますが、いろいろとありがとうございました。
2人目 伴さん
この方を知ったのは、当時新卒で入った組織で苦悩していた時だ。偏差値45ほどの大学を出て、生まれ故郷の市役所に勤めることになったのだが、まあこれが辛い日々だった。
地方公務員ってさ、どんな人が職場に適応できると思う? ブクマカなら知ってるかもだけど、小学校や中学校で内申点が高くて、地元名門校に入学できるような人が地方公務員に向いている。早い話、クラスのリーダーとか、ムードメーカーとか、生徒会長とか、スポーツ万能とか、とにかく何らかの形で先生から高い評価を受けていた、そんな感じの人だ。
自分は違った。コミュ障だったり、ネクラだったり、納豆だったりして、クラスに馴染めなかった。「置かれた場所で咲きなさい」とはいうけれど、発芽すらしなかった。そんなモノが社会人になっても通用するはずがない。
そんな時に、伴さんのブログに出会った。この人は防衛省に勤める国家公務員だった。自分と同じく、公務員に適応できないタイプの公務員。ただし、自分と違って仕事ができるし、頭はキレるし、嫁さんもいるし、お金持ってるし、なにより理想に向かって匍匐前進している感じが格好良かった。当時は、目に穴があくほど彼の記事を読んだものだ。
で、この伴さんは協調性のなさが災いして、職場でいろいろひどい目に遭っていた。それでも努力をやめない姿勢がすごかった。当時20代半ばだった自分は、それらを見習っていた。
伴さんのように米国株投資を始めて、FXも始めて、タバコを吸い始めて、仕事でマウント取られたらニコニコと受け流して、いつの日か相手がボロを出したら攻めて攻めて攻めまくって、野良犬がキャンキャンと吠えて逃げるまで攻め立てて、相手が討論中にメンチを切ってきたら大声で威嚇して、相手の傍まで寄っていって「殺すぞ!!」という感じでこちらもメンチを切った。
実際、自分が伴さんみたいに行動するようになって、みんなの見る目が変わった。前みたいに馬鹿にされなくなったし、男性ホルモンが増えたみたいになって仕事を頑張れるようになったし、実力が上がったし、今は市役所の庁舎管理の仕事をしてるんだが、上司から1件につき20万円までは好きに契約事務をさせてもらえるようになった。
さて……実は、自分は失敗した。伴さんがやってるみたいに、男性ホルモン全開で仕事を進めていったところ、致命的なトラブルを起こして仕事を干されたことがある。まあ、初めての大失敗だったから、結局許してはもらえたんだけどさ。あれは反省した。
今ではわかることがある。結局さ、人間で一番大事なのって、仕事ができることじゃないよな。相手を尊敬するとか、嫌な仲間とでもうまくやっていくとか、話の通じないお客さんがいても精一杯やりとりするとか、悪いことしてる人がいたら怒ってでも咎めるとか。人間にはそういうのが大事なんだよな。
実力とかお金とか持ち物って、その人が死ぬ時には実質意味がなくなってるけど、人柄とか人格って、命が途切れるその瞬間まで残るじゃん。もしかしたら、あの世までもっていけるかもしれないじゃん。
実際、伴さんは、あの人が自ら言っていたように社会不適合者なのは間違いないと思う。いつも何かに怯えていて、他人の視線が怖くて、しかし戦わずにはいられない。いい結果を出し続けて、みんなをギャフンと言わせてやる、自分を認めさせてやる!! そんなスピリットでひたすらに頑張っていた。それは、自信のなさの裏返しだった。
で、結局この伴さんは、嫁と子どもがいる状態で国家公務員を辞めて、民間企業に営業として入って、しかし通用せずに大失敗して1年で辞めてしまったらしい。その後は、「自営業としての記事代行サービスでメシを食ってる」みたいな記事を拝見した。
残念ながら、数年前のそれが最後の更新になった。たまにサイトを見に行っているが、更新される気配はない。
伴さんに倣っていいこともしたし、悪いこともした。後悔していることもある。特に、不用意な言動で仕事仲間を傷つけてしまったことだ。
けど、伴さんがいなければ、男性ホルモンをめらめらと燃やす自分に出会うこともなかったと思う。そんな体験がなければ、目の前の人間を尊重すること、いたわること、常に気にして動くことに関心が向かないままだった。
そのことに気づかせてくれたのは、紛れもない伴さんだった。コミュニケーションを取ったことはないけど、俺はあなたに感謝してる。本当にありがとうございました。
三人目 高田机上さん
2018年頃から活躍しているブロガー。2019年頃だったか、自分が恋愛のうまくいかなさに悩んでいる頃にブログを拝見した。確かバズった記事があって、はてなブログのトップの方に載っていたのだった。
恋愛の一般論から始まって、男性のダメなところを取り上げたり、女性の心の視点に立ったり、恋愛に必要な各要素(清潔感とか...)を論じていったり、男女の付き合い方を細々と説明していたり……。
当時は、これだ!! と思った。ここまで体系的に男女別の視点から恋愛を論じたブログは初めてだった。恋愛指南のサイトは数あれど、それらはほぼ商業サイトであり、噓八百でも面白ければよかろうなのだ!!(勝てばよかろうなのだァァァァッ!!)、みたいな記事ばかりだった。でも、この高田机上さんは、元モテない男性として等身大の自分を出していた。
が、風向きが変わってきた。2020年頃までは、恋愛のTipsを事細かにひとつずつ紹介していたが、次第にモテない男性をバカにするような内容が目立ってきた。
特に、2022年に始まった男女差LINE学がそうだった。LINE的に非モテムーブを取る男性を論い、ひとつひとつ侮辱的な言葉でダメ出しをしていく。挙句の果てには、女性がする恋愛上の遠回しな「お断り宣言」(婉曲な言い回し)を説明する際、自分の本の出版を編集者に暗に断られた際の恨み言を述べていた。
半年ほど前から、高田机上さんのブログを読むのをやめた。男女差LINE学長すぎやろ!! と感じたのもあるが、何より自分の読者層であるモテない男性を馬鹿にしていて腹が立ったからだ。実際、この人の記事のブックマーク数はほぼゼロだ。昔はバズった記事があったけれども、近年は閑古鳥が鳴いている。
もし、男女差LINE学みたいなシワいコンテンツじゃなくて、もっと面白いシリーズが出たら読もうと思っていたが、一時引退するらしい。「専業作家に挑戦し、なることができたら戻ってきて記事を書く」とあった。
ネットメンターには、こういうこともある。どれだけ面白くて尊敬できる人でも、年月が経つといろいろ変わってしまうのだ......。また記事を読ませていただく機会を楽しみにしています。
高校生~大学生にかけて、この御方のブログを読んでいた。どの書籍にも書かれていない視点で、勉強になる内容が多かった。ほどほどに重たいテーマが多いけれども、たまに笑いもある。歴史や政治を扱った記事が多い。
文字どおり沖縄生まれの人になる。若い頃、大阪府に大学生としてやってきたようだ。壮年なんだけど、文体は若々しい。なぜこの名前にしたかというと、琉球の歴史を鑑みるに、「自分は沖縄県民ではなく琉球王国の一員」ということらしい。
mixiでは人気のブロガーであり、数年間活躍した後は、別のブログサービスに転向した(はてなブログだ)。この人は、上の三人と違ってまだ活動している。個人的にお気に入りのブログ記事をひとつだけ挙げたい。
#成人式 より #未成年バカ祭り を!~ヤンキー&花魁なバカ成人こそ地元の宝である。
https://nationoflequio.hatenablog.com/entry/2015/01/11/222419
この日記の日付は2015年だが、実際はもっと昔のmixi時代に投稿している。当時の私は大学生で、これから成人式!! という時期だった。
上の記事の内容は、まさに目から鱗の一言であり、この体験がなかったら、未だに「暴れる新成人」なるものを勘違いしたままだった。
さて、こちらの在日琉球人さんのブログだが、社会人になってからは見なくなった。理由は、更新頻度の低下だ。一応、それなりの頻度で更新はあったが、前の記事の焼き直しや再投稿がほとんどだった。新しい記事が生まれなくなったのだ。
で、その原因というのが加齢だった。本人談になるが、齢を重ねる度に気力が湧かなくなっていき……と、ブログ内で呟いていたのを覚えている。
私も、在日琉球人さんとメッセージのやり取りをしたことがあった。理知的で、ユーモアがあって、ごくまれにキレるけど、己の知性を高めるために日々尽力している人に思えた。自分よりもはるかに賢いはずの人間がブログ記事を書けなくなってしまうなんて、年を取るのは悲しいことなんだな、と若かりし頃は思った。
今でも、在日琉球人さんのブログは年に一度はぐるっと目を通す。やはり、斬新かつ奇をてらっていない。今でも世間に通用するブロガーだと思うが、なぜかあまり人気が出ない。面白いと思うのだが。
最後に~
月次な結論になるが、やっぱり若いうちはいろんな価値観に触れることが大事だと思う。自分は、中学生の頃からブログを読むのが好きで、それこそいろんな人の日記や作品を読んできた。勉強になるのもあったし、正直毒になるのもあった(ネトウヨやツイフェミがその典型)。
深夜に眼が重くなることもあったけど、あの日々では多くの学びを得ることができた……え、何? 個人のブログよりも書籍の方が勉強になるだろ、だって? それは言わない約束ということで。
はてなブログは週に一度はチェックする。書籍も好きだが、しかし自分は個人が魂を削って書いたブログの方が好きなのだ。これからもいろいろと読んでいきたい。
面白いうえに、人生のためになるようなブログを運営されている方々におかれましては、重ね重ね感謝を申しあげます。今までありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
まず始めに言っておくが、同性愛や異性装について反対している訳ではない。むしろ賛成している。この前提をすっ飛ばして差別主義者だとほざくのは止めて頂きたい。
心が女性ってなんだ?
生まれてからずっと身体的女性として生きてきたが、自分が女性だと感じるのは血まみれのナプキンを見た時と性被害に遭った時くらいだ。
身体的男性として生まれてきた方々は知らないだろうが、女性は男が好きで可愛らしい格好をしているだけではない。毎月1週間ほど腹痛腰痛頭痛を伴いながら血をドバドバ垂れ流す行事が永遠に続くし、性交は身体や精神への大きな負荷と社会人としてのハンデが生まれる妊娠が必ず伴う。人が多い電車では見ず知らずの男にいきなり体を触られて反吐が出る想いをすることが毎日電車に乗っていれば絶対にあるし、仮に襲われても男女の体格差じゃ抵抗しても勝ち目はほぼ無い。女性に生まれてよかったなんて思ったことがない。
それがメイクをして可愛らしい格好をしたら「心は女性だと気づいた。」って何言ってんだ。それは異性装が趣味だと気づいただけだろ。美味しいとこだけ啜っておいて流行りの風潮に乗って自己顕示するな。
本当にトランスジェンダーに悩んでいる人もいるからLGBTと呼ばれるのだろうし、トランスジェンダーに反対していたわけではなかった。分からないけれどそういう人もいるのだろうと思っていた。思っていた。
しかし風向きが変わってきた。トランスジェンダーを名乗る人々が女性の領域に侵入しようとしたり、女性を都合よく消費し始めたのだ。
それは話が違うじゃないか。そもそも前述のような精神的肉体的苦痛も味わった事のないのに、上っ面だけコスプレして美少女キャラにでもなったつもりか。男として結婚して子供も作ったけど実は女性でしたって何様なんだお前らは。女性に寄り添わないくせに心は女性って最早とんちじゃないか。それでおいで指摘されたらこっちを差別主義者扱いしやがって。
何故スポーツの種目のほとんどが男女で分けているのか考えてほしい。何故トイレや銭湯が男女で分かれているか考えてほしい。分からないなら今すぐ女性と名乗るのを止めて女性に謝罪して欲しい。それでも女性の領域に入りたいなら、パイプカットしたあとトランスジェンダーを悪用する性犯罪者を抹殺する手段を法整備化してから何でそこまでして女性の領域に侵入したいのか原稿用紙に纏めて主張して欲しい。
女性はもっと声を上げていい。女性の立場は何も変わらないのに、女性が追いやられるのはおかしいじゃないか。世界が性自認とかいう自己申告で決まる謎の性別によって女性が迫害されていくのはもう見ていられない。こんな世の中になるなら男性として生まれたかった。いやこんな世の中だと知る前から男性として生まれたかった。でも女性として生まれてしまった以上、これよりおかしい世界になる前に行動するしかないのだ。
とまあ長ったらしく書き殴ったが、はてなに住み着いてるのはアンチフェミの男ばかりなのでこんな事を書いても無意味なのでした。
まとめサイトは、かつては個人で運営されているものも多かったが、昨今では明らかに資本力が絡んでいる。特定の世論を形成するための、目的的な記事が複数のまとめサイトで同時進行的に掲載され、さらに、そのコメント欄の論調も殆ど同じであるのを見ていると、ネットの世論形成に複数のまとめサイトが関わっており、そこに個人の力によってではなくある種の資本によるムーブメントが存在していることは、凡そ間違いないと思われる
昔から炎上(火消し)請負企業というものはネット上で需要があった。フィリピンのビーチで乱痴気騒ぎをした結果国際的な炎上騒ぎになった某企業が数年前にあったが、その企業もネットでの評判の操作を行う資本力を伴った企業であったことが後に明らかになっていた。(なお、現在その記事はネットの検索に浮上しなくなっている)
要はネットの世論を動かすことは明らかに需要のある行為で、そういう行為を必要としている団体はたくさんあるということなのである。
今更こんな当たり前のこと言うなよと言われてしまう気もするけど。
自社の製品のイメージを向上させたい大企業、他社の製品のイメージを毀損させたい大企業、世論をコントロールしたい政府。これらの団体がネットの世論形成に意欲的であることは暗黙裡に明らか(矛盾表現)である。例えば某車メーカーが40代前後をターゲットにした新車を発表する度に、大手まとめサイトではその車両を称賛するトピック記事が組まれ、記事中においては某匿名掲示板の人々が口々に四十代前後向けの車両を称賛し始めるのである。何かこういうのを見てると違和感しかない。そして一方で意欲的な中規模車メーカーの新車種を毀損する記事が同サイトで複数組まれることもある。何だかなあ、と思うこと頻りなわけである。
それはそれとして勿論、はてなもこういった世論形成に大きく関係している。
こんなことを言うのも今更でしかないけど、はてなでもてはやされる記事の内容はかなり偏ったものである。
出生批判、結婚批判、家族批判、それらのイメージを毀損する記事を多く取り上げ、人々のモチベーションを奪う記事を常に掲載し続けている
あるいは、特定の政治団体を称賛し、特定の政治団体を毀損する記事を掲載するのもはてなのよくある運営方針である。通常、このようなリスクのある記事の掲載を、ある種の私企業が率先して行うことは考えられない。普通に考えれば、特定の政治団体からの指示や圧力によって、記事の内容に偏向が加えられている可能性が大きい。
まとめサイトに関して言えば、その資本の正体が一般的に明らかでないことが多い。一方で、はてなというポータルサイトはそうではない。はてなを運営しているのはあくまではてなという資本主体であって、当然、はてなが行う様々なジャーナリズム(?)の責任ははてなそれ自体に帰属することとなる。まとめサイトとはてなの運営システムは全然違う。
要は、はてなの行うジャーナリズム(?)的行為の責任の主体は明らかであるということなのだ。明らかにその責任の主体ははてなであり、一たびその責任について問い質す議論が行われた際には、当然はてなは矢面に立たされることとなる。まとめサイトに関しては、その資本や責任主体は一般的に公開されておらず、不明瞭であるのに対して、はてなのそれは明瞭である。要するに、新聞社などと同様に世論形成にあたって極めてリスクのある企業形態を持っているということになる。
しかも新聞社とは違ってはてなは明らかに新興メディアであり、その資本力は乏しく、一たび世間の風向きが変わってその責任主体としての責任(?)をはてなに求める風潮が現れたならば、はてなという企業は恐らく一瞬で壊滅することになるだろう。はてなの今後に目が離せない。
地方は言えない
住民はお前の素材じゃねえっつーの
盛り上げるってなんだよ、具体的に言えよ
KPIどこだよ
ん?あー、それ成功してないよね?
え?もう他に知らないの?
ふーん、あ、そう
ブランディングってなんだよ
何を売るの?どこに?
え?できないの?じゃあお前要らないじゃん
戦略っつって語ってるけど思いつきとどう違うの?
売れねえっつーの
差別化どうすんの?
だーかーらー
お前が言ってんのは皆知ってるっつーの
リスクも取らずネットのペラペラの記事しか知らずに語るなっつーの
おう、がんばりや~
ムラの行事に出ろっつーの
畦道に一歩たりとも入るなよ?
風向き見ながら野焼きもするやで~
後からムラハチブサレマシターって言うなよ?
うちのムラの人口が減ったのは昭和半ば、農業と林業でメシが食えなくなったからや
税金でおまんま食べさせてもらってるお前と違って、普通の人間は産業のあるところに行くんや
誰にもそれは止められん
あそこだけで4000世帯食わしとるんや
下っ端から直接根回し不能なレベルの上司に、持ってきた話をひっくり返す頻度が高い人がいる場合、そこまで持って行ってない話を下手に広めるのは「嘘を広める」ことになりがちです。
そのため、とにかくまずはその「話を自分の色に染めたがる上司」まで通してしまってから、そこに基軸を置いて一気に根回しを進めるのが安定行動となってしまうのです。
その上司の次の動きがある程度予測できる場合は「パターンAなら~~Bなら~~」で根回しできますが、動きが読みづらい上に誘導も無理っぽい場合は、事前に不確定な根回しをして嘘つき呼ばわりされるのがオチです。
正直された側からしても「あの根回し、全然ないよう変わったんで」と後から言われる方が混乱するので正直迷惑ですよね。
社会人なら誰だってこの経験ありますよね?根回しの内容がやたら変わるからもう決まってから言ってこいってなる相手先って……。
こういった状況に長く置かれたせいでトラウマを抱えた結果、根回ししないマンが産まれることもよくありますね。
まあ決定権を持つ人間が決定内容を好きなように動かせるのは権利としては当然なんですが、それが気分で決めているとしか思えないのは勘弁して欲しいっすね。
ハンコ押す以上は自分が満足する内容にしたいって気持ちはわかるんすけど、超やりにくいっす周りが。
直々の根回し拒否です。
まあ上みたいなパターンを食らいまくったトラウママンの一種なのかもです。
そもそも組織で自分の直前にハンコ押すやつが上のパターンだったら、マジで「不確定な情報を渡されるだけ」でしかないので、それは根回しになってねーんだよと言いたくなるわけで……。
このヒトもまたココまで行ってから内容ガンガン変える人だと、凄いことになります。
もっと上に根回ししておいてパワーゲームで抑えこむという権力闘争に発展させる手もありますが、なかなか激しい憎しみが炸裂するので悩みどころですね。
でもそこでキャンセルされてしまうと予定が狂っちゃうんですよ。
そこで「あくまでまだ根回しだったでしょ?」と言われてしまうと、いやいやそれなら最後まで連絡入れろよってなるわけで。
半端に根回しされると、別の方向に向かって一度歩きだしてから、方向転換して本当のゴールに向かうっていう余計な手間がかかるんですよね。
これ地味に面倒くさくて、0から段取り組むより面倒なことがあります。
いわゆる梯子外しですね。
これを「あくまで根回し」でやり放題だと思ってる人がいるのは「根回し≒権力者だけが得をする悪い風潮」というイメージに一役買ってます。
うーんこれはマジでね……よくない……。
全人格労働への第一歩なんですよね、職場及び職場の外において雑談する頻度が仕事の成否に結びつくってのは。
まあ全人格を労働に捧げたいってタイプの人には良いんでしょうけど、私は嫌ですね。
仕事に全部捧げてる人が多い職場って、仕事が上手くいってるうちはともかく少し風向きが悪くなると次々狂っていくんですよ。
仕事なんて結局はエラーをどう挽回できるかが勝負みたいなところがあるんですけど、狂いやすい職場はそれが出来ないから結局仕事が上手く回らない。
だからですね、根回しはあくまで労働時間中に、労働の一種として行なって欲しいんですよね。
その辺のルールを守ってる職場はなんだかんだ心や時間に余裕があるからミスの挽回にも強いですし、そうなると大きい仕事や面白い仕事もやってけるから働いていて楽しい。
小さな仲良しグループを大事にしてる職場は、正直部活の延長線上みたいな仕事だけして、終わるときもサークルが壊れる瞬間みたいにアッサリです。
ここよく分かってない人たまに見ますね。
これ良くないです。
むしろ「ここ危ないかもだけど大丈夫かな?」を確認しといてくれと。
根回しってようは「落とし穴があるか確かめる動き」なんですね。
「安全ですよ」とただ言うだけなら本番でもよくて、「ここもしかして危険ですか?」を事前に聞いておくから根回しの意味があるんです。
方向転換できるうちにリスクを減らしておく、そのためにちゃんと使って欲しいですね。
これ出来てない人の根回しはマジで「完成形見て直感で決めるから今の段階で言わなくていいよ」って感じはありますね。
だって「ここやばくね?」ってこっちが言っても「あっ、その辺は後でいい感じにするんで大丈夫っす」が返ってくるだけで暖簾に腕押しとか聞く意味ないじゃない
芸能人・インフルエンサーもどきとかで一部超高給な例外はあれど、
遅刻しまくったりキャストと揉めたり若さでもどうにも出来ないレベルの接客とかでな
その風俗ですら無理な子がいて福祉みたいな箱があるのが定期的に話題になるよね
まぁパパ活なりアプリ使ったフリーの立ちんぼが生まれる理由は無限にあるよね
福祉に繋いどけよって思う
コロナ不況の風俗嬢 (https://anond.hatelabo.jp/20210626183848#)
頭のおかしい私には人と話しをする職業は向いていなかったが、「見た目を褒められるんだからいつか花が咲くはず」とすがりついていた。
その頃のデリヘルは当欠遅刻早退当たり前の私に優しい世界だった。
キャバクラは勤怠に厳しい。遅刻もダメだしメンタルが病んでても出勤日は這ってでも出勤しなくちゃいけなかった。それもストレスだった私には酷く魅力的で仕事内容の糞さよりそのメリットの方がデカく感じた。
出勤したい日に出勤したい時間だけいれば店のパネルを見て容姿のいい私に客は当然殺到して10万円は確実だし性病の事を考えなければ私のライフスタイル的には適職だった。
風俗御用達の男共御用達のシティヘブンの台頭で業界の風向きが変わった。
媚びた写メ日記に際どい写真を付けて自己努力での客呼び込み。地獄だ。
今まで店にいれば対して日記を書かなくてもパネル指名とちょっと頭おかしくても許してくれる本指名でナンバーを取ってきた私はどんどん日記の上手い子に負けて1日5万の世界に堕とされた。
コロナのせいで今まで普通の仕事をしてきた真面目な子が風俗に流れ込んでくるようになった。
店は勤怠真面目で仕事もしっかりこなしてくれる子を優遇するようになり、とうとう私が風俗の旨みだと思っていた当欠遅刻早退禁止の店ばかりになってきた。
当欠魔の私はそのせいでクビになったり雇われなくなったりしてきた。
最早見た目じゃなく勤怠の時代だ。
ここまでくると見た目の良さなんて周りのおべっかなんじゃないかと思えてきたが、見た目とスタイル重視採用の高級店にも受かったりしてきたから悪くは無い筈。
ただ時代が追い求める風俗嬢は決まった日に決まった時間しっかり出勤出来る子を求めるようになってしまっただけだ。そう思いたい。私の見た目はそれなりだ。
キャバクラでもパッとせず終わって、普通の仕事はアタオカなせいですぐに使えない駒扱いされ冷遇され、風俗は私の最後の砦だった。
普通の仕事はまともに出来ない、キャバクラやラウンジでやっていけるトーク力もない。すぐメンタルやられて休む。そんな私に出来る最後の仕事だった。
686ななしのよっしん
2022/04/23(土) 23:50:24 ID: +IdLOEQM3/
東京五輪開催前くらいまでははてブと言えばネットリベラル最後の孤城みたいなイメージだったのにどこで風向きが変わったのか最近はすっかりアンチリベラルが主流派になってる印象
と言ってもどっちも日本語が読めない中高年という点では共通しているので本質的な違いはないんだが
694ななしのよっしん
2022/07/10(日) 15:44:14 ID: bfJim+Zvqz
高齢化で自分達自身がキモくて金のないオッサンになったってのはありそう
初の前年割れで、同人漫画家・イラストレーターの活動において、パトロン系サイトの比重が高まったことを感じます。
そんなことないと思う
家は割高な買い物で不透明だ
割高な家もあれば割安な家もある
まず不動産は景気とかタイミングとか、運も大きい水物だし、売買の相手方の立場・知識も様々なので、最適解というものはプロにすらない
しかし、知識武装すれば最適解に近いのか遠いのかはある程度判別できるようになる
それはそう
ただ単純にリスクの大きさで言えば、賃貸より持ち家のほうが圧倒的に大きいのは間違いない
金がないことにつきる
金があっても賃貸派の人もいれば、金がないけど持ち家が欲しい人もいる
正直、海外の家に比べて日本の家はめちゃくちゃしっかりしている
それでも住環境を整える必要はあるから誰もが借りるか買うかを選択する
だけど家は買ったら大抵ずっと住み続けないといけないし、買えなかった人はずっと買えない
別に、買った家に住まず、他人に貸して、その家賃で自分は別の所に住んでもええんやで
どっちかに舵を切らないとならないという考えが大きくて溝が深くなる
その結果、お互いのポジショントークが勃発している
俺もずっと賃貸派だったけど、色々と生活のスタンスが変わったり、趣味趣向や興味が湧いたりして家を買うことになった
賃貸と持ち家はそれぞれにメリットとデメリットがあるので、「賃貸に圧倒的なアドバンテージがある」という論旨自体が大きな錯誤
金の有無は別として、賢い選択をしていると思いたいはそうかも
当然、持ち家・賃貸 どちらが最適解かはその人の価値観とか色々な条件による
んなこたーない
世間一般的にはそうかもね うちはほとんど俺が勝手にやってて嫁はどうぞどうぞって感じだけど
にもかかわらずそういう実際に住む人のリアルな日常はあまり語られず、あくまでも金銭的な資産としての住居などでしか家は語られない
なんかこんがらがったが、結論としては
中古市場がもっと活発になって売り買いが楽になってくれて、借りることも買うことも手軽にシフトできるようになって欲しい、ということかな
> 何が嫌って、世の中に金がないために家を買うって事自体を嫌悪する風潮が強いことなんだよ
そんなことないと思う
割高な家もあれば割安な家もある
> 素人がいくら頑張っても不動産において最適解を見つけることは不可能とおもっていい
まず不動産は景気やタイミングなどタイミングや運も大きい水物だし、売買の相手方の立場・知識も様々なので、最適解というものはプロにすらない
しかし、知識武装すれば最適解に近いのか遠いのかはある程度判別できるようになる
> それは賃貸においても変わらず、家を買う人も借りる人も相応のリスクと向き合わないといけない
それはそう
> なのに賃貸vs持ち家なんて論争が起こりやすいのは何故か
> 金がないことにつきる
金があっても賃貸派の人もいれば、金がないけど持ち家が欲しい人もいる
> 日本の家は構造的にしっかりしておかないといけないのに基本的に消耗品
正直、海外の家に比べて日本の家はめちゃくちゃしっかりしている
> それでも住環境を整える必要はあるから誰もが借りるか買うかを選択する
> だけど家は買ったら大抵ずっと住み続けないといけないし、買えなかった人はずっと買えない
別に、買った家に住まず、他人に貸して、その家賃で自分は別の所に住んでもええんやで
> どっちかに舵を切らないとならないという考えが大きくて溝が深くなる
俺もずっと賃貸派だったけど、色々と生活のスタンスが変わったり、趣味趣向や興味が湧いたりして家を買うことになった
> ちなみに現在は賃貸側に圧倒的なアドバンテージがあるためか、家を買った人を批判する風向きがある
賃貸と持ち家はそれぞれにメリットとデメリットがあるので、「賃貸に圧倒的なアドバンテージがある」という論旨自体が大きな錯誤
> どちらも金がないのは変わらないのに、賢い選択をしていると思い込みたいのだろう
それはそうかも
> そして、こういう話は殆どの場合で家に興味が無い人ばかりが争っていることだ
> 仕事で家に帰らないか寝るために帰る人達が、何故か賃貸か持ち家かを争っている
んなこたーない
> ステレオタイプだが、子供のいる夫婦の家庭ならば家の主体は妻や子供にあると考えられる
世間一般的にはそうかもね うちはほとんど俺が勝手にやってて嫁はどうぞどうぞって感じだけど
> にもかかわらずそういう実際に住む人のリアルな日常はあまり語られず、あくまでも金銭的な資産としての住居などでしか家は語られない
> 家に興味の無い夫とかがこういう不毛な争いを繰り広げるパターンが多いと思う
> 中古市場がもっと活発になって売り買いが楽になってくれて、借りることも買うことも手軽にシフトできるようになって欲しい、ということかな
(なんかすごく伸びているけど、自分でも何言ってんだこいつって感じてるからね。あんまりツッコまないで欲しいな)
何が嫌って、世の中に金がないために家を買うって事自体を嫌悪する風潮が強いことなんだよ
家は割高な買い物で不透明だ
素人がいくら頑張っても不動産において最適解を見つけることは不可能とおもっていい
それは賃貸においても変わらず、家を買う人も借りる人も相応のリスクと向き合わないといけない
金がないことにつきる
日本の家は構造的にしっかりしておかないといけないのに基本的に消耗品
それでも住環境を整える必要はあるから誰もが借りるか買うかを選択する
だけど家は買ったら大抵ずっと住み続けないといけないし、買えなかった人はずっと買えない
どっちかに舵を切らないとならないという考えが大きくて溝が深くなる
その結果、お互いのポジショントークが勃発している
ちなみに現在は賃貸側に圧倒的なアドバンテージがあるためか、家を買った人を批判する風向きがある
どちらも金がないのは変わらないのに、賢い選択をしていると思い込みたいのだろう
そして、こういう話は殆どの場合で家に興味が無い人ばかりが争っていることだ
仕事で家に帰らないか寝るために帰る人達が、何故か賃貸か持ち家かを争っている
ステレオタイプだが、子供のいる夫婦の家庭ならば家の主体は妻や子供にあると考えられる
にもかかわらずそういう実際に住む人のリアルな日常はあまり語られず、あくまでも金銭的な資産としての住居などでしか家は語られない
家に興味の無い夫とかがこういう不毛な争いを繰り広げるパターンが多いと思う
なんかこんがらがったが、結論としては
中古市場がもっと活発になって売り買いが楽になってくれて、借りることも買うことも手軽にシフトできるようになって欲しい、ということかな